2012年1月26日 (木曜日)
「三丁目の夕日」は、前二作も映画館で観ました。先日は、テレビで改めて両方とも見てしまいました。
そして三作目「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を、昨日映画館で観てきました。しかも、話の種になるかなと思って、3Dで。一口でいって、観てよかった心温まるいい映画でした。
「北の国から」のあの子役だった吉岡さんがこんな役をするようになったんだとか、遙か昔のある講演会で車で送迎したことがある米倉さんや「3年B組金八先生」の保健の先生だった高畑さんが出ているとか、まあ映画の筋とはあまり関係ないところで、感慨深いものもありました。
3D映画は、始めて見ましたが、原理的には昔雑誌の付録などにあった飛び出す絵と同じだな?と思いました。東京タワーを上から見たところとか、模型飛行機がこちらへ飛んでくる場面など、さすが迫力はありました。めがねをかけるというところに少々抵抗があり、見づらかった。
この映画、早くも第4作も期待されているようですが、そうすると時代は昭和40年代に入ってしまい、西岸良平さんが漫画で描いている時代がちょっと先に行ってしまうじゃないかななどと余計な心配までしてしまいました。
原作;西岸良平「三丁目の夕日」(小学館「ビッグコミックオリジナル」)
監督;山崎貴
出演;吉岡秀隆/小雪/須賀健太/堀北真希/堤真一/薬師丸ひろ子/小清水一揮/
三浦友和/米倉斉加年/高畑淳子
音楽;佐藤直紀
製作;「ALWAYS 三丁目の夕日'64」製作委員会
配給;東宝
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2012年1月19日 (木曜日)
今日(1月18日)も「峠を行く」。今回は、山梨県峡南地方 宇野尾峠 鳩打峠 地蔵沢峠 勝坂峠を訪れました。
市川大門の知人の家に寄り、先日歩いた割石峠下の割石トンネルを通り、落居、岩間、久那土と進みました。
<宇野尾峠>
旧宇野尾トンネルは、いつだったか通ったことがあったので、だいたい見当はついていました。今回も最初、樋田側から先日降った雪がまだ少し残るトンネルの道を走ってみたのですが、峠の登り口がよくわかりませんでした。おまけに車を置く適当な場所が見つからず、旧六郷町宮原側にしばらく下ったところから、ずいぶん立派な新宇野尾トンネルをまわって、結局久那土小中学校の前の河川敷公園の駐車場に車を置き、歩き始めたのでした。
折門、八坂峠へ行った時、何度も通った県道404号古関割子線を右に分け、414号山保久那土線を樋田川沿いに北へ進みます。(確かこのままずっと行くと先日訪れた堀切峠、藤田峠、帯那峠方面に抜けるはずです。)
山保久那土線に入ってほんの50mも行かず左に入っていく狭い舗装道路があります。入ってすぐ一軒の家の後、山裾斜めに上っている山道を見つけました。(やはり車に乗っていたのではだめだったのです。)これが宇野尾峠道でした。
以前、山梨日々新聞に記事が載っていましたが、渡辺知男さんという方が補修したという歩きやすい峠道をわずか10分ほど登ってすぐ峠に着きました。途中、峠道の脇には、ひとつの馬頭観音も見ることができました。
その説明板には「鳥能(宇野尾)峠は駿州と甲州を結ぶ主要古道で生活物資等の搬送路として愛馬の霊を祀り道の安全を祈願した 樋田区」とありました。峠の北側少し登ったところには樋田地区の墓地がありました。 
<鳩打峠>
国道300号線から入り、結構広い舗装道路をあまり時間もかからず、鳩打トンネルでした。トンネル手前にあるという登り口がなかなか見つからず、行ったり来たりしました。ようやく雪に半分埋まった「YBS・NHKテレビ・・・」という小さな標柱があるところが登り口だとわかり、登り始めました。雪はすぐなくなり、落葉の踏跡が上へ上へと向かっ
ていました。
10分ほどで峠でした。鉄で出来た矢印の標識と電柱がありました。峠の左右尾根沿いが土手のようになっておりこれは何?もしかしたら土塁?と思ったのでした。単なる土の盛り上がりかもしれません。
<地蔵沢峠>
一色、和平を経て勝坂方面へと考えて進みましたが、途中和平方面への別れ道で「工事中通行止」という表示板があり、安全を取って甲斐常葉駅方面に戻り、市ノ瀬駅脇から勝坂方面に向かいました。この
道も、前に通ったことのある道です。
少し走り登ったところに三叉路がありました。この場所が地蔵沢峠だそうです。峠を示すものは何もなく、写真にあるような道路標識とカーブミラーが立っているだけでした。峠から見える距離のところで、二人の方が測量をしていました。中部横断道がらみの測量か?と思いましたが、ここは中部横断道が通るところと若干離れているかな。
<勝坂峠>
以前通ったことのある勝坂峠、その時はここが峠だという意識はあまりありませんでしたが、今回改めて訪れてみて、ああなるほどここは峠だと思いました。
南アルプスの山々も少し眺められるほど眺めのいいところでした。平地で、周りには何軒か民家がありました。昔は、峠の茶屋が何軒かあったとか、そんな雰囲気のある峠でした。
*********************
今回の「峠を行く」は4ヵ所、そのうち2ヵ所は車で訪れました。峠道を歩くというならば、本当は峠道を里から歩いて登り、里まで歩いて下るのが本筋だろうとは思うのですが。
2ヵ所は多少なりとも歩いて登り、少しは峠の雰囲気を感じることが出来たといえるかもしれません。
私なりの峠歩き「峠を行く」は、まだまだ続きます。
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2012年1月15日 (日曜日)
県立図書館で、昭和14年発行深田久弥編の「峠」(青木書店)を他の図書館から取り寄せてもらい、その本を受け取りにいった時、ついでに矢崎茂男さんの「リュックサックの中身」を借りて来ました。
この「リュックサックの中身」は、前に一度借りて来て読んだこともあるのですが、今朝は思いのほか寒く、予定していた外での作業を止めにして、暖かい部屋の中で、改めて読んでみました。
文章のうまさに驚嘆しました。面白いのです。思わずどんどん読み進めることが出来るのです。この人は、山へ登ることと同時に、文章を書くことの資質もあるのだなと思いました。
だからこそ沢山の山の本を出しているのでしょう。矢崎さんは、ふるさと文庫から「月曜日の山」など結構沢山の本を出しており、私もよく読んでいます。
この「「リュックサックの中身」は、矢崎さんがごく初期に書いた本のようで、私も同じ仕事をしていたということもあって、色々よくわかることがあり頷きながら読みました。
ある再会のこと/秋の仙丈岳/北八ヶ岳の思い出/・・・など、読んでいて時々涙が出てしまったところもありました。
今は私のよく知った地域の職場に勤めているとか、一度お会いして山の話などお聞きしたいものだと思ったのでした。
* 「峠」 深田久弥編 青木書店 昭和14年
* 「リュックサックの中身」 矢崎茂男著 近代文芸社 1997.9.30
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2012年1月 9日 (月曜日)
昨日、久しぶりに峠を歩きました。去年11月8日に右左口峠を歩いて以来2ヶ月ぶりです。今回は、市川大門から六郷方面へ抜ける峡南の峠のいくつかを探索しました。
<帯那峠>
この峠の下のトンネルは、若い頃から四尾連湖に行く時何回も通ったので
す。行くたびに新しい道路やトンネルが出来ていました。
市川大門の街から身延線の踏切を渡り、しばらくいったところに「旧河内路」という石碑がありました。広域農道を横切り、市川公園を過ぎると山の中の舗装道路です。旧道を登ろうと考えながら行きましたが、結局見つからず新帯那トンネルに入ってしまいました。
トンネルを出たところで、右側に入る道路があったので進みました。50mも行かないで、「帯那峠と石龕」という表示板を見つけました。市川大門町の教育委員会が設置したようです。(「市川三郷町」教育委員会と書き直してありました。)車もほとんど通らないようだし、結構広い道路だったので車を路肩へ置かしてもらいました。
すぐ獣避けの金網柵があり、戸を開けて(もちろんきちんと閉めて)進みました。車も十分通れる舗装道路でしたが、15分ほどで峠に着いて歩いて正解だと思いました。
真新しい社(やしろ)の奥に「帯那峠の石龕」が見えました。社は中央市の某氏のつい
最近の奉納であることが吊してある幕でわかりました。
真新しい社とは対照的に、峠の両側の一段高いところにそれぞれ古い祠が見えており、こちらにも手を合わせました。
右の写真が、帯那の集落をちょっと過ぎたところから撮った帯那峠です。峠であることがとてもよくわかります。先ほど見た真新しい社が見えるようです。
<藤田峠>
四尾連湖へ行く途中、藤田の集落を過ぎ、大きく左へカーブするところが藤
田峠のようですが、はっきりと確認は出来ませんでした。
集落に戻り、「藤田のヒン曲り石龕」という表示板があるところの路肩にちょっと車を駐め、歩き出してすぐ右のコンクリートが流してある小道をトラバースしたところに、「藤田のヒン曲り石龕」がありました。何故「ヒン曲り」というのか見ただけではわかりませんでした。
南向きの日当たりのよいところにあり、脇には水仙の花が綺麗に咲いていました。
藤田集落の手前に「藤田栃久保の石龕 町文化財 380m」という表示板があり、小道を進み探してみましたが、これは結局見つけることが出来ず、心残りでした。
<堀切峠>
藤田集落の手前500m位のところに右へ斜めに分かれていく道がありました。そこには「堀切峠の石龕」という表示がありました。そこから800mぐらい進んだところが峠状になっていました。ここが堀切峠で、まっすぐ下ると堀切の集落に行き着くのでしょう。
