庭の花を撮る ムクゲ
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久しぶりに、近くのショッピングセンターへ家内のアッシー君で出かけました。店の中をぶらぶら歩いていたら、一人の店員さんからにこにこ顔で声をかけられました。
「お久しぶりです。お元気そうですね。ホームページ見させていただいていますよ・・・」
前の職場に勤めていた頃、おつきあいをいただいたAさん・・・明るく笑顔で話しかけられ本当にうれしくなりました。
その職場にいた頃、私としては精一杯がんばっていたつもりですが、期待に応えられるような仕事ができたかどうか・・・
もう職場を離れて1年余りが経っていました。
「皆さんお元気ですか。元気でお仕事がんばって下さい。」といいながらその場を辞しました。
さわやかなうれしい一時(いっとき)・・・
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日曜日の午後ということもあるのだろう、珍しいことだが映画館の椅子がほとんど埋まっていた。
新田次郎が書いた小説は、ずっと前むさぼり読みあさっていた時期があり、この「剣岳 点の記」も読んだはずだが、筋はまったく覚えていなかった。
この映画、女の人は、宮崎あおい一人しか出てこない。新田次郎をよく読んでいた頃、生意気にも新田さんは、女の人を書くのが上手ではないな、と思ったことを思い出した。
映画では、素晴らしい雪山、山の景色を楽しんだ。
私が、剣岳に登る日はあるのだろうか。
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コメントは少ないけれど、私のブログを訪れてくれている人は結構いる。
少ない日で10人、多い日は40~50人いる。中には繰り返してお出でいただいている方もいる。おなじみさんだ。
うれしいことだ。
訪れたしるしに一言でもいい、是非コメントを残してくれればもっともっとうれしい。
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水ヶ森林道帯那山直下駐車場(*-1)に車をおいて、10分もかからず帯那山山頂である。昔の警察の無線中継所、コンクリートの無粋な建築物(*-2)が休憩所という意味合いもあるのだろう、残っている。
(*-1)太良ヶ峠から車で10分ほどのところ。10台ぐらいは駐められそうだ。
(*-2)かって私の所属しているアマチュア無線クラブで、夜、無線運用の傍ら、ここ
でオーケストラの会員のコンサートが行われたという。本当に昔話だが、実際ビデオテープが残っている。)
その建物の脇に山梨百名山帯那山の木標がある。木標の裏に続く山道を15分ほど進むと(*-3)奥帯那山だ。三角点があり、本当の帯那山はそちらのようである。まあ木標があるところを帯那山としても別に不都合はない。(三角点マニアには不都合かな。)ずっと山頂らしい。
(*-3)途中、塔岩側の谷へ下る斜面には、獣道がいくつも下っていた。イノシシだろうか、シカだろうか、それとも・・・。そういえば、先ほど、車で水ヶ森林道へ入る前の帯那山林道の途中では、一匹のシカのお出迎えを受けたものな。
帯那山のアヤメは、今(6月27日)が盛りだろう。群生と
いうにはちょっと寂しい気がするが、しかし結構咲いている。櫛形山はほとんど咲いていないというから少しはいいのだろう。ススキ、カヤみたいな他の草に覆われ、その中でアヤメが咲いている。やはり写真を撮りに来ていた夫婦の奥さんが、「でもいい、いい・・・素敵、素敵!」といっていた。
ここ一週間ぐらいが見頃のよう・・・来週の土日まで保つかな?
アヤメが終わると、次はヤマオダマキなど山の夏の花々が咲き出す。
今年も帯那山のアヤメに逢うことができた・・・写真を撮ることができた・・・よかった
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今日の「庭の花を撮る」は、”ブルースター”・・・
別名/オキシペタラム トウワタ科
花言葉;「幸福な愛、信じあう心」
冬を越させるのに少し苦労し、もうだめかなと思ったがおっとどっこい復活し、今の時期少し前からきれいな青紫色の星形の花を咲かせている。
アブラムシが付くことがたびたびあり、私は時々オルトランを根本にまいている。
気をつけてみると結構庭の隅や他の花の鉢の隅っこで小さい花を咲かせたりしている。
もうしばらくすると、サヤエンドウみたいな実になり、実が入ると綿毛のようになる。それが舞って次の年、また芽を出すのだ。
名前通り青の星形の花びらは、だんだんうすくなってやがて赤色に・・・ アレンジメントにも使われる花・・・
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ここ何年か、バイカウツギ(梅花空木)の花を、このブログに載せてきたが、今年もバイカウツギの季節がやってきた。
固まって咲くので、よく目立つ。花びらは、白で結構大柄だ。大きいものは、花径4㎝ぐらいのものもある。
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今年もヒペリカム’ヒドコート’が綺麗に咲いています。
春先、カイガラムシが付き、かなりの枝を切ってしまったのですが、残りの枝が伸び、そして花が咲いているのです。参考図書には、前年の枝だけ残し、古枝は3~4月に地際から切り取るとあるので結果的にはよかったのかも。
今年は、カメラを近づけアップで撮ってみました。
オトギリソウ科・半常緑低木・原産地;中国
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去年7月、帯那山へアヤメの写真を撮りに行った時、樺峠から東方向へ緩い尾根を登って行くパーティーがあった。切差峠、八幡山方面に行くのかなと思っていたら、しばらくして戻ってきた。どうも奥帯那山に行こうとして間違ったらしい。教えてあげればよかったとその時思った。
今回は、待望の見越山の三角点を見つけた後、天気報では午後になって雨というふうにいっていたけれど、まだ大丈夫そうなので、そのパーティーが向かっていった1381m峰(標石のない標高点)方向に足を伸ばしてみることにした。といってもそれほど特記すること
はないだろうと思いつつ・・・。
山梨百名山の木標のある帯那山山頂から、まだ枯れ草原の中を樺峠に下る。ほんのわずか100mほどだ。今年はアヤメはどうだろうか。あまり咲かなくなってきているようだが、それでもまたその時期にはきっとアヤメの写真を撮りに私は来るのだろうな思いながら下った。枯れ草の中にクサボケが一つ咲いていた。山頂の桜はもう終わっていたが、樺峠には、遅い桜が咲いていた。何という種類なのだろうか。 
