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2022年5月27日 (金)

またまたサボテンの花が咲いた

 ずっと咲かなかったサボテンの花が咲くようになって数年経つ。

 軒下の花段の隅っこに、どちらかというと”ほっぽってあった”という感じなのだが、今になってみるとそれが返ってよかったのかもしれないと思う。花を咲かせるコツは、水をあまりやらないことだ、やるときにはザッといっぱいやるのがいいのだそうだ。

 よく見ると花の中にまた花が咲いている。円形状で先っぽに黄色い穂があるのが雄しべ、丸の端っこに白く針のように数本伸びているのが雌しべだ。

 インターネットで調べてもはっきりわからないが、どうも「桃花短毛丸(モモバナタンゲマル)」というサボテンのようだ。

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<サボテン>
科・属名:サボテン科
別名:シャボテン/仙人掌(センニンショウ)/覇王樹(ハオウジュ)
英名:Cactus
原産地:南北アメリカ大陸
色:赤/ピンク/白/黄/オレンジなど
花言葉:枯れない愛/偉大/秘めた熱意/温かい心/燃える心

<撮影>
カメラ ; PENTAX K-7
レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

*こちらもご覧ください (2015年8月25日の記事)
 → 庭の花を撮る サボテンの花

2022年5月22日 (日)

明治41年 芥川龍之介が昇仙峡に来ていた

 山梨県立美術館の「動物を愛した彫刻家 フランソワ・ポンポン」展を見に行った折、ついで県立文学館に寄った。今、「芥川龍之介 生誕130年 旅の記憶」特設展が開催されている。その展示の中に私にとって大変興味ある展示があった。

 芥川竜之介は結構旅行好きだったといい、16歳の夏(明治41年)山梨の昇仙峡を訪れているのだ。汽車で青梅の日向和田まで行き、そこから奥多摩の氷川、山梨の丹波山、柳沢峠を越えて、塩山まで歩いた。塩山からはまた汽車で甲府に夜遅く着いた。甲府では「佐渡幸」という旅館に泊まったというが、どこにあったのだろうか。

 甲府から昇仙峡まで歩いたのだろうが、どのルートを取ったのだろうか、興味のあるところだ。また、昇仙峡の猪狩に泊まったというが、これまた何という旅館だったのだろうか。

 昇仙峡の渓谷美に感動し、山間に住む人々の素朴な生活を思い、日記に・・・昇仙峡は、さすがにいい・・・この青い水に紫の藤が長い花をたらしたなら、さだめし美しい事と思ふ と友人に手紙を書いた・・・と綴ったという。

 今日たまたま読売新聞に目を通したら、日曜版よみほっと一面でやはり「芥川龍之介」の特設展に関連してだろう、昇仙峡の記事が大きく載っていた。ここでも・・・この青い水に紫の藤が長い花をたらしたなら、さだめし美しい事と思ふ・・・という日記の言葉を紹介していた。御嶽古道にも触れていて、「鞍掛岩」のずいぶん綺麗なはっきりとした写真が載っていた。この写真はどこからいつ撮ったのだろうと思ったのだった。

2022年5月20日 (金)

定年後の暮らしは読書三昧 佐伯泰英 「酔いどれ小籐次『正宗遺訓』」を読む

◇佐伯泰英の「酔いどれ小籐次」を続んでいる。ずっと読み続けもう18巻だ。19巻で一応完結のようで、読み終わると淋しくなるなァと今から心配だ。

◇始めの巻ごろからやきもきさせたが、結局ずっと慕い続けていたおりょう様と実質的な夫婦になった。こんなうまい話があるかと妬んでしまう。羨ましいというか、嫉妬してしまう(^0^)。
 
◇ちょうど今私が関心をもっていろいろ調べたりしている甲府学問所徽典館が出来た頃、御岳昇仙峡の新道が出来た頃のお話で、その頃の世の中の様子が描かれており参考にもなる。甲州が舞台になっている巻もある。

◇いずれにしても、痛快で楽しいお話で、読んでいると何か心が落ち着き、次にやることを頑張るぞという気持ちになるから不思議だ。

◇著者の佐伯泰英が「古着屋総兵衛影始末」の何巻かの・後書き・でこう書いている。
 ・・・ともあれ、現実を見まわせば、テロ、戦争、烏インフルエンザ、リストラと疎ましいことばかりだ。この世界に生きる者ならば、この現実を直視するのも務めとは思う。だが、余りにも辛い、厳しい現代を一時の間だけ忘れて、頭を休めることも時に必要であろう。・・・


・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


「『正宗遺訓』 酔いどれ小籐次(十八) 決定版」佐伯泰英 文藝春秋 文春文庫 2018年1月10日 第1刷

2022年5月13日 (金)

定年後の暮らしは映画三昧 『嵐が丘』を観る

◇ 録画しておいたNHKBSプレミアム放映の映画『嵐が丘』を観た。若い頃、見た記憶があるのだが、詳しいことを覚えてはいなかった。

◇ 揺れ動く女心、キャッシーは心の底ではヒースクリフを愛しているのだが、裕福な暮らしのエドガーに目が向いてしまう。揺れ動く女心が切ない。傷心のうちにキャッシーは死んでしまう。

◇ あの荒野の岩山でヒースクリフも死んで、キャッシーと真に結ばれたとして映画は終わる。

◇ 白黒で、暗い画面、怪しい屋敷、荒れ狂う嵐、きつい表情の登場人物、まさにおぞましい悲しい映画だった。


・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。


◆ 嵐が丘 ◆
監督;ウィリアム・ワイラー
原作;エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
俳優;マール・オベロン/キャシー ローレンス・オリヴィエ/ヒースクリフ ジェラルディン・フィッツジェラルド/イザベラ・リントン デヴィッド・ニーヴン/エドガー・リントン   
制作;1939年 アメリカ映画

2022年5月12日 (木)

山里の花「ジロボウエンゴサク」

「ジロボウエンゴサク(次郎坊延胡索)」

 黒富士登山口~八丁峠 令和4年5月5日

 黒富士登山口から八丁峠に登る途中、谷沿いの山道脇、やや広い平地あちこちに咲いていた。
 伊勢地方で子どもたちがスミレを「太郎坊」、この花を「次郎坊」といい、二つの距のでっぱりを絡みあわせ引っ張りっこをした。またこの地下の塊茎を漢方で、延胡索といって痛み止めなどの薬用にしていた。これらのことから「次郎坊延胡索」というのだという。

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2022年5月10日 (火)

山里の花「コガネネコノメソウ」

「コガネネコノメソウ(黄金猫の目草)」

 黒富士登山口~八丁峠 令和4年5月5日

 車で旧敷島町清川から観音峠を越え、道なりにしばらく行ったところに黒富士登山口がある。(もっともこの日は、黒富士でなく鬼頬山に登ったのだが。)登山口が広場になっていて車が5~6台ぐらいは駐められそう。
 登山口から八丁峠へ向けて沢沿いの山道を登ったが、その脇にこの「コガネネコノメソウ」がところどころに咲いていた。花茎の先端に小形で黄色の花が密集して咲き、それが猫の目のようだということから、この名前が付いたという。

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2022年5月 7日 (土)

甲府名山「鬼頬山」に登る

<『甲府名山』は、甲府市が平成31年3月、「こうふ開府500年」を記念し、市内にある手軽に登れる山から結構難易度の高い山まで25の山を選定したものだ。その甲府名山のひとつ「鬼頬山(おにがわやま)」に登った。山梨百名山の太刀岡山の北側にある黒富士火山帯の一つで1,516mの山だが、私は今まで登ったことがなく、何時かは登ろうと前から思っていた山だ。太刀岡山側から登ると、もの凄い急登ということで、今回私は裏側の黒富士登山口から八丁峰を経由するコースをとった。>

【山行日】令和4年5月5日(木)
【天候】快晴
【コースタイム】
 甲府=観音峠=黒富士登山口(9:30)~(9:45)八丁峠~八丁平~黒富士八丁峰分岐~(10:00)八丁峰~(10:45)鬼頬山(11:10)~(12:20)八丁峰(12:30)~(12:45)八丁峠~(13:15)黒富士登山口
【参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 茅ヶ岳 」 平成元年12月 国土地理院
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社
 「 甲府名山手帳 」 発行:甲府市 令和元年8月
【撮影カメラ】
  PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
 

Imgp57861  清川から観音峠を越え、2~3キロ行ったところ右手にちょっとした広場がある。そこが八丁峠への最短での登り口(黒富士登山口)だ。駐車場所の脇をふと眺めると、何と小さい白い花が一杯咲いているではないか。ニリンソウの群落だ。早速花の写真をいっぱい撮った。幸先がよいスタートとなった。

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 15分で八丁峠(1545m)、そこからさらに10分で明るい草原の八丁平、升形山との分岐だ。今はまだ枯れ草の草原だが、時季には綺麗な山の花が一杯咲くという。その先ちょっと歩いたところが黒富士八丁峰分岐。折り返すようなかたちで登るとすぐ八丁峰だ。表示はないが、赤く塗られた境界線石柱が立っていた。

 ここから先、鬼頬山まで何回かのアップダウンが続いた。久しぶりの山歩き、今日は山頂折り返しということで、帰りも心配で慎重にゆっくり山道を辿った。途中、山道に一輪のワダソウを見付け写真に撮った。Imgp58041_20220512204001

 鬼頬山の頂上は木立に囲まれ展望はよくなかった。それでも曲岳、金ヶ岳、茅ヶ岳、遠く南アルプスの山々が木立越しに眺められた。山頂には、まだ真新しい甲府名山の標柱が立っていた。木に吊された古い標木には、鬼頬山にフリガナがふってあった。何て読むのか難しいものな。

Imgp58051  30分ほど休憩、鬼頬山山頂から引き返す途中、先ほどワダソウが咲いていた山道のところで周りを見まわすと、何とワダソウがいっぱい咲いているではないか。ワダソウの群落だ。ワダソウは、和田峠に沢山咲くということで「ワダソウ(和田草)」というとか。甲府の和田峠ではなく、中仙道の和田峠だ。厳しい峠越えの旅人を、このワダソウは励まし慰めたのだろうか。

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 八丁峰からはずっと下り、通り慣れた山道を、初めての山を登り切り、花が一杯撮れた満足感で、足取り軽く明るい気持ちで登山口に戻った。

2022年5月 3日 (火)

里山に密かに咲く野生のエビネの花

 甲府法泉寺山を越え、八王子山との鞍部から諏訪神社に下る途中、山道の両側、山の斜面を目を凝らし眺めると、あちこちに渋い色あいの野生のエビネの花が咲いている。
 ここを訪れるのは今回で今年2回目だが、前回撮影のエビネの花の写真は露出色調整がうまくいかず、何か緑色が濃い、少し淋しい写真になってしまった。再度のチャレンジだったが、今回は前回よりもあちこち沢山の野生のエビネの花が咲いていたし、ブレも少なく露出色調整もうまくいき、野生のエビネのいい写真が沢山撮れ、うれしかった。

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撮影 ; 令和4年4月30日

撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
                  SMC PENTAX-M MACRO 100mm

2022年4月23日 (土)

里山に咲くエビネ(海老根)の花を撮る

 エビネの花は、早春に里山に咲くミスミソウなどと同様、目を凝らして見ないと見逃してしまうかもしれない。花の色や模様が、落葉や散らばっている枯れ枝と同じようで背景に沈んでしまうのだ。
 近づいてよく見ると、慎ましやかで清楚な花だ。花言葉が、「謙虚な恋」「誠実」というのも頷ける。
 ジエビネ(地海老根)、エビネラン(海老根蘭)、ヤブエビネ(藪海老根)という別名もあるとか、ラン科エビネ属の常緑多年草、地下茎の様子が海老に似ているので海老根というのだそうだ。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

 

2022年4月19日 (火)

イチリンソウの花を撮る

 イチリンソウは、空から地上を眺めていた星が眠くなり、地上に落ちて花になったという話があるという。花言葉の「追憶」は、星だった昔を懐かしく思っているのだろうか。別に「久遠の美」という花言葉もある。

 茎を伸ばして先端に一輪の花が咲くことから「イチリンソウ(一輪草)」の名前がついた。「一花草(イチゲソウ)」「一華草(イチゲソウ)」「裏紅一華(ウラベニイチゲ)」という別名もある。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
     レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

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2022年4月18日 (月)

徽典館で学んだ杉浦嬢 「穴切神祠碑」撰文 

 やまなし観光推進機構が作った「やまなしのお寺と神社」を見ると、穴切大神社の一間社流造桧皮葺本殿は、正面に美しい金具をつけた両開き戸があり、桃山時代の建築といわれ重要文化財に指定されているという。また、先日(令和4年4月16日付)の山梨日日新聞に、甲府市教委が穴切大神社の「鏝絵絵馬」4点を市文化財に指定したという記事が載っていた。Imgp48871

 この穴切大神社の鳥居をくぐり進むと右側隣家との境前に、安政7年(1860年)に建てられた標題の杉浦嬢撰文の 「穴切神祠碑(あなぎりじんしひ)」の石碑と、ずいぶん立派な解説板がある。羽中田自動車工業の羽中田氏から令和3年4月に寄進されたという解説板には、穴切神祠碑の現在語訳とずいぶん詳しい杉浦嬢についての解説が記されている。

Imgp48941  杉浦嬢は、徽典館に学び同校教授見習となった。後に江戸幕府外国奉行に勤め、去年の大河ドラマ『青天を衝け』でも描かれていた徳川昭武に随ってパリの万国博に出かけた。その後も活躍し、特に日本の郵便制度の創業に尽くした。
 郷土史研究家の林陽一郎氏は、郵便制度の創設では前島密が有名で切手の図柄に採用されているが、実務的な仕事をしたのは杉浦嬢で、むしろ杉浦嬢が切手になるべきだと述べている(^0^)甲府の太田町公園に杉浦嬢の顕彰碑が建てられていることは、このブログで前述した。


 令和3年7月21日の記事 → 『徽典館で学んだ杉浦嬢』 

2022年4月12日 (火)

千代田湖畔 白山のカイイワカガミ(甲斐岩鏡)

 昨年『山と渓谷』4月号に載っていたカイイワカガミの記事は、とてもうれしくてブログの記事にしました。それから1年、今年もカイイワカガミの写真を撮りに行ってきました。

 和田峠を登って行き、頂上の三叉路(ここにも御岳昇仙峡へ行く古い道標があります。)を過ぎてすぐ左折、千代田湖の丸山締切堤を渡りきったところに遊歩道の入口があります。遊歩道に入るとすぐ右側の山斜面にもういっぱいカイイワカガミが咲いていてうれしくなりました。カイイワカガミ花の写真を一杯撮りました。

 そこからさらに山の斜面をトラバース気味に200m程進み、山道が右へ折り返すところにも一杯カイイワカガミが咲いていました。(この山道を道なりに登ると白山展望台に至ります。)これから花開く蕾もいっぱいでした。

 盗掘を心配して咲く場所を教えないという方もいますが、私は記事を読んで県内外大勢の人に来てもらいこの白山の可愛いカイイワカガミを観て楽しんでもらえばいいなと思っています。こんな身近なところにも”イワカガミ”が一杯咲いているのです。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
   レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
        SMCPENTAX-DA 55-300mmED
        SMC PENTAX-M MACRO 100mm

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 昨年4月8日の記事 → 白花のイワカガミを訪ねる新緑の山歩き

2022年4月 9日 (土)

山上の楽園 桜峠の桜

 桜峠の手前、浅間山の三等三角点(593m)に若者二人が休んでいた。これから、私が登ってきた山道を自転車で下るという。ヘルメットを被り、身支度をする若者たち、ケガをしないように安全に歌舞伎公園まで下ることを祈る。若者のアクティブなチャレンジ精神に拍手。山道を壊さないようにね。

 目標があれば、途中の労苦も耐えることが出来る。これくらいの苦しさが何だ!頑張って登ればあの見事な桜を観ることが出来る。市川三郷町歌舞伎公園から1時間半、山道を苦労して登ってきたからこそ、桜がより一層愛おしく見事に見えるのだ。

 鳥のさえずりを聞き、芦川南陵の山々、そしてその上に8合目あたりから上の富士を眺めつつ、誰もいない山上の花園、桜峠の桜を独り占めだ。

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<この桜の下向こうが、正真正銘の「桜峠」560mだ。芦川沿いの中山から旧三珠町大塚に芦川北陵を越える。>


撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

2022年4月 3日 (日)

湯村山法泉寺山でシュンラン(春蘭)の花を撮る

 春らしい温かい陽気に誘われて、いつも歩いている里山湯村山法泉寺山に登ってきました。トレイルランニングの若者大勢と擦れ違いました。春休みの子どもを連れた家族連れや顔なじみのウオーキング仲間も大勢歩いていました。    (令和4年4月2日)

 実は一週間ほど前も、法泉寺山へシュンランの花を撮りに出かけていたのです。例年だと咲いているはずだったのですが、その時はまったく咲いていませんでした。セツブンソウもミスミソウもいつもよりだいぶ遅く咲いたので、シュンランも遅いんだなと思っていました。
 楽しみに登ったのですが、残念ながら今日もシュンランはあまり咲いていませんでした。時季が違っているのでしょうか。それでもところどころで咲いているシュンランの花を撮りました。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7

    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
参考資料 ;『湯村山の花~2008~』(輿石恒彦・睦子 武田の杜管理事務所 2009年11月発行)

2022年3月30日 (水)

カタクリの花を撮る

 カタクリノは発芽して1年から4年ぐらいまでは、葉っぱが1枚だけ、その1枚で光合成をして養分を球根に蓄える。5年目を過ぎると葉っぱが2枚になり、結局花を咲かせるのは、7~8年後だという。
 和田峠のカタクリの群生地のちょっと離れたところに、葉っぱだけのカタクリが群生しているところがある。今は花が咲いていなくても、何年か先には辺り一面のカタクリの花が咲き乱れることだろう。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

2022年3月28日 (月)

甲府城四季巡り 桜花爛漫

 四百二十余年前、豊臣秀吉の重臣浅野長政幸長親子によって築城されたという甲府城・・・ それ以来、城主、城代、藩主、城番は代わり住む人は変わっても、毎年春には桜が咲き、夏には紫陽花が、秋には木々が紅葉し、冬には石垣に雪が積もる。城下の人々大勢の目を楽しませ、そして多くの年を重ねてきたのだろう・・・ 今年も甲府城の桜が満開だ
 穏やか陽気、青空の下・・・ 親子が、家族連れが、若いカップルが、熟年の御夫婦が、保育園の子どもたちが、介護施設のお年寄りたちが、百名城巡りの若者が、サイクリングツアーの途中の女性たちが・・・ 満開の桜の木の下で、お花見を楽しんでいる・・・ コロナ禍、感染対策をしっかりしながら・・・

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2022年3月26日 (土)

映画『夕陽に向かって走れ』を観る

◇ 録画しておいたNHKBSプレミアム放映の映画『夕陽に向かって走れ』を観た。若い頃、見た記憶があるのだが、詳しいことを覚えてはいなかった。

◇ ローラは、ウイリーと一緒に逃げるのを止めるか、いや一緒に行くかと生死をかけて思い悩む。そして一緒に行くのを選び死ぬのだ。保安官のクーパーと保護区監督官で女医のローラの間も同じだ。愛するかあるいは否か、揺れ動く心情が切なくいじらしい。

◇ 追いかけて最後ウイリーに何か惹かれてしまう保安官クーパーの気持ちも不思議だが、そういうこともあるのかという思いもする。日本の時代劇にも同じようなラストシーンがあったような気がする。

◇  当時の『明日に向かって撃て』にも出ていたキャサリンロスとロバートレッドフォードが出ていて懐かしかった。『明日に向かって撃て』はNHKBSでやったのだろうか。観たかった。


 ・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。

 

◆夕陽に向かって走れ◆
<スタッフ>
監督/エイブラハム・ポロンスキー 脚本/エイブラハム・ポロンスキー 原作/ハリー・ロートン 撮影/コンラッド・ホール  音楽/デーヴ・グルーシン
<キャスト>
ロバート・レッドフォード; クーパー キャサリン・ロス;ローラ ロバート・ブレーク;ウイリー スーザン・クラーク;ローラ バリー・サリバン;キャルバート チャールズ・マッグロー;ウイルソン

こんなところに甲府城お堀跡(その28) ~ 丸の内二丁目地内 二の堀跡上廃屋取り壊し ~

 先日2月3日付の山梨日日新聞に『濁川上の民家解体作業着手』という記事が載っていた。この記事でいう濁川は、甲府城二の堀跡である。私のブログの『こんなところに甲府城お堀跡(その8) 旧県立図書館前公園南二の堀跡』(*)で報告したところだ。

