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2023年6月 5日 (月)

甲府城に紫陽花(アジサイ)咲く 令和5年6月4日

 甲府城跡に紫陽花(アジサイ)が咲いている。色々な色、色々な種類の紫陽花が、今まさに満開、コロナ以前より多くなったような気がする来城者を楽しませている。

 「稲荷櫓」は、城の鬼門方向北東に建っているので「丑寅櫓」とも呼ばれる。この稲荷櫓は明治初年の廃城令で破棄されたが、平成16年4月に創建当時のまま復元された。
 鎧や武具を収める武器庫として使われていたが、2階から眺めがとてもよく見張り台の役目もあったのだろうといわれている。

 その稲荷櫓前から東に下る坂の途中に紫陽花が咲いている。振り返って紫陽花越しに眺める稲荷櫓は、青空に映え、実に見事、まるで天守閣のようだ。

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 やはり坂の途中で、稲荷櫓を眺める。左手前に見える野面積み石垣の角の算木積みは初期の頃の算木積み、まだ完全な算木積みではない。

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 稲荷櫓前を東に下る坂を下りきると、滑り台などちょっとした遊具がある児童公園だ。いつも小さい子どもを連れた親子などが楽しそうに遊んでいて微笑ましい。
 ここは甲府城第一の堀、内堀を埋め立てた場所だ。
 この公園の周りにも紫陽花がいっぱい咲いている。ここから紫陽花を麓に、青空をバックに、見上げる野面積み石垣の上の稲荷櫓は、これまた天守台の上にそびえる天守閣のようで実に見事だ。

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 この児童公園の片隅にはこんなところも。甲府城は元々一条小山という岩山に造られていたのだが、その痕跡が青い紫陽花の向こうにある。

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 甲府城跡鍛冶曲輪には、日本庭園が造られている。その日本庭園で野面積みの石垣をバックに、色取り取り、色々な種類の紫陽花が咲いていて楽しい。

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2023年5月22日 (月)

山梨百名山「日向山」に登る

【登った山】日向山(1,660m)
【登った日】令和5年5月21日(日)
【コースと時間】尾白川渓谷駐車場7:38-8:50矢立石登山口9:07-三角点-11:07日向山12:03-13:35矢立石登山口13:50-14:51尾白川渓谷駐車場01

 日向山へ登るのは何回目になるだろうか。これまでは矢立石登山口から登っていたが、今回は初めての尾白川渓谷駐車場からの登り。

 山道途中に咲く沢山のヤマツツジに励まされ、登ることができた。02

 頂上は大勢の登山客で賑わっていた。みんな楽しそう。
 残念ながら甲斐駒、八ヶ岳は雲に隠れ眺めることができなかった。

 下山途中、登山道整備をしているあの甲斐駒黒戸尾根七丈小屋の花谷さんのグループと出会った。本当にご苦労様、感謝。

 今回はいつも使っているペンタックス一眼レフを余裕がなくて持って行かなかった。スマホで撮った写真2枚。

 

2023年5月 4日 (木)

日本遺産「甲州の匠の源流 御嶽昇仙峡」の構成文化財 『黒平能三番』を観る

 先日5月2日、山梨県の無形民俗文化財であり、日本遺産「 甲州の匠の源流 御嶽昇仙峡 」の構成文化財である『黒平能三番』が、甲府御嶽昇仙峡金櫻神社境内で披露された。

 『黒平能三番』は、かって水晶を採掘していた御嶽昇仙峡の奥にある黒平地域に伝わる民俗芸能で、その歴史は古く、鎌倉時代から室町初期まで遡り、信州佐久郡川上村から伝わったとされている。
 一方黒平にある地域資料によると、鎌倉時代に都から落ち延び住み着いた藤原房秀により伝えられ上黒平地域と下黒平地域でそれぞれ伝承されているという。

 今回は、下黒平に伝わる能三番の披露であった。能が始められる前の挨拶で「『黒平能三番』の踊り伝承は時代の流れで、地区集落の住人だけではできなくなっている。市役所の人や女の人にも入ってもらって練習を続けてきて今回披露する。」とおっしゃっていたのが印象的だった。

 『黒平能三番』についても何度も講演を聴き、映像も見てきていたのだが、気持ちのよい青空のもと黒平集落に近い新緑に囲まれた金櫻神社の舞台で観た能三番の踊りは、能のことはよくわらない私にとっても素晴らしく素敵で感動的だった。
 

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<参考文献>
 昇仙峡地域活性化推進協議会発行ハンドブック
    『日本遺産 甲州の匠の源流 御嶽昇仙峡
          ~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ ~』

2023年4月30日 (日)

湯村山に キンラン(金蘭)、ギンラン(銀蘭)咲く

 湯村山には、武田信玄の父信虎が築いた湯村山城趾があります。信玄の湯湯村温泉から遊歩道を30分ほど登ると城趾がある山頂です。湯村山は、甲府名山の一つで、山頂からは甲府盆地や富士山が眺められ、四阿もあり、気軽に乗ることが出来る手頃で素敵な山です。
 最近では湯村温泉からでなく、東側の麓の緑ヶ丘スポーツ公園から、散歩やウオーキングで登る方が多いです。湯村山を経て、この先法泉寺山や八王子山までハイキングやトレランで登る方もいて休日など大賑わいです。

 この湯村山でキンランの花、ギンランの花が今咲いているという話を山仲間から聞き、登ってきました。登るというよりも、花を探して歩き廻ったといった方が正確かもしれません。遊歩道脇の所々にギンランが咲いていました。よく気を付けていないと見落としてしまいそうです。行きには見つからなかったキンランが、帰りの山道で見付けることが出来たというような感じで、結構たくさんの花を見、撮ることが出来ました。もう盛りは過ぎたかなと思うキンラン、ギンランもありました。

 キンランとギンランは同じラン科 キンラン属で同じような形状の花ですが、黄色の花が咲くのがキンラン、白い花が咲くのがギンランです。黄色の花色を金色に、白い花を銀に見立てたのでしょう。ギンランよりもキンランの方が大きめです。キンラン、ギンランは、栽培が難しいといわれ、盗って帰っても普通の場所では決して育たないそうです。自然の中で咲くのが一番ですね。


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2023年4月29日 (土)

凪良ゆう『 汝、星のごとく 』を読む

 ここのところずっと読み進めてきた本が、ここのところ・・・話が複雑で疲れてしまう、次の話の展開を早く読みたいという気持ちが薄れている、読み通すだけの心の余裕がないのだろうか、自分の読書力が落ちたのだろうか。
 先日いつも使っている栞をはずし、本を閉じてしまった。

 代わりに、ブログ仲間の熊本のももさんから教えてもらった凪良ゆうの 『 汝、星のごとく  』を読んだ。本屋大賞受賞作だそうだ。

 次の展開がどうなるか、早く読みたい、でも読み終わった後の空虚感ロスを考えると・・・ゆっくり読もうか。
 この本は、以前のように、自分の生活のペースの中で、落ち着いてワクワク感を持ってどんどん読み進めることが出来た。まだまだ読書力は落ちていないぞとうれしかった。

 決して他人を排除するということでなく、人を受け入れ触れ合う、話を聞いたりアドバイスを受けたりする。そうした中でどうあっても、どう生きるか、どう決めるかは、最終的に自分だ、自分が決める・・・というようなことをいっているように感じた。
 悲しいけれど、櫂、暁美の生き方、行き方に賛同するのだ。そして淡々と二人の生き方を支援する北原先生の爽やかな生き方を素敵だと思う。こういう生き方をしたい。

 読み応えのある、小説らしいいい小説であった。教えてくれたももさん、ありがとう。


 ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


  「汝、星のごとく」凪良ゆう 講談社 2023年3月24日第六刷発行
 

2023年4月27日 (木)

法泉寺裏山にエビネラン咲く

 甲府北山法泉寺山から東に延びる小さな尾根があります。甲府五山の一つ武田勝頼の菩提寺「法泉寺」の裏山です。この尾根の山裏に、野生のエビネラン(海老根蘭)がひっそりと咲いています。

 枯れ葉の積もった山の斜面、目立たない所に咲いているので、目を凝らさないと見落してしまいます。控えめに慎ましく咲くエビネの佇まいが好きです。一つ一つの花が、ちょっとずつ違った様々な色、様々な形状で楽しませてくれます。


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<エビネラン>
分類;ラン科エビネ属 学名;Calanthe discolor
英名;Calanthe  和名;エビネ(海老根)
別名;ジエビネ(地海老根)、エビネラン(海老根蘭)、ヤブエビネ(藪海老根)
色 ;白 黄 赤 オレンジ  ピンク 紫など 開花時期;4月~5月
花言葉;「誠実」「謙虚」「謙虚な恋」



 撮影カメラ;PENTAX K-7
   レンズ;SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

 撮影日;令和5年4月27日(木)

2023年4月23日 (日)

甲府北山野道 山野に咲く小さな花たちに会いたくて

 山野に咲く小さな花たちに会いたくて、甲府北山野道武田の杜遊歩道を歩きました。甲府和田峠途中に車を置き、とりあえず小松山へ、そして少し足を伸ばし遊歩道を、中峠へ登る峠道出会まで歩きました。

 歩き始めてすぐ、イチリンソウの群生地。残念ながら、もうイチリンソウの最盛期は過ぎていました。咲き残っていた綺麗なイチリンソウを撮りました。

<イチリンソウ>
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 山道の両側所々にツクバネウツギが咲いていました。先日八王子山へ登った途中の道にも咲いていた。

<ツクバネウツギ>
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 以前最初この花を見たときにはどぎつい青にびっくりしましたが、よく見ないと見つけられないような小さい可愛い花が好きになりました。

<ホタルカズラ>
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 法泉寺山へシュンランの花を撮りに行ったのはもう一ヶ月前・・・、まだ一輪だけですが山道脇に咲いているシュンランを見つけました。

<シュンラン>
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 今日歩いた山道脇には、ジュウニヒトエが沢山咲いていました。この花も、よく見ると名前のごとく見応えのある美しい花です。

<ジュウニヒトエ>
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 小松山分岐の辺りにフデリンドウが咲いていました。去年はいっぱい咲いていましたが、今回は少なくてちょっと寂しかったです。

<フデリンドウ>
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 小松山山頂には、甲府名山の標柱とは別に、こんな可愛い山名板がありました。

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 ギンランの花は、最近知りました。キンランというのもあるようで見つけてみたいです。

<ギンラン>
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 今日の山歩きは、ここまで。ここを登ると馬頭観音さんがある中峠(塚原峠)に至ります。この峠道を、山梨の登山家山村正光さんのお父さんが、千代田小学校の校長先生のころ通ったそうです。

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 中峠分岐周辺にもイチリンソウが咲いています。もう終期、でもこんなに綺麗なイチリンソウが咲き残っていました。

<イチリンソウ>
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 歩いた日 ; 令和4年4月18日

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
         SMC PENTAX-M MACRO 100mm
 

2023年4月20日 (木)

佐伯泰英「出絞と花かんざし」を読む

 いつもシリーズもので読んでいる佐伯泰英だが、今回は一冊読みきりの「出絞と花かんざし」を読んだ。

 北山杉の里で暮らしていたかえでと萬吉が、花かんざし職人、宮大工として成長していく青春物語。

 本当にメモ程度の感想~

○前半部分を読んでいるとき、昔読んだ絵本「花咲山」を思い出した。

○何度も行っている京都のことを懐かしく思い出した。仕事で行っていることが多く、歴史ある風光明媚な京都をあちこち心に深く刻んでないことがとても残念だ。

○床柱、飾柱は、小さい頃からあちこちでを見たことがある。実家の床の間にも床柱があったが、磨き丸太であったか記憶が定かでない。 


「出絞と花かんざし」佐伯泰英 光文社 2021年6月20日初版1刷

2023年4月18日 (火)

ホタルカズラ(蛍葛)の花を探して

 何年か前、甲府北山野道武田の杜遊歩道を歩いていたときに、山道脇に咲いていた青紫が鮮やかな小さな花が目に入り、記憶に残りました。後で調べて「ホタルカズラ(蛍葛)」だと分かりました。

 今日は穏やかな日和で山歩き日和、そのホタルカズラの花を探しに和田峠中腹から甲府名山小松山(510m)へ登りました。途中山道脇に目当てのホタルカズラの花がところどころ咲いていてよかったです。

 ホタルカズラの花は、直径1㎝にも満たない小さな花で、色が鮮やかな青紫色です。草むらの中に点々と咲く花をホタルの光に見立ててホタルカズラと呼ばれるようになったそうです。

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 撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
         SMC PENTAX-M MACRO 100mm

2023年4月14日 (金)

芦川北陵桜峠にフデリンドウ(筆竜胆)咲く

 市川三郷町芦川北陵の桜峠へ、いつものように桜の花を観に出かけました。今年は早く暖かくなったのでもう遅いかな、それでも芦川の谷から吹き上げてくる風に舞い散る桜の花吹雪を眺められるかなと思いながら行ったのです。

 でも、やっぱり桜はもう完全に終わっていました。残念な気持ちで、桜峠の葉っぱの茂った桜の木の下で一休み・・・。
 そこでふと周りを見ると、なんと小さなフデリンドウの花がいっぱい咲いているではありませんか。残念な気持ちも薄れ、何かとてもうれしくなりました。

 フデリンドウといえば、以前甲府北山の小松山で山道の脇に群生していたのを思いがけず見つけたこと、中道往還迦葉坂を越えたときに山道にまでリンドウがいっぱい咲いていて、踏まないように歩くのに苦労したことなどを思い出しました。
 また、甲府北山金子峠から奥の塔岩へ抜けるみちなきみちの山道脇に一輪のフデリンドウがポツンと咲いていたのを思い出したのでした。

 リンドウは普通秋のイメージがありますが、フデリンドウは今ごろ春先に咲きます。陽の光を浴びて空を仰ぐように咲いています。気を付けていないと見落としてしまうぐらい背丈の低い小さい花です。光にとても敏感で、陽に当たると開花し、曇りの日や夜は閉じてしまいます。つぼみや花を閉じた状態がちょうど筆の穂先を思わせるのでその名が付いたといわれています。
 花言葉は「高貴」「真実の愛」「誠実」「正義」。

 撮影カメラ;PENTAX K-7
     レンズ;SMCPENTAX-DA 18-55mmAL


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2023年4月 9日 (日)

カイイワカガミの花満開 甲府北山八王子山白山

 イワカガミというと高い山の岩場に咲いているイメージがありますが、カイイワカガミは甲府名山25の一つ八王子山(*)に咲いています。今、満開です。

  (*)一時八王子山頂に『白山』という小さな表示板がありました。また、一般的には千代田湖の東岸にある山域一帯を白山といっているようです。八王子山(600m)とは別にこの山域最北端に四阿がある白山(612m)というピークがあります。どちらかというとこちらの方が花崗岩の山で、『白山』というイメージです。

 何年か前、山と渓谷社が出している「山と渓谷」に『白花のイワカガミを訪ねる新緑の山歩き』という見出しで紹介されたこともあり、今年も大勢の山の花好きのみなさんが八王子山白山に登り、満開のイワカガミを楽しんでいます。インターネットを検索してみると、東京など県外から見に来られる方もけっこういるようです。

 八王子山のイワカガミは、ヒメイワカガミ、ヤマイワカガミの変種だそうです。白いギザギザの花弁が可愛らしい小さい花です。色は、白か薄いピンクです。

 八王子山北斜面や白山から和田峠キャンプ場方向に下る斜面、八王子山白山の千代田湖畔よりの斜面のトラバース道に群落をつくる白花のイワカガミがいっぱい咲いています。その他あちこち八王子山や白山へ上る道、枝道沿いに咲いています。


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 撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2023年3月31日 (金)

八王子山にヒカゲツツジ咲く

 緑ヶ丘スポーツ公園から湯村山、法泉寺山を経て、甲府名山「八王子山(600m)」へ登るウォーキング、ハイキング、トレランの人々が多いが、山宮から下帯那千代田湖に越える梨の木峠から登る山道もある。峠から30分程で八王子山の山頂だ。
 途中、頂上に積石古墳がある羽黒天狗山への分岐を過ぎると、金峰山の頂上にある五丈岩を小さくしたような台形の大岩(ミニ五丈岩(^0^)や、甲府盆地や富士山南アルプスの眺めが抜群の展望大岩もある。

 梨の木峠から八王子山へ登る途中、山道の脇斜面にヒカゲツツジがいっぱい咲いているところがある。ヒカゲツツジは、文字通り日影に咲く余り目立たない低木の花で、気を付けていないと見落としてしまう。斜面を少し下ると辺り一面あちこちに、白やクリーム色、淡黄緑色のヒカゲツツジの花がいっぱい咲いていてうれしくなった。


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 撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
        SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2023年3月30日 (木)

和田峠にカタクリの花咲く

 江戸時代末期、徽典館(現在の山梨大学)の学頭が、また江戸から赴任した甲府勤番士が、和田峠を越え、昇仙峡や金桜神社を一度は訪れるのが慣例になっていたという。もちろん歩いてで、峠の山道の急登は苦労しただろう。今は立派な舗装道路がこの峠を越えている。

 今、この和田峠の一角にカタクリの花が綺麗に咲いている。もしかしたら、当時学頭さんや勤番士のみなさんも、このカタクリを愛で一息入れ、峠を越えて昇仙峡に向かったのかもしれない。

 花が下を向いて咲く姿が、恥ずかしくて好きな気持ちを伝えられない乙女をイメージさせることから、カタクリの花言葉は「初恋」なのだそうだ。先日のNHKラジオ深夜便「誕生日の花」でも紹介していた。

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2023年3月24日 (金)

春を告げるシュンラン 里山に咲く

< シュンラン(春蘭)は、美しいとか可愛いとかいう花ではないかもしれません。でも、里山の雑木林の斜面に厚く積み重なった落葉からひょこっと顔を出し、目を凝らして探してくれる人にしか姿を見せない、ここに咲いているんだよと控えめに主張して咲くシュンランの花に何か愛おしさを感ずるのです。そんなシュンランに惹かれもう何年も、シュンランを見に、写真を撮りに、湯村山、法泉寺山に登っているのです。>

 いつものように、緑ヶ丘グランド体育館の駐車場に車を置き、法泉寺山を目指します。いつもだったら、散歩の人、ウオーキングの人、トレランの人など大勢の人と擦れ違うのですが、昨日大雨が降り、今朝もまだ雲がありすっきりしないせいでしょうか、いつもより歩いている人が少ないように思いました。

 登り始めてすぐ、遊歩道脇に一輪のシュンランを見付けました。早速カメラを向け、撮影しました。これは幸先がいいぞと坂道の登りの歩きにも弾みがつきます。

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 しばらく登ると山道の脇がずっと長く掘り返されています。擦れ違った上品な老婦人が教えてくれました。「イノシシが掘り返しているんです。昨日雨が降って道脇に大きな太いミミズが潜っているのをイノシシが狙っているんですよ。雨が降った後はいつもこんな感じですね。」

 今日は湯村山頂上はパス、最近復元された狼煙台があるところから法泉寺山へ向かいます。ゆっくり歩き山道の両側を見まわしますが、シュンランの花も葉っぱも見つかりません。あれ、まだちょっと時季が早いのかなと思いながら、法泉寺山を下り、とうとう鳥獣センター分岐まで行ってしまいました。ああ、今日はダメかなと思いながら、鳥獣センター分岐から引き返したのでした。

 でも、これであきらめてはならずと、引き返しながらもう一度じっくり周りを見渡し目を凝らすと、なんとまあありました、ありました。やっぱり見落としていたのです。あちこちにシュンランの花が見つかり、いっぱい写真を撮りました。よかった、よかった。

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 更に下り緑ヶ丘グランド駐車場にまもなく到着というところ山道の両側、先ほど登るときに一輪シュンランを見つけた辺りになんといっぱいシュンランが咲いているのを見つけたのです。先ほどは見落としていたのです。思う存分写真を撮り、楽しみ登山口に戻ったのでした。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7

   レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
       SMCPENTAX-DA 55-300mmED
       SMC PENTAX-M MACRO 100mm

2023年3月23日 (木)

定年後の暮らしは読書三昧 佐藤厚志「荒れ地の家族」を読む

◇先日テレビの東日本大震災の特集番組にこの本の作者佐藤厚志が出ており、興味を惹かれ「荒れ地の家族」を読んだ。第168回芥川受賞作品だそうだ。

◇あの恐ろしい津波も違う言葉で表現し、震災の災害の表現も何か淡々と控えめである。それが返って恐ろしさ、惨状を感じさせるのだ。

◇主人公の祐治を巡って様々な出来事経過が、すっきりしない何か出口のないところを彷徨っているような心の動きの記述が続く。震災を経験した多くの人がこういう気持ちでいるのかもしれない。


 ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 

 「荒れ地の家族」佐藤厚志著 新潮社 2023年3月10日 4刷

2023年3月15日 (水)

甲府城稲荷曲輪の小彼岸桜と河津桜 花開く 3月15日

 甲府城の桜 稲荷曲輪にあるコヒガンザクラが咲き始めている。全体的には2~3部咲きという感じだ。甲府城のヒガンザクラのいわゆる"開花"は、二三日前か。

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 また同じ稲荷曲輪天守台の東下にあるカワズサクラも開花した。ちょっと奥まったところにあり、みんなに気づかれないが、暖かい陽気に誘われ、もしかしたら開花は今日午前中だったかもしれない。
 カワズザクラは伊豆地方では2月には咲くというが、甲府では今頃である。

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 ソメイヨシノの開花は、甲府は18日とか。もうすぐ甲府城はサクラの花に覆われる春爛漫の季節を迎える。

 信玄公祭は例年桜咲く春に、甲府城も会場として行われていたが、今年は昨年に引き続き秋に行われるという。
 サクラ咲く中でこその信玄公祭と思うのだが・・・少々残念。

2023年3月 8日 (水)

里山「小倉山」に登る 早春の花ザゼンソウ咲く

 甲州市玉宮ざぜん草公園から登る小倉山は普段は登る人も少ない里山だが、今日は天気も穏やかということもあり、とても賑やかだった。盛りのザゼンソウを見て、足を伸ばし展望のよい小倉山に登るという人も多い。

 埼玉からマイクロバスで来たという女性のグループ、東京から電車で来て塩山駅からタクシーに乗って来たという方、お年寄りの夫婦、近所誘い合わせての数人の方々など、バラエティーに富んだ色々な方大勢で、賑やかな春先の明るい山だった。
 ザゼンソウ群生地の通路で座り込み、絵を一生懸命描いている方もいた。その方は小倉山の頂上でも雪を被る南アルプスの山々の絵を描くといっていた。

 早春の花ザゼンソウも今が盛り、清流が流れる沢沿いに、沢山の花が咲いていた。早春に残る雪を自分から出す熱で溶かして芽を出すのだという。
 綺麗な花というわけではないが、ひょこっと落葉の間や沢沿いの泥土から芽を出し、仏炎庖という覆いの中で隠れるように顔を覗かせる姿が何かいじらしく愛しいのだ。


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 撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2023年2月28日 (火)

宮原の里山に密かに咲くミスミソウ

 ミスミソウは、春早く落ち葉の間から小さな花を咲かせ、春の訪れを告げてくれます。その姿はまるで妖精のように可憐です。セツブンソウなどと同様 ”スプリング・エフェメラル ”と呼ばれる草花の一つです。

 花が咲いているかな、姿を見せているかなとドキドキしながら宮原の里山の山道を登ります。最初はなかなか見つからなからないミスミソウですが、目を凝らすとあちこちに白いかわいい花がいっぱい咲いていてうれしくなりました。

 がく片が細くてたくさんあるもの、がく片がとがっているものまるいもの、うまく撮影できませんでしたががく片が少し赤みがかったものもありました。いろいろな種類の花があるし、同じ種類でもそれぞれ表情が違い、見ていて楽しくなります。

 落ち葉の間からすくっと茎をまっすぐ伸ばし、「私も見て!」と咲いているミスミソウを撮っていると本当に楽しくうれしくなるのです。

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  撮影カメラ ; PENTAX K-7

       レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED
          SMC PENTAX-M MACRO 100mm

2023年2月18日 (土)

TV東京 「ナゼそこ?」が『八坂集落』を取材放映

 先日床屋へ行った折、TV東京「ナゼそこ?」という番組で山梨県の山奥の集落が話題にあがっていたという話が出た。
 帰宅後、早速パソコンで検索して見てみた。いつも見ているテレビ朝日の「ポツンと一軒家」と同じような番組だったが、なんと身延町の『大崩』集落が出、次には『三ツ沢』集落、そして更には私が度々訪れている古関小折八分校があった近くの『八坂』集落が取材されていた。

 もうずいぶん前から私は何度もこの八坂折門辺りを訪れている。地元の新聞ではかって報道されたことがあるが、地元局でないテレビ局で紹介されるなんて、え~すごいと思った。
 ここに住んでいる今福さんが、地域活性化を目指してもうずいぶん前から「天空菜園」とか銘打って民宿などをやっていたようだが、今も元気に活躍しているようでとてもうれしかった。

 あの八坂峠、折門峠、栂の峠を歩き廻り、折八分校跡を胸を締め付けられるような思いで見た日々、懐かしい旧下部町山奥の折八地区・・・、また近いうちに訪れ歩き巡ってみようと思ったのだった。


こちらも是非ご覧下さい
 → 「八坂峠・折門峠・山神峠をめぐって」 古関小学校折八分校へ子どもたちが通った峠道・・・

2023年2月14日 (火)

古宿の「セツブンソウ」咲く 令和5年2月14日

 先日降った雪がまだ残る中、市川三郷町古宿のセツブンソウが咲き始めている。

 静岡から来たという方々が数人、セツブンソウを見て楽しんでいた。写真を撮るのもいいが、セツブンソウの花をじっくり見て楽しまなきゃといわれたような気がした。

 近くにいた地元の方が「本当に節分の2月の3日に数輪咲き始めたんだよ。だからセツブンソウだ。花びらはガクで普通5枚なんだけれども、6枚のも7枚のもあるんだよ。」と話してくれた。

 

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2023年2月 7日 (火)

映画「フォレスト・ガンプ/一期一会」を観る

◇録画しておいたNHKBSプレミアム放映の映画 『フォレスト・ガンプ/一期一会』を観た。この映画、若い頃一度観た記憶はあるのだが、詳しい内容は覚えていなかった。

◇大空を羽が舞い、あちこち舞って、フォレストの足下に舞い落ちたところから映画が始まった。そしてまた、自分の人生を語ったフォレストの足下から羽が舞い上がり真っ青な大空に消えていくシーンで映画が終わるのだ。なんともうまい演出だ。

◇フォレストが障害児であったことが描かれている。障害児や母親の子どもへの対応の様子も、違和感なく温かく描いていて好感が持てた。ベトナム戦争の惨たらしさも描いており、反戦の映画ともいえるか。

◇生活が荒んでいた頃の様子の醜さに比べ、最後フォレストの子どもを連れてフォレストの前に現れた以後のジェニー(ロビン・ライト)の美しさ爽やかさが際立つ。素敵な女優さんだ。

◇デジタル合成技術を駆使して、ケネディ大統領やジョンソン大統領、ジョン・レノンまで登場していてびっくりした。

◇心に残った言葉・・・
「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」
「本当はみんな、それぞれ運命を持っているのか、それとも、みんな風に吹かれて漂っているだけなのか。でも僕は両方だと思う。多分両方が同時に起きるんだと思う。」

・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。

◆フォレスト・ガンプ/一期一会◆
1994年製作/142分/アメリカ映画
原題:Forrest Gump
日本初公開:1995年3月11日
《スタッフ》
監督;ロバート・ゼメキス/製作;ウェンディ・フィネルマン スティーブ・ティッシュ スティーブ・スターキー/共同製作;チャールズ・ニューワース/原作;ウィンストン・グルーム/脚本;エリック・ロス/撮影;ドン・バージェス/音楽;アラン・シルベストリ
《キャスト》
フォレスト・ガンプ;トム・ハンクス/母親;サリー・フィール/ジェニー;ロビン・ライト/ダン;ゲイリー・シニーズ/ミケルティ・ウィリアムソン/マイケル・C・ハンフリーズ/他

2023年2月 2日 (木)

甲府城四季巡り 梅の花蕾ほころぶ 令和5年2月1日

 ブログ「くろちゃんの甲府城つづり」(2011年6月13日付)に、『・・・甲府城には昔「梅林門」という門があったそうです そんなことから、梅林門があったとされる場所の近くには梅の木がたくさん植わっています ・・・』という記事が載っています。

 その甲府城の梅の花が咲き始めています。甲府駅南口を出て左方向歩いて5分程、舞鶴陸橋の下をくぐり"城のホテル"前を過ぎて右側を見ると甲府城の天守台方向に坂道が上っています。その道の脇に梅林があります。この辺りに「梅林門」があったのかなと考えながら、道脇の梅林に入ります。

 まだまだ蕾が多いですが、木によって日当たりのよいところでは、花の蕾がほころびているのです。白梅よりも紅梅の方が開花が早いようです。最近午後は冷たい風が吹き寒いですが、午前中の今日は穏やかで日当たりの良いところは比較的暖かいです。咲き始めの梅の花を撮っているお二人さんに負けじと、私も梅の花の撮影三昧です。

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2023年1月31日 (火)

映画「西の魔女が死んだ」を観る

 録画しておいたNHKテレビBS映画「西の魔女が死んだ」を観た。以前、知人から「いい映画でしたよ。」と聞き、何時か観てみたいものだと思っていた映画だ。

 多分山梨県の北杜市方面だろう甲斐駒ヶ岳の麓にある"ぽつんと一軒家"(^0^)に住むイギリス人の祖母のところに預けられた不登校の少女が、祖母と自然の中で一緒に暮らし"魔女修行”をするというお話である。
 甲斐駒がある辺りに住む祖母は、特に描かれていなかったが東京から見れば"西"の魔女なのだ。何年か経って祖母が亡くなったという場面では、不登校を克服して学校へ行っているということで終っている。

 自然のこと、不登校のこと、家庭のこととかそういうことも描いてはいるが、むしろ主人公まいが祖母(西の魔女)と一緒に暮らし語り合い、人が生きるとはどういうことか、死とは何かというような人間の根本的な何か宗教のような哲学のようなことを描いている映画だと思った。

・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。


◆ 西の魔女が死んだ ◆

監督;長崎俊一
原作;梨木香歩
脚本;水島かおり(矢沢由美)長崎俊一/主題歌挿入歌;手嶌葵
出演者;サチ・パーカー(祖母)/高橋真悠(まい)/りょう(母)/大森南朋(パパ)/高橋克実(郵便屋さん)
2008年制作/115分

2023年1月22日 (日)

日本遺産 御嶽古道 「御霊の渡し」の探索

 前々からやりたかった「『御霊の渡し』の探索 」に出かけた。御霊の渡しは、金峰山金桜神社に続く御嶽道が、穂坂路から離れ片山西端裾を進み金桜神社一の鳥居へ向かうのに荒川を渡る川渡り場である。

Imgp73161 千塚から山宮を通り片山裾の西端を進み、昇仙峡ライン(県道7号線)が大きく右カーブするところを左手に下り、結構沢山ある田んぼの東端を北に向かう。

右上に昇仙峡ラインのガードレールが見えるが、やがて右側は小さな竹林になる。道は簡易舗装がされているが、草が蔓延っている。
Imgp73131  右上方からやはり簡易舗装の道が下って来て丁字路になる。ここを左にちょっと行ったところの石垣の下に崩れた「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」があった。御岳道に関係するものかどうか、御霊渡しを渡る前に祈る石塔か?

 この辺り地籍調査があったようで、田んぼの畦道がけっこ歩きやすくなっている。簡易舗装の道を離れ、畦道を北方向、荒川の流れの方へ向かう。高さ1~2mの土手に上ると荒川が流れる河原が見えた。
 向こう岸まで10mほど、歩いても渡れないことはない。もう少し右側上流側に進むと向こう岸に、金桜神社一の鳥居が発掘されたという田んぼ方向に上る道が木々の間に見えた。
 この辺りが、前々から確認したかった「御霊の渡し」だとうれしくなった。橋があったのか、石伝いに歩いて渡ったのか?Imgp73101

 田んぼで農作業をしていたご婦人と話をする。ここを御岳道が通っていたことは知らなかったようだが、先ほどの道端にあった崩れた宝篋印塔があることは知っていた。
 この辺りは昔から千代田村の人が田んぼを作っていたが、だんだん耕作をする人が少なくなって荒れ地になってしまったところがあったり、西側の荒川と亀沢川が一緒になる辺りは竹林になったりしてしまったと話してくれた。

 <こちらもご覧下さい>
   → 御嶽道(吉沢口)を歩く 穂坂路から分かれ金石橋まで 

 

【参考文献資料】
・日本山岳会同好会 山岳地理クラブ 山岳地理レポート 金峰山表参道の古道を辿る -できるだけ正確に歩いた-  富永 滋
・「御嶽昇仙峡の古道に関する調査研究ワーキンググループ報告書」令和4年3月

2023年1月11日 (水)

敷島梅の里 開花情報 令和5年1月11日

< 穏やかな日和に誘われ、探梅行 >
 穏やかな日和に誘われ、甲斐市敷島梅の里へウオーキングを兼ねて探梅行、毎年恒例の「敷島梅の里 開花情報」です。

< 敷島総合公園南側の梅の花は >
 敷島総合公園の広い駐車場南側の斜面の梅は、総体的には1~2分咲きというところでしょうか。下ってすぐにあるしだれ白梅は見事に満開でした。紅梅も木によっては満開、白梅は咲き始めという感じでした。蕾が一杯、一斉に咲くと今年も綺麗だろうなと思いました。

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< 矢木羽湖西側斜面の梅の花 >

 矢木羽湖西側の斜面の梅も白梅は、ほんの咲き始めという感じでしたが、少し登ったところにある四阿の周りの紅梅は、木によっては満開近くでした。富士山をバックに紅梅の花を撮りましたが、なかなかうまくいきません。

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2023年1月 1日 (日)

あけましておめでとうございます!

< 令和5年 あけましておめでとうございます! >
 
 皆様方にとって今年がよりよい年になりますよう
                   心からお祈りしております

 今年もどうぞよろしくお願いいたします

 
< 元旦の朝・・・ >
 甲府盆地は本当に穏やかな日和で、清々しい新年を迎えました。私は我が家の窓から、隣家の屋根の上に(^0^)昇る初日の出を拝みました。 庭では朝日をあびて寒菊が綺麗に輝いて咲いています。Imgp73952
 今年も家族一同、健康で明るくよい年でありますようにと心底祈ったのでした。
 お雑煮の朝食を早めに食べ、自治会の新年ご互礼会へ出かけました。近所の皆様と新年の挨拶を交わし、道祖神前で地域の安全と安心、平穏、益々の発展を祈ったのでした。

< 元旦に思う >
 コロナ感染流行の収束が見えません。(国は完全収束はもう諦めたようで、盛んに”withコロナ”といっています。) ロシアとウクライナの戦争も続いていて心が痛みます。
 佐伯泰英がいうように、「余りにも辛い、厳しい現代を一時の間だけ忘れて頭を休めることも時に必要」とも思いますが、しかし常にそれだけではならじと、もちろん思います。
 今年は何とかコロナも戦争も収まり、平穏無事な年、平和な世界になるよう祈らずにはおれません。自分に出来ることの余りにもささやかなことに歯痒い思いがしつつ、それでもささやかでも私に出来ることをしていこうと思う正月です。

<今年も健康保持、ボランティア、生涯学習に精を出して・・・>
 私はまもなく定年退職後15年となります。まあまあ心身ともに健康に過ごしています。このブログでもよくふれていますが、近くの公園や河川敷のウオーキング、山歩き、峠歩き、古道歩き、時たまのゴルフなどが健康の秘訣なのでしょうか。また、我が家の裏畑での野菜づくりも意外と体力が必要ですし、気持ちが和らぎます。
 県が生涯学習の一環で設置している山梨ことぶき勧学院(2期4年間通いました)は卒業しましたが、同級生で作ったOBの会が続いており、自主的な学習や研修での学びとその合間の仲間との語らいも楽しいです。県の生涯学習推進センターや県内の教育委員会などが開催している各種講演会、講座、学習会、遺跡発掘現場説明会、フィールドワーク等々にも参加しています。
 また、甲府城や御岳昇仙峡の案内ガイドボランティア、地域の学校の安全パトロールボランティアも生きがいの一つになっています。
 今年も、これらいろんなことに精力的に積極的に参加、精を出し活動していきたいと思っています。

< ブログで私の日々を綴る・・・ >
 新年早々私のブログ「山と山の花」をご覧いただき、ありがとうございます。ここは、私の趣味の山歩き、山や山の花の写真、アマチュア無線、パソコン、野菜づくり、観光案内ガイドをしている昇仙峡や甲府城のこと、その他極端にプライベートなこと以外のいろいろなことを気ままに書き込み載せているささやかなブログです。
 今年も、前述したコロナや戦争も収まり、平穏無事な年、平和な世界になるような、私なりの取り組みもこのブログに記事を載せていきたいとも思っています。関係記事をこのブログに書くこと自体が、私のささやかな取り組みにもなると思っています。
 さらにこのブログとは別に、私のホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」がありますが、『 山と山の花の写真のページ 』は、「山と山の花」という私のブログの名前になっていることからおわかりのように、私のホームページやブログは、全てこのページからスタート出発広がったものです。自分としてはとても充実していると思っています。最近はちょっと更新を怠っているかなと思っていますがご覧をいただけると幸いです。”山と山の花”満載です。撮影日時、撮影時の様子などもちょっと載せています。ホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」は、このブログからリンクしています。

< ご感想、ご意見、コメントを・・・ >
 私のブログやホームページに、ご感想、ご意見などコメントをいただくととてもうれしいです。ブログの記事からコメントがいただけるシステムになっています。記事の下の「コメント(0)」をクリックしてくださると書くことが出来ます。ブログは毎日ではないですが、結構頻繁に新しい記事を書いています。

< それでは、あらためて・・・ >
 今年が、皆様方にとってよりよい年になりますよう心からお祈りしております。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2022年12月29日 (木)

定年後の暮らしは読書三昧 佐伯泰英「吉原裏同心」を読む

 ここ三ヶ月ばかり、佐伯泰英「吉原裏同心」を読み進めている。もちろん本の題名にある吉原の遊郭のこと、花魁のことなどが詳しく描かれているが、一方この時代の幕府政治のこと、この時代の人々の生活暮らしなども結構細かく書かれており、とてもよくわかり参考になるのだ。ボランティアでやっている甲府城御案内仕隊の案内活動にも役に立ちそうなことがいっぱい載っている。

 例えば、今読んでいる九巻『仮宅』にはこんな記述がある。
・・・綱吉様の寵愛を一身に受けた側用人、老中として絶大な権勢を誇った吉保様の凋落もまた綱吉様の死と一緒にやってきて、甲斐国からその子、吉里様が大和郡山に転封になりましたな、その享保九年(1724)に甲斐から郡山に運ばれてきた金魚が郡山を金魚の国にいたしました。・・・
 このことは歴史的事実で、甲府城の案内ガイドをするときに利用している。甲府城跡鍛冶曲輪から稲荷曲輪に通じるスロープ脇に井戸がある。発掘で発見された往事の井戸(馬に水を飲ませていた水溜ではないかといわれている)なのだが、今ここに"金魚”が放たれている。ここでこの井戸の説明をするときに、話せるのだ。

 この「吉原裏同心」は、吉原を巡って様々な出来事、事件が起こり、それを裏同心といわれる神守幹次郞が次々と解決していくお話。最終的には、めでたしめでたしになるので、安心して読み進められる。