わずかにある踏み跡を頼りに雑木をかきわけ5mばかり登ったところに「堀切の石龕」がありました。いまでも峠を通る人々(車)を見守っているように感じられました。
<割石峠>
堀切峠から尾根道を走る道路を六郷町岩間に抜けました。すぐ着くかなと思ったのですが、(もしかしたらちょっと道を間違えたかもしれません)30分ももっとかかったかなと思う位時間がかかってしまいました。途中、いくつもの集落がありました。今は道が通り、車があるからいいのですが、歩かねばならない時代は大変だったろうなと思ったのでした。
甲斐岩間駅前の大通りを通り、落居を過ぎると割石トンネルです。
黒沢側に出たところに左に折り返すような舗装道路があり、きっとこれが旧
道だと思いながら進むとすぐ旧割石隧道でその手前に「割石峠の石龕」という表示板がありました。
車を路肩へ駐め、踏み跡も薄い山道を木や笹だけの枝を避けながら10分ほど進んだところに、竹藪に埋まりそうになりそうな「割石峠の石龕」を見つけたのでした。
峠状のところは竹林で通れません。でもそこから石龕に向かって登っている石の階段が枯れ葉の下に確認出来ました。
写真でも、割石隧道の上に割石峠が確認出来ますが、やがて何時かは竹林に覆われ、峠も石龕も埋まってしまうのでしょうか。
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2012年1月 1日 (日曜日)
甲府盆地は、昔と変わらずの寒さの中、うっすらと漂う薄雲の空の下で、清々しい新しい年を迎えました。
私は、新年になって早々夜中の0時過ぎに、まずアマチュア無線の仲間と無線で新年の挨拶を交わしました。(毎年の行く年来る年の恒例行事です。)
朝7時過ぎには、近くを流れる荒川の千松橋下流右岸土手の上から、荒川河川敷・甲府の街並み・三つ峠の山の上から雲を照らし昇る初日の出を、やはり初日の出を見に来ていらっしゃる大勢の方々や新年早々の朝のウオーキングをしている人々と一緒に眺めました。
元旦の朝、今年もこうして元気に初日の出を眺めに出ることができて、よかったと思いました。気持ちがとても明るくなりました。
今年が、公私ともいい年でありますようにと祈らずにはおれません。
私は、まもなく定年退職後4年となります。まあまあ心身ともに健康に恵まれ過ごしています。このブログでもよくふれていますが、近くの公園や河川敷のウオーキング、山歩き、峠歩き、、時たまのゴルフなどが健康の秘訣かも知れません。
野菜作りも気持ちが和らぎます。昨年始めた勧学院での学びとその合間での仲間との語らいも楽しく、正に生きがいの一つになっているかもしれません。
そして、長い間、勤めてきた仕事に関わって、時々請われて小さい仕事をさせていただいています。(小さくてもとても大事な仕事なのです。)これからも、役に立つことがあれば精を出していきたいと思っています。
さて、今回は、新年早々、私のブログ「山と山の花」においでいただきました。ありがとうございます。あるいは、今年の私の年賀状を見てアクセスしていただいた方もいらっしゃるかもしれません。
ここは、私の趣味の山歩き、山や山の花の写真、アマチュア無線、パソコン、野菜づくり、その他仕事と極端にプライベートなこと以外のいろいろなことを気ままに書き込んでいるささやかなブログです。
また、ブログとは別に、私のホームページともリンクしています。ホームページは、内容的には、ブログと同じようなものですが、山と山の花の写真のページが自分としてはとても充実していると思っています。ブログよりは整理した形になっていると思います。こちらも是非ご覧ください。。
ご感想、ご意見などコメントをいただくととてもうれしいです。ブログの記事からコメントがいただけるシステムになっています。記事の下の「コメント(0)」をクリックしてくださると書くことが出来ます。
ブログの方は、毎日ではないですが結構頻繁に新しい記事を書いています。
それでは、今年もよろしくお願い致します。
最後になりましたが、皆様方にとって今年がよりよき年になりますよう心からお祈りしております。
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2011年12月22日 (木曜日)
今年も寂しくなった我が家の庭で冬菊が咲いている。「続々々 今年も冬菊が咲きました」をアップすることにする。
以前にも書いたが、菊は花の盛りはもちろん11月頃だが、冬になっても咲き続ける菊がある。野性味の濃い小菊が寒さには強い。
冬になっても咲いているので、「冬菊」、「寒菊」、「残菊」、「晩菊」などと色々に呼ばれる。晩秋や初冬の花の少なくなった時期の庭を彩る貴重な花である。
しかし年を越える頃にはやはり枯れてしまい「枯菊」と呼ばれるのだそうだ。
* この冬菊のページには沢山のアクセスがある。短歌や俳句を作る人が検索するのだろうか。
* 2010年12月 8日 の記事 → 続々 今年も冬菊が咲きました
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2011年12月16日 (金曜日)
めったにないことだけれども、見なければよかったと思ったあの映画「一命」以来、久しぶりに映画を見に行きました。入場料が1,000円に戻ったからということもあります。(TOHOシネマズの判断は正しい!)
最初の回10時過ぎからの開始で、あまり混んでいなくてよかったです。
映画そのものもゆったり流れており、三浦友和さんの落ち着いた演技がよかった。そして「おくりびと」以来注目し、先日NHK第一のときめきインタビューでもいい話をしていた余貴美子さんがいい味を出したいい演技をしていました。益々好きになりました。
また、雪を被った立山連峰をバックに走る電車の風景もよかったです。
「RAILWAYS 」の1があるそうで、こちらもいつか見てみようと思いました。
映画『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』/主演;三浦友和/共演;余貴美子、吉行和子、小池栄子、中尾明慶/監督;蔵方政俊/配給;松竹/公開日;2011年12月3日
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2011年12月10日 (土曜日)
現職で仕事をしていた頃、頻繁にあった集まりや式での話は、少しでもみんなの心に残るように工夫したつもりである。しかもできるだけ短い話をと心がけた。(長い話は、みんなから嫌われことがわかっていた。)
1月のある集まりで、こんな話をした。
「私は山へ登るのがとても好きだ。ここから見える周りの山々全部に登ってみたいと思っている。山の頂上に登るのには、麓から一歩一歩、歩いていかなければならない。時には疲れていやになってしまうこともある。ところどころ眺めのいいところがあって一休みもする。そうして、またがんばって小さな一歩でも歩き続ければ確実に頂上に近づいていくのだ。苦労して頂上に着いたときの喜びはとてつもなく大きい。新年にあたって、今年の目標や夢を決めた人もきっと多いことだろう。その目標や夢を実現し、叶えるのは、この山へ登るのに似ている。小さい一歩一歩が大事なのだ。小さい努力の積み重ねが、やがて大きな目標、夢の実現に至るのだと思う。今年も、是非小さい努力を積み重ねていって欲しい。いっぺんにたくさんがんばろうと思うと息切れがしてしまうことがあるかも知れない。諸君の小さな努力の積み重ねを期待している。」
みんなにこんな話をして何年経つだろうか。こんな話をした手前、その後も、仕事を退職してからも甲府盆地の周りの山々を中心に山に登り続けている。日本百名山、山梨百名山に数えられる山もあるが、踏み跡も薄い結構マイナーな山もある。かっては麓の人々の耕す畑が頂上近くまであった里山、低山もある。
最近特にはまっているのが、峠を含めての山歩きである。これは、インターネットで「峠のむこうへ」というホームページを見て影響を受けて、意識して歩くようになった。
古い峠へ向かう道は実によくできている。急な斜面を稲妻形に峠道が登っていて、とても歩きやすいのだ。峠に着くと古い石仏や巨木が温かく迎えてくれる。そして、その向こうには、今までと違う新しい世界が見えるような気がするのだ。まさに「♪遠い山の向こうの・・・♪」の世界だ。
第2の仕事にも切りをつけて、自由に時間がとれるようになった今・・・、身近な山々、古い峠道を歩き続けていこうと思っている。
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2011年11月18日 (金曜日)
中道公民館が4月に計画してくれた「中道往還を歩こう」の企画が、雨で中止になり、さらに10月に改めて計画してくれたのに、雨でまたまた中止になってしまいました。せっかく、2回も計画してくれたのに・・・、中道公民館さん、ありがとうございました。
それで、11月のある日、自分で訪ねることにしました。「峠のむこうへ」のホームページを読み、そして右左口宿歴史文化村推進委員会が作った「迦葉坂の石仏 ガイドマップ」を見て、前々から歩きたかった峠です。
【 歩 い た 日 】 平成23年11月8日(火)
【コースと時間】 甲府自宅8:55-9:42国道358号精進湖線右左口トンネル中道側入口10:00-11:20迦葉坂の峠11:40-上九一色側へ少し下る-11:48迦葉坂の峠へ戻る-12:00右左口峠12:40-13:40右左口トンネル中道側入口
右左口トンネル入口に向かって右側に入っていく道状(20mほどで行き止まりです。)の広場があり、右側の金網に囲まれた建造物の脇に車が置けました。ひっきりなしに通る車を避けて反対側に渡ると、もうそこに中道往還の説明板がありました。迦葉坂の登り口です。
先日降った雨のためか、まだ湿っている山道を進むとすぐ、第一の馬頭観音像がありました。強清水の説明板を読んだりして、沢を左右に渡りながら進みます。
