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2019年4月12日 (金)

今日も峠を行く 芦川北陵「桜峠」

<「桜峠」という峠は、全国にいっぱい、山梨県内にも何ヶ所かあるようだ。櫛形山の池の茶屋小屋から登ったところの桜峠は実際私も登ったし、山梨市の八幡山の近くにもあるとのこと。今回私が登った「桜峠」は、市川三郷町の大塚、みたまの湯の南の山の尾根、芦川北陵にある峠だ。もう、何回登っただろうか。>

【 歩 い た 日 】 平成31年4月9日(火)
【コースと時間】 歌舞伎公園駐車場9:30-9:35「山の先生・丹沢正作」記念公園-10:00作業小屋-10:05池-10:20竜ノ口坂峠-10:45浅間山三角点(593.9m)-10:50林道桜峠-10:55桜の丘・桜峠12:00-峠北側に峠道を下る-12:10林道を横切る-旧地形図破線の小尾根を下る-12:15石仏-12:25林道-12:28反対側の小尾根で石仏2体を見る-再び林道へ-林道広場-林道を下る-12:45林道ゲート-農道-みたまの湯西側坂道を下る-13:30歌舞伎公園駐車場

<歌舞伎公園から さあ桜峠へ>
 歌舞伎公園駐車場に車を駐め、広域農道を10mも西に歩くと、「山の先生」記念公園への入口がある。舗装された坂道を50~60m登っていくと藁葺きの小屋があり記念碑が建っている。碑文を読む。この「山の先生・丹沢正作」も大変興味を引く人物で、何時か詳しく調べたいと思っている。宿題だ。

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<『甲斐国志』にある「滝ノ口坂」>
 この公園からすぐ山道に入る。地形図の破線の道だ。以前登った時と同様、枯れ落ち葉に埋まった山道が続く。山道脇に、可愛いスミレ、フデリンドウ、ヒトリシズカが咲いていた。

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『甲斐国志』に【竜ノ口坂(タツノクチサカ)】 「大塚村ノ西ニアリ 此ノ下ニ 三丁六段歩許リノ池アリ・・・」とある池に、今回も山道から下ってみた。直径50~60mぐらいの池だが、水は中心部分に水たまりのようにあるだけだった。竜ノ口坂と思われる峠状のところを通り過ごし、進む。

<浅間山三角点>
 昔、畑だったという広い尾根に登り着く。以前ここを歩いた時は、一面ヨシの原で道などわからない時もあったが、今回はもう遊歩道という感じで巾2m位の平らな道が続いていた。眺めもよくなり、浅間山三角点(593.9m)もすぐ見つかった。

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ここの北側の森が、私が小さい頃麓(旧中巨摩郡玉穂村)から眺めたとき、ライオンや猫のように見えたところだ。今は、何にも見えない、山の上の森にしか見えない。

<桜峠の桜>
 三角点からは下りになり、まもなく林道桜峠だ。みたまの湯から車だったら15分もあれば着いてしまうが、今果たしてここまで走れるかどうかは不明。私がここへ来た始めの頃からあったトイレのようなプレハブの建物の裏の坂道を登る。さあ、桜はどうだろうか、期待が高まる・・・ああ、桜が咲いている。期待したとおりだ。
 私はまた静かに桜の丘の桜を愛でることが出来た。しばらく桜の写真を撮り、正真正銘の桜峠まで下ったりその辺りを歩き回った。うれしいことにホームページ”峠の向こうに”の作者千田さんが設置した木の標が大分朽ちていたがまだ残っていた。峠の石の祠も元通りに鎮座していた。

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 桜の丘に戻り、桜の下で、おにぎりを食べゆっくり休憩する。至福の時だ。桜の花びらが風に吹かれて、芦川の谷の方へ舞い散っていく。桜の花の向こうには、富士山が頭をちょっと覗かせていた。西の方には雪を被って真っ白な南アルプスの山が見えた。

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<桜峠から昔の峠道を下る>
 今日の目的の桜峠の桜を十分楽しみ、下りに向かう。桜峠を北西へ下りすぐ石仏を見、林道を横切り、以前下ったことのある小尾根に入る。尾根筋にはかすかに踏み跡がある。そしてすぐ右下をもう廃道になったような古い道が尾根と並行して下っている。木々に行く手を阻まれることも多いが、何とか踏み跡を辿りながら下ったところでまた石仏を見る。「 天明・・・二月吉日」と読める。

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ほとんど人が通らない廃道の峠道を下っている私を見守ってくれていらっしゃる石仏さんに感謝、手を合わせる。踏み跡薄い峠道に、思いがけずシュンランが咲いていて写真に撮った。

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 小尾根からいったん林道に下り、反対側に上った尾根(小丘)に2体の石仏を見る。昔の峠道にあったものか、ごく新しいものなのかわからないが、こんなところにも石仏があるのだ。
 2体の石仏を見てすぐまた林道へ下る。少し先の林道脇の広場(土砂置き場)からさらに旧道(破線の道)を下ろうとしたが、ちょっと進んだところで踏み跡もなくなったので、無理をせず林道を下ることにした。

<甲府盆地の眺め>
 ちょうど桜峠林道が始まる地点に、獣除けのゲートが設置されている。ここから先はもう畑で、桃の花の向こうに甲府盆地の眺めが素晴らしい。みたまの湯へ行く林道から右へ外れ、ゆったりとした気持ちで、広がる畑の中の舗装された農道を下った。途中ここでも桜が咲いていて、桜の向こうに北岳が雪を被り、鳳凰三山が見事に眺められた。広域農道へ下り着いた。

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 広域農道を20分ほど歩き、歌舞伎公園到着。

<満足満足の桜峠の花見>
 歌舞伎公園から登り、浅間山を経て、桜峠へ、桜峠から古い峠道を下った。今日も桜峠の見事な桜をみることができ、満足満足であった。


 こちらも是非お読み下さい
     →  桜の花びら舞う桜峠へ (平成22年4月13日の記事)

2019年4月10日 (水)

甲府城追手橋の擬宝珠

 山梨県立博物館で開催されている「県都甲府の500年」展を見に出かけた。甲府城が今年2月26日に国史跡に指定されたこともあり、特に甲府城関係の展示に注目して見学した。
 その中でも特に私が注目したのが、甲府城追手橋の擬宝珠である。以前、仕事でも趣味のアマチュア無線でも大先輩である沼上順治氏から「お城の橋の擬宝珠を作ったのは私の祖先だ。」と聞いたことがあったからである。
 その実物を見たが、結構重量感があり思っていたよりより大きいものであった。多分常に磨き保管してあったのだろう、真鍮色に輝いていた。この擬宝珠がついた橋を、大勢の武士たちが渡り登下城したのだろう。また時代が流れて、城内にあった甲府中学校(現在の甲府一高)の学生たちが渡って通学していたのだ。
 作者は沼上源蔵藤原巻次で、作られたのは宝永7(1710)年とあった。2点が甲府一高、1点が県立考古博物館に保管されているという。
 最近は、写真撮影可能の美術館博物館など増えているので、係の方に撮影可能かと聞いたが、不可ということで残念。ま、実物を見たのだからよしとした。

2019年4月 9日 (火)

千代田湖のイワカガミとヒカゲツツジ

 甲府千代田湖の湖畔から白山へ登る山道にイワカガミがいっぱ咲く場所がある。車が頻繁に通る湖畔の舗装道路からわずか10m20m登った、え~こんなところにというところだ。
 だが、普通に無意識に登っているときっと見落とすだろうと思う。注意して見まわすとあちこちに咲いているのを見つけることが出来る。今回は時期的には少々早く、イワカガミの咲き始めという感じだった。

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 同じ場所にヒカゲツツジがわずかだが咲いている。こちらもよく見まわさないと見落とす。ヒカゲツツジの木は結構沢山あるようだから、何時の日かもっともっと沢山のヒカゲツツジの花々を見ることが出来るかもしれない。

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2019年4月 1日 (月)

こんなところにカタクリの花

 甲府千代田湖から和田峠をちょっと下ったところに、カタクリの群生地があります。こんなところにカタクリの花が咲いていると思うようなところです。甲府市街へ下る広いアスファルト道左側の小さい沢のほとりと、その道路を挟んで反対側の側壁の上の山の中です。
 この説明では、場所はどこかよくわからないかもしれませんが、それでいいと思います。地元の人に聞いたり自分で苦労して探して見つけるのがいいのです。花への愛おしさが増すのです。群生地には、「花を盗らないでください 荒らさないでください」と看板が立っていました。
 道路の側壁山の上の場所は地元の人に教えてもらったところですが、今日は二輪咲いているのを見つけました。その辺りにはカタクリの葉っぱがいっぱい。今のところ葉っぱだけですが、この先何年か後には、ここにもカタクリの花がいっぱい咲くだろうと楽しみになったのでした。

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 下の写真が、道路反対側側壁の上の山の中に咲いていたカタクリ二輪の内の一輪。何年か後にはこんなカタクリの花がこの辺りいっぱい咲くのが楽しみです。

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 こちらも是非ご覧を! → 春の妖精「カタクリ」のこと  (平成29年4月27日の記事)

2019年3月27日 (水)

甲府城の桜 3月27日

 今日、甲府の桜開花のニュースがありました。風もなく穏やかな天気で、甲府城にはお城見学のお客さんに加えて、花見のお客さんもいっぱいで大賑わいでした。

 甲府城のコヒガンザクラは今正に満開です。桜の木の下にシートを敷いて桜見物の人たちが楽しそうでした。

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 ソメイヨシノの花も咲き始めています。木によってはもう満開に近い木もありました。

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 カワヅザクラも野面積みの石垣をバックに満開です。

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 稲荷櫓をバックにシダレザクラも満開です。

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2019年3月25日 (月)

湯村山の「シュンラン」を撮る

 知り合いが、ファイスブックに湯村山で撮ったシュンランの写真を載せていました。私も以前湯村山でシュンランを見たことがあり、前々からシュンランの写真を撮ってみたいと思っていたのですが、今日思い立って念願のシュンランの写真を撮りに出かけました。

 湯村山といっても、湯村山乗越からしばらく八王子山方向へ登ったところで見た記憶があり、そちらに向かいました。辺りをしっかり見渡しながら歩いたのですが見つからないのです。530m峰を過ぎ、鳥獣センターへの分かれ道まで行ってしまいました。これは場所が違うのかな、もしかしたら時季も違うのかなと思いながら、引き返しました。巻き道などが何ヶ所かありますので、行きに通らなかった山道を通るようにしました。

 見つけたのです、530m峰の北斜面辺り、道から1メートルくらい離れたところに。思わず「あった!」と叫んでしまいました。写真を数枚撮り、その辺りを見渡すと、なんといっぱいシュンランが咲いているのです。慣れた目に次々とシュンランの花が見えてきました。シュンランの花の写真を撮りまくりました。

 その後、山を下りましたが、慣れた目でよく見ると所々シュンランの花を見つけました。結構湯村山のかなり麓の山道脇にも咲いていました。沢山のシュンランの花の写真を撮ることが出来、よかったと思いました。

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「湯村山の花~2008~」(輿石恒彦・睦子 武田の杜管理事務所 2009年11月発行)に次のような記述があります。
「シュンラン」(ラン科シュンラン属)/春の訪れを告げる多年草の野生ランです。湯村山には至る所にあり、淡黄緑色の花がひっそりと咲くその姿は見るものの心を捉えます。花の塩漬けはお湯をさして、桜湯のようにめでたい席で用いられます。

2019年3月21日 (木)

里山「上の平山」「 ミソコボシ峠」を歩く

【 歩 い た 日 】 平成31年3月14日(木)
【コースと時間】 宮原スポーツ広場9:00-9:35上の平山三角点9:45-9:50山神祠-10:05ミソコボシ峠10:10-10:17アズマイチゲ群生地-10:25里山さんぽ道入口-10:37スポーツ広場
【 参考にした資料 】
  大人が楽しむ”里山づくり”の仲間「 山路会ホームページ」
    「 1:25,000地形図 切石」 平成11年1月 国土地理院

 中部横断道六郷ICを下り、右へ行くと国道52号線につながるのですが、今日の目的地宮原は左へ行きます。すぐの集落が宮原です。いつものようにスポーツ広場に車を駐めさせてもらいました。宮原の集落の中の道を行くとすぐ、里山上の平山(「うえんてえら」と地元ではいうそうです)の入口です。

 山道を2~3分登ったところから、もうミスミソウが咲いているはずなのですが、今日は見つかりません。あちこち眼を凝らしながら登ったのですが、ミスミソウは結局見つかりませんでした。かなり上方まで登ったところに、ミスミソウの葉っぱと萎んだ花の跡があっただけでした。ミスミソウはもう完全に終わっていたのです。

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 更に上を目指し登ります。途中峨ヶ岳がよく眺められる場所を通り過ごし、間もなく頂上、ここは昔畑だった場所です。富士山がちょっぴり頭を覗かせていました。枯れ草に埋もれた三角点(386.9m)を確認し、今まで歩いたことのない西方向に広い尾根道を、この先にあるという峠に向かいます。

 所々道跡がはっきりしないところがありましたが、途中山の神の祠を経て峠へ着きました。この峠「ミソコボシ峠」は、宮原から三沢へ抜ける峠だったそうです。この下を中部横断道のトンネルが抜けています。六郷インターがすぐそこに見下ろせました。

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 峠を宮原に向かって下りました。途中アズマイチゲの群生地がありましたが、花は開らいていませんでした。もう少し時間が経つと開くのでしょうか。満開の時に来てみたいものだと思いました。アスファルトの道に下り立つと、宮原の集落はすぐそこでした。

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 ミスミソウの写真が撮れず、少し残念でしたが、ゆっくりの里山歩き、峠歩きで十分満足でした。

 

* 先日、ココログが会社の方で、メンテナンス、リニューアルをしたのですが、ブログの写真の挿入の仕方や記事の書き方、アップの仕方などが今までと方法がかなり変わり、この記事もうまく書けずスムーズにアップできませんでした。もしかしたらどこか不都合があるかも知れません。ご容赦の程を。

2019年3月16日 (土)

庭の花を撮る 「クリスマスローズ」

 今年も我が家の庭で、今クリスマスローズが満開です。クリスマスローズというからには、クリスマスの頃咲くと思いきや、今の時季に咲くのです。もっとも、本来のクリスマスローズは、へレポラス・ニゲルという種類で、文字通り12~2月に咲くそうです。
 白、ピンク、紫・・・一重、八重・・・色々な種類があります。下を向いて咲く花が多く、写真に撮るのが難しいです。

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「クリスマスローズ」
 学名;Helleborus × hybridus/キンポウゲ科クリスマスローズ属(ヘレボルス属)/原産地;南欧から西アジア/花言葉;「追憶」「私を忘れないで」

2019年3月10日 (日)

甲府城から 華光院の太子堂

 山梨県立考古博物館主催の史跡文化財セミナーに参加した。今回は、こうふ開府500年にちなんで「武田城下町を歩く」だった。甲府城に絡みながら、歩いたところを順次まとめていきたい。まず最初は、華光院(けこういん)の太子堂。Imgp50281_2

 華光院は、武田信虎が荒神山(今愛宕山の仏舎利塔がある辺り)に創建したものを、信玄が現在地に移したものだといわれている。

 境内にある太子堂は、元々甲府城本丸にあった毘沙門堂を、亨保9年(1724年)柳沢吉里が大和郡山Imgp50352に転封された後、亨保17年に移築したものだという。

 太子堂へ上る石段の脇にある説明板には、「・・・甲府城に関係した建物の中で、現存する唯一の建物です。・・・」とあった。

 境内から、甲府武田城下町愛宕町の街並みの向こうに南アルプス甲斐駒鳳凰の眺めが素晴らしかった。いいところに華光院太子堂は建てられているのだ。


<参考資料>
「平成 武田城下町絵図」 山梨県埋蔵文化財センター
華光院からいただいた資料 「華光院略縁起」
フリー百科事典『ウィキペディア』 「甲府城」

2019年3月 2日 (土)