Imgp52132  旧百石町(現在の丸の内二丁目)の旧県立図書館前に丸の内公園がある。それほど利用されてはいないようだが、ビルが建ち並ぶ近辺では緑豊かな場所でほっと出来る場所である。今桜が綺麗に咲いている。
 この丸の内公園の真下を、南北に二の堀跡(濁川)が、暗渠で通っている。そして公園の南の端で開渠となる。公園の下から出てくる二の堀跡は結構広く深い。もしかしたら広さ深さは当時のままかもしれない。堀跡の両岸は石垣で、堀床もコンクリートで固められている。

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 公園下から出てきた二の堀跡は、ここで東に向きを変える。そして以前は、すぐ家が建ち並ぶコンクリート床下へまた暗渠になり潜り込んでいって、その先はよくわからなくなっていた。
 ところが現在は、新聞記事にもあったが、上に建っていた家々は取り壊され、二の堀跡の上にコンクリート床板が二ヶ所残されているだけだ。(この二ヶ所のコンクリート床板も間もなく取り壊されるという。)
 コンクリート板床がないところは、二の堀跡が覗いている。また、以前は全く見えなかった平和通りが見え、通りを走っている車が見えるのである。丸の内公園から出て東に曲がり、平和通りの歩道まで100m程だろうか。Imgp52371

 公園で犬の散歩をさせていた老人が、「きっと戦後の混乱期にこの濁川の上にドサクサにまみれて家を作って住み着いた人たちがいたんだよな。それがずっと残っていたんだ。」と話していた。

写真上右;丸の内公園下から出てくる二の堀跡
写真中左;まだ残るコンクリート床板の下に潜り込む二の堀跡 以前はこのコンクリート床板上に家があってその先は見えなかった
写真下右;丸の内公園南端から東方向をのぞき込む 大きいビルの手前が平和通り


 (*) → こんなところに甲府城お堀跡(その8) 旧県立図書館前公園南二の堀跡」

2022年3月17日 (木)

徽典館学頭中村正直撰文 『雨宮鈍斎翁の碑』を訪ねる

 去年8月、山梨から静岡まで全線開通した中部横断道下部温泉早川ICを下り国道300号線に出て、富士川に架かる富山橋を渡る。国道52号線を突っ切りそのまま進むと、すぐ富士川クラフトパークの入口がある。しばらく曲がりくねった道を道なりに進むと富士川クラフトパークに到着。沢山駐車場があるが、一番奥の方の駐車場の正面、一番目につきやすいところに雨畑硯で有名な『雨宮鈍斎翁の碑』がある。

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 ずいぶん大きい碑で、よく見ると碑文と肖像のある部分が硯の形をしているのがわかる。この碑の碑文を書いているのが、1858(安政5)年に徽典館の学頭になった中村正直(字 敬輔 号 敬宇)である。碑文を書いた頃は、東京大学の教授だったようだ。近くにある説明板を読むと、雨宮鈍斎は学頭時代の中村正直をよく訪ねていたとある。

 この碑はもともと、甲府城内にあった。甲府城(舞鶴城公園)の整備に伴って、鈍斎の出身地鰍沢や硯石の産地雨畑に近い、ここ富士川クラフトパークに移されたのだという。


<参考資料文献>
・ブログ「二代目館長日記」 『クラフトパークでスケッチ-その6 鈍斎さんの碑』のページ
・ホームページ「甲斐雨畑硯本舗雨宮弥兵衛」『硯匠夜話 その二 鈍斎さんと英斎さん』のページ
・「関西大学所蔵『徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)』について (上)(下)」 成瀬哲生 平成20年(2008)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第10巻

2022年3月16日 (水)

宮原の里山で春の妖精『ミスミソウ』を撮る

 ミスミソウは、春早く落ち葉の間から小さな花を咲かせ、春の訪れを告げてくれます。その姿はまるで妖精のように可憐です。セツブンソウなどと同様 ”スプリング・エフェメラル ”と呼ばれる草花の一つです。

 今年も市川三郷町(旧六郷町)宮原の里山へミスミソウの写真を撮りに出かけました。明け方小雨が降りましたが、朝ご飯を食べ終わる頃には、いい天気になりましたので、出かけることにしました。中部横断道で六郷インターを下りるとすぐ宮原です。

 花が咲いているかな、姿を見せているかなと少し心配しながら山道を登りました。最初は見つからなかったミスミソウですが、目を凝らすとあちこち白いかわいい花が咲いていてうれしくなりました。

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 私はまだ白いのとほんのわずかにピンク色がかったものしか見ていないのですが、青、赤、黄色など色々な色のミスミソウがあるそうで、いつか見てみたい、写真を撮ってみたいと思っています。

 

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
   レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED
                  SMC PENTAX-M MACRO 100mm

2022年3月 9日 (水)

春の妖精 ミスミソウ(三角草)を撮る

 ” 春の妖精 ミスミソウ” とGoogleで検索したら、私が去年3月 5日に 書いた 『春の妖精ミスミソウの花を撮る』 の写真がトップで出てきてうれしくなった。

 今日、畑熊のミスミソウを撮りに行ってきた。実は古宿へセツブンソウを撮りに行った2月の25日にもここへ寄ったのだが、その時はまったくミスミソウの花は咲いていなかった。今年は寒い日が多かったものなと思いながら引き上げたのだった。

 いつもなら3月の今日あたりは、あちこちに一杯咲いているのに、残念ながらまだほとんど咲いてはいなかった。目を凝らし、あたりを見回し、花開いていた十輪ほどのミスミソウを撮った。まさに密かに咲いている春の妖精という感じ。

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  撮影カメラ PENTAX K-7
   レンズ SMC PENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED
           SMC PENTAX-M MACRO 100mm

 2021年3月5日の記事 → 『 春の妖精ミスミソウの花を撮る 』

2022年3月 6日 (日)

徽典館学頭久貝岱篆額 「能蔵池の碑」

 私の仕事の初任地は、旧八田村(今の南アルプス市内)上八田であった。この旧八田村の野牛島という集落端に「能蔵池」という池があったのを覚えている。Imgp48761
 能蔵池は、御勅使川扇状地の扇端部で崖下から伏流水が湧き出した湧水池である。下流一帯を潤していた重要な灌漑用水池だ。今も灌漑用水の機能を果たしているようだし、側には「湧暇李の里 樹園」という温泉施設があったり、「南アルプス市ふるさと文化伝承館」という博物館があったりで、散策や見学で訪れる人も結構いるようだ。池の中州には四阿があり、説明板もある。Imgp48801

 この能蔵池の脇に、御稲荷さんがあり鳥居を入ってすぐ左に、古びた石碑がある。上部の部分は欠けていたり、中央部辺りにも傷があったりで、字が読めない部分もある。この碑が「能蔵池の碑」である。側に建っている説明板によると、建立されたのは安政4年(1857年)で、建立当時の市川代官である森田行の撰文、前任の市川代官である荒井顕道の書、篆額は徽典館学頭久貝岱とある。Imgp48811

 久貝岱(くがいたい)は、久貝伝太のことで(名 岱、号 蓼湾)、今の山梨大学教育学部の前身の徽典館の学頭(学長)を勤めた。江戸の昌平黌から派遣された初代の徽典館の学頭(学長)である友野霞舟(注ー*)の門下生だという。

 この碑の上部の欠けたところが、久貝岱の書いた篆額の部分のようで残念だ。教育委員会あたりが拓本をとってくれてあればいいなと思いながら、能蔵池を後にした。

<参考文献資料>
・南アルプス市ホームページ  歴史を辿る  「能蔵池の碑」のページ
・『関西大学所蔵「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について (上)(下)』成瀬哲生 平成20年(2008)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第10巻


 (注ー*)こちらもご覧ください → 徽典館学頭 友野霞舟 八王子山(白山)に遊ぶ

2022年3月 2日 (水)

定年後の暮らしは読書三昧 上間陽子『海をあげる』を読む

 地元ラジオ局YBS山梨放送のしゃべくりラジオキックスとかいう番組で、海野アナと深田アナがおしゃべりしながら紹介していてちょっと気になった本、『海をあげる』を新刊で買い、読んだ。本はこの頃、ブックオフで古本を買ったり、図書館で借りたりした本が多かったので、新刊はちょっと新鮮だった。本屋大賞ノンフィクション大賞とかを受賞した本だという。

 沖縄で、幼ない娘と暮らす大学教員の女性の物語である。女性の子どもを育てるごく日常が描かれ、また若年出産をした女性たちの調査の様子が交互に描かれていく。それぞれの生活が、違っているようにも描かれるがそうではない。不思議な相乗効果で、基地のある沖縄の悲しい無慈悲な現実、現状がじっくり伝わってくる。

 沖縄の現状、悲しみを痛みを伝えることが出来ただろうかと作者の声が聞こえてくる。私とすれば”海をもらった”と思っていいのだろうか。かといってどうすればいいのか・・・わからない。今もウクライナをロシアが侵攻している。どうして止められないのかと、止めさせることが出来ないのかと、むなしさと無力感を感じる日々だ。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 『海をあげる』 上間陽子 筑摩書房 2021年12月20日初版第9刷発行

2022年2月25日 (金)

春到来を告げる花「セツブンソウ(節分草)」咲く

 いよいよスプリングエフェメラルの花の季節です。スプリングエフェメラルは、春の短い時期に葉を出し花を咲かせ、晩春には地上部は枯れてしまい、その後ずっと休眠し次の春にまた花を咲かせるのです。セツブンソウも、その一つ、古くから節分のころに花が咲くのでこの名前があるといいます。

 先日2月16日に行ったときには、数日前に降った雪が残っているなか数輪しか咲いていなかったセツブンソウ、何枚か写真を撮りましたが、午前中早い時間で陽が当たってないということもあり、春らしくない何か暗い寂しいセツブンソウの写真になってしまいました。

 今日2月25日は、咲いているセツブンソウがいっぱいで、まさに見ごろ、うれしくなりました。陽が当たっているところも多く、ブレも少ない明るい楽しい写真がたくさん撮れました。

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 撮影場所 市川三郷町芦川沿い古宿

 撮影カメラ PENTAX K-7
   レンズ SMC PENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED
         SMC PENTAX-M MACRO 100mm

2022年2月24日 (木)

徽典館学頭 菊池駿助の撰文「笠屋神社碑」を訪ねる

Imgp48641  甲府敷島韮崎線(旧穂坂道)沿いにある甲斐市旧敷島町の八幡神社のちょうど道路反対側に、嘗ての「市川道」の入口がある。狭い道だ。それでも普通乗用車が走れるほどの道路を100mばかり南に下った右側に「笠屋神社」がある。(注ー1)

Imgp48661  「笠屋神社」は創建年代は不詳、武田家の崇敬を受け、白銀御樽酒などの奉納があったといい、現在も地域の産土神として崇敬されている神社だという。市川道の脇に、「笠屋神社」と刻まれた社号標があり、古い石鳥居が東向きに建っている。

 Imgp48651石鳥居をくぐって参道を進むと、右側に由緒を刻んだ「笠屋神社碑」がある。石碑の上部にある篆額『笠屋神社碑』は読めるが、私には碑文の中身全体はとても読解は無理だ。それでも『菊地駿 撰文』、『萬延元年歳在庚申十月二十三日建』は読めた。

 万延元年は1860年、江戸時代がまもなく終わろうとする頃だ。菊池駿助(名 駿、号 松軒)は、現在の山梨大学の前身、徽典館の学頭(学長)であった。菊池駿助は徽典館赴任前後して、この笠屋神社碑撰文の他、『遊御岳記』(注-2)、『遊羅漢寺山記』、『大滝山雌雄瀑記』などを書いている。
 なおこの笠屋神社碑には、”菊地”とあるが、成瀬先生は下記論文で、”菊池”が正しいといっている。

(注ー1) この道をさらに100m程下ったところには、「袖すり橋跡」がある。市川男と御嶽女が逢い引きをした場所だという言い伝えがあるという。
     → 古道を行く 旧敷島町内「市川道」
(注-2) 令和4年1月15日の記事
     → 徽典館学頭 菊池駿助『遊御岳記』の眩暈岩

<参考資料文献>
・webサイト  山梨県神社庁「笠屋神社(旧村社)」のページ
・『関西大学所蔵「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について (上)(下)』成瀬哲生 平成20年(2008)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第10巻

2022年2月16日 (水)

市川三郷町芦川沿い古宿のセツブンソウを撮る 令和4年2月16日

 今年は例年に比べ寒い日が続き、梅の開花なども大分遅い。セツブンソウも咲くのが今年は遅いだろうなと思いつつ、それでもと久しぶりのいい天気に誘われ、古宿のセツブンソウを撮りに行ってきた。
 やはり、まだちょっと早かった。先日降った雪が残っていた。雪のないところの枯れ葉の間からセツブンソウが結構沢山芽を出していたが、花が開いているのは数輪、残念だった。
 山の斜面に陽が当たるまで少し待とうかなと思ったが、東京から撮影に来たという人が、「セツブンソウは、陽があたってもすぐには花びらは開かないですよね。」とおっしゃっていたので、短時間で撮影を諦め戻ることにした。一週間後ぐらいにまた撮りに来よう。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
       SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2022年2月15日 (火)

佐伯泰英「新・古着屋総兵衛 第18巻 『日の昇る国へ』 」を読む

 佐伯泰英の「新・古着屋総兵衛 」を、この18巻『日の昇る国へ』で全部読み切った。前作の「古着屋総兵衛影始末」を含めると30巻の大作だ。”完読”といっていいだろうか。私もまだまだ読書力は落ちていないぞとうれしくなった。

 前作「古着屋総兵衛影始末」もそうだったが、この「新・古着屋総兵衛」を読むと、何か心がもやもやして不安定な時でも、不思議と心が落ち着き、何か次の行動への力が沸き上がってくるような本だった。

 前作は、18世紀初頭の6代目鳶沢総兵衛勝頼、今作品は19世紀初頭の10代目総兵衛勝臣が活躍するお話である。これらの作品の中で何度も描かれているが、初代総兵衛の鳶沢成元が、17世紀初頭に徳川家康から古着屋「大黒屋」を開く権利を与えられたたという時代から考えると、実に200年に及ぶお話である。

 「新・古着屋総兵衛」は、200年続いてきた江戸時代がそろそろ終わりに近づいている時代、外国船が日本の周りに頻繁に現れる時代のお話だ。ちょうど今私が関心を持っている「甲府学問所徽典館」が甲府城下に開設された時代でもあり、そういう意味でも興味を持って読むことが出来た。

 最終刊第18巻の解説で木村行伸も触れているが、総兵衛の大活躍の話の一方、心に傷を負った少年少女たちが悩みながら、周囲の人々に励まされ助けられながら大きく成長していくお話もあり楽しくうれしく読んだ。また、この時代の何人かの女性たちも描かれ、今のジェンダーフリーとまでいかなくとも、女性が生き生きと活動し活躍する姿が描かれていてとてもよかった。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 こちらもご覧下さい → 佐伯泰英「新・古着屋総兵衛 第二巻『百年の呪い』」を読む


 「日の昇る国へ 新・古着屋総兵衛十八」 佐伯泰英 新潮社新潮文庫 平令和元年6月1日発行

2022年2月10日 (木)

今日も峠を行く 猪狩から麦坂道を登り八王子峠へ

<以前、御岳昇仙峡探索の折、昇仙峡ロープウエイ仙娥滝駅のすぐ横にある麦坂道を楽しそうに下ってくる若いカップルがいた。「ああそういえば私は”麦坂道”を一度も歩いていないな、歴史ある峠道なのに。」と思い、早い時点で登ろう、歩こうと思っていた。>Imgp47761

 御岳新道を開拓した長田円右衛門の生家がある猪狩集落を通り抜け、『麦坂道 至 八雲神社・山頂パノラマ台駅』の表示柱のあるところから麦坂道に入る。しばらくコンクリートの道だが、100mほど歩き、小さな沢に架かる橋の手前で右の山道に入る。入ってすぐ道の脇には、岩の上に石仏がいくつかあり、ここが古い山道だということがわかる。Imgp47781小さな沢の左岸を登ることになる。沢の水はところどころ凍っている。

 橋が朽ちているので注意して登るようにとところどころに注意書きが張ってあった。確かに朽ちた橋があちこちにあり、山道はそれを避けて登っていた。倒木があり、通りにくいところも何カ所かあったが、総体的には九十九折りのとても登りやすい峠道だった。さすが昔の峠道と思った。Imgp47871
 ところどころ木々の上方にロープウエイの架線が見えたが、登っている間は動いているゴンドラは見ることが出来なかった。

 猪狩集落から1時間ほどで、八王子峠着。山道の先に峠が見えた時にはさすがほっとした。昔の人なら40分から50分ぐらいで登り切るのではないかと思った。八王子峠は、いうまでもなく、旧敷島町吉沢から、外道ヶ原を通り金桜神社金峰山へ向かう参詣道、御嶽古道が越える峠だ。Imgp47901
 峠の脇には、ロープウエイの山頂駅があり、観光客目当てのお店やパワーポインと銘打った場所、富士山遙拝場所などがあり観光名所となっている。ロープウエイは動いているようだが、頂上にいたのは数人、この時季ではしょうがないのかなと思った。Imgp47921

 20分ほど休憩してすぐ下ることにした。峠を下り始めてまもなく、一人の女性が登山道を登ってきた。「思いがけず、一寸厳しい登りでした。」と女性、「お気を付けて、もうそこが峠ですよ。」と私、言葉を交わしただけだったが、林の中の暗い登山道がぱあっと明るくなったような気がした。

 ・・・猪狩集落、川窪集落あたりの昔人は朝暗いうちにこの麦坂道を登り、八王子峠へ着いた頃、日が昇る。峠で富士山を遙拝、今日の小旅の安全を祈り、その後外道を吉沢に下り、千塚、湯村、塩部を通り府中へ向かった。昼間街で商売をしたり買い物をしたりして、3時か4時頃街を出発すれば、昔の人の足ならば夕方遅くには家に戻り着けたのではないか・・・。
 そんなことを思いながら、麦坂道を一人下ったのだった。


【歩いた日】令和4年2月9日(水)
【コースタイム】
 新静観橋袂無料駐車場 ~ 猪狩集落(9:30) ~ (9:33)麦坂道登山口 ~ 麦坂道 ~ (10:35)八王子峠(11:00) ~ (11:35)猪狩集落 ~ 新静観橋袂無料駐車場
【参考にした文献資料 】
・『甲斐国志』松平定能編 文化11年(1814年)成立
  巻之二十 山川部第一 巨摩郡北山筋 一、八王子嶺 猪狩村
・「 1:25,000地形図 甲府北部 」 国土地理院 平成2年2月1日(3色刷)
・「 1:25,000地形図 茅ヶ岳 」 国土地理院 平成元年12月1日(3色刷)

2022年2月 4日 (金)

探梅行 敷島梅の里 令和4年2月4日

 立春の今日、暦通りの穏やかな日和に誘われ、甲斐市敷島梅の里へウオーキングを兼ねて梅の花の様子を見に行ってきました。毎年恒例の「敷島梅の里 開花情報」です。
 今年の冬は寒い日が比較的多く、今の時季家の庭では、梅や福寿草など咲いていることが結構あるのですが、まだ咲いていません。敷島の梅の里の梅も例年より咲くのが少し遅いように感じました。

 敷島総合公園の広い駐車場南側の斜面の梅は、総体的には2~3分咲きというところでしょうか。下ってすぐにあるしだれ白梅は見事に満開でした。紅梅も木によっては満開、白梅は咲き始めという感じでした。蕾が一杯、一斉に咲くと綺麗だろうな。

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 矢木羽湖西側の斜面の梅も白梅は、咲き始めという感じでしたが、少し登ったところにある四阿の周りの紅梅は満開近くでした。富士山をバックに梅の花を撮ろうと思いましたが、生憎今日は富士山は雲に隠れていて残念。

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撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2022年1月30日 (日)

徳川家康も登った「我貴山」に登る

 金桜神社に参拝に行く時に、南方向、鳥居の向こうに綺麗にとがった三角形の山がでんと構えており、気になっていた。昇仙峡マイスター雨宮氏に聞いたところ、「我貴山」だという。登る経路も教えてもらっておいた。その後、何時かは登ろう登ろうと考えていた。

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 調べてみると昔からの色々な文献文書に載っている山だった。

 まず、『甲斐国志』第20巻
”山川部第一 巨摩郡北山筋 一、金峯山
・・・逸見、武川等ノ人、コノ道ニヨリ草鹿沢ノ東西四拾八盤(マガリ)ヲ攀(ノボ)リテ我貴山ノ北、一本杉ノ華表ヲ経テ里宮ノ西ニ出ヅ。
城山、我貴山、第三ノ華表ノ東西ニ相対シテ聳エタリ。華表ノ東ニ金峯山ヘ詣ル道アリ、コレヨリ山宮ヘ五里五〇丁ナリ。登拝者八、九月ノ間ヲ候トス。・・・”