しばらくすると沢を離れ、いかにも峠道のようにジグザグに登るようになりました。ほとんど10~20mおきぐらいに石仏があるのです。私としてはめずらしく全部を写真に撮りながら進みます。ここをかの徳川家康も通ったんだと思いながらゆっくり登りました。
迦葉坂の峠と右左口峠の分かれ道を、私は右にとり、まず迦葉坂の峠を目指しました。ほんのわずかで峠・・・、峠らしい峠でうれしくなりました。峠の左右の高みには石の祠がありました。
峠でしばらく休み、少し上九一色側に下ってみました。次の石仏がなかなかなく、あまり下ると戻るのがやっかいかなと思い、引き返しました。(上九一色側はまた改めて歩いてみようと思います。)
迦葉坂の峠から尾根の南側の山道を右左口峠に向かいました。まもなく右左口峠でした。もしかしたら、ずっと以前車で(多分上九一色側から)ここまで来たことがあるかもしれないのですが、記
憶がはっきりしません。中道側は交通止めのようで、ゲートが半分閉まっていました。右左口峠でしばらく休憩、コンビニで買ってきたおむすびを食べました。
気象観測の建物の脇の来た道を少しもどり、途中から尾根の反対側(北側)に進む道があり、そちらに進みました。先ほどの登る時の分かれ道から少し登ったところに出ました。少し下って分かれ道でした。右左口峠から迦葉坂へ下る道はいくつかあるのかなと思いつつ、また先ほど歩いた道を、登り口に向けてゆっくり下っていきました。
写真(上) 登り始めて一番の馬頭観世音像左脇
写真(中) 紅葉落ち葉のじゅうたん
写真(下) 迦葉坂の峠
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2011年11月 4日 (金曜日)
今日の「庭の花を撮る」は、「月下美人」です。
まもなく立冬というこんな時期に、「月下美人」が咲いたのです。一晩だけの花といわれていますが、この花は朝見てもまだ開いていました。きっと寒い今の時期だからでしょう。(もちろん、しばらくして萎みました。)
この鉢で3つ、他の鉢の花もまだいくつか咲きそうです。楽しみです。
亡くなった義父が育てていた花で、思い入れの深い花です。挿し木で増え、今はそちらも咲くようになりました。
「月下美人」 学名;Epiphyllum
oxypetalum/サボテン科クジャクサボテン属/夜開性/原産地;メキシコ/花言葉;はかない美、繊細、快楽、艶やかな美人
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2011年10月26日 (水曜日)
今日の「庭の花を撮る」はバラ3題・・・
今までは、なにやかやせわしくて手入れが行き届かなかった我が家のバラ・・・ ここのところ余裕が出てよく世話が出来るようになりました。
よくしたもので、面倒をよくみると、やっぱり綺麗に咲くのです。
イレーヌワッツ(Irene Watts)

ミミエデン(Mimi Eden)

ブルーバユー(Blue Bajou)

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2011年10月10日 (月曜日)
昨日10月9日は、秋が深まり北方で初氷が見始められる頃とされる二十四節気のひとつ「寒露」だった。我が家の庭で咲いている花も大部少なくなった。

今日の「庭の花を撮る」は、「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」。寂しくなった庭でまだ綺麗に咲いている。かなり耐寒性があり、11月ごろまで咲いているという。そういえば、去年このノボタンのことをこのブログに載せたのは、11月18日だった。
「シコンノボタン」
学名;Tibouchina urvilleana/別名;スパイダー・フラワー
鮮やかな紫紺色の花/ブラジル原産/常緑性熱帯花木
花言葉;「平静」/11月16日の誕生花だそうだ
去年の「シコンノボタン」の記事
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今になって西洋朝顔が咲いている。朝顔というと真夏に咲くイメージが強く、妻と「朝顔が少しも咲かないね。」と話していた。妻は、真夏に咲かせて緑のカーテンにしたかったらしい。
ところがネットで調べてみると、「西洋朝顔は、朝顔より晩生で開花時期は真夏よりもむしろ晩夏~晩秋で、霜が降りて枯れるまで咲き続けることもある。」とあってびっくり。真夏に花が咲かなかいのは、開花時期が来ていなかったということなのだ。
へ~そうなんだ。もっとも、葉が茂ったので緑のカーテンにはなったかな。

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2011年9月30日 (金曜日)
今まで知り合いから「ALUBtross-viewアルバ」(株式会社ALBA発行)を譲ってもらっても、あまり熱心に読んでいませんでしたが・・・
ゴルフのブログで今回「ゴルフは気持ち(メンタル)」(日本文芸社/いけうち誠一)という漫画を知り、すぐインターネットでとりあえず、Vol.1とVol.2を注文してみました。
近くの本屋さんに届いたので、さっそく読んで(見て)います。なかなか面白いのです。へ~なるほどと思うことが多いです。おまけに「スコアが5打縮まるポケットアドバイス」が付いています。
これを読んで、次のラウンドはあと半月ぐらい後ですが、成績アップを期待したいと思います。
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2011年9月29日 (木曜日)
今日の庭の花を撮るは、「帝王貝細工」。子どもの頃、種から育てたかすかな記憶がある。今回、久しぶりに種から育てた。
帝王貝細工/オーストラリア原産/キク科の多年草(1年草)/カサカサとした花は長期間色あせない/よくドライフラワーになる/英名でEverlasting
Flower”永遠の花”と呼ばれている/和名の「帝王貝細工」も花の特徴が由来/ムギワラギク、ロウギクとも呼ばれている


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2011年9月26日 (月曜日)
先週19日に、甲州市民文化会館で開催されたNHKラジオ第一放送「いのちの対話」の公開放送に行ってきました。この「いのちの対話」は、祝日特集とかで、時々聞いています。
今回は、9時5分から11時50分までの生放送で、テーマは「納得して生きる」でした。
始まる前に、アンケートがとられました。「開演前アンケート」で、質問内容は、
・ 大震災以降、「いのちへの思い」が変わりましたか?変わったとしたら、どのように変わりましたか?
・ 生きるうえで迷いがあるとしたら、どんなことですか?
・ あなたの「生甲斐」は、何ですか?
でした。
私も、アンケートに答えておきましたが、あまり気の利いた答ではありませんでしたので、当然、後の中でのインタビューはありませんでした。
司会は村上信夫アナウンサーで、いつもの鎌田實さんの他に今回は上條恒彦さんとクミコさんがゲストでした。
前半はクミコさん、後半は上條さんを中心に話が進められました。なかなか中味の濃い興味あるお話しでした。
間だ間だに、アンケートに記入した会場内の人たちに甲府放送局の小林アナウンサーがマイクを持って駆け回り「いのちへの思いがどう変わったか?」「生きる迷いは?」など、その場で聞き出していました。
ラジオ放送で聴く以上に惹き付けられた2時間半あまりでした。NHKの公開放送は、「歌の日曜散歩」にも2回行っていますが、今回の「いのちの対話」の生放送も、参加してよかったと思いました。勉強になることが沢山ありました。
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2011年9月 4日 (日曜日)
ラウンドを来週に控えて、「アルバトロス」打ちっぱなしで練習をしました。150球打ちました。
やはりドライバーが中心です。コースへ出ると安定しないドライバーですが、練習ではまあまあいい感じでした。飛距離はともかく、OBになるようなボールはありませんでした。
アイアンも、まあまあでした。5番7番は安定しています。
でも、ラウンドまで、少なくともあと3~4回は練習に行った方がいいかな。
***************************
もうゴルフを始めて20年も経つのに、私は何故こんなに上達しないのでしょうか。コースに出るようになって半年も経たないという”20011年4月2日にゴルフ始めました”さんなどがもう107でまわっているという記事を読むとがっくりきてしまいます。
まあ、自分なりに考え、結論的にいうと、あまりゴルフに熱心でないことがあるのでしょう。
テレビでゴルフの放送があっても、違うチャンネルにまわしてしまうし、ゴルフの雑誌を知り合いからもらってもあまり熱心に読まないことが多いです。
それに、コースへ出る予定がある1週間ぐらい前にならないと練習にいきませんもの。
これでは上手にならないはずだと自分でも思うのです。
仕事が忙しかった時期、何年かのブランクがあるにしても、ゴルフを始めてもう20年も経っています。比較的自由にコンペに参加出来るようになった今、もう少しゴルフにも身を入れよう、熱心になろうと思う昨今なのですが。
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2011年8月19日 (金曜日)
アブチロンは何回かこのブログにアップしていますが、これはアブチロン・ヒブリダムで多分「タンジェリン」だと思います。我が家の玄関先で、春からずっと切れ目なく花を咲かせています。(鉢植え)一時虫が付き心配しましたが、花はずっと咲いています。

アブチロン・ヒブリダム・タンジェリン(Abutilonx hybridum ‘Tangerine’) /科名;アオイ科/属名;アブチロン属