3月2日畑熊のミスミソウ

 いつものように芦川に架かる橋を渡り、畑熊の集落に通ずる舗装の急坂をひとり登っていくと、賑やかな声が聞こえてきて、はてと周りを見渡した。上から若い男女数人が下ってくる。
 「花はどうでした」と聞くと、「いい写真がいっぱい撮れましたよ。」と楽しそうな若者たちの様子に、畑熊のミスミソウへの期待がぐーんと高まった。

 小さい沢を渡ると県で建てたミスミソウの看板がある。滑りそうな落葉が積み重なった階段を登るとジグザグの山道になり、もうその辺りからミスミソウが咲いていてうれしくなった。
 薄暗い林に入るとあちこちにミスミソウが咲いている。よく見渡さないとあちこちに咲いているミスミソウを見落とすので注意。

    撮影カメラ ; PENTAX K-7
         レンズ ;  SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
    
               SMCPENTAX-DA  55-300mmED
                          smc PENTAX-M MACRO 100mm 

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2019年2月24日 (日)

とうとう終わる「歌の日曜散歩」

 とうとう「歌の日曜散歩」が終わるという。鎌田さん坪郷さんさんがやっていた頃からずっと聞いていて、お二人がやめてから一時聞かなくなっていたが、何年か前から杉原さんと石山さんが担当するようになってまた聞き始めていた。
 毎回懐かしいいい歌が流れ、杉原さんと石山さんも優しく暖かく落ち着いた話しっぷりで、私は「かまつぼ商店」再来かと喜んで聞いていたのに残念で仕方がない。

 ラジオを友に生きている私にとって、長く楽しく聞いてきた「かんさい土曜ほっとタイム」も終わるようだし、NHKラジオ第一がだんだん遠くへ行ってしまうような気がして寂しいことこの上ない。何故終わりにするのか、腹立たしさえ感じる。NHKはどこに向かっているのだろうか。

 4月から大幅に変わった番組編成になるような気がする。タレントなどを起用したやたら騒々しい聞き苦しい番組(以前そんな番組があった。今もあるか。)でなく、落ち着いてしっとり聞ける静かで楽しい番組が増えるよう願ってやまないのだ。


 「歌の日曜散歩」は楽しかった

  < かまつぼ商店再来か「歌の日曜散歩」

  < NHK第一 元に戻して!  >

   < 歌の日曜散歩 5 え~ 「歌の日曜散歩」が終わる?

  < 歌の日曜散歩 4 石和スコレーセンター 

  < 歌の日曜散歩 3 増穂文化会館

  < 歌の日曜散歩 2 甲府銀座通り

  < 歌の日曜散歩 1 甲府銀座通り

2019年2月23日 (土)

2月23日芦川古宿の「セツブンソウ」

 セツブンソウの花を撮るようになって4年目になる。今日午後穏やかな天気に誘われ他に用事もなく、芦川沿い古宿(”ふるやど”と読むらしい)へ出かけセツブンソウの花の写真を撮ってきた。

 ちょうど時季もよく、あたり一面セツブンソウが咲き乱れていてうれしかった。道端にもいっぱい咲いていて、踏まないように気を付けながら思う存分撮影できた。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
         レンズ ;  SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
    
               SMCPENTAX-DA  55-300mmED
                          smc PENTAX-M MACRO 100mm 

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2019年2月22日 (金)

定年後の暮らしは読書三昧 平岩弓枝「ベトナムの桜」を読む

 久しぶりに平岩弓枝の小説「ベトナムの桜」を読んだ。毎日新聞「日曜くらぶ」に、2014年1月から12月まで連載された新聞小説だという。

 江戸時代の初期、瀬戸内海の小島に住んでいた兄弟の弟が、成り行きでベトナムへ渡航し、その後を追った兄がベトナムとの行き来をする中で、様々な物語が展開する。幕府の鎖国政策などが絡み、運命に翻弄される兄弟愛を描いた小説である。

 同じ平岩弓枝でも、ひと頃よく読んでいた「御宿かわせみ」とはちょっと違った小説だった。最初は何かテレビのドラマを観ているような感じで、淡々と読み進めたのだった。しかし、最後の方は話の展開を早く知りたくて、一気に読み終えてしまった。面白い小説だった。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 「ベトナムの桜」平岩弓枝 毎日新聞社 2015年7月20日発行

2019年2月15日 (金)

映画「マスカレード・ホテル」を観る

 久しぶりに映画を観に出かけた。平日の朝早くということで映画館はすいていて、ゆったり見ることができた。

 この映画「マスカレード・ホテル」は実に面白い。東野圭吾の小説を映画化したということだが、原作を読んでみたいものだと思った。その他の東野圭吾の小説も。

 木村拓哉と長澤まさみがいい。それぞれの演技もいいし、二人の息がぴったりだ。その他の俳優もそれぞれのよさを出していた。明石家さんまはどこに出ていたのかわからず。
 スクリーンが広くなったのかと思うほど映画全体が大きく豪華に見えた。余りいったことのない豪華ホテルの様子が映し出されていたからか。

 十分楽しめる、安心してみていられる映画だ。倍のチケット代を払ってもいいぐらい。

・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。


映画「マスカレード・ホテル」
 製作年;2019年/配給;東宝/上映時間;133分

<スタッフ>
監督;鈴木雅之/原作;東野圭吾/脚本;岡田道尚/製作;石原隆 木下暢起
<キャスト>
木村拓哉;新田浩介/長澤まさみ;山岸尚美/小日向文世;能勢/梶原善;本宮/泉澤祐希;関根/松たか子/鶴見辰吾/篠井英介/石橋凌  他

2019年2月13日 (水)

甲府城の梅 開花情報 平成31年2月13日

 いつもは冷たい風が吹きすさぶ甲府城の天守台も、今日は穏やかで今の時期にすれば暖かい一日でした。お客様も千葉や茨城などから大勢訪れてくれました。
 皆さんが期待してくる富士山は、残念ながら今日は一日中見えませんでした。他は青空なのに御坂山塊の上にだけ雲があり、富士山が隠れてしまったのです。

 いつものように、甲府城稲荷曲輪入口にある梅林の梅の花情報です。先日1月30日に報告したときよりも大分花が開きました。木によりますが紅梅はほぼ満開、白梅はちょっとゆっくりで四分咲きといった感じでしょうか。お花見をするのには、まだちょっと早いかも知れません。

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2019年2月11日 (月)

「甲府学問所徽典館」で学んだ

 私は、「甲府学問所徽典館」で学んだ。もちろん江戸時代ではなく平成時代に。

 平成28年7月からこの「甲府学問所徽典館」が山梨県埋蔵文化財センターの主催で開講され、私は学生になった。一ヶ月に一回、3月まで全部で10回ほどの講義(概説、演習、特論、卒業レポート)があった。夜学であった。毎回、今回はどんな話が聞けるのかとわくわくしながらに通ったのだった。

 平成の「徽典館」は、今の県防災新館の平和通りを挟んで反対側のビル5階の一室で開講された(*)。暗い階段を登って教室に行くと、明るい電気がついていて既に大勢の同期生がいて甲府城や甲府城下町の色々な話がされていて活気に満ちていた。

*当初「甲府学問所」は甲府勤番支配役宅に開設されたが、その後甲府城大手門南三丁(今の甲府市中央公園のあたり)に新学舎が完成、その翌年「徽典館」と命名されたという。

 同期生は、中には既に知っている方もいたが、ほとんどが知らない方たちだった。いずれも前向きで学ぶ姿勢いっぱいの方たちだった。
 「徽典館」の講師教授陣も一流の方々で、ごく新しい情報も含めて、興味ある内容の濃いかなり専門的な話が聞けてうれしかった。学んでいるという充実感があった。
 江戸時代の「甲府学問所」そして「徽典館」で学んだ学生たち(*)も、こんな気持ちで講義を受けていたのではないかと思ったのだった。

(*)勤番士の子息だけでなく、学ぶ姿勢のあるものは庶民でも受け入れたとのことだ。江戸時代末期、徽典館の教授(学頭)や教えを受けた学生が、日本山梨の動き発展に大きく関わったという。

 私は昭和の徽典館(梨大)で学び、そして平成の徽典館この「甲府学問所徽典館」で学ぶことが出来て本当に幸せだと思った。
 この平成「徽典館」で学んだことを、ささやかではあるが社会に還元していこうと思っている昨今だ。

2019年1月31日 (木)

探梅行 甲府城 1月30日

 甲府城の梅園は、甲府駅南口を出たら左方向へ、以前に比べてずいぶん広くきれいになった歩道を、山交デパート北側を東に進みます。舞鶴陸橋の階段は上らず、ガード下を20mばかり過ぎたところで、右のお城の方を見上げるとわかります。稲荷曲輪の入口に紅梅白梅20本ほどの梅林があります。

 今日は、甲府城案内ボランティアの日。大勢の来城者の案内の合間に、花は咲いているかな、まだちょっと早いかなと思いながら、梅園に行ってみました。昨日まで吹いていた甲府盆地の空っ風も止み、この時期としては穏やかで暖かい日でした。でも、やはり梅の花はまだまだでした。
 それでもよく見ると何本かの紅梅の花が少し咲いていました。白梅の木もいっぱいあるのですが、白梅の方はまだ蕾のままです。紅梅の方が花が開くのがかなり早いような気がします。

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 ここ甲府城の梅の花も満開になると実にみごとです。まもなく立春、梅の花がいっぱい咲くのが待ち遠しいです。 

2019年1月28日 (月)

「木喰上人作 木彫佛」展を観る

 先日、山梨県立博物館で開催されている「木喰上人作 木彫佛 -身延の木喰さん、世に出るその最初-」を観に行ってきた。博物館が出したチラシには「柳宗悦の木喰研究の集大成、豪華大判写真104点を一挙公開」とある。

 木食上人のことはこのブログでも時々書いているが、木食上人は下部の山上の集落丸畑(まるばたけ)から14才の時江戸へ出て、その後修行して22才で出家僧侶となった。仏像は60才を過ぎてから彫り始めたのだという。全国をあちこち廻って微笑仏をひたすら彫った木喰上人・・・恐れ多いがそういう木喰さんに親しみを覚え、木喰さんが彫り作った微笑みを湛えた仏像に強く惹かれるのだ。

 この展覧会では、一部を除いて写真撮影可能というのがうれしかった。

 柳宗悦が中巨摩郡池田村(現甲府市池田)で最初に見つけた三体の一つ弘法大師像が展示されていた。

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 木食上人が最晩年彫ったという甲府教安寺の如意輪観音像は、甲府空襲で焼けてしまったが、写真は残っていたという。

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 平成23年3月7日の記事  →  旧下部町丸畑 木喰の里微笑館
 平成30年10月1日の記事 →   
NHKテレビ日曜美術館「微笑む仏」を観る 

2019年1月24日 (木)

芦川南陵「栂の峠(地蔵峠)」「大平山」に登る

 <甲府盆地のまん真ん中”中郡(なかごおり)”の私の生家に行く時に南方に見える芦川北陵南陵の山々、その南陵の中央部大平山の東の弛みにある栂の峠(地蔵峠)に見えるはずの”栂の大木”が最近見えなくなって、気になっていた。それを確かめるべく、久しぶりに「栂の峠」とその近くにある「大平山」に登った。この辺り折八地区は10年ぶりの訪問であった。>

【山行日】 平成31年1月22日(火)
【 天 候 】 晴れ
【コースタイム】
 甲府=中部横断道六郷IC=久那土=林道折八古関線=古関小中学校折八分校跡10:00-10:25山神峠-11:00折門峠-11:15栂の峠11:25-11:40折門峠-11:50大平山12:20-山神峠-13:10古関小中学校折八分校跡=甲府    ( =~車 -~歩行 )
【 主に参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 市川大門」 平成18年11月 国土地理院
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社
 ホームページ「峠のむこうへ」 (現在は閉鎖)

<浜集落から古関小中学校折八分校跡へ>
 浜集落から林道折八古関線に入る。すぐ「師道の鑑」の碑がある。(今から行く山の中腹御弟子の集落の林道沿いにあった古関小中学校折八分校に長い年月お勤めした今福清輝先生の顕彰碑である。)

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 これから先は、一本道の林道で迷うことなく道なりに進む。道は山の中腹を曲がりくねって進む。左側には峰山の天狗岩が大きく見える。これから進む林道が、遙か向こうに見渡せる場所がある。富士山が大きく見える場所も。

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 まもなく古関小中学校折八分校跡だ。林道を挟んで反対側に車5~6台は駐められる駐車場がある。分校があったころ、先生方や来校者が車を駐めたのだろう。(もしかしたら分校閉校後に林道は開通し、駐車場が出来たのかもしれない。)

<分校跡から山神峠へ>
 林道のすぐ上にある双体道祖神の脇を通り、山神峠に向けて登り始める。ジグザグの登り易い峠道のはずだが、以前より更に荒れて登りにくくなっている。沢山の枯れ葉に埋まった山道は登り難いことこの上なく、脇の方を登った方が登り易いところもあった。
 程なく、山神峠だ。以前と余り変わらず二棟の神社らしきものの間を折門集落への道が通っている。峠から今回は折門集落跡の方へはいかず、直接折門峠に向かう。

<折門峠>
 尾根伝いに所々ピークを迂回しながら30分余り登ると折門峠だ。折門峠に10年前にはまだあった木のベンチは、朽ち果てたのか既になかった。折門や御弟子集落から登ってきてほっとする場所だ。峠を示す看板を見て、ここからまず栂の峠へ向かう。

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<栂の峠の大栂の木が・・・>
 10分ほど下って栂の峠(1,095m)。峠のかなり手前から、栂の木が見えた。ああよかった、まだ栂の大木は健在だと一瞬思った。ところが近づくと大変なことになっていた。
 栂の木の幹の半分ぐらいから上が折れて、近くに転がっていた。ああ、やっぱり昨夏の台風で折れておれてしまったのだ。近くの看板には、樹高16.3mだったとあるのだが、おれて樹の高さは、6~7mになってしまったのだ。これで盆地の方からは見えなくなっていたのだ。痛々しい栂の木をしばらく眺め続けた。

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 幹の半分位が残っているので、またいつ時の日か盆地からも見えるぐらいに大きく伸びて、前と同じように大栂の木になっていくだろうと思いながら峠を後にした。

<大平山>
 折門峠まで戻り、今度は大平山へ登る。尾根伝いに直登、10分ほどで頂上(1188.3m)に着いた。以前に比べ南側の木々が切り払われたようで、富士山が真ん前にビックリするほど大きくよく見えていた。
 ずっと以前この大平山登り口に、大平山の富士山の眺めを絶賛していた手作りの板の看板があったが、その人が眺めた富士山はこんな感じだったのだろうと思ったのだった。

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 真冬にもかかわらず、快晴で穏やかな天気・・・頂上で富士山を眺めながらの昼食・・・久しぶりに歩いた山での至福の時・・・。

<子供たちが通った道>
 下りは折門峠をあっという間に通り過ごし、尾根を走るように山神峠まで下った。そして峠からは、折門の子供たちが学校に向かった道をゆっくり下った。木々の間から富士山を眺めながら、元気に学校へ通う子供たちの姿が動画のように脳裏に浮かんだ・・・。
 校舎のあった台地は、大きく伸びた枯れ草で埋まっていた。もう山に戻ったといってもいいかもしれない。

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 道路際に新旧二つの学校跡の碑が建っていた。新しい碑には、かってこの場所にあった校舎の写真が刻んであった。この新しい碑が、あったかく差し込む陽に寂しく輝いていた。

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*是非お読みください
  栂の老大樹(平成16年8月15日の記事)

  遠い山の向こうの知らない町よ(平成18年1月4日の記事)

 こちらも
      ブログ;「山梨の山歩き峠歩き古道歩き」
           → カテゴリー ;
八坂峠・折門峠・山神峠をめぐって
            古関小学校折八分校へ子どもたちが通った峠道・・・