 甲府勤番支配の浅野梅堂の編集、徽典館学頭乙骨耐軒や友野霞舟などが漢詩を書いている『仙嶽闢路図』には、”嶽祠”の頁の次にある竹邨三陽の 画稿に「我貴山」が描かれている。甲斐国志と同じで、右に白山(城山)、左に我貴山、中央に金桜神社第三の華表が描いてある。中央遠く黒富士も描いてあるのだ。

 また、福岡哲治編『甲府昇仙峡の観光開発と文学(第二版)』には、
”天正10年(1582) ・・・8月、武田家追撃本陣の徳川家康、金桜神社に参詣、我貴山に登山・・・(社記)。・・・”
とある。

 さらに先日紹介した石原初太郎の『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』には、「我貴山」の写真が載っている。中に載っている菊地駿助の『御嶽に遊ぶ記』にも「我貴山」の記述が出てくる。

  ***********************

 先日思い切ってその「我貴山」に登ってきた。少し先に金桜神社の赤い鳥居が見える御岳集落の入口で県道7号甲府昇仙峡線から離れ、左にアスファルトの林道を昇仙峡ロープウエイパノラマ台駅八王子峠の方に向かい、アスファルトが切れるところに車をおいた。右が広い伐採地だ。以前この広い伐採地の向こうに”神会原”があった。(”神会原”の由来はよくわからないが、金桜神社に関係する地名だろうか。今後の調査の課題。)
 伐採地の右、東の端を辿って登る。しばらくは伐採地だが、まもなく右に小さな尾根に入る。

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 先日古い御嶽道を下った時の御岳下沢の北側の尾根になる。しばらく小さいアップダウンを繰り返す。右側御岳下沢側は、がけっぶちだ。しばらく進むと、左側下すぐそこに草鹿沢から金桜神社に向かう県道が見え始める。県道の方から登ってくるような踏み跡がところどころに見られた。遠くを眺めると、木々の間に雪を被った金峰山が大きく見えた。

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 最高点らしきところを過ぎ更に進むと、何やら四角に囲った石積みがあり、その先の木の根元に小さい石の祠があった。ここが頂上なのだ。歩き始めて30分弱で「我貴山」頂上に到着。
 頂上からは左下に金桜神社の赤い社殿が見えた。手前の駐車場に車が何台か駐まっているのも見える。見上げると左に黒富士、右奥木々の向こうに金峰山が見えた。

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 吉沢から登り、御嶽道を八王子峠を越してここまで来た参詣の人々はここから神社を見下ろし、金桜神社はもうすぐだと思ったのだろう。また金峰山山頂本宮へ登る人々は、遙か向こうに金峰山を眺め、ああまだまだ遠くだなあと思ったのだろう。我貴山はそういう場所であった。

《 参考文献資料 》
・『甲斐国志』松平定能編 文化11年(1814年)成立
・「甲府昇仙峡の観光開発と文学(第2版)」福岡哲治編 2010年1月28日 
・『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』 石原初太郎 上田泰文堂 出版年1930年(昭和5年)

2022年1月20日 (木)

徽典館学頭 中村正直の『御岳遊記』を読む

 徽典館学頭だった中村直正は、安政6年(1859年)正月に、杉浦嬢などと共に、御岳昇仙峡を歩いている。その様子を書いたものが石原初太郎の『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』の第2章に載っているが漢文で私には読解は無理だ。成瀬先生が書いた論文『 中村正直「御嶽遊記」 -徽典館の文学-(上)(下)』に漢文を訓読したもの、また”大意”が載っていて、そちらを読ませて頂いた。

 中村はこの時代他の学頭たちがとったルートと同じで、和田峠を越えて昇仙峡に向かっている。和田峠を越えて『高砂山』に立ち寄ったようだ。雪をかぶっているような山だと表現している。成瀬先生は、今の千代田湖の西にある白い山のことだろうといっている。

 今の長潭橋(この時代にはなし 大正14年完成)近辺から昇仙峡に入り、岩の形に由来して名づけられた猿岩とか寒山拾得岩などを見ている。”有年橋”は、今の”有明橋”だそうだ。”柴橋”は羅漢寺に渡る橋だという。

 覚円峰を最初に眺めたのは、今の夢の松島あたりからだろうか。”接待亭”の二階に上って辺りを見渡したという。昇仙峡を開削した円右衛門については、”きっと御嶽の神が円右衛門をひそかに手助けしたのだろう。”と書いている。

 石門を過ぎると無数の大きな岩石がゴロゴロと渓流に転がっていたとある。左に頭上を圧っしてそびえる異様の頂きがあるとここでも覚円峰について書く。

 「道は岩の間に深く刻まれて狭く、うねうねと上へと続く。鳥居があった。”朝天門”という。」と書く。私(筆者)は、先日ここを歩き、この朝天門の苔むした礎石を見ている(*)。

 猪狩村を経て金桜神社へ。

 帰りは、歌川広重が通った吉沢へ抜ける外道を歩き下ったようだ。「古い道をたどり、宿舎に帰ったのは日も落ちてからである。」「甲府に着任して一年になろうとしている今日、御嶽新道の風景をようやく我がものとした。これで江戸に帰任したところで思い残すことはない。」と書いて、この『御岳遊記』は終わっている。

(*) 2022年1月9日の記事 → 古い御嶽新道を歩く 昇仙橋脇から目眩岩へ登り滝上へ

 

<参考文献資料>
・史蹟名勝天然記念物叢書『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』 石原初太郎 上田泰文堂 出版年1930年(昭和5年)
・『 中村正直「御嶽遊記」 -徽典館の文学-(上)(下)』 成瀬哲生 平成24年(2012年)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第14巻

2022年1月15日 (土)

徽典館学頭 菊池駿助『遊御岳記』の眩岩

 太宰治の妻石原美知子の父が、敷島大下条出身で地質学者石原初太郎だが、その石原が著した本に『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』がある。昭和5年の発行だが、昇仙峡に関わる非常に興味ある記述が多く、読み甲斐がある。インターネットでも読むことが出来、戦前の本であるが私にも十分読める記述文章である。

 その『甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥』の三章に山梨大学の前身徽典館学頭であった菊池駿助の『遊御岳記』が載っており、興味を持って読んだ。つい先日、御岳昇仙峡目眩岩に登ってきた(*)ので、その部分あたりの記述をピックアップ、載せてみる。浅学の私で正しく写してあるか不安だがご容赦願う。

三、御嶽に遊ぶ記 徽典館督學 菊地松軒
・・・餘に仙娥瀑、眩岩、拂玉泉等尚ほ数勝有り、皆迂路を以て徃かす、右峻坂を登る絶頂に華表を建つ、朝天門と曰ふ、


 そして、石原初太郎の譯註として次の文章が載っている。

蓋し當時は昇仙橋無く其の東畔より眩岩の上に登り今の自在亭の處に出でたるものなり、眩岩の頂上展望臺の在る處今尚ほ華表の礎石を存す。沸玉泉の位置は余之を知らず。 


 菊池の文が続く。

聞く此より御岳に至る三華表あり、是を第一と為す、坂を下り略彴(丸木橋)を渡り、猪狩村に至る、圓右此の邑の人なり、・・・


 御岳(金桜神社)の第一の華表については、吉沢の外道の入口にあったというが、菊池はここのを第一華表と聞いているといっている。ここは外道の道筋ではないし、時代によって違うのだろうか。

(*)→ 古い御岳新道を歩く 昇仙橋脇から目眩岩へ登り滝上へ


<参考文献資料>

・史蹟名勝天然記念物叢書「甲斐の名勝御岳昇仙峡と其奥」 石原初太郎 上田泰文堂 出版年1930年(昭和5年)

2022年1月 9日 (日)

古い御嶽新道を歩く 昇仙橋脇からめまい岩へ登り滝上へ

<以前、昇仙峡マイスターの雨宮氏から教示してもらい、昇仙峡講座の数野氏からも途中まで案内してもらった、昇仙橋が出来る前のめまい岩の脇を通る古い御岳新道を歩いたのでレポートする。>

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<昇仙橋の脇から入る>
 御岳新道(昇仙峡遊歩道)を、石門を通り過ごし上ってきて、仙娥滝手前で荒川左岸から右岸に渡るところにあるのが、明治11年(1878年)に架かったという昇仙橋である。
Imgp45811 この昇仙橋を渡らずに四阿の脇を通ってそのまままっすぐ正面に向かうのが古い御岳新道(写真右上)だ。道らしい道は10メートルも進むとわからなくなる。

<ガレ場をよじ登る>
 右側が結構急な斜面で、大小の花崗岩の岩が転がっているガレ場だ。わずかな踏み跡を見付け登る。ところどころ山道のための石垣(写真左上)がありそれを目指して進むが、踏み跡ははっきりせずガレ場を登ることになる。倒木で行く手を防がれたり、木に捉まりよじ登るようなところもあった。悪戦苦闘捕12~13分、踏み跡がはっきりしてきて、めまい岩が木々の向こうに見えホットする。

<朝天門の土台石があった>
 華表”朝天門”があったという最高地点の峠状のところで一休み。ここには、苔むした華表の土台石が二つあった(写真右下)。確かにここに朝天門という鳥居が立っていたのだというのがわかる。Imgp45871

<めまい岩に登る>
 その脇5~6mのめまい岩頂上に登る。仙娥滝が真下に見えるところがあるのかもしれないが、私は怖くてそこまで行けなかった。昔の人はここからこわごわ仙娥滝を覗いたのだろうか。

<下り着いた所が自在亭跡>
 下りは、5分もかからず山道の向こうに県道が見えてきて(写真左下)、県道のトンネル脇に出た。出口のすぐ左側に駐車場があるが、ここが昭和9年与謝野晶子・鉄幹が昇仙峡に来たときに宿泊した自在亭跡だという。

Imgp45931<エピローグ>
 懸案の古い昔の御岳新道を歩き、念願を果たした。しかし、この道は、観光気分ではとても歩けず、一般の人には勧められない難路である。


《 参考文献資料 》
・「甲府昇仙峡の観光開発と文学(第2版)」福岡哲治編 2010年1月28日 
・「武田の杜史跡ウォーク」配付資料 令和3年10月10日実施
・「昇仙峡の歴史と文化」数野雅彦 日本遺産昇仙峡ガイド講習会資料 令和3年11月20日実施

2022年1月 7日 (金)

日本遺産 御岳古道を歩く 金桜神社御岳集落へ下る古い道

 旧敷島町吉沢から上り、外道ノ原、八王子峠を経て、御岳集落金桜神社へ下る道が、御岳道(の一部)である。
 ロープウエイ山頂駅が近くにある八王子峠からは、御岳集落入口まで林道のような車道が下っている。ロープウエイのメンテナスのための道なのか、またロープウエイ山頂にあるお店の商品等運搬の道、働く人たちの通勤の道だろうか。この車の道は、ほとんど御岳道を辿っているのではないかという。
 以前、”武田の杜史跡ウオーク”の講師から、この林道のような車道から離れて、古い御岳道が下っているところがあるという話を聞いていた。今日、寒い日であったが、思い切ってその古い御岳道を歩いてみた。Imgp45451

 八王子峠から下ってきて、左側に広い伐採地がある。以前はそこを”神会原”といったそうだが、そこを過ぎるとアスファルト舗装の道になり、少し下りが急になる。
 アスファルトの道を下り始めて間もなく、左山側の小尾根が途切れ、切り通しのようになっているところがある。ここが、史跡ウオークの講師が”このあたりの人はヤマノカミといっている”と紹介してくれたところで、古い数段の小さな石段があり、その上に祠のようなものが祀られていた。(写真右上)

Imgp45471  ここの前を通り、切り通しの先に行くと、確かに踏み跡が下っている。目の前の沢が御岳下沢だそうだ。この沢を踏み跡は下っている。枯れ葉に埋まってはいるが、踏み跡はわかる。ところどころ倒木があり若干歩きづらいところもある。(写真左)
 2~3分下ったところに小尾根の先をめぐってきた先ほどの車道が前に見えたが、車道の手前で踏み跡は折り返し下っていく。すぐ木々の向こうに御岳の共同墓地が見えてきた。共同墓地(*)の脇をまた折り返し下ると、そこがもう車の道で古い御岳道は終わる。ヤマノカミのあるところからわずか15分程の歩きであったが、確かに古い御岳道を歩いたという充足感があった。Imgp45601

 (*)御岳町集落はほとんどの家が神葬祭で、墓石の多くには〇〇家奥都城(おくつき)と彫られている。

 共同墓地を下るとすぐ昇仙峡から来る県道に出合うが、その直前が少し広くなっている。(写真右下 県道の先に金桜神社の三の華表も見える)ここに”桜大門”があったのだという。明治45年に撮ったという桜大門の写真を見たことがある。またこの門を”御嶽大門”としている資料を見たことがある。

 このページもご覧下さい
  令和3年10月23日の記事 → 「 日本遺産 御嶽古道を歩く」

参考資料
 ・令和3年10月10日実施 武田の杜 史跡ウォーク 配付資料
 ・ホームページ「樵路巡遊 (しょうろじゅんゆう)」~ 古道をできるだけ正確に辿った 金峰山表参道のページ~ by S. Tom.
 ・「 1:25,000地形図 茅ヶ岳 」 平成元年12月1日発行(三色刷) 国土地理院

2021年12月28日 (火)

こんなところに甲府城お堀跡(その27)~ 三の堀脇に船着き場 ~ 

 先日、山梨県埋蔵文化財センターの甲府城下町遺跡現場見学会に参加した。場所は、この私のブログ「こんなところに甲府城お堀跡(18)~深町河岸跡付近から北へ向かう三の堀跡~」(*)で紹介した”深町河岸”付近だが、今回の見学会では”甲府城下町遺跡(城東二丁目周辺)”と紹介されていた。

 甲府城下南、若松町あたりから北、東と何度かクランクしてきた三の堀跡は、今回の説明場所城東二丁目”深町河岸”の近辺で二つに分岐する。北へ向かう今では側溝が三の堀跡の続き、東に向かうのが濁川(一級河川)となる。この濁川を引き船がここ甲府城下町の深町河岸まで上ってきたのだ。

 富士川鰍沢河岸あたりで小さい引き船に乗り換え、笛吹川から濁川に入り遡ってきて、このあたりに船着き場、荷上場があったのだ。山梨学院南側から以前の厚生年金会館北側あたりを通り西進してきた都市計画道路和戸町竜王線がこの辺りを通過し、工事の真っ最中なので発掘調査も行われたのだ。

 県埋蔵文化財センターが作った「 平成 甲府城下町絵図 」には、この付近の三の堀の写真が載っており『 深町河岸跡付近 牽き舟からの荷をこのあたりであげた 』とある。下の写真は当日私が撮った写真。

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<橋の手前、石垣の左側に発掘現場がある。右から左に都市計画道路和戸町竜王線が通る。橋手前が三の堀跡。>

 今回の発掘で、船運に関わる施設とみられる遺構が見つかったという。当日の説明では、この場所が舟の係留ドックの様なもので、濁川を遡ってきて船着き場で荷物を下ろしていたのではないかという。確かに舟が係留するような板に囲まれた遺構だ。

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<係留ドックの様な舟を係留しておく板に囲まれた場所が見える。左側に濁川(三の堀)がある。>

 当日は、甲府市教育委員会によるその近く中央四丁目、五丁目あたりの発掘現場から出土した遺物などの説明もあった。

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< 甲州金二粒も発掘されたという。右上箱赤い布の上に並べてある。>

 

 (*) → こんなところに甲府城お堀跡(その18) 深町河岸跡付近から北へ向かう三の堀跡 

 

<参考資料>
 『 平成 甲府城下町絵図 』作成;山梨県埋蔵文化財センター 協力;甲府市教育委員会

2021年12月24日 (金)

漫画『鉄腕アトム』のひとコマを思い出す

 ジングルベルの曲が街に流れ、クリスマスが近づくと思い出すことがある。少年の頃、時々買ってもらい読んでいた雑誌「少年」、その中にあの手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』が載っていた。それには、今はもう当たり前、現実になったが、都会で道路が立体交差し、ビルの間をビルの上を高速道路が走っている景色が描かれていた。(その頃はこんな景色はまさに夢物語だったのだ。)その次のコマには、クリスマスツリーが飾られ、クリスマスの音楽が流れ、賑やかなきらびやかな街が描かれていた。
 そして次のコマには、ビルの影に貧相な格好の少年が座り込んでいる姿が描かれていた。貧しい暮らしの孤独な少年の姿が描かれていた。

 その『鉄案アトム』の漫画が、その後どういう展開になったのかははっきり覚えていないが、この漫画に描かれた数枚のコマ、シーンが鮮明に記憶に残っているのだ。この手塚の漫画は、楽しい華やかなクリスマスの街の片隅に、貧しい孤独の人々、賑やかな世間から忘れ去られたような人々がいるのを決して忘れてはならないと訴えているように私は感じた。

 この漫画のシーンを、もう何十年も経った今も鮮明に覚えているのだ。この漫画のこのシーンは、その後の私の生き方を左右する漫画だったと思う。私の生き方に大きな影響を与えたメッセージだったと思う。

2021年12月20日 (月)

徽典館学頭 田辺太一 御坂峠に登る

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』に出ていた田辺太一(山中聡という俳優さんが演じていた)は、山梨大学の前身「徽典館」の学頭(学長)を勤めた。田辺太一の父親は、田辺新次郎といい、やはり徽典館の学頭を二度(弘化3年、嘉永3年)勤めている。

 この田辺太一が徽典館にいた時に、三坂峠(今の御坂峠)に登ったことを記録した『遊三坂記(三坂に遊ぶ記)』を書いている。登ったのは、安政三年(1856年)の八月二十七日(9月25日)のことのようだ。もちろん漢文で私には読めない。 成瀬先生の論文にある現代語訳(大意)を読んだ。

 田辺は、甲府の城を深夜に出て、甲州街道の松原を通り、”笛吹川を船で渡り、石和に着いた”という。今だったら、”石和を過ぎて、笛吹川を渡った”となるのだろうが、当時は笛吹川の流路が今と違って、石和の手前を流れていたのだ。(明治40年の大水害で笛吹川の流路が変わった。以前は、今の第二平等川が笛吹川だった。)

 『遊三坂記』に、藤野木を過ぎて進んだところに行者堂という円い形の茅屋があったというが、今も何か痕跡があるのだろうか。何時か私は藤野木から御坂峠に登りこの辺りを探索したいと思っている。(あちこち峠歩きをしているのだが、この御坂峠はまだ登っていないのだ。)

 田辺が御坂峠を下り、甲府にもどり城内の宿舎に着くと、「杉浦譲」が迎えてくれたという。このお城で迎えたという杉浦嬢も『青天を衝け』に出ていて、志尊淳さんが演じている。杉浦は徽典館の卒業生であり、後に徽典館の教授方手伝にもなった。
 こちらもご覧下さい → 令和3年7月21日の記事  徽典館で学んだ杉浦嬢

<参考文献資料>
・『 田辺太一「三坂(御坂)に遊ぶ記」―徽典館の文学―(上)(下)』 成瀬哲生 山梨大学教育人間科学部紀要 第13巻
・『関西大学所蔵「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について (上)(下)』 成瀬哲生 平成20年(2008)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第10巻

2021年12月 8日 (水)

栗本鋤雲の『登嶽日記』と徽典館学頭たち

 栗本鋤雲(くりもとじょうん)は、旧幕臣で幕府の学問所である昌平坂学問所頭取、目付になった。外国奉行もつとめ、NHK大河ドラマ「青天を衝け」で徳川慶喜の弟徳川昭武がパリの万国博覧会に行った場面でも、登場した。明治時代に入ってからも、新聞記者ジャーナリストとして活躍した。

 その栗本鋤雲が、弘化3年(1846)6月に昇仙峡御嶽新道開拓者長田円右衛門の案内で金峰山へ登った記録が『登嶽日記』だ。(栗本は、甲府御嶽に来る前、富士山にも登っており、その記録もこの『登嶽日記』に載っている。)

 『登嶽日記』に、『此山開時より今日に至り士人の能く登る者前督學平岩節斎 詩人横山湖山及ひ予と三人のみ、然して湖山の遊予に先だつ僅に一旬間ばかりなりといふ。』とあり、この中に出てくる平岩節斎が、徽典館の学頭を弘化2年と弘化4年の二度つとめた平岩右近である。(節斎は号)

 成瀬先生の論文には、『学頭交代の時期に前任の耐軒が後任の節斎を誘って甲府北郊の御嶽(現在の御嶽昇仙峡)に遊んだのである。』とあるが、このことであろうか。

 この『登嶽日記』には、その他栗本鋤雲が当時(弘化3年)の徽典館学頭林伊太郎(鶴梁)と田辺新次郎(石菴)と、金峰山に行く前に会ったという記述も出てくる。


【参考文献資料】
・Web;栗本鋤雲とは-コトバンク
・『関西大学所蔵「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について (上)(下)』 成瀬哲生 平成20年(2008)度 山梨大学教育人間科学部紀要 第10巻
・ブログ「山梨歴史文学館 山口素堂とともに」の『昇仙峡開発者 長田円右衛門と林鶴梁』のページ
・ブログ「甲府を自慢する会のBLOG」の『「林鶴梁日記」に見る円右衛門(8)』のページ 