アブチロン・メガポタミクム → 2009年7月31日 (金曜日)の記事
* この記事で”「サテンピンク」を手に入れました。”と書いたのがこの花ですが、「サテンピンク」は間違いで、上に書いたように「タンジェリン」が正しいのではと思います。
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2011年8月10日 (水曜日)
今日の「庭の花を撮る」は、「ナツスイセン」。
家の庭に、急に茎が伸び花が咲きました。彼岸花に似ていますが、もちろん今の時期、彼岸花であるわけがなく、色もピンク色。
調べたらどうも「ナツスイセン(夏水仙)」らしい。
亡くなったおじいさんが植え、育てていた花。
「ナツスイセン(夏水仙)」
彼岸花科/ヒガンバナ属/別名リコリスは、ギリシャ神話の海の女神「リコリス」の名前から/よく似た彼岸花より1ヶ月以上早い8月頃に咲く
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2011年7月22日 (金曜日)
7月18日、県立文学館講堂で上映された「オカンの嫁入り」を見てきました。映画会は山梨ホスピス協会が企画したようです。
原作は、第三回日本ラブストーリー大賞ニフティ/ココログ賞を受賞した咲乃月音著作「さくら色 オカンの嫁入り」。
映画館でなかったので、画面がちょっと小さく残念でした。画面が暗かったのは映画元々かな。
宮崎あおいと大竹しのぶが好演していました。二人ともいい女優になりましたね。
映画「オカンの嫁入り」
2010年;日本/原作:咲乃月音「さくら色 オカンの嫁入り」/監督:呉美保/出演:宮崎あおい、大竹しのぶ、桐谷健太、國村隼、絵沢萌子、他/製作プロダクション・配給 :角川映画
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家庭的に貧しかった子どもの頃・・・
近所唯一の隣町の東花輪の’薬屋さん’で模型飛行機を売っていた
そんなに高いものでもなかったのだろうが
子どもの頃の私の家で自由に買ってもらえるものではなかった
時たま買ってもらい
セメダインなどを使って組み立てるのが何よりの楽しみだった
動力はゴム
家の庭や稲を刈り取った田んぼで飛ばした
風に乗ると結構長い時間飛んだ・・・
子どもの頃の思い出・・・
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2011年7月18日 (月曜日)
武田信玄の時代に使われたという秩父裏街道鍵掛峠(古峠)、そして鍵掛の関跡を訪ねました。
切差から赤芝へ抜ける道は、今は「東山中部林道」となっていて、峠付近百メートル位を除いて全面舗装です。もちろん昔の街道は、この舗装道路とはもっと違うところを登っていたのでしょう。
峠の東西少し高いところにあるという石造物、石祠は残念ながら見落としました。(事前調査不十分です。)
赤芝側の集落に下りきるところには、獣除けの鉄扉が設置してあり、手で開け閉めして通らなければなりませんでした。
赤芝側にある鍵掛関跡は、もう生い茂る草に覆われ、せっかく復元された門も通ることが出来ませんでした。旧牧丘町で関を復元したということですが、ちょっと残念でした。
山間の軍事秘密道路だったというこの道、この関所、通る人が無くなり、用がなくなり、そしてとてつもない長い時が流れれば、雑草、雑木に覆われるのが当然なのかもしれません。
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今年もゴーヤを、畑と家の庭で育てています。
庭のゴーヤは、緑のカーテンを目指しました。露地で普通に種まきをし、プランターで育てましたので、今こんな状態です。
本当は今の時期にもっと緑のカーテンになって
いなければ用を足さないのにと思いますが、カーテンになるのはのもうちょっと先なのでしょうか。
種まきは、やっぱりもう少し早い時期にビニールででも保温してやらなければまにあわなかったようです。
葉の色もちょっと黄色気味で心配なのですが、でも、もうゴーヤの花が咲き、実がなっています。
ゴーヤのジュースでこの夏を何とか健康に過ごしたいものです。
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【 歩 い た 日 】 平成23年7月15日(金)
【コースと時間】 甲府7:10=8:46湯の沢峠駐車場(甲府から43.51㎞)9:07-9:10湯の沢峠-お花畑-9:50大蔵高丸10:25-11:10湯の沢峠-11:13駐車場
湯の沢峠、大蔵高丸に夏の山の花を撮りに行ってきました。
まだあまり花は咲いていませんでした。シモツケ、アザミ、ノイバラ、ヤマオダマキ・・・。
でも、鳥たちは元気に鳴き謳い、チョウたちが花から花へ飛び廻っていました。高原の夏・・・。


一昨年7月17日に行った時にはもっと咲いていたように思うのですが。今年はちょっと咲くのが遅いのでしょうか。
やっぱり本当にいいのは、8月になってからなのでしょうか?

いい天気で眺めはよかったのですが、残念ながら富士山は雲があり、見られませんでした。朝は見えたんだよ、とハマイバマル方面まで行って戻ってきたという方がいっていました。
2009年7月17日の記事 → 山の花を撮る シモツケ ミヤマオダマキ
* 今日は、7月18日。花の”最新”情報にはならなくなってしまいました。
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2011年7月10日 (日曜日)
今年も、「 山の博覧会 - 山を知ろう 山へ行こう- 」が、日本山岳連盟山梨支部の主催で、山梨学院大学メモリアルホールを会場に開催されました。(7月9日)
静岡大学の増沢武弘先生からは「南アルプスの成り立ちと世界遺産」、国立環境研究所の名取俊樹先生からは「キタダケソウの生態と未来」、早川町長の辻一幸氏からは「南アルプスと生きる」という講演がありました。また、古い山岳映像「雪の赤石岳」「雲表の山々 南アルプス」の上映がありました。いずれも大変興味あるもので、聞き入り、見入ってしまいました。
特に辻町長の「山と森と水と」、そして話の中で付け加えられましたが「人と暮らし」という話は、大変興味あるお話でした。中でも「伊那街道」「転付峠」「登山小屋 二軒小屋 浜田屋」に関わる話はもう身をのりだして聞き入りました。
・ 伊那街道は、明治9年に県庁に申請が出された
・ 明治10年から工事が始まり、明治19年11月に完成した。
・ 総延長80㎞という壮大な道であった。
・ 富士川沿いの切石から、早川新倉、転付峠、二軒小屋、西俣、三伏峠、伊那というルートであった。
・ 山梨県側でも延べ一万人の人が工事に関わった。
・ どういう道か?距離が短いから? 私は信仰の道かとも思う(七面山信仰)
・ 新倉の浜田屋の主が私の祖父であった。
・ 私は、祖父の言いつけで、新倉から転付峠を越えて二軒小屋に行く旅芸人達の先導をした。
・ 小学生の私には二軒小屋は刺激に満ち満ちていた。
・ 昭和47年井川林道が開通、転付峠を越える人は少なくなった。
確か去年の夏、「峠のむこうへ」さんがこの道を歩こうとしたのだったと思い出したのでした。確かに富士川水運の船で運ばれてきた’サンマ’がこの道を使って早川、伊那の山間集落に運ばれたこともあったのでしょう。
* 辻町長さんが出してくれた資料によると、静岡新聞に「しずおか 峠 今昔」という連載記事が載っていて、その中の一つに「転付峠」があるようです。
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2011年7月 7日 (木曜日)
6月10日(金)、一日かけて信州の鎌倉といわれている塩田平を訪ねてきました。佐久、上田とか小諸、松本とか結構近くはよく通っているのですが、塩田平は初めてでした。
ウイークデイということもあったのか、それほど混んでおらず、ゆっくり見ることができました。
こんなところに、こんな歴史のある静かないいところがあるなんてという思いでした。
<訪ねたところ>
北向観世音堂 安楽寺(八角三重塔) 常楽寺(石造多宝塔) 龍光院の山菜膳 無言館(戦没画学生の作品) 前山寺(三重塔)
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7月6日、いつも楽しく読んでいる藤沢周平が原作の映画「小川の辺」を見てきました。安く見られる甲府の街中K館は水曜日でお休みだったので、少し遠くですが、新しく昭和町常永にできたイオンモールの映画館に行きました。
まず、いつものことながら大きいスクリーンで見る山形県鶴岡で撮影したのだろう風景、山々、自然の美しさは素晴らしかった。私は、何かこういうシーンを見たくて映画を見に来ているみたいだと思いました。また、題名となっている小川のシーンも、とてもきれいでした。
東山紀之が好演していて、静かで凛々しい姿がよく似合っていました。物語的には、最後でなにかもう一展開あるのかなと思ったのですが、何事もなく終わって拍子抜けの感じもありました。
映画「小川の辺」
2011年;日本/原作:藤沢周平/監督:篠原哲雄/出演:東山紀之 菊地凛子 勝地涼 松原智恵子 他/配給:東映
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2011年6月27日 (月曜日)
先日、6月23日付の山梨日日新聞に興味ある広告記事が載っていた。甲府街中にある老舗「古名屋ホテル」の広告である。
それによると、「古名屋ホテル」は、もともと鰍沢(現富士川町)で、「粉屋旅館」という名称で営業しており、甲府に移転したのが、明治45年(大正元年)だという。
この「粉屋旅館」という名称を読み、ふと頭をよぎったのが、以前山梨百名山「源氏山」へ登った記事を書いた時に調べた大下藤次郎の「白峰の麓」という紀行文である。