2019年1月21日 (月)

探梅行 敷島梅の里 1月21日

 今日は天気もよく穏やかで、久しぶりにウオーキングコースを甲斐市敷島総合公園にしました。ここのところ平年並みの甲府盆地の寒さでしたが、梅の里の梅の花の様子はどうかなと思いながら。
 平成31年今年の敷島梅の里の梅の花開花情報の第一号です。

 麓の牛久から入って急坂を公園に登る道路の両側、2本ばかりの紅梅が咲いているのが見えました。これは上の公園付近も結構咲いているかなと期待感が高まります。
 敷島総合公園の広い駐車場脇に植わっている紅梅が2~3本咲いていました。駐車場南側の梅畑へ下りましたが、やはり紅梅は何本も満開近く咲いていました。白梅も少し花開いていてうれしくなりました。
 紅梅は全体的に五分咲き、白梅は一部が二分咲きというところでしょうか。

 矢木羽湖(*)西側斜面へ行ってみました。やはり紅梅は綺麗に咲いている木が何本かありました。白梅も結構咲いていました。こちらの白梅は全体的に二分咲きという感じでした。
 こちらからは雪を被った富士山が綺麗に見えていました。

 (*)矢木羽湖は今堰堤の工事中で、水はほとんどありません。魚はどうなったのだろうかな。

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 撮影カメラ ;  PENTAX K-7  レンズ ;  SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

2019年1月19日 (土)

あれ、土曜日だけど小倉実華さん? NHK「マイあさラジオ」

 聞き始めて「あれ、今日は確か土曜日だよな。」と一瞬思った。土曜日日曜日は、ウイークデイと違う女声が担当しているのだが。いつもの人はインフルエンザにでもかかったかな。

 いつも朝5時には起きてNHKラジオ第1「マイあさラジオ」を聞いている。NHKでも最近多くなっているくだけ過ぎ、はしゃぎ過ぎ、叫び過ぎの番組と違って、この番組は落ち着いて淡々と進めていくのがいい。聞きやすく暖かい雰囲気の中で色々な情報が素直に伝わってくる。(最近多い聞きたくないようないやなニュースも。)私は『お便り』『マイあさだより』『歴史を探しに』『落合恵子の絵本の時間』のコーナーなどが好きだ。

 ウイークデイは、一週間交替で、女声はこの小倉実華さんともう一人の女性キャスター大久保彰絵さんが担当している。(土日は渡辺ひとみさんだ。)他の女声が特に嫌いということではないが、私は小倉実華さんが大好きだ。

 前にもこのブログに書いたが、この人の声は、本当に柔らかく優しく聞きやすい。この人持ち前の性格からにじみでる声、しゃべり方なのだろう。
 以前甲府放送局で夕方のテレビローカル番組に毎日出ていたということもあり、うれしく毎朝ラジオを聞いている。この人の声を聞いていると、不思議に今日も明るく頑張って過ごしていこうという気持ちになるのだ。

 もう担当3年目になるかな。来年度以降のラジオ番組構成、担当者も決まっているのかもしれないが、小倉実華さんを始め今のキャスター、スタッフさんたちがずっとこの番組の担当を続けるといいなと素直に思う。
 ついでにいうと、この番組が同じキャスターで午前中午後も続いてもいい。「マイにちラジオ」になるかな(笑)


 平成29年2月21日の記事
       → 
楽しみなNHKラジオ「マイあさラジオ」 小倉実華さん

 平成29年9月25日の記事
       → 
「マイあさラジオ」の『お便り』に癒やされる

2019年1月13日 (日)

庭の花を撮る 「甲州野梅」咲いた

 昨夜は雪が降るという天気予報だったが、小雨が降った程度で終わった。いずれにしても乾燥した寒い日が続いている。

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 寒空の下、家の庭で甲州野梅が一輪咲いた。18年前に亡くなった義父から受け継いだ鉢物だ。一回ぐらい鉢変えをしたが、水を遣ったり草を取ったりの程度であまり面倒を見ていないのだが、花を咲かせてうれしくなる。私は鼻が悪いので、わからないが、いい香りがするそうだ。

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 この盆栽の梅は、この写真では写っていないが、幹が黒く岩がゴツゴツしたような模様で古木の趣がある。それに去年位に出た若枝に一輪の花が咲いているのだ。接ぎ木などして20年以上経たないと花を咲かせないのだそうだが、家の甲州野梅は毎年綺麗な花を咲かせている。

2019年1月11日 (金)

映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」を観る

 障害者を扱っているという程度の情報、題名もなんだこれはと思いながら観に行った映画だった。映画館には平日にもかかわらず結構大勢の人が入っていた。

 映画の最初のあたりの場面では、題名と同じで「なんだこれは・・・、やっぱり観るのはやめようかな」と思ったのだった。だが、映画が進むに従って、これは結構重い難しいテーマを扱っているんだとわかり、だんだん真剣に見入るようになった。

 映画を観ながら、はらはらし、思わず涙を流す場面もあったが、一方なんか楽しく安心して観ることの出来た映画だったと思う。

 障害そのもののこと、障害を持つ人の医療に関わること、親のこと、ボランティアのこと等、改めて考えさせられた。

 ・・・私がかって仕事で関わった子どもたちの中にも、同じ病気の子がいた。一言では語れない様々な困難の中で、けなげに生きる子どもたちに私に出来るだけの支援はしたつもりだ。・・・ 

 大泉洋演ずる主人公鹿野の障害があっても夢を持ち、困難に立ち向かい明るく精力的に生きる姿に感動した。また、鹿野のボランティアに関わりながら、関わる自分たちが悩み成長していく姿を描いたのはいい。高畑充希と三浦春馬がそういう姿を好演した。二人の初々しい若者らしい名演技で安心してみることの出来たとてもいい映画だった。

 ・・・いい映画はいい。大げさにいうと生きていてよかったと思う一時だ。


「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」
制作年;2018年/上映時間;120分/配給;松竹
<スタッフ>
監督;前田哲/脚本;橋本裕志/原作;渡辺一史/主題歌挿入歌;ポルノグラフィティ
<キャスト>
鹿野;大泉洋/美咲;高畑充希/田中;三浦春馬/高村;萩原聖人/前木;渡辺真起子/父;竜雷太/母;綾戸智恵/田中の父;佐藤浩市/主治医;原田美枝子

2019年1月 8日 (火)

定年後の暮らし 家庭菜園畑を返す

 農協を通して借りていたわずかばかりの家庭菜園の畑を、地主さんの意向でお返しすることになった。土地を業者に売却し、住宅分譲地になるのだという。P1050754一緒に借りていた人たちも畑を返すということで、結構広い土地だ。普通の広さの住宅なら20~30軒ぐらいが建つかな。

 地主さんは、業者が片付けるから畑はそのままでいいよといってくれているが、それでもと思って色々片付けをしている。冬になって枯れた野菜を抜き、畑のあちこちに組み立てていた棚を片付け、耕していたときに出た石を一ヶ所に集めたり。畑の隅に置いてある農具も持ち帰らなければ。

P1050764_2 4月以降工事に入るということで、まだ残っている冬野菜は、そのままにしてある。
 今日はブロッコリとホウレンソウを収穫した。結構立派なものになっていた。ブロッコリは、以前農協の人にこれは品評会に出せるなんていわれたことを思い出した。
 タラノメの木も大きくなって、もう芽を出す準備も出来ているのに切ることになるのか。

 定年後もずっと続けてきた家庭菜園での野菜作り・・・楽しかった。野菜のことを考え無心に体を動かすのは体力的にも精神的にもいい。また、畑の周りの人たちと野菜づくり談義も楽しかった。

 ここでの畑仕事野菜作りも終わりになるかと思うと何か感傷的になってしまった。

2019年1月 7日 (月)

定年後の暮らしは読書三昧 下重暁子「極上の孤独」

 前々から読みたいと思っていた下重暁子の「極上の孤独」、県立図書館で借りようとしたが予約がずっと入っていて何時借りられるかわからないというので、結局購入することになった。出版業界に貢献できたかな。

 下重暁子さんは、NHKの美人アナウサーでフリーになった後、どこかのテレビ業界の重役みたいな人と結婚したという程度しか知らなかった。もう80才を越えていてアクティブに生きており、著書も沢山あるというから驚きだ。

 「孤独を知る人は美しい」といい山口百恵と安室奈美恵を、そして付け加えて「年をとると品性が顔に出る」と、イチロー、中田英寿、美空ひばりなどをあげている。
 特に山口百恵について「山口百恵の落ち着き、自己判断の確かさ、しかもあの若さで人生を切り替えて引退する決断。マイクを静かにステージに置き、華やかな世界に別れを告げたのが21歳の時だった・・・」と述べている。私もこの光景は脳裏に焼き付いている。キリッとしてかっこよかった、美しかった。

 さらにトランプ大統領と比較する中で、ケネディー大統領とオバマ大統領をあげている。「オバマ大統領が、広島を訪れた際、・・・前大統領が発した声明の一語一語に感激した。そこには前大統領が一人の人間として、孤独の中で考え発した、本物の言葉があった・・・」

 ああなるほど、そうかと同感できる内容も多く、非常に読みやすい内容の本だった。曾野綾子さんなんかと同じような世界の方かなと思った。

  ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

   「極上の孤独」 下重暁子 幻冬舎新書 2018年12月5日第十一刷発行

2019年1月 1日 (火)

平成31年 元旦の朝・・・

  明けましておめでとうございます!

  皆様方にとって
       今年がよりよい年になりますよう
             心からお祈りしております

   今年もどうぞよろしくお願いいたします

< 元旦の朝・・・ >
 わが家の庭先の南天の真っ赤な実に新春の陽があたり輝いていImgp45781ます。穏やかな日和で、清々しい新年を迎えました。

 お陰様で、家族みんな元気で正月を迎えることが出来ました。今年も家族一同、健康で明るくよい年でありますよう願わずにはおれません。
 私はお雑煮の朝食を早めに食べ、自治会の新年ご互礼会へ出かけました。近所の皆様と新年の挨拶を交わし、道祖神前で地域の安全と安心、平穏、益々の発展を祈ったのでした。その足で、千塚八幡神社に向かい、初詣を済ませました。
 妻は、近くのスーパーやデパートの福袋を買うのだと出かけていきました。

< 元旦に思う > 
 何か世界中がおかしくなっています。戦争やテロ、争い、憎み合いが絶えません。自分の国さえよければいい、自分たちさえよければいいというふうな風潮が益々拡がってきているような気がしてなりません。人権や民主主義が軽んじられ揺らいでいます。 
 日本も同じような傾向です。多くの地元の人が反対していることを強引に押し通そうとする、あの悲惨な状況を生み出した原発の再稼働を進め、ましてや他の国に売ろうと考える、うそがまかり通り、それが認められてしまう。いっこうになくならないオレオレ詐欺、繁華街で群れ浮かれ、関係ない車をひっくり返す。日本はどうなっているのか、どうなってしまうのでしょうか。
 天皇様が退位に際し、戦争のない平成の時代に安堵しているとおっしゃいました。新しい時代は、はたして戦争がない日本であり続けるでしょうか。今まで学び勉強してきた歴史、新聞の記事や投書、テレビラジオのニュース番組などを通してその不安が増しこそすれ減ることはありません。
 新しい時代が始まります。今年が戦争のない世界、平和で平穏な日本に向けて、よいスタートの年になるよう祈らずにはおれません。今年がけっして「戦前」にならないように、息子、かわいい孫たちが戦場にかり出され、そしてやがて日本が戦場になるような方向に絶対進まないように祈り、ささやかでも私に出来ることをしていこうと思う正月です。

<今年も生涯学習、ボランティアに精を出して・・・> 
 私は定年退職後10年が過ぎました。心身ともに健康で過ごしています。(先日行った人間ドックでも、まあまあの成績でした。)
 このブログでもよくふれていますが、近くの公園や河川敷のウオーキング、山歩き、峠歩き、時たまのゴルフなどが健康の秘訣なのでしょうか。また、野菜づくりも気持ちが和らぎます。そういえば今までお借りしていた畑がとうとう住宅分譲地になるということで返却しなければならなくなりましたが、また別の畑を家により近いところで借りることができ、ほっとしています。畑作り野菜作りにも益々精を出していきたいと思います。
 県が推奨している生涯学習の一環で設置している山梨勧学院入学を機会に始めた「キャンパスネットやまなし」で学習講座ボランティアの単位認定が、7年かかってようやく1,000点を超え、先日は山梨県知事名の奨励賞をいただいたところです。今後も1,500点、2,000点に向けて引き続き精進していこうと思っているところです。
 また勧学院25期生の同級生で作ったOBの会が続いており、自主的な学習や研修での学びとその合間の仲間との語らいも楽しいです。同じく27期生OBの山登りのクラブが続いており、写真係として今年も積極的に参加していこうと思っています。 
 さらに六年余り前から始めた甲府城御案内仕隊の観光ボランティア、地域の学校の安全パトロールボランティアも生きがいの一つになっています。
 今まで、長い間勤めてきた仕事に関わり時々請われて続きの仕事をさせていただいてきましたが、この仕事も今年で完全に卒業させていただくつもりです。それでもライフワークとしてきた仕事ですので、これからも注視、見守っていきたいと思っています。

< ブログで日々を綴る・・・ >
 新年早々私のブログ「山と山の花」をご覧いただき、ありがとうございます。ここは、私の趣味の山歩き、山や山の花の写真、アマチュア無線、パソコン、野菜づくり、観光案内をしている甲府城のこと、その他極端にプライベートなこと以外のいろいろなことを気ままに書き込み載せているささやかなブログです。今年も、前述した戦争のない日本に向けて私なりの取り組みもこのブログに記事を載せていきたいとも思っています。
 このブログ「山と山の花」の中の特に山歩き、峠歩き、古道歩きに関わる内容に絞ったブログが、「私の山歩き峠歩き古道歩き」です。結構マイナーなバリエーションルートもあります。経路時間参考資料などできるだけ詳しく既述したつもりです。是非ご覧いただき参考にしてください。(もちろんあくまで参考で、実際歩く時は自己責任でお願いします。)

< ホームページもご覧ください >
 さらにこれらのブログとは別に、私のホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」があります。ホームページは、内容的にはこれらのブログと同じようなものですが、山の花の写真や山歩きの記録、アマチュア無線への取り組みの様子などを載せていて、ブログよりはずっと整理した形になっています。
 特に「山と山の花の写真のページ」は、名前になっていることからおわかりのように、私のホームページやブログは、全てこのページからスタート出発広がったもので、自分としてはとても充実していると思っています。ホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」は、ブログからリンクしていますので、こちらも是非ご覧ください。

< ご感想、ご意見、コメントを・・・ >
 ご感想、ご意見などコメントをいただくととてもうれしいです。ブログの記事からコメントがいただけるシステムになっています。記事の下の「コメント」をクリックしてくださると書くことが出来ます。ブログは毎日ではないですが、結構頻繁に新しい記事を書いています。

< それでは、あらためて・・・ >
 今年が、皆さまにとって健康で幸多き年となりますよう心からお祈りしております。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2018年12月25日 (火)

今年も冬菊(寒菊)が咲いている

 我が家の庭で、今年も赤い小さい菊がきれいに咲いている。

 晩秋や初冬の花の少なくなった時期の庭を彩る貴重な花だ。

 冬になっても咲いているので、「冬菊」、「寒菊」、「残菊」、「晩菊」などと色々に呼ばれるそうだ。年を越えて枯れると、「枯菊」に。 

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2018年12月15日 (土)

市川三郷町「新町前遺跡」現地説明会

 市川三郷町の新町前遺跡現地説明会に参加した。場所は、町役場西側、以前町民会館や駐車場、体育館があった場所だ。

 市川は、小学校入学前に町の保育園に近所の同級生の女の子と二人で身延線で遙々通った場所だし、町民会館ではJARL(日本アマチュア無線連盟)山梨県支部の総会や役員会、技術講習会などが頻繁に開催された懐かしい場所だ。そんなこともあって現地見学会に参加したのだ。