 今の世界の社会のいやな出来事、やるせない事件などの色々な心配事も、この小説を読んでいるとき、一時でも忘れられるのだ。心の安定に役に立っている小説なのだ。
 著者の佐伯泰英が「古着屋総兵衛影始末」の何巻かの・後書き・でこう書いている。
・・・ともあれ、現実を見まわせば、テロ、戦争、烏インフルエンザ、リストラと疎ましいことばかりだ。この世界に生きる者ならば、この現実を直視するのも務めとは思う。だが、余りにも辛い、厳しい現代を一時の間だけ忘れて、頭を休めることも時に必要であろう。・・・


 読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


「吉原裏同心(九) 仮宅」佐伯泰英 光文社文庫 2013年7月20日2版4刷発行

2022年12月19日 (月)

登山家 花谷泰広さんの講演を聞く

 韮崎の武田の杜ライフカレッジで、甲斐駒七丈小屋小屋番花谷泰広さんの「素晴らしき峡北の山々」という講演を聞いた。花谷さんお話は、何年か前に山の日のイベントで聞いたことがあるし、Facebookでもよく記事を拝見している。

 今回も、地元峡北の山々の話が聞け、山や山の花の写真が見られるかなと楽しみにしていたが、今回の話はそういう中身ではなかった。話の中身は違ったがしかし、素晴らしいいい講演が聞けてよかった。

 今回の話は、単なる登山の話、山の話ではなく、北杜市や他の団体とも連携し、登山道整備、小中学生対象の登山教室の実施、登山口などへの交通手段の構築などの事業を実施しているという山に関わる少し幅の広い話であった。
 特に登山道整備については、"北杜山守隊"と銘打って、登山道整備補修のイベントを参加費を徴収して実施しているのにもかかわらず、大勢の参加者があったという話にはびっくりした。
 また、登山道整備補修に関わって、甲斐駒付近の古い地図の登山道を辿って歩いたという話は、険しさがまったく違うが、地図を眺め古道を歩いている私には興味ある楽しい話だった。

 ヒマラヤなど海外の山々に多く登り、登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール賞までもらっている著名な登山家が、こういう活動を精力的に推し進めているということに感銘を受けた。もう少し若ければ、活動に参加したいほどだ。

<こちらもご覧下さい>
 2017年8月25日の記事 → 「山梨から登山の魅力を発信!」

2022年12月18日 (日)

御嶽古道亀沢口にも宝暦13(1763)年の金櫻神社参道道標がある

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 御嶽古道亀沢口(御嶽澤道)を亀沢川沿いに遡り、清川手前の宮沢橋を右折、草鹿沢方面を目指し車を走らせる。県道27号昇仙峡ラインだ。以前は二軒の茶屋があったという清水坂を通り過ごし更にしばらく行ったところ右側に、近辺の観光施設の広告看板が二つ立っている。

Img_20221217_102352-2  そこから右奥に林道らしき道が延びている。道路脇に車を駐め、歩き始める。5~6mも入ったところ左脇に、石の道標が立っていた。御嶽古道外道の八王子峠に立っている道標とまったく同じ御嶽神社参道の道標だ。同じ時に作られたのだろうか、「宝暦十三年癸歳」という日付も八王子峠と同じだ。この道が御嶽古道に間違いない。

 農耕車が通ったのだろうかと思われる落葉に覆われた道を20~30mほど進む。車が転回できるほどのほんのわずかな広場があり、そこからは山道に入る。左側には、ところどころ石垣が見え、昔は畑だったかなと思われるところを通り過ごす。右左稲妻形に進む踏み跡を少し上ったところで左上にガードレールが見え始めた。

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 そのまま進むとなんとなんと、先ほど走ってきた草鹿沢から御嶽に抜ける県道昇仙峡ラインの”峠”に出たではないか。上ってきた小道は、そのまま先日私が我貴山への登った時の山道に繋がっているような感じだ。Img_20221217_1032471車を駐めこの道を上り始めたときから、多分峠に近いところに繋がっているのだろうと思っていたが、思った通りだった。

 ほんの200~300m(時間的には20分)ほどの短い区間であったが、確かに御嶽古道を歩いたという満足感を感じながら、峠から今度は昇仙峡ラインの広い舗装道路を車を駐めたところまで歩き下った。                (12月17日歩く) 

《 参考資料 》
・御嶽古道を復元する会 活動報告シート 令和3年12月19日調査 令和4年3月12日ワークショッップ (ホームページに載っていた)


< こちらもご覧下さい >
 2013年6月27日の記事
  → 御嶽古道(亀沢ルート)を歩く 穂坂路分岐から牛句諏訪神社まで
 2021年10月23日の記事
  → 日本遺産 御嶽古道を歩く 

2022年12月13日 (火)

御嶽昇仙峡 御嶽新道の開削と「窪田幸左衛門」

 御嶽昇仙峡の御嶽新道開削は、猪狩村(現在の甲府市猪狩町)の長田円右衛門等により計画され、天保5年(1834年)12月に工事が始められた。途中、大雨により新道が一部流されたり天保の飢饉で資金不足があったりで一時中断されたこともあったが、天保14年(1843年)には完成した。
 それまで荒川西岸の険しい御嶽道(外道)を通り、薪炭を売るなどのため甲府城下へ出ていた猪狩村など周辺諸村の人々が、この御嶽新道を安心して容易に往き来できるようになったのである。また、後に御嶽新道は渓谷沿いの観光ルートとして脚光を浴びるようになる。

 御嶽昇仙峡について色々調べていくうちに、この御嶽新道工事の設計・測量にこのブログ「山と山の花」で以前書いた『徽典館学頭山口直毅撰 甲府御崎神社の「相川鑿堰之碑」を訪ねる』の記事で触れた”窪田幸左衛門"が携わっていたことを知った。

 参考文献資料で記した 「 山梨県 歴史文学館 山口素堂資料室 」の『 窪田幸左衛門 』の記事と『甲州の和算家 窪田幸左衛門』の記事の両方にある”幸左衛門 測量工事年譜”に次のような記述がある。

・・・・・・
天保 四年 1834 神戸村用水路引取のため対談。63才
天保 四年 1834 都留郡川茂・小形山村水路開鑿。63才
天保 四年 1834 猪狩村の依頼で御岳新道設計測量(昇仙峡)。63才
天保 五年 1835 都留市平栗村用水路開鑿。64才
天保 六年 1836 都留市十日市場村用水路開鑿。65才
・・・・・・・

 窪田幸左衛門は巨摩郡上小倉村(現在の北杜市須玉町小倉)出身で、江戸時代末期茅ヶ岳南麓に浅尾堰・穂坂堰の開削のための設計・測量を行うなど、甲州内外の土木工事に従事し活躍しており、甲州きっての大土建業者、山梨最大の土木功労者だという。

【参考文献資料】
・Weblio辞書 『 御岳新道の開削と観光開発の意味・解説 』
・ホームページ 『 山梨県 歴史文学館  山口素堂資料室 』
   「 甲州の和算家 窪田幸左衛門 」と「 窪田幸左衛門 」のページ
・ホームページ 『 山梨県 歴史文学館  山口素堂とともに 』
   「昇仙峡開発にみる窪田幸左衛門と長田円右衛門」のページ


<こちらもご覧下さい>
 令和3年2月1日の記事
   → 日本遺産 御嶽昇仙峡を訪ねて 長田円右衛門顕彰碑
 令和4年10月21日の記事
   → 徽典館学頭山口直毅撰 甲府御崎神社の「相川鑿堰之碑」を訪ねる

2022年11月24日 (木)

アンテナと同じぐらいの高さになった皇帝ダリア

 私のアマチュア無線のGPアンテナ(144MHz・430MHz共用)は地上高約5mである。なんとそれと同じぐらい高く育った皇帝ダリアの花が晩秋(いや"初冬"だな)の真っ青な空をバックに綺麗に咲いている。
 (電波の飛びに影響するかな なんて思ったりして・・・)

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<皇帝ダリア>
科・属名:キク科ダリア属/学名:Dahlia imperialis/和名:木立ダリア(キダチダリアまたはコダチダリア)/英名:Tree dahlia/原産地:メキシコ、コロンビア、ボリビアあたり/花言葉:「乙女の真心」「乙女の純潔」

2022年11月23日 (水)

NHKラジオ深夜便「心に花を咲かせて」 山下智道さんの話

 NHKラジオ第一放送のラジオ深夜便「心に花を咲かせて」は、時々早く目が覚めたときなどに聞いている。聞いている人の少ない早朝にはもったいないいい話が多く、私は寝ずにそのままずっと聞いてしまうことが多い。
 ラジオ深夜便は、この「心に花を咲かせて」が終わると、誕生日の花、花言葉の紹介があって5時に終わる。

 今朝のラジオ深夜便「心に花を咲かせて」は、野草研究家山下智道さんの「令和の牧野富太郎を目指す"ハープ王子"」という話であった。現在の若者だなという感じ、ぶっちゃけた話しっぷりで、あまり隠し事ごとなどせず本音で話す感じで、とてもいい話で聞き入った。アンカーの須磨佳津江さんのインタビュー技も相変わらず上手で、いい話を引き出していた。

 特に番組最後の方で山下さんが話していたことが心に残った。本当に山下さんは植物が好きなんだと思った。

・・・・・・
 植物を探求していく、楽しく探求していくのに色々やることがあって時間が足りない。植物を識別できる日本の植物を全部網羅した本を書きたい。また植物のファンを増やしていきたい。自分の役目だと思う。
 道端の直物を見ると小さな感動が増える。紅葉している景色を見て、それを幸せと感ずる。生活に彩りが増すではないか。ウキウキする気持ち毎日が幸せに暮らせる。心を豊かハッピーにしてくれるのが植物の魅力だ。 
 植物のことを面白がって、好きになって調べる。調べるとなるほどと思うからどんどん頭に入る、面白い。そしてフェールドワークなど人に話すのがまた楽しい、うれしい。私はこうした暮らしで、寝る前に本当に幸せと感ずるのです。
・・・・・・

2022年11月11日 (金)

紅葉の板敷渓谷 11月11日

 奥昇仙峡板敷渓谷の紅葉を撮影に出かけた。大滝の辺りの紅葉は、もうあと一週間ぐらい後の方がいい写真が撮れたかもしれない。それでも全体的にはまあいい写真が撮れてうれしかった。

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<荒川ダム(能泉湖)に架かる荒川大橋から板敷渓谷方面を眺める>

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<渓谷入口から入ってすぐ落差10mほど白髭滝>

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<大小の滝がところどころに>

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<水しぶきに濡れた岩の上に緑の葉と赤茶の落葉>

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<大滝下段の滝>

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<大滝上段の滝 虹は見られなかった>

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<紅葉した木々と落差30mの大滝全景>

2022年11月10日 (木)

日本遺産 御嶽昇仙峡を訪ねて 御嶽道祖神

 昇仙峡滝上から、県道7号昇仙峡ラインを北上、御岳の集落に入ると正面に金櫻神社が見えてくる。御嶽公会堂(旧金櫻神社参籠所)脇にある駐車場に車を駐める。金櫻神社三の鳥居をくぐってすぐ左側にあるのが、日本遺産 御嶽昇仙峡のストーリー構成文化財の「御嶽道祖神」だ。

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 令和2年11月7日に開催されたことぶき勧学院OB会輝きの会郷土史学習会(講師;大嶌正之先生)で配布された資料の日本遺産御嶽昇仙峡ストーリー構成文化財一覧表の中の「御嶽道祖神」の項には、
『山岳信仰、御嶽道に残る道祖神。多くの道祖神のほか、道標・巡拝塔が立ち並び、訪ねると江戸時代の巡礼気分にいざなう。』
とある。

2022年11月 9日 (水)

我貴山の山頂には金櫻神社の末社「我貴山社」がある

 『甲斐国志』にも載っており『仙嶽闢路図』に描かれている"我貴山"に登った。これで二度目になる。今回は昇仙峡ライン(県道27号線)が草鹿沢から御岳に越える峠(以前通っていたバス路線のバス停名は、単に"峠"だったような気がする)から登った。

 入口から踏み跡を辿って10分足らずで、以前歩いた御嶽道八王子峠から下ってきて我貴山に至る小尾根に行き着く。その小尾根を左側に踏み跡を辿ってやはり10分たらず進むと、何やら四角に囲った石積みがある。前に立つ2本の杉の木に紙垂が吊してあっただろうしめ縄が張ってあった。
 ここが金櫻神社の末社 「我貴山社」だ。手を合わせる。さらに10m程進むと崩れた石積みがあり、その後ろには苔むした石祠があった。

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 ここから先は、もう絶壁で前へは進めない。ここが金峰山の遙拝所なのだ。金櫻神社が真下に見え、遠くには木々の間に金峰山が望める。

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 昇仙峡地域活性化推進協議会が作った『 日本遺産 甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡 』には、”・・・我貴山社は金櫻神社の末社であり、金峰山の遙拝所” とある

 

<こちらもお読みください>
  2022年1月30日の記事 → 徳川家康も登った「我貴山」に登る

2022年11月 4日 (金)

日本遺産 御嶽昇仙峡 御嶽古道「塚原口」について

 日本遺産【 甲州の匠の源流 御嶽昇仙峡 ~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~】の構成文化財の一つ「御嶽古道」について、『甲斐国志』には九つのルートがあったと記されている。
 その九筋の一つ、北山筋「塚原口」について、以前県立図書館で調べた資料文献に、”御嶽古道の塚原口は金子峠・上帯那・塔岩・天神峠・竹日向さらに高成・川窪・猪狩を通るルートもあった”ことが分かる記述があった。

「甲府・北山筋周辺における歴史・民族と自然環境との関連調査」 昭和55年1月 山梨県
P50 ◎古道 御岳参詣道
P51 ・・・甲府からの参詣道は、塚原口があり、甲府市の塚原から中峠を越え、天神森に出て、下道の羅漢寺沢にいたる道と、塚原から上帯那にぬけ、塔岩に出て、そこから竹日向に向かい、御岳に出るコースもあった。
P52 ◎峠
金子峠 ・・・御岳参詣道がこの峠を通っていた。
天神峠 旧塔岩から竹日向へ抜ける峠の名称である。この道筋も古く、中世には、御岳参詣道の一つでもあった。また、仙娥滝以北の人々の薪炭を運搬して甲府にいたる生活道路でもあった。天神峠の名称は、天神平、天神森などの名前と関連があると思える。

「山梨県歴史の道調査報告書 第十二集 御嶽道 」 山梨県教育委員会 昭和62年3月
P3 Ⅱ道筋の推定と現状
P9 二 塚原・和田・帯那からのルート
(一)塚原(甲府市)ルート
P10 ・・・脚気石神社は、帯那峠への途中に鎮座し・・・
・・・なお、上帯那脚気石神社から北上して塔岩に出て、天神峠、竹日向を経て黒平にいたるルートもあった。
(二)和田(甲府市)ルート
P11 ・・・江戸時代末期までは平瀬への分岐点からしばらく行って、右に入り塔岩川ぞいに上って塔岩集落に行くか、途中で分かれて左手のダアス峠ごえで、塔岩と竹日向集落の間に出て、現在の羅漢寺前、あるいは能泉に下った。しかし、能泉から昇仙峡の左岸を上る道は、長田円右衛門の開いた御岳新道で、・・・これ以前は、竹日向からさらに右手の山道に入り、高成集落・川窪集落を経て、滝上の猪狩集落に至った、と思われる。なお、川窪から高成の間に、牧丘町赤芝から弓張峠を経て西保ルートにつながる道筋がある。・・・


*なお、この資料については、このブログ「山と山の花」で、2011年3月22日に
  『 やっぱりあった「帯那峠?」「ダアス峠」 ~ 今日も峠を行く 塔岩町天神峠 余聞 ~ 』
 の記事でもアップしているので、そちらもご覧頂きたい。

2022年11月 1日 (火)

日本遺産 御嶽昇仙峡 「金櫻神社摂社・白山社」

 前々から行きたかった 日本遺産【 甲州の匠の源流 御嶽昇仙峡 】の構成文化財の一つ「金櫻神社摂社・白山社」を訪ねた。

 金櫻神社三の鳥居右側の道を猫坂方面に5分程上り、右の山中に入ると踏み跡が見つかる。ところどころ石段があり、これが白山社の参道だと分かる。普段参拝者はあまりいないようで、参道は荒れている。Imgp69551 降った雨が流れ下ったようになっているところもある。山道参道を、ジグザグに上り、15分で白山社に着いた。

 本殿の前にある、拝殿の床には、白い石のかけらが転がっていた。白山社の上に覆い被さっている岩が欠け落ちたのだろう。周りにも白い砂地が広がり、無数の白石が積み重なっていた。

Imgp69531  甲府市観光課・甲斐市商工観光課が作った『日本遺産認定ストーリーの主な構成文化財』には、「金峰山の里宮として建立された金櫻神社の現存する数少ない摂社の一つです。今も県内白山崇敬者の拝礼を受けています。」と載っている。

2022年10月22日 (土)

甲府城四季巡り 秀麗の甲府城

 最近、FacebookやInstagramに素晴らしい素敵な甲府城の写真や記事が沢山載っている。甲府城への思い入れ強い私もうれしい限りだ。
 それではと、私も及ばずながら「甲府城四季巡り ~秀麗の甲府城~」を アップ。

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<秋晴れの青空に稲荷櫓が映える>

 
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<少し紅葉した桜 数寄屋曲輪を見あげる>

 
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<ススキの穂の向こうに白壁>

 
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<鍛冶曲輪 真っ赤なウメモドキの実>

 
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<まだ緑の芝生 野面積みの石垣 柵 桜の木々の上に 流れる雲>

 
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<天守曲輪に桜の落ち葉が散る 鉄門をくぐると本丸天守台>

 
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<見上げる17mの高石垣を算木積みも支える>

 
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< お堀 野面積み石垣 白塀 天守台 そして雲浮かぶ秋空>

2022年10月21日 (金)

徽典館学頭山口直毅撰 甲府御崎神社の「相川鑿堰之碑」を訪ねる

 山の手通りから甲府一高の正面に向かい、最初の交差点を右折、一方通行の道を200m程行ったところの左側に「御崎神社」がある。
 御崎神社は、武田氏が石和へ居を構えた時守護神として敷地内に祀られ、その後何回かの変遷を経て、文禄3(1594年)年甲府城築城の際、現在地に遷座したという。Imgp45131

 鳥居をくぐり、境内に入ると立派な神門(桜門)がある。この神門の左横奥に「相川鑿堰之碑」がある。この碑の撰文が山口直毅である。
 山口直毅は幕臣で安政3年(1856年)12月甲府の徽典館の学頭となった人だ。後には大目付、町奉行、歩兵奉行、騎兵奉行などを歴任した。

 碑文はよく読めず私には解読できない。この碑には北巨摩明野村の窪田幸左衛門という人も関係が深いようで、インターネットに、下記のような記事が載っていた。その記事には、この方は山梨最大の土木功労者だとも載っていた。


ホームページ『 山梨県 歴史文学館 山口素堂資料室 』
2015年06月25日22:48 窪田幸左衛門
幸左衛門 測量工事年譜(明野村誌 資料編から補注)

 <関係年代抜粋>
・・・・・・
☆天保十三年 一八四二 七十一歳
十一月、甲府上下水道堀抜き工事に着手する。
☆天保十四年 一八四三 七十二歳
十二月、甲府上下水道完遂
    (甲府御崎神社境内に「相川鑿堰之碑」あり)
十二月、甲府城二ノ堀抜き工事を実施する。
☆天保十五年 一八四八 七十三歳
十一月、妻死別。(香林院梅深日随信行年六十五歳)
☆弘化 二年 一八四五 七十四歳
野呂川測量(御勅使川徳嶋堰を引き継ぎ、原方二十二カ村開田の為)
☆弘化 三年 一八四六 七十五歳
 十一月、甲府上水道完遂の為水神の祠を御崎神社の境内に勧請し、参詣方案内状を発送。
・・・・・・

2022年10月20日 (木)

