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2018年2月11日 (日)

庭の花を撮る 福寿草が咲いた

 例年に比べ寒い日が続いているように思う。それでも立春が過ぎ日が長くなり、日差しが大分強くなってきた。今日は、朝のうちは雲があり薄ら寒い感じだったが、次第に雲がとれ大分暖かくなった。

 庭を眺めていたら、ハナニラの葉っぱが折り重なっている間から福寿草の黄色い花びらが覗いていた。ハナニラの葉っぱを少し除けてみたらこんな感じ。知らない間に芽を出し、蕾を付けていたのだ。

Fukujyuso010

 まだ一輪だが、その隣では蕾が開きもうすぐ咲きそう。今日中にはもう一輪咲くかな。

 2014年2月26日の「福寿草」 → 大雪にめげず・・・福寿草が咲いた

2018年2月 7日 (水)

敷島梅の里 開花情報 平成30年2月6日

 2月に入って早速、甲府の不老園の梅の花が咲き始めたとニュースで伝えていました。今年ももうそういう時季になったんだと思い、今日はいつものウオーキングコースを甲斐市敷島総合公園に切替え、梅の里の梅の花の様子を見に出かけました。今年の敷島梅の里の梅の花開花情報の第一号です。

 敷島総合公園の広い駐車場から南側の梅畑を見下ろしましたが、咲いているようには見えませんでした。それでもと思い坂道を下ると・・・ああ、咲いていた!木の階段を下りてすぐのところにある枝垂れ白梅の枝の先の数輪が咲いていました。うれしくなってしまいました。周りを見回すと、近くの白梅の木の2~3本の枝先で結構沢山の花が咲いていました。

Sikisima020

Sikisima010

 更に下るとその先梅畑の下の方、東屋がある辺りの紅梅が一本の木は満開に近いほど咲いていてビックリしてしまいました。ああこれはすごいと思い周りを見渡すと、やはり2~3本の木はかなり咲いていて更にビックリでした。

Sikisima030

Sikisima040

 その後、駐車場南西側の梅畑を見に行きましたが、そちらは白梅も紅梅も花は開いていませんでした。総体的に梅の里の梅の花は一分咲きというところでしょうか。

  撮影カメラ ;  PENTAX K-7  レンズ ;  SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

2018年2月 2日 (金)

映画「祈りの幕の下りる時」

 韮崎の市長さんがいい映画だとフェイスブックに書かれたこともあって、映画「祈りの幕の下りる時」を見に出かけた。なるほど、ミステリーというよりヒューマンドラマだ。いい映画だった。去年見た「追憶」と同じような感じ。

 阿部寛、松嶋菜々子の他、そうそうたるメンバーがいっぱい出ている。烏丸せつ子、伊藤蘭、山崎努、相棒の及川光博、それになんと笑点の春風亭昇太までが出ていたりして。   
 監督の福澤克雄は、去年暮れ日曜劇場で「陸王」を手掛けたディレクターだそうだ。

 小日向文世演ずる福島の原発で働いていたという浅居博美の父親が死んでいく場面が涙を誘う。加賀の母親とこの父親が心を通わせていたことが救いでうれしい。

 映画を観て何故か、優しくまじめに誠実に生きる人に、幸せが沢山訪れるように祈らずにはおれない・・・。

 ・・・いい映画はいい。大げさにいうと生きていてよかったと思う一時だ。


<データ>
製作年;2018年/配給;東宝/上映時間;119分
<スタッフ>
監督;福澤克雄/原作;東野圭吾/脚本;李正美/エグゼクティブプロデューサー;那須田淳 平野隆
<キャスト>
阿部寛;加賀恭一郎/松嶋菜々子;浅居博美/溝端淳平;松宮脩平/田中麗奈;金森登紀子/キムラ緑子;浅居厚子 他

2018年2月 1日 (木)

「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) お堀で魚釣り

 老舗シマヤ釣具店が閉店したと、昨日の地元新聞山梨日日新聞に載っていた。先頃のスーパーヤマトといい、地域で馴染みの店がどんどんなくなっていくのが何とも寂しい。何とかならないものかと思う。

 その記事に私に興味あることが載っていた。「・・・シマヤ釣具店は戦国時代末期に雑貨、両替商として創業。甲府城の外堀に放流していた魚を釣る人向けに商売をしていたとされている。明治期に釣り具販売に特化した。・・・」

P1040571 甲府城が出来て、内堀はともかく外堀では釣りも、可能だったろうか。まだ周りには畑や田んぼなども多かったお堀の畔の土手から釣り糸を垂れている人々を想像すると、何か楽しくなる。
 明治以降はもしかしたら内堀なども含めて、あちこちのお堀で庶民が釣りを楽しんだのではないだろうか。今も残る内堀でボート遊びが可能だった時だってあったというから。

 現在も内堀で、大きい鯉が悠々と泳いでいる。(今は真冬で、姿がなかなか見えないが)

 写真;お堀に映る石垣と白壁 県庁公用車駐車場側から東を見る 

2018年1月23日 (火)

鳩打峠から醍醐山(634m)へ

<醍醐山は、東京のスカイツリーが完成一般公開が始まった頃、そのスカイツリーと同じ高さ634mだということで、一時話題になり登る人も多かったという山だ。新年初登り、冬枯れの醍醐山だったが、楽しくうれしかった。>

【山行日】 2018年1月14日(日)
【天候】 晴
【コースタイム】
 醍醐山(鳩打隧道)登山口(9:50)~(10:00)鳩打峠~(10:15)五老峰展望台~(10:50)醍醐山山頂(11:15)~(11:30)展望台(11:55)~(12:10)醍醐山山頂~(12:55)鳩打峠~(13:05)鳩打隧道登山口Daigoyama020_2

 醍醐山へは、甲斐常葉駅から登る人が多いようだが、今回私は何年か前に登ったことがある鳩打隧道登山口から登った。ここは、山の陰に隠れ寒々しいところだ。
 前に来たときには、NHKとYBSの白い鉄杭があるだけで登り口がなかなかわからなかったが、今回は立派な地図の付いた案内板が建っていて安心して登り始めることが出来た。

Hatoutitoge010_2 ほんの10分ほどで鳩打峠。ここまでは以前「峠歩き」で来たことがある。ここで甲斐常葉駅から登ってきた登山道が合流する。
 ここから左に尾根伝い登ったり、トラバース気味に登ったり、枯れ葉の絨毯を踏みしめるように歩いた。途中、以前はもしかしたら畑があったのかも知れないようなところがあった。枯れたススキの向こうに、作業小屋が建っていた。
 ここが「五老峰展望台」、常葉の谷を挟んで向こう側東側の山々が大きく見えた。Daigoyama010

 やや急な登りを過ぎて登り着いたところに、NHKとYBSの大きなテレビ鉄塔が建っていた。ここからほんの二三分で醍醐山山頂(634m)だ。東屋が建っていた。山頂標識もいっぱい。

Daigoyama030 しばらく休んだ後、「展望台」へ向かった。15分ほどだ。真下は、富士川と早川の合流点、下山集落、富士川クラフトパークの上方に身延山、七面山が大きく見えた。ずっと右側に目をやると南アルプス笊ヶ岳を望むことが出来た。雲がありすっきりというわけにはいかなかった。

 醍醐山山頂に戻ると、元気のいい中年の女性グループが賑やかに休んでいた。「こんにちわ、天気がよくてよかったですね。明日からは大雪だそうですよ。」と挨拶を交わし、私はゆったりとした気持ちで歩き下り、登山口に戻った。