 中世(平安時代)の遺跡だという。住居(竪穴建物)が何回も河川氾濫に飲み込まれながらも、その氾濫跡の上にまた新たな住居が出来ているところもあったという説明があった。この辺りは、芦川や笛吹川、釜無川の洪水が頻繁にあった場所なのだろうが、それを乗り越え居住を続けていった昔人のたくましさを感じた。その一方、ある時期突然、何らかの理由で集落ごと誰もいなくなってしまうこともあるのだという。

 住居の中のかまどは、ほとんど東側にあり、この地方特有の西風で煙に巻かれないような工夫だという。また平安時代といえばもっとしっかりとした住居があったのではないかと質問があったが、地方ではこんなものではなかったのだろうかという話であった。

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  <住居跡のかまど付近には素焼きの土器がいっぱいあった>

 峡南地域の新しい高校建設地での発掘で、この跡はなくなり「発掘調査報告書」で残されるのだという。跡がなくなるのは何か寂しい気がするが、遺跡はもっと広く存在するのではないか、その場所はそのまま残されるということで少し安堵したのだった。

         (平成30年12月8日現地説明会)

2018年12月10日 (月)

恒例の忘年山登り 八王子山/白山

<今年最後の勧学院27期生OBハイキングクラブの山歩きは、恒例になった甲府緑ヶ丘公園から八王子山/白山へのハイキングです。その後の忘年会も楽しみです。>

 緑ヶ丘スポーツ公園体育館前の駐車場に車を駐めさせてもらい、朝のミーティングの後ウオーミングアップの準備体操を十分行いました。

 緑ヶ丘公園から湯村山乗越(以前狼煙台があったところ)までは、アスファルトの車道ですが、その道は落葉で隠れていました。落葉の絨毯を踏みしめ気持ちよく登りました。

Imgp45131_2 湯村山乗越からは、いよいよ山道です。今朝も、ウオーキングやトレールランニングの人たちとすれ違いました。「こんにちわ」「気をつけて」「頑張って」と挨拶を交わすのが気持ちがいいです。
 毎年開催されているようですが、トレールランニングのルートになっているようで、矢印の書かれた紙が所々に張ってありました。今年のトレールランニングは、武田神社から積翠寺の方を廻り、中峠口、千代Imgp45441_2田湖、湯村山、湯村温泉というコースらしいです。

 いつも休憩する八王子山頂上手前にある東屋からの眺めは、今日は残念ながらいまいちでした。南アルプスの山々は雲に隠れて見えませんでした。
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 八王子山頂上から甲府の市街を眺め、今日はその先の白山(東屋のあるところ)まで尾根歩きで足を伸ばしました。白山からは千代田湖がよく眺められました。

 風もなく穏やかで、手頃な楽しい山歩きにみんな満足満足で、忘年会会場に向かったのでした。

  (平成30年12月7日歩く)

2018年12月 6日 (木)

山梨百名山「貫ヶ岳」に登る

【 歩 い た 日 】 平成30年12月1日(土)
【コースと時間】 中沢公民館登山口8:30-10:30焼山分岐10:40-11:00貫ヶ岳山頂(897m)11:20-11:40焼山分岐-12:10晴海展望台12:30-焼山分岐-14:10中沢公民館
【 参考にした資料 】
 「 山梨百名山 」 監修山梨県 平成10年3月 山梨日々新聞社 
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社

 貫ヶ岳は山梨百名山で、前々から登りたかった山だが、この山域はヤマヒルが沢山いるという情報で、時期をずらして今日の登山となった。

 中沢公民館脇に車を置かせてもらい、舗装道路を200mImgp44681ほど歩き、登山道入口となった。最初は、比較的なだらかな歩きやすい山道だったが、ひたすら登りでそのうち次第に急勾配になっていった。折しもNHKラジオで放送されていた「山カフェ」を聞きながらの登りは、不思議とそれほどつらくなかった。

Imgp44771_2 焼山分岐で、追いかけるように登ってきた中年3人組と一緒に一休み。いただいた柿が美味しかった。分岐から20分ほどで山頂(897m)。山頂はかなり広く藪が切り開かれていたが、眺めはよくなく、木々の合間に富士山がかすかに見えるという感じだった。

Imgp44881 山頂から焼山分岐に戻り更に稜線尾根伝いに進み、50分ほどで晴海展望台。ここの眺めは素晴らしく、富士川、富士宮の街の上に富士山がでんと構えていた。眼下には先ほど出発した中沢公民館まで眺められた。富士山の右側下に愛鷹山があり、その更に右側遙か向こうに駿河湾が見え感激だった。

 今回最初は、晴海展望台から更に先、十国展望台、平治の段、中沢峠と廻り、中沢公民館に戻るつもりだったが、中沢峠手前が通行不可という表示が登山口にあり、晴海展望台で引き返した。またいつか樽峠側から平治の段まで行ってみたい。平治の段は南貫ヶ岳ともいい、貫ヶ岳よりも標高は高いらしい。

2018年11月21日 (水)

紅葉台から山梨百名山「足和田山」に登る

<勧学院の仲間と山梨百名山「足和田山」に登りました。足和田山には、何年か前、文化洞トンネル鳥坂峠側から登ったことがありました。今回は、文字通り紅葉真っ盛りの紅葉台側から登りました。どちらかというとこちらの方がメイン登山道です。>

 紅葉台までは車で行けるようですが、事前の情報収集で舗装してなく結構急な道だということで歩くことにしました。国道から少し入ったところに小さい牧場とお店があり、その脇に駐車場がありました。そこから車道を歩き登ります。歩いて正解で、道の両側の素晴らしい紅葉にみんな大喜びでした。

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 紅葉台では、「展望台」へ上がるのに入場料200円でした。トイレも借りたのでしょうがないかな。さすが眺めは素晴らしかった。富士山は逆光でしたが、これはこれで素晴らしい。西方向に目をやると、青木ヶ原本栖湖の向こうに南アルプスの山々が見えていました。

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 紅葉台からは、東海自然歩道にもなっている山道、紅葉した落ち葉の絨毯を歩きました。小さい四輪駆動の車では登れるかなと思うような割合広い道と、狭い山道が並行して登っているような感じでした。 

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 西湖の向こう側の十二ヶ岳や王岳などが見事に眺められる三湖台を過ぎ、まもなく頂上でした。

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 足和田山は、「五湖台」ともいうのですが、頂上は樹木が繁り河口湖しか見えませんでした。富士山の眺めはいいはずなのですが、残念ながら雲に覆われ見えませんでした。

 鳴沢道の駅のすぐ近くにある「湯らり」で汗を流し、帰路に向かいました。

             (平成30年11月8日登る)


・・・ 思い出の「足和田山」 ・・・

□ 平成19年5月2日 鳥坂峠から山梨百名山「足和田山」へ

 「富士三足」といわれる山が,富士山周辺にあるそうです。愛鷹山と足柄山,そして富士山北麓の足和田山です。

 足和田山に文化洞トンネル,鳥坂峠側から登る人は少ない。どちらかというと裏口登山道のようです。トンネル東側出口にある駐車場からほんのわずかな時間で峠につきます。昔の鳥坂峠は,ちょっと右,毛無山の方へ行ったところにあるようですが、今回は寄りませんでした。
 
 峠から左側に向かい足和田山を目指しますします。しばらく登り,一つのピークを過ぎると山道は下りになり二つめの峠を通過します。(これは峠とはいわず,鞍部というのでしょうか。でも,もしかしたら昔はここも西湖から河口湖へ越えるあるいはその反対の一つの峠だったかもしれないと思ったりします。)

 それから登りはだんだん急になり,ロープなどがある山道を登ります。時々後ろを振り向くと,毛無山や十二ヶ岳,雪頭ヶ岳などが青空をバックに大きくはっきりと見えていました。こんなに後ろを振り向いての山登りも珍しい。

 紅葉台方面からくる山道を合わせると山頂です。富士山がきれいによく見えていました。なんというか富士山らしい富士山,面白みのない富士山といっていいか。五湖台とも表示がしてありましたが,木々に囲まれている方向もあり,五湖は見えませんでした。

 下りは,先ほどの二つめの峠から道を左に取り,ピークを回り込むように鳥坂峠に戻りました。やっぱり下ってきて再び登るというのがいやだったのです,何となく。
 駐車場には,20台ほどの車が留まっていました。みんな毛無山,十二ヶ岳方面に登ったのでしょう。登った山道では2,3組のハイカーに しか逢いませんでしたから。

 足和田山に西方から東海自然歩道沿いに登ってくる道があります。この登り口が紅葉台ですが,この紅葉台まで車で上ったことがあります。もう十何年も前の話ですが,家内と一緒に富士山の写真を撮りにいったのです。
 冬の時季だったようで展望台の赤土が凍って融けてぐちゃぐちゃしていたような記憶があります。その時の写真ははるか昔のことで,散逸してしまったようで,見あたりません。

2018年11月18日 (日)

中部横断道工事現場の見学

 11月18日は「土木の日」だそうだ。漢字で十一月十八日と書くと、なるほどなと思う。今年も11月17日(土)に実施された土木学会山梨会の「土木の日現場見学会」に参加させてもらった。

 今回は、中部横断道工事現場の見学であった。中央道双葉ジャンクションから南は、既に六郷ICまでは完成し、私も何度も利用、走ったことがある。
 そこから先新東名の新清水ジャンクションまで今工事中である。当初平成29年度中には完成ということであったが、難工事が続いているようで今回の見学会でもいつ開通するのかというはっきりとした話は聞けなかった。六郷ICから富沢ICまでは、国土交通省が施工する直轄高速区間だそうで、この区間は走行無料になるそうだ。

 六郷IC先の鴨狩トンネル、中富IC一色トンネル、道の駅なんぶ、富沢IC見学の後、不動沢地区改良工事の見学であった。不動沢地区の工事は、工事現場に入るのに、ものすごい高いところにある仮道路をバスで走った時は怖かった。

 完成間近の鴨狩トンネル
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 中富IC 国道52号線から合流するところ
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 富沢IC料金所も完成間近
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 不動沢地区の工事
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 めったに見ることの出来ない現場、また完成すれば絶対見ることの出来ない場所を見せてもらい大変勉強になり、楽しい一日であった。

2018年11月10日 (土)

天橋立 伊根浦 比叡山 近江八幡 の 旅

<山梨ことぶき勧学院中巨摩学園第25期生同窓会「輝きの会」の今回の旅は、「天橋立」 「伊根浦」 「比叡山」「 近江八幡」 への旅となりました。>

 山梨敷島を5時に出発、中央道、名神高速、北陸道、舞鶴若狭道、京都縦貫道を6時間、ようやく天橋立に到着。天橋立展望台の傘松公園内のレストランで昼食となりました。天橋立は逆光でしたが、いわゆる「天橋立」を眺めることが出来ました。こういう地形景観が何故出来るかひとしきりみんなで話したのでした。

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 その後訪れたのが、伊根浦 。伊根湾めぐりの船に乗り、海にまで迫った二階建ての建物(舟屋というそうです。)が並ぶ景色を眺めることが出来ました。ここは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているそうです。

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 宿は、全国チェーンの大きなホテルで高台にあるホテルの部屋からは、遠く天橋立が眺められました。

 2日目は、まず紅葉の比叡山延暦寺でした。東塔地域を歩きましたが、国宝根本中堂は10年をかけての大改修中で、外からは眺めることが出来ませんでしたが、中の廻廊を歩き、参拝は出来ました。

 近江八幡では、新町通りを歩き近江商人の暮らしぶりを感じ、風情ある八幡堀を眺めました。

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    (平成30年11月5日~6日)

 

2018年10月29日 (月)

山梨百名山「八紘嶺」に登る

<先日の地元の新聞で、豊岡梅ヶ島林道が7年ぶりに開通したという記事をみて、前々から登ろうと思っていた静岡県境にある山梨百名山の一つ「八紘嶺」に登った。>

【 歩 い た 日 】 平成30年10月25日
【コースと時間】 甲府=(国道52号線)=大城入口=(林道豊岡梅ヶ島線)=安倍峠=八紘嶺登山口(静岡県側)10:00-10:40富士見台10:50-12:20八紘嶺頂上12:40-14:20登山口
【 参考にした資料 】
 「 山梨百名山 」 監修山梨県 平成10年3月 山梨日々新聞社 
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社

 国道52号線大城入口から、安倍峠まで約18㎞50分、林道は工事中のところがあったり狭く急な崖ブチを通るところもあり注意して走らないとあぶない。
 安倍峠を通過、少し静岡県側に下ったところにトイレ小屋のある駐車場がありここにも登山口があるようだが、今回は更に下ったところにあるけっこう広く車20台ぐらいは駐められそうな広い駐車場に車を駐める。

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 駐車場のすぐ峠寄りに登山口があった。大勢の登山客が登るらしくよく踏まれた登山道が続く。40分で富士見台。ここからは、綺麗に紅葉した山々の遙か向こうに少し雲に隠れているが雪を被った富士山が眺められた。文字通りの富士見台だ。右側には登ってきた林道が見え、左側には綺麗に紅葉した山肌が見える。その間、見下ろすと小さく町並みや富士川も眺めることが出来た。

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 富士見台からは、所々ロープがある急登があったり、また何回かアップダウンを繰り返し、静岡県側から吹き上がってきた霧の中、ようやく八紘嶺の頂上(1917.9m)に到着した。ここから北へ行くと七面山、西へ行くと大谷嶺(行田山)を経て以前登ったことのある山伏に至るという。

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 雨が降ることはなかろうと思ったが、結構深い霧が周りを取り囲んできたので早めに頂上を後にした。途中からは霧はなくなり、また周りの紅葉を眺めながら、ゆったりとした気持ちで登山口へ向かった。

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2018年10月21日 (日)

霧ヶ峰八島ヶ原湿原を歩き「鷲ヶ峰」に登る

<勧学院の仲間と、草紅葉の八島ヶ原湿原を歩き、鷲ヶ峰に登った。若い頃読んだ新田次郎の小説に、「鷲ヶ峰物語」があった。中身はよく覚えていないのだけれど、その頃からいつかは鷲ヶ峰に登ろうと思っていた。ずいぶん時間が経ったけれど、ようやく念願が叶った。今回は一泊の山旅、素朴で素敵な山の宿「ヒュッテ ジャヴェル」に泊まった。>

 沢渡のヒュッテの駐車場に車を止め、八島ヶ原湿原に向かった。しばらくは車道を、やがて湿原の木道を歩き、草紅葉の八島湿原を半周して西端の大きな看板のある広場に着いた。すぐそばをビーナスラインが通り、ビジターセンターの建物、駐車場が近くにある。(登り口ではわからなかったが、鷲ヶ峰を登りながら、振り返り見下ろしてわかった。)

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 鷲ヶ峰には、八島湿原の西端の広場にある登山口から一時間足らずで登ってしまった。登り始めは、石がゴロゴロしている急登だったが、尾根に登りきると後は何回かの軽いアップダウンで頂上(1,797.9m)に着いた。

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 遙か遠くの山々は頂上近くに雲がかかっていてよく見えなかったが、真下にはビーナスライン、遠くには諏訪湖や諏訪湖周りの町並み(岡谷諏訪だろうか)を眺め下ろすことができた。登る途中からは勿論八島湿原の草紅葉も眺めることができた。

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 この山行きでは沢渡の山小屋に泊まった。「ヒュッテ ジャヴェル」だ。昔からある山小屋だそうで、素敵な山小屋だった。ビーナスラインからちょっと入った沢渡にあり、まあ山小屋というより文字通り「ヒュッテ」という感じだった。1人、数人で静かな山歩きを楽しみたいという人達のためのヒュッテを、というご夫婦のこだわりが感じられた。素敵な山の中のヒュッテで楽しいうれしい一夜を過ごしたのだった。

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2018年10月 8日 (月)