2021年11月25日 (木)

佐伯泰英「新・古着屋総兵衛 第二巻 『百年の呪い』」を読む

 以前読んだ佐伯泰英著「古着屋総兵衛影始末」の90年余後のお話、舞台は同じで続編である。交趾(こうち;ベトナム)で生まれた五代目総兵衛の末裔勝臣が、十代目総兵衛になり大活躍するという爽快なお話である。
 時代がちょうど、今私が興味を持って研究探索している「甲府学問所徽典館」が創設された頃(*)で、小説ではあるが社会の状況が結構描かれており大変参考にもなり、楽しく面白く読んでいる。

(*) 『 享和3(1803)  追手門前に徽典館を創設。前身は甲府学問所(勝手普請役富田武陵宅) 』と山梨県埋蔵文化財センター作成の「平成甲府城下町絵図」の年表にある。

 この『百年の呪い』には「六義園」が出てきて、それに関わって柳沢吉保についての記述があり、特に興味を持った。以前から承知していることではあったが、改めて再認識した。

『・・・六義園を造園した柳沢吉保は陪臣百六十石から異例の昇進を重ね、ついには幕閣最高の地位といえる大老格に出世、徳川一門が封土することが習わしの甲斐国甲府藩十五万余石の藩主になった。この出世の背景には五代将軍綱吉の格別の寵愛があったことはもちろんである。
・・・吉保の嫡子吉里に甲府藩は継がれ、吉里は享保九年(1724)に甲府から大和郡山藩十五万一千石に転封した。
・・・また初代藩主の吉里は前任地甲府で飼育していた金魚を大和郡山藩に持ち込み、家臣は金魚の飼育に努め、江戸まで、「大和郡山の金魚」は知れ渡り・・・
・・・また柳沢家では代々江戸駒込の六義園を保持し続け、三菱財閥を興した岩崎弥太郎が買い取る明治初めまで柳沢家の手にあった。・・・』

 それにしても、この時代小説は、時代的には100年、地域的にも遠くベトナムまで話が飛び、いかにも壮大なお話だ。次巻以降が楽しみである。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 こちらもご覧下さい → 続々「古着屋総兵衛影始末」を読む

  「新・古着屋総兵衛 百年の呪い」 佐伯泰英
            新潮社新潮文庫 平成23年10月1日

2021年11月19日 (金)

定年後の暮らしは読書三昧 『 鎌倉河岸捕物控 31巻 島抜けの女 』を読む

 佐伯泰英の『鎌倉河岸捕物控』をずっと楽しく面白く読み続けている。以前読んだこの作者の『居眠り磐音』と同じように、次はどうなるかハラハラドキドキしながら、次から次へ続けて読んでいる。他やらなければならないことがおろそかになっていたりして(^0^)

 お菊への思いをうまく処理できずに傷心のまま放浪する亮吉は、不審な者を見付け追いかける。押込み強盗と対峙するが腹を刺され意識不明となる。お菊が必死に看病し、母親が不肖の息子を心配する場面では、不覚にも涙が流れてしまった。

 読む本、読みたい本のある嬉しさ楽しさをしみじみ思う。この『鎌倉河岸捕物控』シリーズは、32巻までだというから後一冊だ。何か寂しくなってしまう。

 『鎌倉河岸捕物控 31巻 島抜けの女』 佐伯泰英 角川春樹事務所 2017年11月18日 第一刷


 こちらもお読みください

   → 佐伯泰英「新友禅の謎(鎌倉河岸捕物控 25巻)」を読む

2021年11月17日 (水)

甲府城四季巡り 白亜に輝く稲荷櫓

 桜の紅葉の向こうに稲荷櫓が見えている。青空をバックに白亜の稲荷櫓は、姫路城を彷彿とさせる。

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 JR甲府駅からわずか5分、稲荷曲輪入口から本丸へ登るスロープから紅葉のモミジの向こうに稲荷櫓を眺める。

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 稲荷曲輪から落葉を踏みしめ、白塀の間から数寄屋曲輪に入る。

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 鍛冶曲輪から天守曲輪、天守台を見上げる。天守はあったのだろうか。

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 こちらは稲荷曲輪から天守台、一段下は天守曲輪。

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 紅葉した桜の古木の向こうに稲荷曲輪門、そして天守曲輪と天守台。

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 緑とモミジとドウダンツツジの紅葉が映える。この野面積みの石垣の上に数寄屋櫓があった。

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 鍛冶曲輪から一条小山山頂に築かれた天守台を見上げる。大勢の人に甲府城を訪れてもらいたい気持ちが膨らむ。

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 長い間活動休止中だった甲府城御案内仕隊は、活動を再開しました。

2021年10月27日 (水)

山梨百名山甲府名山「黒富士」 甲府名山「升形山」に登る

<「黒富士」と「升形山」は20年ほど前、一度登った山である。黒富士は火山で、この山の火砕流は、甲府盆地の南側曽根丘陵まで達したというからすごい。もっともこれは、100万年前の話(^0^) 数年前両方の山が”甲府名山”に選定されたということで改めて登ることにした。>

【山行日】令和3年10月24日(日)
【天候】晴
【コースタイム】
 黒富士登山口(9:15)~(9:30)八丁峠(9:40)~(9:50)八丁平~(10:20)黒富士(10:40)~(11:00)八丁平~(11:15)升形山(11:25)~八丁平~八丁峠~(12:00)登山口
【 参考にした資料 】
「 1:25,000地形図 茅が岳 」 平成元年12月1日発行 国土地理院
「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社
「 山梨県の山 」長沢洋 2016年4月15日 山と渓谷社

Imgp43401  甲斐市旧敷島町清川から観音峠を越え、2~3キロ行ったところ右手にちょっとした広場がある。黒富士登山口である。車は5~6台は駐められそうである。ここが八丁峠への最短での登り口。

Imgp43451  15分で八丁峠(1545m)。右に行くと曲岳、まっすぐ峠を越えていくと平見城、左に行くと升形山黒富士方面である。峠からさらに10分で八丁平(升形山分岐)。森が切れ、枯れた草原であった。以前来たときにはここに綺麗な山の花が咲いていた記憶がある。今はどうだろうか。ここから升形山への登山道が分岐しているが、最初に黒富士に向かうことにした。

 八丁平から30分で黒富士頂上(1635m)。頂上手前で道が二手に分かれるが、左側を登ると岩場に出て北側西側の眺めがよかった。茅ヶ岳金岳の向こうに南アルプスの甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山が見えた。これから登る升形山の向こうには八ヶ岳が。八ヶ岳編笠山左裾野上には北アルプスが見えた。そして北側には、金峰山、瑞牆山が真っ正面に見えた。

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 頂上は、あまり展望がないが、頂上から南側へわずか下ったところの展望台からは、南側甲府盆地や御坂山塊富士山の眺めが抜群だった。

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 八丁平に戻り、升形山(1650m)をめざす。八丁平の上部草原からは、先ほど登った黒富士の右側遠く富士山が眺められた。富士山と黒富士のツウショットだ。

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 草原を過ぎると、ほんの50~60mがけっこうの登りだったが、15分で頂上。頂上は狭い岩場だ。展望は黒富士頂上よりよかったかもしれないが、ちょっと怖くてあまり写真は撮れなかった(^0^)富士山はもちろん、反対側北側からは遠く浅間山が見えてうれしかった。

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2021年10月23日 (土)

日本遺産 御嶽古道を歩く

<日本遺産『甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡』の構成文化財の一つ、「御嶽古道」を、武田の杜 史跡ウォークで八王子峠から金桜神社まで歩いた。また、昇仙峡ガイド講習で金桜神社から八王子峠を経て吉沢まで歩いた。私は何度も歩いた道で、このブログでも色々記述アップしてきたが、改めて今回新しく知ったこと、印象深かったことなど順次紹介していくことにする。>

<八王子峠の道標>
 昇仙峡ロープウエイのパノラマ台駅を降りたところに、旧猪狩村の氏神さん八雲神社がある。真新しい拝殿の後ろには、千代田湖畔の八王子山山頂にあるのと同じような石の大きな祠がある。同じ”八王子山””八王子峠”で何か関連があるのかもしれない。この八雲神社の裏側、ちょっと低いところを小道が横切っているが、ここが八王子峠ということだろう。
 八雲神社拝殿の前に、古い石の道標がある。道標の文字は、うれしいことにまだ何とか読めるのである。石の道標の3面に、「宝暦十三癸未歳十月日」「左是よりみたけ社参道」「従是御嶽社参道」とある。宝暦十三年というと西暦1763年だ。御嶽新道が出来る80年前になる。この時代、この八王子峠が金桜神社の参道の入口で、第一の華表(鳥居)があったという。

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<第二の華表>
 以前この八王子峠から金桜神社まで歩いたときには、御嶽古道を表すような遺物石仏など何もなかったと書いた(*)が、いやいやあったのである。八王子峠から金桜神社までは大部分林道のような車道(当時の御嶽古道・神社参道)だが、その途中に「第二の華表」があった。
 御嶽道にはいくつかの華表があったが、その中の一つがここにあったのだという。苔むした小さな束石が3mほど離れて二つ道端に無造作に転がっていた。木の小さい鳥居であったのだろうか。説明板でもあればいいなと思ったのだった。

 (*)平成25年5月31日の記事
     → 金桜神社から八王子峠へ そして外道を下る

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<山の神>
 八王子峠から御嶽古道(金桜神社参道)をかなり歩き、平坦な道がやや下り坂になり、金桜神社までもう少しというところに、地元の人がヤマノカミと呼んでいるところがある。(写真下)下ってきた林道アスファルトの道はまっすぐ下っていくが、この山の神(写真)の前を左に巻くように下っていく道が御嶽古道だという。まっすぐ下っていく道も御嶽古道だった時もある。時代によって道順は変わっているのだ。

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参考資料
 ・令和3年10月10日実施 武田の杜 史跡ウォーク 配付資料
 ・令和3年10月14日実施 日本遺産昇仙峡ガイド講習 配布資料

2021年10月13日 (水)

北八つ白駒池の紅葉を撮る

<今年も白駒池の紅葉の写真を撮りに出かけた。どうも紅葉の盛りはちょっと過ぎたようだったが、それでも天気がよく白駒池の湖面に映える紅葉の写真を撮ることが出来よかった。>

 今年は去年より30分早く6時30分に家を出たのがよかったか中央道、国道141号海尻、松原湖を経て1時間40分ほどで、北八つ白駒池駐車場に着いた。駐車場は、9割が埋まっていた。何とか滑り込みセーフで駐車できた。駐車場から白駒池に向かったが、白駒池の紅葉をちょっと見て戻ってくる人も多いようで、この時間だったら待てば駐車もそれほど待たなくていいかもしれない。駐車料金600円也。

Imgp41401  今年も白駒池に向かう道途中から、案内板に従って高見石・丸山方面に向かった。北八つの苔の森の中の木道を歩く。高見石まで緩い登りで40分、麦草峠から丸山経由よりずっとやさしく短い時間で高見石に着いた。高見石に最短、楽に行くのならこのルートだ。Imgp41571

 高見石小屋前で一休みの後、高見石の岩山に登った。高見石小屋前から、ほんの20~30mの岩山だが、大きな岩を乗り越え登っていく。足を踏み外し岩の間に落ちたら大けがをするだろう。慎重に注意しながら登った。今回も、難なく登ることが出来よかった。もしかしたらこの高岩に登るのもこれが最後になるかなとふと思った。去年もそう思ったが(^0^)

Imgp41511  高見石の岩山の頂上は、”360度の大パノラマ”と銘打っている通り、近くの中山、丸山、茶臼山、麓の佐久小諸方面の街並みも眺められ、その向こうには、浅間山も麓から頂上までよく見えた。東から南にかけての山々ははっきり山座同定できず残念。

 高見石から白駒池へ下る。こちらは結構急坂で気を引き締めて歩き下る。下り着いたところが、白駒荘。大勢の人が休んでいた。白駒池の紅葉の眺めがこの辺りがいいようで、みんなが写真を撮っていた。

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 白駒池湖畔を一周する。途中ニュー方面へ行く山道、八千穂高原方面へ行く山道を分ける。青苔荘前の湖畔でも写真を撮っている人がいっぱいいた。この場所も白駒池の紅葉の写真を撮るポイントのようだ。

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 白駒荘前に戻る。まだまだ人がいっぱい。ウイークデイでこうだから、土日は大変な人出だろうなと思った。ただ今度の土日では紅葉はもう遅いかもしれない。

 駐車場に戻る道でも大勢の人とすれ違った。歩くのがようやっとというようなご老人もいた。そういえば湖畔には車椅子の方がいた。ここはほとんど平らな木道でみんなが白駒池の紅葉を楽しめるようで、いいことだなと思いながら駐車場に向かった。

 駐車場に戻ったのが12時過ぎだったが、道路には八千穂方面駐車待ちの車の列がずっと見えなくなるまで続いていた。

                     (令和3年10月11日 歩く)

2021年10月12日 (火)

庭の花を撮る 秋の薔薇

 夏の暑さが収まり、寒さへ向かっているこの時季、我が家の庭で薔薇が綺麗に咲いている/春咲く薔薇に比べるとずっと小さいが、色が鮮やかなような気がする/そして香りも濃い/

 これらの薔薇の花たちを見ていると どうしてこんなに美しいのだろうか とため息が出るほど/今年の秋もこんなに美しく綺麗に咲いてくれてありがとう/

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 撮影カメラ ; PENTAX K-7
     レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

2021年10月 3日 (日)

咲き残りの花咲く「入笠山」に登る

<家から、車で中央道経由、1時間足らずで富士見パノラマリゾートに着く。ゴンドラリフトに乗り山頂駅から歩いてやはり1時間足らずで入笠山山頂(1,955m)だ。途中入笠湿原、花畑で、そしてゴンドラ山頂駅近くにある山野草公園で咲き残りの山の花の写真を撮った。>

 ゴンドラ山頂駅から左方向、広い林道を行く。途中、スズラン群生地方向の入口から、入笠湿原に入る。もちろんもう花の時期は終わっている。それでも咲き残りの山の花が少し咲いていてうれしかった。入笠湿原から10分で花畑。ここにも若干の咲き残りの花が咲いていた。

<ヤマラッキョウ>
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<ヤマホタルブクロ>
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<ヤマハハコ>
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<トリカブト>
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 今回は、岩場コース、岩場コース迂回コースではなく、花畑の一番上から「新ルート New Trail」として麓の看板にマジックで書いてあるルートを歩いた。20分足らずで、大阿原湿原首切り清水から登ってくる道に合流、山頂に向かう。すぐ岩場迂回コースと合流して山頂に着いた。下りは、迂回コースを下った。

<入笠山山頂>
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 帰り入笠湿原を中央の木道でなく、左を迂回する木道を廻った。途中から、入笠湿原の草原向こうシラカバの木々の上に、登ってきた入笠山がよく見えた。

<入笠湿原から入笠山>
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 ゴンドラ頂上駅近くにある山野草公園を一巡り、さすが色々な花の咲き残りが沢山あり楽しめた。「恋人の聖地」と銘打った展望台から頂上が雲に隠れた八ヶ岳がよく眺められた。左方向には遠く霧ヶ峰車山も見えた。

<タチフウロ>
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<マツムシソウ>
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<フシグロセンノウ>
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<シモツケ>
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 (入笠山 令和3年9月28日登る)

2021年9月30日 (木)

定年後の暮らしは映画三昧 『慕情』を観る

 録画しておいたNHKBSプレミアムシネマの『慕情』を観た。

 中国とイギリスのハーフの女医ハン・スーインとアメリカ人の特派員マークが恋に落ちるが、最後マークが朝鮮戦争の取材で死んで恋も終わるというお話。

 中国の昔の家族制度の厳格さを垣間見た感じである。主題歌の「慕情」は、聞いたことのあるなじみの音楽。2人が会う丘からみる香港の港の景色がよかった。

 ・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。


映画  『 慕情 』
<スタッフ> 監督;ヘンリー・キング/脚色;ジョン・パトリック/原作;ハン・スーイン/音楽;アルフレッド・ニューマン/公開 米国;1955年8月 日本;1955年11月
<キャスト> ジェニファー・ジョーンズ;ハン・スーイン/ウィリアム・ホールデン;マーク・エリオット/イソベル・エルソム;アデリーン・パーマー=ジョーンズ/ジョージャ・カートライト;スザンヌ/トリン・サッチャー;ハンフリー・パーマー=ジョーンズ 他

2021年9月24日 (金)

定年後の暮らしは映画三昧 「花のあと」「山桜」

 NHKBSプレミアムで録画しておいた二つの映画を見た。何れも、藤沢周平の原作の映画化作品で、一度見たことのある映画だ。桜がモチーフになっている映画、綺麗な映像で楽しく見ることが出来た。

<花のあと>
 以前テレビのドラマで、コミカルな不動産屋さんを演じた北川景子が、この映画では女剣士以登を演じていて、特に最後の決闘シーンはかっこよかった。市川亀治郎が憎たらしい決闘相手を演じていたがさすが。
スタッフ 監督;中西健二/原作;藤沢周平/脚本;長谷川康夫 飯田健三郎/音楽;武部聡志
キャスト 北川景子;以登/甲本雅裕;片桐才助/宮尾俊太郎;江口孫四郎/相築あきこ;郁/佐藤めぐみ;津勢/市川亀治郎;藤井勘解由/柄本明;永井宗/國村隼;寺井甚左衛門/他

<山桜>
 いつもながら、庄内の景色はいい。エンディングで縁談の相手の母親役としてベテラン富司純子が登場し、ほっとした。ある意味ハッピーエンドの映画になった。その他、東山紀之、篠田三郎、壇ふみなどの演技が映画を盛り上げていた。
スタッフ 監督;篠原哲雄/原作;藤沢周平/脚本;飯田健三郎 長谷川康夫/音楽;四家卯大/主題歌;一青窈
キャスト 田中麗奈(磯村野江)/東山紀之(手塚弥一郎)/篠田三郎(浦井七左衛門)/檀ふみ(浦井瑞江)/富司純子(手塚志津)/他

 ・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。

2021年9月15日 (水)

定年後の暮らしは読書三昧 『 鎌倉河岸捕物控 25巻 新友禅の謎 』

 佐伯泰英の『鎌倉河岸捕物控』をずっと読み続けている。もう25巻、以前読んだこの作者の『居眠り磐音』と同じように、次はどうなるかハラハラドキドキしながら、次から次へ読んでいる。

 話しの中で時々、主人公政次が日本橋の呉服屋松坂屋の手代から、金座裏へ引き抜かれた経過などが振り返られ、話の筋がつかみ易い。捕物帖だが、政次、亮吉、彦四郎 + しほ の四人が成長していく青春ドラマ、また四人を囲む人々が演ずるホームドラマという感じでもあり、楽しく面白く読み進めている。次の展開を読みたくて、他やらなければならないことがおろそかになっていたりして(^0^)

 こちらもお読みください
   → 佐伯泰英「政次、奔る(鎌倉河岸捕物控 二の巻)」を読む」

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 『鎌倉河岸捕物控 25巻 新友禅の謎』 佐伯泰英 角川春樹事務所 2014年11月18日 第一刷

 

2021年9月 5日 (日)

帯那山・奥帯那山・見越山

【山行日】2021年8月28日(土)
【 天 候 】曇り時々晴
【コースタイム】
 水ヶ森林道脇登山口(9:35)~(9:50)旧帯那山高原牧場への林道を横切る~(10:00)山梨百名山「帯那山」(10:10)~(10:30)奥帯那山~(10:45)帯那山(10:50)~旧牧場の林道を歩く~見越山踏み跡へ入る~(11:10)見越山~林道へ出る~南アルプス方面眺めのよい場所~(11:20)伐採地駐車場~旧林道を折り返す~牧場の道へ合流~(12:00)水ヶ森林道登山口
【参考にした資料 】
「 新版アタック山梨百名山 」 山梨メープルクラブ 平成22年4月 山梨日々新聞社
「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社

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<水ヶ森林道途中帯那山登山口から>
 甲府積翠寺から山梨市切差へ抜ける県道甲府山梨線の太良峠から水ヶ森林道へ入って2~3㎞、道路が右に大きくカーブするところ道路脇に車が2~3台留められる場所がある。ここに「帯那山登山道」の小さな看板が立っている。道路反対側に山梨市戸市からの登山道が登ってきている。帯那山への山梨市側からの一般的な登山口の戸市登山口から、頂上までのちょうど中間点ぐらいのところだ。

<旧帯那山高原牧場へ行く林道を横切る>
 水ヶ森林道途中登山口から登り始めて20分ほどで、旧帯那山高原牧場に行く林道を横切る。Imgp38622 横切ってすぐはものすごい急な道だがすぐ平らな林道歩きになる。この林道は、山頂にあった警察無線中継所の建設やメンテナンスのために作られただろう古い林道だ。林道を辿ると、15分ほどで帯那山の休憩東屋に着く。