 今年初めての山登りは、穏やかな天気、ほどほどの登り下りで、楽しい里山歩きとなった。

 平成24年1月19日の記事 → 峠を行く 宇野尾峠 鳩打峠 地蔵沢峠 勝坂峠

2018年1月19日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡(その17)」 北口一丁目 二の堀跡

・・・ 日本百名城に数えられる「甲府城(舞鶴城)」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗Yamanote001渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・

 綺麗に整備され、様々なイベントが頻繁に開催されるようになった甲府駅北口広場から武田通りを北へ100mほど進んだところ、北口一丁目と武田一丁目の境あたり武田通りを二の堀跡が横切っている。
 現在風のしゃれた喫茶店の建物の南側に、コンクリートと石垣で水路のようになっている二の堀跡が確認できる。「こんなところにNinohori020_2甲府城お堀跡(その12)」(*-1)で書いた二の堀が東に進み、ここに至るのだ。
 ここが山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」でいう「元連雀町口」になる。内堀からここまでが武家地、ここから三の堀までが町人地となるのだ。

 ここから二の堀跡は武田通りを斜め北方向に横切る。もちろん暗渠である。反対側の歩道にかなり大きい集水枡が確認できるが、そこから先、東方向に水路も暗渠も確認できなくなった。かなりあちこち歩き回り探したが二の堀跡は全く確認できなかった。
 以前、この辺りに桜シルクという大きい工場があった。更に、私の遠い記憶の中に、この辺りに盲学校があった様な気がする。最近でいうと県の駐車場があったり、大きなパチンコ屋が出来たりした。明治以降の変遷の中で、二の堀は完全に埋め立てられ失われてしまったのだろう。(*-2)

(*-1) こんなところに甲府城お堀跡(その12) 武田一丁目地内 二の堀跡

(*-2) この辺りの二の堀跡のことなどが、「『甲府市文化財調査報告15 甲府城下町遺跡Ⅰ-北口二丁目(桜シルク跡)発掘調査報告書-』 平成13年3月30日 甲府市教育委員会」 に載っており大変興味深く読んだ。それによると、この辺りの二の堀の幅は約10.8m、 土塁は基底部幅約11.7m、高さ約2.4m、土塁には大槙が植え られていたと柳沢文庫所蔵「楽只堂年録」に記述があるという。発掘調査では、堀の幅は約13 mであったという。

 写真左;甲府城北側の入口 山の手御門 甲府駅北口に復元された
 写真右;二の堀跡 武田通り歩道から西方向を撮っている

2018年1月12日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) 毎日通る道路の端にも歴史が隠れている

 1月11日付けの地元の新聞山梨日日新聞の「私も言いたい」欄に、韓国からの留学生伊洗鈴さんの「甲府の歴史感じ 韓国語でも発信」という投書が載っていた。

 その中で伊さんは言う・・・こうふ開府500年記念事業に関連して、Facebookに山梨の「水」の歴史について思いを書き、伝えている・・・フィールドワークで甲府の町を歩き続け、有名な場所だけが観光地ではないことを知った・・・私は甲府上水道や甲府城の二の堀、三の堀を回った・・・毎日通る道路の端にも歴史が隠れていることを知った・・・甲府に残された上水道や堀を見て、歴史を思う住民の志を感じた・・・

 留学生がこういう思いを持ってくれたことがとてもうれしい。伊洗鈴さんは、山梨甲府のことを考え、地域活性化について提言、行動しているのだ。素晴らしいと思う。きっと山梨県民、甲府市民にこの思いは伝わっただろう。山梨甲府を訪れる韓国の人にも。

 私事ながら・・・休みの日の度にひょいっと出かける私に「どぶみたいな川や溝を見て廻って何が楽しいのよ。」と皮肉っている妻に言おう。「私の他にも甲府城のお堀廻りをしている人がいるよ、観光推進地域活性化につながるんだ」と。

2018年1月11日 (木)

「こんなところに甲府城お堀跡(その16)」 武田一丁目地内 三の堀

<この辺りに「角○」とかいう飲み屋さん、今でいう居酒屋があった。先輩に連れられ仕事帰りにこの飲み屋によく寄った。この先輩を私は慕っていた。親分肌のところがあり、私などの面倒をよく見てくれた。いい仕事をした。同業者の組合の役員などもし、活躍した。Sannohori002_3
Imgp28811_2だが、残念ながら若くして惜しまれながら亡くなった。一緒に飲みに来たその頃は、ここを甲府城三の堀が横切っていたなんてまったく知らなかった。>

 甲府駅北口から、武田通りがまっすぐ北へ武田神社に向かって走っている。この通りが、山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」でいう「橘小路」で、この先「元連雀町口」で二の堀を横切り、「大工町」で三の堀を横切り、「元柳町」から武田神社(躑躅ヶ崎館)へ続くのである。

Sannohori006 この大工町で武田通りを横切るのが、三の堀である。今の地名でいうと武田一丁目辺り。東方向から武田通りを横切り、10mほど進んだところで右方向北へクランクし更に進んだところでまた左方向西に曲がり進む。もうここが法華寺北になる。左側に土塁ではなかったかと思われる空き地が見える。「こんなところに甲府城お堀跡(その3)武田一丁目地内 法華寺北 三の堀跡」が、そこである。

 甲府城お堀跡(その3) 武田一丁目地内 法華寺北 三の堀跡

写真上;赤白の柵の左側が三の堀 右上にちょっと見えるのが武田通り
写真中;武田通り歩道から西を見る 三の堀跡
写真下;法華寺北の三の堀 東側から西を見ている

2018年1月 7日 (日)

「こんなところに甲府城お堀跡」(その15) 藤川と平行して三の堀跡

 湯村温泉や武田神社から車で石和温泉や塩山恵林寺方面に行くのに、混雑する甲府の中心部を通らず愛宕山トンネルを通ると大変便利である。この愛宕山トンネルができたのは昭和52年、平成8年までは有料道路であった。

Imgp28741_2 愛宕山トンネルを通っているのが通称山の手通りであるが、この愛宕山トンネル西側出口から200~300m山の手通りを西に行ったところに藤川が南北に横切って流れている。(この藤川は、時には富士川と書くこともある。ちょっと下ったところにあった富士川小学校などがこれに当たる。)この藤川と平行して10m位西に離れたところに甲府城三の堀跡があることを何人の人が知っているだろうか。

 Imgp28951山の手通りを横切って北へ延びる堀跡は暗渠になっているし、山の手通りの南側に10mばかり開渠になっているだけだからほとんどの人は知らないだろう、意識しないだろう。

 ここから南に延びた堀跡は、10m位でまた暗渠になり、そのまま更に南に向かうはずだが、その先は見当の付く暗渠らしきものもなくなり、全くわからなくなってしまう。
 三の堀跡は暗渠になってすぐ、なんと東側の藤川に流れ込む流路がある。このあたりが、藤川と三の堀が一番近くなっているところだ。

Imgp28971 甲府城三の堀は、この後山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」にある元城屋町口あたりで二の堀を併せ南に向かい、愛宕町口先まで伸びるのだが、このあたりのお堀跡は全く見当が付かない。完全に埋め立てられたところだろうか。

 妻に、「どぶみたいな川や溝を見て廻って何が楽しいの。」と皮肉を言われるが、益々甲府城お堀跡めぐりが面白く楽しくなってきた。

写真上;山の手通り南の甲府城三の堀跡を南から見る。上方向暗渠になっているところが山の手通りだ。
写真中;山の手通り北から、開渠になっている三の堀跡を見る。ガードレール、金網の向こうが堀跡だ。
写真下;三の堀が藤川に流れ込んでいる場所。堀と川は、10mも離れていない。