こんなところに甲府城お堀跡(その29) 甲府城三の堀 ~ 山の手通りを横切り南進西進し、相川に注ぐ ~

< 日本100名城に数えられる甲府城には、お堀が鍛冶曲輪の南に遊亀橋を挟んで両側に残存する。これが甲府城の内堀(一の堀)の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。甲府城には内堀、二の堀、三の堀があったが、現在そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を見ることは出来ない。それでも、甲府市街の普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。>

Imgp68551 国立甲府病院から下ってきた県道が山の手通りにぶつかるところが朝日五丁目の交差点だ。この交差点の南側に以前老舗のお菓子工場があったのを覚えている。今は更地、駐車場になっている。この更地の西側を開渠側溝になった三の堀が南進している。50m程南進し、更地の一番南側のところで西方向に直角に曲がり、住宅の間を西進している。 その先は見えないが、このまま西進し横沢通りに達するのだと思われる。Imgp68631

 横沢通りの道路沿い、甲府建材の会社の南端に、コンクリート製の大きい四角の集水升があり、これに先ほどの住宅の間を西進してきた側溝が流れ込んでいる。三の堀跡と思われる。この集水升から出た側溝が開渠になったり暗渠になったりで道路沿いに南進する。Imgp68711

 50m程南進したところで西曲し横沢通りを潜り、そのまま西進する。こちらは暗渠化されて道と同化して住宅の間を西進する。そのまま西進した堀は、200m程進むと正面の石垣塀にぶつかり、左直角にまがり南進する。するともう30m程先で相川へ注いでいるのが眺められる。辿ってきた三の堀跡はここで終わりである。


(写真右上)朝日五丁目交差点辺りから南進した三の堀跡が直角に曲がり西進する

(写真左)横沢通りを潜り、住宅街の間を道路と同化し西進する
(写真右下)道と同化した三の堀跡が相川に流れ込む


<山の手通りの北側の三の堀跡について>
 こんなところに甲府城お堀跡(その5)
  <朝日五丁目交差点北約50m地点 三の堀跡 > 


<参考資料>
・ホームページ『甲府市街町堺追懐』上府中三ノ堀を辿る
・『平成甲府城下町絵図』作成:山梨県埋蔵文化財センター  協力:甲府市教育委員会

2022年10月12日 (水)

庭の花を撮る 秋の薔薇

夏の暑さが収まり、寒さへ向かっているこの時季/我が家の庭で薔薇が綺麗に咲いている/最盛期のバラよりも小さめ、花びらが少し曲がっていたり虫に食われていたりして、葉っぱもかなり枯れ落ちていたりするが/けなげに咲く素敵な我が家の庭のバラの花を撮った/

    撮影カメラ ; PENTAX K-7
      レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL


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2022年10月10日 (月)

あの青年はアナウサーになっただろうか

 もう数年も前の秋のことだ。甲府城天守台で、一人の青年が北方向山梨文化会館の方を眺めていた。甲府城御案内仕隊の私は、いつものように「あの建物は”山梨文化会館”といって、あの有名な建築家丹下健三さん設計の建物だそうですよ。」と声をかけた。

 青年は「実は、今日はあの建物の中にある会社のアナウサーの試験を受けに行くんですよ。ちょっと時間があったので、気持ち落ち着かせるためにもとお城に寄ってみました。」といった。

 私はこの時、反対方向、富士山と南アルプスのいい眺めの話をして、詳しい甲府城の案内は止めた。少しは、気持ちが落ち着き、柔らいただろうか。

 テキパキとした受け答えから、きっとこの青年は、アナウサーの試験に合格するだろうと思ったのだった。今、あの会社のアナウサーをしているのだろうか。
 毎日、あの建物の中にあるYBS(山梨放送)のテレビを見たりラジオを聞いたりするが、若いはつらつとしたアナウサーの声を聞くと、もしかしたらあの時のあの青年かな~と思ったりする。

2022年10月 8日 (土)

日本遺産 御嶽昇仙峡 構成文化財 「湯谷神社」を訪ねる

 甲府山の手通りから湯村温泉通りに入り500m程、正面に「鷲の湯」の古びた建物がある。通りは鷲の湯の建物の左側を通って進む。
 この鷲の湯の手前10m程を右折すると、正面に日本遺産 御嶽昇仙峡 構成文化財「湯谷神社(ゆやじんじゃ)」の石鳥居と階段がみえてくる。

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 入口に立つ石鳥居脇にある甲府市教育委員会が作った看板には、「湯谷神社」は、湯村温泉の守り神、湯谷権現を祀る神社で、1601(慶長6)年の検地帳(広瀬家文書)にも記載があり、これ以前から祀られていた古い神社であることがわかる とある。また、併せて秋葉権現、大宮さんも祭神としているとある。

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*昇仙峡地域活性化推進協議会が作った日本遺産『甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡 』のリーフレットには、「湯谷神社(ゆたにじんじゃ)」とある。

2022年10月 1日 (土)

NHKテレビ「にっぽん百低山~羅漢寺山(1,058m)~」を観る

 先日NHK総合テレビお昼の放送「にっぽん百低山」で『羅漢寺山』をやっていた。最近いろんなメディアで昇仙峡、羅漢寺山、御岳古道が取りあげられ、うれしい限りだ。テレビで今回吉田類さんと一緒に登ったのは、地元のはぎとも(萩原智子)さんで親しみを持って見た。

 また、昇仙峡マイスターの大先輩、雨宮さんが出演していたのもうれしい。主に『麦坂』の説明をしていた。雨宮さんの話・・・麦坂を登る途中の杉林の中に苔むした石垣が沢山あるが、これは江戸時代の畑の跡で、麦や蕎麦を作っていた。家が建ち並んでいるところもあった。この辺りの昇仙峡の集落の人々が、この麦坂を上り尾根添いの山道を歩き、10㎞ほどを歩いて甲府へ炭などを売りに行っていた。

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              <羅漢寺山へ麦坂道入口 2021.10.10撮影>

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           <麦坂道 もうすぐ八王子峠 2022.2.9撮影>

 テレビでは、竹村三陽が描いた「仙嶽闢路図」の『猪狩邨』の絵図で、猪狩村の集落の家屋を紹介していた。この絵図では、眩暈岩の朝天門を下りている人々が描かれている。そして、今の静観橋を渡りきったところに猪狩村の家々描かれているのだ。ここから麦坂が登っている。麦坂を登って、甲府へ至る道は、テレビでは天神森辺りから和田峠を下る道を紹介していた。


 私が『麦坂』を登った記事
  → 今日も峠を行く 猪狩から麦坂道を登り八王子峠へ

2022年9月22日 (木)

日本遺産 御嶽昇仙峡 構成文化財 「塩澤寺地蔵堂」を訪ねる

 甲府県道6号山の手通りから湯村本通りに入り、温泉街の一番奥、「弘法湯」の先右側に「塩澤寺(えんたくじ)」がある。

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 山門をくぐって正面階段の上に 日本遺産御嶽昇仙峡 構成文化財「塩澤寺地蔵堂(えんたくじじぞうどう)」がある。国の指定重要文化財でもある。
 脇にある説明板には、”建築年次は不明であるが彫刻など細部手法や全体の構造から室町時代末期と推定されている” とある。

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 地蔵堂に安置されている厄除け地蔵尊祭が、毎年2月13日正午から14日正午まで開かれ、年一度だけその間耳が聞こえて願い事を聞いてくれるということで、県内外の大勢の人々で賑わうのだ。

2022年9月19日 (月)

入笠山の咲き残りの花を撮る

 家から、車で中央道経由、1時間足らずで富士見パノラマリゾートに着く。富士見パノラマリゾートは、冬にスキー場で賑わうところだ。駐車場から、ゴンドラリフト乗り場まで少し歩く。

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 ゴンドラ山頂駅から正面に入笠湿原に行く登山道入口がある。根っこがはびこっている山道だが、ほぼ平ら、快適な落葉松林の中を行く。10分ほどで入笠湿原に着く。
 もちろんもう花の時期は終わっている。それでも咲き残りの山の花が、咲いていた。特に紫色のエゾリンドウが目立った。Imgp66971

 入笠湿原から10分で花畑。ここにも若干の咲き残りの花が咲いていた。花畑途中から右側のマナスル山荘前からの入笠山登山道に入る。今回は、岩場コースを登ったが、あっけなく入笠山山頂(1,955m)に着いた。山頂では大勢の人が、展望を楽しんでいた。夫婦連れが多かったかな。

Imgp67091  下山は、岩場迂回コースへ入り、首切清水・大阿原湿原へ向かう山道の途中から八ヶ岳ビューポイントを通る道を経て、お花畑最頂部に着いた。お花畑を下り、入笠湿原真ん中を右方向の結構の登りの木道を歩き、林道を経てゴンドラ頂上駅に着いた。

 その後、ゴンドラ頂上駅近くにある手入れのいい山野草公園を一巡り、さすが色々な花の咲き残りが沢山あり楽しめた。


 写真左上:気持ちのいい落葉松林の中の山道
 写真右中:入笠山山頂 向こうに中央アルプス
 写真左下:山頂から 左 甲斐駒ヶ岳 右 鋸岳

 

<エドリンドウ(蝦夷竜胆)>
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<タチフウロ(立風露)>
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<マツムシソウ(松虫草)>
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<フシグロセンノウ(節黒仙翁)>
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<ウメバチソウ(梅鉢草)>
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<オミナエシ(女郎花)>
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 (入笠山 令和4年9月14日登る)

2022年9月13日 (火)

八王子峠から金櫻神社御岳集落に下る御嶽古道脇に石造物があった

 旧敷島町吉沢から上り、外道ノ原、八王子峠を経て、御岳集落金桜神社へ下る道が、御嶽古道である。昇仙峡ロープウェイ山頂駅(パノラマ台)が近くにある八王子峠から、金櫻神社がある御岳集落入口までは林道のような車道が下っている。

 以前、御嶽古道をこの八王子峠から金櫻神社まで歩いたときには、御嶽古道を表すような遺物石仏など何もなかったと書いた(*-1)が、その後途中に金櫻神社「第二の華表」の礎石があったとういう記事を書いた(*-2)。今回更に、御嶽古道に関係するか?と思われる石造物を見付けた。Imgp66721

 八王子峠から下ってきて、間もなく御嶽集落に向かって急坂になろうとするところ、間もなくアスファルト舗装の道路になろうとするところが、道路の左右がとてつもなく広い伐採地になっていた。何をするのだろう、新たな植林をするということであればいいが・・・。
 伐採地になってすぐ右の丘の上のようなところに石造物があった。道からは、20mほど入ったところだ。以前は、林の中で、道からは見えなかったのだ。木々がなくなって、ここから周りの山々が見渡せた。麓に荒川ダム(能泉湖)まで見えた。

 ホームページ「樵路巡遊 」によると、これはお墓だという。文字らしきものは永い間風雨にさらされたからだろうがない。上部に二引両紋が見て取れ、その下中央部に小さな穴があった。この紋は「小田切」家の家紋だそうだ。

 この石造物(お墓)が、御嶽古道とどういう関係があり、どういういきさつでここにあるのかは分からない。昇仙峡御嶽古道に関わる資料文献にも載っていない。研究者からも話を聞いていない。今後の研究課題の一つだ。


(*-1)平成25年5月31日の記事

     → 金桜神社から八王子峠へ そして外道を下る その2
  (*-2) 令和3年10月23日の記事
     → 日本遺産 御嶽古道を歩く


《参考資料文献》
・ホームページ「樵路巡遊 (しょうろじゅんゆう)」~ 古道をできるだけ正確に辿った 金峰山表参道のページ~ by S. Tom.

 

2022年9月11日 (日)

御嶽古道金櫻神社参道八王子峠にあった鳥居の束石

 昇仙峡ロープウェイ山麓駅と”山梨ワイン王国”の間に、麦坂道入口・猪狩集落に入って行く舗装道路がある。その道を10mばかり入った左側道路脇に苔むした四角のコンクリート塊があり、角が欠けた小さな看板が立っている。看板に説明が書いてあるが、ところどころ文字が消えていて、書いてあること全体はよく分からない。この看板に書いてあることの他、下記の数少ない資料文献等を参照、まとめると~  Imgp62151

《 これは現在のロープウエイ頂上駅パノラマ台辺り、いい換えると鎌倉時代から金櫻神社の表参道だったといわれている御嶽古道八王子峠近くにあった「金櫻神社の鳥居の束石」である。昇仙峡ロープウェイ開業30周年を記念して、1994年7月に、頂上パノラマ台辺りにあったこの鳥居の束石を麓のここに移した。》

 金櫻神社一の鳥居と伝えられ、日本遺産御嶽昇仙峡の構成文化財の一つで現在敷島総合公園に復元されている「旧金櫻神社石鳥居」があるが、この御嶽古道八王子峠にも金櫻神社の鳥居があったということだ。下記資料「武田の杜史跡ウォーク」配布資料の「 八雲神社と第一の華表 八王子峠の道標 」の項目に~

《・・・上道と外道が、ここからニ十町(2.18㎞)ほど南で合流し、ここまでが桜並木になっていたことから「桜大門」と呼ばれていたそうです。そしてここは、金櫻神社(御嶽社)参道の入口として第一の華表(かひょう:鳥居)がありました。宝暦十三年(1763年)の道標にはここからが参道であることが明記されています。》とある。

<資料参考文献>
・「甲府市昇仙峡編 昇仙峡ロープウェイとその周辺、新鮮力・奥昇仙峡の楽しみ方」つなぐNPOまちミュー友の会 2011年3月31日
・「金峰山五丈岩を御神体とした御岳信仰の道」武田の杜史跡ウォーク配布資料 2021.10.10(日)


《こちらもご覧下さい》
 2021年10月23日の記事 → 日本遺産 御嶽古道を歩く

2022年9月 4日 (日)

巻頭で御嶽昇仙峡を特集 「やまなしハイキングコース100選」

 「やまなしハイキングコース100選」の巻頭特集に昇仙峡羅漢寺山が載っていた。「羅漢寺山を目指して『祈りの道』を歩く」などの見出しで、歌川広重が描いた外道の原の大岩や、太刀の抜き石、鞍掛岩などの写真も載っており、私が何度も歩いたコース、ルートでうれしくなった。これらの写真は何時撮影したのだろう。

 「やまなしハイキングコース100選」は、最近山梨県の観光資源課で発行、無料で配布の観光パンフレットだ。パンフレットといっても130ページもあり、写真も豊富に載っている豪華本だ。
 監修を有名な花谷泰広さんと大内征さんがしているようだが、実際の取材執筆編集などはサンニチ印刷さんがやっているようでたいしたものだ。実際に登り歩いたスタッフの紹介もしてもいいのになと思った。

 この本で紹介しているコース、ルートで、私は何カ所かまだ歩いていないコースがある。近いうちに歩いてみようと思っている。

 *私の『御嶽昇仙峡』も是非ご覧ください → 日本遺産 御嶽古道 御嶽昇仙峡
 *その他 この「やまなしハイキングコース100選」に載っているコースルートは
     私のブログこの「山と山の花」にも沢山アップしてあります
        ご覧くだされば幸いです

2022年8月17日 (水)

定年後の暮らしは読書三昧 佐伯泰英 「新・酔いどれ小籐次」を読み切った

 「新・酔いどれ小籐次」25巻を完読、読み切った。私もまだまだ読書力は落ちていないぞとうれしくなった。

 「酔いどれ小籐次」の前シリーズ ”決定版” の一巻 「御鑓拝借」を読み始めたのが今年の2月だったから、約半年間「酔いどれ小籐次」を読んできたことになる。

 「酔いどれ小籐次」を読むのが毎日の生活ルーティーンの中に入っていた。大げさに言えばここのところの生きがいの一つであった。

 江戸時代末期のお話、荒唐無稽のお話で、こんなことはあり得ないという場面続きであるが、まあ小説だから当たり前と、楽しんで読むことが出来た。

 何か心がもやもやして不安定な時でも、不思議と心が落ち着き明るくなるのだ、何か力づけられるのだ。次の行動への力が沸き上がってくるのだった。

 こんなお話を書く佐伯泰英、不思議な作家だ・・・ まだ別のシリーズ本がいくつかあるようで、佐伯泰英を続けて読んでいきたい。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


 「 新・酔いどれ小籐次(二十五) 『御留山』」佐伯泰英 文春文庫 2022年8月10日 第1刷

2022年8月11日 (木)

ここにもあった「亀石」道祖神

 甲府城御案内仕隊のメンバーで大変な勉強家研究家のSさんが、最近県下の道祖神巡りをしているようで、Instagramで道祖神の写真を掲載している。先日掲載された道祖神を見て、ああこれだと思ったのだった。そうだ、平瀬峠の道祖神は確か「亀石」道祖神だった!

 先日、日本遺産の御嶽古道上道を歩き山道脇の「亀石祠」を発見したとき、以前どこかでこれと同じような亀石の石造物を見たことがあるなとおぼろげに思ったのだがそのままになっていた。
 ところがSさんのInstagramの道祖神の写真を見て思い出したのだ。なんということだ。失念していたが、私もこのブログの峠巡り「平瀬峠」でこの亀石の石造物の記事を書いているではないか!