樺峠から1381m峰に向かう。樺峠からの入り口もあまりはっきりしていないし、山道もそれほど歩かれているようには感じられない。八幡山方面にこちらから下っていく人は少ないのだろうか。気をつけていないと踏み跡を見失ってしまいそうだ。
でもまあわからなくなっても、水ヶ森林道に囲まれている場所だから大丈夫だと思いながら進む。かすかな踏み跡を追い、緩く登り、緩く下り、山頂から15分ほどで舗装された水ヶ森林道に降り立った。八幡山方面の山道が林道の向こうに植林地の
中を下っている。切差峠、八幡山はまだ遙か遠くだ。
先日脚気石神社上の林道を歩いた時にたくさん咲いていたタチツボスミレ(?)が、ここでも林道脇に咲いていた。
水ヶ森林道、そして帯那山牧場跡へ向かう車道を歩いて、帯那山東麓登山口に戻る。20分ほど。
ぼろぼろになっている2万5千分の1甲府北部の地形図に、また赤のマーカー線がわずかだが増えた。
(平成21年5月5日歩く)
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帯那山を自分のホームグランドというならば、帯那山近辺を歩き、帯那
山についてもっともっと詳しくならなければ思う。
4月18日に、下帯那幸澗院裏から阿梨山、旧帯那山牧場を経て帯那山に登ったときに、地形図にある三角点「見越山(1347.4m)」を確認できなかったことが大変気になってしょうがなかった。
ネットで調べてみると、あるある、帯那山と併せて見越山を歩いたレポートがけっこうあるではないか。帯那山を自分のホームグランドと謳い、この山へ数え切れないほど登っているのに
なんということだ。
帯那山の四阿がある草原下の旧牧場への車道を南に向かうと車止めのゲートがある。ゲート脇を通り過ごし50mも行くと車道と平行して左の林の中、芽吹きの木々の向こうに薄い踏み跡の山道が見つかった。繰り返すけれど、この車道は何度も何度も歩いているのだ。なのに林の中の道に気がつかなかったのはうかつだった。
山道に入って5分もかからず、そこが見越山だった。クサボケの花の中に、三角点があった。振り返ると木々の向こうに帯那山、奥帯那山が見える。車道からわずかのところに見越山はあったのだ。
そのまま踏み跡を辿り尾根づたいに進むと、右下にまた車道が見える
。積翠寺甲府方面を示すあの表示板も見える。そしてすぐあの電波塔の建物の裏に出たのだ。この尾根はそのまま東に向かい太良峠方向に至るのだろう。しばらく進んだが踏み跡はわからなくなった。
電波塔からしばらく来た山道を戻る。牧場の車道ができる前はきっとこの道が山道だったのだ。堀切の道は、しばらく行くと見越山三角点の手前で少し右へ向かうようになった。けっこう広い水平道が見越山の東面を巻くようにして進んでいた。(注*)10分もかからず、先ほどの車道ゲート手前50mほどのところに出て、車道へ合流した。
思わず車道から、歩いて来た山道を振り返った。どうしてこの山道に気が付かなかったのだろうか。自分の浅はかさを思った。もっともっと勉強しなければ。
何か車道を歩くのが惜しくなり、ゲート脇から車道ではなく左側の尾根づたいに帯那山に向かうことにした。ここでも新しい発見をした。コンクリート製の餌やり場などのある牧場跡の中を山道が上に登っているのだ。柵沿いに歩いたりして、バラ線、柵を越えて帯那山山頂に着いた。
(注*) 「峠の向こうへ」さんにいただいた古い帯那山近辺の地図には、この道もしっかり載っている。
(写真) 上から 「クサボケ」 「見越山山頂」 「見越山東面の水平道」 「帯那山から見越山」
(平成21年5月5日歩く)
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古い道路地図を見ていたら帯那山南の三角点1347.4mに「見越山」と表示があった。先日歩いたルート上にあるのだがどこだったのだろうか。阿梨山の三角点も確認できなかったし、今回は三角点に関してはついていなかった。
さて桜にはちょっと早かった帯那山山頂から下る。先ほどの車道を戻り、無線中継所へ行く広い道から、山道に入る。入り口には甲府積翠寺方面とあるが、上帯那という表示はなかった。そこから10分ほどで二つの石塔がある山
道の分岐点。石塔の一つには、右やはた、左やまみちとあった。上帯那から登ってきて右は山道を辿って切差を通って八幡へ向かう道なのだ。上帯那から、遙か八幡へ抜ける道であることがわかる。
帯那山から下ってきてまっすぐ行くと積翠寺、右へ下ると上帯那である。分岐にはやはり右へ上帯那へ下る表示はなかった。広い山道が右へ下っていた。しばらく進むと思いがけずコンクリートの道となる。ほとんど土に覆われ、コンクリートは見えないが、しかしコンクリートの舗装道が下
っている。帯那山林道を二カ所で横切るが、山道は沢を直線的に下っていく。所々ある堰堤も、その脇をうまく山道は通り抜け下っていく。昔の道である。もしかしたらジープぐらいの車だったらこの道を上ったのかもしれないと思うぐらいの道である。
これが、上帯那から帯那山に歩いて登った昔の登山道である。今はこの道を利用する人はあまりいないだろう。遙か昔学生時代、帯那山に登ったとき、この道を歩き登ったのだろうか。記憶がはっきりしない。
崩れた石塔、石垣があるなと思うと、脚気石神社から登ってくるはっきりとしたコンクリート道に出る。そこがもう脚気石神社だ。
写真中段は、「ニリンソウ」。砂防堤の上の湿地に咲いていた。気をつけなければ見過ごしてしまうかもしれない。
(平成21年4月18日歩く)
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下帯那町の幸澗院を正面に見て進み、左に駐車場の中を通り過ごし、さら
に道なりに寺の裏に廻り、墓地の上側に出るとちょっとした広場になって舗装道が終わる。入り口はよくわからないが、林の中に歩き入ると山道が上に登っている。すぐ道は見つかる。イノシシが掘り返した山道が尾根まで続いていた。
30分ほどで、千代田小学校近くから登ってくる尾根(道)と合流、右、東方向に進む。阿梨山へまず向かう。尾根に出てから約30分で送電線の鉄塔下に行き着く。眺めはほとんどなかった。(空き地にはなっている。)
残念なことに前回登ったときにはちゃんと確認できたのに、今回は阿梨山の三角点と山名表示板は見過ごしてしまった。(鉄塔から阿梨山ら