平岩弓枝を読む 「はやぶさ新八御用旅 諏訪の妖狐」

 平岩弓枝の「はやぶさ新八御用旅 諏訪の妖狐」を読んだ。「御宿かわせみ」を読み切り、さて次はと思っていたとき目に入ったのがこの本だ。これも「はやぶさ新八御用旅」というシリーズもので、何冊もあるようだ。またしばらくこのシリーズものを読むことになるかな。

 知っていて読み始めたわけではないのだが、この小説は江戸から甲州街道を下り、甲府、諏訪が舞台だ。甲州街道沿いの今でも残っている知っている地名がいっぱい出てきて、興味をもって楽しく読み進めることが出来た。

 また折しも先日、山梨県立大学地域研究交流センターが開講している「歴史学的に山梨を読み解く」で山梨県考古学協会の新津健先生による「広重の歩いた身延道」の講義があった。
 歌川広重が甲府緑町の依頼で幕絵を描きに甲州へに来たときに身延まで足を伸ばしたという話の中で出て来た地名が、この 「はやぶさ新八御用旅 諏訪の妖狐」に細かく記述されているのだ。

・・・ 「普通、江戸の者が身延諸に参りますには、やはり甲州路を通って、甲府の西青沼町とやら申すところから身延道へ入るのが多いと聞いて居ります」
 藤助があらかじめ江戸を発つ時に持って来たという覚え書きのような紙を懐中から取り出した。
 それによると、確かに甲府の西青沼町を始点にして下石田、清水新居、西条、押越、河藤中島、布施、山神それから釜無川の舟渡しを経て浅原、東南湖、滝沢川を渡って大椚、青柳、鰍沢、箱原、西島、手打沢、切石、八日市場、飯富、下山、東谷、身延でおよそ十里八丁、更にもう一つ甲府からまっすぐ信州へ向けて韮崎へ出て、そこから鰍沢への道を行けば十四里二十一丁余となる。 ・・・

 新津先生の話を踏まえても、この本の記述は全く正確であるといえる。平岩弓枝も調べ取材をしたのだろう。知っている身近な地名、興味のある歴史、古い街道の話が出てくると、次へ次へと楽しく読み進めることが出来ていい。

 「はやぶさ新八御用旅 諏訪の妖孤」平岩弓枝 講談社  第一刷発行2011年5月17日

2018年10月 1日 (月)

NHKテレビ日曜美術館「微笑む仏」を観る

 録画してあったNHKテレビ日曜美術館「微笑(ほほえ)む仏~柳宗悦が見いだした木喰仏~」を観た。以前放送したが見逃していて、ブログ仲間の熊本のらぶさんが教えてくれたものだ。再放送があるということで、さっそく録画しておいた。

 大正時代、私の住む近くの池田村(当時)で民藝を唱えた柳宗悦に見いだされるまで、全く知られていなかった木喰上人、彼が50才を越えてから全国あちこちを廻り人々の願いに沿って沢山の「微笑仏」をつくっていったということに、何か山梨県人として誇りに思ったりもするのだ。

 テレビを観てさすがと思ったのは、映像の素晴らしさと、その取材力だ。映像については、撮影にとてつもなくいいカメラと照明を使っているのだろう。微笑仏(みしょうぶつ)の魅力を余すことなく表現撮影している。
 木喰上人は、北海道から九州まであちこちを廻り微笑仏をつくっていったのだが、その場所あちこちへ取材に行き、番組を作っている。日にちもかかるだろうし、費用もものすごくかかるだろうにと思ったのだ。NHKだから出来ることだと思った。
 木食上人を採り上げてくれ、彼がつくった微笑仏の魅力と素晴らしさを描き紹介したすごくいい番組でうれしくなった。

 あたかも今中富現代工芸美術館で「生誕300年 木食展」が開かれている。全国から集められた沢山の本物の微笑仏が展示されている。私は、先日一度見に行っているのだが、もう一度見に行きたくなった。

 以前、旧下部町丸畑にある木喰の里微笑館へ行ったときのことが、このブログにもアップしてあるのでお読みください。

 「旧下部町丸畑 木喰の里微笑館」
   ↓
 
http://gcd00322.cocolog-nifty.com/hana/2011/03/post-8b52.html

2018年9月21日 (金)

懐かしい映画「シェルブールの雨傘」を観る

 録画してあったNHKプレミアムシネマ「シェルブールの雨傘」を観た。この映画を観るのは、もう何度目になるだろうか。

 冒頭のシーン、真上からの雨傘の撮影アングルで、一つ一つの傘の動きが実に面白い。この後の映画への予感、興味を増しているように思う。映画全編を通しての明るい色調もよい。ミュージカルということもあるのか楽しささえ感じる。

 カトリーヌ・ドヌーブの美しさにため息が出る。後年封切りの「幸せはパリで」も観たが、この「シェルブールの雨傘」の頃のカトリーヌ・ドヌーブには初々しさが感じられ可愛く美しい。

 ソフィア・ローレン主演の映画『ひまわり』と同様、戦争で引き裂かれた男と女の運命の映画だが、この「シェルブールの雨傘」は寂しいけれども、結果的にはどちらかというとハッピーエンドで、これでいいのではと思ったのだった。
 それにしてもギイは、自分で名前をつけた女の娘に一言声を掛ければ更にハッピーエンドで終わったのに(^_^)。

 ・・・いい映画はいい。大げさにいうと生きていてよかったと思う一時だ。

「シェルブールの雨傘」
製作年;1964/製作国;フランス/配給;東和/上映時間;91分
<スタッフ>
監督脚本;ジャック・ドゥミ/音楽;ミシェル・ルグラン
<キャスト>
ジェヌビエーブ;カトリーヌ・ドヌーブ/ギイ;ニーノ・カステルヌオーボ/エムリー夫人;アンヌ・ベルノン/カサール;マルク・ミシェル

2018年9月13日 (木)

武田勝頼終焉の地を訪ねる

Sanmon001 山梨ことぶき勧学院中巨摩学園第25期生同窓会「輝きの会」の今回の活動は、「武田氏の文化遺産 3」で、甲斐市教育委員会の大嶌先生を講師に、甲州市旧大和村方面のフィールドワークとなりました。

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 午前中、甲斐市敷島総合文化会館小講堂で大嶌先生の講義を聞き、午後が現地見学となりました。

 最初に訪れたのが天童山景徳院。景徳院は、いうまでもなく武田家終焉の地であり、家康により勝頼主従の死を弔うために創建された曹洞宗のお寺。
 県指定有形文化財に指定されている山門(三門)を見、そこから右に10mほど行ったところに、勝頼のお墓がありました。勝頼のお墓の右には北條夫人、左には息子信勝のお墓がありました。Seiunji001_2
 ここで自害亡くなった勝頼親子は勿論、多くの家臣が逃亡し背いたなかで最後まで勝頼に従って亡くなった一族家来たちの気持ちを思うと胸が詰まります。

 その後更に奥の栖運寺へ。ここは武田家10代当主武田信満の開基、勝頼は岩殿山をめざしたのに小山田信茂に裏切られ、この武田家由縁の栖運寺に逃れようとしたともいわれています。
 奥にある石園は見るための庭ではなく、修行僧が座禅を組んだ禅庭ということです。
 また、この栖運寺がある木賊地区が「蕎麦切り」の発祥の地ということで境内に碑がありました。

      (平成30年9月11日)

2018年9月10日 (月)

信玄終焉の地 勝頼大敗の地を訪ねる

Kuyoto002_5 甲府城の観光案内ボランティアの仲間と、長野県阿智村駒場と愛知県新城市方面への研修旅行に出かけた。(旅行といっても日帰りだが。)

 阿智村駒場長岳寺は初めて訪れた。駒場は武田信玄が三河野田城から甲斐へ戻る途中で亡くなった場所だ。長岳寺と中央自動車道を挟んで反対側の山の中で没したといわれている。(その場所信玄塚へは今回行かなかった)
Nagasino002 長岳寺には昭和49年武田信玄400年祭の折に 建てられたという十三重塔がある。
 
 新城市ではもちろん長篠設楽原史跡へ。そこでは長篠城籠城戦失敗を岡崎城の家康に伝え戻った後、Singenduka002武田軍に捕らえられて磔になったという鳥居強右衛門のインパクトある看板が迎えてくれた。長篠城では、日本百名城46のスタンプをゲット。

 武田勝頼はここで織田徳川連合軍に大敗した。長篠設楽原の戦いの戦没者15,000人を葬ったという信玄塚を見た。織田徳川軍が築いたという馬防柵もバスの中から見ることが出来た。

      (平成30年9月9日)

2018年8月24日 (金)

思い出いっぱい八ヶ岳「北横岳」へ登る

 久しぶりに八ヶ岳へ登った。今回は北八ヶ岳「北横岳」、四回目になるだろうか。一回は娘息子とも登った山だ。最初登った時に、北横岳北峰頂上から大河原峠や双子山を望み、いつかはあそこへ行こう、登ろうと思った。遙か向こうのずいぶん遠くのように思ったものだが、その後大河原峠にも行き、そこから双子山にも登った。

 子どもたちといったときには、ロープウエイに乗るのに結構長い時間並んで乗った記憶があるが、今回は全く待ち時間無しで乗ることが出来た。以前は、日本ピラタスロープウエイといっていたが、今は「北八ヶ岳ロープウエイ」というそうだ。

 ロープウエイ頂上駅からしばらく坪庭を歩いて北横岳へ向かった。坪庭付近は、散歩の人がほとんどかと思ったが、山道へ入っていく人も大勢いた。家族連れで登っている人も大勢いて、私も子どもたちと登った日々を思い出し、子どもたちに思わずがんばれと声を掛けずにはいられなかった。
 三ッ岳分岐に近くなり振り返ると、坪庭から雨池峠への途中にある青い三角屋根の縞枯山荘が見えていた。

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 北横岳ヒュッテで一休み、山小屋脇にはヤナギランが咲いていた。

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 北横岳ヒュッテからわずかな時間で南峰到着、蓼科山は見えなかったが、南八ヶ岳、南アルプス方向はよく見えた。

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 更にわずかな時間で北峰。やはり大勢の人が休んでいた。一緒に登ったみんなに見せたかった双子山、大河原峠方面は雲で全く見えなくて残念。

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 下山途中、北横岳ヒュッテから二三分の七つ池に寄った。きっと七つあるのだろうが、二つだけ道があり見ることが出来た。本当に静かなたたずまいで寄ってよかった。

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 帰りに昔からの温泉「小斉の湯」に入り、一休みした後、茅野市豊平福沢の「ウバユリ」、「キツネノカミソリ」の群生地を見に寄った。しかし既に遅しで咲いた跡だった。来年は盛りに見に来るぞと思ったのだった。

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                 (平成30年8月17日登る)

・・・ 思い出の八ヶ岳「北横岳」 ・・・

□ 昭和58年9月4日 「北横岳 」「三ッ岳 」「雨池山 」「雨池峠 」「八丁平 」
 昭和58年9月の山行き。日本ピラタスロープウエイ山麓駅から、約10分で山頂駅へ。坪庭、北横岳ヒュッテを経て横岳山頂まで約50分。2480メートルの北峰から遙か大河原峠大河原ヒュッテを眺める。北横岳を戻り、三ッ岳、雨池山を経て雨池峠へ。三ッ岳付近が岩山で意外と厳しく、雨池へは近くに眺めながら、とうとう行けなかった。三角屋根の縞枯山荘の脇を通り、ロープウエイ山頂駅へ。花の写真は、ほとんど撮れなかった。

□ 昭和60年10月21日 「北横岳 」「亀甲池 」「双子池 」「雨池峠 」「八丁平 」
 10時10分ピラタスロープウェイ山頂駅出発。途中七ッ池へ寄って10時45分北横岳山頂。弁当、ゆっくり休む。12時出発、樹林帯の中の急坂を下る。12時40分、亀甲池。池の水が涸れた時に底が亀甲型にひび割れる様からの名だという。1時20分双子池。雌池、雄池畔のダケカンバ、シラビソ、カラマツ林の中を大石川林道に出て歩く。雨池峠を登り縞枯山荘を経て山頂駅へ。冷たい風が、冬間近を伝えていた。

□ 平成5年10月2日 「 麦草峠 」「 大石峠 」「オトギリ平 」「五辻 」「雨池 」
 麦草峠→大石峠→オトギリ平→出逢いの辻→五辻→八丁平→雨池峠→雨池→麦草峠     今回は茶臼山、縞枯山の山麓を一周したという形。約4時間の行程であった。五辻付近では、茶臼山山頂で、休み話している人たちの話し声が聞こえてきていた。ロープウエイの山頂駅近くでは着飾った人たちが賑やかに歩いて戸惑ってしまった。ゆっくりゆっくりの山歩き・・・。天気がよく眺めは抜群、霧ヶ峰、浅間山、遠く北アルプスの山々も。ナナカマド、マイズルソウ、ゴゼンタチバナ・・・。

□ 平成5年10月10日 「北横岳 」
 行きは、諏訪経由。日本ピラタスロープウェイ山麓駅は、祭日で大変混み合っていた。50分ほど行列に並ぶ。11時20分山頂駅出発。坪庭を経て12時30分、頂上。天気がよく、遠く北アルプス槍ヶ岳などもよく見えた。こんなに天気がいい山行きは久しぶりであった。息子、娘といっしょ。

□ 平成7年9月9日 「大河原峠 」「天祥寺原 」「亀甲池 」「双子池 」「双子山 」
 ずっと前、昭和58年9月北横岳から遙か眺めた大河原峠にとうとう立った。大河原ヒュッテ脇を出発10時10分、天祥寺原を下り亀甲池11時05分。双子池(雄池)11時40分、そして双子山山頂12時10分。眺めがいい。お茶、弁当がおいしい。山での至福の時。花の写真を撮りながらゆっくり大河原峠13時10分。ヨツバツガザクラ、マツムシソウ、キオン、ハクサンフウロ、ヤナギラン、コケモモ・・・。

□ 平成8年3月3日 「坪庭 」
 ピラタスロープウェイは、雪山登山の人とスキー客といっしょでごったがえしていた。山頂駅を出たところの温度はマイナス15度、鉄骨の樹氷?ができていた。坪庭は白一色、写真を撮っているグループが沢山いた。クロスカントリースキーで奥に入っていく人々も。北横岳へ向かうツアー客のカラフルな行列が印象的。

2018年7月31日 (火)

「月下美人」咲く

 今年も我が家の玄関先で、月下美人が咲いた。もう何度も書いているが、義父が育てていたのを引き継いで、世話をしてきている。
 強い花だと思う。十分な世話をしているわけでもないが、毎年よく花を咲かせて嬉しくなる。花は全く見事で綺麗だ。
 暗くなって花が開き始め、8時9時頃に満開になる。朝はもう萎んで、昨夜の美しさはない。正に「はかない美」の花だ。

「月下美人」
 学名;Epiphyllum oxypetalum/サボテン科クジャクサボテン属/夜開性/原産地;メキシコ/花言葉;はかない美、繊細、快楽、艶やかな美人

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2018年7月30日 (月)

藤沢周平原作 映画「武士の一分」を観る

 録画しておいた映画「武士の一分」を観た。確か一度映画館で観た記憶があるのだが、ブログに記録がない。そんなはずはないとよく調べたが、結局ブログにはアップしてなかった。ブログにアップするほどの映画でなかったということでもないだろうと、今回観て思ったのだが。

 話はまあ、単純だ。藩主の毒見役で失明してしまった木村拓哉演ずる三村新之丞が、妻の加世が騙されて密通した島田藤弥(坂東三津五郎)と果たし合いをして勝つというお話だ。一度わかれた妻もまた一緒に暮らすようになりハッピーエンドで終わる。