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 ここの道祖神は、「亀の子道祖神」というらしい。亀の上に三方がのってその上に丸石がのっている道祖神である。脇に建てられている看板に” 略記 亀の子道祖神 甲府市平瀬町一七三六(上野) 祈年祭 二月十四日 地域の守神 旅人の安全を守る 文久三年睦月 ”とあった。

 御嶽古道上道にある亀石祠と荒川を挟んで、ちょうど反対側の丘にこの亀石道祖神があるという感じである。となり集落ということで何か関係があるのだろうか。
 もっとも大きさも違うし、亀石の上に載っているものも違う、形態も変わっているということで直接の関係はないか。

 それにしても、こんなに近く身近に「贔屓(ひき)」、亀の形をした石の台座「亀趺(きふ)」が複数あるとは。


 こちらの記事も是非ご覧ください
   → 2022年7月31日の記事  日本遺産 御嶽古道の亀石祠
     2008年12月20日の記事 「平瀬峠」

2022年8月 5日 (金)

日本百名山「美ヶ原」高原を歩く

 出発場所の美ヶ原高原美術館駐車場から、両脇にハクサンフウロ咲く木道を歩き、わずか15分で牛伏山(1,990m)。山頂にいた御夫婦と共に360度の展望に驚嘆する。・・・天気がよくてよかったですね 素晴らしい展望 こんなに涼しい風が吹いているし灼熱の下界が嘘のようですね・・・ 北アルプス槍ヶ岳をアップで撮る。美ヶ原牧場の向こうには遥か木曽御嶽山、こんなに大きく見える。

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 牛伏山から山本小屋に下りて、車も通れるほどの広い道を歩く。ほとんど平。向こうには、美しの塔、さらにその向こうには沢山のテレビ中継塔等が建つ王ヶ頭の丘が見える。牧場の牛と柵越しに戯れる親子連れに思わず微笑だ。

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 先に王ヶ頭の鉄塔群が見えているのになかなか着かない。やっとの思いで到着。素敵なホテルの裏に王ヶ頭の山頂(2,034m)があった。ホテルの裏側で、うっかりすると見落としてしまうかもしれない。山頂には、御嶽神社があり、近くには沢山の石祠、石塔などが並んでいた。

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 王ヶ頭から少し山道を下ると車道に合流するが、まもなく山道に入る。ほとんど平らな山道をちょっと歩くと、間もなく八ヶ岳と南アルプスの間に富士山がよく見える場所があり、それを過ぎると王ヶ鼻(2,008m)だ。もう大パノラマ、超絶景スポットであった。ここでは大勢の人が展望を楽しみ、休憩したり写真を撮ったりしていた。私も思い切り山の展望を楽しみ、写真を一杯撮った。松本盆地の上には、槍ヶ岳穂高の山々が見えた。

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 最高峰王ヶ頭で引き返えそうとちょっと思ったのだが、引き返さなくてよかった、王ヶ鼻まで来て本当によかったと思ったのだった。
 王ヶ鼻から戻り、美ヶ原高原ホテル展望デッキで美ヶ原高原と遠く中央アルプス八ヶ岳の山々を眺めつつコーヒーを飲む。至福の時だ。

 戻る途中で振り返ると、先ほど登った王ヶ鼻の上に槍ヶ岳が大きく見えていた。

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 来るときは余裕がなくあまり撮れなかった高原の花々を撮りつつ、ゆっくりゆっくり美ヶ原高原美術館に戻った。


<コオニユリ>
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<マルバダケブキ>
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<ハクサンフウロ>
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<マツムシソウ>
Imgp65511_20220804193801

<コウリンカ>
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<ヤナギラン>
Imgp65351

<ミヤマウイキョウ?>
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<クガイソウ>
Imgp65591_20220804194401

<ウツボグサ>
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<ヤマハハコ>
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<ヒメシャジン>
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【 山行日 】令和4年8月2日(火)
【 天候 】晴
【 コースタイム 】
 甲府(6:20)=双葉スマートIC=中央道=諏訪IC=四賀=諏訪茅野線=(7:30)霧ヶ峰(7:50)=ビーナスライン=(8:30)美ヶ原高原美術館駐車場(8:40)~(8:55)牛伏山頂上(9:00)~山本小屋~(9:25)美しの塔(9:35)~塩くれ場~(10:15)王ヶ頭~(10:40)王ヶ鼻(11:00)~(11:30)王ヶ頭 王ヶ頭ホテルにて昼食(12:10)~山本小屋~牛伏山~(13:30)美ヶ原高原美術館駐車場=諏訪IC=双葉スマートIC=甲府
  ( = 車  ~ 歩行 )
【 参考資料文献 】
 「日本百名山」深田久弥 新潮文庫 平成7年11月15日 34刷
 「信州高山高原の花」今井建樹 信濃毎日新聞 2001年3月20日新装版
【 撮影カメラ 】
 PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2022年8月 2日 (火)

日本遺産 御嶽古道を歩く (続)知られざる別の古道探索

< 峠道、古道や街道は、その時代の状況や都合で、ルートが結構変わったという。御嶽古道上道の獅子平分岐から外道太刀の抜き石分岐の間にも、今使われているルートと違う旧道があるという。昔、金峰山に向かう修験者や金桜神社に向かう参詣者が歩いただろう古い御嶽道を辿る。このワクワク感は何だ!>

Imgp63971 国土地理院発行の地形図「甲府北部」では、御嶽古道上道の獅子平分岐から先を最初尾根道で進んでいるが、今は小尾根の右側をふる里自然観察路としてトラバース気味に進んでいるのが実際だ。古い御嶽道は、きっとこの地形図の点線の通り小尾根を進んでいたのではないかと思う。Imgp63991

 この小尾根がやや弛んだところで、ふる里自然観察路はこれを乗越し、今度は尾根の左側をやはりトラバース気味に進み、亀沢川へ下る支川の谷まで進み、この谷を右に登るようなかたちで外道太刀の抜き石分岐に向かう。

 古い御嶽道は、先ほどの尾根がやや弛んだところから、また尾根沿いに進むのだろう。かすかな踏跡、木の枝に結びつけられた赤テープを辿り進む。ほどなくいったんピークに達したところから、平らな見通しのよい尾根が左に進んでいて830mのピークに至る。Imgp64051
 尾根が右にやや下っており、標準点839mらしきピークが見える。ちょっと下ったところの弛みを林道跡のような平らな道が外道ノ原方面から太刀の抜き石方面に越えている。
 ふる里自然観察路ガイドブックの地図にはこの道が記されている。外道ノ原から三聲返しの急坂を迂回して太刀の抜き石分岐へ抜ける道だと思われる。

 車道跡が越えている弛みから最後のピークに向かう。このピークが甲斐市のトレイルランナーD氏が教えてくれた839mの標準点であるImgp64031 。木々の間から片山の向こうに甲斐市街甲府盆地が眺められた。標準点を示すらしき杭があり、びっくりした。標準点にも杭があるんだ。(もっとも杭には「基準点」と表示されていたが?)
 2~3分下って、外道太刀の抜き石分岐に到着。

 上道獅子平分岐から外道太刀の抜き石分岐まで直線距離で750m、尾根道を辿って1,000mほどというところだろうか。歩行時間は約30分。Imgp64041

<参考資料文献>
・2万5千分1地形図「甲府北部」国土地理院 平成27年6月
・『甲斐市 ふる里自然観察路 ガイドブック』甲斐市商工観光課 令和2年10月発行
・ホームページ「樵路巡遊 (しょうろじゅんゆう)」~ 古道をできるだけ正確に辿った 金峰山表参道のページ~ by S. Tom.

2022年7月31日 (日)

日本遺産 御嶽古道上道の亀石祠

 御嶽古道上道を麓から登り始めて間もなく、古道脇に大きな岩に隠れるように亀石祠がある。正式に「亀石祠」というのかどうかも、この御嶽古道上道脇にこの亀石祠が何故あるのか、誰がいつ頃設置したのかも、今まで調べた文献資料に記述は見つからないしインターネットを検索しても分からない。近くの亀沢という地名、亀沢川に関係するのかと、御嶽古道探索仲間に聞いてみたが、違うようだ。

Imgp62371

 その御嶽古道探索仲間が教えてくれてインターネットで検索調べていくうちに、あちこち石の亀の上に祠や他の建造物を載せたものは結構あるのがわかった。
 中国の伝説に、亀が産んだ神獣9匹の子の一つに「贔屓(ひき)」がおり、重いものを背負うことを好んだ。そこで中国では、柱などの装飾土台などに亀の形が使われた。亀の形をした石の台座を「亀趺(きふ)」といい、これは日本にも伝わって格式高いお墓に利用された。大名家だけに許されていたという。
 例の「ひいきの引き倒し」の元の意味は、土台の贔屓を引っ張ると上にのっている柱まで倒れてしまうという意味なのだそうだ、なるほど。

<参考資料>フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia) 』

2022年7月20日 (水)

山で出会った人々(その3)

<寂れてしまった峠やあまり人が登らない山を歩き、大勢の人が登るシーズンをはずして山を歩くことが多いので、人に会って話をすることは少ないが、それでも時々登山道や山頂で出会った人と話し込んだりすることがある。>

 芦川北陵の山 桜峠の手前、浅間山の三等三角点(593m)に若者二人が休んでいた。これから、私が登ってきた山道を自転車で歌舞伎公園まで下り、広域農道、みたまの湯を廻って車が駐めてある桜峠まで戻って来るという。
 ヘルメットを被り、身支度をする若者たち、ケガをしないように安全に歌舞伎公園まで下ることを祈った。山道を壊さないようにね。若者のアクティブなチャレンジ精神に拍手。

 人は色々な人生を秘めて、色々な思いを込めて山へ登っている。明るい楽しい思いを持って山へ登る人はいい。悲しい寂しい思いで山へ登る人もいる。人の人生をちょっと覗き見るような山での人との出会いも楽しく、そして貴重だ。


 2017年12月12日の記事 → 山で出会った人々(その2)

2022年7月11日 (月)

ウクライナ支援映画上映会で「ひまわり」を観る

<過日富士川町はくばく文化ホールで開催されたウクライナ支援 映画「ひまわり」上映会で、あの往年の名画「ひまわり」を久しぶりに観た。>


◇場面いっぱいにひろがるひまわり畑、黄色い大輪のひまわりが風に揺れていた。そして場面が変わり十字架の墓標が果てしなく続くシーンは悲しく辛い。

◇極寒の果てしなくひろがる雪原を、数限りない兵士たちが傷つき疲れ、歩き逃走する場面は、もう見るに堪えない。戦争の残酷さ、非人間性を思った。こんなことが絶対あってはならない。

◇ソフィア ローレンの情感溢れる演技はさすが。また、リュドミラ・サベーリエワのあの青い目の眼差し、初々しさ美しさが際立った。

◇音響調整が十分でなく、あの聞き慣れた「ひまわり」の主題歌音楽が何か聞きづらく残念だった。

 「ひまわり」の映画上映に先立ち、国連UNHCR協会(国連難民高等弁務官事務所)の関係の方が、プロジェクターで参考資料を映しながらUNHCRの活動についてお話しくださった。
 UNHCRではウクライナからの避難民に救助物資の提供の他、避難先で適切に保護され、教育、医療サービス、心理社会支援など受けられるよう包括的な救援活動を行っているという。
 ありがたいことだ。映画会入場に際して細やかながら心許りの寄付に応じたのだった。ウクライナからの避難民の方々の支援に役に立ちますように。戦争が早く終わりますように。
 今回の映画界を計画実施してくれた藤間新流 奈藤羅の会とまちづくりフォーマル・21の皆さんに感謝。


映画《ひまわり》
監督: ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本: チェーザレ・ザヴァッティーニ/アントニオ・グエラ/ ゲオルギ・ムディバニ
製作: アーサー・コーン/ カルロ・ポンティ
製作総指揮: ジョセフ・E・レヴィーン
出演者:マルチェロ・マストロヤンニ(アントニオ)/ソフィア・ローレン(ジョバンナ)/リュドミラ・サベーリエワ(マーシャ)
音楽:ヘンリー・マンシーニ
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
公開:イタリア アメリカ 日本など 1970年
上映時間:101分

2022年7月 9日 (土)

武田神社東方惣堀に蓮の花咲く

 武田信虎信玄勝頼武田三代の館、躑躅崎館(現在の武田神社)の正面玄関にあたる大手門の東方には、発掘で惣堀と土塁で囲まれた曲輪が存在したことがわかったそうだ。現在も残っているその惣堀に、今蓮の花が綺麗に咲いている。

 蓮の花言葉は「清らかな心」・・・泥水の中の地下茎から、花茎がまっすぐ上に伸び、その先に綺麗な花を気高く咲かせることから、この花言葉がつけられた。

 蓮の花は朝早く咲き始め、お昼頃には閉じてしまう。3日ほどこれを繰り返すと花びらが散ってしまい、花托が蜂の巣のように見える。古名で「ハチス」と呼ばれていたのがやがて「ハス」といわれるようになったという。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2022年7月 4日 (月)

定年後の暮らしは読書三昧 佐伯泰英 「新・酔いどれ小籐次」を読む

 「酔いどれ小籐次 決定版」19巻を読み切り、「新・酔いどれ小籐次」を読み始めて今11巻『椿落つ』だ。江戸時代末期のお話、勧善懲悪のあり得ないお話ではある。

 それを承知の上で、何か力づけられるのだ、気持ちが明るくなるのだ、落ち着くのだ。こんなお話を書く佐伯泰英、不思議な作家だ・・・

 「居眠り磐音 江戸双紙」「「鎌倉河岸 捕物控」「古着屋総兵衛 影始末」「新、古着屋総兵衛」も同じ、このところずっと読み続けている。他のシリーズがまだいっぱいあるようで、これから先もしばらくは佐伯泰英が続きそうだ。

 

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 

「 新・酔いどれ小籐次(十一)『椿落つ』」佐伯泰英 文春文庫 2018年7月10日 第1刷
 

2022年6月21日 (火)

定年後の暮らしは映画三昧 「駅馬車」を観る

◇ 録画しておいたNHKBSプレミアム放映の映画『駅馬車』を観た。もう何度も観た記憶があるのだが、どうしてかこのブログに記事を書いていなかったのだ。名画だと有名なのに。

◇ 1939年公開のアメリカ映画、西部劇の名作だ。巨匠ジョン・フォードの代表作のひとつ。

◇ この『駅馬車』でも、父兄弟の復讐をしようとするリンゴからプロポーズされたダラスの揺れ動く女心が切ない。娼婦である自分でいいのか、復讐を決意しているリンゴは死ぬかもしれない、プロポーズを素直に受け入れられないダラスなのだ。

◇ アパッチ襲撃のシーンは、猛烈に疾走する駅馬車、それを追い迫ってくるアパッチ、追撃に応戦するダラスやカーリ、ダイナミックなアクションシーンだ。アクション映画史上不朽の名場面だという。

◇ リンゴと暮らすことを決意したダラス・・・二人が馬車で去って行くシーンは、よく見るパターンだが、ほっとするラストシーンだった。


・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。

 

◆ 駅馬車 ◆
監督;ジョン・フォード
脚本;ダドリー・ニコルズ
製作総指揮;ウォルター・ウェンジャー
出演者;ジョン・ウェイン(脱獄囚リンゴ・キッド) / トーマス・ミッチェル(医者ブーン) / クレア・トレヴァー(娼婦ダラス)/ ジョージ・バンクロフト(保安官カーリー・ウィルコックス)/ルイーズ・プラット(貴婦人ルーシー)
音楽;ボリス・モロス / リチャード・ヘイグマン / W・フランク・ハーリング/ ジョン・レイポルド/ レオ・シューケン/ ルイス・グルーエンバーグ
撮影;バート・グレノン/· レイ・ビンガー(特殊撮影)
公開 ;アメリカ 1939年2月15日 日本 1940年6月29日

2022年6月20日 (月)

日本遺産 御嶽古道を歩く 知られざる別の古道

<峠道や古道、街道は、その時代の状況や都合で、ルートが頻繁に変わったということを聞いている。御嶽古道の外道ヶ原から八王子峠(パノラマ台)の間にも、今使われているルートと違う旧道があるという。>

 天神森長瀞橋西詰の登山道の入口を入るとすぐ、花崗岩の大きな岩の間、白砂が混じる急な山道を登ることになる。Imgp62281 下方からは荒川の沢の水の流れる音が爽やかに聞こえてくる。15分ぐらい登ったところでいったん広い舗装道路に出る。吉沢から山裾添いに千田集落入口まで続いている広い舗装道路だ。
 平坦な舗装道路を10分ほど歩くと、いよいよ外道ヶ原への登りの山道に入る。しばらくは尾根の左側を登る。やがて尾根の右側を登るようになる。遠くからは木の伐採の音だろうか、チェーンソウの大きな音が聞こえてくる。木々の間から、千田集落の上方にある信玄棒も見える。外道ヶ原に入る手前に千田に行く道が描かれている地図もあるが道は見つからない。

 峠状のところを通り抜け、外道ヶ原に入る。私が登ってきた天神森方面を示すもの、吉沢へ御嶽道を下る方面を示すもの、御嶽道をパノラマ台へ向かう方面を示すもの、古いもの新しいもの何枚も道標が立っていた。一休みするのにいい場所だ。

Imgp61471  今使われている御嶽道ハイキング道を歩く。しばらくは流れ積もった土と草に隠れたコンクリートの道が続くのだ。ある時代にはここまで畑作業のテェーラーや車が上ってきたのかもしれない。昔畑があったことを示す石垣もあちこちに見られた。歌川広重も描いている外道ヶ原の大きな岩(渋江長伯は”枕石”といっている)が見えてきた。

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 この大きな岩が見える辺り、左側の山裾を方面を眺めると奥の方に根元が赤いペンキで塗られた木が目に入った。たいらで草もほとんど伸びていないので容易にそちらに近づけた。外道ヶ原の左奥、山裾側に道跡が確認できた。一時使われていた御嶽道か、あるいは作業道だったか、木に赤い印が着いていたり、また赤い境界線の杭が立っていたりで道跡を辿った。外道ヶ原正面に斜面が迫ってくる手前でこの道は、今使われている御嶽道ハイキング道に合流した。千田への朽ちた道標が2本見える辺りだ。Imgp61591

 外道ヶ原から三聱返しを登る途中、山道の右奥ちょっと見えにくいところにも千田方面を示す道標が立っていたが、道筋は確認できない。多分廃道に近いだろう。
 九十九折りを更に上ったところに、渋江長伯の描いた虫喰岩も確認できる。その手前苔の生えた大きな岩の上に石首が置いてあるものがあるが、これはごく新しいものではないかと聞く。  

 行き着いたところが太刀の抜き石入口、獅子平からの道と合流する。太刀の抜き石を見に行く。薄曇りではあったが、太刀の抜き石の遥か向こうに富士山を、ずっと手前に千代田湖も眺めることが出来た。

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 太刀の抜き石入り口・獅子平分岐から、今使われている御嶽道ハイキング道(甲斐市のふる里自然観察路)ではなく、まっすぐ古い御嶽道に入る。しばらく尾根づたいに踏み跡を辿り登る。しばらくすると山道の形態がはっきりするところもあった。深くえぐれた道跡には葉っぱが溜まりこんで歩き難い。Imgp61721 脇の土手状のところの方が歩きやすい。尾根を左下に下っていき今使われている道と合流するような感じのところがあったが、更にそのまま尾根の西側をトラバースしたり、尾根を更に登ったりで進んだが、道筋がはっきりしなくなった。最後に登り着いたところは、今の御嶽道から白砂山に寄る山道ハイキング道の途中だった。古い御嶽道は、もっと手前で今使われている御嶽道ハイキング道と合流していたのだろうと思った。

 白砂山に寄り、御嶽道に戻った。もうそこが歌川広が描いた鞍掛岩がよく見えるところだ。

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 倒れた萬霊塔もすぐ。一時、甲斐市商工観光課が作った旧羅漢寺への入口の案内板があったのだが、今日はなかった。旧羅漢寺跡には気軽に行けない場所ということで、取り外したのかもしれない。

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 万霊塔から八王子峠までは、100mをいっきに登るのだが、つづら折りの実に登りやすい峠道だった。パノラマ台の下では象の鼻も確認できた。(最近は歌川広重が描いた象の鼻は、ここではないのではないかという説もあるようだが。)

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 八王子峠の富士山遙拝所からは、先ほど登った白砂山の向こうに薄雲に浮かぶ富士山が望めた。Imgp61961

 八雲神社、パノラマ台に寄り、八王子峠から麦坂をゆっくり下った。

 今ハイキング道になっている御嶽道(一部甲斐市ふる里自然観察路)とは、別のルート古い御嶽道と思われるところを辿ったが、古い御嶽道だという確証は得られなかった。しかし、いつの時代か人々が辿ったであろう山道だとは思った。


 こちらもご覧ください。 2022年1月7日の記事
    → 日本遺産 御岳古道を歩く 金桜御岳集落へ下る古い道

<参考資料文献>
・『甲斐市 ふる里自然観察路 ガイドブック』甲斐市商工観光課 令和2年10月発行
・ホームページ「樵路巡遊 (しょうろじゅんゆう)」~ 古道をできるだけ正確に辿った 金峰山表参道のページ~ by S. Tom.
・YouTube「御嶽道を往く」講師;常説寺住職 高橋栄斉 甲斐市敷島公民館

2022年6月12日 (日)

千代田湖に睡蓮の花が咲いています

 甲府市街から、和田峠を登り切ったところに千代田湖があります。その千代田湖の北東部丸山締切堤辺り一面に睡蓮の花が、群落を作って綺麗に咲いています。
 水面の睡蓮の葉っぱの緑色、二重三重に開く花びらの白、真ん中の雄しべ雌しべの黄色のコンビネーションが実にいいのです。
 睡蓮は、夜は睡っていて、朝10時頃に花開きます。今お昼12時・・・睡蓮の葉の下からは亀が顔を覗かせ、岸の草の葉っぱの先には、トンボがとまっていたりで何とものどかな光景です。

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撮影カメラ PENTAX K-7
   レンズ SMC PENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2022年6月 9日 (木)

甲府城四季巡り 紫陽花咲く

 コロナ禍、感染者数も落ち着いてきたということで、観光案内ボランティア甲府城御案内仕隊の活動も再開している。

 日本百名城巡りの方、毎日のウオーキングや散歩の方々、園外活動の保育園幼稚園の子どもたち、社会科見学の中学生のグループ、旅行で寄ったふうの御夫婦の方々など、いつものように大勢の方々が、甲府城を訪れている。今日は、"新聞に舞鶴城の綺麗な紫陽花が紹介されていたので来ましたよ"という方が沢山いらっしゃった。

 インターネット甲府市観光課直営ページにも甲府城の紫陽花の写真が載っていて二番煎じの感があるが、私なりの『 甲府城四季巡り 紫陽花咲く 』をご覧ください。


<JR中央線桜町通り踏切側入口稲荷曲輪への階段スロープ辺りに紫陽花が沢山咲いている。>

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<鍛冶曲輪恩賜林記念館の東、日本庭園にも紫陽花が綺麗に咲いている。>
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2022年5月28日 (土)