さっそく、また「白峰の麓」を読んで見ると次のような記述があった。
*************************
大下藤次郎の「白峰の麓」 <抜粋>
二 ・・・青柳という町を過ぎる。近きにお祭があるというので、軒提灯(のきぢょうちん)を吊して美(うるわ)しく飾っていた。
形面白(おもしろ)き柳の巨木の、水に臨んで、幾株か並んでいる広い河原、そこに架(か)けたる手摺(てすり)なき長い橋を渡ると鰍沢(かじかざわ)の町だ。私は右側の粉奈屋という旅店に投じた。丁度三時半。・・・
二十四 ・・・青柳の町を、遥かに左に見て、堤の上をゆく。槻の並木の色は比(くら)ぶるものもない美(うるわ)しさである。堤の尽くるところに橋がある、鰍沢の入口で、ここにまた柳を写生した。
粉奈屋へ帰ったのは午後の二時。・・・
*************************
広告では”粉屋”で、「白峰の麓」では”粉奈屋”であるが、多分同じ旅館ではないだろうか。
大下藤次郎が、鰍沢を訪れたのが文脈からいって明治42年11月、紀行文「白峰の麓」の「みずゑ」初出が明治43年5月だそうだから、大下藤次郎がこの旅館に泊まって数年して旅館は甲府に移ったということになる。
* 大下藤次郎 (明治3年~明治44年)
明治時代に活躍した水彩画家。明治38年水彩雑誌「みずゑ」を創刊し、自ら主管をつとめた。著書に「水彩画之栞」「水彩写生旅行」などがあり、山の紀行文などの文章家としても知られている。
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2011年6月22日 (水曜日)
今年も帯那山へアヤメの写真を撮りに行って来ました。帯那山のアヤメ最新情報です。
甲府山宮から、片山林道へ入り、梨の木峠、千代田湖を経て、下帯那上帯那の集落を通過。脚気石神社横から、帯那山林道、水ヶ森林道を走り、家から40分で帯那山直下駐車場です。
駐車場から舗装された水ヶ森林道を横切り、階段状の坂道を登り3分もかからず、帯那山アヤメ群生地の看板がある草原へ着きました。
まず最初の感想は、「ああ、今年もアヤメはダメかな。」ということでした。一面のススキの葉っぱ状の草原で、わずか一輪のアヤメの花が目に入っただけでした。
その一輪のアヤメを一応写真に撮り、綺麗に刈り払ってくれてある歩道を樺峠方向に登りました。草原の奥の方に一輪二輪のアヤメが咲いていますが、遠くで写真には納められません。
樺峠から帯那山頂上へ向かいますが、やはり奥の方に一輪二輪見えるだけです。草原越しに遙か向こうに見える水ヶ森、金峰山の写真を撮りました。アヤメは、櫛形山のアヤメと同じで絶滅かなと思ったのでした。
頂上付近、警察無線に使われていたというコンクリートの建物の周りは、アヤ
メやその他の花の根っこまで刈り払われてしまったのではないかと思うほど綺麗に刈り払われていました。歩いたり休むのにはよくてありがたいとも思いますが、なんか心配になりました。
山梨百名山の標柱のある辺りにアヤメが結構咲いていました。さらに、富士山がよく見える休憩所もある南の方の草原に行くと、富士山をバックにアヤメがとれるほどアヤメが咲いているのでした。その草原を下ります。ああ結構アヤメが咲いているではありませんか。
いや、ススキの葉と同じようでよくわからなかったのですが、よく見るとあちこちにアヤメの葉が見え、蕾もたくさんあるのです。何かうれしくなりました。登り口の草原よりも、こちらの草原の方に沢山のアヤメが咲いているのです。
今週末、今度の土日あたりはもっと沢山咲いて綺麗になっているかもしれませんね。
草原を下りきり、旧帯那牧場への道を見越山の向こうの電波塔まで歩きました。(今回は林の中の古い山道ではなく、車道を歩きました。)道脇にもアヤメがあちこちに咲いていました。牧場入り口のゲートのところには、これこそ群生かと思うほど、沢山のアヤメが咲いていました。
ゲートが開けてあり、あれ、今度は車が入ってもいいようになったのかなと思いましたが、電波塔まで行くとその近くには甲府市の公用車が何台か駐まっており、どうもそのためにゲートを開いたようでした。
電波塔近くの四阿休憩所で、少し休憩し、帯那山へ戻りました。
帯那山のアヤメが咲いている草原では、一人の女性が写真を撮っていました。群生とまでとてもいかないけれどそれでも結構咲いていますねと話しました。
まあまあ、アヤメも咲いていてよかった。帯那山の草原に快い風が吹いていました。
一昨年の帯那山のアヤメ → 2009年 帯那山のアヤメ
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2011年6月14日 (火曜日)
今日ふたつ目の「庭の花を撮る」・・・バラ・・・。
「 クラウンプリンセス マルガリータ 」
イングリッシュローズ/背が高く、シュラブ状に育つ/花はかなりの大輪/すっきりとしたロゼット咲き/花色はきれいな薄オレンジ色/性質はとても強健で育てやすい/ヴィクトリア女王の孫娘で、優秀な造園家のスウェーデンの皇太子妃マルガリ
ータ妃にちなんで命名されたという
以上、これまた、バラが大好きな家内の受け売り・・・。私は写真を撮ってブログにアップする係・・・。
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今日の「庭の花を撮る」は、バラ・・・。
ブルーバユー Blue Bajou ; フロリバンダローズ/1993年/ドイツ/コルデス作
紫のバラ/藤色の花と紫がかったディープグリーンの照り葉の取り合わせがとても素敵/房咲き/樹形は結構横張り気味で性質はとても強健
以上、よく面倒を見て育てている家内から聞いた受け売り・・・。我が家のものは、鉢植えで、玄関脇に置いてある。
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2011年6月 9日 (木曜日)
昨日、映画「八日目の蝉」を観てきました。先日(5月7日)、「小沢昭一的映画のこころ」の講演会を聞きに県立文学館に行った時、ロビーにこの映画のチラシがおいてありました。監督の成島出が山梨県出身だからということでしょうか。
直木賞作家角田光代のベストセラー小説の映画化だそうです。NHKでもドラマ化したそうですが観ていませんでした。小説でも読んでいませんでした。
観に行ってよかったと思うとてもいい映画でした。始めて知った女優さんですが井上真央(注*)も好演していましたし、以前どこかのテレビの「四つの嘘」?とかいうドラマに出ていた永作博美もなかなかいい演技をしていて好感が持てました。もともと、いい女優さんだったのですね。瀬戸内海小豆島の景色もよかった。
映画館はレディースデイだったようですが、あまり混んでいず、ゆったり観られてよかったです。
映画「八日目の蝉」
2011年;日本/原作:角田光代/監督:成島出/出演:井上真央、永作博美、渡邉このみ(子役)、小池栄子、風吹ジュン、劇団ひとり、他/配給:松竹
(注*)NHKの「おひさま」に出ているではありませんか。今、テレビを見ていて気がつきました。
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2011年6月 1日 (水曜日)
今年もヒペリカム’ヒドコート’が綺麗に咲き始めました。
塀の外に顔を出し道路端に咲いています。そういえば、広い道路の両側に続く花壇によくこの花が植えられているのを見ることがあります。
カイガラムシがよく付くので注意しています。樹勢旺盛なので、カイガラムシがついた枝は切り落としています。
ヒペリカムには、長い睫毛を連想させる沢山の雄しべが特徴の、”ビヨウヤナギ”もあります。
ヒペリカム’ヒドコート’を、”キンシバイ”という名前で紹介しているブログがありました。
Hypericum chinense/オトギリソウ科/原産地;中国/半常緑低木/キンシバイの園芸品種
→ 平成21年5月27日の記事 ヒペリカム’ヒドコード’
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29日夕方、大阪からJR関西本線(大和路線)で奈良に向かった。奈良駅は、どうもごく最近新しくなったようで素晴らしい建物施設だった。しかし、外へ出てみると、台風が近づいていて雨が降っているということもあるのか、歩いている人もあまりおらず、駅は何か田舎の町にある不釣り合いの建物の様な気がした。
翌日、奈良を歩いてみてわかったことだが、どうも駅はもともと静かなところにあったようだ。賑やかなところ、素敵なところは、少し離れたところからのようだった。
歩いて訪ねたところは、春日大社、東大寺の大仏、興福寺、そしてならまち界隈、元興寺・・・。帰ってから、家内にまるで修学旅行みたいねといわれた。でも、ゆっくり気ままに歩きまわれた楽しい一日だった。
興福寺国宝館では、あの阿修羅像を拝観することも出来た。東大寺参道では、前日の大阪の会議で一緒だったN氏と偶然会ったりして・・・。修学旅行の中学生、高校生、引率の先生方などもいっぱいで、昔の自分の姿を見る思いがした。
奈良には、高校時代の修学旅行で行った記憶がある。また、記憶がはっきりしないが仕事で何回かいったことがあるかもしれない。いずれにしても久しぶりの奈良であった・・・。
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2011年5月31日 (火曜日)
5月末(今日)のわが家の家庭菜園の様子の一部です。
まずジャガイモ、いつもと同じ頃の3月20日に種芋を植え付けましたが、なかなか芽が出てこないで心配しました。1回目の追肥やりと土寄せが5月11日、2回目が5月26日になってしまいました。これは、かなり遅い。

これは、ジャガイモの花・・・。結構きれいな花です。
