<イチリンソウの花の写真を撮るのがメインだったが、懐かしい金子峠道も歩いた。その後歩いた金子峠から中峠・和田峠までの尾根道は、前回歩いたときは踏み跡もはっきりしとても快適に歩ける山道だったが、今回は倒木が一杯で一部踏み跡もはっきりせず、楽観できないルートになっていた。十分注意して歩くのがいい。ルートを外して、右側帯那側だったらまだいいが左側へ下ってしまうと大変難儀することになる。
積翠寺から淡雪山を経て湯村山まで甲府北山尾根道を歩く人も結構大勢いるようだが、金子峠から和田峠までは場合によったら帯那の集落側のアスファルト道を下った方がいいかもしれない。藪尾根歩きのベテランの方には余計なお節介だが。>
【歩いた日】令和3年4月12日(月)
【コースタイム】
和田峠中腹駐車場(9:00)~ (9:30)小松山(9:40)~ (10:00)中峠口 ~(10:20)金子峠口(10:30)~ (11:00)金子峠(11:10) ~尾根道を歩く~ (11:45)中峠~(11:50)石の祠~(12:05)和田峠~(12:25)和田峠中腹駐車場
【参考にした資料 】
「 1:25,000地形図 甲府北部 」 国土地理院 平成2年2月
「甲府自然休養林ハイキングマップ 」 林野庁山梨森林管理事務所
<武田の杜遊歩道入口>
甲府市街から県道104号天神平甲府線の和田峠を稲妻形に登って行き、県立鳥獣センターを過ぎしばらくして大きくカーブするところ(見晴らし広場のひとつ手前のカーブ)道脇に車2台ぐらい駐められる場所がある。ここが武田の杜遊歩道の入口だ。案内看板も設置してある。この武田の杜遊歩道は、ずっとこの先積翠寺方面まで甲府市街北部の山の中腹を貫いているいわばトラバース道だ。
<イチリンソウはまだ開いていない>
武田の杜遊歩道の入口を入ってすぐイチリンソウの群生地がある。辺り一面一杯白い花が咲いていたが、朝まだ早いということで完全に開ききっていない。入口から数分だから、帰りにもう一度撮りに寄ろう。
<甲府名山10小松山へ>
イチリンソウ群生地を過ぎ、その先の和田峠の上の方から流れてくる小さな沢を渡る。道脇にはイカリソウが一杯咲いている。武田の杜遊歩道といったん分かれ、山道を右にとる。やまなしの森100選「小松山のアカマツ林」という看板が立っていた。なるほど赤松の木がいっぱいだ。分岐から少し下り、また登りになり階段状になっている山道を登ると甲府名山小松山頂上(510m)だ。

富士山は靄ってよく見えないが、甲府盆地の街並みがよく眺められた。また西方向手前には、先日来何度も登っている法泉寺山がかっこよく見えた。

<小松山から中峠口へ>
小松山頂上で10分ほど休み、先ほどの分岐に戻り、中峠口へ向かう。ここから先もほとんど平らな山道だ。右側下には塚原、武田、積翠寺辺りの家並みを見下ろすことが出来る。途中、ハルリンドウの群生地があった 。

イカリソウ、ヒトリシズカなどの花も咲いていて、うれしくなった。小松山分岐から20分ほど進んだところに、小さな沢が10m程離れて二つあり、一つ目の沢付近にイチリンソウの花が一杯咲いていた。

二つ目の沢が中峠へ上る山道だ。ここから下れば塚原の集落に行き着くのだろうが、はっきりとした下る道は確認できなかった。ここから登れば中峠(塚原峠)だが、今回は金子峠から尾根道を廻って中峠に行くことになる。

<初めて歩く道 中峠口から金子峠口へ>
ここからは初めて歩く道だ。今までと同様ほとんど平らな道が続く。右下方向には、林間に武田神社の森や竜が池が見えた。20分ほどで金子峠口だ。塚原の集落から金子峠へ登る峠道のちょうど中間ぐらいに出たことになる。この金子峠へ登る山道は、学生時代養護施設建設のボランティアで上帯那へ上るために何度も歩いた懐かしい道だ。
<金子峠口から懐かしい峠道を金子峠へ>
塚原集落からの峠道の途中からだが、金子峠へ向けて歩き始めた。稲妻形に登る山道は、さすが昔の峠道だ、とても登りやすい。金子峠口から登り始めて30分で、金子峠に着いた。峠の10m程手前に石仏を見る。

この金子峠には、学生時代以降も上帯那、大正池側からも何度もきている。上帯那側からは、車で10m手前ぐらいまで来れるのだ(^0^)
峠を西に向けて10m程登ったところに甲府市の広報に以前載っていた板碑(石碑)がある。室町時代末期のものだそうだ。
<金子峠から中峠へ尾根道を歩く>
金子峠から中峠に向けて尾根道を上る。しばらくは上り坂だがすぐ平坦な山道になった。725m峰は、あっという間に通過。倒木が沢山あり、歩き難い。踏み跡も所々薄くなり、進む道が分からなくなるが、所々にある赤テープを頼りに進む。以前に歩いたときは、もとはっきりとした踏み跡があり、安心して歩けた記憶があるが、少し楽観できないルートになってしまった。ルートファンディングの目が必要な道になった。まあ、こういう山道の方が楽しいという人もいるが。
<中峠(塚原峠>
中峠(塚原峠ともいう)には石仏が三体ばかりあり、古い峠であることがわかる。向こう側へ下ったところが塚原の集落である。塚原から中峠を歩いて越え、千代田小学校へ毎日通っていた校長先生がいたという。「車窓の山旅・中央線から見える山」の著者山村正光のさんのお父さんだ。

<中峠から石祠を見て和田峠へ>
峠からさらに南西方向に少し登り尾根を歩く。最初の登口に、イワカガミの群生がありうれしかった。こんなところにもイワカガミが咲いていた!

ここの山道も距離的には短いが、楽観できない。ピークに石祠を見て下り始める。

道はかすかな踏み跡程度、その踏み跡を外さないように神経を使った。階段状の山道になると、出口が近い。そこから小さい沢に架かっている橋(このすぐ下がカタクリの群生地)を渡って和田峠の天神平甲府線の道路だ。アスファルトの道を下って、20分で先ほど車を駐めた場所へ戻った。
そのまま山道に入り、先ほどのイチリンソウの群生地へ、今度は沢山のイチリンソウの花が完全に花開いており、思う存分写真を撮った。

こちらの記事もご覧ください
2012年3月10日の記事
→ 金子峠から中峠、和田峠へ 尾根道を歩く
<追記>
「金子峠」について、以前峠について素晴らしいホームページを作っていらっしゃった『峠のむこうへ』さんから下記のようなコメントをもらっています。
・・・やはり「甲府勤番の金持ちが通った」としているのは『日本山岳ルーツ大辞典』(竹書房)でした。ちなみに『三省堂日本山名事典』には、「古くは信濃への間道で武田勢の信濃侵入の経路であった」と書かれています。もしや、峠には武田の軍資金でも眠っているのでは?・・・
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