2018年1月 1日 (月)

あけましておめでとうございます

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 あけましておめでとうございます

   皆様にとって今年が
        よりよい年になりますよう
      心からお祈りしております

   今年もどうぞよろしくお願いいたします


< 元旦の朝・・・ >
 甲府盆地は穏やかな日和で、清々しい新年を迎えました。私のところの玄関先では、万両の実が朝日に映え、庭では寒空の下、寒菊が咲いています。
 お陰様で、家族みんな元気で正月を迎えることが出来ました。今年も家族一同、健康で明るくよい年でありますよう願っているところです。
 私はお雑煮の朝食を早めに食べ、自治会の新年ご互礼会へ出かけました。近所の皆様と新年の挨拶を交わし、道祖神前で地域の安全と安心、平穏、益々の発展を祈ったのでしImgp86210た。その足で、千塚八幡神社に向かい、初詣を済ませました。

< 元旦に思う > 
 何か世界中がおかしくなっています。戦争やテロ、争い、憎み合いが絶えません。自分の国さえよければいい、自分たちさえよければいいというふうな風潮が益々拡がってきているような気がしてなりません。人権や民主主義が軽んじられ揺らいでいます。
 今年が戦争のない世界に向けて、平和で平穏なよい年になるよう祈らずにはおれません。
 今の政治状況を考えると、日本はもう戦後が終わり「戦前」に入っているのではないかと思うこともしばしばです。もちろん私が戦前を体験しているわけではありませんが、今まで学び勉強してきた歴史、新聞の記事や投書、テレビラジオのニュース番組などを通してそう感じてしまうのです。
 今年がけっして「戦前」にならないように、息子、かわいい孫たちが戦場にかり出され、そしてやがて日本が戦場になるような方向に絶対進まないように祈り、ささやかでも私に出来ることをしていこうと思う正月です。

<今年も生涯学習、ボランティアに精を出して・・・> 
 私はまもなく定年退職後丸10年となります。まあまあ心身ともに健康に過ごしています。このブログでもよくふれていますが、近くの公園や河川敷のウオーキング、山歩き、峠歩き、時たまのゴルフなどが健康の秘訣なのでしょうか。また、野菜づくりも気持ちが和らぎます。
 県が生涯学習の一環で設置している山梨ことぶき勧学院は卒業しましたが、同級生で作ったOBの会が続いており、自主的な学習や研修での学びとその合間の仲間との語らいも楽しいです。
 さらに4年余り前から始めた甲府城御案内仕隊の観光ボランティア、地域の学校の安全パトロールボランティアも生きがいの一つになっています。
 今まで、長い間勤めてきた仕事に関わり時々請われて続きの仕事をさせていただいてきましたが、この仕事もそろそろ卒業させていただくつもりです。それでも私のライフワークともいえる仕事ですので、これからも役に立つことがあればお手伝いをしていきたいと思っています。

< ブログで日々を綴る・・・ >
 新年早々私のブログ「山と山の花」をご覧いただき、ありがとうございます。ここは、私の趣味の山歩き、山や山の花の写真、アマチュア無線、パソコン、野菜づくり、観光案内をしている甲府城のこと、その他極端にプライベートなこと以外のいろいろなことを気ままに書き込み載せているささやかなブログです。今年も、前述した「戦前」にならないような私なりの取り組みもこのブログに記事を載せていきたいとも思っています。
 このブログ「山と山の花」の中の特に山歩き、峠歩き、古道歩きに関わる内容に絞ったブログが、「私の山歩き峠歩き古道歩き」です。結構マイナーなバリエーションルートもあります。経路時間参考資料などできるだけ詳しく既述したつもりです。是非ご覧いただき参考にしてください。(もちろんあくまで参考で、実際歩く時は自己責任でお願いします。)

< ホームページもご覧ください >
 さらにこれらのブログとは別に、私のホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」があります。ホームページは、内容的にはこれらのブログと同じようなものですが、山の花の写真や山歩きの記録、アマチュア無線への取り組みの様子などを載せていて、ブログよりはずっと整理した形になっています。特に「山と山の花の写真のページ」は、名前になっていることからおわかりのように、私のホームページやブログは、全てこのページからスタート出発広がったもので、自分としてはとても充実していると思っています。ホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」は、ブログからリンクしていますので、こちらも是非ご覧ください。

< ご感想、ご意見、コメントを・・・ >
 ご感想、ご意見などコメントをいただくととてもうれしいです。ブログの記事からコメントがいただけるシステムになっています。記事の下の「コメント」をクリックしてくださると書くことが出来ます。ブログは毎日ではないですが、結構頻繁に新しい記事を書いています。

< それでは、あらためて・・・ >
 今年が、皆様にとってよりよい年になりますよう心からお祈りしております。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2017年12月31日 (日)

TBSテレビ「陸王」を見終わった

 TTBSテレビ日曜劇場「陸王」を見終わった。いいドラマという評判を聞いて、3話あたりから録画してあったものだ。

 このドラマは、地方零細企業の老舗足袋製造会社「こはぜ屋」(社長が役所広司演ずる宮沢紘一)が、会社の生き残りをかけて、世界一のランニングシューズ「陸王」の開発に向けて会社のみんなで奮闘する姿を描いた企業再生ストーリーだ。

 「本当の負けというのは、挑戦することをやめたときだ。」という言葉はいい。何度も何度も困難に突き当たりながら、あきらめずみんなで力を合わせ乗り越えていく姿は、ドラマの重要な場面で流れた挿入歌「糸」「Jupiter」も併せ、強く心に響いた。涙もろい私の涙を誘った。

 主人公の役所広司の演技はもちろんだが、寺尾聡、かしまし娘の正司照枝、松岡修造が頑張っていた。またあの「三年B組金八先生」で生徒役だった、風間俊介が銀行員役で好演していた。
 昔ながらの工場の中の様子やマラソンや駅伝大会の場面もよく撮影したなと思い感心した。行田市や青山学院陸上競技部が協力したそうだ。

 見ていて時々、かっての「北の国から」や「白線流し」を思い出していた。これらのドラマと同じように、この「陸王」も私の記憶に永く残るドラマとなるだろう。


TBSテレビ 「陸王」 
  日曜劇場 2017年10月期のドラマ
< 原  作 >池井戸潤
<スタッフ>脚本;八津弘幸 演出;福沢克雄 田中健太 音楽;服部隆之 ナレーション;八木亜希子 
<キャスト>役所広司 寺尾聰 竹内涼真 山﨑賢人 キムラ緑子 志賀廣太郎 光石研 音尾琢真 風間俊介 阿川佐和子 檀ふみ 市川右團次 小籔千豊 上白石萌音
 

2017年12月16日 (土)

「こんなところに甲府城お堀跡」(その14) 甲府城の内堀復元へ

 ・・・ 日本百名城「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・


 先日の地元の山梨日日新聞に、「甲府城南側の堀拡張」という記事が載っていた。県と市が計画している「甲府城周辺地域活性化実施計画」で、今ある内堀を拡張復元するという。

 記事によると、今ある内堀の西端から堀を南へ伸ばし、以前の県民会館の大ホールがあった辺り(今は県の公用車駐車場になっているところ)までお堀とするようだ。
 ついこの間まであった県民会館の8階建ての建物があった辺りは、芝生の「集いの広場」にするという。