花の写真に興味を持ちだした頃、兄から、おまえは百姓の息子だから花を撮るなら野菜の花を撮るがいいといわれたことを思い出します。

実家から譲ってもらったタマネギの苗を植えたのが去年の11月10日。今回はマルチを張りました。強風で飛んできたシートに一部なぎ倒されたものもありましたが、今は結構大きな玉がついています。収穫は、ジャガイモと同じ頃でしょうか。
一方、自分で種から育てたタマネギ(去年の10月1日に種を播く~もう少し早く播く必要あり。)がありますが、これはなかなか大きくなりませんでした。枯れ出したのもあるので少しずつ収穫しています。

ナスは、毎年、接木の苗を実家から分けてもらい大変豊作の年が多いのですが、今年も豊作を祈りたいと思います。毎年茎を支える棚を作っていますが、今年は時間がとれ、特に丁寧に棚を作ることが出来ました。(あまり上手ではないけれど。)
夏場の乾燥除けと実が汚れないようにということで近所のお百姓さんから分けてもらった稲ワラを敷きました。

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2011年5月27日 (金曜日)
” ・・・ しかし、いずれにしても、ドラゴンネットに限らず、パソコン通信が、今のFAXのように、手軽に、誰でも、大勢の人に、自由に利用できるようになるのは、少なくても現状ではかなり難しいのではないかと、私は思っているのですが、どうなのでしょうか。うちの職場でも「興味はあるけれども。」という人がほとんどです。みなさんのご意見をお聞かせください。”
私のホームページ「パソコンへの思い」にある文章です。
いつごろの文章なのでしょうか。
多分,当時のどこかのパソコン通信の「掲示板」に書いた文章です。
その当時は,この文章のように思っていたのですね。
こう予想していたのですね。
この予想は全く外れました。
この文章を書いてからの
パソコン(インターネット)をめぐる
変遷(発展?)は
私の予想を全く超えたものでした。
*********************
* この文章は、かなり前(5~6年前でしょうか。)に書いた文章です。このブログで、ずっと”下書き”になっていたものです。今日、下書きのままになっていたのを見つけてすぐ”今すぐ公開”にしたものです。
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2011年5月23日 (月曜日)
【 歩 い た 日 】 平成23年5月18日(水)
【コースと時間】 甲府6:20=7:20身延駅=(甲府から53.1㎞)7:50大崩集落三石山登山口8:10-9:15展望台9:25-10:00三石大明神(三石山山頂)10:30-11:05展望台11:15-12:10大崩集落三石山登山口
身延駅から大崩集落へ向かう道に入るところが、よくわからず迷ってしまいました。(後でよく見ると案内表示がところどころにありました。見落としていたのです。)
身延の街並みから100mほどで山あいに入り家並みが途切れるのですが、そこにスナックが2軒も並んでいてびっくりしてしまいました。
桑柄川に架かる橋を渡ると、舗装はしてありますが狭く急な道が続き、この奥に集落があるのだろうかと思うほどでした。
途中で広くなったりするところもありましたが、集落が近づくと広いいい道になりました。右左に比較的広い舗装道路が向かっていますが、この先どこへ進むのか興味がありました。また、山の奥のここへ集落が何故出来たのだろうかと興味が湧くのでした。
集落の最上の家に入る道に道標があり、登山道が始まりました。始めは、茶畑などを眺めたりしながら、歩き始めましたが、草露で靴やズボンの裾が濡れ始め、これはオーバーズボンを履いてくればよかったかなと思いましたが、すぐ山道に入り、濡れは少なくなりよかったと思いました。
少し登り、椿草里への道を分けると、小尾根道になりました。やがて、大きな尾根に登りつきました。山道の左の木々に赤ペンキで大きな印が塗られていました。これは何でしょう。道ははっきりしているから不必要だと思ったのでした。
まもなく展望台。8合目当たりから上の富士山が眺められました。反対側には、身延の街並、久遠寺から上っているケーブルカーが見えました。頂上近くが身延山でしょう。その更に上の向こうには、南アルプスの白い山並みが続いていました。
しばらく行くとこのコースで唯一の鎖場。その最後の辺りには、かわいいイワカガミが咲いていました。
平坦な道になるとすぐ、三石大明神でした。立派な社殿です。神社を作るのここまで材料はどうして運んだのだろうかと思いながら、神社に向かい手を合わせて、周りを眺めると、山名の由来の苔むした大きな岩がいくつかありました。
そして、神社のすぐ裏に、百名山の標柱がありました。一番高いのは、もう少し先なのかなと思いましたが、そちらに行く踏み跡もなく、ここで良しとしました。残念ながら、頂上からの展望はありませんでした。
下山途中で、三人のパーティーに会いました。今回の山行きで会った唯一の人々でした。おせっかいかなと思いつつ、岩場のイワカガミを見落とさないようアドバイスしたのでした。
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2011年5月19日 (木曜日)
県立図書館から、尾崎喜八著「雲と草原」(昭和34年/創文社)を借りて来て読んでいます。(「峠のむこうへ」さんのHPで知りました。)
素晴らしい素敵な文章が綴ってあります。こんな文章が書ければいいなとため息が出ます。
「美ヶ原」の項目に続いて「秋山川上流の冬の旅」があります。先日、私も倉岳山など一部同じルートを歩いたのですが、この文章を読んでから、歩けばよかった、ブログにもっと素敵なレポートが出来たのにとつくづく思いました。
2011年4月23日の記事 → 立野峠 山梨百名山「倉岳山」 穴路峠
でも、尾崎はこういっています。「・・・人の言葉をそのまま晏如たることが出来るならば、何を苦しんで山へ登る必要があるだろうか。案内書の作者は時には見ないでも案内記を書く。君は君の書かれざる自叙伝のために見るがいい。」尾崎はもちろん見ないで書いたわけではない訳ですが、私は私の目で見、私の足で歩いたことをレポートした訳で、これはこれでいいんだと思いました。
その他、「信州峠(一九三七年)」、「高原の朝(一九三八年)」、「旅への祈り(一九三八年)」など私の身近なところを綴った文章で興味を持ちました。
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職場のH氏に勧められ、ゴルフに火がつき、翌年赴任してきたゴルフが大好きで熱心なチーフO氏に煽られ、更にゴルフの火が燃え上がったのでした。
敷島の奥、敷島総合公園後沢貯水池を入ったところに、昇仙峡CCがあります。そして更に奥、清川から韮崎穂坂へ抜ける道韮崎昇仙峡線の途中に、敷島CCがあります。
この敷島CCクラブに、ゴルフを始めた頃行ったことがありました。なかなか素敵なゴルフ場でした。大先輩のS女史、そしてそのご主人、職場のチーフO氏、同僚のNさんなどが一緒でした。この時の成績が、前半57、後半75、合計132でした。やっぱり、細かいルール、マナーがわからず、みんなに笑われたり、怒られたりしてしまうようなことがありましたが、それでも前より少しは上手になったかなと思いました。
この日は、終わった後、すぐそばのS女史の家(地域の名家でした)に寄り、大変ごちそうになってしまいました。ゴルフを始めた頃のいい思い出です。
この時に、女性でゴルフをしている方が結構いるんだとまったく世間知らずの驚きの気持ちを持ったことを覚えています。(私も後で入れてもらった同業者で作っているゴルフクラブの名称の命名者がS女史だったのです。)
ゴルフなんて暇があってお金持ちのする遊びだ、私には関係ないと思っていたゴルフでした。でも始めてみるとそうでもないことがわかりました。何よりも、仕事に追われ動くことが少なかった私にとって大変いい運動になりました。動くことで、ゴルフをすることで、いいストレス発散にもなりました。(仕事で、結構ストレスがたまっていたのです。)
そして、みんなと同行し色々話すことで、気心が知れ、仲間づくりにもなりました。世間知らずの私には、世間の機微を知るいい機会にもなりました。
天気のいい日のゴルフなど、ああゴルフを始めて本当によかったなと思うことが多くなりました。ゴルフの楽しさが少しずつですがわかってきたのでした。ゴルフを始めてよかった!と思ったのでした。
私自身管理職になり、仕事が忙しく、なかなか思うどおりにコンペなどに出られず、出ないと練習に行く気にもならず、ちょっと遠のいていたゴルフですが、今回仕事を全部リタイアし、時間的に精神的に余裕が出来、この頃はまた、ゴルフを楽しんでいるのです。
しかし、なかなか上手にはならない。スコアはよくならない・・・。
ゴルフ熱再燃 私がゴルフを始めたのは(その1) の 続き
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2011年5月17日 (火曜日)
甲斐市内で中央道とJR中央線が交わるところ(甲斐中央線が新しく出来たJR中央線のガードをくぐって南側)にある竜王ゴルフ練習場アルバトロスが、私がいつも行くゴルフ練習場である。
いつも2階席に行く。飛距離が若干伸びるので、その辺りは換算しなければならない。正面ネットを支える支柱に200という数字がある。あそこに当てると、まあ換算して200ヤード弱というところなのだろう。1階席から飛んでいったボールが、200の数字のはるか上を飛んで行ってネットに勢いよくぶつかるのを眺めてため息が出る。
私のがそこまで飛んで行くことはめったにない。ネット下が160ヤードだそうで、その辺りまでは伸びることはまあある。こう書くと、私のレベルがだいたいわかるかな。私のような力なし、今の私のレベルではそんなところだろう。