庭の花を撮る 今 庭に咲く花


令和4年/春五月/今/我が家の庭に/咲く花/いくつか・・・

<ブルースター(瑠璃唐綿)>
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<エリゲロンデージー(源平小菊)>

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<アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧)>

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<ニゲラ(黒種草)>

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<皇帝ダリア(木立ダリア)>

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<スモークツリー(もやもやの木)>

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<バラ(薔薇)>

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<ツキミソウ(月見草)>

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2022年5月27日 (金)

またまたサボテンの花が咲いた

 ずっと咲かなかったサボテンの花が咲くようになって数年経つ。

 軒下の花段の隅っこに、どちらかというと”ほっぽってあった”という感じなのだが、今になってみるとそれが返ってよかったのかもしれないと思う。花を咲かせるコツは、水をあまりやらないことだ、やるときにはザッといっぱいやるのがいいのだそうだ。

 よく見ると花の中にまた花が咲いている。円形状で先っぽに黄色い穂があるのが雄しべ、丸の端っこに白く針のように数本伸びているのが雌しべだ。

 インターネットで調べてもはっきりわからないが、どうも「桃花短毛丸(モモバナタンゲマル)」というサボテンのようだ。

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<サボテン>
科・属名:サボテン科
別名:シャボテン/仙人掌(センニンショウ)/覇王樹(ハオウジュ)
英名:Cactus
原産地:南北アメリカ大陸
色:赤/ピンク/白/黄/オレンジなど
花言葉:枯れない愛/偉大/秘めた熱意/温かい心/燃える心

<撮影>
カメラ ; PENTAX K-7
レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

*こちらもご覧ください (2015年8月25日の記事)
 → 庭の花を撮る サボテンの花

2022年5月22日 (日)

明治41年 芥川龍之介が昇仙峡に来ていた

 山梨県立美術館の「動物を愛した彫刻家 フランソワ・ポンポン」展を見に行った折、ついでに県立文学館に寄った。今、「芥川龍之介 生誕130年 旅の記憶」特設展が開催されている。その展示の中に私にとって大変興味ある展示があった。

 芥川竜之介は結構旅行好きだったといい、16歳の夏(明治41年)山梨の昇仙峡を訪れているのだ。汽車で青梅の日向和田まで行き、そこから奥多摩の氷川、山梨の丹波山、柳沢峠を越えて、塩山まで歩いた。塩山からはまた汽車で甲府に夜遅く着いた。甲府では「佐渡幸」という旅館に泊まったというが、どこにあったのだろうか。

 甲府から昇仙峡まで歩いたのだろうが、どのルートを取ったのだろうか、興味のあるところだ。また、昇仙峡の猪狩に泊まったというが、これまた何という旅館だったのだろうか。

 昇仙峡の渓谷美に感動し、山間に住む人々の素朴な生活を思い、日記に・・・昇仙峡は、さすがにいい・・・この青い水に紫の藤が長い花をたらしたなら、さだめし美しい事と思ふ と友人に手紙を書いた・・・と綴ったという。

 今日たまたま読売新聞に目を通したら、日曜版よみほっと一面でやはり「芥川龍之介」の特設展に関連してだろう、昇仙峡の記事が大きく載っていた。ここでも・・・この青い水に紫の藤が長い花をたらしたなら、さだめし美しい事と思ふ・・・という日記の言葉を紹介していた。御嶽古道にも触れていて、「鞍掛岩」のずいぶん綺麗なはっきりとした写真が載っていた。この写真はどこからいつ撮ったのだろうと思ったのだった。


《追記》
 芥川が甲府で泊まった「佐渡幸」という旅館が分かった。インターネットで時々拝見している「峡陽文庫」の『絵葉書で見る山梨 15 ━旅館 佐渡幸 本店━  』というページに載っていた。
 甲府柳町の甲州街道沿いで、柳町脇本陣を勤めた佐渡屋幸三郎家が明治に入り、看板を掲げた旅館が「佐渡幸」で、私にも記憶がある本屋さん柳生堂の南側にあり、上流貴紳士が泊まる三階建ての大きな旅館だったそうだ。 (R4.11.1記)

2022年5月20日 (金)

定年後の暮らしは読書三昧 佐伯泰英 「酔いどれ小籐次 決定版『正宗遺訓』」を読む

◇佐伯泰英の「酔いどれ小籐次 決定版」を続んでいる。ずっと読み続けもう18巻だ。19巻で一応完結のようで、読み終わると淋しくなるなァと今から心配だ。

◇始めの巻ごろからやきもきさせたが、結局ずっと慕い続けていたおりょう様と実質的な夫婦になった。こんなうまい話があるかと妬んでしまう。羨ましいというか、嫉妬してしまう(^0^)。
 
◇ちょうど今私が関心をもっていろいろ調べたりしている甲府学問所徽典館が出来た頃、御岳昇仙峡の新道が出来た頃のお話で、その頃の世の中の様子が描かれており参考にもなる。甲州が舞台になっている巻もある。

◇いずれにしても、痛快で楽しいお話で、読んでいると何か心が落ち着き、次にやることを頑張るぞという気持ちになるから不思議だ。

◇著者の佐伯泰英が「古着屋総兵衛影始末」の何巻かの・後書き・でこう書いている。
 ・・・ともあれ、現実を見まわせば、テロ、戦争、烏インフルエンザ、リストラと疎ましいことばかりだ。この世界に生きる者ならば、この現実を直視するのも務めとは思う。だが、余りにも辛い、厳しい現代を一時の間だけ忘れて、頭を休めることも時に必要であろう。・・・


・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


「『正宗遺訓』 酔いどれ小籐次(十八) 決定版」佐伯泰英 文藝春秋 文春文庫 2018年1月10日 第1刷

2022年5月13日 (金)

定年後の暮らしは映画三昧 『嵐が丘』を観る

◇ 録画しておいたNHKBSプレミアム放映の映画『嵐が丘』を観た。若い頃、見た記憶があるのだが、詳しいことを覚えてはいなかった。

◇ 揺れ動く女心、キャッシーは心の底ではヒースクリフを愛しているのだが、裕福な暮らしのエドガーに目が向いてしまう。揺れ動く女心が切ない。傷心のうちにキャッシーは死んでしまう。

◇ あの荒野の岩山でヒースクリフも死んで、キャッシーと真に結ばれたとして映画は終わる。

◇ 白黒で、暗い画面、怪しい屋敷、荒れ狂う嵐、きつい表情の登場人物、まさにおぞましい悲しい映画だった。


・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。


◆ 嵐が丘 ◆
監督;ウィリアム・ワイラー
原作;エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
俳優;マール・オベロン/キャシー ローレンス・オリヴィエ/ヒースクリフ ジェラルディン・フィッツジェラルド/イザベラ・リントン デヴィッド・ニーヴン/エドガー・リントン   
制作;1939年 アメリカ映画

2022年5月12日 (木)

山里の花「ジロボウエンゴサク」

「ジロボウエンゴサク(次郎坊延胡索)」

 黒富士登山口~八丁峠 令和4年5月5日

 黒富士登山口から八丁峠に登る途中、谷沿いの山道脇、やや広い平地あちこちに咲いていた。
 伊勢地方で子どもたちがスミレを「太郎坊」、この花を「次郎坊」といい、二つの距のでっぱりを絡みあわせ引っ張りっこをした。またこの地下の塊茎を漢方で、延胡索といって痛み止めなどの薬用にしていた。これらのことから「次郎坊延胡索」というのだという。

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2022年5月10日 (火)

山里の花「コガネネコノメソウ」

「コガネネコノメソウ(黄金猫の目草)」

 黒富士登山口~八丁峠 令和4年5月5日

 車で旧敷島町清川から観音峠を越え、道なりにしばらく行ったところに黒富士登山口がある。(もっともこの日は、黒富士でなく鬼頬山に登ったのだが。)登山口が広場になっていて車が5~6台ぐらいは駐められそう。
 登山口から八丁峠へ向けて沢沿いの山道を登ったが、その脇にこの「コガネネコノメソウ」がところどころに咲いていた。花茎の先端に小形で黄色の花が密集して咲き、それが猫の目のようだということから、この名前が付いたという。

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2022年5月 7日 (土)

甲府名山「鬼頬山」に登る

<『甲府名山』は、甲府市が平成31年3月、「こうふ開府500年」を記念し、市内にある手軽に登れる山から結構難易度の高い山まで25の山を選定したものだ。その甲府名山のひとつ「鬼頬山(おにがわやま)」に登った。山梨百名山の太刀岡山の北側にある黒富士火山帯の一つで1,516mの山だが、私は今まで登ったことがなく、何時かは登ろうと前から思っていた山だ。太刀岡山側から登ると、もの凄い急登ということで、今回私は裏側の黒富士登山口から八丁峰を経由するコースをとった。>

【山行日】令和4年5月5日(木)
【天候】快晴
【コースタイム】
 甲府=観音峠=黒富士登山口(9:30)~(9:45)八丁峠~八丁平~黒富士八丁峰分岐~(10:00)八丁峰~(10:45)鬼頬山(11:10)~(12:20)八丁峰(12:30)~(12:45)八丁峠~(13:15)黒富士登山口
【参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 茅ヶ岳 」 平成元年12月 国土地理院
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社
 「 甲府名山手帳 」 発行:甲府市 令和元年8月
【撮影カメラ】
  PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
 

Imgp57861  清川から観音峠を越え、2~3キロ行ったところ右手にちょっとした広場がある。そこが八丁峠への最短での登り口(黒富士登山口)だ。駐車場所の脇をふと眺めると、何と小さい白い花が一杯咲いているではないか。ニリンソウの群落だ。早速花の写真をいっぱい撮った。幸先がよいスタートとなった。

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 15分で八丁峠(1545m)、そこからさらに10分で明るい草原の八丁平、升形山との分岐だ。今はまだ枯れ草の草原だが、時季には綺麗な山の花が一杯咲くという。その先ちょっと歩いたところが黒富士八丁峰分岐。折り返すようなかたちで登るとすぐ八丁峰だ。表示はないが、赤く塗られた境界線石柱が立っていた。

 ここから先、鬼頬山まで何回かのアップダウンが続いた。久しぶりの山歩き、今日は山頂折り返しということで、帰りも心配で慎重にゆっくり山道を辿った。途中、山道に一輪のワダソウを見付け写真に撮った。Imgp58041_20220512204001

 鬼頬山の頂上は木立に囲まれ展望はよくなかった。それでも曲岳、金ヶ岳、茅ヶ岳、遠く南アルプスの山々が木立越しに眺められた。山頂には、まだ真新しい甲府名山の標柱が立っていた。木に吊された古い標木には、鬼頬山にフリガナがふってあった。何て読むのか難しいものな。

Imgp58051  30分ほど休憩、鬼頬山山頂から引き返す途中、先ほどワダソウが咲いていた山道のところで周りを見まわすと、何とワダソウがいっぱい咲いているではないか。ワダソウの群落だ。ワダソウは、和田峠に沢山咲くということで「ワダソウ(和田草)」というとか。甲府の和田峠ではなく、中仙道の和田峠だ。厳しい峠越えの旅人を、このワダソウは励まし慰めたのだろうか。

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 八丁峰からはずっと下り、通り慣れた山道を、初めての山を登り切り、花が一杯撮れた満足感で、足取り軽く明るい気持ちで登山口に戻った。

2022年5月 3日 (火)

里山に密かに咲く野生のエビネの花

 甲府法泉寺山を越え、八王子山との鞍部から諏訪神社に下る途中、山道の両側、山の斜面を目を凝らし眺めると、あちこちに渋い色あいの野生のエビネの花が咲いている。
 ここを訪れるのは今回で今年2回目だが、前回撮影のエビネの花の写真は露出色調整がうまくいかず、何か緑色が濃い、少し淋しい写真になってしまった。再度のチャレンジだったが、今回は前回よりもあちこち沢山の野生のエビネの花が咲いていたし、ブレも少なく露出色調整もうまくいき、野生のエビネのいい写真が沢山撮れ、うれしかった。

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撮影 ; 令和4年4月30日

撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
                  SMC PENTAX-M MACRO 100mm

2022年4月23日 (土)

里山に咲くエビネ(海老根)の花を撮る

 エビネの花は、早春に里山に咲くミスミソウなどと同様、目を凝らして見ないと見逃してしまうかもしれない。花の色や模様が、落葉や散らばっている枯れ枝と同じようで背景に沈んでしまうのだ。
 近づいてよく見ると、慎ましやかで清楚な花だ。花言葉が、「謙虚な恋」「誠実」というのも頷ける。
 ジエビネ(地海老根)、エビネラン(海老根蘭)、ヤブエビネ(藪海老根)という別名もあるとか、ラン科エビネ属の常緑多年草、地下茎の様子が海老に似ているので海老根というのだそうだ。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

 

2022年4月19日 (火)

イチリンソウの花を撮る

 イチリンソウは、空から地上を眺めていた星が眠くなり、地上に落ちて花になったという話があるという。花言葉の「追憶」は、星だった昔を懐かしく思っているのだろうか。別に「久遠の美」という花言葉もある。

 茎を伸ばして先端に一輪の花が咲くことから「イチリンソウ(一輪草)」の名前がついた。「一花草(イチゲソウ)」「一華草(イチゲソウ)」「裏紅一華(ウラベニイチゲ)」という別名もある。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
     レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

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2022年4月18日 (月)

徽典館で学んだ杉浦嬢 「穴切神祠碑」撰文 

 やまなし観光推進機構が作った「やまなしのお寺と神社」を見ると、穴切大神社の一間社流造桧皮葺本殿は、正面に美しい金具をつけた両開き戸があり、桃山時代の建築といわれ重要文化財に指定されているという。また、先日(令和4年4月16日付)の山梨日日新聞に、甲府市教委が穴切大神社の「鏝絵絵馬」4点を市文化財に指定したという記事が載っていた。Imgp48871

 この穴切大神社の鳥居をくぐり進むと右側隣家との境前に、安政7年(1860年)に建てられた標題の杉浦嬢撰文の 「穴切神祠碑(あなぎりじんしひ)」の石碑と、ずいぶん立派な解説板がある。羽中田自動車工業の羽中田氏から令和3年4月に寄進されたという解説板には、穴切神祠碑の現在語訳とずいぶん詳しい杉浦嬢についての解説が記されている。

Imgp48941  杉浦嬢は、徽典館に学び同校教授見習となった。後に江戸幕府外国奉行に勤め、去年の大河ドラマ『青天を衝け』でも描かれていた徳川昭武に随ってパリの万国博に出かけた。その後も活躍し、特に日本の郵便制度の創業に尽くした。
 郷土史研究家の林陽一郎氏は、郵便制度の創設では前島密が有名で切手の図柄に採用されているが、実務的な仕事をしたのは杉浦嬢で、むしろ杉浦嬢が切手になるべきだと述べている(^0^)甲府の太田町公園に杉浦嬢の顕彰碑が建てられていることは、このブログで前述した。


 令和3年7月21日の記事 → 『徽典館で学んだ杉浦嬢』 

2022年4月12日 (火)

千代田湖畔 白山のカイイワカガミ(甲斐岩鏡)

 昨年『山と渓谷』4月号に載っていたカイイワカガミの記事は、とてもうれしくてブログの記事にしました。それから1年、今年もカイイワカガミの写真を撮りに行ってきました。

 和田峠を登って行き、頂上の三叉路(ここにも御岳昇仙峡へ行く古い道標があります。)を過ぎてすぐ左折、千代田湖の丸山締切堤を渡りきったところに遊歩道の入口があります。遊歩道に入るとすぐ右側の山斜面にもういっぱいカイイワカガミが咲いていてうれしくなりました。カイイワカガミ花の写真を一杯撮りました。

 そこからさらに山の斜面をトラバース気味に200m程進み、山道が右へ折り返すところにも一杯カイイワカガミが咲いていました。(この山道を道なりに登ると白山展望台に至ります。)これから花開く蕾もいっぱいでした。

 盗掘を心配して咲く場所を教えないという方もいますが、私は記事を読んで県内外大勢の人に来てもらいこの白山の可愛いカイイワカガミを観て楽しんでもらえばいいなと思っています。こんな身近なところにも”イワカガミ”が一杯咲いているのです。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
   レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
        SMCPENTAX-DA 55-300mmED
        SMC PENTAX-M MACRO 100mm

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 昨年4月8日の記事 → 白花のイワカガミを訪ねる新緑の山歩き

2022年4月 9日 (土)

山上の楽園 桜峠の桜

 桜峠の手前、浅間山の三等三角点(593m)に若者二人が休んでいた。これから、私が登ってきた山道を自転車で下るという。ヘルメットを被り、身支度をする若者たち、ケガをしないように安全に歌舞伎公園まで下ることを祈る。若者のアクティブなチャレンジ精神に拍手。山道を壊さないようにね。

 目標があれば、途中の労苦も耐えることが出来る。これくらいの苦しさが何だ!頑張って登ればあの見事な桜を観ることが出来る。市川三郷町歌舞伎公園から1時間半、山道を苦労して登ってきたからこそ、桜がより一層愛おしく見事に見えるのだ。

 鳥のさえずりを聞き、芦川南陵の山々、そしてその上に8合目あたりから上の富士を眺めつつ、誰もいない山上の花園、桜峠の桜を独り占めだ。

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<この桜の下向こうが、正真正銘の「桜峠」560mだ。芦川沿いの中山から旧三珠町大塚に芦川北陵を越える。>


撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

2022年4月 3日 (日)

湯村山法泉寺山でシュンラン(春蘭)の花を撮る

 春らしい温かい陽気に誘われて、いつも歩いている里山湯村山法泉寺山に登ってきました。トレイルランニングの若者大勢と擦れ違いました。春休みの子どもを連れた家族連れや顔なじみのウオーキング仲間も大勢歩いていました。    (令和4年4月2日)

 実は一週間ほど前も、法泉寺山へシュンランの花を撮りに出かけていたのです。例年だと咲いているはずだったのですが、その時はまったく咲いていませんでした。セツブンソウもミスミソウもいつもよりだいぶ遅く咲いたので、シュンランも遅いんだなと思っていました。
 楽しみに登ったのですが、残念ながら今日もシュンランはあまり咲いていませんでした。時季が違っているのでしょうか。それでもところどころで咲いているシュンランの花を撮りました。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7

    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
参考資料 ;『湯村山の花~2008~』(輿石恒彦・睦子 武田の杜管理事務所 2009年11月発行)

2022年3月30日 (水)

カタクリの花を撮る

 カタクリノは発芽して1年から4年ぐらいまでは、葉っぱが1枚だけ、その1枚で光合成をして養分を球根に蓄える。5年目を過ぎると葉っぱが2枚になり、結局花を咲かせるのは、7~8年後だという。
 和田峠のカタクリの群生地のちょっと離れたところに、葉っぱだけのカタクリが群生しているところがある。今は花が咲いていなくても、何年か先には辺り一面のカタクリの花が咲き乱れることだろう。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

2022年3月28日 (月)

甲府城四季巡り 桜花爛漫

 四百二十余年前、豊臣秀吉の重臣浅野長政幸長親子によって築城されたという甲府城・・・ それ以来、城主、城代、藩主、城番は代わり住む人は変わっても、毎年春には桜が咲き、夏には紫陽花が、秋には木々が紅葉し、冬には石垣に雪が積もる。城下の人々大勢の目を楽しませ、そして多くの年を重ねてきたのだろう・・・ 今年も甲府城の桜が満開だ
 穏やか陽気、青空の下・・・ 親子が、家族連れが、若いカップルが、熟年の御夫婦が、保育園の子どもたちが、介護施設のお年寄りたちが、百名城巡りの若者が、サイクリングツアーの途中の女性たちが・・・ 満開の桜の木の下で、お花見を楽しんでいる・・・ コロナ禍、感染対策をしっかりしながら・・・