P1050047_2

 この私のブログ「こんなところに甲府城お堀跡」のシリーズで冒頭に書いているように、甲府城お堀はほとんどが埋め立てられて当時のようには残っていない。唯一お堀らしいお堀で残存している甲府城南側の内堀を更に一部拡張するというニュースは、ささやかだが甲府城のお堀跡を調査研究している私にとって、大変うれしい話ではある。

P10500520

 記事には「お堀でボートが楽しめるようにする」という考えがあるというようなことが載っていたが、これはいただけない。埋めてしまった堀を昔のように復元するということで、余計なことは考えない方がいいと思う。
 周辺に飲食店おみやげやさん等を作り、地域活性化につなげたいということに特に反対はしないが、活性化という視点が余り前面に出て大切な史跡保存に影響がないよう願うものである。今でも本丸で結構派手なイベント実施されたりで、史跡が壊されないか、国の史跡指定に向けて差し障りがないか心配である。

 写真上;甲府城内堀西端から東方向を見る。この手前辺りから南にお堀が拡張されるようだ。
 写真下;遊亀橋から西方向を見る。石垣と白壁が見事。お堀の向こうが、県庁新館、防災新館だ。

 「こんなところに甲府城お堀跡」 → (その13) 朝日二丁目地内 二の堀跡

2017年12月12日 (火)

山で出会った人々(その2)

 寂れてしまった峠やあまり人が登らない山を歩き、大勢の人が登るシーズンをはずして山を歩くことが多いので、人に会って話をすることは少ないが、それでも時々登山道や山頂で出会った人と話し込んだりすることがある。

 山で出会った人々(その2)

 平成29年夏、日本三大峠の一つ「雁坂峠」を歩いた時のこと。私がほうほうの体で峠に着いた時に甲武信岳の方から歩いてきたという山ガールが一人、たばこを吸いながら休んでいた。他には誰もおらず、しばらく二人でいろいろ楽しい山談義。
 この方は、前日西沢渓谷入口のバス停から戸渡尾根を木賊山に登り、甲武信小屋に泊まり、破風山、雁坂嶺を経てここまで来たのだという。
 ずっと眺めはなく、雲の中だったそうだ。そんな中、苦労して一人で何故山へ登ってくるのか・・・聞きたい気持ちもあったがやめた。
 私よりも一足先に、峠を下っていった。

 人は色々な人生を秘めて、色々な思いを込めて山へ登っている。明るい楽しい思いを持って山へ登る人はいい。悲しい寂しい思いで山へ登る人もいる。人の人生をちょっと覗き見るような山での人との出会いも楽しく、そして貴重だ。

 平成28年12月24日の記事 → 「山で出会った人々(その1)」

2017年12月10日 (日)

甲府城の歴史紹介 地域振興の一助に

 甲府城御案内仕隊の隊員としての観光ボランティアも丸5年、来城者(来場者)に甲府城の歴史と魅力を伝えている。

P10207940 地元の人が考えている以上に甲府城来城者は多い。私たち甲府城御案内仕隊が案内をする人だけでも年間1万3千人を越える。案内を仕切れない人や、散歩やウオーキングで訪れる地元の人も多い。

 先日、県外からの甲府城来城者に、お城には珍しい温泉が城内にあった、お城の周りにも温泉が沢山あり、甲府温泉といわれていたという説明をした際、自分が褒められているようなとてもうれしいいい話を聞いた。

 前日市内のお城近くの某老舗ホテルに泊まったが、ホテルの方の対応がとても親切だったし、料理も美味しく、それになによりも温泉に入れたことが幸せだったと語ってくれたのだ。

P10207670_2 こういう話を直接聞くと地元の観光業者、他の関係の方々も頑張っているんだなと思い、うれしくなる。

 こういう親切丁寧な温かい対応、今はやりのおもてなしが、地元山梨の観光を盛んにする、地元振興の役に立つのだと思ったことだった。

 私自身、甲府城に来てよかった、また来たい、みんなにも紹介したいといわれるような案内に努めていきたい。またこうして記事をブログに書いていること自体、山梨の観光振興にほんの少しは役に立っているかなと思っているのだ。

 写真上;甲府城稲荷櫓 城内の北東鬼門にあるので艮櫓(うしとらやぐら)ともいわれる
 写真下;紅葉した桜ソメイヨシノの葉っぱの向こうに鉄門(くろがねもん)

 

2017年12月 9日 (土)

湯村山と八王子山へ 落葉の絨毯を歩く

<今年最後の勧学院27期生OBハイキングクラブの山歩きは、甲府緑ヶ丘公園から落葉の絨毯を歩き、八王子山と湯村山へのハイキングとなった。その後の忘年会も楽しみ。>

 緑ヶ丘スポーツ公園駐車場は、湯村山付近の山歩きに車を駐めさせてもらうのに都合のいいところだ。ハイキングも運動なのだし、スポーツ公園の駐車場を利用させてもらっていいのでは。

Imgp28000 緑ヶ丘公園から湯村山乗越(以前狼煙台があったところ)までは、アスファルトの車道だが、その道は落葉で隠れていた。朝の木漏れ日の中を、落葉の絨毯を踏みしめ気持ちよく登った。

 湯村山や八王子山まで、ウオーキングやトレールランニングの練習によく使われているようだ。私たちが歩いている間にも大勢の人たちとすれ違った。「こんにちわ」「気をつけて」「頑張って」と挨拶を交わすのも気持ちがいい。

Imgp28050 途中、鳥獣センターから登ってくる山道と合流する辺りから八王子山山頂までは、二三日後に行われるトレールランニングのルートになっているようだった。矢印の書かれた紙が要所要所に張ってあった。
 トレールランニングは、武田神社から積翠寺の方を廻り、和田山、鳥獣センター、八王子山、武田の森片山の駐車場まで走るらしい。

Imgp28360 八王子山頂上手前にある東屋からの眺めは、素晴らしかった。甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、白銀に輝く白根の山々など南アルプスの山々とその下に広がる甲府盆地が手にとるように眺められた。

Imgp28190 八王子山頂上からは、甲府の市街の上に御坂山塊、その上に見える富士山、こんな素晴らしい景色を見ることができて幸せといいあったのだった。
 今までのクラブの山歩きでは、行ったことのなかった湯村山の頂上にも今回は登った。ここからの眺めも捨てたものではない。

 青空の下、風もなく穏やかで、手頃な山歩きにみんな満足満足で、忘年会会場に向かった。

  (平成29年12月7日歩く)

2017年12月 1日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) 御宿かわせみに「薬研堀」 

 平岩弓枝の「御宿かわせみ」を読んでいる。その19巻「かくれんぼ」の中に「薬研堀の猫」という話がある。
 「薬研堀」ということばが出てくる訳だが、以前の私だったら何のことかよくわからなかっただろうが、甲府城のお堀跡のことを調べている今はよくわかるのだ。
 「薬研堀」は「やげんぼり」と読み、主にお城などの周りに敵の侵入を防ぐために掘られた大きな溝、お堀の種類の一つである。もっとも、この江戸時代には、この薬研堀に接している城下町の場所を「薬研堀」といったこともあったようだ。つまり町名でもあったのである。

 お堀について、断面形状による分類をインターネットで調べた。

<毛抜堀>~U字形の断面をもつ堀。水堀に多用される。
<箱堀>~箱形の断面をもつ、底の平坦な堀。水堀に多用される。
<薬研堀(やげんぼり)>底がV字形の尖った断面をもつ堀。薬研の窪みに形状が似ていることに由来する。底部の通行が困難であるため、空堀に使われることが多い。さらに諸薬研堀と片薬研堀に細分される。
<諸薬研堀(もろやげんぼり)>薬研堀のうち、両側が急斜面となったもの。空堀に使われることが多い。
<片薬研堀(やげんぼり)>薬研堀の片側を切り立ったものとした、レの字形の断面の堀。空堀に使われることが多い。鉛直に近い斜面を登るのはきわめて困難であるため、防衛に強力である。ただし、崩れやすくなる。
 <引用> 「堀」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より