しきところまで20分)それまでは、ほとんど登りだったのに、登り下りが激しくなる。そして、10分も行かないうちに右下50~60mのところにガードレール、舗装した道が見え、びっくりしてしまった。もしかしたら林道帯那山線?そこでは確かめるだけの余裕はなかった。
帯那山へ向かう山道は、ほとんどはっきりしている。ほんの一部不明瞭なところもあるが、尾根をたどると山道がすぐ見つかる。途中何本か尾根を越えている道があった。脚気石神社近くから塔岩へ抜けるあの地形図の破線の道なのだろうか。(いつか確かめてみたい峠道だ。)
昔の牧場(確か帯那山高原牧場とかいった。)の柵が現れたところ(阿梨山から45分)を柵沿いにさらに進むと古い壊れた林道となる。それをたどると、何度も歩いたことのある帯那山下からの林道となる。途中甲府市内からもよく見える電波塔へ抜ける林道と合流、歩き慣れた林道を帯那山に向かった。牧場の柵を見たところから30分で帯那山山頂に着いた。
念願の、職場で毎日のように眺めている甲府北山阿梨山から帯那山に続く尾根を歩いた。満足満足・・・
次回 帯那山から上帯那へ 古い登山道を下る
(平成21年4月18日歩く)
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念願のルートで私のホームグランド帯那山に登ってきました。
幸澗院裏の山道から入り、千代田小近くから上がってくる尾根に取り付きました。そして、阿梨山を経て、帯那山高原牧場跡の柵が見えた時は、本当にほっとしました。
帯那山の桜は、ほんの一輪二輪ぐらいしか咲いていませんでした。来週あたりが見頃かな。
そして、何の案内板もない(ほかの方向に行く案内はあるのに)、上帯那脚気石神社に下る古い登山道をゆったりとした気持ちで歩き下りました。昔は大勢の人が利用した古い登山道は、しかししっかりと残っていてうれしくなりました。
この山行きのレポート、少しの花の写真とともに、近々アップします。
私のブログにおいでくださりありがとうございます。是非またおいでくださり、このレポートをご覧ください。
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今まで使っていたパソコン(VL570/6D)が故障・・・パソコンインターネットプロの息子に相談して結局新しいパソコンを手に入れた(平成21年3月13日購入)。あいも変わらずNEC・・・VL300SGというもの。遅まきながらウインドウズはビスタデビューだ(ビスタは平成18年1月発売)。
購入後2週間たつが、時間があればパソコン・・・。今まではパソコン能力の関係でインストールできなかった最新バージョンの「一太郎」も入れた。ホームページビルダーも古いバージョンだが今までよりはずっと快適に動く。(ホームページビルダーも新しいバージョンにしたい。)
今まで使っていたパソコンを息子がハードディスクを入れ替え最低限使えるようにしてくれて、新しいパソコンとケーブルでつないでくれたので、苦労せずデータの移行もできた。
今日までにだいたい元のパソコンのように復元できた。とにかく快適に動くし、新しいソフトもたくさん入っている。
家内もインターネットで趣味のホームページを盛んに見ているし、インターネットショッピングも楽しんでいるようだ。
安い買い物ではないから、有効に最大限利用していこう。ホームページも更新に励もう。ブログへの書き込みも毎日?できるかな。
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*** 本になった私のブログ ***
ココログ出版で、私のこのブログ「山と山の花」の本ができた。これで3冊目。2007年1月1日から、今年2009年2月11日までの2年間余りの文章である。今回は踏ん張って、布張りの表紙にしてみた。180ページの素敵な本となった。
内容は、山登り、、峠歩きの文章が中心だが、庭の花、野菜作りのことなどの文章もある。日々の記録、考えていること、思っていることの記録にもなっている。随筆というつもりではないが、文章もまあまあかな。
こんなに素敵な本ができてうれしくなってしまった。(別に、ココログ出版から宣伝料をもらっているわけではないが。)
次は、1年で1冊の本になるように張り切って、しかしあまり肩肘張らず、気軽にどんどん書いていこうと思う。4冊目を目指して・・・。
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上折門を後に折門峠に向けて出発しようとしたその時、30mばかり
下の畑跡をドドーと一頭のイノシシが走り抜けていった。えー、この時期はイノシシは冬眠しているんじゃないのか~。ああ、恐ろしや~。そしてさらにその後を多分猟犬だろう、一頭の犬が吠えながらイノシシを追いかけていった。
折門集落跡から折門峠への径は、はっきりしていた。しかし・・・落ち葉が一杯溜まっていて歩き難いことこのうえない。仕方なく、道脇の土手状のところを歩く。径を見失わないように林の中を歩いたり・・・。
山神峠から直接尾根沿いに登って来る径と合流する辺りで一人の人が銃を持って座っていた。またまた恐ろしや・・・間違えて撃たれてはたまらない。以後携帯ラジオの音を一層大きくして歩いていくことにした。
折門集落から40分ほどで、もう何度も来たことのある折門峠に到着した。この先大平山の東麓に旧の折門峠があるが、折門から歩いてみてやはりここが折門峠なのだろうと実感した。麓から登ってきてここが初めてほっと出来る場所なのだ。ここから先は下りだ。
設置してあるベンチももう朽ちて座れる状態ではないほどだ。この先、栂の峠や大平山に設置してあったベンチも同様だった。しかし何となく周りとマッチしていてむしろ自然なのかなと思ったりもする。
10分で栂の峠である。途中、先ほど記述した旧折門峠があり左芦川
側に径が下っているのを確認できる。栂の峠の栂は甲府から毎日のように眺めているあの栂だ。私の峠歩きの原点のような気がする。
その栂の峠から更に東に7分ほど・・・旧地蔵峠。前にも書いたことがあるが、南八坂方面から鬼ヶ窪芦川側に微かに径が越えているのが確認できた。今日は、その南に下る径を下ってみる。わずか3分ほどで例の四尾連湖から精進湖に抜けるハイキングコースに下り立った。前にこのハイキングコースを歩いた時に、ここが多分旧地蔵峠への登り口だろうと思ったところだ。間違いなかった。
栂の峠へ戻り、更に折門峠を経て大平山に登る。富士山がきれいに見
えていた。最初にこの大平山に登った時には、登り口にある富士山の眺めを絶賛している木看板の文章ももう少しはっきりしていてかなり文章が読めたようなな気がするが・・・