先日、先輩に教えてもらった私の弱点(よくないところ)を克服すべく、がんばって練習に励んでいる。
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2011年5月12日 (木曜日)
昨日、新しく昭和町常永(以前勤めたことがある懐かしい街!)にできたイオンモールの映画館に初めて行きました。
観た映画は、映画「岳」。原作は小学館のビッグコミックオリジナルに載っている石塚真一の漫画「岳 みんなの山」です。ビッグコミックオリジナルは、前に映画で観た「三丁目の夕日」やジョージ秋山の「浮浪雲」弘兼憲史の「黄昏流星群」などが好きで、よく読んでいます。もちろん、この「岳」も。
映画は、監督が片山修、小栗旬が主演で長澤まさみが準主役。舞台は私にはよくわからないのですが北アルプスらしいです。でも、岩場の場面は三つ峠で撮影したようですし、場面によっては「あれ、八ヶ岳かな。」と思うシーンもありました。きっと色々なところで撮影したのでしょう。
山岳救助ボランティアだという主人公と山岳警察隊が、命がけで遭難者の救助に当たるという作品です。もちろん漫画、映画で、フィクションですが、これに似た実際の遭難事故もよくあるのだろうと思ったのでした。
小栗が演ずる島崎三歩が、雪の尾根を走っている場面は、きっとヘリで撮影したのでしょうけれども見応えがありました。あれは体力もいるでしょう。もしかしたら走っていたのは違う人かな?。
その他の雪山の景色のシーンもよかった。撮影も大変だったのではないかと思います。
私には楽しむことの出来た映画でした。
監督;片山修/脚本;吉田智子
出演者;小栗旬 長澤まさみ 佐々木蔵之介 石田卓也 市毛良枝 渡部篤郎
製作会社;「岳 -ガク-」製作委員会/
配給;東宝
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2011年5月 5日 (木曜日)
この時季になると思い出すことがある。スキーのことだ。この時季にスキーのことだ。
若い頃、長期休みがあると、しょっちゅうスキーに出かけていた。そう、このゴールデンウイークにも結構スキーに野沢温泉スキー場に出かけたのだ。
野沢温泉スキー場は、北信の本格的な村営のスキー場で、滑り甲斐のあるスキー場だった。今の時季にも十分滑れるゲレンデがあった。確か、やまびこゲレンデ、上ノ平ゲレンデといった。すぐ先が、毛無山(1,650m)頂上で、リフトを乗り継いで頂上まで行き(最後はスキーを担いで登り)、暖かい日射しの中、頂上から滑り降りたこともあった。気持ちよかった。
スキー技術は、バッジテストは3級ぐらいまで受けた。その上は受ける機会がないまま過ぎてしまったが、上級者コースも結構平気で滑り降りることが出来たから、かなりのレベルになったと思っている。
連休が明けて、きっと雪焼けで顔は真っ黒だったろうが、平気で職場に出た。
スキーに熱中した時期があった・・・。
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2011年5月 4日 (水曜日)
仕事を全てリタイヤし、フリーの立場になった。山歩きや野菜づくりなどなかなか十分取り組めなかったことにある程度自由に好きなように取り組めるようになった。
仕事をしている時には、ゴルフコンペにもほとんど参加出来なかったが、仕事をやめてから参加出席出来るようになった。練習にも結構行くようになった。ゴルフ熱再燃。
しかし、なかなか上手にはならない。スコアはよくならない・・・。
**********************
同僚で同級生のSにゴルフを勧められたこともあるし、やってみたいという気持ちもあるにはあったが、具体的にやり始めることはなかった。
昭和も終わりに近づき、私も40という年齢になっていた頃、職場にゴルフの大好きなHさんが転勤して来て、男子職員にゴルフを勧めて、具体的に誘ってくれたことからゴルフを始めることになった。
平成元年7月X日、韮崎穂坂の奥のグリーンバレーでコースに出て、同僚と始めてゴルフというものを体験した。(それまでに、いわゆる打ちっ放しへ2回ほど連れて行ってもらったことはあった。)道具も借り物であった。
やり方もルールもあまりわからず、キャディーさんに笑われてしまうようなことがあったが、初めてなので仕方がないと思った。
この時のスコア成績は、OUT76、IN74、合計150であった。びっくりだが、最初は誰もこんなものではないだろうか。
その後、何度かコースにも出た。そして、翌年職場の管理職にこれまたゴルフが大好きで熱心なO氏が赴任し、職場でゴルフ熱に火がついた。私も例外ではなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、こうして振り返ってみるともう22年もゴルフを続けていることになる。
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何か毎年恒例になってしまいました。今年はちょっと遅くなってしまいましたが、またまた「今年も 我が家の庭で春の花が一杯」です。
チューリップはもう終わりになり、クリスマスローズ、芝桜もそろそろ終わりそうですが、ボタン、オダマキ、アイリス、スノーフレーク、オオデマリなどは今が盛り・・・。
どこにでもある花かもしれませんが、今年もこうして我が家の庭に咲く春の花をブログにアップできてとてもうれしく思います。
是非、ご覧ください。
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2011年4月30日 (土曜日)
【 歩 い た 日 】 平成23年4月29日(金)
【コースと時間】 大地峠トンネル手前広場旧大地峠登山口8:00-8:10旧大地峠-8:20大地峠-8:35林道を横切る-9:12千足峠-9:30高柄山(733m)10:00-11:25旧大地峠-11:50矢平山12:10-12:30旧大地峠-12:40大地峠トンネル手前広場
旧秋山村県道四日市上野原線尾崎を、先日登った二十六夜山入口と反対側に入ると秋山川を渡る。橋の手前に林道富士東部(北)線の表示板がある。そこから林道を15分ほどで大地峠トンネルに着く。林道は、トンネル手前でゲートがあり、行き止まりである。林道自体は、トンネルの先まだまだ続いているようだ。トンネル手前が広くなっており、工事関係者の乗った車がいたので、一応断って車を置かせてもらった。(林道工事者の集合打合場所にもなっているようだ。)
トンネル手前左側に登り口がある。杉林をジグザグに10分ほど登って旧大地峠。矢平山への登り口を左、甚之函山への登り口を右に見てまっすぐ大地峠へ向かう。快適な尾根道だが、右下から先ほどの工事の人が現場に入ったのか大きなブルの音が聞こえてきた。林道も下に見える。左方向には、遠く四方津のコモアしおつの団地が見えた。駅から直接コモアに登っているエスカレータ?の屋根もよく見えた。これから先、木々の間から時々見えて、位置関係の見当がとれた。
大地峠の道標は、倒れていた。方向は正しく示しているようだがちょっと不安
だった。すぐ大丸山頂。(大地展望台といわれるところだという。)大変眺めがよく、これから登る高柄山への山並みが眺められた。
その先、一端林道(先ほどの林道の続きだ。どこまで延びているのだろうか。<注-*>)に降り立ち、10mもせず、またすぐ山道に入った。結構、私にとって厳しいアップダウンがあった。途中、千足峠を通り過ぎ、眺めのよかった大丸山頂から一時間程で高柄山(733m)山頂に到着。
上野原方面の眺めがとてもよかった。南側の道志丹沢方面もよく見えたが、山の同定はよくできなかった。ゆっくり休み、また出発しようとしたところに二人組の登山者が到着。ベテランの登山者らしく、陣馬山や大室山などがどれか教えていただいた。熊に以前襲われたという腕の傷
跡を見せてくれた。そういえば二人が、山頂に着いて私に最初に声を掛けてきたのが「熊に会いませんでしたか。」のことばだった。
旧大地峠まで戻り、せっかくなのでそこから矢平山(860.2m)へ向かう。すぐ頂上に着いた。矢平山は「やだいろやま」というのだそうだ。山頂でゆっくり昼食とした。遠くの眺めはよくなかったが、穏やかな日和、山の中に
いる自分・・・至福の時を過ごす。
大地峠トンネルの車のところへ戻ったのが、ちょうどお昼時なので、工事の方々が戻ってお昼休みでもしているかなと思ったが、広場にあったのは私の車だけだった。
ここのところ、旧秋山村を何度も訪れたが、気がついたのが、都留から秋山に向けて途中に結構大きい工場があること。また行き交うトラックの多さ。どうも先ほどの、富士東部林道の林道工事が、工事が始まってもう十何年か立っているようだが、北でも南でもまだ続いているようだ。<注-*>
そして、何よりもリニヤの工事関係のトラックが走り回っているのだ。都留から秋山まで道路交通整理の係員が要所要所にいっぱい立っていた。
この歳になっても、まだまだ知らない山梨県の地域、状況がいっぱいあるのだと思った。
<注-*>家に帰って調べたら、「甲斐の山旅・甲州百山」(蜂谷緑・小俣光雄・山村正光著 実業之日本社 1989年)のP71に次のような記述があった。
「県の東部の大月市から、秋山村を経て道志村に至る広域農道の工事が着々と進んでいる。起点はJR梁川駅下の立野大橋で、立野の集落はずいぶん様変わりしてしまった。この道は桂川右岸を徐々に高度を上げ、上野原分に少し入った後、南西に秋山村寺下の集落に出て、尾崎の集落から二十六夜山の東を巻いて玉ノ入川筋へ工事が進んでいる。・・・」
平成元年に出版された本にこういう記述があるということは、少なくとももう22年以上立っているということになる。まあ~、息の長い工事だ。もしかしたら、最初の頃作った道路など、もう補修しなければならないところが結構あるのではないだろうか。山の中を走る道路なのだから・・・。完成はいつ?