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2022年3月26日 (土)

映画『夕陽に向かって走れ』を観る

◇ 録画しておいたNHKBSプレミアム放映の映画『夕陽に向かって走れ』を観た。若い頃、見た記憶があるのだが、詳しいことを覚えてはいなかった。

◇ ローラは、ウイリーと一緒に逃げるのを止めるか、いや一緒に行くかと生死をかけて思い悩む。そして一緒に行くのを選び死ぬのだ。保安官のクーパーと保護区監督官で女医のローラの間も同じだ。愛するかあるいは否か、揺れ動く心情が切なくいじらしい。

◇ 追いかけて最後ウイリーに何か惹かれてしまう保安官クーパーの気持ちも不思議だが、そういうこともあるのかという思いもする。日本の時代劇にも同じようなラストシーンがあったような気がする。

◇  当時の『明日に向かって撃て』にも出ていたキャサリンロスとロバートレッドフォードが出ていて懐かしかった。『明日に向かって撃て』はNHKBSでやったのだろうか。観たかった。


 ・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。

 

◆夕陽に向かって走れ◆
<スタッフ>
監督/エイブラハム・ポロンスキー 脚本/エイブラハム・ポロンスキー 原作/ハリー・ロートン 撮影/コンラッド・ホール  音楽/デーヴ・グルーシン
<キャスト>
ロバート・レッドフォード; クーパー キャサリン・ロス;ローラ ロバート・ブレーク;ウイリー スーザン・クラーク;ローラ バリー・サリバン;キャルバート チャールズ・マッグロー;ウイルソン

こんなところに甲府城お堀跡(その28) ~ 丸の内二丁目地内 二の堀跡上廃屋取り壊し ~

 先日2月3日付の山梨日日新聞に『濁川上の民家解体作業着手』という記事が載っていた。この記事でいう濁川は、甲府城二の堀跡である。私のブログの『こんなところに甲府城お堀跡(その8) 旧県立図書館前公園南二の堀跡』(*)で報告したところだ。

Imgp52132  旧百石町(現在の丸の内二丁目)の旧県立図書館前に丸の内公園がある。それほど利用されてはいないようだが、ビルが建ち並ぶ近辺では緑豊かな場所でほっと出来る場所である。今桜が綺麗に咲いている。
 この丸の内公園の真下を、南北に二の堀跡(濁川)が、暗渠で通っている。そして公園の南の端で開渠となる。公園の下から出てくる二の堀跡は結構広く深い。もしかしたら広さ深さは当時のままかもしれない。堀跡の両岸は石垣で、堀床もコンクリートで固められている。

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 公園下から出てきた二の堀跡は、ここで東に向きを変える。そして以前は、すぐ家が建ち並ぶコンクリート床下へまた暗渠になり潜り込んでいって、その先はよくわからなくなっていた。
 ところが現在は、新聞記事にもあったが、上に建っていた家々は取り壊され、二の堀跡の上にコンクリート床板が二ヶ所残されているだけだ。(この二ヶ所のコンクリート床板も間もなく取り壊されるという。)
 コンクリート板床がないところは、二の堀跡が覗いている。また、以前は全く見えなかった平和通りが見え、通りを走っている車が見えるのである。丸の内公園から出て東に曲がり、平和通りの歩道まで100m程だろうか。Imgp52371

 公園で犬の散歩をさせていた老人が、「きっと戦後の混乱期にこの濁川の上にドサクサにまみれて家を作って住み着いた人たちがいたんだよな。それがずっと残っていたんだ。」と話していた。

写真上右;丸の内公園下から出てくる二の堀跡
写真中左;まだ残るコンクリート床板の下に潜り込む二の堀跡 以前はこのコンクリート床板上に家があってその先は見えなかった
写真下右;丸の内公園南端から東方向をのぞき込む 大きいビルの手前が平和通り


 (*) → こんなところに甲府城お堀跡(その8) 旧県立図書館前公園南二の堀跡」

2022年3月17日 (木)

徽典館学頭中村正直撰文 『雨宮鈍斎翁の碑』を訪ねる

 去年8月、山梨から静岡まで全線開通した中部横断道下部温泉早川ICを下り国道300号線に出て、富士川に架かる富山橋を渡る。国道52号線を突っ切りそのまま進むと、すぐ富士川クラフトパークの入口がある。しばらく曲がりくねった道を道なりに進むと富士川クラフトパークに到着。沢山駐車場があるが、一番奥の方の駐車場の正面、一番目につきやすいところに雨畑硯で有名な『雨宮鈍斎翁の碑』がある。

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 ずいぶん大きい碑で、よく見ると碑文と肖像のある部分が硯の形をしているのがわかる。この碑の碑文を書いているのが、1858(安政5)年に徽典館の学頭になった中村正直(字 敬輔 号 敬宇)である。碑文を書いた頃は、東京大学の教授だったようだ。近くにある説明板を読むと、雨宮鈍斎は学頭時代の中村正直をよく訪ねていたとある。

 この碑はもともと、甲府城内にあった。甲府城(舞鶴城公園)の整備に伴って、鈍斎の出身地鰍沢や硯石の産地雨畑に近い、ここ富士川クラフトパークに移されたのだという。


<参考資料文献>
・ブログ「二代目館長日記」 『クラフトパークでスケッチ-その6 鈍斎さんの碑』のページ
・ホームページ「甲斐雨畑硯本舗雨宮弥兵衛」『硯匠夜話 その二 鈍斎さんと英斎さん』のページ
・「関西大学所蔵『徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)』について (上)(下)」 成瀬哲生 平成20年(2008)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第10巻

2022年3月16日 (水)

宮原の里山で春の妖精『ミスミソウ』を撮る

 ミスミソウは、春早く落ち葉の間から小さな花を咲かせ、春の訪れを告げてくれます。その姿はまるで妖精のように可憐です。セツブンソウなどと同様 ”スプリング・エフェメラル ”と呼ばれる草花の一つです。

 今年も市川三郷町(旧六郷町)宮原の里山へミスミソウの写真を撮りに出かけました。明け方小雨が降りましたが、朝ご飯を食べ終わる頃には、いい天気になりましたので、出かけることにしました。中部横断道で六郷インターを下りるとすぐ宮原です。

 花が咲いているかな、姿を見せているかなと少し心配しながら山道を登りました。最初は見つからなかったミスミソウですが、目を凝らすとあちこち白いかわいい花が咲いていてうれしくなりました。

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 私はまだ白いのとほんのわずかにピンク色がかったものしか見ていないのですが、青、赤、黄色など色々な色のミスミソウがあるそうで、いつか見てみたい、写真を撮ってみたいと思っています。

 

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
   レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED
                  SMC PENTAX-M MACRO 100mm

2022年3月 9日 (水)

春の妖精 ミスミソウ(三角草)を撮る

 ” 春の妖精 ミスミソウ” とGoogleで検索したら、私が去年3月 5日に 書いた 『春の妖精ミスミソウの花を撮る』 の写真がトップで出てきてうれしくなった。

 今日、畑熊のミスミソウを撮りに行ってきた。実は古宿へセツブンソウを撮りに行った2月の25日にもここへ寄ったのだが、その時はまったくミスミソウの花は咲いていなかった。今年は寒い日が多かったものなと思いながら引き上げたのだった。

 いつもなら3月の今日あたりは、あちこちに一杯咲いているのに、残念ながらまだほとんど咲いてはいなかった。目を凝らし、あたりを見回し、花開いていた十輪ほどのミスミソウを撮った。まさに密かに咲いている春の妖精という感じ。

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  撮影カメラ PENTAX K-7
   レンズ SMC PENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED
           SMC PENTAX-M MACRO 100mm

 2021年3月5日の記事 → 『 春の妖精ミスミソウの花を撮る 』

2022年3月 6日 (日)

徽典館学頭久貝岱篆額 「能蔵池の碑」

 私の仕事の初任地は、旧八田村(今の南アルプス市内)上八田であった。この旧八田村の野牛島という集落端に「能蔵池」という池があったのを覚えている。Imgp48761
 能蔵池は、御勅使川扇状地の扇端部で崖下から伏流水が湧き出した湧水池である。下流一帯を潤していた重要な灌漑用水池だ。今も灌漑用水の機能を果たしているようだし、側には「湧暇李の里 樹園」という温泉施設があったり、「南アルプス市ふるさと文化伝承館」という博物館があったりで、散策や見学で訪れる人も結構いるようだ。池の中州には四阿があり、説明板もある。Imgp48801

 この能蔵池の脇に、御稲荷さんがあり鳥居を入ってすぐ左に、古びた石碑がある。上部の部分は欠けていたり、中央部辺りにも傷があったりで、字が読めない部分もある。この碑が「能蔵池の碑」である。側に建っている説明板によると、建立されたのは安政4年(1857年)で、建立当時の市川代官である森田行の撰文、前任の市川代官である荒井顕道の書、篆額は徽典館学頭久貝岱とある。Imgp48811

 久貝岱(くがいたい)は、久貝伝太のことで(名 岱、号 蓼湾)、今の山梨大学教育学部の前身の徽典館の学頭(学長)を勤めた。江戸の昌平黌から派遣された初代の徽典館の学頭(学長)である友野霞舟(注ー*)の門下生だという。

 この碑の上部の欠けたところが、久貝岱の書いた篆額の部分のようで残念だ。教育委員会あたりが拓本をとってくれてあればいいなと思いながら、能蔵池を後にした。

<参考文献資料>
・南アルプス市ホームページ  歴史を辿る  「能蔵池の碑」のページ
・『関西大学所蔵「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について (上)(下)』成瀬哲生 平成20年(2008)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第10巻


 (注ー*)こちらもご覧ください → 徽典館学頭 友野霞舟 八王子山(白山)に遊ぶ

2022年3月 2日 (水)

定年後の暮らしは読書三昧 上間陽子『海をあげる』を読む

 地元ラジオ局YBS山梨放送のしゃべくりラジオキックスとかいう番組で、海野アナと深田アナがおしゃべりしながら紹介していてちょっと気になった本、『海をあげる』を新刊で買い、読んだ。本はこの頃、ブックオフで古本を買ったり、図書館で借りたりした本が多かったので、新刊はちょっと新鮮だった。本屋大賞ノンフィクション大賞とかを受賞した本だという。

 沖縄で、幼ない娘と暮らす大学教員の女性の物語である。女性の子どもを育てるごく日常が描かれ、また若年出産をした女性たちの調査の様子が交互に描かれていく。それぞれの生活が、違っているようにも描かれるがそうではない。不思議な相乗効果で、基地のある沖縄の悲しい無慈悲な現実、現状がじっくり伝わってくる。

 沖縄の現状、悲しみを痛みを伝えることが出来ただろうかと作者の声が聞こえてくる。私とすれば”海をもらった”と思っていいのだろうか。かといってどうすればいいのか・・・わからない。今もウクライナをロシアが侵攻している。どうして止められないのかと、止めさせることが出来ないのかと、むなしさと無力感を感じる日々だ。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 『海をあげる』 上間陽子 筑摩書房 2021年12月20日初版第9刷発行

2022年2月25日 (金)

春到来を告げる花「セツブンソウ(節分草)」咲く

 いよいよスプリングエフェメラルの花の季節です。スプリングエフェメラルは、春の短い時期に葉を出し花を咲かせ、晩春には地上部は枯れてしまい、その後ずっと休眠し次の春にまた花を咲かせるのです。セツブンソウも、その一つ、古くから節分のころに花が咲くのでこの名前があるといいます。

 先日2月16日に行ったときには、数日前に降った雪が残っているなか数輪しか咲いていなかったセツブンソウ、何枚か写真を撮りましたが、午前中早い時間で陽が当たってないということもあり、春らしくない何か暗い寂しいセツブンソウの写真になってしまいました。

 今日2月25日は、咲いているセツブンソウがいっぱいで、まさに見ごろ、うれしくなりました。陽が当たっているところも多く、ブレも少ない明るい楽しい写真がたくさん撮れました。

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 撮影場所 市川三郷町芦川沿い古宿

 撮影カメラ PENTAX K-7
   レンズ SMC PENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED
         SMC PENTAX-M MACRO 100mm

2022年2月24日 (木)

徽典館学頭 菊池駿助の撰文「笠屋神社碑」を訪ねる

Imgp48641  甲府敷島韮崎線(旧穂坂路)沿いにある甲斐市旧敷島町の八幡神社のちょうど道路反対側に、嘗ての「市川道」の入口がある。狭い道だ。それでも普通乗用車が走れるほどの道路を100mばかり南に下った右側に「笠屋神社」がある。(注ー1)

Imgp48661  「笠屋神社」は創建年代は不詳、武田家の崇敬を受け、白銀御樽酒などの奉納があったといい、現在も地域の産土神として崇敬されている神社だという。市川道の脇に、「笠屋神社」と刻まれた社号標があり、古い石鳥居が東向きに建っている。

 Imgp48651石鳥居をくぐって参道を進むと、右側に由緒を刻んだ「笠屋神社碑」がある。石碑の上部にある篆額『笠屋神社碑』は読めるが、私には碑文の中身全体はとても読解は無理だ。それでも『菊地駿 撰文』、『萬延元年歳在庚申十月二十三日建』は読めた。

 万延元年は1860年、江戸時代がまもなく終わろうとする頃だ。菊池駿助(名 駿、号 松軒)は、現在の山梨大学の前身、徽典館の学頭(学長)であった。菊池駿助は徽典館赴任前後して、この笠屋神社碑撰文の他、『遊御岳記』(注-2)、『遊羅漢寺山記』、『大滝山雌雄瀑記』などを書いている。
 なおこの笠屋神社碑には、”菊地”とあるが、成瀬先生は下記論文で、”菊池”が正しいといっている。

(注ー1) この道をさらに100m程下ったところには、「袖すり橋跡」がある。市川男と御嶽女が逢い引きをした場所だという言い伝えがあるという。
     → 古道を行く 旧敷島町内「市川道」
(注-2) 令和4年1月15日の記事
     → 徽典館学頭 菊池駿助『遊御岳記』の眩暈岩

<参考資料文献>
・webサイト  山梨県神社庁「笠屋神社(旧村社)」のページ
・『関西大学所蔵「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について (上)(下)』成瀬哲生 平成20年(2008)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第10巻

2022年2月16日 (水)

市川三郷町芦川沿い古宿のセツブンソウを撮る 令和4年2月16日

 今年は例年に比べ寒い日が続き、梅の開花なども大分遅い。セツブンソウも咲くのが今年は遅いだろうなと思いつつ、それでもと久しぶりのいい天気に誘われ、古宿のセツブンソウを撮りに行ってきた。
 やはり、まだちょっと早かった。先日降った雪が残っていた。雪のないところの枯れ葉の間からセツブンソウが結構沢山芽を出していたが、花が開いているのは数輪、残念だった。
 山の斜面に陽が当たるまで少し待とうかなと思ったが、東京から撮影に来たという人が、「セツブンソウは、陽があたってもすぐには花びらは開かないですよね。」とおっしゃっていたので、短時間で撮影を諦め戻ることにした。一週間後ぐらいにまた撮りに来よう。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
       SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2022年2月15日 (火)

佐伯泰英「新・古着屋総兵衛 第18巻 『日の昇る国へ』 」を読む

 佐伯泰英の「新・古着屋総兵衛 」を、この18巻『日の昇る国へ』で全部読み切った。前作の「古着屋総兵衛影始末」を含めると30巻の大作だ。”完読”といっていいだろうか。私もまだまだ読書力は落ちていないぞとうれしくなった。

 前作「古着屋総兵衛影始末」もそうだったが、この「新・古着屋総兵衛」を読むと、何か心がもやもやして不安定な時でも、不思議と心が落ち着き、何か次の行動への力が沸き上がってくるような本だった。

 前作は、18世紀初頭の6代目鳶沢総兵衛勝頼、今作品は19世紀初頭の10代目総兵衛勝臣が活躍するお話である。これらの作品の中で何度も描かれているが、初代総兵衛の鳶沢成元が、17世紀初頭に徳川家康から古着屋「大黒屋」を開く権利を与えられたたという時代から考えると、実に200年に及ぶお話である。

 「新・古着屋総兵衛」は、200年続いてきた江戸時代がそろそろ終わりに近づいている時代、外国船が日本の周りに頻繁に現れる時代のお話だ。ちょうど今私が関心を持っている「甲府学問所徽典館」が甲府城下に開設された時代でもあり、そういう意味でも興味を持って読むことが出来た。

 最終刊第18巻の解説で木村行伸も触れているが、総兵衛の大活躍の話の一方、心に傷を負った少年少女たちが悩みながら、周囲の人々に励まされ助けられながら大きく成長していくお話もあり楽しくうれしく読んだ。また、この時代の何人かの女性たちも描かれ、今のジェンダーフリーとまでいかなくとも、女性が生き生きと活動し活躍する姿が描かれていてとてもよかった。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 こちらもご覧下さい → 佐伯泰英「新・古着屋総兵衛 第二巻『百年の呪い』」を読む


 「日の昇る国へ 新・古着屋総兵衛十八」 佐伯泰英 新潮社新潮文庫 平令和元年6月1日発行

2022年2月10日 (木)

今日も峠を行く 猪狩から麦坂道を登り八王子峠へ

<以前、御岳昇仙峡探索の折、昇仙峡ロープウエイ仙娥滝駅のすぐ横にある麦坂道を楽しそうに下ってくる若いカップルがいた。「ああそういえば私は”麦坂道”を一度も歩いていないな、歴史ある峠道なのに。」と思い、早い時点で登ろう、歩こうと思っていた。>Imgp47761

 御岳新道を開拓した長田円右衛門の生家がある猪狩集落を通り抜け、『麦坂道 至 八雲神社・山頂パノラマ台駅』の表示柱のあるところから麦坂道に入る。しばらくコンクリートの道だが、100mほど歩き、小さな沢に架かる橋の手前で右の山道に入る。入ってすぐ道の脇には、岩の上に石仏がいくつかあり、ここが古い山道だということがわかる。Imgp47781小さな沢の左岸を登ることになる。沢の水はところどころ凍っている。

 橋が朽ちているので注意して登るようにとところどころに注意書きが張ってあった。確かに朽ちた橋があちこちにあり、山道はそれを避けて登っていた。倒木があり、通りにくいところも何カ所かあったが、総体的には九十九折りのとても登りやすい峠道だった。さすが昔の峠道と思った。Imgp47871
 ところどころ木々の上方にロープウエイの架線が見えたが、登っている間は動いているゴンドラは見ることが出来なかった。

 猪狩集落から1時間ほどで、八王子峠着。山道の先に峠が見えた時にはさすがほっとした。昔の人なら40分から50分ぐらいで登り切るのではないかと思った。八王子峠は、いうまでもなく、旧敷島町吉沢から、外道ヶ原を通り金桜神社金峰山へ向かう参詣道、御嶽古道が越える峠だ。Imgp47901
 峠の脇には、ロープウエイの山頂駅があり、観光客目当てのお店やパワーポイントと銘打った場所、富士山遙拝場所などがあり観光名所となっている。ロープウエイは動いているようだが、頂上にいたのは数人、この時季ではしょうがないのかなと思った。Imgp47921

 20分ほど休憩してすぐ下ることにした。峠を下り始めてまもなく、一人の女性が登山道を登ってきた。「思いがけず、一寸厳しい登りでした。」と女性、「お気を付けて、もうそこが峠ですよ。」と私、言葉を交わしただけだったが、林の中の暗い登山道がぱあっと明るくなったような気がした。

 ・・・猪狩集落、川窪集落あたりの昔人は朝暗いうちにこの麦坂道を登り、八王子峠へ着いた頃、日が昇る。峠で富士山を遙拝、今日の小旅の安全を祈り、その後外道を吉沢に下り、千塚、湯村、塩部を通り府中へ向かった。昼間街で商売をしたり買い物をしたりして、3時か4時頃街を出発すれば、昔の人の足ならば夕方遅くには家に戻り着けたのではないか・・・。
 そんなことを思いながら、麦坂道を一人下ったのだった。