 甲府城のお堀の分類はどれに該当するのだろうか。今残っている内堀跡を見る限り「箱堀」か「毛抜堀」のように思われるが、文献資料等見る範囲で今のところはっきりわからない。引き続き調べていきたい。

 その他諸々のお堀に関わる情報を、この「こんなところに甲府城お堀跡」(号外)に載せていきたいと思っている。

2017年11月30日 (木)

寒空にバラが咲いている

 もう明日から12月という今日/我が家の庭でバラが咲いている/最盛期のバラよりも小さめ/葉っぱもかなり枯れて落ちていたりするのに/バラの細かい名前は妻に聞かないとわからない 

 主にバラの世話をしているのは妻/こんな時季にも世話をするのかいという私のことばを余所に/来年もっともっと綺麗なバラを沢山咲かせようと世話に余念がない/「新しい苗も予約した」と妻

 こんな寒空の下、咲いているけなげなバラ/小さくても、花びらが少し曲がっていても素敵な我が家の庭のバラ

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2017年11月15日 (水)

「漫画 君たちはどう生きるか」を見る読む

 少年の頃、経済的にも精神的にも我が家は落ち着いておらず、私は不安定な気持ちで日々過ごしていた。年代的にも、心の不安定な頃であったかも知れない。
 そんな中、社会や人間のありよう、人の心のありよう、愛すること、友人について等々、いろいろな意味で私に強い影響を与えた本があった。

 下村湖人の「次郎物語」、井上靖の「あすなろ物語」 ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」など。(少年雑誌、学年雑誌に載っていた概略小説、粗筋物語もあったかも知れない。)
 その中の一冊に、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」があった。今もどこか我が家の物置の本箱の隅に残っているかも知れない。

 今回この「君たちはどう生きるか」が、漫画化発売されたと聞いて、これは中学生の孫に読ませなければと思って早速買おうとした。ところがあちこちの本屋さんに行って探し聞いてみたが、どこも売り切れ品切れだという。残念というより、こんなに売れているんだ読まれているんだと何かうれしくなってしまった。結局インターネットで、注文取り寄せ、手に入れることができた。

 私が少年の頃、この「君たちはどう生きるか」を読もうとした経緯(いきさつ)や、本の中身は詳しく覚えていないが、上に書いたようにものすごいカルチャーショックであったことは覚えている。
 その頃、どういう気持ちでこれを読んだのだろうか。どんな感想を持ったのだろうか。不安定な私の気持ちを落ち着かせてくれたもの、その後の私の生き方を方向付けてくれたものだったに違いない。

 今回改めて読んでみて、社会の中の自分、友達関係のこと、ものの見方、労働など、ちょうど中学生に読ませたい中身だと思った。私が生まれた10年前1937年に出された本とは思えない、いじめ、貧困など現在に通じる話題もある。いや、本の中身全部が、今の子供たちに伝えたいこと、考えてもらいたいことである。
 大筋は漫画であるが、叔父さんがコペル君に宛てたノートの部分は文章で、3~5ページにわたり文章の部分もある。

 孫がどういう反応を示すか、全部読み切るかどうか、どんな感想を持つかわからないが、「私がおまえと同じ頃、ものすごく感銘を受けた本だよ。」といいながら渡そうと思っている。

  ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 「漫画 君たちはどう生きるか」
   原作:吉野源三郎 漫画:羽賀翔一 マガジンハウス 2017年10月第5刷

2017年11月11日 (土)

紅葉の石空川渓谷を歩く 日本の滝100選「精進ヶ滝」

Syojigataki015_2<勧学院27期生のハイキングクラブの仲間と、紅葉真っ盛りの石空(いしうとろ)川渓谷を歩きました。精進ヶ滝滝見台からは、素晴らしい日本の滝100選「精進ヶ滝」を眺めることができました。帰る途中ファッサマグナ(石空川大露頭)も見学しました。>

【山行日】 2017年11月9日(木)
【 天 候 】 快晴
【コースタイム】
 むかわの湯駐車場=精進ヶ滝入口駐車場9:05~9:25三の滝(見返りの滝)~9:50精進ヶ滝滝見台10:10~フォッサマグナ~11:00精進ヶ滝入口=むかわの湯

Syojigataki003_2 むかわの湯駐車場に集合。乗り合わせて精進ヶ滝林道を精進ヶ滝入口駐車場へ向かいました。駐車場は、紅葉した木々に囲まれ、周りの芝生は色とりどりの落葉で「織る錦」でした。

Syojigatake005_2 駐車場からすぐの入口の吊り橋を渡り渓谷沿いの山道が始まりました。鉄製の橋を幾つか渡り、また鉄製の急な階段を登り、、「一の滝」、「二の滝」、「三の滝」の滝を眺めながら45分、「精進ヶ滝滝見台」へ行き着きました。

Syojigataki001 落差121mという素晴らしい日本の滝100選「精進ヶ滝」の眺めに、みんな歓声をあげたのでした。まわりの山々も黄色く赤く紅葉していました。精進ヶ滝の下方には落差40mの九段の滝も見えました。ここから見るSyojigataki010と精進ヶ滝も九段の滝も一緒になって一つの長大な滝に見えます。
 こんな素敵な滝の眺めがあるなんて、みんな来てよかったよかったと言い合ったのでした。

 帰りに、駐車場すぐの入口の吊り橋の手前にあるフォッサマグナを見学しました。「糸魚川-静岡地質構造線」石空大断層露頭だそうです。勧学院OBだけに、ハイキングに来てまで生涯学習だねと笑い合いました。

2017年10月28日 (土)

阿難坂から山梨百名山「三方分山」へ 初雪化粧の富士山を望む 

【 歩 い た 日 】 平成29年10月26月(木)
【コースと時間】 精進湖他手合浜駐車場8:00-8:10精進集落-9:00女坂峠9:10-10:00三方分山10:15-10:30精進山-11:00三沢峠(精進峠)-12:10根子峠12:35-12:50パノラマ台13:10-13:20根子峠-14:00精進湖畔パノラマ台下バス停-14:05出発地点他手合浜駐車場
【参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 精進 」 平成11年7月 国土地理院
 「 1:25,000地形図 市川大門 」 平成18年11月 国土地理院
 「 新版アタック山梨百名山 」 山梨メープルクラブ 平成22年4月 山梨日々新聞社
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社
Ananzaka002_4

 精進湖畔他手合浜の駐車場に車を駐め、精進集落から女坂峠(阿難坂)1,215mを目指した。登り道の左、昔精進小学校があったところに大杉を見る。砂防堤を三つ越えると、ジグザグの登りやすい昔の峠道になる。昔、駿河の魚を甲府へ送ったりした中道往還だ。戦国時代、織田信長も徳川家康もこの峠を越えたのだという。頭が欠けた石仏が並ぶ峠へは1時間ほどで到着した。古い峠という雰囲気であった。

 この峠から右へ行くと五湖山を越え山梨百名山王岳方面、左へ登ると三方分山だ。峠の向こう側は芦川への下り道。以前来たときには、草ぼうぼうで古関まで下れるのかなと思うほどであったが、今日見ると綺麗な峠道が下っていた。この峠道をいつか下ることがあるだろうか。