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2011年4月25日 (月曜日)
3月20日に植えたジャガイモの「男爵」がようやく全部発芽しました。なかなか芽が出ず、心配していたのですが、よかった。
「男爵」は3㎏植えました。
同時に植えた「メークウイン」と「紅あかり」も、いくつかはは芽が出ているのですが、なかなか全部というわけにはいきません。
普通、植えてから2~3週間で芽を出すと、参考書やインターネットなどには書いてあるのですが・・・。
全部植えたところに出ないと、どうもすっきりしません。大丈夫かな。
「メークウイン」と「紅あかり」は、各1㎏植えました。
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2011年4月23日 (土曜日)
【 歩 い た 日 】 平成23年4月22日(金)
【コースと時間】 浜沢集落立野峠登り口8:30-9:15「立野峠」9:30-10:05「倉岳山」山頂10:40-11:00「穴路峠」11:10-11:35舗装林道-11:45無生野集落県道-12:15浜沢集落立野峠登り口
旧秋山村浜沢集落県道四日市上野原線脇の立野峠登り口広場に車を置かせてもらい出発。廃校となった浜沢小学校裏を通り、すぐ山道に入った。かっては畑だったのか石垣のある段に植林された沢山の木々を見ながら通り過ごし、スギやヒノキの林や雑木林を登り、まもなく立野峠についた。多くの峠道がそうのように、とても登りやすい峠道だった。昔、秋山の人々が、桂川沿い鳥沢や梁川と行き来した峠道、中央線に乗るのに通った峠道なのだろうか。
15分ほど休み、倉岳山へ向かう。芽吹きの木々を通し
て、秋山川沿いの集落や、大月側の家並みが見えた。立野峠から35分で倉岳山山頂。
山頂からは南側富士山は一部しか見えなかったが、大月側は百蔵山や扇山の麓、桂川に沿った街並みがよく見えた。桂川に架かる中央線の鉄橋も見えた。鉄橋を渡る特急あずさの音、中央道を走る車の音が賑やかに聞こえていた。
倉岳山から穴路峠へ。尾崎喜八が、『雲と草原』(創文社)の「秋山川上流の冬の旅」で書いたという穴路峠だ。(尾崎は、鳥沢から登り穴路峠を経て倉岳山に至ったという。)
切り通しの心地よい峠だ。
穴路峠を下り、無生野へ。雛鶴姫の悲しい伝説を記した碑を読み、無生野集落から、県道を、色々な色で咲く沢山の木々や花々を眺めながら歩き、浜沢へ。
30分ほどの舗装道路歩きがまったく苦にならず楽しかった。今まで足を踏み入れたことのなかった旧秋山村がこんなに快い山の村だったなんて・・・。
浜沢小学校跡では、地域の人たちが、分教場から分校へそして本校へと苦労して作り上げた浜沢小学校が、また、廃校になってしまった経過がわかる二つの碑が立派なだけ、寂しさを誘った。(浜沢小学校、栗谷小学校、桜井小学校が統合し、平成13年4月に秋山小学校となった。)
<アケボノスミレ(曙菫)>
撮影;立野峠から倉岳山の山道
スミレ科/スミレ属/山地の日当たりの良い所や半日陰に生える/多年草/花は淡紅色で径2~2.5㎝と大きく、花弁は丸みをおびる/和名「曙菫」は花の色を夜明けの空に見立てた
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2011年4月20日 (水曜日)
遙か昔、小さい頃、南正面にまだ大きい家がなかった実家の縁側や、いやいやながら手伝いに行った畑から、南方一町畑の家並みの上に見える芦川北陵浅間山(*-1)の森が、猫に見えたり、ライオンに見えたりしたことを思い出します。(今は、森の形も変わり、もうそうは見えません。)(*-2)
縁側では、祖母が縫い物をしながら、色々昔話をしてくれました。”みみなしほういち”もあったかな、なんとか「恋しやほーやれほ」は”山椒大夫”か?・・・その中の一つが浅利の与一さんの話でした。(*-3)
やはりまだ小さい頃、家に笊や箕を売りに訪ねて来る人たちが時々いたことをかすかに覚えています。これは、桜峠や関原峠を越えて芦川などの人たちが売りに来ていたのでしょうか。
小学校低学年の頃、「桜峠へ遠足に行く。」というようなことを聞いた記憶がかすかにあります。しかし、これは「波場公園へ行く。」の間違いだったのかも知れません。桜峠は、いくら近いと行っても小学校低学年で歩いて行くのではちょっと大変だと思います。でも、”桜峠”ということばは確かに時々出ていたのでした。波場公園へ実際に遠足に行ったのかどうかは、定かでありません。
(波場公園は、大人になってから行きましたが、盆地が見渡せる素敵な場所には違いありません。)
芦川北陵浅間山や桜峠のことを考えると、生まれ故郷の小さい頃のこと、何か曖昧なおぼろげなことをいっぱい思い出すのです。
(*-1) その頃は山の名前はもちろん知りませんでした。
(*-2) 先日、玉穂(今は中央市になっている)の実家に行き、畑仕事をちょっと手伝った時に、桜峠方面を眺めました。昔と変わらず、畑からは、浅間山の森が見えました。でも、もう特に何の形、何の姿にも見えませんでした。浅間山、桜峠の上には、芦川南陵の大畠山そして蛾ヶ岳がでんと構えていました。左へちょっと目を移すと大平山、地蔵峠(栂の峠)は北陵の山に遮られ見えなくなっていました。
(*-3) 私の祖母は、豊富浅利の生まれでした。その頃は、笛吹川を挟んで向こう(浅利・関原)とこちら(稲積・三町)の交流が結構あったようです。そういえば、最近の合併で、豊富は笛吹市ではなく中央市と一緒になりました。最近でもこちらとの結びつきが強かったのでしょうか。
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2011年4月17日 (日曜日)
ごちゃごちゃした我が家の庭の片隅で、咲いたのか咲かないのかよくわからないで過ぎてきたサクラソウが、今年は庭で綺麗によく咲いている。
わずか3株程だが、よく生き延びてきてくれたと思う。いつ購入したのか、いつ誰かからもらったのかもわからないが、こうしてよく咲いていてうれしくなる。
これからは、しっかり存在を認め、来年も咲くようにかわいがって育てていこう。(現金なものだ。)
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2011年4月15日 (金曜日)
【 歩 い た 日 】 平成23年4月13日(水)
【コースと時間】 甲府8:45=桃林橋=身延線芦川駅=9:40中山集落桜峠登山口10:00-滑車残骸-10:45桜峠-10:50峠北側林道-10:53林道桜峠-10:56桜の丘11:30-桜峠-滑車残骸-東峠-12:00オイワケ-P664-12:15林道大鳥居線12:20-オイワケ-12:55 P664の東の弛みへ戻る-地形図ジグザグの破線-1:45桜峠への峠道途中-1:55県道=みたまの湯=甲府
県道笛吹市川三郷線の中山集落近くから桜峠への登り口は、「峠のむこうへ」さんのHPの写真を参照してすぐわかりました。軽トラがようやく走れるくらいのコンクリート舗装の道もすぐ終わり、山道になりました。
歩きやすい快適な山道を、途中馬頭観音さんに手を合わせたりしながら歩きました。しばらくして山道が崩落している場所が何カ所かありました。落ちれば死ぬことはないかもしれませんが、きっと大けがをするでしょう。ちょっと怖い思いをしながら通り過ごしました。
何度も見ている滑車の残骸のある場所を通り過ごすとすぐ桜峠でした。峠の手前の木立には、「峠のむこうへ」さんが設置した小さな標識がありました。峠には、タンポポやイヌノフグリが咲いていました。桜の丘も眺められました。
そのまま峠を通り越し、峠道を反対側の林道に向かいます。一体の石仏さんを見てすぐ3分ほどで林道に降り立ちました。前回探索した大塚へ下る峠道(古い地形図では破線で表されています。)へ入る小尾根を右に見てほどなく林道桜峠へ着きました。
仮設トイレの裏の木で出来た階段を上ると、再び桜の丘の桜が見えました。ほんの100mもなく待望の桜咲く桜峠でした。昨年と同じように一人独占の満開の桜を楽しみました。桜の丘では、今年も「ホーホケキョ」と慣れた鶯の鳴き声が聞こえ、桜の咲く枝の向こうに白い雪を被った南アルプスの山々や、南方向には大畠山、大平山、栂の峠、そしてちょっぴり顔を出した白い富士山などが眺められました。
滑車の残骸まで戻り、東峠へ向かいます。ずっと前、尾根沿いに東峠方向に向かい、ノイバラや藪に悩まされたことを思い出してこのルートをとって正解でした。尾根に出たところが東峠でしょうか。
東峠からは尾根道をテープや木に付けられた赤い印に導かれ順調に歩を進めます。穏やかな甲府盆地が眺められるところが沢山ありました。
オイワケの祠、そして馬頭観音さんを拝みました。笛吹川の向こうに一町畑の家並みが手に取るように見えました。浅利の与一さんがここから、一町畑の田にいた鷺を射ったという伝説も何か信じられる思いがしました。
(私の祖母は浅利の出で、浅利の与一さんのこの話をよく聞いていたような気がするのです。実際祖母から聞いたのか、大きくなって自分で何か文献を読んで知ったのか、定かでありません。)
林道大鳥居線は、反対側の大峠方面から三ツ俣尾山を越えて来たことがありました。林道は芦川側は通行止めになっていました。
P664の東の弛みから地形図の中山に向かっているジグザグの破線で表されている山道に入るべく探しながら戻りましたが、よくわからず、結局オイワケまで行ってしまいました。
もう一度P664の東の弛みへ戻り芦川側をよく見ると木に赤い印があるではありませんか。その印に導かれ山道に入りました。最初は枯れ葉に隠され山道もよくわかりませんでしたが、次第にはっきりしてきました。
順調に下り始めましたが、途中で何カ所か山道はわからなくなり焦りました。落ち着くために少し休んだりしながら、木に記された赤ペンキを探すと、少し離れたところにあったのです。それに導かれ、何回か迷いつつも山道を下りました。昔、畑だったようなところを通り過ごしてからも、迷うようなこともありましたが、最後まで木に記された赤ペンキに助けられ、なんとか今も使われている畑のところに降り立ちました。
そこで畑を耕していたおじさんが、不思議そうに私を眺め、そして「よく下ってきたね、この道を歩く人なんて一年に一人二人だろうよ。」とびっくりしていました。
ほっとし、畑への道を歩き下り、今朝登った桜峠への道(コンクリート舗装が終わる場所)へ出ました。コンクリートの道を歩き下る途中、びっくりすることに目の前を横切り、左斜面をカモシカが登って行くではありませんか。
しばらくじっと私の方を見つめ、そしてそのまま斜面を登って行き姿を消しました。10分ほど歩き下り、県道へ出たのでした。
時間的にはそれほどかかっていなかったのですが、迷いながら下ったということで結構疲れました。
早速、みたまの湯へ向かい、甲府盆地を眺めながら温泉に入り、ゆっくり疲れをとったのでした。
(みたまの湯は、前々から行きたかった温泉です。前を通ったことは何度もあるのですが。)
去年の記事 → 桜の花びら舞う桜峠へ(1)
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