【歩いた日】令和4年2月9日(水)
【コースタイム】
 新静観橋袂無料駐車場 ~ 猪狩集落(9:30) ~ (9:33)麦坂道登山口 ~ 麦坂道 ~ (10:35)八王子峠(11:00) ~ (11:35)猪狩集落 ~ 新静観橋袂無料駐車場
【参考にした文献資料 】
・『甲斐国志』松平定能編 文化11年(1814年)成立
  巻之二十 山川部第一 巨摩郡北山筋 一、八王子嶺 猪狩村
・「 1:25,000地形図 甲府北部 」 国土地理院 平成2年2月1日(3色刷)
・「 1:25,000地形図 茅ヶ岳 」 国土地理院 平成元年12月1日(3色刷)

2022年2月 4日 (金)

探梅行 敷島梅の里 令和4年2月4日

 立春の今日、暦通りの穏やかな日和に誘われ、甲斐市敷島梅の里へウオーキングを兼ねて梅の花の様子を見に行ってきました。毎年恒例の「敷島梅の里 開花情報」です。
 今年の冬は寒い日が比較的多く、今の時季家の庭では、梅や福寿草など咲いていることが結構あるのですが、まだ咲いていません。敷島の梅の里の梅も例年より咲くのが少し遅いように感じました。

 敷島総合公園の広い駐車場南側の斜面の梅は、総体的には2~3分咲きというところでしょうか。下ってすぐにあるしだれ白梅は見事に満開でした。紅梅も木によっては満開、白梅は咲き始めという感じでした。蕾が一杯、一斉に咲くと綺麗だろうな。

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 矢木羽湖西側の斜面の梅も白梅は、咲き始めという感じでしたが、少し登ったところにある四阿の周りの紅梅は満開近くでした。富士山をバックに梅の花を撮ろうと思いましたが、生憎今日は富士山は雲に隠れていて残念。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2022年1月30日 (日)

徳川家康も登った「我貴山」に登る

 金桜神社に参拝に行く時に、南方向、鳥居の向こうに綺麗にとがった三角形の山がでんと構えており、気になっていた。昇仙峡マイスター雨宮氏に聞いたところ、「我貴山」だという。登る経路も教えてもらっておいた。その後、何時かは登ろう登ろうと考えていた。

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 調べてみると昔からの色々な文献文書に載っている山だった。

 まず、『甲斐国志』第20巻
”山川部第一 巨摩郡北山筋 一、金峯山
・・・逸見、武川等ノ人、コノ道ニヨリ草鹿沢ノ東西四拾八盤(マガリ)ヲ攀(ノボ)リテ我貴山ノ北、一本杉ノ華表ヲ経テ里宮ノ西ニ出ヅ。
城山、我貴山、第三ノ華表ノ東西ニ相対シテ聳エタリ。華表ノ東ニ金峯山ヘ詣ル道アリ、コレヨリ山宮ヘ五里五〇丁ナリ。登拝者八、九月ノ間ヲ候トス。・・・”

 甲府勤番支配の浅野梅堂の編集、徽典館学頭乙骨耐軒や友野霞舟などが漢詩を書いている『仙嶽闢路図』には、”嶽祠”の頁の次にある竹邨三陽の 画稿に「我貴山」が描かれている。甲斐国志と同じで、右に白山(城山)、左に我貴山、中央に金桜神社第三の華表が描いてある。中央遠く黒富士も描いてあるのだ。

 また、福岡哲治編『甲府昇仙峡の観光開発と文学(第二版)』には、
”天正10年(1582) ・・・8月、武田家追撃本陣の徳川家康、金桜神社に参詣、我貴山に登山・・・(社記)。・・・”
とある。

 さらに先日紹介した石原初太郎の『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』には、「我貴山」の写真が載っている。中に載っている菊地駿助の『御嶽に遊ぶ記』にも「我貴山」の記述が出てくる。

  ***********************

 先日思い切ってその「我貴山」に登ってきた。少し先に金桜神社の赤い鳥居が見える御岳集落の入口で県道7号甲府昇仙峡線から離れ、左にアスファルトの林道を昇仙峡ロープウエイパノラマ台駅八王子峠の方に向かい、アスファルトが切れるところに車をおいた。右が広い伐採地だ。以前この広い伐採地の向こうに”神会原”があった。(”神会原”の由来はよくわからないが、金桜神社に関係する地名だろうか。今後の調査の課題。)
 伐採地の右、東の端を辿って登る。しばらくは伐採地だが、まもなく右に小さな尾根に入る。

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 先日古い御嶽道を下った時の御岳下沢の北側の尾根になる。しばらく小さいアップダウンを繰り返す。右側御岳下沢側は、がけっぶちだ。しばらく進むと、左側下すぐそこに草鹿沢から金桜神社に向かう県道が見え始める。県道の方から登ってくるような踏み跡がところどころに見られた。遠くを眺めると、木々の間に雪を被った金峰山が大きく見えた。

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 最高点らしきところを過ぎ更に進むと、何やら四角に囲った石積みがあり、その先の木の根元に小さい石の祠があった。ここが頂上なのだ。歩き始めて30分弱で「我貴山」頂上に到着。
 頂上からは左下に金桜神社の赤い社殿が見えた。手前の駐車場に車が何台か駐まっているのも見える。見上げると左に黒富士、右奥木々の向こうに金峰山が見えた。

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 吉沢から登り、御嶽道を八王子峠を越してここまで来た参詣の人々はここから神社を見下ろし、金桜神社はもうすぐだと思ったのだろう。また金峰山山頂本宮へ登る人々は、遙か向こうに金峰山を眺め、ああまだまだ遠くだなあと思ったのだろう。我貴山はそういう場所であった。

《 参考文献資料 》
・『甲斐国志』松平定能編 文化11年(1814年)成立
・「甲府昇仙峡の観光開発と文学(第2版)」福岡哲治編 2010年1月28日 
・『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』 石原初太郎 上田泰文堂 出版年1930年(昭和5年)

2022年1月20日 (木)

徽典館学頭 中村正直の『御岳遊記』を読む

 徽典館学頭だった中村直正は、安政6年(1859年)正月に、杉浦嬢などと共に、御岳昇仙峡を歩いている。その様子を書いたものが石原初太郎の『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』の第2章に載っているが漢文で私には読解は無理だ。成瀬先生が書いた論文『 中村正直「御嶽遊記」 -徽典館の文学-(上)(下)』に漢文を訓読したもの、また”大意”が載っていて、そちらを読ませて頂いた。

 中村はこの時代他の学頭たちがとったルートと同じで、和田峠を越えて昇仙峡に向かっている。和田峠を越えて『高砂山』に立ち寄ったようだ。雪をかぶっているような山だと表現している。成瀬先生は、今の千代田湖の西にある白い山のことだろうといっている。

 今の長潭橋(この時代にはなし 大正14年完成)近辺から昇仙峡に入り、岩の形に由来して名づけられた猿岩とか寒山拾得岩などを見ている。”有年橋”は、今の”有明橋”だそうだ。”柴橋”は羅漢寺に渡る橋だという。

 覚円峰を最初に眺めたのは、今の夢の松島あたりからだろうか。”接待亭”の二階に上って辺りを見渡したという。昇仙峡を開削した円右衛門については、”きっと御嶽の神が円右衛門をひそかに手助けしたのだろう。”と書いている。

 石門を過ぎると無数の大きな岩石がゴロゴロと渓流に転がっていたとある。左に頭上を圧っしてそびえる異様の頂きがあるとここでも覚円峰について書く。

 「道は岩の間に深く刻まれて狭く、うねうねと上へと続く。鳥居があった。”朝天門”という。」と書く。私(筆者)は、先日ここを歩き、この朝天門の苔むした礎石を見ている(*)。

 猪狩村を経て金桜神社へ。

 帰りは、歌川広重が通った吉沢へ抜ける外道を歩き下ったようだ。「古い道をたどり、宿舎に帰ったのは日も落ちてからである。」「甲府に着任して一年になろうとしている今日、御嶽新道の風景をようやく我がものとした。これで江戸に帰任したところで思い残すことはない。」と書いて、この『御岳遊記』は終わっている。

(*) 2022年1月9日の記事 → 古い御嶽新道を歩く 昇仙橋脇から目眩岩へ登り滝上へ

 

<参考文献資料>
・史蹟名勝天然記念物叢書『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』 石原初太郎 上田泰文堂 出版年1930年(昭和5年)
・『 中村正直「御嶽遊記」 -徽典館の文学-(上)(下)』 成瀬哲生 平成24年(2012年)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第14巻

2022年1月15日 (土)

徽典館学頭 菊池駿助『遊御岳記』の眩岩

 太宰治の妻石原美知子の父が、敷島大下条出身で地質学者石原初太郎だが、その石原が著した本に『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』がある。昭和5年の発行だが、昇仙峡に関わる非常に興味ある記述が多く、読み甲斐がある。インターネットでも読むことが出来、戦前の本であるが私にも十分読める記述文章である。

 その『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』の三章に山梨大学の前身徽典館学頭であった菊池駿助の『遊御岳記』が載っており、興味を持って読んだ。つい先日、御岳昇仙峡目眩岩に登ってきた(*)ので、その部分あたりの記述をピックアップ、載せてみる。浅学の私で正しく写してあるか不安だがご容赦願う。

三、御嶽に遊ぶ記 徽典館督學 菊地松軒
・・・餘に仙娥瀑、眩岩、拂玉泉等尚ほ数勝有り、皆迂路を以て徃かす、右峻坂を登る絶頂に華表を建つ、朝天門と曰ふ、


 そして、石原初太郎の譯註として次の文章が載っている。

蓋し當時は昇仙橋無く其の東畔より眩岩の上に登り今の自在亭の處に出でたるものなり、眩岩の頂上展望臺の在る處今尚ほ華表の礎石を存す。沸玉泉の位置は余之を知らず。 


 菊池の文が続く。

聞く此より御岳に至る三華表あり、是を第一と為す、坂を下り略彴(丸木橋)を渡り、猪狩村に至る、圓右此の邑の人なり、・・・


 御岳(金桜神社)の第一の華表については、吉沢の外道の入口にあったというが、菊池はここのを第一華表と聞いているといっている。ここは外道の道筋ではないし、時代によって違うのだろうか。

(*)→ 古い御岳新道を歩く 昇仙橋脇から目眩岩へ登り滝上へ


<参考文献資料>

・史蹟名勝天然記念物叢書「甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥」 石原初太郎 上田泰文堂 出版年1930年(昭和5年)

2022年1月 9日 (日)

古い御嶽新道を歩く 昇仙橋脇からめまい岩へ登り滝上へ

<以前、昇仙峡マイスターの雨宮氏から教示してもらい、昇仙峡講座の数野氏からも途中まで案内してもらった、昇仙橋が出来る前のめまい岩の脇を通る古い御岳新道を歩いたのでレポートする。>

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<昇仙橋の脇から入る>
 御岳新道(昇仙峡遊歩道)を、石門を通り過ごし上ってきて、仙娥滝手前で荒川左岸から右岸に渡るところにあるのが、明治11年(1878年)に架かったという昇仙橋である。
Imgp45811 この昇仙橋を渡らずに四阿の脇を通ってそのまままっすぐ正面に向かうのが古い御岳新道(写真右上)だ。道らしい道は10メートルも進むとわからなくなる。

<ガレ場をよじ登る>
 右側が結構急な斜面で、大小の花崗岩の岩が転がっているガレ場だ。わずかな踏み跡を見付け登る。ところどころ山道のための石垣(写真左上)がありそれを目指して進むが、踏み跡ははっきりせずガレ場を登ることになる。倒木で行く手を防がれたり、木に捉まりよじ登るようなところもあった。悪戦苦闘捕12~13分、踏み跡がはっきりしてきて、めまい岩が木々の向こうに見えホットする。

<朝天門の土台石があった>
 華表”朝天門”があったという最高地点の峠状のところで一休み。ここには、苔むした華表の土台石が二つあった(写真右下)。確かにここに朝天門という鳥居が立っていたのだというのがわかる。Imgp45871

<めまい岩に登る>
 その脇5~6mのめまい岩頂上に登る。仙娥滝が真下に見えるところがあるのかもしれないが、私は怖くてそこまで行けなかった。昔の人はここからこわごわ仙娥滝を覗いたのだろうか。

<下り着いた所が自在亭跡>
 下りは、5分もかからず山道の向こうに県道が見えてきて(写真左下)、県道のトンネル脇に出た。出口のすぐ左側に駐車場があるが、ここが昭和9年与謝野晶子・鉄幹が昇仙峡に来たときに宿泊した自在亭跡だという。

Imgp45931<エピローグ>
 懸案の古い昔の御岳新道を歩き、念願を果たした。しかし、この道は、観光気分ではとても歩けず、一般の人には勧められない難路である。


《 参考文献資料 》
・「甲府昇仙峡の観光開発と文学(第2版)」福岡哲治編 2010年1月28日 
・「武田の杜史跡ウォーク」配付資料 令和3年10月10日実施
・「昇仙峡の歴史と文化」数野雅彦 日本遺産昇仙峡ガイド講習会資料 令和3年11月20日実施

2022年1月 7日 (金)

日本遺産 御嶽古道を歩く 金桜神社御岳集落へ下る古い道

 旧敷島町吉沢から上り、外道ノ原、八王子峠を経て、御岳集落金桜神社へ下る道が、御岳道(の一部)である。
 ロープウエイ山頂駅が近くにある八王子峠からは、御岳集落入口まで林道のような車道が下っている。ロープウエイのメンテナスのための道なのか、またロープウエイ山頂にあるお店の商品等運搬の道、働く人たちの通勤の道だろうか。この車の道は、ほとんど御岳道を辿っているのではないかという。
 以前、”武田の杜史跡ウオーク”の講師から、この林道のような車道から離れて、古い御岳道が下っているところがあるという話を聞いていた。今日、寒い日であったが、思い切ってその古い御岳道を歩いてみた。Imgp45451

 八王子峠から下ってきて、左側に広い伐採地がある。以前はそこを”神会原”といったそうだが、そこを過ぎるとアスファルト舗装の道になり、少し下りが急になる。
 アスファルトの道を下り始めて間もなく、左山側の小尾根が途切れ、切り通しのようになっているところがある。ここが、史跡ウオークの講師が”このあたりの人はヤマノカミといっている”と紹介してくれたところで、古い数段の小さな石段があり、その上に祠のようなものが祀られていた。(写真右上)

Imgp45471  ここの前を通り、切り通しの先に行くと、確かに踏み跡が下っている。目の前の沢が御岳下沢だそうだ。この沢を踏み跡は下っている。枯れ葉に埋まってはいるが、踏み跡はわかる。ところどころ倒木があり若干歩きづらいところもある。(写真左)
 2~3分下ったところに小尾根の先をめぐってきた先ほどの車道が前に見えたが、車道の手前で踏み跡は折り返し下っていく。すぐ木々の向こうに御岳の共同墓地が見えてきた。共同墓地(*)の脇をまた折り返し下ると、そこがもう車の道で古い御岳道は終わる。ヤマノカミのあるところからわずか15分程の歩きであったが、確かに古い御岳道を歩いたという充足感があった。Imgp45601

 (*)御岳町集落はほとんどの家が神葬祭で、墓石の多くには〇〇家奥都城(おくつき)と彫られている。

 共同墓地を下るとすぐ昇仙峡から来る県道に出合うが、その直前が少し広くなっている。(写真右下 県道の先に金桜神社の三の華表も見える)ここに”桜大門”があったのだという。明治45年に撮ったという桜大門の写真を見たことがある。またこの門を”御嶽大門”としている資料を見たことがある。

 このページもご覧下さい
  令和3年10月23日の記事 → 「 日本遺産 御嶽古道を歩く」

参考資料
 ・令和3年10月10日実施 武田の杜 史跡ウォーク 配付資料
 ・ホームページ「樵路巡遊 (しょうろじゅんゆう)」~ 古道をできるだけ正確に辿った 金峰山表参道のページ~ by S. Tom.
 ・「 1:25,000地形図 茅ヶ岳 」 平成元年12月1日発行(三色刷) 国土地理院

2021年12月28日 (火)

こんなところに甲府城お堀跡(その27) ~ 三の堀脇に船着き場 ~ 

 先日、山梨県埋蔵文化財センターの甲府城下町遺跡現場見学会に参加した。場所は、この私のブログ「こんなところに甲府城お堀跡(18)~深町河岸跡付近から北へ向かう三の堀跡~」(*)で紹介した”深町河岸”付近だが、今回の見学会では”甲府城下町遺跡(城東二丁目周辺)”と紹介されていた。

 甲府城下南、若松町あたりから北、東と何度かクランクしてきた三の堀跡は、今回の説明場所城東二丁目”深町河岸”の近辺で二つに分岐する。北へ向かう今では側溝が三の堀跡の続き、東に向かうのが濁川(一級河川)となる。この濁川を引き船がここ甲府城下町の深町河岸まで上ってきたのだ。

 富士川鰍沢河岸あたりで小さい引き船に乗り換え、笛吹川から濁川に入り遡ってきて、このあたりに船着き場、荷上場があったのだ。山梨学院南側から以前の厚生年金会館北側あたりを通り西進してきた都市計画道路和戸町竜王線がこの辺りを通過し、工事の真っ最中なので発掘調査も行われたのだ。

 県埋蔵文化財センターが作った「 平成 甲府城下町絵図 」には、この付近の三の堀の写真が載っており『 深町河岸跡付近 牽き舟からの荷をこのあたりであげた 』とある。下の写真は当日私が撮った写真。

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<橋の手前、石垣の左側に発掘現場がある。右から左に都市計画道路和戸町竜王線が通る。橋手前が三の堀跡。>

 今回の発掘で、船運に関わる施設とみられる遺構が見つかったという。当日の説明では、この場所が舟の係留ドックの様なもので、濁川を遡ってきて船着き場で荷物を下ろしていたのではないかという。確かに舟が係留するような板に囲まれた遺構だ。

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<係留ドックの様な舟を係留しておく板に囲まれた場所が見える。左側に濁川(三の堀)がある。>

 当日は、甲府市教育委員会によるその近く中央四丁目、五丁目あたりの発掘現場から出土した遺物などの説明もあった。

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< 甲州金二粒も発掘されたという。右上箱赤い布の上に並べてある。>

 

 (*) → こんなところに甲府城お堀跡(その18) 深町河岸跡付近から北へ向かう三の堀跡 

 

<参考資料>
 『 平成 甲府城下町絵図 』作成;山梨県埋蔵文化財センター 協力;甲府市教育委員会

2021年12月24日 (金)

漫画『鉄腕アトム』のひとコマを思い出す

 ジングルベルの曲が街に流れ、クリスマスが近づくと思い出すことがある。少年の頃、時々買ってもらい読んでいた雑誌「少年」、その中にあの手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』が載っていた。それには、今はもう当たり前、現実になったが、都会で道路が立体交差し、ビルの間をビルの上を高速道路が走っている景色が描かれていた。(その頃はこんな景色はまさに夢物語だったのだ。)その次のコマには、クリスマスツリーが飾られ、クリスマスの音楽が流れ、賑やかなきらびやかな街が描かれていた。
 そして次のコマには、ビルの影に貧相な格好の少年が座り込んでいる姿が描かれていた。貧しい暮らしの孤独な少年の姿が描かれていた。

 その『鉄案アトム』の漫画が、その後どういう展開になったのかははっきり覚えていないが、この漫画に描かれた数枚のコマ、シーンが鮮明に記憶に残っているのだ。この手塚の漫画は、楽しい華やかなクリスマスの街の片隅に、貧しい孤独の人々、賑やかな世間から忘れ去られたような人々がいるのを決して忘れてはならないと訴えているように私は感じた。

 この漫画のシーンを、もう何十年も経った今も鮮明に覚えているのだ。この漫画のこのシーンは、その後の私の生き方を左右する漫画だったと思う。私の生き方に大きな影響を与えたメッセージだったと思う。

«徽典館学頭 田辺太一 御坂峠に登る

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