大平山から折門峠を経て、尾根づたいに下り、山神峠を通り、御弟子の分校跡まで30分。あっという間に車まで戻った。
(平成21年2月15日歩く)
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今日も峠を行く・・・山神峠を越えて <2月15日(日)>
何度目になるだろうか、御弟子集落の上、枯れ草が揺れる旧古関小学校折八分校跡のすぐ下を通る林道脇の広場に車をおかせてもらう。
ここに来るまで林道には、大小の石が沢山ころがっていた。朝早くということもあり、走る車はほとんどなし。それでも沢の林道入口から入ってしばらくして、ゆっ
くり走っていた車を一台追い越した。林道は、ここからさらに先、八坂集落あたりからは冬季通行止めだ。
この間と同じ様に分校跡脇の石段を上がり、石仏に手を合わせ、さらにその先の神社にも手を合わせ鳥居をくぐり峠道に入った。
稲妻形に峠への路は登っていく。わずか15分ほどで山神峠だ。右尾根沿いに折門峠へ登る山道を見送り、そのまま峠を越えて折門へ向かう。前回は畑跡と墓地などがある場所へ出たが、今回は地形図などをしっかり見て、どちらかというと
あちこちにある踏み跡を左側左側にとった。
予想通り集落跡に行き着いた。上折門集落跡だ。前回行き着いた場所のすぐ左側、南側が集落跡だったのだ。本当にすぐそばだったのだ。今日は時間もあるので、しばらく集落跡を歩き回った。5~6軒の家々、物置とか製粉所らしきところも・・・冬枯れの木々の間から溢れる陽が明るく辺りを照らし、それほど気持ちは暗くならないが、生活の跡が生々しくて胸が締め付けられる思いも・・・。
上折門から下折門に向かう。径ははっきりしている。10分かからず下
折門集落跡に着いた。やはり5~6軒の家々があったようだ。廃屋の石垣の脇には水仙が沢山芽を出していた。もうすぐ人のいないこの場所で花を咲かせるのだろう。
大岩の上に登り廃屋を見下ろし、写真を撮る。物置らしき小屋の中には脱穀機らしきものも・・・米は採れなかっただろうから麦か粟みたいなものをこいたのだろうか。動力は何だったのだろうか?
上折門に戻り、前回来たときに折門峠への径ではないかと思った径を、折門峠に向かって登り始めた。
その時、恐ろしいことが・・・
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去年9月29日このブログに書いた映画「おくりびと」が、アカデミー賞の外国語映画賞を取ったという。
自分の観た映画が、率直な気持ちで素敵ないい映画だと書いてから、数ヶ月経って世界的なビッグなお墨付きをもらったということで、何か私自身も誇らしく思ってしまった。
映画の一つ一つのシーンが思い出される。庄内平野の素晴らしい景色の画像もよかった。何よりもいい映画を見た満足感に浸っていた・・・。
夕方からどのテレビも、アカデミー賞のニュースを伝えている。短編アニメの部では、加藤久仁生の「つみきのいえ」が受賞したという。加藤監督が、「サンキュー マイスタッフ」「サンキュー マイペンシル」「サンキュー ・・・・ ・・・」と、サンキューを何度も繰り返しているのを聞いて、誠実な人なんだな感じた。
映画もニュースで伝えられた映像を見ただけでも温かく素敵な映画のような感じを受けて、早く見てみたいなと思った。
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わが家の庭先で、クロッカスが咲いています。 そして、福寿草も一輪咲き出しました。(2月15日の日曜日)
鉢植えから地面に下ろして2年、沈丁花も大きくなり、蕾が膨らみ、すぐ咲きそうです。今は赤色の蕾です。
甲府盆地でも、若草の十日市そして塩沢寺の厄除け地蔵祭りが終わり、春が近づいています。日も長くなっているし、何となく、うきうきした気持ちになります。
暖かい日が多く、暖冬だといわれ、地球温暖化の影響がいわれています。地球は大丈夫なのでしょうか。
以前にも書きましたが、温暖化を止めるために、アイドリングストップとかこまめに電気のスイッチを切るといったことがいわれてささやかながら私も心掛けているつもりですが、何かもっともっと得体の知れない大きなものが突っ走っていて、誰にも止められないような感じがして恐ろしくなります。何とかならないでしょうか。
かわいい孫が生きて行く時代まで、いやいやもっともっと先まで住みやすい豊かな地球が続いて欲しいと願わずにはいられません。
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今朝早く、敷島総合公園の梅の里へ、ウオーキングを兼ねて、梅の写真を撮りに行ってきました。
梅の花見で結構有名なところで、このブログでも以前紹介したことがあるところです。
朝早いので、ウオーキングやジョギングをしている人以外ほとんど人のいない公園内、駐車場南斜面と、後沢貯水池(大蔵経寺山の火事の時、ここの池からもヘリコプターの水が汲まれたところです)の西方上の梅がとても素敵
に咲いていました。
雪の鳳凰山など南アルプスの山々をとり入れて撮ろうかなと思いましたが、うまく撮れませんでした。でも、総体的には、まあまあの写真が撮れたかな。
帰る頃になって写真を撮る人が何人かやってきました。穏やかな天候で、きっと午後になると大勢の人が花見にやってきたことでしょう。
今度の土日あたり、一番の見頃になるのではないかな~。
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「広報こうふ」【*】 に、先日私が歩いた塔岩町や竹日向町について、大変興味のある記事が載っていた。
* 塔岩町 ~ 昭和48~49年に人口がゼロに 住んでいる人はいないが、現在も戸籍は3戸ある 氏神さんは細草明神で114㎝の祠がある この側に高さ4.5mの仏塔のような岩があり地名の由来になった 武田氏滅亡後、古府中の開発で大勢の人が移転し人口が減少した 北新の辺りに「塔岩」の地名が残っている
*竹日向町 ~ 公会堂があるところは昔お寺だった 歌舞伎が上演されたことも 近くに樹齢300年のもみじがある このもみじが赤くなるころまでに麦をまけばいいということで地元では「麦まきもみじ」といわれていた 小正月に獅子舞とともに民俗芸能「鳥刺踊(舞)」が行われていた 鳥刺(小鳥を捕る人)に姿を変えた曾我兄弟が父の仇討ちをするまでの苦労の様子が演じられた 川に沿った旧道に馬頭観音が・・・
機会があったらまた、塔岩から天神峠に登り、竹日向側に少し下り、ダアス峠を越えて平瀬まで歩いてみたい。何時になるだろうか。
【*】 広報こうふ 2009 2 №637 「とびだせ市民レポーター~甲府市内の”まちあるき”~」