 以前、講演会でお話を聞いたことのある下男の徳平の役をした笹野高史がいい演技をしていた。失礼だが演技とすれば、木村拓哉よりよかったかもしれない。

 剣術の師である木部孫八郎の役を緒形拳が演じていた。この映画が出来た頃は、緒形拳もまだ元気だったのだ。

 藤沢周平の小説と同様、斬り合い果たし合いの場面は、正に真に迫る。この場面では、木村拓哉の演技もなかなかのものだった。

 檀れいもよかったし、安心して楽しく見ることが出来た映画だった。

・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。

「武士の一分」
監督;山田洋次/脚本;山田洋次 平松恵美子 山本一郎/製作;久松猛朗/製作総指揮;迫本淳一/音楽;冨田勲/製作会社;「武士の一分」製作委員会/配給;松竹
出演者;木村拓哉 檀れい 笹野高史 坂東三津五郎 緒形拳 桃井かおり 小林稔侍

2018年7月25日 (水)

甲府市横沢慶長院冠木門について

 以前、甲府市横沢慶長院の冠木門について、「甲府城から移築された経緯は?慶長院山門」という記事を書いた。
 ずっと気になっていたのだが、先日、県立図書館で、下記の資料を見つけた。

・・・この門が甲府城から移築されたという根拠については、甲府城の乾門を移築したという寺伝がある。(「角川日本地名大辞典」9山梨県)
・・・山手門へ入る前に冠木門があった(元文4年「甲府城絵図」)ことが知られている。
・・・この伝承が信じられるとするなら、この門であった可能性がでてくる。
・・・慶長院の門は、甲府城の山の手門付近にある冠木門であるといえるが、確証は得られない。・・・
 ( 「県指定史跡 甲府城跡」 甲府城跡保存活用等調査検討委員会報告書 2009.3 山梨県教育委員会  P40 )

 この資料で以上のように記述しているが、この資料では私が疑問だった”いつ頃、誰に、どういう経緯で移されたのか”を含めて、この冠木門が甲府城から確かに移築されたものかどうかはっきりわからないということだ。

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 この文献を見つけて、今までの私の疑問は解決せず結局わからないということだが、私の気持ちとすればわからないということがわかって(^_^)かえってすっきりした。

 2017年10月12日の記事 → 甲府城から移築された経緯は? 慶長院山門

2018年7月23日 (月)

山梨百名山 日本二百名山「櫛形山」

<アヤメで有名だった櫛形山、シカの食害で絶滅かといわれていた。近年地元の人たちの保護活動でアヤメが復活と報道されている。日本二百名山、新花の百名山にもピックアップされている「櫛形山」に登った。この櫛形山、もう40年位前伊奈ヶ湖あたりから登った記憶がある。その時はずいぶん時間もかかり、奥深い山だという印象だった。2回目は平成16年9月、アヤメ平までは今回と同じルートを歩いた。桜峠までちょっと登り、後は展望はよくないがほとんど尾根歩きのような感じで、原生林にサルオガセが沢山吊るさっていたのが記憶に残っている。>

【登った日】  平成30年7月20日
【 コ ー ス 】韮崎合同庁舎6:30=平林=7:50池の茶屋小屋(駐車場)8:05-8:40奥仙重-9:00櫛形山山頂9:15-9:50裸山10:05-10:20アヤメ平(避難小屋)11:10-(トレッキングコース)-裸山のコル-12:05もみじ沢12:10-13:05北岳展望デッキ13:10-13:40池の茶屋小屋(駐車場)

 池の茶屋林道を車で走る。全面舗装だ。林道の終点には車20台は止められると思われる駐車場がある。ずいぶん立派な市で設置した小屋があり、壁面には大きな櫛形山の案内図があった。

Kusigatayama001 桜峠まで軽い登り、その後は防火帯と思われる広い尾根道を歩く。ほとんど展望はないが、下界に比べて涼しい温度で快適に歩く。まもなく奥仙重の三角点を過ぎてすぐ櫛形山山頂。駐車場から一時間足らずで山頂に立った。

Saruogase001 コメツガにサルオガセがたれていて、霧も出たりして正に原生林という感じだ。裸山の麓の草原には、花の百名山に数えられだけはある沢山の山の花が咲いていた。
 アヤメの時期はもう終わっているようだが、それでも咲き残っているアヤメが数輪あった。咲き終わった花の跡がいっぱいあり、アヤメ復活を感じた。地元行政やボランティアの保護活動の結果だろう、感謝感謝。

Ayame001 今日の最終目的地、アヤメ平にも咲き終わったアヤメの花の咲いた跡がいっぱいあった。その他の山の花も一杯咲いていた。

 帰りは最近出来たというトレッキングコースを廻った。上り下りがあり時間もかかり、結構きついコースだ。北岳展望デッキからは残念ながら白根三山は眺めることが出来なかった。
 そこから先、駐車場まで車椅子でも通れるという平らな比較的広い道が稲妻形に続いた。車椅子の方が素敵な北岳の展望を見ることが出来るというねらいは素晴らしいが、メンテナンスがよくなく、もう車椅子では通れないというようなところが何ヶ所かあった。またその道も車椅子で駐車場から展望台まで行くにはちょっと距離があって大変過ぎる。 
 最後そんなことを感じながら池の茶屋駐車場に着いた。

 車で池の茶屋林道、丸山林道を下り、平林の集落を過ぎ、麓の「まほらの湯」に入り、汗を流した。

    ******************

 ・・・思い出の「櫛形山」 ・・・

□ 昭和46年3月28日 「櫛形山(裸山) 」
 残雪多し。盆地から眺めているのと違い、この頃の私にとって、意外と奥深い山だという実感。先輩の長坂先生、教え子の内田君と。いきさつはよく覚えていないが、内田君の中学卒業記念登山だったような気がする。伊奈ヶ湖あたりから登ったのだろうか。

□ 平成16年9月12日 「櫛形山 」
【コース】 池の茶屋小屋7:20-奥仙重-8:05櫛形山山頂8:15-9:00裸山9:15-9:40アヤメ平9:50-1櫛形山1:30池の茶屋小屋
 もう30年も前、一度登った記憶がある櫛形山。今回は丸山林道から、池の茶屋林道を行く。林道終点には車20台は止められると思われる広場。町で設置したトイレ付き小屋もあり、山のパンフレットや自由ノートなどが置いてあった。駐車場からわずかの時間で桜峠、切り開かれた尾根上のジグザグ道を登る。奥仙重の三角点を過ぎてすぐ櫛形山山頂。駐車場からわずか45分で山頂に立った。
 前に登ったときは麓から歩きでずいぶん時間がかかり奥深い山という印象だったが・・・。コメツガにサルオガセがたれていて原生林という感じのところがあちこちにあった。裸山の麓も時季にはアヤメの群生できれいなのだろうな。アヤメ平を廻って、11:30池の茶屋小屋。

2018年7月19日 (木)

定年後の暮らしは読書三昧 平岩弓枝「御宿かわせみ」を読む(その三)

 「新・御宿かわせみ 花世の立春」の『抱卵の子』エピローグで、大川端「かわせみ」の女主人るいが、庭先に出て大川を眺めていた。

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 ・・・・・
 川の面に月が映っていた。
 ・・・・・
 長いこと、この川の流れを見て生きて来たと思う。
 ・・・・・
 大切な顔、忘れ難い顔が川波の中に見え隠れして遠ざかって行くのが、ただ、なつかしかった。
 人は誰しも幸せを望んで人生を歩いている。
 それでも、打ちのめされ、ふみにじられて失望や絶望に慟哭することなしに生涯を終えられる人は皆無であろう。
 人間に与えられた最高の幸せは、どんな悲しみや苦しみも、その人が勇気をふるい起し、努力を重ねれば、いつか忘れる日が来るということではないか。そうでないと、人はとても生きて行けない。
 それでも多くの人は忘れようにも忘れられない心の痛みをひっそりと抱えていて、時にはそれが生きる支えになったりもする。
 人とは不思議なもの、愛おしいものと水面をみつめて胸の中でるいは呟いた。
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 ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 「新・御宿かわせみ 花世の立春」 平岩弓枝 文藝春秋社 平成22年1月10日第1刷

2018年7月17日 (火)

定年後の暮らしは読書三昧 平岩弓枝「御宿かわせみ」を読む (その二)

 壮大なシリーズ時代小説、お話である。「御宿かわせみ」が「浮かれ黄蝶」まで34巻、「新・御宿かわせみ」が「蘭陵王の恋」まで4巻(私が確認している範囲で)合計38巻の長編だ。幕末から明治時代に移り変わる世の中を背景に小説は進展していく。歴史をよく調べ承知してでの小説、平岩弓枝さすがである。

 主人公の次男坊冷や飯食いの神林東吾と旅籠の女主人るいのどちらかというと隠れた関係の恋愛模様から話が始まる。以前テレビでやっていて私が観たのは、この頃のことではないだろうか。やがて話は進展し与力で真面目で真っ正直の兄(通之進)にも正式に認められ、るいと結ばれる。かわせみで生活することになったのだから婿さんみたいなものかな。

 東吾のところに女の子(千春)が生まれ、兄のところに養子に来た男の子(麻太郎)が異母兄妹ではないかという関係も、いつの間にか周りにも本人たちにもわかっていったようだ。そのあたりの話の展開も面白い。

 やがて「新・御宿かわせみ」になると、東吾は仕事の軍艦操作所の船の事故で行方不明という展開になる。そして東吾の息子の麻太郎の時代の話に移っていく。流動する社会、いわゆる明治維新の社会も描かれる。外人さんが話に大勢出て来たりして。

 そして今私が読んでいるのが「新・御宿かわせみ 花世の立春」だ。「御宿かわせみ」ではどちらかというと藤沢周平の下町ものと同じ「人情話」に近いものが多かったが、「新・御宿かわせみ」になって、なんか様々な事件の犯人捜の話が中心になってしまったような気がする。よくテレビでやっている一部屋で話し合い犯人を特定するといったようにやっている番組があるではないか、なんかあんな感じになってしまった。余り面白くない。
 また一話の話が長くなってしまったような気がする。「御宿かわせみ」では、ちょっと時間があるときに一話が読み切れる量であったが、「新・御宿かわせみ」では長過ぎてちょっとほっとした時間に読みきるには長すぎるのである。

 結論でいうと御宿かわせみは、「御宿かわせみ」で終わっていた方がよかったのではないかと思う。あるいは、「御宿かわせみ」と「新・御宿かわせみ」は違う小説だと考えた方がいいかも。
 が・・・、もうすぐ私は「新・御宿かわせみ」も読み切ってしまう。一年以上順次愛読し読み進めてきた小説が終わりになるというと、何かさみしくなってしまう私なのだ。

 ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

   去年の2月24日の記事
  → 定年後の暮らしは読書三昧 平岩弓枝「御宿かわせみ」を読む 

 「新・御宿かわせみ 花世の立春」 平岩弓枝 文藝春秋 平成22年1月10日第1刷

2018年7月14日 (土)

山への思い テレビ 「南アルプス大縦走」を観る

 録画しておいたテレビBSプレミアルのにっぽんトレッキング100「南アルプス大縦走!天空の稜線をゆく」 を観た。(去年9月20日に放送されたものの再放送のようだ。)

 甲斐駒ヶ岳の麓駒ヶ岳神社を出発、日本三大急登といわれる黒戸尾根を登るところから始まる。(最初に出てくる甲斐駒ヶ岳や仙丈岳は私も登ったことがあるので親しみを持って観たのだった。)それから北岳荒川岳、最終赤石岳聖岳まで12日間にわたる南アルプス大縦走だ。

 一人歩く人(もちろん撮影スタッフが何人かいるのだろうが)、小林千穂さんの表情が実に爽やかだ。山岳ライターということだが(しかも山梨に住んでいる?ということだが)、失礼ながら今まで知らなかった人だ。
 この人が淡々と山を歩く。もちろん、時には苦しい登りもあり、雨の中をとぼとぼ歩くような感じの時もある。また時には走り出すほどにうれしく晴れ晴れとした表情の時もある。それがあまり大げさでなく自然なのだ。山を征服するとか絶対登るというようなおごりを感じず、自然体で素直に同感できるのだ。

 余計な人が出ないのがいい。他の同じような番組でよく出る、山とは余り関係ないようなタレントさんやアイドルが出ず、余計なコメントを挟まないのがいい。撮影も淡々と進む。ドローンを使って上空から撮影する場面も多かったが、さすが見応えがある。こういう場面は、以前はあまりなかった。ヘリコプターで撮影ということだったろうが、余り多くはなかった。

 雨の中赤石岳に登った彼女は、更に聖岳へ向かう途中、百間平で赤石岳を一瞬眺めることが出来、涙を流す。わざとでなく自然で爽やかな涙だ。こちらも涙が出てくるようなシーンだった。

 このテレビを見終わって考えたこと。山はいい。多くの場合息はハアハア、ほうほうのていで登り行き着く場所が今回のような南アルプスの高い山眺望のいい山でなくとも、盆地の周りの低い山々でも同じ思いで、喜びをうれしさをかみしめることが出来る。
 これは何だろう。達成感?、征服感?充足感?満足感?一言ではいえない、正に大げさにいえば、生きていてよかったと思う一時なのだ。私は、これからも山へ登り続けることだろう。

2018年7月 1日 (日)

甲府城址内堀南に「梅ヶ枝旅館」があった

 先日まで、山梨県立文学館で「井伏鱒二展」が開催されていた。その展示の中に私にとって大変興味あることがあった。またその際のパンフレットに面白い記述があった。

 甲府城の南にあった「梅ヶ枝旅館」に井伏鱒二が、太宰治などと共に何度も訪れたという記述だ。その場所は、いろいろ調べていくと今まで私が把握していた甲府城鍛冶曲輪に顕彰碑がある小田切謙明が開設した「海州温泉」があった場所とほとんど同じ場所である。同じ場所か、あるいは隣だったのかもしれない。

 私が甲府城の近くあった職場に勤めていた頃(平成5年頃)、この旅館を何度も眺めたことがあった。入口に大きな松の木のある古い正に昔ながらの旅館風の建物であった。私もその頃は余り意識になかったので、記憶がはっきりしないがもしかしたら一度くらいはこの「梅ヶ枝旅館」の中に入ったことがあるかもしれない。
 この旅館は色々な会議に使われたり、お偉いさんたちが秘密の会議によく使っていたと、同僚に聞いたおぼろげながらの記憶がある。

 この旅館は、「井伏鱒二展」の展示によると、平成20年3月に閉鎖取り壊されたそうだ。(ついこの間まであったんだ。) 今、その旅館があった場所はビルになったり駐車場になったりしている。
 県と市で進めている甲府城周辺の整備計画で、この辺りも大きく変わっていくだろう。「海州温泉」「梅ヶ枝旅館」の建物の復元などということは夢物語か。

2018年6月29日 (金)

是枝裕和監督の「万引き家族」を観る

 第71回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝いた是枝裕和監督の「万引き家族」を観た。朝早くの映画館は、観客もそれほど多くなく、コーヒーを飲みながらゆったり観ることが出来た。

 リリー・フランキーを、私はよく知らなかった(有名なマルチタレントだそうだ)が、父親でうまい演技をこなしていた。「追憶」で憂いのある演技で私を魅了した安藤サクラも、この映画でも相変わらず母親役でいい演技をしていた。益々好きな女優さんになった。あの奥田瑛二の娘だそうだ。
 「北の国から」でいい演技をしていた緒形直人が出演していた。久しぶりに見た。樹木希林は、地もこんな感じなのだろうか、いや演技なのだろう、おばあさん役もさすが。子役の二人もいい。立派な俳優に成長するだろうか。

 暗い映画の部類だろう。盗み、貧困、虐待などが淡々と描写されていく。だが、派手な描写、アクションなどはなく、なんか映画としては、安心して観ていられたような気がする。

 ハッピーエンドにはならなかった。結論を出さずに、(出せないで)終わった。この先、この話はどうなっていくのだろうか。

 社会で認められない犯罪、許される行為ではないのだろう。物理的にも人間関係でも混沌とした中でしかし、何か本当の人のつながり(「絆」というのだろうか)、本当の優しさ、暖かさを感じた映画だった。