Hujisan002 峠からかなりの急坂を1時間足らずで三方分山(1,422m)へ着いた。山頂は南東方面が切り開かれ、富士山が眺められた。昨日降った雪で初雪化粧の富士山の眺めが素晴らしかった。正に富士山だ。
 この頂上から北へは、蛾ヶ岳を通り、市川大門へ続く昔からのハイキングコースの道が分かれている。途中飯田釈迦ヶ岳へも寄れる。

Fujisan008 山頂から南へ続く尾根を下る。精進山1,409mを通り、45分で三沢峠(精進峠)1,260m、さらに1時間余で根子峠。アップダウンが何回もある結構厳しい山道であった。

 根子峠から15分でパノラマ台(1,320m)へ。Fujisan007三方分山ではほとんど人に会わなかったが、パノラマ台には大勢の人がいてにぎやかであった。
 ここからも、雪化粧の富士山の眺めが素晴らしかった。眼下に精進湖、東方に西湖、河口湖、そして五湖山、節刀ヶ岳、十二ヶ岳などが眺められた。

 湖畔に降り、駐車場までの道からも富士山の素晴らしい眺めがあり、思わず写真を撮ったが、ああこれは絵はがきの写真だなと思わず苦笑い。外国人団体客も、大勢賑やかに富士山にカメラを向けていた。

2017年10月12日 (木)

甲府城から移築された経緯は? 慶長院山門

 甲府駅西、JR中央線横沢ガード(*)を北上、愛宕町下条線を突っ切り横澤通りをしばらく行ったところの左側に、横澤山慶長院がある。Keityoin005曹洞宗のお寺である。

 白壁の美しい参道をまっすぐ進むと正面に古めかしい門が見える。この門が、甲府城の山の手御門から移築した門ではないかといわれている冠木門だ。甲府空襲でも焼けずに残ったといういかにも風格のある黒門である。

 この門、インターネットで調べてみたが、いつ頃、誰に、どういう経緯で移されたのかがよくわからない。先日の街めぐりの案内をしてくれた講師の方の口ぶりもどうもはっきりしない。

 今後引き続き、色々な文献資料を調べてみようと思っている。

(*)このガードは、今工事中で通ることが出来ない。もう三年も交通止めだが、先日の新聞報道では更に3年延長して通行止めが続くという。

2017年10月 5日 (木)

リベンジ 南アルプスの女王 「仙丈ヶ岳」

<仙丈ヶ岳(仙丈岳)は甲府盆地からは眺めることが出来ない。南アルプス北部にある奥深い山で、標高は3,033m、日本百名山、花の百名山、山梨百名山だ。
 仙丈ヶ岳に、4年前平成25年8月に登った。霧と雨の中の4時間半の登りは、本当にきつかった。頂上からは何も見えなかった。もちろん頂上まで登った満足感もあったし、少しの高山の花の写真を撮ることは出来たが、甲斐駒ヶ岳と比して「南アルプスの女王」といわれているその素晴らしい山の姿や頂上からの眺望を見ることはまったく出来なかった。その時、いつかは晴れた日の眺めのよい時に、絶対再度登ろうと心に決めたのだった。>

【 歩 い た 日 】 平成29年9月30月(土)~10月1日(日)
【 コースと時間 】
<1日目>芦安山岳館7:10=8:10広河原9:00=9:30仙丈ヶ岳二合目コース入口9:40-10:20二合目-11:40四合目-12:10大滝の頭(五合目)-13:15馬の背ヒュッテ13:45-15:00仙丈小屋
<2日目>仙丈小屋6:00-6:40仙丈ヶ岳7:10-8:30小仙丈ヶ岳8:40-9:45大滝の頭(五合目)-11:00二合目-11:30仙丈ヶ岳二合目コース入口-11:40長衞小屋13:00-北沢峠13:30=広河原=芦安山岳館
【参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 仙丈ヶ岳 」 平成24年12月 国土地理院
 「 新版アタック山梨百名山 」 山梨メープルクラブ 平成22年4月 山梨日々新聞社
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社

 芦安からバスで約1時間で広河原、そこで小型バスに乗り換え北沢峠に向かう。待ち時間が少しあったので、北岳への入口、有名な吊り橋近くへ行き北岳の写真を撮った。素晴らしい晴天、素晴らしい眺めに、今日の仙丈ヶ岳登山への期待が高まるのだった。

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 北沢峠の200~300m手前林道の北沢長衞小屋へ向かう道の入口のちょうどその反対側に 「仙丈ヶ岳二合目コース入口」がある。小さい川に架かる木で出来た橋を渡り、いよいよ登山開始だ。

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 ゆっくり登る。40分ほどで二合目、ここで北沢峠から尾根沿いに登ってきた道へ合流する。前回は、北沢峠からこの尾根沿いの道を登ってきたのだ。

 二合目から1時間50分ほど林の中の厳しい登りで、五合目「大滝ノ頭」に着いた。前回はここから小仙丈ヶ岳方面に登ったのだが、今回はここから馬ノ背方面に向かう。いくつかの徒渉点、そして藪沢小屋を経て、馬ノ背フィッテに到着。大勢の登り下りの人が休んでいてごった返していた。ここでちょっと遅いお昼を食べた。

 馬ノ背フィッテから、今日の宿泊場所仙丈小屋へ進む。木々の背丈が低くなり、ハイマツになった。振り返ると去年登った甲斐駒ヶ岳が頂上付近に雪があるように白い。正面には仙丈ヶ岳、仙丈小屋が見えてきた。

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 いつもだったら、こういう風に展望がよいと勢いが出るのだが、今回は厳しい。足がなかなか前に進まない。ほうほうの体でようやく仙丈小屋に着いた。小屋の周りは寒さで我慢が出来ないくらいだったが、中はぬくぬく。生き返る思いだった。

 小屋の外へ出ると、甲斐駒ヶ岳と鋸岳が夕日に輝いていた。鋸岳の向こうには八ヶ岳が見える。

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 遠く北アルプス槍ヶ岳、穂高、中央アルプス御嶽山などなど・・・・眼下には伊那谷の街の灯が瞬きだしていた。
 夜、外にあるトイレに向かう時には、満天の星、寒くなければずっと見ていたいと思うほどだった。

 小屋は満員でごった返し、予約無しの人も含めて一畳に二人ぐらいの床だったが、小屋主の素朴で温かい対応でいい気持ちで過ごすことが出来た。

 朝、仙丈小屋から朝日が当たっている仙丈ヶ岳を見上げる。もう大勢の人が頂上に立っているのが見えた。今日あそこへ登るのだ。無事登り切れるだろうか。冷たい風が強く。リーダーの指示で着られるだけ着て寒くないような服装で出発した。所々霜柱が立っていた。

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 40分ぐらいの登りで頂上着。ちょうどそれほどの人がおらず、周りの眺望を楽しみ、写真も沢山撮ることが出来た。前回登った時には何も見えなかった頂上だが、今回の眺めは素晴らしいの一言に尽きる。苦しい中登ってきてよかった。至福の時だ。
 日本一高い富士山、二番目の北岳、三番目の間ノ岳が並んでいる、めったに撮れない写真も撮った。(残念ながら逆光で上手くは撮れなかったが。)

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 下りも気を抜かずというリーダーの言葉に気を引き締める。昨夜泊まった仙丈小屋を真下に見て歩く。この辺りが藪沢カールだという。登って来た時と少し違って岩がゴロゴロしている道を下る。時々は岩登りの様な感じで、岩々を乗り越え進むところもあった。途中、思いがけず山道脇に、二匹の雷鳥の姿を見て感激。夫婦かな、親子かな。雷鳥が仙丈ヶ岳で見られるなんて運がよかった。