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梨木峠【*1】は、甲府の羽黒山宮から千代田湖帯那へ抜ける峠です。今は立派なアスファルトの道が麓から千代田湖に抜けています。
その梨木峠から八王子山への登り口は、旧田富町のレクレーション施設があったところです。今は立ち入り禁止のロープが張られています。その脇を通って、元旦の初日の出を見に行ったと同じルートで山頂に向かいます。途中、甲府盆地の眺めが抜群です。(写真上)天気がよいと南アルプス、御坂の山々、富士山など盆地を囲む山々も素晴らしいのですが、今日は靄にかすんでいて残念です。
登り始めて20分で八王子山【*2】山頂です。八王子神社に参拝しました。今年もう元旦に続いて2度目になりました。
さて、ここから先は、もうずいぶん前(20年ほど前かな)一度歩いたきりです。白山の続きで花崗岩の白い岩もあちこちにあり、白い道が続きます。先日降った雪もあちこちに残っていました。
湯村山に向かって全体的には下っていますが、幾つかの上り下りがありました。ほとんどが尾根歩きです。いい山道が下っています。(写真下)
右には八王子山が写真中のように木々の向こうに見えていました。 【*3】
湯村山から登ってくる人に会うようになりました。八王子山まで行くという人もいましたが、多くの人はウオーキングの延長で足を伸ばしたというような感じでした。
八王子山から1時間で湯村山(446m)です。湯村山にはもう数え切れないほど登ってきています。城跡に残る井戸の跡を眺め、山頂を一巡りし、湯村乗越に戻ります。東に下ると緑ヶ丘のスポーツ公園ですが、今日は西方向湯村温泉郷に下りました。
( 平成21年1月12日歩く )
【*1】梨木峠の記事、写真がある。 → 梨ノ木峠から和田峠へ
【*2】「バリエーションルートを楽しむ」(松浦隆康著 新ハイキング社)には、八王子山について()付きで「堂ノ山」という別名が添えてある。
【*3】同じく「バリエーションルートを楽しむ」では、下りの途中右に見える八王子を「山桜に彩られ、山水画のような趣である」と表現している。春だとその通りなのだろうな。
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旧古関小学校折八分校跡に立つのは何度目でしょうか。子どもたちが本校に通うようになった後も、平成17年まであったという校舎も今はなく、枯れ草が生い茂った空き地になっています。ここではしゃぎまわる子どもたちの楽しそうな大きな声が、見下ろす深い谷に響いていたのでしょうか。旧下部町誌を読んでわかるように、長い年月、ここで大勢の子どもたちが、先生たちといっしょに一生懸命学んでいたのです。
”ここに学校があった”・・・人々が子どもたちの成長、教育に寄せる大きな思いが強く感じられて、私は胸が締め付けられるのです。
これももう何度も拝ませていただいている道祖神様の前を、畑方向ではなく反対側右側に金網沿いに進みます。葦が少し繁っていますが乗り越えていくと、分校跡の顕彰碑(この碑文も旧下部町誌に載っています)を右に見てすぐ赤い鳥居の神社があります。神社の脇を道は登っていきます。ほんの少し、やはり葦が繁っていますが、道はすぐ昔の面影を残す峠道になります。
枯葉が舞集まり歩きづらくなってはいますが、広く稲妻形に登る峠道は、昔はきっともっともっと歩きやすい道だったのでしょう。振り返ると富士が大きくよく見えました。朝、折門の子どもたちは峠を越えると、この富士を眺めて「さあ今日もがんばるぞ」と思ったことでしょう。
峠には15分ほどで着きました。越えている峠の道の両側に神社がありました。折門峠大平山へ登る道もはっきり確認できました。峠の向こうへさんの「山神峠」という表示板もありました。しばらく休み、峠を下ります。
折門へ下る道もはっきりしていましたが、上から下りてくる小道、下へ下りていく小道が結構沢山ありました。人が歩いている道なのでしょうか、もしかしたら獣道かも?
道は、新しい地形図の破線道のように、しばらく行くとはっきりわからなくなってしまいました。いくつかある踏み跡らしきところを進みます。葦の間を通り越すと、畑か住居跡かと思われる広い斜面に出ました。少なくとも人の営みがあった場所です。辺りを少し歩きまわると、墓地に行き着きました。一番新しそうなお墓(墓誌?)には、「昭和45年春彼岸」とありました。
さらに辺りを歩き回りました。山の上の方から山道が下ってきているのが確認できました。きっと折門峠から下りてくる道だろうと思いました。その道の脇に、石仏と出征兵士を弔った立派なお墓がいくつか立っていました。
ここら辺りが上折門で、もっと下ると下折門があるのだろうと思いましたが、道がはっきりわからず、あまり谷に下りると戻るのにやっかいだと、結局峠へ戻ることにしました。来た方向に少し進むと道もはっきりしてきてもとの峠道に戻ることが出来ました。
帰って来て古い地形図などをもう一度よく見てみると、山神峠から下ってきて少し左谷沿いに下りると上折門があり、さらに今度は右沿いに少し下ると下折門があるのではないかと思いました。後の祭りです。
でも折門の子どもたちが毎日登下校で歩いた道を自分も大部分歩き、確かめることが出来よかったなと思いました。
いずれにしてもこの折門の集落跡には、いつかもう一度訪ねてみたいと思いました。
( 平成21年1月6日歩く )
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明けましておめでとうございます。
甲府の元旦の朝は、窓ガラスをゆるがすヘリコプターの音で明けました。石和の大蔵経寺山の山火事を消すために水を運んでいるヘリコプターです。いつか歩いた岩堂峠から大蔵経寺山への長い尾根、あの一部が焼けているのです。もう火事が発生して数日経っています。元旦早くから消火作業に当たっている人々の苦労に感謝しつつ、一刻も早く完全に消えて欲しいと思わずにはいられません。
さて、一方甲府盆地は、去年と同様、穏やかな天気で新年を迎えました。いつもよりちょっと足を伸ばし、千代田湖畔白山の山道を、初日と初日に輝く盆地の周りの山々を眺めながら、しばらくの時間歩いてきました。初歩きです。同じように初日を見ながら山道を歩いている人と挨拶を交わしながら、ゆっくり歩きました。初詣は、山頂の八王子神社になりました。元旦の朝、こうして歩くことができて、何か気持ちが明るくなり、勇気づけられるような感じでした。今年が、公私ともいい年でありますように祈りました。