・・・いい映画はいい。大げさにいうと生きていてよかったと思う一時だ。

『万引き家族』
監督脚本編集;是枝裕和
出演;柴田治(リリー・フランキー) 柴田信代(安藤サクラ) 柴田亜紀(松岡茉優) 柴田祥太(城桧吏) ゆり(佐々木みゆ) 柴田初枝(樹木希林) 柴田譲(緒形直人) 柴田葉子(森口瑤子) 川戸頼次(柄本明) 前園巧(高良健吾)
製作;フジテレビ ギャガ AOI Pro.   配給;ギャガ

2018年6月26日 (火)

「片山(大宮山)」と山梨百名山「帯那山」

<勧学院OBハイキングクラブで久しぶりの山歩きです。梅雨の合間の素晴らしい天気、ほどほどの歩きで楽しい山歩きとなりました。武田の杜健康の森駐車場から20分ほどで片山(大宮山)、水ヶ森林道途中登山口へ車を駐め50分ほどで奥帯那山でした。>

【山行日】 2018年6月22日(金)    【天候】 晴
【コース】
 緑ヶ丘スポーツ公園=和田峠=武田の杜健康の森駐車場~片山(大宮山)~森林学習展示館~健康の森駐車場=千代田湖=帯那山林道=水ヶ森林道途中帯那山登山口~旧牧場への林道を横切る~山梨百名山「帯那山」~奥帯那山~帯那山~水ヶ森林道途中帯那山登山口=千代田湖=山宮=冨士屋ホテル(入浴)=緑ヶ丘スポーツ公園             (=;車   ~;歩き)           
【参考にした資料 】
「 新版アタック山梨百名山 」 山梨メープルクラブ 平成22年4月 山梨日々新聞社
「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社

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 梅雨の合間でとても天気がよく、健康の森駐車場展望台からの甲府盆地の眺めは素晴らしかったです。もちろん富士山も南アルプスの山々もよく眺められました。若干霞んでいたかな。
Imgp37851 そこから遊歩道を上り片山(大宮山)へ。途中アジサイが沢山きれいに咲いていました。20分ほどで頂上(665.2m)です。天皇様もいらしたことがあるという頂上ですが、木々が茂り、眺めは余りありませんでした。

 千代田湖畔から帯那山林道、水ヶ森林道を車で走り、帯那山登山口へ。ここには幼稚園のマイクロバスが駐まっていました。遠足で山へ登っているのかなと思いました。上方から子供たちの声が聞こえていました。

Imgp38131_2 右左折り返してしばらく進むと旧帯那山牧場に行く林道を横切ります。更に昔の林道のように広い道を進むと帯那山アヤメ群生地の草原横に出ました。もしかしたら以前のようにアヤメがいっぱい咲いているかなという期待が高まりましたが、やっぱりアヤメ群生地という看板が空しく、アヤメは咲いていませんでした。やっと盛りが過ぎた3~4輪のアヤメが咲いているのを見つけました。草原を100mほど登ると山梨百名山の標柱ある帯那山に到着です。
Imgp37991
 せっかくですので、そのまま奥帯那山まで足を伸ばしました。奥帯那山の頂上(1442.3m)は、木々に囲まれ眺めはありません。三角点の前でみんなで写真を撮り、帯那山の広場に戻りました。日陰で楽しい昼食。四方山話に花が咲きました。

 帰りは、冨士屋ホテルの温泉にゆっくり入り、汗を流し緑ヶ丘に戻りました。

 * 今回は、山と山の花、いい写真が全く撮れませんでした。

2018年5月20日 (日)

蓼科「横谷峡」を歩く

<勧学院の仲間と、蓼科中央高原「横谷峡」を歩いてきました。麦草峠へ向かう国道299号メルヘン街道は頻繁に通っていますが、そこからすぐのこの横谷峡へ寄るのは初めてでした。>

 横谷峡入口の駐車場から歩き始め、10分も経たないうちに「乙女滝」です。これはすごい!迫力満点です。見上げるすぐそこに滝があるのです。看板に「マイナスイオン20000」とあり、単位はよくわからないけれどとにかくマイナスイオンを身体一杯浴びみんな大喜びでした。

Otometaki010_2

 その後、ホテルのサイドを通り、比較的広い遊歩道を歩き、鷲岩や一枚岩を見たりでゆっくり1時間20分ほどで王滝まで行き着きました。王滝は落差40m、巨大な見応えのある滝でした。

Otaki010_2

 ここから急な狭い山道を15分ほどで、ツツジ満開の横谷観音展望台に登りきりました。今日の最終目的地です。

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 横谷観音展望台からは先ほど見た王滝が、下方に見下ろせました。遙か向こうには茅野の町並みが。周りの山々の新緑のグラデーションが実に見事でした。横谷観音の駐車場に行くまでの道路脇にフデリンドウが咲いていました。

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 帰路途中、「縄文の湯」に寄り、汗を流しました。ゆっくり渓谷歩きの楽しい一日でした。 

    (平成30年5月18日歩く)

2018年4月30日 (月)

山梨百名山「帯那山」「奥帯那山」

<久しぶりに帯那山に登りました。戸市登山口から登山道脇に咲くニリンソウを眺めながらの楽しい山歩きになりました。下山は太良ヶ峠へ。>

【山行日】 2018年4月29日(日)
【天候】 晴
【コースタイム】
 太良ヶ峠下駐車場(9:15)~(9:25)戸市登山道入口~(10:15)水ヶ森林道を横切る(10:25)~旧牧場への林道を横切る~(11:00)山梨百名山「帯那山」~(11:15)奥帯那山~(11:30)帯那山(12:00)~旧牧場の林道を歩く~石仏のある山道~尾根沿いの道~(12:45)林道帯那山線を横切る~(13:10)太良ヶ峠~(13:15)駐車場
【参考にした資料 】
「 新版アタック山梨百名山 」 山梨メープルクラブ 平成22年4月 山梨日々新聞社
「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社

   ***************

 太良峠を山梨市側に下り、大きくカーブしたところに道路が広くなNirinso030ったところがあり、車4~5台は駐められます。太良ヶ峠は狭く車も駐められないので、ピストンで棚山などに行くのもここに車を駐めるのがいいかもしれません。

 300mほど舗装道路を下ると戸市登山口入口があります。Hitorisizuka010入口を入ってすぐの橋を渡ると、もうニリンソウが一杯花を開いていました。時には山道に咲いているニリンソウを踏まないように歩かねば、と思うようなところもありました。よく見ると左側を流れる谷や谷の向こうの斜面にもニリンソウが咲いているのが見えました。水ヶ森林道までのこの登山道を「ニリンソウ登山道」と名付けたいと思います。一人ではないヒトリシズカ(「フタリシズカ」もあるが、これはヒトリシズカ。「ヨシノシズカ」ともいう。)も登山道脇に咲いていました。

 水ヶ森林道(舗装道路です)を横切りますが、ここにも車2~3台は駐められそうです。もしかしたら昔林道だったかも知れないぐらい広い登山道を左に進み、折り返して右にしばらく進むと今度は旧帯那山牧場に行く林道を横切ります。ジープでもなければ登れないよFujisan010うな急坂を登り、やはり昔の林道のように広い道を進むと帯那山アヤメ群生地の草原横に出ます。林道のように広い道を進んでも、草原の中の遊歩道を登っても100mぐらいで山梨百名山の標柱ある帯那山です。
 考えてみると、水ヶ森林道からここまで登っている林道のような広い登山道は、以前この頂上にあった警察の無線中継所の保守点検用の車道だったのです。無線中継所のコンクリートの建物が頂上にまだ残っています。

Sakura010 頂上からは春霞にけむる御坂山塊の上に、富士山が大きく見えていました。山桜が葉桜になっていますが、あちらこちらに咲いています。夏には生い茂る草も、まだまだ小さく、シートを敷いて富士を眺めながら休みました。素敵な帯那山の頂上です。
 よく見ると頂上から富士山側にあった木が3本ばかり切り倒されていました。頂上から富士山の眺めをよくするために切ったのでしょうか。何か少し複雑な気持ちになりました。

 奥帯那山へ行く道は、いつも獣がいるような雰囲気ですが、今日はまだ木々の葉っぱもそれほど茂っておらず、明るい雰囲気で快適に奥帯那山(Okuobinayama0101422.3m)に着きました。三角点のある頂上には草ボケが赤い花を咲かせていました。

Kusaboke010 下山に向かいます。旧牧場への道を見越山(1347.4m)脇を通り進むと、大変な光景を見ることになりました。あの麓の甲府市内からも見える電波塔の裏側一帯が伐採地になっていたのです。トラックが通るのでしょう、道路も造られていました。旧牧場の道路も利用して伐採した材木の搬出をするのでしょうか。後、植樹をするということであればいいのですが、まさか太陽光発電のパネル施設が出来るのではないかとちょっと不安な気持ちで通り過ぎました。

 積翠寺方面への案内板のある方へ進み、二つの石仏のある三叉路で上帯那へ降りる道を右に分け、左に進みます。広く防火帯のように切り開かれた尾根沿いの道を歩き、太良ヶ峠まで行き着きました。

 久しぶりの山歩き、思わずの長い記述になりました。

2018年4月25日 (水)

続 平成30年我が家の庭で春の花が一杯

 毎年この時季、「我が家の庭で春の花が一杯」の記事を書き、写真をアップしています。今年の第二弾は、バラ、オダマキ、スズラン、ムギナデシコ・・・。

バラが咲き始めました
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ピンクのオダマキ
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黄色いオダマキ アクイレギア・クリサンタ
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ムギナデシコ
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ひっそり木陰で咲くスズラン
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クリスマスローズもまだ咲いています
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モッコウバラ
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サクラソウ
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白い八重のサクラソウ
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エリゲロンデージー 小さい花です
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アカバナユウゲショウ 雑草だなんて花に失礼だ
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 もうこれくらいにしておきましょうか。

 平成30年4月24日撮影
 撮影カメラ ;  PENTAX K-7
 レンズ ;  SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

 よろしかったら、こちらもご覧下さい
     → 平成30年我が家の庭で春の花が一杯
                  (第一弾 3月31日の記事)

2018年4月 7日 (土)

カイイワカガミ  ヒカゲツツジ  カタクリ イチリンソウ

 千代田湖白山の登り口のカイイワカガミが咲いています。よく気をつけて見回さないと見落とします。
 近くではヒカゲツツジが数輪だけ咲いていました。何年か前は、このあたり一面ヒカゲツツジが咲いていたのに。
 白山から和田峠キャンプ場方面に降りていくと、峠へ下り立つちょっと手前にイワカガミの葉っぱがいっぱいです。何日か後このあたり一面カイワカガミが咲き誇ることでしょう。

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 同じ峠へ下り立つちょっと手前に、数輪カタクリが咲いていました。もう盛りを過ぎて花には勢いがありませんでした。峠道を横切り小さい沢に下り立ったところにあるカタクリも既に終わりでした。

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Katakuri010

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 こちらもご覧下さい → 春の妖精「カタクリ」のこと去年の4月27日の記事)

 峠を市内の方に少し下り、途中の小松山入口から50mばかり行ったところ山道の脇にイチリンソウがいっぱい咲いていました。こんなところにイチリンソウが咲いているなんて、新しい発見です。

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 いつもは、これらカイイワカガミ、ヒカゲツツジ、カタクリ、イチリンソウが咲くのは、少しずつずれているのに今年はほとんど一斉に咲いているという感じです。

 山を歩いている途中、可愛いスミレが咲いていました。イカリソウソウもいっぱい。

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              (全て 4月6日撮影 )

2018年3月31日 (土)

平成30年 我が家の庭で春の花が一杯

 毎年この時季、「我が家の庭で春の花が一杯」の記事を書き、写真をアップしています。今年の第一弾は、クリスマスローズ、スイセン、ハナニラ、ボケの花。
 この後、まだまだ春の花が咲き続けます。次は何をアップしましょうか。

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2018年3月26日 (月)

映画「ひいくんのあるく町」を観る

 前々から観たかった映画「ひいくんのあるく町」を、”文化のるつぼ へちま”で観た。東京の「ポレポレ東中野」でも去年9月、ロードショーがあったという。また先日、地元の山日新聞にも記事が載っていた。

 市川大門が舞台だが、私はこの市川大門にあった保育園に、隣家のさち子ちゃんと二人だけで通っていた。身延線東花輪駅まで歩き、そこから電車に乗り、3つめの市川本町駅で降り、更にまた保育園まで歩いた。よく小さい子供だけで通ったものだと思う。
 その後大人になってからも、私の趣味のイベントや会合がこの市川大門で頻繁にあり、数え切れないくらい訪れた町だ。

 映画大学を出たこの市川大門の若手青柳拓さんが監督の作品だ。町で行われる祭のシーン、神明の花火のシーン、そして背景に映る町並み、遠く見える周りの山々、私にとっても数え切れないくらい思い出があり、親しみが持てるシーンだ。
 障害をもったひいくんが町に溶け込んでいる。彼を暖かく包み暮らす町の人たちのありのままの姿がいい。
 色々考えさせられるいい映画だった。懐かしく、心温まり、うれしく観ることが出来た。

 チラシには「若干23歳の新鋭、青柳拓のデビュー作」とある。青柳さんの今後の発展、活躍を心から祈っている。また、シャッター通りとなって寂しくなっているという市川大門の再興を願わずにはおれない。

 ・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。

「ひいくんのあるく町」
製作年;2017年/配給;水口屋フィルム/上映時間;47分
監督;青柳拓/プロデューサー;植田朱里/副プロデューサー;熊澤海透/撮影;山野目光政/録音;福田陽 植田朱里

 こちらも是非ご覧ください → 映画「アラヤシキの住人たち」を観る

2018年3月23日 (金)

甲府城ヒガンザクラ満開

 今日(23日)甲府の桜が開花!というニュースがあった。暖かい日差しに誘われ、甲府城の桜を撮影に出かけた。

 甲府城の稲荷曲輪にあるコヒガンザクラは、今が満開。訪れた親子や若いカップルが、桜の花を見上げてはしゃいでいた。

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 同じ稲荷曲輪にあるしだれ桜は、しだれた下の方の花は結構咲いているのにてっぺんは蕾のままのものも。天守台東下にあるカワズザクラは、三部咲きといった感じだ。カワズザクラは、伊豆では2月に咲くというが、ここの桜は今の時季に咲く。

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 鍛冶曲輪のソメイヨシノは、木によって違うが、相対的には二分咲きといった感じか。あと数日で、このソメイヨシノも満開となるだろう。

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 桜の花びら舞う信玄公祭がもうすぐだ。

 おまけの写真は、天守台から見た今日の南アルプス甲斐駒ヶ岳。日本百名山、山梨百名山の一つだ。数年前、この山の山頂に立った。

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2018年3月20日 (火)

定年後の暮らしは映画三昧 吉永小百合「北の桜守」を観る

* 吉永小百合の「北の桜守」を観てきた。平日朝早かったのにも関わらず大勢の人が観に来ていた。中高年の女性が多かったかな。

* 「おくりびと」の滝田洋二郎が監督だという。音楽は小椋佳。

* 途中舞台場面が出て、ああこういう表現もあるんだと思った。斬新ではあるが、ちょっと違和感が残った。

* 樺太からの逃避行、北の地での厳寒の風が吹きすさぶ嵐のシーンは、リアリティーがありよく撮影していると思った。引き揚げ船が沈没し、兄がわからなくなる場面では、あのタイタニックの映画を一瞬思い出した。

* この映画を見終わったときに、私が今まで観てきた吉永小百合の映画の中で一番よかったかなと思ったのだった。吉永小百合の映画を観るとき、いつでもこう思うのだ。(^_^)

* いい映画はいい。大げさにいうと生きていてよかったと思う一時だ。

「北の桜守」
制作年;2018年 監督;滝田洋二郎 脚本;那須真知子 撮影監督;浜田毅 音楽;小椋佳 舞台演出;ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演;吉永小百合(江蓮てつ)/堺雅人(江蓮修二郎)/篠原涼子(江蓮真理)/阿部寛(江蓮徳次郎)/佐藤浩市(菅原信治)/岸部一徳(山岡和夫)/中村雅俊(岡部大吉)