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 小仙丈ヶ岳で大休憩、ここも眺めのいいところだ。前回来たときには、ここが小仙丈ヶ岳だということもわからないぐらいで通過してしまった。本当に今回はラッキーだった。付き添ってくれたガイドの方々も、「こんなに天気がよくて眺めのよい時は珍しいですよ。」といっていた。

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 無事に登り口の「仙丈ヶ岳二合目コース入口」に到着。そのまま長衞小屋に向かう。長衞小屋のカレーと水のなんと美味しかったことか。

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 帰りは長衞小屋から北沢峠まで20分位歩き、北沢峠からバスに乗った。広河原でジャンボタクシーに乗り換え、芦安へ。

 素晴らしい眺めに恵まれ、前回のリベンジを果たし満足満足の山行きだった。

 
  2013年8月12日の記事 → 日本百名山 山梨百名山「仙丈ヶ岳」

2017年9月28日 (木)

甲府城は一条小山に築かれた

<勧学院OB会「25期輝きの会」の今年度の郷土史学習講座は、甲斐市教委大嶌正之先生をお招きして、「武田氏の文化遺産」の講演とフィールドワークであった。ここでは、甲府城に関わっての話に絞って、概略を紹介する。県庁東側公用車駐車場で甲府城を眺めながらの話であった。>

 今皆さんがいるこの辺り、山梨県庁や甲府城跡の辺りは、鎌倉時代前期に甲斐武田氏第4代武田信義の次男 武田(一条)次郎忠頼の館として開発された。この辺りは地形が隆起していたため、「一条小山」と呼ばれた。一帯は、古代甲斐国山梨郡青沼郷に属し、鎌倉以降甲斐国山梨郡一条郷となった。

 一条忠頼が源頼朝によって謀殺された後、夫人は菩提を弔うため館を尼寺に改修し、一条道場と称した。その後、忠瀬の兄弟である武田(石和)五郎信光の子信長によって再興された。正和元年(1312年)に信長の孫時信の時代に時宗の二祖真教上人が甲斐国一条道場を訪れたことから、時宗に改宗、僧寺として寺名を稲久山一条道場「一連寺」と号した。

 その後、天正10年(1582年)以降徳川家康の甲府城築城開始により一連寺は現在地へ移されたのであった。

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 大嶌先生の話は、この他 「武田氏の原点」、「黄梅院跡」、「飯田河原合戦供養板碑」、「大井俣窪八幡神社」と続いた。
 今日のメインイベントである武田勝頼終焉の地である「天童山景徳院」へは、昨日の台風襲来で道路が荒れているのではないかということで、誠に残念ながら行かずじまいであった。

     写真;甲府城の見事な野面積の石垣と白壁 鍛冶曲輪から稲荷曲輪へ向かう

      (講座は9月12日実施)      

2017年9月26日 (火)

私のブログ「山と山の花」の記事数が1,000件に

 私のこのブログ「山と山の花」の記事数が、今書いているこの記事で1,000件になった。このブログを書き始めたのが、平成14年(2002年)1月5日からだから、15年半年余りで記事数1,000件になったということである。

 多分記事をいっぱい書いてアクセス数も多いブログは他に沢山あるだろうけれども、15年間コンスタントに記事を書き続け、記事数1,000件になったブログはそれほど多くないだろう。結構みんなに読まれ有名になったブログも、いつの間にか更新されなくなりいつの間にかなくなっていたということが多いのだ。

 このブログは、ブログのタイトルにしているように、主に私の山歩きの記録を山や山の花の写真とともに載せているが、その他アマチュア無線、パソコン、野菜づくりのことなどを載せている。最近は、「定年後の暮らしは」というテーマで、読書、映画、甲府城の歴史、生涯学習で学んだことのレポートなど多種多彩の記事のアップになっている。

 少し巾が広がりすぎたかなという感じもあるが、ブログの記事が多方面に渡り頻繁に書かれ載せられているということは、それだけ私が充実した日々を過ごしているということだろう。

 このブログは私が今生きている証なのだ。このブログが書き続けられているということは、私が生きているということなのだ。

 こちらもお読みください → ブログを10年書いてきて

2017年9月25日 (月)

「マイあさラジオ」の『お便り』に癒やされる

 NHKラジオ第一放送「マイあさラジオ」で流される『お便り』には、同感したり小さい感動があったり、楽しく聞いている。不思議と癒やされることが多い。

 もちろんどうゆうお便りを採用するかは、番組制作のスタッフの恣意が入り込むわけだが、それでもスタッフが意図していないあるいは気がついていない内容のお便りなども放送されるのではないかと思う。

 季節の移ろい、地域の話題、家族の動静などが多いが、時には身内の介護のことや障害を持った子供の躾けの苦労など重い内容もあったりする。アナウサーも結論的なことをいわないのがいい。

 まだ起きていない家族がいるので、その他の時間は最低限の音量で聞いているのだが、「お便り」の時は音を大きくして聞いている。

 今朝も「お便りを」楽しみに、「マイあさラジオ」を聞いた。いつかは私も『お便り』を送ってみようかなと思っている。

2017年9月23日 (土)

定年後の暮らしは山登り三昧 山梨百名山「三ッ峠」に登る

<勧学院第27期生OBハイキングクラブの今回の山行きは、岩登りのメッカ山梨百名山「三ッ峠」となった。もちろん私たちは岩登りをするわけではなく、ごく普通のハイキングだ。東京辺りから来る方たちは、富士急線三ッ峠駅から登る人が多くこちらが表登山道のようだが、今回私たちは裏登山道の御坂峠側から登った。今日の記事の最後に、40年ほど前に私がこの三ッ峠に登った時のレポートも載せておいた。その頃はこんな簡単なレポートだった。>

 いつものように北巨摩合同庁舎に集合、車相乗りで、三ッ峠裏登山口金ヶ窪沢登山口に向かった。この登山口の駐車場を三ッ峠と反対方面に行くと、何年か前に登った清八峠を通り山梨百名山「本社ヶ丸」へつながる。本社ヶ丸に登った時は駐車場が満杯で駐めるのに苦労したが、今日は駐車場はガラガラでスムーズに駐められた。Fuji002

 車高の高いジープのような車では登れるかなというほど広い山道を登った。しかし所々かなりの急坂があったり、石がゴロゴロしているところがあったりで、やはり山登りの道だと思った。山荘や頂上付近に沢山ある無線設備鉄塔などのメンテナンスの車が登るのだ。

Mitutoge005 林の中をひたすら登った。尾根に登りきり、急に開けたところにある三ッ峠山荘前では、富士山がよく見えていた。真っ青な青空をバックにというわけにはいかなかったが、やっぱり富士山はいい。

 ロッククライミングの岩場も見えた。昨日のことだか、ここで滑落した人がいてヘリコプターで救助されたとのニュースがあった。岩登りは魅力があるのだろうが、危険と背中合わせなのだ。最近新聞には毎日のように道迷い遭難などの記事が載っている。安全に気をつけて登りたいものだと思う。

 頂上(開運山 1785.2m)には、三角点があり山梨百名山の木標や石の表示盤方位盤など賑やかであった。富士を眺めながらお昼Torikabuto002をという話もあったが、時間が少し早いので北に見える御巣鷹山で食べようということになり先に進んだ。ところが御巣鷹山は、大きな建物と鉄塔が建っているだけで、頂上を示す表示板などもなく眺めもなく、食事をするような場所ではなかった。