私は、長い間精一杯勤めてきた仕事を去年3月に終えてから、初めての正月を迎えました。去年は、退職後ちょっとしたトラブルもありましたが、まあまあ心身ともに健康に恵まれ元気に過ごしております。このブログでもふれていますが、山歩き、峠歩きや時たまのゴルフなどが健康の秘訣かも知れません。野菜作りも気持ちが和らぎます。やっぱりお百姓の息子だなと思うこともあります。
退職に当たり、ご心配をいただいた向きももしかしたらあるかも知れませんが、元気で過ごしていることお知らせ申し上げます。
40年近く関わってきた仕事はひとまず終えましたが、時々請われて経験談をお話ししたり、進むべき方向について語らせてもらっています。今のところこんな形が私なりの関わり方ですが、これからも役に立つ活動は私なりに続けさせていただきたいと思っています。新しい仕事にも精を出しています。
是非とも、今後とも引き続きご厚誼の程をお願いいたします。
今回は、新年早々さっそく私のブログにおいでいただきました。もしかしたら、差し上げた年賀状を見てここへ来ていただいた方もいるかもしれません。ありがとうございます。
ここは、私の趣味の山歩き、山や山の花の写真、アマチュア無線、パソコン、野菜づくり、その他仕事と極端にプライベートなこと以外のいろいろなことを気ままに書き込んでいるささやかなブログです。まあ、公開日記みたいなものですね。スクロールしたり、またカテゴリーのリンクをクリックしたりして、是非今までの記事も読んでください。
ブログとは別に、私のホームページともリンクしています。内容的には、ブログと同じようなものですが、山と花の写真が自分としてはとても充実していると思っています。こちらも是非ご覧ください。きっと、私の生活や考えていることの一端がわかるかも知れません。また、皆さんの何かの参考になればと思っています。
ご感想、ご意見などコメントをいただくととてもうれしいです。ブログの記事からコメントがいただけるシステムになっています。記事の下の「コメント(0)」をクリックしてくださると書くことが出来ます。
是非、今後も時々お出でいただいてお読みください。ブログは、毎日ではないですが、結構頻繁に新しい記事を書いています。
【写真下】普段は釣り客が大勢いて雑然としていて(失礼!好みの問題です)、あまり好きではない千代田湖です。でも、周辺の山々、白山や八王子山から見る眺める千代田湖、南アルプス、茅ヶ岳、甲府盆地そして御坂の山の向こうに見える富士山などの眺めは抜群で大好きです。
そして、千代田湖だって、この写真に見るように時には素晴らしい景色になります。千代田湖に元旦の朝陽をあびた帯那山が見事に映っています。その向こうに上下帯那の集落、そして阿梨山。澄み切った早朝の空をバックに映えているのが帯那山です。私のホームグランドです。今年も帯那山そしてその周辺を、歩き巡りたいと思います。
ついでに帯那山の真上に黒い点が見えます。(写真をクリックすると拡大写真が見られます)これが大蔵経寺山の山火事を消しに荒川ダムの水を運んでいるヘリコプターです。
それでは・・・
今年ももよろしくお願い致します。
最後になりましたが、皆様方にとって今年がよりよき年になりますよう心からお祈りしております。
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天神峠から竹日向側に下る。はっきりわかる道が下っており、調子よく下った。天神峠の尾根から分岐した北側の尾根に乗り、しばらく行くと鉄塔下に行き着いた。天神峠の尾根から沢をまたいで送電線がこの尾根に来ていてその鉄塔だ。今歩いてきたこの道はもしかしたら、鉄塔の修理点検のための道なのかも知れないと思った。
さらにしばらく行くと小さな石祠があったが、その先道がなくなりずいぶん急斜面にもなり不安になった。無理をしないでと、ちょっと戻ったところに先ほど沢沿いに下る道があったのを思い出し、その道を下ることにする。すぐ沢に行き着いた、その沢には、石垣が何段もありこれまた畑跡のような感じ。しばらく下ると先ほどの林道の終点にようやくたどり着いた。
今考えてみると、私が辿ったこの道は、「峠の向こうへ」さんが送ってくれた古い地図の天神峠から竹日向に下る古い峠道にほとんど一致する。
予定ではさらにダアス峠を通って平瀬方面へ下ろうと思っていたのだが、またいつか次の宿題とすることにした。
その後、前回と同様林道から小山道(この道も昔からの道のような感じだ)を登り、小乗越の集会場前を竹日向の集落へ下った。といっても時間的には5分ほど。
本当に静かで、私の歩く気配を感じたのだろう、犬の鳴き声が集落全体に聞こえるほど谷間に響き渡っていた。集落の最上部、神社の上の堰堤の際まで行き、見上げると真上にあの送電線の電線がはるか高く高く見えていた。
今回も道に迷いながら行きつ戻りつの峠歩きであった。ほとんど廃道に近い峠道であったが、それでも昔の峠道をなんとか確認でき、念願の天神峠にも行き着くことが出来、ほっとした。
写真は、天神峠付近で撮った昇仙峡羅漢寺山、太刀岡山、茅ヶ岳、曲岳。右端が黒富士だろう。中央ちょっと左下端に見えるのが車をおいた竹日向集落入口広場だ。
天神峠から竹日向への峠道は、写真を撮っている尾根と、写真右一番手前(山の影が映っている)の尾根の間の谷を下っている。
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今日もまた峠を行く・・・。
目指すのは前々から行きたかった塔岩から竹日向に抜ける天神峠。(団子峠ともいうそうだ。)登り口などの下見も何回もした峠だ。
前回ダアス峠を歩いた時と同様、竹日向の集落の入口のちょっとした広場に車をおいたのが、丁度朝8時であった。林道を歩く。林道終点まで10分で着いた。
ダアス峠へは、右に行くのだが、今回は、天神峠を目指し、左の沢沿いに登り始めた。すぐ、炭焼きの跡らしきものがあり、ああこの道でいいのだと思った。しかし、その先道は心細くなり、やがて落ち葉に隠れ、ほとんどわからなくなった。山道なのか、はたまた獣道か。ところどころには実際獣の糞があった。左側には大きな岩が見えていたので山の斜面を右寄りに方向を取りひたすら登った。(今考えてみると、岩に行き着く前に左に方向を取るとよかったのかもしれない。)
塔岩側が見える尾根に登り着いたのが9時で、登り始めて1時間、前に下見に行った時に眺めた塔岩側から見える送電線の鉄塔のすぐ左下の鞍部であった。ほっとして一休み。
まあまあ歩きやすい尾根道を登り15分で天神峠に着いた。塔岩側にも、竹日向側にもはっきりとした山道が下っていて峠だということがわかった。竹日向の集落から1時間30分であった。