<帯那山山頂>
 休憩東屋から20mほどで、山梨百名山の標柱や旧警察無線中継所の廃屋がある帯那山山頂(1375m)だ。Imgp38702 山頂北面の昔芝草スキーをしたという辺りの斜面は、ススキのような背の高い草に覆われていた。歩くにも苦労するほど伸びていた。残念ながらこれでは今の時期、帯那山初めての登山客だったら迷ってしまう。わずか山梨百名山の標柱のあるあたり20m四方が開けていた。その辺りに4人ぐらい座れる椅子とテーブルが二組設置してあった。2人の中年女性が座り休んでいた。

<奥帯那山山頂>
 帯那山山頂から15分ぐらいほとんど平らな山道を行くと、奥帯那山山頂(1442.3m)だ。こちらは林の中の道で登山道ははっきりしている。Imgp38742 しかし奥帯那山山頂の手前10mほども、高いススキのような草で覆われていた。初めての人だったら手前で諦めて戻ってしまうかもしれないと思った。山頂付近5m四方ぐらいは草が刈ってあった。 三角点と前々からあった鉄板の山頂標の他に、大きい立派な2本の山頂標が立っていた。

<見越山に向かう>
 山梨百名山の標柱のある帯那山山頂に戻り、そこから旧帯那山高原牧場に向かう林道に歩き下る。この山道も、本来は草原の中の眺めのよい快適な下りの山道なのだが、背の高いススキのような草に隠れていて、進む方向がわからないぐらいだ。穂の先の花粉が顔にまでまとわりついて不快だ。

<ハクサンフウロ>
Imgp38641

<三角点のある見越山山頂>
 旧帯那山高原牧場に向かう林道に降り立ち、見越山に向かう。 旧帯那山高原牧場入り口のゲートがあるところから、50~60mほど行ったところを林道からはずれ、左の林の中に入る。林道の脇に立つ木に赤いテープが巻き付けてある。Imgp38922 見越山への入口だ。このテープがなければ見越山への山道は分からないだろう。
 ここから林の中に踏み込み、残る踏み跡をたどる。ここで気を付けなければならないのが、右側に今まで歩いてきた林道が見下ろせるところがあるが、左側にも旧の林道跡があるということだ。つまり新しい林道と古い林道に挟まれた高みを進めばいいということだ。Imgp38942 5分も進むと三角点のある見越山山頂(1347.4m)に着く。「見越山山頂」の標札がつるさっていた。三角点もあるこの山頂は、三角点マニアや見越山にも登ろうと目的を持った人以外は、すぐ脇を走る林道の方を歩き、ここを通らないだろう。

<見越山先で引き返す>
 見越山山頂をちょっと先に進むと右に先ほどの林道が見える。その林道に出ると林道は大きく右方向に進み左に回り込んで行く。途中盆地や南アルプス方面がよく見える場所があるのだが、残念ながらいまの時期は木々が茂っていてよく見えない。Imgp39051
 その先右に広い駐車場があり、軽トラなど数台の車が駐まっていた。おそらく伐採地の作業の人たちの車だろう。そして反対側の斜面広く木が切り開かれ、広々として眺めはよくなっている。1㎞四方ぐらいの伐採地だ。切り開かれてもう2~3年経っているだろうか。切り開かれた斜面の向こうに盆地からも見える電波塔が近く見えた。
 太良峠、棚山方面が眺められる。その向こうに盆地の家並み、御坂の山々その上に富士山が見えるはずだが、今日は雲に隠れよく見えなかった。

<見越山を廻って旧の林道を進む>
 伐採地が見えるところから左へ回り込むと旧林道がある。伐採が始まる前は、本当に薄暗い廃道のような林道だったが、今は結構歩く人もいるのか、はっきりとした山道が進んでいた。やがて旧帯那山牧場の看板のある林道に合流する。合流する手前10mぐらいは道はなくなり草地の中を進む。

<タカネニガナ>
Imgp38671

<登山口へ戻る>
 旧帯那山高原牧場の看板のある林道を進み、途中から右へ水ヶ森林道へ降りる山道へ入る。よく考えてみるとこの道も警察無線の施設のメンテナンスのための道だったような気がする。旧帯那山高原牧場への林道が出来る前はこの道が工事やメンテナンスの道だったのだ、きっと。このあたりのこと、また調べてみよう。車を駐めた登山口に戻った。

2021年8月29日 (日)

乙女高原に山の花を撮りに

 帯那山山頂まで歩いて10分の駐車場から、水ヶ森林道を16㎞、50分ほど走って乙女高原に着いた/遙か昔、ここへ娘を連れて今日と同じように花の写真を撮りに来たのを思い出した

 去年、乙女高原に山の花を撮りに行ったときに、「ああ、もう一寸早い時季に来ればよかったな」と思ったのに、何か今年もまた同じ時季になってしまった/それでも今年は、乙女高原を今までよりはかなり広い範囲で沢山の花の写真を撮り歩いた/遥か御坂の山々や富士山が眺められる場所も見つけよかった

<ツリガネニンジン>
Imgp39261

<ワレモコウ>
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<マルバダケブキ>
Imgp39451

<マツムシソウ>
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<ヤマハギ>
Imgp39631

<アキノキリンソウ>
Imgp39471

<シシウド>
Imgp39591

<オミナエシ>
Imgp39621

2021年8月26日 (木)

山梨百名山「甘利山」へ山の花を撮りに

 甲府から50分、25㎞で甘利山広河原駐車場/広河原から花の写真を撮りながら30分で山頂/残念ながら山頂からは盆地や富士山など遠くの山は見えなかった/今回は山頂から汁垂へ下る/昔はスキー場だったところだが、今はヘリポートになっていた/汁垂からはアスファルトの道を広河原へ/山頂からこちらも本当にゆっくり40分で広河原駐車場

<ツリガネニンジン>
Imgp38321

<ハナイカリ>
Imgp38211

<ツリフネソウ>
Imgp38501

<コバギボウシ>
Imgp38451

<マルバダケブキ>
Imgp38341

<シュロソウ>
Imgp38041

<ハクサンフウロウ>
Imgp37951

撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

2021年8月15日 (日)

定年後の暮らしは映画三昧 『荒野の決闘』を観る

 録画しておいたNHKBSプレミアムの『荒野の決闘』を観た。私が生まれた1947年(74年前)公開の古い白黒西部劇映画だ。

 決闘のシーンもあるにはあるが、映画全体としては静かな落ち着いた映画に思えた。荒野の景色も、荒野の中にある街の風景もあまり索漠としておらず、何か温かい感じがした。白黒映画のせいだろうか。

 音楽もどこかで聴いたようなという感じだったが、これはダークダックスが歌う『雪山賛歌』の元歌、『いとしのクレメインタイン(Oh My Darling, Clementine)』だった。静かに流れる音楽がこの映画にぴったりだ。

 それにしても、チワワ役のリンダ・ダーネルとクレメンタイン役のキャシー・ダウンズの美しさが際立つ。これも白黒のせいか?!

 ラストシーンでワイアットが言う ” クレメンタイン・・・ とてもいい名前だ ” 題名とは違って、映画全体が静かで、恋心をちょっぴり切なく描いた名画であった。


 ・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。


<スタッフ>
監督;ジョン・フォード/脚本;ウィンストン・ミラー サミュエル・G・エンゲル/原作;スチュアート・N・レイク/製作;サミュエル・G・エンゲル/音楽;シリル・モックリッジ アルフレッド・ニューマン/配給;20世紀フォックス/公開;アメリカ1946年 日本1947年
<キャスト>
ワイアット・アープ;ヘンリー・フォンダ/チワワ;リンダ・ダーネル/ドク・ホリデイ;ヴィクター・マチュア/クレメンタイン・カーター;キャシー・ダウンズ/オールドマン・クラントン;ウォルター・ブレナン/モーガン・アープ;ワード・ボンド/アラン・モーブレイ/ティム・ホルト 他

2021年8月13日 (金)

大蔵高丸へ山の花を撮りに

 大蔵高丸へ山の花の写真を撮りに出かけた。湯の沢峠から10分ほどで、「お花畑」だが今年はここでは、ほとんど山の花は咲いていなかった。大蔵高丸の山頂付近の草原にもあまり花は咲いていなかった。

 ここから引き返そうかなとも思ったが、それでもと思いハマイバ丸へ向かった。大蔵高丸からハマイバ丸の中間辺りの草原に、待望の山の花が沢山咲いていた。ハマイバ丸まで足を伸ばしてよかったと思った。さもなければ、この花々は見ることが出来なかった。

<コオニユリ>
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<ツリガネニンジン>
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<シシウド>
Imgp37001

<ヤマオダマキ>
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<シロバナタチフウロ>
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<ウスユキソウ>
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<ワレモコウ>
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<シモツケソウ>
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<オミナエシ>
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 撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2021年8月12日 (木)

山梨百名山「大蔵高丸」から東京スカイツリーが見えた

 「大蔵高丸」には、もう何度も登っているが、今回初めて東京中心部高層ビル街やスカイツリーを眺めることが出来た。おまけに、これは確信できないが、横浜の高層ビル街の向こうに東京湾、房総半島が見えたのだ。

 大蔵高丸は、大菩薩連山南部にある1781mの山。大月市で指定している秀麗富嶽十二景の三番山頂である。この日は富士山は残念ながら見えなかった。

 この景色は、大蔵高丸頂上だけでなく、大菩薩連山更に南にあるハマイバ丸に向かう途中尾根道何カ所からも見えた。好きな「山と山の花」の写真を撮りに行ったのだが、思わぬプレゼントにうれしくなった。

 *写真は是非クリック拡大してみてください*
 *パソコンだといいですが、スマフォだとちょっとうまく見えないかも*

<大蔵高丸頂上から東京中心部高層ビル街>
 左端にスカイツリーが見える。中心部辺り東京都庁の建物ツインタワーも見える。
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<大蔵高丸頂上から横浜高層ビル街>
 ベイブリッジも見える。横浜の向こうに見えるのは東京湾ではないだろうか。そして更にその向こうに房総半島らしきものが見える。
Imgp37741 

 撮影 ; 令和3年8月10日(火)午後1時頃
 撮影カメラ ; PENTAX K-7
      レンズ ; SMCPENTAX-DA 55-300mmED

2021年8月 9日 (月)

定年後の暮らしは読書三昧 小川 糸『ライオンのおやつ』を読む

 小川 糸 『ライオンのおやつ』を読んだ。今、NHKBSで放映している「ライオンのおやつ」の原作だ。

 小川 糸 さんは2008年『食堂かたつむり』でデビュー、その後の作品が多くの国で翻訳出版されているという。また『食堂かたつむり』は、映画化され色々な賞をもらっているという。私は、全く知らなかった。”読書好き”とはいえないな、不覚。

 この本、小川さんの文章は読みやすく、すらすら読めた。私は、一時小児がんの子どもたちと関わったこともあり、当時のことも折々思い出しながら読み進めた。

 この本は、重いテーマ内容をさりげなく描いているように思う。それほど悲壮感は感じられない。”死ぬことは生きること”、”死ぬまで生きる”ということが何か分かるような気がする。この本の人たちのように、死ぬまで穏やかに生きたいものだが理想か。

 テレビのドラマは、原作をかなり膨らませていると思う。あと1回で終了、ドラマの方は、どういう形で終わるだろうか。
  

 『ライオンのおやつ』小川 糸 ポプラ社 2021年6月16日第21刷

2021年7月30日 (金)

南アルプス前衛「櫛形山」へ登る

 平林集落を通り過ごし、丸山林道から池の茶屋林道へ入る。林道の終点が池の茶屋駐車場だ。ここにいくつかある櫛形山登山道の一つ、池の茶屋登山道の登山口がある。

 結構急な山道を、まず桜峠を目指す。途中獣よけの扉が2ヵ所ある。通った後、扉をひもでしっかり縛る。

 桜峠からは防火線を登る。このあたりはお花畑で、ヤマオダマキ、シモツケソウなどが咲いていた。

<ヤマオダマキ>
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<シモツケソウ>
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 最初のピークが、奥仙重。三角点があり、国土地理院の地形図では、ここを2051.7mとしている。

 その次が山梨百名山の標柱などのある櫛形山山頂。ガイド本などは、ほとんどここを2051.7mとしているが、奥仙重よりほんの少し高いそうで、池の茶屋駐車場の案内板には2,053mとある。

<櫛形山山頂>
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 山頂から若干の登り下りがあり、林間の草原状のところからアヤメ平へ「原生林コース」をとる。暗い森の中を歩き、木の枝からたれているサルオガセを見ると、まさに原生林の中を歩いているという感じだ。

<サルオガセ>
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 アヤメ平は、夏の山の花が沢山咲いていて、うれしくなった。早速山の花の写真を撮る。

 避難小屋の前にある木でできたベンチで昼食。その後もう一度花の写真を撮り、次は裸山を目指す。

<グンナイフウロ>
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 裸山は、麓から5分ぐらいで頂上(2002.6m)。今日は、裸山の頂上から夏の北岳間ノ岳が眺められた。また反対側には、櫛形山の頂上稜線の向こうに富士山が覗いていた。

<間ノ岳(3189.3m) 北岳(3193m)>
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<櫛形山の稜線の向こうに富士山 手前にマツムシソウ>
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 この辺りもお花畑、夏の山の花がいっぱい咲いていた。まだちょっと早いのかなと思うが、マツムシソウが少し咲いていた。また咲き残りのアヤメが何輪か咲いていた。その辺り一面アヤメの葉っぱが伸びていて、アヤメの時季には花が一杯咲いていたのだろうなと思った。

<咲き残りのアヤメ>
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<キツリフネ>
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 原生林コースへの分岐から、櫛形山山頂、奥仙重を経て桜峠へ下る。桜峠からもう本当に楽な気持ちで池の茶屋駐車場へ降り立った。

 夏の山の花を沢山撮ることができた。また、結構の歩数で運動不足の体にはいい運動になった。一年ぶりの櫛形山を思い切り楽しんだ山行きだった。

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【山行日】 令和3年7月26日(月)

【天候】 曇り/時々晴

【コースタイム】
 池の茶屋駐車場(9:00)~(9:13)桜峠~(9:40)奥仙重~(10:00)櫛形山(10:10)~(10:50)アヤメ平(11:40)~(12:10)裸山(12:40)~(13:30)櫛形山(13:40)~(14:00))奥仙重~(14:40)池の茶屋駐車場

【参考にした資料 】
「 1:25,000地形図 奈良田 」 平成17年11月発行 国土地理院
「 1:25,000地形図 小笠原 」 平成20年2月発行 国土地理院
「 新版アタック山梨百名山 」 山梨メープルクラブ 平成22年4月 山梨日々新聞社
「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社
「花かおる櫛形山」櫛形山を愛する会 平成19年5月1日 ほおずき書房

2021年7月23日 (金)

奥昇仙峡 清涼感あふれる板敷渓谷

 日本遺産に認定された昇仙峡の仙娥滝上、お土産屋さん、水晶工芸品店、食事処などを通り過ごし、車で更に10分ほど遡ると荒川ダムがある。能泉湖ともいわれる。この能泉湖を含め、板敷渓谷、黒平、金桜神社辺りを、奥昇仙峡と呼ぶこともある。

 荒川ダム(能泉湖)に流れ込む荒川に架かる荒川大橋を渡ってしばらく進むと、板敷渓谷がある。この板敷渓谷、今の時季、木々の緑が映え、清流が岩を砕き流れ、歩き行き着いた先にある大滝は清涼感にあふれ、まさにパワースポットである。36度37度という甲府盆地の酷暑が嘘のような別世界である。

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 気を付けなければ滑りそうな濡れた木橋を渡ったり、鉄製の階段を上ったりで渓谷沿いを歩く。革靴ハイヒールだとちょっと厳しい。スニーカーや軽登山靴がいい。

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 渓谷入口から渓谷沿いの山道を20分ほど歩き大滝に着く。大滝は、高さ30メートルほど、流れ落ちる水量はものすごく多い。水しぶきが飛んできて涼しいことこの上ない。

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 運がよければ日射しの具合で虹が見られるというが、残念ながら今日は見られなかった。

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 撮影カメラ ; PENTAX K-7
     レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED

 

    (令和3年7月21日)

2021年7月21日 (水)

徽典館で学んだ 杉浦 譲

 甲府市街の南部太田町にある遊亀公園の中には、以前遊亀公民館があり、同じ建物には甲府市の教育委員会も入っていたという記憶がある。その建物は今はなく、遊亀公園や市立動物園の広い駐車場になっている。その駐車場から入ってすぐ池の湖畔に、杉浦譲の顕彰碑がある。

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 碑の表題は、「初代駅逓正 杉浦譲顕彰碑」だ。顕彰碑には、杉浦は若い頃から文武に優れており、明治政府になってから、前島密とともに、日本に郵便制度の確立に努めたとある。
 下に記した講座で小畑さんは、郵便制度を確立したのは、前島密ということで有名だが、実質その制度の確立に貢献したのは杉浦譲といえるのではないかといっていた。

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 NHKテレビ”青天を衝け”で、徳川慶喜の弟徳川昭武がパリの万国博覧会に行き、今まさにその場面であるが、それに随行した一人がこの杉浦譲(杉浦愛蔵)だ。
 この時、テレビの主人公渋沢栄一と知り合い、気が合い親友となった。先日のテレビで杉浦は、一行より一足先に帰国を命じられた場面をやっていた。

 杉浦譲は、甲府勤番士の子息で「徽典館」で学んだ。いわば私の大先輩になるかな(^0^) 
 1845年(弘化2年)に徽典館に入学、1853年(嘉永6年)に卒業、すぐ徽典館の教授方手伝見習になり、2年後には教授方手伝となる。優秀であった杉浦は、1861年(文久元年)江戸に移り、外国奉行支配書物御用出役となり、やがてテレビであったようにパリ博覧会に向かう徳川昭武に随行したのだ。
 後に、この碑にあるように日本の郵便制度を確立させたのである。

<参考資料>
・山梨近代人物館教育普及講座資料『渋沢栄一と山梨の人々 -「親友」杉浦嬢との交流を中心に-』 山梨県立博物館 小畑茂雄     

 

2021年7月12日 (月)

「月見草」花咲く

 我が家の庭で月見草が咲いている。

 月見草は、夕方白く薄い、大きい四枚の花弁を開く。中心部に大きい雌しべが目立つ。その周りに八本の雄しべがある。

 朝には花弁がピンク色になり、萎んで赤紫の花柄になってしまう。

 花が開く時間や萎んでしまう時間はまちまちで、花の写真を取り逃がしてしまうことも多い。下の写真は、今朝6時半ごろ撮ったものだ。

 太宰治が「富士には月見草がよく似合う」と詠んでいるいわゆる「月見草」は「待宵草」で、この月見草とは違うのだということだ。

   撮影カメラ ; PENTAX K-7
     レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL


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<月見草>
 学名 Oenothhera tetraptera  
 和名 月見草(ツキミソウ)
 別名 白花夜咲月見草(シロバナヨルサキツキミソウ)
 科族 アカバナ科マツヨイグサ属
 原産国 メキシコ
 花言葉 無言の愛情 ほのかな恋 移り気

2021年7月11日 (日)

今年もゴーヤーの「緑のカーテン」完成

 我が家の、ゴーヤーのささやかな「緑のカーテン」が、完成した。5月10日に苗を植えて約60日で完成ということになる。カーテンのあちこちにゴーヤーの実が生っていて、中にはもう食べられそうなものもある。
 温暖化防止に少しは役に立ち、美味しい料理の材料にもなるということで、一挙両得というところか。

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 一方、ブドウはもう「緑のカーテン」になっていたが、こちらにもブドウの実が何房か生り大きくなり、楽しみになってきた。
 去年は、後半カナブンに葉っぱを食べられてしまい、実も採れなかったが、今年は何とか実を収穫したいものだ。

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2021年7月10日 (土)

甲府北郊 恵運院の「楳樹碑」 滝川利雍選文/富田武陵書

 山梨百名山の要害山に登っての帰り、武田信玄が生まれたといわれる積翠寺、そして更に500mほど下って上積翠寺集落への旧道入口を過ぎたところに、右に入る舗装道路がある。気を付けていないと見落とすかもしれない。この道路に入ってすぐ頭上に「相川地区樹園地農道」という大きい看板が吊り下がっている。
 この道路をしばらく走ったところ右側に寺らしき建物がひとつあるが、これを通り過ごして200mほど走ったところに長松山「恵運院(えうんいん)」はある。ちょうど甲府武田神社の西にある塚原の集落の北外れ辺りに当たる。


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 この「恵運院」には、信玄の祖父武田信縄の墓をはじめ、信虎の寄進状など、武田氏との深い結びつきを物語る貴重な文化財が多く残されている。そして、この寺は境内に多種多様の梅の木があることでも有名で、江戸時代に編纂された地誌「甲斐国誌」には、「紅白奇種絶品幾百株」と記されている。