 結局最初に富士を眺めた三ッ峠山荘前に戻り、そこでゆっくりお昼とした。

 登りは、1時間半ほどかかったが、下りは1時間ほどで下りきった。下りは余裕で、登山道脇の花々を眺めたり山の四方山話をしながらの楽しい下りであった。
 その後、「みさかの湯」で温泉に入り汗を流したのだった。この「みさかの湯」の庭は、大きなバラ園で季節には綺麗なのだろう、その頃また来てみたいと思った。

                         ( 平成29年9月20日登る )

 ************************

□ 昭和53年8月2日 「三ッ峠 」 □
 御坂旧道は通る車も少なく両側から草木が覆い被さっていた。御坂トンネルは灯もなく真っ暗。トンネルを出たところの天下茶屋は既になく、ちゃちな売店のような建物があるのみ。富士は見えなかった。三ッ峠入口9時。頂上に無線中継所があり、そこまでジープが登るらしく、割合広い道が頂上まで通じていた。稜線に出たのが10時20分。木無山、開運山、御巣鷹山を歩き回り、11時50分下山。

2017年9月22日 (金)

ラジオ深夜便「明日へのことば」 富丘太美子さんの話

 NHKラジオ第一放送のラジオ深夜便「明日へのことば」は、時々早く目が覚めたときなどに聞いている。聞いている人の少ない早朝にはもったいないいい話が多く、私は寝ずにそのままずっと聞いてしまうことが多い。
 ラジオ深夜便は、この「明日へのことば」が終わると、誕生日の花、花言葉の紹介があって終わる。もっともこのすぐ後、「マイあさラジオ」が始まりずっと聞いてしまうのだが。

 今朝のラジオ深夜便「明日へのことば」は、画家富丘太美子さんの「鋳物工場の“美しさ”を描く」というお話であった。どちらかというぼくとつとした素朴な話しっぷりで、決して話がうまいということではないが、実感のこもった、味のあるいい話であった。

 40年間小学校教師をしていたということで、親しみを持って話が聞けたのかもしれない。忙しくて子供たちに十分なことがしてあげられなかったといっていたが、私も同じ思いだ。
 絵は退職する前は、余り描いたことがなかったという。退職後、亡くなった旦那さんがよく絵を画いていて、絵に描かれた工場がどこかと探していて鋳物工場の絵を画くようになったそうだ。

 工場で働いている人たちの邪魔にならないように写真を撮って、それを元に絵にするのだという。話の端々に、工場で誇りを持って真剣に働く人たちへの慈しみの気持ちを感じた。それが素晴らしい絵を描かせているのだろう。
 自分の絵はまだまだ50点だという。100点になるまで描き続けて欲しいと思ったのだった。 

 この放送は、インターネットの「ラジオ深夜便」のホームページで、聞くことが出来るという。大勢の人に聞いてもらいたいものだと思った。

2017年9月18日 (月)

「くろちゃん甲府城つづりⅡ」「豊富郷土資料館のブログ」復活を願う

 私が、このブログ「山と山の花」を書き始めて15年が経った。記事数も1,000件に届きそうだ。我ながらよく続けていると思う。

 さて、よく見ていたホームページやブログが、更新されなかったり閉鎖されてしまったり寂しい思いをすることがよくある。
 以前「峠のむこうへ」というホームページがあり、私の好きな峠歩きの「師匠」でもあった。千田さんという方が書いていたのだが、仕事でも忙しくなったのか何年か前に更新がなくなってしまった。
 それでも、しばらくは観ることが出来、その後も峠歩きの参考にさせてもらっていた。千田さんは山梨県の峠もよく歩き、文献等もしっかり調べての記事は本当に素晴らしいものであった。学術文書のようなときもあった。
 更新がなくなってもしばらく観ることの出来たホームページも、残念ながらやがてホームページそのものがなくなってしまった。

 最近、寂しく残念に思っているのが、「くろちゃんの甲府城つづりⅡ」と「豊富郷土資料館のブログ」の二つのブログが4月以降半年更新がないことだ。

 二つのブログとも、以前は更新が頻繁にあり、内容も大変勉強になり、楽しく読ませてもらった。イベントの告知や実施後の様子の報告などもあり、地域振興、観光振興にもずいぶん役に立っていたのではないかと思う。

 どうも、ブログを書いていた担当者が他部署へ異動してしまったようだ。奇しくもくろちゃんの方が、3月31日「平成28年度最後の日!」、豊富資料館の方が同じ31日「勤務最後の日」という記事を最後に更新がなくなっている。

 担当者が替わってということは、まああることで仕方がないのかも知れないが、なんとか替わりの方が書いてくれないかなと思う。復活を願っている。

2017年9月17日 (日)

「こんなところに甲府城お堀跡」(その13) 朝日二丁目地内 二の堀跡

 正に「こんなところに甲府城お堀跡」だ。いつも通っている北へ一方通行の朝日町通りのちょうど中間辺り、通りの西側「互助センター友の会」の駐車場の奥に「二の堀」跡発見。この駐車場建物の北側の東西の通りも朝日町通りから横沢通りへの抜け道でよく通っている道だ。

Ninohori008 余談になるが、この朝日町通りは、甲府駅北口が出来る前は山梨大学の学生さんが通学でよく通った道だそうだ。昔からの商店街衰退がいわれている中で、現在もハナミズキ祭、夏祭りなどのイベントを開催したりで頑張っている商店街だ。

 この朝日町通りは、よく引き合いに出している山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」を見ると、「新先手小路」と表記されている。

 写真は、駐車場から西方向を見ているが、堀跡の遙か向こうに見えるのが「魚春寿し」さんである。二の堀は、この魚春寿しさんの建物の下を通り(もしかしたらお堀は埋まっているのかも知れないが)、左(南方向)に曲がりあの御金蔵稲荷のある朝日公園西側の堀跡につながるのだ。

 「こんなところに甲府城お堀跡」(その1)で書いた朝日公園から東側に伸びる二の堀跡がつながってうれしくなってしまった。妻に、「どぶみたいな川や溝を見て廻って何が楽しいの。」と嫌みを言われるが、益々甲府城お堀跡めぐりが面白くなってきた。

 「こんなところに甲府城お堀跡」(その1) → < 朝日町自治会館南 二の堀跡 > 

2017年9月15日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡(その12)」 武田一丁目地内 二の堀跡

・・・ 日本百名城「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・
 

 「こんなところに甲府城お堀跡」12回目は、NPO法人つなぐのフットパスに参加しての探索、「武田一丁目地内石橋酒店北 二の堀跡」。Ninohori002_2

 甲府駅北口集合、この辺りが甲府城清水曲輪だという。バス停の脇には石垣跡が残っている。曲輪の北西隅には清水櫓がそびえていたのだろうか。

 愛宕町下条線を朝日町方面に進み、甲府合同庁舎北の信号を右に曲がる。この角には旧法務局の建物があった。今はマンションが建つとかで工事が盛んに進んでいる。

 右に曲がり、北に向かうこの通りが昔の「御手先小路」だそうだ。この道を北に進み、新紺屋小南西の信号手前100m位に、東に向かう狭い道がある。(車は通れない。)、その数m南、今は駐車場になっている空き地と石橋酒店の間の先に側溝が見えた。これが東西に伸びる甲府城二の堀跡である。

 家と家の間を流れる溝のような感じで、底はコンクリートで固めてある。先の方は草ぼうぼうで、よく見えない。

 山梨県埋蔵文化財センターの「平成城下町絵図」を見ると、ちょうどこの辺りに「堅町口」があったようだ。

 写真)「御手先小路」の道路から数m入ったところ(駐車場脇)で、東を見ている。手前は暗渠になっている。

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