しばらく休み、まず塔岩に下ることにした。すぐに、石垣がある場所になった。畑跡だろうか。住居跡はもう少し先だ。竹に行き先を妨げられ、一部道がわからなくなることもあったが何とか通り過ごし15分で、前に来たことのある塔岩の集落跡に着いた。ここに、かって人の暮らしがあったのだ。何ともいえぬ気持ちであった。
すぐ登り返したが、ちょっと違う沢を登ってしまったようで天神峠よりだいぶ高い尾根に着いてしまった。結構厳しい尾根道を、天神峠まで下る。この尾根を登ると、帯那山まで続いているが登るのも下るのも厳しいだろうな思った。
今日も峠を行く 塔岩町天神峠(団子峠) その2 に < 続く >
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通勤で、K工業高校前、S高校前を通過する。右左両方の歩道を一杯の若者たちが行く。
ほとんどが県下各地から、電車やバスで甲府駅まで来て、そこから学校へ向けて歩く生徒たちだ。また、近くの会社や事業所、病院等へ勤めているのだろうと思われる若者たちも同じように歩道を歩いている。
そんな若者たちを、車を運転しながら眺め、”ああ、若者っていいな”と思うことがある。真っ正面を見据えてひたすら歩いている者、友だち仲間と楽しそうに話をしながら歩いている者、好きな音楽を聴いているのだろうか、耳にイヤホーンをして歩いている者などなど・・・、活気に充ち満ちていて、見ている私の方まで気分が明るくなるのだ。
みんな、楽しいことばかりでなく、色々苦しいこと、辛いこともあるだろうけれど、それらを乗り越え、有意義な学校生活、社会生活を送り、いい明るい社会を創っていく原動力になってもらいたいと心から思う。
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甲府千塚山宮から片山西端をぐるっと回り、荒川左岸を昇仙峡に向かう県道が荒川を渡り旧敷島町吉沢へ入る手前500m程手前のところに右に登って行く道がある。狭い道だが車が走れる生活道路だ。
この道を行くと、すぐ平瀬上野の集落だ。そして、しばらくすると右へ行く道と左へ行く道に分かれる三叉路になっている場所に行き着く。
ここが、平瀬峠(430m)だ。普通の民家を後ろに亀のような石物神があり、峠だとわかる。ここを「山梨の峠」の小林さんは平瀬峠としている。多分間違いないだろう。
左へ行く道がすぐ急な下り道になり、いかにも峠を越えたという感じになる。そして荒川左岸にまた下り着くのだ。
この道がさらに荒川左岸を曲がりくねって進む。途中には古い道だということを示す石仏や石碑などが結構沢山ある。幾つかの集落を通り過ぎ、この道が塔岩川沿いに沢を登り始め、やがてあの塔岩の集落に行き着くのだ。途中から尾根沿いに登った山道は、ダアス峠を経て、竹日向の集落に行き着く。また天神峠を通って塔岩の集落へと下っていく。竹日向と、塔岩の集落は、天神峠で結ばれていた。
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時々、利用している甲府の市立図書館には、小林栄二さんの「山梨の峠」がおいてありませんでした。
そこで本当に久しぶりになるのですが、山梨県立図書館に出かけました。調べてもらったところありました。地域資料の部屋にあったのです。さっそく読みふけりました。
その部屋には、その他の地域資料もいっぱいあり、目移りしてしまいました。市立図書館にももちろんありましたが、県立図書館だけにまた違った資料が沢山あり、うれしくなりました。
県立図書館は職場の近くでもあり、また退勤後とか土日などに出かけ、利用しようかなと思いました。
和泉定廣著「甲州の峠」もありましたので、「山梨の峠」と2冊、2週間の期限で借りてきました。楽しく読み進めています。
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実をいうと、夏に冬菊をみんな切ってしまったのです。あちこち適当のところに生えているので草と一緒に取ってしまった?
でもでも、ひと株残っていたのです。それが、一週間ばかり前から咲き始めました。
ほとんど花のない庭で、寒さの中で咲いている一輪の菊・・・何となく、愛おしささえ感じます。だからこそ、きっと昔から俳句などに詠まれてきたのでしょう。
インターネットで調べると、「冬菊」というのは普通の菊の遅咲きをいうのだそうです。別に「寒菊」というのがあるそうですが、これは「島寒菊(油菊)」を改良した園芸品種だそうです。
うちの庭で咲いているこの菊はどちらでしょう?寒菊は黄色?まあ、どちらでもいいか・・・。
今の時期の菊は、昔から「残菊」、「晩菊」、「霜菊」などと、色々いわれているそううです。そして年を越えるとさすが枯れて「枯れ菊」だそうです。なるほどねー。
去年の記事 冬菊が咲きました
* 私の記事の検索フレーズランキングを見ると、意外とこの「冬菊」が検索されてよく読まれていることがわかります。(ありがとうございます。)俳句を作っている人などが検索するのでしょうか。私は、写真を主体にアップしていますのであしからず・・・。
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今日は、白州と武川境にあり、釜無川、尾白川、大武川に囲まれたごくごく低い山、「中山(888m)」に登りました。里山といっていいのでしょうか。戦国時代には砦であったといいます。
中山峠は台ヶ原から横手に抜ける峠、ほとんど車の通らないアスファルトの道路が越えています。白州町の立てた中山峠を示す標識の向こうで、朝陽にススキの穂がきらきら光っていました。
最初はけっこう急な山道でした。”遊歩道”という標示もありましたが、やっぱり山道という表現の方が適切かなと思いました。麓からはお祭りのたいこの音や花火の音が聞こえてきていました。しばらくゆるいのぼりおり二、三回で山頂(888m)に着きました。峠から山頂まで30分程でした。
山頂の展望台(鉄骨製で無粋なものですが)からは、前衛の黒戸山?の向こうに雪をかぶった甲斐駒が、そして反対側には頂が雲に隠れた八ヶ岳が見えていました。いつか登ろうと思っている鞍掛山、大岩山は木々に隠れてよく見えませんでした。
山頂から下る山道脇には、登るときには気がつかなかった赤い木の実が一杯で、落ち葉枯葉に映えていました。
(平成20年11月23日登る)
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「新ハイキング」12月号の特集が「落ち葉の甲斐路をゆく」でうれしくなってしまった。