 その梅の一株は信玄公お手植えのものと伝えられ、梅の脇に石板碑がありその由来を刻んでいる。これが「楳樹碑」で、その碑文は甲府勤番支配の滝川利雍が選文、書は富田武陵である。碑文は苔に一部覆われ朽ちて全部読むことはできない。読めても漢文で、私には読解するのは無理か。

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 富田武陵は、寛政8年(1796年)頃甲府追手門勤番支配の近藤政明宅を仮校舎に作られた「甲府学問所」の初代教授である。また、滝川利雍は、近藤政明の後追手勤番支配に就任し、人一倍学問好きで、富田武陵とともに甲府学問所を「徽典館」に発展させた人である。「徽典館」は、いうまでもなく現在の山梨大学教育学部の前身である。

<参考資料>
・恵運院前入口にある説明板 ”やまなしの歴史文化公園 北山野道 「恵運院」” 甲府市・甲府市教育委員会
・HP”富士の国やまなし観光ネット 山梨県公式観光情報” 

2021年7月 9日 (金)

定年後の暮らしは読書三昧 佐伯泰英「政次、奔る(鎌倉河岸捕物控 二の巻)」を読む

 主には、金座裏の岡っ引き親分宗五郎の捕物物語だが、同時に鎌倉河岸に住む政次、亮吉、彦四郎の若者三人組に、プラス一人酒問屋に奉公するしほの青春物語だ。四人が様々な困難を経て成長していく姿を描いている。

 この二の巻では、政次が活躍する。今は日本橋の呉服屋「松坂屋」の手代だが、どうも今回の活躍で宗五郎の手下になるというような記述があり、この巻が終わっている。

 この時代の江戸界隈の様子が詳しく描いてあり、あの田沼意知の事件のことが出てきたりで、歴史好きの私には、もちろんお話だということを踏まえてだが、大変面白く読め、参考になる。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 「政次、奔る(鎌倉河岸捕物控二の巻)」佐伯泰英 角川春樹事務所 2010年4月8日新装版第5刷 

2021年6月24日 (木)

ラジオ深夜便 横浜美術館館長 蔵屋美香さんの話

 NHKラジオ深夜便「私のアート交遊録」で、横浜美術館館長蔵屋美香さんの「地域や時代に応える美術館めざして」という話を聞いた。蔵屋さんは、落ち着いた話しぶりで、淡々と自分の赤ちゃん(!)の頃から館長として働いている今までの間の美術に関わった半生と、美術(館)への強い思いを語った。アンカー石澤典夫さんのインタビュー技も見事で、いい話を引き出していた。

 最初は美術といっても大学では油絵学科だったが漫画を描く方に興味を持った。大学院で美術を学び直し”美術をことばで説明すること” ”他人の作品を研究すること”に喜びを感じたという。そして、学芸員などとして二十数年東京国立近代美術館で勤めた。

 横浜美術館に移り館長となった。今は美術館のリニューアルの最中で、絵画の引っ越しの作業などで大変だ。2023年のリニューアル再開後の企画、美術館の方向性についても考えており、忙しい日々を過ごしている。

 今は館長として、美術館の管理運営、庶務、人事、経理など色々なことに関わっている。(もちろんそれぞれの担当がおり、専門職を生かしながら頑張っているが、全体的な上からの視野で見ることが大切ではないか。)

 私には美術はよく分からないのだが、たとえの話でレオナルド・ダビンチの最後の晩餐についての話は面白かった。話しをすれば切りがないし、本など一冊すぐ書けるという。


 蔵屋さんの美術や美術館への思い、考え方、そして生き方に感動した。朝4時5分から40分ほどの時間だったが、気持ちが和む充実した楽しい一時で、何か今日も精一杯頑張ろうという気持ちをもらったような気がする。

 この放送は、インターネットの「ラジオ深夜便」のホームページで、聞くことが出来るという。大勢の人に聞いてもらいたいものだと思った。


 こちらもお読みください。

  → ラジオ深夜便「明日へのことば」 富丘太美子さんの話 

2021年6月23日 (水)

「緑のカーテン」づくり

 県の環境・エネルギー政策課や甲府市地球温暖化対策地域協議会の肝入りで、毎年ささやかだが「緑のカーテン」づくりに取り組んでいる。もう何年もやっているので、ゴーヤーについてはうまく育てるコツはつかんだと思っている。
 今年も写真のような感じで、キッチンの掃き出し窓の外のゴーヤーの「緑のカーテン」が、半分完成したかなという感じ。小さい実がもう生っており、今年もゴーヤーのチャンプルなど美味しい料理が食べられるかな。

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 ここ数年はブドウの「緑のカーテン」づくりにも挑戦している。書斎の窓外に作っているが、まあ「緑のカーテン」としてはもう完成したといえるか。去年はカナブンに葉っぱを食べられ、後半は「緑のカーテン」 が壊れてしまったが、今年は何とかこのまま維持できればと思っている。実が数房生っており、自分で作ったブドウの実が食べられるかなと楽しみだ。

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2021年6月21日 (月)

定年後の暮らしは読書三昧 西條奈加「心淋し川」を読む

 西条奈加の「心淋し川(うらさみしかわ)」を読んだ。第16回の直木賞受賞作だそうだ。『心淋し川』がトップで、後『閨仏』『はじめましょ』『冬虫夏草』『明けぬ里』『灰の男』の6作の短編集。

 流れは淀み、酸っぱい匂いが漂う心淋し川、その河岸に住む人が精一杯今を生きている姿と過去、その人に係わり行き来する人の姿を描(書)いている。

 それらの人々の生き様が垣間見られ、どの作品も読み進めるうちに、何かホットするような気持ちになった。物語もよかったが、文章もとてもよく、読みやすかった。お奨めの本だ。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。 


  「心淋し川」 西條奈加 集英社 2021年1月30日 第三刷 

2021年6月17日 (木)

甲府城四季巡り アジサイ咲く 令和3年6月17日

 本当に久しぶりに甲府城を訪ねた。毎週の様に甲府城に行き、一日中甲府城の魅力を来城客にお話ししていた日々が嘘のようだ。(新型コロナ流行で甲府城御案内仕隊は、もう一年以上案内活動を休止している。)

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 つい先日山梨県地方はちょっと遅い梅雨入りとなった。今日も今は晴れてはいるが、午後はまた雨が降るかもしれないと天気情報は伝えている。

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 甲府城のアジサイは全体的には花の盛りを過ぎているようだが、桜町通り踏切から稲荷曲輪へ上るスロープ際や、鍛冶曲輪の日本庭園の辺りに綺麗にアジサイが咲いていた。

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2021年6月16日 (水)

庭の花を撮る ブルースター(オキシペタラム)

 

 何度もこのブログに載せてきているブルースター、テレビで観ていた花の番組で”オキシペタラム”と紹介されていて、「え~これはブルースターじゃないか。」と思ったのだった。

 

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 私が書いた古い記事を見てみると、ちゃんと”ブルースター(別名:オキシペタラム)”と載せていた。ちなみに別名は、オキシペタラムの他に”ルリトウワタ(瑠璃唐綿)”がある。また英語では「Tweedia」ともいわれていて、これはポケモン映画の主題歌の名前になったそうだ

 

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 風水の世界ではブルー(青)は、安眠効果とか気持ちを落ち着かせる効果があると言われているそうだが、確かにこのブルースターの薄い青色は、そんな効果があるかもしれないと思ったりする。

 

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 こちらもご覧ください。 <2012年5月11日の記事>
   → 庭の花を撮る 「ブルースター」「スズラン」

 

2021年6月15日 (火)

川上村毛木平のベニバナイチヤクソウ

 甲府から明野、江草、黒森を通り信州峠を越え、御所平、梓山を経て毛木平まで約62㎞、1時間半。十文字峠甲武信岳のシャクナゲの季節はもう過ぎたのか、毛木平の広い駐車場には車は数台しか駐まっていなかった。

 ベニバナイチヤクソウは、”紅花一薬草”と書き、利尿剤、止血剤、切創や虫さされに効くことから”一番草”という名が付いた。シラカバやカラ松の林床に生え、光が足りず栄養が作れないときには樹木の根に共生する菌根菌という菌類から栄養をもらっているのだという。

 光沢のある円形の葉が一面広がる中、あちこちにピンク色の茎がすくっと伸び、同じくピンク色の小さい花が沢山付いていた。どうも花の最盛期は、一寸過ぎているように感じた。それでも駐車場に着くまでの500~600m道路脇の林の中あちこちに、ベニバナイチヤクソウが群生しており壮観であった。花を踏まないよう注意しながら思い切り花の写真を撮った。

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 こちらもご覧ください。 <2017年6月23日の記事>
  → 長野県川上村毛木平の「ベニバナイチヤクソウ」

2021年6月11日 (金)

日本遺産 御嶽昇仙峡を歩く

<いつもの本当に気のおけないハイキングクラブ27(やまなし勧学院中北教室第27期生OBハイキングクラブ)の仲間との楽しいハイキング、今回は一昨年日本遺産に認定された御嶽昇仙峡の長瀞橋から仙娥滝滝上までの渓谷沿いの遊歩道を歩くことになった。>Imgp31071

 敷島総合文化会館集合 各々の車で天神森市営無料駐車場まで移動 長瀞橋出発 → 大砲岩オットセイ岩松茸石(写真右上)など奇岩巨岩を見ながら遊歩道をゆっくり歩くImgp31251  → 昭和天皇様が皇太子の頃来られたという記念碑のある天鼓林で休憩 → 羅漢寺橋を渡り羅漢寺の五百羅漢を見る → 夢の松島で覚円峰天狗岩を見上げる(写真左) → 昇仙峡新道を切り開いた長田円右衛門の碑を見る → スリリングな石門をくぐる → 落差30m3段に流れ落ちる仙娥滝を眺める(写真右下) → 滝上影絵の森美術館で藤城清治の影絵 山下清 内海佳子の絵を観る → バス乗車 → 天神森駐車場バス下車 解散Imgp29951

 全行程約5キロメートル、約1万歩、強い太陽の光は青葉に遮られ爽やかな渓谷沿いの道を楽しく談笑しながら歩き、適度なウォーキングとなり、影美術館では素晴らしい影絵など鑑賞、ここのところコロナ禍で沈みがちな気持ちにも身体にもとてもいい刺激となり励みとなった。

   (令和3年6月9日歩く)
 

2021年6月10日 (木)

清里美し森のクリンソウ

 小海線清里駅前を通り、八ヶ岳へ向かってまっすぐの道を車を走らせる。美し森駐車場から更に奥へ、清里スキー場方面へ向かい500~600mぐらい走ったところ、左側にカラマツ林が広がる。道端に車を止め、林の中に入る。もうその先木々の向こうにカメラを持った人影が見える。100mほど背の低い笹原の中を続く踏み跡を辿り入ったところが、クリンソウの群生地だ。(美し森駐車場から美し森頂上へ登り、そこから赤岳に向かう登山道をちょっと進み、脇道に入ってもすぐだ。)

 先日ミズバショウの花を見た同じ場所、小さな湿地帯にクリンソウが咲いていた。まだちょっと時季が早いのか、つぼみのクリンソウも多い。それでも見回す範囲あちこちにクリンソウが色鮮やかに花咲いていた。ピンク色のクリンソウもあったが、ほとんどが赤でも少し濃い赤色だ。

 クリンソウは、花が段になって輪生する様子を、お寺の五重塔などの頂上にたつ「九輪」に見立てたものだという。小林一茶が「九輪草 四五輪草で 仕舞けり」と詠んでいるが、実際九輪はなく、別名七階草とか七重草とか、こちらの方がまだ実際を表しているか。

 季節によっては大賑わいの頂上からちょっと奥に入ったところだが、人も余りおらず、思いきりクリンソウの花の写真を撮ることが出来た。山道から群生地に入らないように注意、望遠レンズで撮った。

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<クリンソウ(九輪草)>
学名;Primula japonica
別名;ナナカイソウ(七階草) シチジュウソウ(七重草)
分類;サクラソウ科 サクラソウ属
生育地;山地の湿地や沢沿いなど 北海道から四国
花言葉;幸福を重ねる ものおもい

2021年6月 8日 (火)

千代田湖にスイレン咲く

 甲府千代田湖にスイレン(睡蓮)が咲いている。和田峠を登り切り、上帯那に向かう道を右に分け、駐在所の先50mを左折すると千代田湖が見えてくる。50~60mで丸山締切堤だが、その堤の右側一帯100m四方ぐらいだろうか、スイレンの丸い葉っぱ(蓮にはないがスイレンには切れ込みがある)が一杯広がり、その中に沢山のスイレンの白い花が点々と咲いていて壮観だ。

 スイレンの花は朝早い時間だと開いていない。ここのスイレンは10時頃に開くと聞いた。今日撮影したのはちょうど12時ごろ。スイレンは、夜には花が閉じるので”睡蓮”なのだという。

 ピンク色など他の色のスイレンもあるようだが、ここのは白である。白い花びら、真ん中に黄色い雄しべ雌しべが目立つ。スイレンの緑色の葉っぱと白い花のコンビネーションが実にいい。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
   レンズ ; SMCPENTAX-DA 55-300mmED 

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2021年6月 6日 (日)

庭の花を撮る アジサイ(紫陽花)

 今年も紫陽花が我が家の庭で奇麗に咲いている。

  撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL


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「アジサイ」
学名;Hydrangea
科・属名;アジサイ(ユキノシタ)科アジサイ属
原産地;日本、中国、台湾、北アメリカ 
別名;ホンアジサイ、 セイヨウアジサイ、七変化(シチヘンゲ)、八仙花(ハッセンカ)
花言葉;浮気、移り気、辛抱強い愛、乙女の愛

2021年6月 2日 (水)

昇仙峡山あいの集落 ”千田”を訪ねる

<プロローグ>
 御岳道を歩いていたとき外道ノ原の中間ぐらいに、”千田”という文字が読める古ぼけた看板が立っていた。また25,000分の一の地形図で外道と昇仙峡荒川の中間ぐらいに”千田”という地名があり数軒の家の印があり、ずっと気になっていた。今日思い切って、この千田集落を訪ねることにした。昇仙峡近くだから甲府市だと思っていたら、千田は行政区域は甲斐市だ。

【歩いた日】令和3年5月30日(日)
【歩いたコースタイム】
 天神森市営無料駐車場(13:25)~長瀞橋西詰パノラマ台方面登山口~(14:25)外道との合流地点・休憩(14:30)~(14:37)外道ノ原千田集落への分岐~(15:10)千田集落(15:20)~(15:45)千田橋~(16:00)天神森市営無料駐車場
【参考にした資料 】
・「 1:25,000地形図 甲府北部 」 平成2年2月 国土地理院
・「 昇仙峡の上道と下道(外道) 」昇仙峡マイスター 雨宮洋一
・HP「ロッジ山旅」木曜登山 計画と報告

<長瀞橋西詰登山口から外道ノ原 千田集落分岐へ>
 いつものように長瀞橋西詰の登山口から外道ノ原へ、千田集落分岐まで歩きなれた道を快適に歩く。道筋にある”千田”とある古い表示看板のあるところから、10mぐらい入ったところにもう一つ”千田”という文字が見えるこれまた古い看板があった。何れも”千田”という文字は判別できるが、進むべき方向を示していない。Dsc_01451_20210602080901 積み重なった沢山の落葉で踏み跡もはっきりしないが、目の前のほんの小さい尾根を越えると、かすかな踏み跡が見えてきた。赤テープも見えた。

<千田集落へ下る>
 小さい尾根を越え少し下ると谷状になる。踏み跡が谷の左岸を下っていく。踏み跡も薄く、倒木も多い。赤やピンクのテープも所々にはあるが、時には分からなくなる。辺りを見回し、慎重に進むべき道を定める。ルートファンディングの眼が若干必要。

Dsc_01461 <千田集落へ着く>
 30分ほど歩き下り、千田の家屋が竹林の向こうに見えてきたときにはさすがホットした。集落が見回せる舗装道路に出て休憩。辺りを見回すと5~6軒ほどの家が見える。人が住んでいるらしき家も何軒かあったが、荒れた廃屋も見られ寂しい。50mほど横道に入った小高い高みには神社があった。手入れはされているようで僭越ながらうれしかった。

<住んでいる家は4軒>
 一軒の家の前で農作業をしているおばさんがいて、声をかける。”この舗装道路をずっと下ると荒川に架かる橋に出る、橋を渡って左に行くと昇仙峡、右に行くと天神森だよ、今ここの千田に住んでいるのは、4軒だ。”と親切に教えてくれた。
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<集落の上に”信玄棒”が>
 舗装の道を下り始め、振り返って見ると、集落のかなり後ろの高いところに岩山があり、その頂上に尖塔が見えた。
 ああ、あれがホームページ「ロッジ山旅」に載っていた”信玄棒”(昇仙峡マイスターの雨宮さんの資料だと”信玄の杖”)だと思った。登ってみたいけれど、私はあそこに登ることはもうないだろうな、若いときだったら登っただろうが・・・。
 人が住んでいないと思われる人家は少し下ったところにも何軒かあった。

Dsc_01581 <千田橋へ>
 まあ普通の車でも通れるかなと思う道が下っている。しばらくして以前ここまで車で来た事がある広い林道寺平千田線が右方向に伸びていた。昇仙峡にはこちらに曲がらず、まっすぐ下ると10分ほどで荒川に架かる千田橋に出た。
 昇仙峡遊歩道をぶらぶら15分ほど下り、天神森の駐車場に着いた。車が結構駐まっていた。

<エピローグ>
 念願の千田集落を訪ねることが出来、住民の方とも話が出来てよかった。日本遺産御嶽昇仙峡の構成文化財の御嶽昇仙峡と御嶽古道に挟まれたこの千田集落についても、昇仙峡ガイドの折、機会があったら触れていこう。

 *写真は、今回はスマホで撮った。うまく撮れなかった。

2021年5月29日 (土)

芦川のニホンスズラン

 ニホンスズランが、芦川の山深くに咲いていた。盛りは過ぎているようだが、それでも目を凝らすと白樺の林の下の草原に、草に隠れるように白い釣り鐘状の花が奇麗に咲いていた。
 よく見られるドイツスズランよりちょっと小ぶりで地味なのがニホンスズラン。”君影草”とも言われているそうだ。葉や根には毒があるので注意。”美しいものには毒がある”

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED

 

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< ニホンスズラン(日本鈴蘭)>
学名/Convallaria majalis var.keiskei 別名/君影草 分類/キジカクシ科スズラン属 原産地/北海道、本州(中部以北)
花言葉/優しさ 可愛げ 再び幸せが訪れる

2021年5月21日 (金)

大泉の新緑の森で”バードウォッチング”

<いつもの気のおけない勧学院中北教室第27期生OBハイキングクラブの仲間との楽しい山歩き、今回も若干趣向を変えて愛鳥週間にちなんでの“バードウォッチング”となりました。(5月13日)>

 出発は、八ヶ岳山麓小海線甲斐大泉近くの井富池です。私たちハイキングクラブのリーダーSさんによるとのこの井富湖から飛沢池にかけては、バードウォッチングの聖地だそうです。Sさんから双眼鏡の使い方について話を聞き、”井富湖カラ松通り”を下りました。飛沢池を廻り、別荘地の中を、鳥の姿を見つけ、鳥の声を聞きながら井富湖に戻りました。所々には奇麗なつつじや藤の花が咲いていました。

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 Sさんの案内、説明で沢山の鳥の鳴き声を聞き、実際に鳥の姿も見ることが出来、みんな大喜びでした。

 その後、清里の”美しの森”に移動、美しの森頂上をちょっと行ったところで水芭蕉を見ました。こんなところに水芭蕉の花が咲いているなんて初めて知りました。花の盛りは過ぎていましたが、それでも緑の葉と白い花のコンビネーションが素敵でした。もう少し経つとこの場所でクリンソウが奇麗に咲くとのことで、その時季には写真を撮りに来ようと思ったのでした。

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 最後”萌木の村”レストランロックで、美味しいカレーを食べ、奇麗に整備された萌木の村の庭園を散歩、ご機嫌でした。

 以下、ハイキングクラブリーダーSさんから頂いたバードウォッチングの観察結果のレポートです。(*は声のみ確認)
  ***************
1. 井富池・飛沢池周辺
 カルガモ、*ウグイス、ヒヨドリ、シジュウカラ、ハシボソガラス、トビとサシバ(ケンカしていた)、キビタキ、*アオゲラ、*クロツグミ、キビタキ、セグロセキレイ
2. 萌木の村
 *アカゲラ、ジョウビタキ(雌雄で求愛活動を観察/初めての経験)
  ***************

2021年5月12日 (水)

日本遺産 御岳昇仙峡を訪ねて 旧御岳新道を歩く

<長瀞橋から昇仙峡遊歩道を歩き、天鼓林を過ぎたところに有明橋がある。この脇に『・・・ちょっと寄り道をしてみませんか。約1㎞のハイキングコース 五百羅漢が見学できます・・・』という看板が立っている。もしかしたら、遊歩道が出来る前の御岳新道の古い道ではないかと前々から気になっていた。>

Imgp28001  有明橋は、鉄製のロープで吊られた頑丈そうな橋である。色々な史料文献に見える”有年橋”がここに架かっていた。橋を渡って向こう側で、荒川の右岸になるのだが、すぐ山道に入る。ハイキングコースというだけはあって、よく踏まれた道で快適に歩ける。荒川沿いではあるが、川から少し離れた山の中を進む。それほど上り下りもなく10分足らずで、先に建物が見えてくる。Imgp28021

 小さな沢を渡り坂を登ると、建物の裏に出る。日本遺産御岳昇仙峡の構成文化財の”木造阿弥陀如来坐像”と”五百羅漢像”が納められている建物だ。表に廻り、ガラス越しに阿弥陀如来さんと五百羅漢さんに手を合わせる。羅漢寺の本堂も拝み、石階段を下りると、その先が羅漢寺橋だ。橋を渡る手前左側に、『 ←旧羅漢寺の遺構 日本遺産 』の看板がある。

 <Imgp28041 旧御岳新道は、この看板のあるところをさらに荒川右岸沿いの山道を進み(もしかしたら、この山道に平行してもう少し上側に右岸沿いの古い道があったかもしれない。)、羅漢寺沢が荒川に流れ込むところにある”羅漢寺平”を通る。旧御岳新道は、この羅漢寺平のあたりで、”柴橋”を渡り左岸に戻ることになるのだが、文献資料を探っても、今のところこの柴橋が確実にどの辺りにあったかははっきりわからない。>Imgp28251

 さて、今回私は、羅漢寺橋を渡って荒川左岸に渡る。この羅漢寺橋も鉄製の頑丈な橋だが、吊り橋ということもあるのか、 一人ずつ渡れと注意書きがあった。渡ると”ハイキングコース”は終わり、いつもの御岳昇仙峡遊歩道に合流する。
 
【参考文献資料】
・「 1:25,000地形図 甲府北部 」 国土地理院 平成2年2月1日(3色刷)
・ブログ「甲府を自慢する会のblog」 http://kofuwojiman.livedoor.blog/  2013/07/29「仙嶽新道銘」の紹介のページ
・ 甲府文芸講座マガジン「 昇仙峡に魅せられた人たち 」 平成10年3月 甲府市教育委員会発行

2021年5月 3日 (月)

庭の花を撮る 「アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧)」

 「アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧)」が、いつか知らない間に我が家の庭で咲くようになった。
 調べてみると、明治時代にアメリカから渡来した待宵草の仲間で、雑草化しているという。小さい可愛いピンク色の奇麗な花が咲き、雑草というのはかわいそうな気がする。
 その艶っぽい名前にも惹かれ、抜かないで我が家の庭で鉢植えにもして育てている。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
         レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

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<アカバナユウゲショウ>
学名;Oenothera rosea 分類名;フトモモ目アカバナ科マツヨイグサ属 原産地;アメリカ 多年草で草丈は30~50cm、葉形は披針形、花弁数4枚、開花期5~9月 花言葉は臆病 移り気 ほのかな恋

2021年5月 1日 (土)

定年後の暮らしは読書三昧 林真理子「葡萄が目にしみる」を読む

*これも林真理子著、林真理子を読み始めて4冊目だ。山梨が舞台で、知っている地名、知っている景色、知っている状況、知っている甲州弁などいっぱい出てきてすごく親しみが持てた。時にはいつも使われている甲州弁など出てきて苦笑いも(^0^)

*自分の高校生の頃はどうだったかなと思った。林真理子と私は5~6歳の違い、林真理子が自分の高校生時代をもとに書いているとしたら同じような状況があったのかもしれない。放送部の辺りのことは、そんなこともあったなという感じだ。

*読んでいるうちに、林真理子は”乃里子”を描きながら、かっての自身の心の動き、行動なども書いているのではないかと思った。当たり前かな。

*解説の栗本慎一郎は、単なる青春小説の粋などをはるかに超えて・・・と書いているが、確かに高校生のごく普通の日常を描いているが、もっと深い人間の心の動き、有り様を描いているのかもしれない。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


 「葡萄が目にしみる」林真理子 角川文庫 平成11年2月27日 40版発行

2021年4月28日 (水)

定年後の暮らしは読書三昧 今西祐行「肥後の石工」

*岩波少年文庫を読むのは久しぶり。以前は仕事の関係もありよく読んだものだ。何冊かは我が家の本箱のどこかにまだあるかもしれない。

*石橋を作った者たちが秘密を守るために殺されていくという”永送り”のような理不尽なことは、いつの時代にもあるのか。山梨にも残る”おいらん淵”の話も同じだ。この話が事実か否かは分からないというが、歴史の中で同じようなことはいっぱいあっただろうと思う。

*このお話の最後に出てくる通潤橋は、今でもまだ現役で残っているという。よくコメントをやりとりしているらぶさんのブログに写真が載っている。見事な石橋だ。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


 「肥後の石工」今西祐行 岩波書店岩波少年文庫 2005年7月5日第4刷

2021年4月26日 (月)

今日も峠を行く 大峠 関原峠 そして たいら山

【 歩いた日 】令和3年4月23日(金)
【コースと時間】山之神千本桜口駐車場9:30 → 9:40登山道入口 → 10:40パノラマ展望台11:00 → 11:10山之神社 → 11:15コンクリート道へ出る → 11:25大峠口 → 11:40大峠? → 11:55大峠口 → 12:00コンクリート林道終点広場(たいら山登山口 → 12:20たいら山頂13:00 → 13:30関原峠 → 14:30関原コンクリート道へ出る(関原峠口) → 15:30千本桜口駐車場

<山之神千本桜登山道を登る>
 シルクの里へ行く広いアスファルト道から少し入ったところにある広い千本桜口駐車場に車を駐める。駐車場には数台車が駐まっていた。県外ナンバーの車もあってびっくり。山之神社やたいら山に登っているのだろうか。ここの駐車場からの、甲府盆地、八ヶ岳方面の眺めがまたいい。
 駐車場から10分ぐらいで橋を渡ると、山之神千本桜口登山道入口だ。ここには、昭和58年に全国桜祭りで千本桜が選ばれ受賞したという記念碑が建っていた。一度林道に出てまた山道(山之神社の参道ということにもなる)を登る。
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 道脇には時々丁目を示す石柱が立っている。苔むした古いのもあるし真新しいものもある。十八丁目ぐらいでパノラマ展望台だ。甲府盆地の眺めが抜群、私の実家の近くの歓盛院も確認出来た。八ヶ岳、鳳凰山、白峰の山々も今日は霞もなく、実にきれいに見えていた。

< 山之神社 >
 古いのと新しいのが並んで立っている19丁目の石柱を過ぎるとすぐに籠堂があり、その先が山之神社だ。Imgp26381  地域の人たちが大切にしている由緒ある神社だ。山歩きの安全を祈願する。山之神社から更に奥に進むとコンクリート舗装の林道に出た。しばらく歩いたところに車が2台停まっていた。その先に斜面を登る山道が見える。今まで気が付かなかったが、ここが大峠への登り口だろう。

<初めての大峠>
 コンクリートの道から大峠の山道に入る。すぐ緩い山道になる。踏み跡もあり赤いテープが木に巻き付けてあり進む道は分かる。15分ほど進んだところで下り坂になったので、これ以上進むと戻るのに大変だと思い引き返した。(今までどの大峠のレポートを読んでも、”大峠”の特定した場所の記事写真はなかった。)引き返す途中に馬頭観音をみる。これが大峠のレポートなどによくある石仏だ。Imgp26471
 大峠の場所は特定できなかったが、この観音様を確認できたことで大峠に登ったということにしていいのではないか。

< たいら山へ >
 コンクリート道に戻りしばらく林道を辿って終点まで行くと、以前はなかったずいぶん立派な「たいら山」の案内看板がある。Imgp26571 ここの広場の盆地側が一部木が切り払われ眺めがよいところになっていた。丸太のベンチまで用意してあった。林道終点の広場には、ここにも県外ナンバーの車が停まっていた。林道は交通止めだと思うが、特別許可された車だろうか。
 案内看板に従って疎林の中の山道を進む。以前と違って山道もはっきりしている。案内板も少しうるさいくらい設置してある。まもなく三角点のある山頂に到着した。地形図三等三角点932mだ。中央市のホームページの記事だと934mと表示してあるところがある。確かにこの三角点より十何mか南側の方が若干高そうだ。ここにも立派な看板が立っていた。

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 やはり以前と違って、盆地側の木々が切り払われ、盆地や八ヶ岳方向が奇麗に眺められた。奇麗になったはいいが、こんなに木を切り払っていいのだろうかとなんか複雑な気持ちになった。

< 関原峠 >
 しばらく山頂で休み、関原峠へ向かう。山道ははっきりしている。ただ登ったり降りたりが何回かあり、峠状のところがあるとあれここが関原峠だったかなと少々不安になった。Imgp26691いくつか峰を巻いたりしてまたピークを越えたりして、関原峠に到着。立派な方向指示板が設置されていた。

<関原峠を下る>
 さて関原峠を下る。はっきりとした峠道が確認出来る。この峠道を芦川の人たちが下り、関原から浅利、そして乙黒へ笛吹川を渡り、私の実家の”さんのじょう”あたりまで箕や笊を売りに来たのだと思うと感慨深い。
Imgp26751  いくつか石仏などを見、枯葉、枯枝で下り難くなった道を下りきって麓のコンクリート道に降り立つまで約1時間、結構時間がかかった。

 

2021年4月20日 (火)

定年後の暮らしは読書三昧 林真理子『葡萄物語』を読む

 定年後の暮らしは読書三昧、林真理子の小説三冊目は、『葡萄物語』。

*今でいう甲州市山梨市辺りがモデルの場所で大変親しみが持てた。映子が通っていた高校も何となく推測できるのだ。農家向けの雑誌「家の光」に連載された小説ということで、私の生家も農家でこの雑誌をとっていたということもあり親しみが持てた小説であった。

*不倫の話ではあるが、それほどドロドロ感はなく、さわやかささえ感じたというのはいいすぎかな。最後元のさやに治まるという形でハッピーエンドで終わってホットした。

*「不機嫌な果実」は、映画になったりテレビドラマになったようだが、この「葡萄物語」も、テレビのドラマにはぴったりだ。林真理子は、ドラマ向きの小説を書いている様な気がする。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


『葡萄物語』 林真理子 集英社文庫 2008年6月7日第4刷 

2021年4月19日 (月)

定年後の暮らしは読書三昧 林真理子『白蓮れんれん』を読む

 地元出身の作家林真理子の本を読み始めて一冊目に読んだのが『本を読む女』、そして二冊目に読んだのがこの『白蓮れんれん』だ。白蓮のことは、知らなかったわけではないが、詳しく知ったのは、この小説を読んでだ。(もちろん小説ということを踏まえて)

 この『白蓮れんれん』を読み進めていくうちに、私は先日読んだ菊池寛の『真珠夫人』を思い出していた、モデルが同じではないかと。すると、何と・・・あの商売上手な菊池寛が、白蓮をモデルにした『真珠夫人』という小説の連載を始めると大きく新聞で予告したばかり。・・・とこの小説に出てきたではないか。ああ、やっぱりと思ったのだった。

 テレビでやっていた『花子とアン』では、花子と白蓮が甲府へ来たというような場面があった様に思い、村岡花子のことがもっとこの小説にも出てくるかと思ったが、・・・雑誌や新聞で平塚らいてう、村岡花子など好意的な意見もあったが、たいていの女性文化人も燁子に厳しい。・・・とあるのみだった。

 実際あった出来事を、しかも皇室も関わった出来事を小説にするには、大変気を使い色々苦労があったのではないかと思い、林真理子のチャレンジ精神と大いなる努力に脱帽、僭越ながら敬意を表したいと思う。

 ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 『白蓮れんれん』林真理子 集英社文庫2014年7月14日第11刷

 

 2021年3月29日の記事
    → 林真理子『本を読む女』を読む
 2020年4月13日の記事
    → 菊池寛『真珠夫人』を読む

2021年4月14日 (水)

武田の杜遊歩道にイチリンソウ咲く 

 甲府市街から天神平甲府線の和田峠を稲妻形に登って行き、県立鳥獣センターを過ぎしばらくして大きくカーブするところ道脇に車2台ぐらい駐められる場所がある。ここが武田の杜遊歩道の和田峠入口だ。
 案内看板も設置してある。この武田の杜遊歩道は、湯村山から甲府市街北部の山の中腹を愛宕山まで、市街を見下ろすような形で伸びている遊歩道いわば長いトラバース道だ。
 この武田の杜遊歩道和田峠の入口を入ってすぐ100mも進まぬうちにイチリンソウの群生地がある。遊歩道を挟んで辺り一面のイチリンソウの花は実に見事だ。そしてこの遊歩道を更に30分ほど進んだ中峠口辺りにもイチリンソウが、一杯咲いていてうれしくなる。
 金子峠、中峠の峠歩きの途中、イチリンソウの花を撮った。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
   レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

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2021年4月13日 (火)

今日も峠を行く 甲府北山 ( 和田峠・金子峠・中峠 ) 

<イチリンソウの花の写真を撮るのがメインだったが、懐かしい金子峠道も歩いた。その後歩いた金子峠から中峠・和田峠までの尾根道は、前回歩いたときは踏み跡もはっきりしとても快適に歩ける山道だったが、今回は倒木が一杯で一部踏み跡もはっきりせず、楽観できないルートになっていた。十分注意して歩くのがいい。ルートを外して、右側帯那側だったらまだいいが左側へ下ってしまうと大変難儀することになる。
 積翠寺から淡雪山を経て湯村山まで甲府北山尾根道を歩く人も結構大勢いるようだが、金子峠から和田峠までは場合によったら帯那の集落側のアスファルト道を下った方がいいかもしれない。藪尾根歩きのベテランの方には余計なお節介だが。>

【歩いた日】令和3年4月12日(月)
【コースタイム】
 和田峠中腹駐車場(9:00)~ (9:30)小松山(9:40)~ (10:00)中峠口 ~(10:20)金子峠口(10:30)~ (11:00)金子峠(11:10) ~尾根道を歩く~ (11:45)中峠~(11:50)石の祠~(12:05)和田峠~(12:25)和田峠中腹駐車場
【参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 甲府北部 」 国土地理院 平成2年2月
 「甲府自然休養林ハイキングマップ 」 林野庁山梨森林管理事務所

<武田の杜遊歩道入口>
 甲府市街から県道104号天神平甲府線の和田峠を稲妻形に登って行き、県立鳥獣センターを過ぎしばらくして大きくカーブするところ(見晴らし広場のひとつ手前のカーブ)道脇に車2台ぐらい駐められる場所がある。ここが武田の杜遊歩道の入口だ。案内看板も設置してある。この武田の杜遊歩道は、ずっとこの先積翠寺方面まで甲府市街北部の山の中腹を貫いているいわばトラバース道だ。

<イチリンソウはまだ開いていない>
 武田の杜遊歩道の入口を入ってすぐイチリンソウの群生地がある。辺り一面一杯白い花が咲いていたが、朝まだ早いということで完全に開ききっていない。入口から数分だから、帰りにもう一度撮りに寄ろう。

<甲府名山10小松山へ>
 イチリンソウ群生地を過ぎ、その先の和田峠の上の方から流れてくる小さな沢を渡る。道脇にはイカリソウが一杯咲いている。武田の杜遊歩道といったん分かれ、山道を右にとる。やまなしの森100選「小松山のアカマツ林」という看板が立っていた。なるほど赤松の木がいっぱいだ。分岐から少し下り、また登りになり階段状になっている山道を登ると甲府名山小松山頂上(510m)だ。

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 富士山は靄ってよく見えないが、甲府盆地の街並みがよく眺められた。また西方向手前には、先日来何度も登っている法泉寺山がかっこよく見えた。

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<小松山から中峠口へ>

 小松山頂上で10分ほど休み、先ほどの分岐に戻り、中峠口へ向かう。ここから先もほとんど平らな山道だ。右側下には塚原、武田、積翠寺辺りの家並みを見下ろすことが出来る。途中、ハルリンドウの群生地があった 。

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 イカリソウ、ヒトリシズカなどの花も咲いていて、うれしくなった。小松山分岐から20分ほど進んだところに、小さな沢が10m程離れて二つあり、一つ目の沢付近にイチリンソウの花が一杯咲いていた。

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 二つ目の沢が中峠へ上る山道だ。ここから下れば塚原の集落に行き着くのだろうが、はっきりとした下る道は確認できなかった。ここから登れば中峠(塚原峠)だが、今回は金子峠から尾根道を廻って中峠に行くことになる。

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<初めて歩く道 中峠口から金子峠口へ>

 ここからは初めて歩く道だ。今までと同様ほとんど平らな道が続く。右下方向には、林間に武田神社の森や竜が池が見えた。20分ほどで金子峠口だ。塚原の集落から金子峠へ登る峠道のちょうど中間ぐらいに出たことになる。この金子峠へ登る山道は、学生時代養護施設建設のボランティアで上帯那へ上るために何度も歩いた懐かしい道だ。

<金子峠口から懐かしい峠道を金子峠へ>
 塚原集落からの峠道の途中からだが、金子峠へ向けて歩き始めた。稲妻形に登る山道は、さすが昔の峠道だ、とても登りやすい。金子峠口から登り始めて30分で、金子峠に着いた。峠の10m程手前に石仏を見る。

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 この金子峠には、学生時代以降も上帯那、大正池側からも何度もきている。上帯那側からは、車で10m手前ぐらいまで来れるのだ(^0^)
 峠を西に向けて10m程登ったところに甲府市の広報に以前載っていた板碑(石碑)がある。室町時代末期のものだそうだ。

<金子峠から中峠へ尾根道を歩く>
 金子峠から中峠に向けて尾根道を上る。しばらくは上り坂だがすぐ平坦な山道になった。725m峰は、あっという間に通過。倒木が沢山あり、歩き難い。踏み跡も所々薄くなり、進む道が分からなくなるが、所々にある赤テープを頼りに進む。以前に歩いたときは、もとはっきりとした踏み跡があり、安心して歩けた記憶があるが、少し楽観できないルートになってしまった。ルートファンディングの目が必要な道になった。まあ、こういう山道の方が楽しいという人もいるが。

<中峠(塚原峠>
 中峠(塚原峠ともいう)には石仏が三体ばかりあり、古い峠であることがわかる。向こう側へ下ったところが塚原の集落である。塚原から中峠を歩いて越え、千代田小学校へ毎日通っていた校長先生がいたという。「車窓の山旅・中央線から見える山」の著者山村正光のさんのお父さんだ。

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<中峠から石祠を見て和田峠へ>

 峠からさらに南西方向に少し登り尾根を歩く。最初の登口に、イワカガミの群生がありうれしかった。こんなところにもイワカガミが咲いていた!