表紙は黒森からの瑞牆山の写真だし、本の中にも御坂毛無山の山道、蛾ヶ岳西肩峠、十二ヶ岳からの鬼ヶ岳の写真等々が載っている。
なによりもうれしいのが、つい先日私が登った小楢山の記事を、北村武彦氏が書いていることだ。氏は焼山峠から小楢山へ登り、幕岩を経て大沢山、さらに南下し妙見山から鼓川温泉に下ったようだ。
こういう低い山の山行き記録、写真も積極的に載せている「新ハイキング」の編集スタンスが私は好きだ。
仕事と義母の介護の都合を繰り合わせて行く甲斐の山々の山歩きが生きがいの一つになりつつある。
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遙か昔のこと・・・昭和52年9月、国師ヶ岳や奥北千丈岳に登るべく大弛峠に向かっていたときに、この焼山峠を通った。そして、昭和61年8月、まだ小学生だった娘を連れて乙女高原へ山の花の写真を撮りに行ったときにも、この峠を訪れた。道端の幾つかの小さなお地蔵さんが記憶に残った。
今回は塩平から上る川上牧丘林道(焼山林道)は交通止めで、室伏から杣口林道、琴川ダムを廻って焼山峠に着いた。甲府から40km1時間であった。峠はずいぶん立派な駐車場になっており、近くの道路状況などを示す看板が沢山立ててあった。クリスタルラインなどというハイカラな道の一部になっているのだ。峠のお地蔵さんはずいぶん増えて真新しいものも沢山あった。
峠のお地蔵さんの脇を通らせてもらい、小楢山へ向かう。ススキが揺れる防火帯を登ったり、少し下ったりしながら1時間10分で小楢山山頂(1713m)であった。
曇っていたが、広々した山頂から富士山が見えていた。薄い靄の向こうに東山(牧丘山梨塩山)方面の街並みが見えていた。山の由来が書いてある大きな看板は無粋でいらないものだ。
小楢山山頂から30分で幕岩。ここも大変眺めのよいところで、小楢山に来たら登らなければもったないところ。しかし、若干怖い!岩の上では、先ほど登った小楢山がよく見えていた。
幕岩からわずか8分で大沢山(1673m)。ここもまた眺めのよいところだ。下りは小楢峠から枯葉積もる山腹を廻る山道を焼山峠に戻った。
焼山峠から小楢山へ行く方向に走る舗装道路を2~3キロ入ったところに、琴川ダムで出来た乙女湖が展望できる広場があった。柳平の家々、金峰牧場も眺められた。柳平には今は休校になっている麓の小学校の分校がある。その分校の三角の屋根も見えていた。
帰りは、かって乙女高原を訪れたときと同じように水ヶ森林道、帯那山林道を通って甲府まで35km1時間15分。
今回も素敵な山登りの一日・・・。山はいい。
(平成20年11月3日登る)
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この間の10月22日から「相棒」が始まっている。今回は2時間スペシャルだった。
今回も面白くて、2時間があっという間に過ぎてしまったという感じである。もしかしたら、差し障りがあるかもしれないが、この間見た映画版よりもっと面白かったかも知れないと思っている。
寺脇さんは、今シリーズで終わりというような話も聞いているが、相棒は寺脇さんでないとあり得ないと思うがどうだろうか。
いずれにしても、今シリーズもこれからが大いに楽しみである。
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白籏史朗の「甲斐山歌」を買いました。六千円の結構高い本です。でも、思い切って買ってしまいました。それほど読みたかったのです。手元に置いておきたかったのです。
ずっと朝日新聞に連載されていたものを、単行本として新日本出版社が発行したものです。山梨県の身近な山を、甲斐国志や日本山名事典などでの記述を添えながら紹介しています。写真はカラーもありますが、ほとんどが白黒です。カラーよりも白黒の方が何かかえって新鮮のような気もします。また、白籏史朗という高名な写真家が、名も無いような山梨の低い山、里山も紹介しているのもとてもうれしいです。好感が持てます。
ここに紹介してある山全部はとても登り切れないと思いますが、それでも一人で静かな山行きの参考にしていきたいと思います。
5分ぐらいの時間があるとき、気ままにページを開き、一山ずつ読み進めます。不思議と心が安まります。
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横尾山(1818m)に登りました。前々からとても行きたかった山です。
甲府から茅ヶ岳広域農道をひた走ります。途中、明野辺りでは猿の夫婦が道路を散歩しているのに出会いました。小尾、黒森の集落は、朝の光の中に昔ながらの山村集落としてしっかり存在していました。田んぼに吊されている稲束を見て、本当にほっとした気持ちになりました。42km1時間で信州峠に着きました。
信州峠(1464m)は、別名小尾峠、川上峠といわれているそうです。それぞれ峠を越えた向こうの地域の名前を峠の名前にしているようです。峠の脇には、甲信林道開通記念碑があり、その横に2体のお地蔵様が鎮座しておりました。
峠からしばらくは割合平坦な登りでしたが、やがてかなり急な登りになり、それを過ぎると見通しのよいかやの原に出ました。天気もよく眺めがとてもよかったです。
一面の枯れたかやの原、ススキの向こうに曲岳、茅ヶ岳、黒富士、そしてその上に富士山がシルエットで見えていました。真っ青な秋空に白い雲が流れていました。素敵な眺めでした。ここへ来てよかったと思う一瞬です。これがあるから山へ行くのです。
かやの原の山道脇には、リンドウや咲き残ったマツムシソウ、ヤマラッキョウの花が控え目に咲いていました。よく見ると、リンドウの花が枯れた草の影に沢山咲いているのです。
そこからわずかなアップダウンの30分ほどで、横尾山山頂でした。紅葉の林の向こうに若い頃雨の中を一人登った八ヶ岳権現岳、そして最近何度も登っている赤岳がはっきり見えていました。その左には、入笠山の向こう遙か遠く御岳山や中央アルプスの山々が見えていました。
先に頂上にいた3人組は、しばらくして西、八ヶ岳方向に出発していきました。飯盛山、清里まで行くのでしょうか。結構距離はあるし道もはっきりしていないという情報もあるし大変だろうなと思いました。3人組さんを導くように、まるで女の子の叫び声のような鹿の鳴き声が聞こえてきていました。
一人の山頂をしばらく楽しみました。途中追い越してきたご夫婦が山頂に到着し、ちょっと賑やかになったのを機に、私はまた信州峠に向けて歩き出しました。
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