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 ここの山道も距離的には短いが、楽観できない。ピークに石祠を見て下り始める。

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 道はかすかな踏み跡程度、その踏み跡を外さないように神経を使った。階段状の山道になると、出口が近い。そこから小さい沢に架かっている橋(このすぐ下がカタクリの群生地)を渡って和田峠の天神平甲府線の道路だ。アスファルトの道を下って、20分で先ほど車を駐めた場所へ戻った。
 そのまま山道に入り、先ほどのイチリンソウの群生地へ、今度は沢山のイチリンソウの花が完全に花開いており、思う存分写真を撮った。

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 こちらの記事もご覧ください
  2012年3月10日の記事
     →  金子峠から中峠、和田峠へ 尾根道を歩く

<追記>
 「金子峠」について、以前峠について素晴らしいホームページを作っていらっしゃった『峠のむこうへ』さんから下記のようなコメントをもらっています。
・・・やはり「甲府勤番の金持ちが通った」としているのは『日本山岳ルーツ大辞典』(竹書房)でした。ちなみに『三省堂日本山名事典』には、「古くは信濃への間道で武田勢の信濃侵入の経路であった」と書かれています。もしや、峠には武田の軍資金でも眠っているのでは?・・・

2021年4月 8日 (木)

白花のイワカガミを訪ねる新緑の山歩き

<私のホームグラウンドともいうべき白山(八王子山)を、そしてそこに咲くシロイワカガミを、『山と渓谷』4月号(№1033号)が紹介していてうれしくなった。>

 山と渓谷社が出している『山と渓谷』は、『岳人』と並んで有名な山岳雑誌である。私は特に関心のあるテーマがあると購入し、そうでないときは県立図書館で借りて読んでいる。

 今回の『山と渓谷』の記事の大きいテーマは「春爛漫 彩り豊かな山の花を訪ねる」、200Pに「白花のイワカガミを訪ねる新緑の山歩き」と題して白山(八王子)のイワカガミを ・・・白山の北斜面のトラバース道に群落をつくる白花のイワカガミ・・・ と紹介している。

 毎年この時季シロイワカガミの写真を撮りに出かけているが、この記事を見たこともあり、また薄曇りながらまあまあの天気だったので、写真を撮りに出かけた。梨の木峠から白山(八王子山)に登り、尾根沿いに四阿のある白山を通り、千代田湖丸山締切堤近くに降りた。

 『山と渓谷』の記事があったからだろうか、沢山の登山者と出会った。写真を撮っているソロの女性登山者も見た。

 撮影日 ; 令和3年4月8日午前10時~12時
 撮影カメラ ; PENTAX K-7
     レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

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 こちらの記事もご覧ください
  2021年3月2日 → 徽典館学頭 友野霞舟 八王子山(白山)に遊ぶ 
  2020年4月7日 → カイイワカガミ(甲斐岩鏡)を撮る

2021年4月 3日 (土)

市川三郷町大塚 桜峠の桜

【 歩 い た 日 】 令和3年3月30日(火)
【コースと時間】 歌舞伎公園駐車場10:10-10:15山の先生記念公園-10:35作業小屋-10:40左下に池を見る-11:00竜ノ口坂峠-11:20浅間山三角点(593.9m)11:30-11:35林道桜峠-11:40桜の丘12:25-12:30桜峠-峠北側に峠道を下る-石仏 ー 林道を横切る-旧地形図破線の小尾根を下る-12:40石仏-林道-12:50反対側の小尾根で石仏2体を見る-再び林道へ-林道を下る-12:55林道ゲート-農道-13:25広域農道へ降りる-13:45歌舞伎公園駐車場

 いつものように歌舞伎公園駐車場に車を駐め、広域農道を10mも西に歩くと、「山の先生・丹沢正作」記念公園への入口がある。Imgp23481 公園の小さな藁葺き屋根の小屋を見て、すぐ山道に入る。落葉に埋まった山道で、イノシシの掘り返した痕が続く。先日の雨で、山道に水が流れているところもある。

 朽ち倒れた作業小屋の脇を通り過ごし、ちょっとした平地に小さな石祠を見る。『甲斐国志』にある竜ノ口峠と思われる峠状のところを通り過ごし、いよいよ昔、畑だったという広い尾根に出る。Imgp23651 以前と違って、葦は切り払ってあり、歩きやすいまっすぐの山道を進むと、浅間山三角点(593.9m)に着く。市川大門の街並み、三郡橋、櫛形山中腹の平林の集落もよく見える。

 三角点で10分ほど休む。三角点からは、すぐ林道桜峠だ。林道手前で山歩き姿の三人の方に出会う。桜峠の桜が綺麗ですよという言葉に期待が膨らんだ。林道桜峠には車が1台駐めてあり、若干興ざめ。もっとも私も車で来たことがあるか。林道から古いトイレと思われる小屋の脇を登ると桜峠の桜が見える。

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 今年も同じだ・・・誰もいない桜峠の丘、何十本もの桜の花が咲きほこり、鳥の声がチーチーと賑やかに響く。時折吹く快い風・・・桜の花びらがひと片ふた片ヒラヒラと舞い降りる。まさに山上の桜の楽園を独り占め・・・

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 桜峠に降りる。草木は刈り払ってあり、峠らしい雰囲気がする。芦川沿いの中山辺りから大塚へ越える峠だ。ホームページでよくやりとりをした「峠のむこうへ」さんが掛けた桜峠の表示板はまだあったが、文字はもう読めなくなっている。Imgp24131 あの頃からも時が流れたのだ。峠東側の小丘の祠はしっかりと峠を見下ろしていた。

 峠を北西へ下りすぐ石仏を見、林道を横切り、以前下ったことのある小尾根に入る。木々に行く手を阻まれることが多いが、何とか薄い踏み跡を辿りながら下ったところでまた古い石仏を見る。Imgp24181 ほとんど人が通らない廃道に近い峠道を下っている私を見守ってくれていらっしゃる石仏さんに感謝、手を合わせる。

 小尾根からいったん林道に下り、反対側に上った尾根(小丘)に2体の石仏を見る。昔の峠道にあったものか、ごく新しいものなのかわからないが、こんなところにも石仏があるのだ。

 2体の石仏を見てすぐまた林道へ下り、その後は林道をそのまま下る。桜峠林道が始まる地点には獣除けのゲートが設置されている。ここからはもう普通の畑が続いている。みたまの湯へ行く道から左へ外れ、ゆったりとした気持ちで、広がる畑の中の舗装された農道を進んだ。農道の両側にも桜が咲いていた。Imgp24291 桜越しに三郡橋、旧田富町辺りの街並みが眺められたが、その先に見えるはずの八ヶ岳などは黄砂のせいで靄っていて全く見えなかった。

 長く続く芦川北陵西端から登り、三角点浅間山を経て桜峠へ、桜峠に大勢に見られることなく咲く桜を堪能し、そして古い峠道を下り、みたまの湯を脇に見て広域農道へ・・・充実、満足の桜のお花見、山歩き、峠歩きだった。

2021年3月31日 (水)

こんなところにカタクリの花が

 県道をエンジンの音を響かせながら車がどんどん通り過ぎて行く。すぐ先が和田峠の頂上だ。その県道からわずか5~6m下ったほんの小さい沢沿いに、カタクリが咲いている。
 こんなところにカタクリが咲いているなんてほとんどの人が知らないだろう。それでいいのだとも思う。カタクリがいっぱ咲いている脇に地元の自治会が作った看板が立っている、「盗掘しないで!」。

 沢沿いの他にもう一カ所、カタクリが咲いている場所がある。県道を挟んで道路壁の上の斜面だ。こちらはいつだったか、地元の人が教えてくれた。花は5~6輪しか咲いていなかったが、辺り一面カタクリノの葉が一杯だった。何年か先にはここにもカタクリが一杯咲くだろうとうれしくなった。カタクリは発芽から開花まで7~8年かかるという。

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2021年3月30日 (火)

塩山 甘草屋敷の雛飾り 慈雲寺の糸桜

<いつもの気のおけない勧学院中北教室第27期生OBハイキングクラブの仲間との楽しい山歩き、今回は若干趣向を変えてフットパスウーオキングということで塩山の甘草屋敷と慈雲寺のイトザクラ見学となった。>

 塩山駅北口にある甘草屋敷(重要文化財 旧高野家住宅)では、折しも春祭りで奇麗な雛飾り、吊し雛を見ることが出来た。その後、樋口一葉の小道を歩き、天龍山慈雲寺(じうんじ)を目指した。1時間ほどで慈雲寺に到着した。桜見学の車、観客で混雑していた。ソーシャルディスタンスに気を配りながら桜見学、県の天然記念物に指定されている樹齢300年のイトザクラはさすが見応えがあった。

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 近くの日向薬師で楽しい昼食。ここでは、会長の澤野さんから次回の大泉でのバードウオッチングに向けて、双眼鏡について説明があり、実際双眼鏡の使い方を教わった。

   (令和3年3月26日歩く)

2021年3月29日 (月)

定年後の暮らしは読書三昧 林真理子「本を読む女」を読む

 天邪鬼な私は、直木賞とか○○賞とかをとった人は余り好まず、その作家の本もほとんど読んでこなかった。ところが・・・
 
 山梨県立文学館で去年開催された「まるごと林真理子展」に行ったとき(少しは関心があったのだ(^0^)、展示された過去出版された本の実筆原稿用紙の厚さに圧倒された。それが所狭しとあちこちに展示してあったのだ。
 その企画展にちなんで実施された講演会や、先日の”やまなしエンジン”のシンポジウム「文化って何?」での林真理子の、豊かな知識豊かな経験に裏付けられた落ち着いた話しぶり、偉ぶらない話しぶりに、私は感銘を受けた。重ねて話を聞くうちに、私は何故か江戸時代末期から東京横浜に出てひたむきに努力奮闘活躍する甲州人(男女を問わず)甲州財閥を想っていた。彼ら彼女らを彷彿させる林真理子に俄然注目するようになった。

 講演会の時に紹介された林真理子のYouTube「マリコ書房」を見るうちに、このYouTubeで紹介された本を読んでいこうと思ったのだった。最初特にどれをということでもなかったが、まず手に取ったのが、この本だった。

 この『本を読む女』は、日下部駅(今は山梨市駅)の近くで菓子商を営む小川屋の娘”万亀”が、大正昭和の時代を生き抜く「女の一生」といった物語、林真理子のお母さんがモデルだと聞いた。甲州弁や知っている地名風景などが、本の中であちこちに出てきたり、また万亀が山梨で女学校に通っていたころ小川屋に入り浸っていて、万亀が東京に出た時大変お世話になる田部末吉はあの赤尾さん?、蛍学社は旺文社だと思われ(こんなことを連想するのも地元の作家ということの楽しみだ)、とても親しみを持ちつつ読み進めることが出来た。

 読んでいるうちに、林真理子のお母さん”万亀”を描きながら、林真理子自身の考え方、気持ちのあり様なども書いているのではないかと思った。当たり前かな。

 ”定年後の暮らしは読書三昧”で池波正太郎「剣客商売」を読み切ったので、今度は林真理子を読んでいこう。沢山あるから・・・読み甲斐があるぞ!

 ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 

 『本を読む女』 林 真理子 新潮社 1991年8月5日六刷

2021年3月28日 (日)

甲府城四季巡り 桜の花咲く 令和3年3月26日

 甲府城跡(舞鶴城公園)の桜が見ごろを迎えたと、地元の新聞山梨日日新聞に載っていました。稲荷櫓東下の小さな公園で若い夫婦が桜を見上げている微笑ましい写真です。ソメイヨシノの桜の花の向こうに稲荷櫓がそびえています。私が撮ろうとしていたアングルだ~と思いました(^0^)

 稲荷曲輪の方の桜は彼岸桜で、もう盛りを過ぎています。強い風が吹くと桜吹雪になるかもしれません。こちらでも若い人たちが座り込み、和んでいます。ソーシャルディスタンスは確保しているようです。

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 シダレザクラの向こうに稲荷櫓、天守のよう。江戸時代、城下町の人々は天守代わりにこの稲荷櫓を眺めたのでしょうか。

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 鉄門(くろがねもん)の階段を降り、振り返って見るといつもながら、その勇姿にほれぼれします。鉄門をバックにソメイヨシノの桜の花を撮りました。

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 例年だと信玄公祭りが繰り広げられる鍛冶曲輪から天守台を見上げます。ここから見えるソメイヨシノの花はどうも全体的には八部咲きぐらいかなと思いました。もう少し経つと、更に見応えのある景色となります。

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 内堀(一の堀)の外から、白壁の上に桜、天守台を撮りました。はたして、天守は元々なかったのでしょうか。

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 甲府城御案内仕隊の案内ボランティア活動は、残念ながらまだ本格的には再開出来ていません。感染が治まり、安心して甲府城跡の案内が出来る日が早く来るよう心から願っているのです。

2021年3月27日 (土)

ミズバショウ(水芭蕉)の花を撮る

 ♪ 夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 とおい空・・・♪ の”ミズバショウ”が、山梨に咲く場所があるなどと以前は思いもしなかった。だが、あるときふとしたことで山梨にも咲く場所があることを知った。旧境川村藤垈。
 幽玄な林の中に、数本の竹筒から水が噴き出す藤垈の滝がある。その滝壺から流れ出る数筋の小川、その清らかな水が流れ、溜まる小さな田んぼのようなところに沢山のミズバショウの花が咲いている。白と緑のコントラストが鮮やかに映えるミズバショウの花がいっぺんに好きになった。
 それ以来、何度も水芭蕉の花を撮りに訪れた。今年も、Haibaraさんのファイスブックでミズバショウの花が今が盛りと知り、撮りに出かけた。

撮影カメラ ; PENTAX K-7
  レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
               SMCPENTAX-DA 55-300mmED
 

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2021年3月25日 (木)

境川藤垈のニリンソウ(二輪草)を撮る

 ニリンソウ(二輪草)は、文字通りひとつの茎から二輪ずつ花茎が伸びることにちなむ。花言葉が、「友情」「ずっと離れない」だそうだ。
 セツブンソウやミスミソウなどと同様、早春にいち早く芽を出し花を咲かせ、木が茂る夏には姿を消してしまう”スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)”と呼ばれる草花の一つ。

 いつも行っている藤垈のミズバショウを撮りに出かけた。一通りミズバショウの花の写真を撮り終え、一休み!と藤垈の滝の脇で座り込むとそのすぐ先にニリンソウの群落が目に入った。
 へ~、ここにも咲いているんだ、もう咲いているんだとうれしくなった。沢山のイチリンソウの花の写真を撮った。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
    レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
         SMCPENTAX-DA 55-300mmED

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《参考図書》
 「花おりおり 4」 湯浅浩史・文  矢野勇他・写真 朝日新聞社 2003年7月7日
 「山梨 花の散歩道」 鈴木憲仁 山梨日日新聞 昭和60年3月20日

2021年3月23日 (火)

法泉寺山のシュンラン(春蘭)を撮る

 シュンラン(春蘭)は、美しいとか可愛いとかいう花ではないかもしれない。だが、里山の雑木林の斜面に厚く積み重なった落葉からひょこっと顔を出し、目を凝らして探してくれる人にしか姿を見せない、ここに咲いているんだよと控えめに主張して咲くシュンランの花に何か愛おしさを感ずるのだ。

 シュンランは、かっては身近な野山にどこでも沢山咲いていたという。太い根は蒸すか焼いてすりつぶし、ひびやあかぎれの手当に使ったという。また、『湯村山の花~2008~』には「花の塩漬けはお湯を差して、桜湯のようにめでたい席で用いられます。」とある。

 法泉寺山に咲くシュンランの花を撮りに行くようになって何年になるだろう。今年も3回目で、ようやくあちこちに咲く春蘭の花を沢山見つけてうれしかった。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
     レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED

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《 参考 》
『花おりおり 2』 文・湯浅浩史 写真・矢野勇 朝日新聞社 2002年7月12日発行 
『湯村山の花~2008~』 写真・解説 輿石恒彦・睦子 武田の杜管理事務所 2009年11月30日発行

 こちらも是非ご覧ください
  → 去年の3月20日の記事 続 シュンラン(春蘭)花開く

2021年3月19日 (金)

アクセスカウンターの数値 ”123,456”

 今日か明日か、このページの右下(時々左上になったり、左下になったりもしますが)に設置している私のブログ「山と山の花」のアクセスカウンターが、”123,456”という並びの数字を示します。この面白い数値、記念すべきアクセスはどなたでしょうか。記念品をお渡ししたいぐらいです。(書いた記事数は、1,232となりました。こちらはあと2件で”1,234” (^0^) )

 2002年(平成14年)1月5日にこのブログを書き始め、19年余りでこの数になりました。自分のアクセスは数えないように設定はしているのですが、時々カウントしてしまったりということがあったりで、余り正確ではないかもしれませんが、それにしても結構の数になりました。

 これもいつもご覧いただいているみなさまのお陰で、厚く感謝申し上げます。これからも立ち止まらずせっせと記事を書いていこうと思っています。どうかどうか引き続きよろしくお願いいたします。

2021年3月17日 (水)

山中共古の『甲斐の落葉』

 よく映画のロケなどに使われる山梨県庁別館、その3階にある部屋「正庁」で開催された山梨近代人物館の「山梨近代人物学講座」に参加した。講師は山梨県立博物館の丸尾依子さん。丸尾さんからはついこの間、日本遺産昇仙峡ガイド講座で御嶽昇仙峡の「民俗芸能」について話を聞いたばかりだ。

 今回の演題は「山梨の民俗を今に伝える『甲斐の落葉』とは・・・」で、明治時代キリスト教の牧師として山梨に赴任し、山梨のあちこちの民俗的な事柄を集め『甲斐の落葉』を著した”山中共古”の話だった。

 私は実は今までこの山中共古について全く知らなかった。青少年のための山梨県民会議が以前シリーズで出していた「郷土史に輝く人々」でも取り上げられていたようなので、結構有名な人だったのにもかかわらず、不覚!

 この『甲斐の落葉』が、県立図書館でも借りられますよという丸尾さんの話で、早速図書館に予約し借りてきた。分厚いいかめしい本かなと思ったらさにあらず、手帳のような小冊子だった。表紙や中表紙の題字は、右から書いてある。
 しかしそれにしても、あの柳田国男も認める民俗学の貴重な資料である『甲斐の落葉』(大正時代に発行された冊子のような古い本)が、まだ他の図書などと同様に一般に貸し出してくれるなどありがたいことだ。県立図書館に感謝。

 『甲斐の落葉』は、漢字とカタカナで書かれており、ほとんど私にも読め理解できた。内容は甲斐の様々な民俗について、山中共古が実際見聞きし体験して、記述したもので大変興味深いものだった。
 丸尾さんの話の中にも出てきていたが、その当時の人々が湯島の温泉場に行くのに”平林”から難路の山を越えたという記述がある。現在の丸山林道と同じようなルートを辿ったのだろうか。その中に、舂米(この本の中では”月米”となっている)の強力が背負子で人をしょって湯島まで行ったとあって驚いた。”舂米”は私の母の実家があるところなのだ。
 その他私が生まれた旧玉穂村の稲積のことも”道祖神の縁結””あいさつことば”などの項目で出てきている。その他、ことば、歌、地名、道祖神、お祭りなどまったく身近なことが載っていて大変大変興味ある中身であった。

『甲斐の落葉』 山中共古(笑) 郷土研究社 大正15年11月15日発行 定價金壹圓 

2021年3月12日 (金)

定年後の暮らしは読書三昧 池波正太郎「剣客商売 番外編『黒白』」を読む

 池波正太郎「剣客商売」全16巻を読み終わった。

 他の時代小説などではよくあるが、小説が終わるについて主人公が死んでしまうというパターンが多いが、この小説では小兵衛が、斬り合いで斬られて死んだというラストでなく終わってよかった。小兵衛は、40も歳が違うおはるより長生きをし、93歳まで生きたという。

 小兵衛は、私と同様小柄で、年齢的にも今の私と同じような年代の頃が描かれており、親しみが持てた。いわゆる大衆小説で、読みやすく楽しく読み終わることが出来た。

 ところが、番外編があるということで、番外編の『黒白』の上を今読んでいるが、これを読むと何と小兵衛は、甲斐の生まれだというではないか。今までの16巻の中では、そういった記述はなかったように思う。しかも南巨摩郡秋山郷だという。びっくり。

 ”秋山”は、私の母の実家舂米(つきよね)の隣の集落なのだ。小説では、小兵衛の兄が家を守っているとある。母の口から”秋山”の名前がよく出ていて、隣村ということで、昔は結構行き来があったのだ。もしかしたら母の先祖たちと小兵衛の兄の行き来があったりして(^0^)。

 まあ、親しみが持てるこの小説がますます好きになった。あと1巻「ないしょないしょ」で番外編も終わりのようだが、剣客商売ロスになりそうだ。

 「剣客商売 番外編『黒白』上巻」池波正太郎 新潮文庫 昭和62年5月25日

 
 こちらもお読みください(1月27日の記事)
  → 定年後の暮らしは読書三昧 池波正太郎「剣客商売」を読む
 

2021年3月11日 (木)

シュンラン(春蘭)一輪咲く 法泉寺山 

 シュンラン(春蘭/ラン科シュンラン属)も”春の妖精”と言われ、スプリング・エフェメラルと呼ばれる草花の一つ(厳密には違うとも)。

 暖かい陽気に誘われ、まだ開花にはちょっと早いかなと思いつつ、法泉寺山へシュンランの花の写真を撮りに出かけた。

 案の定、まだ早かった。すっと伸びたシュンランの葉は、あちこちに見つけたが、花が咲いているのを見たのは一輪。

 花の咲いたシュンランを撮りに、もう一寸経ったらまた来てみようと思ったのだった。

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2021年3月 5日 (金)

春の妖精ミスミソウの花を撮る

 ミスミソウは、早春に落ち葉の間から小さな花を咲かせ、春の訪れを告げてくれます。また雪どけを待ちきれずに雪の間を割って出るように花を咲かせることから雪割草とも呼ばれています。その姿はまるで妖精のように可憐です。先日紹介したセツブンソウなどと同様 ”スプリング・エフェメラル ”と呼ばれる草花の一つです。

 今年も旧六郷町宮原の裏山へ、ミスミソウの写真を撮りに出かけました。午後は雨が降るという予報で、朝早い時間に出かけたので、花が咲いているかな、姿を見せているかなとちょっと不安に思いながら(陽があたっていないと花が開かないと聞いた)山道を登りました。落ち葉に覆われた山の斜面に目を凝らすと、あちこち白いかわいい花が沢山咲いていてうれしくなりました。

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 撮影カメラ ; PENTAX K-7
     レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED

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