2018年3月13日 (火)

宮原の里山に「ミスミソウ」咲く

 中部横断道六郷インターチェンジを下り、左に行くと(右に行くと富士川を渡って52号線)すぐ市川三郷町宮原の集落です。この宮原の里山”うえんてーら”に登る山道の脇に、ミスミソウが秘やかに可愛く咲いています。気をつけてあちこち見回さないと、見落としてしまいます。まさに秘やかに咲いているのです。

    撮影カメラ ; PENTAX K-7
           レンズ ;  SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
    
                 SMCPENTAX-DA  55-300mmED

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2018年2月27日 (火)

古宿の「セツブンソウ」

 JR身延線芦川駅から芦川沿いに上流に向かって車を走らせる。ミスミソウ群生地の畑熊の入口から車で更に10分ほど行ったところに古宿のバス停がある。そこを5~6m山に入ったところ個人のお宅の裏に「セツブンソウ」の群生地がある。

 枯れ葉が積み重なった斜面一面にセツブンソウの白い可愛い花が咲いていた。今まで何度か訪れているが、今回が最高、まさにセツブンソウの群生だ。夕方の弱い光の中で写真を撮った。
 畑熊のミスミソウの写真を撮った時よりは、落ち着いてじっくりセツブンソウの花の撮影が出来た様に思う。

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 (平成30年2月26日撮影)

2018年2月26日 (月)

「ミスミソウ」密かに咲く 畑熊2月26日

 畑熊の「ミスミソウ」を撮りに行ってきました。芦川を渡り、上の集落に向かって登るアスファルトの道を10分、畑に下る道を50mも行くと、山梨県が建てた「自然記念物 畑熊のミスミソウ」の看板があります。

 ・・・葉は平たい三角形で三つに切れ込み、各裂扁も三角形のためこの名があります。春先に白色の可憐な花をつけることから、ユキワリソウの別名もあります。・・・

 看板のあったところから崩れそうな山道を稲妻形に50mも登ったところがミスミソウの群生地です。時季が少し早く、残念ながらまだ数輪しか咲いていませんでした。山林の中に、まさに密かにミスミソウが咲いていたのです。

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 写真は、恥ずかしいぐらい全く上手く撮れませんでした・・・

2018年2月11日 (日)

庭の花を撮る 福寿草が咲いた

 例年に比べ寒い日が続いているように思う。それでも立春が過ぎ日が長くなり、日差しが大分強くなってきた。今日は、朝のうちは雲があり薄ら寒い感じだったが、次第に雲がとれ大分暖かくなった。

 庭を眺めていたら、ハナニラの葉っぱが折り重なっている間から福寿草の黄色い花びらが覗いていた。ハナニラの葉っぱを少し除けてみたらこんな感じ。知らない間に芽を出し、蕾を付けていたのだ。

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 まだ一輪だが、その隣では蕾が開きもうすぐ咲きそう。今日中にはもう一輪咲くかな。

 2014年2月26日の「福寿草」 → 大雪にめげず・・・福寿草が咲いた

2018年2月 7日 (水)

敷島梅の里 開花情報 平成30年2月6日

 2月に入って早速、甲府の不老園の梅の花が咲き始めたとニュースで伝えていました。今年ももうそういう時季になったんだと思い、今日はいつものウオーキングコースを甲斐市敷島総合公園に切替え、梅の里の梅の花の様子を見に出かけました。今年の敷島梅の里の梅の花開花情報の第一号です。

 敷島総合公園の広い駐車場から南側の梅畑を見下ろしましたが、咲いているようには見えませんでした。それでもと思い坂道を下ると・・・ああ、咲いていた!木の階段を下りてすぐのところにある枝垂れ白梅の枝の先の数輪が咲いていました。うれしくなってしまいました。周りを見回すと、近くの白梅の木の2~3本の枝先で結構沢山の花が咲いていました。

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 更に下るとその先梅畑の下の方、東屋がある辺りの紅梅が一本の木は満開に近いほど咲いていてビックリしてしまいました。ああこれはすごいと思い周りを見渡すと、やはり2~3本の木はかなり咲いていて更にビックリでした。

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 その後、駐車場南西側の梅畑を見に行きましたが、そちらは白梅も紅梅も花は開いていませんでした。総体的に梅の里の梅の花は一分咲きというところでしょうか。

  撮影カメラ ;  PENTAX K-7  レンズ ;  SMCPENTAX-DA 18-55mmAL

2018年2月 2日 (金)

映画「祈りの幕の下りる時」

 韮崎の市長さんがいい映画だとフェイスブックに書かれたこともあって、映画「祈りの幕の下りる時」を見に出かけた。なるほど、ミステリーというよりヒューマンドラマだ。いい映画だった。去年見た「追憶」と同じような感じ。

 阿部寛、松嶋菜々子の他、そうそうたるメンバーがいっぱい出ている。烏丸せつ子、伊藤蘭、山崎努、相棒の及川光博、それになんと笑点の春風亭昇太までが出ていたりして。   
 監督の福澤克雄は、去年暮れ日曜劇場で「陸王」を手掛けたディレクターだそうだ。

 小日向文世演ずる福島の原発で働いていたという浅居博美の父親が死んでいく場面が涙を誘う。加賀の母親とこの父親が心を通わせていたことが救いでうれしい。

 映画を観て何故か、優しくまじめに誠実に生きる人に、幸せが沢山訪れるように祈らずにはおれない・・・。

 ・・・いい映画はいい。大げさにいうと生きていてよかったと思う一時だ。


<データ>
製作年;2018年/配給;東宝/上映時間;119分
<スタッフ>
監督;福澤克雄/原作;東野圭吾/脚本;李正美/エグゼクティブプロデューサー;那須田淳 平野隆
<キャスト>
阿部寛;加賀恭一郎/松嶋菜々子;浅居博美/溝端淳平;松宮脩平/田中麗奈;金森登紀子/キムラ緑子;浅居厚子 他

2018年2月 1日 (木)

「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) お堀で魚釣り

 老舗シマヤ釣具店が閉店したと、昨日の地元新聞山梨日日新聞に載っていた。先頃のスーパーヤマトといい、地域で馴染みの店がどんどんなくなっていくのが何とも寂しい。何とかならないものかと思う。

 その記事に私に興味あることが載っていた。「・・・シマヤ釣具店は戦国時代末期に雑貨、両替商として創業。甲府城の外堀に放流していた魚を釣る人向けに商売をしていたとされている。明治期に釣り具販売に特化した。・・・」

P1040571 甲府城が出来て、内堀はともかく外堀では釣りも、可能だったろうか。まだ周りには畑や田んぼなども多かったお堀の畔の土手から釣り糸を垂れている人々を想像すると、何か楽しくなる。
 明治以降はもしかしたら内堀なども含めて、あちこちのお堀で庶民が釣りを楽しんだのではないだろうか。今も残る内堀でボート遊びが可能だった時だってあったというから。

 現在も内堀で、大きい鯉が悠々と泳いでいる。(今は真冬で、姿がなかなか見えないが)

 写真;お堀に映る石垣と白壁 県庁公用車駐車場側から東を見る 

2018年1月23日 (火)

鳩打峠から醍醐山(634m)へ

<醍醐山は、東京のスカイツリーが完成一般公開が始まった頃、そのスカイツリーと同じ高さ634mだということで、一時話題になり登る人も多かったという山だ。新年初登り、冬枯れの醍醐山だったが、楽しくうれしかった。>

【山行日】 2018年1月14日(日)
【天候】 晴
【コースタイム】
 醍醐山(鳩打隧道)登山口(9:50)~(10:00)鳩打峠~(10:15)五老峰展望台~(10:50)醍醐山山頂(11:15)~(11:30)展望台(11:55)~(12:10)醍醐山山頂~(12:55)鳩打峠~(13:05)鳩打隧道登山口Daigoyama020_2

 醍醐山へは、甲斐常葉駅から登る人が多いようだが、今回私は何年か前に登ったことがある鳩打隧道登山口から登った。ここは、山の陰に隠れ寒々しいところだ。
 前に来たときには、NHKとYBSの白い鉄杭があるだけで登り口がなかなかわからなかったが、今回は立派な地図の付いた案内板が建っていて安心して登り始めることが出来た。

Hatoutitoge010_2 ほんの10分ほどで鳩打峠。ここまでは以前「峠歩き」で来たことがある。ここで甲斐常葉駅から登ってきた登山道が合流する。
 ここから左に尾根伝い登ったり、トラバース気味に登ったり、枯れ葉の絨毯を踏みしめるように歩いた。途中、以前はもしかしたら畑があったのかも知れないようなところがあった。枯れたススキの向こうに、作業小屋が建っていた。
 ここが「五老峰展望台」、常葉の谷を挟んで向こう側東側の山々が大きく見えた。Daigoyama010

 やや急な登りを過ぎて登り着いたところに、NHKとYBSの大きなテレビ鉄塔が建っていた。ここからほんの二三分で醍醐山山頂(634m)だ。東屋が建っていた。山頂標識もいっぱい。

Daigoyama030 しばらく休んだ後、「展望台」へ向かった。15分ほどだ。真下は、富士川と早川の合流点、下山集落、富士川クラフトパークの上方に身延山、七面山が大きく見えた。ずっと右側に目をやると南アルプス笊ヶ岳を望むことが出来た。雲がありすっきりというわけにはいかなかった。

 醍醐山山頂に戻ると、元気のいい中年の女性グループが賑やかに休んでいた。「こんにちわ、天気がよくてよかったですね。明日からは大雪だそうですよ。」と挨拶を交わし、私はゆったりとした気持ちで歩き下り、登山口に戻った。

 今年初めての山登りは、穏やかな天気、ほどほどの登り下りで、楽しい里山歩きとなった。

 平成24年1月19日の記事 → 峠を行く 宇野尾峠 鳩打峠 地蔵沢峠 勝坂峠

2018年1月19日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡(その17)」 北口一丁目 二の堀跡

・・・ 日本百名城に数えられる「甲府城(舞鶴城)」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗Yamanote001渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・

 綺麗に整備され、様々なイベントが頻繁に開催されるようになった甲府駅北口広場から武田通りを北へ100mほど進んだところ、北口一丁目と武田一丁目の境あたり武田通りを二の堀跡が横切っている。
 現在風のしゃれた喫茶店の建物の南側に、コンクリートと石垣で水路のようになっている二の堀跡が確認できる。「こんなところにNinohori020_2甲府城お堀跡(その12)」(*-1)で書いた二の堀が東に進み、ここに至るのだ。
 ここが山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」でいう「元連雀町口」になる。内堀からここまでが武家地、ここから三の堀までが町人地となるのだ。

 ここから二の堀跡は武田通りを斜め北方向に横切る。もちろん暗渠である。反対側の歩道にかなり大きい集水枡が確認できるが、そこから先、東方向に水路も暗渠も確認できなくなった。かなりあちこち歩き回り探したが二の堀跡は全く確認できなかった。
 以前、この辺りに桜シルクという大きい工場があった。更に、私の遠い記憶の中に、この辺りに盲学校があった様な気がする。最近でいうと県の駐車場があったり、大きなパチンコ屋が出来たりした。明治以降の変遷の中で、二の堀は完全に埋め立てられ失われてしまったのだろう。(*-2)

(*-1) こんなところに甲府城お堀跡(その12) 武田一丁目地内 二の堀跡

(*-2) この辺りの二の堀跡のことなどが、「『甲府市文化財調査報告15 甲府城下町遺跡Ⅰ-北口二丁目(桜シルク跡)発掘調査報告書-』 平成13年3月30日 甲府市教育委員会」 に載っており大変興味深く読んだ。それによると、この辺りの二の堀の幅は約10.8m、 土塁は基底部幅約11.7m、高さ約2.4m、土塁には大槙が植え られていたと柳沢文庫所蔵「楽只堂年録」に記述があるという。発掘調査では、堀の幅は約13 mであったという。

 写真左;甲府城北側の入口 山の手御門 甲府駅北口に復元された
 写真右;二の堀跡 武田通り歩道から西方向を撮っている

2018年1月12日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) 毎日通る道路の端にも歴史が隠れている

 1月11日付けの地元の新聞山梨日日新聞の「私も言いたい」欄に、韓国からの留学生伊洗鈴さんの「甲府の歴史感じ 韓国語でも発信」という投書が載っていた。

 その中で伊さんは言う・・・こうふ開府500年記念事業に関連して、Facebookに山梨の「水」の歴史について思いを書き、伝えている・・・フィールドワークで甲府の町を歩き続け、有名な場所だけが観光地ではないことを知った・・・私は甲府上水道や甲府城の二の堀、三の堀を回った・・・毎日通る道路の端にも歴史が隠れていることを知った・・・甲府に残された上水道や堀を見て、歴史を思う住民の志を感じた・・・

 留学生がこういう思いを持ってくれたことがとてもうれしい。伊洗鈴さんは、山梨甲府のことを考え、地域活性化について提言、行動しているのだ。素晴らしいと思う。きっと山梨県民、甲府市民にこの思いは伝わっただろう。山梨甲府を訪れる韓国の人にも。

 私事ながら・・・休みの日の度にひょいっと出かける私に「どぶみたいな川や溝を見て廻って何が楽しいのよ。」と皮肉っている妻に言おう。「私の他にも甲府城のお堀廻りをしている人がいるよ、観光推進地域活性化につながるんだ」と。

2018年1月11日 (木)

「こんなところに甲府城お堀跡(その16)」 武田一丁目地内 三の堀

<この辺りに「角○」とかいう飲み屋さん、今でいう居酒屋があった。先輩に連れられ仕事帰りにこの飲み屋によく寄った。この先輩を私は慕っていた。親分肌のところがあり、私などの面倒をよく見てくれた。いい仕事をした。同業者の組合の役員などもし、活躍した。Sannohori002_3
Imgp28811_2だが、残念ながら若くして惜しまれながら亡くなった。一緒に飲みに来たその頃は、ここを甲府城三の堀が横切っていたなんてまったく知らなかった。>

 甲府駅北口から、武田通りがまっすぐ北へ武田神社に向かって走っている。この通りが、山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」でいう「橘小路」で、この先「元連雀町口」で二の堀を横切り、「大工町」で三の堀を横切り、「元柳町」から武田神社(躑躅ヶ崎館)へ続くのである。

Sannohori006 この大工町で武田通りを横切るのが、三の堀である。今の地名でいうと武田一丁目辺り。東方向から武田通りを横切り、10mほど進んだところで右方向北へクランクし更に進んだところでまた左方向西に曲がり進む。もうここが法華寺北になる。左側に土塁ではなかったかと思われる空き地が見える。「こんなところに甲府城お堀跡(その3)武田一丁目地内 法華寺北 三の堀跡」が、そこである。

 甲府城お堀跡(その3) 武田一丁目地内 法華寺北 三の堀跡

写真上;赤白の柵の左側が三の堀 右上にちょっと見えるのが武田通り
写真中;武田通り歩道から西を見る 三の堀跡
写真下;法華寺北の三の堀 東側から西を見ている

2018年1月 7日 (日)

「こんなところに甲府城お堀跡」(その15) 藤川と平行して三の堀跡

 湯村温泉や武田神社から車で石和温泉や塩山恵林寺方面に行くのに、混雑する甲府の中心部を通らず愛宕山トンネルを通ると大変便利である。この愛宕山トンネルができたのは昭和52年、平成8年までは有料道路であった。

Imgp28741_2 愛宕山トンネルを通っているのが通称山の手通りであるが、この愛宕山トンネル西側出口から200~300m山の手通りを西に行ったところに藤川が南北に横切って流れている。(この藤川は、時には富士川と書くこともある。ちょっと下ったところにあった富士川小学校などがこれに当たる。)この藤川と平行して10m位西に離れたところに甲府城三の堀跡があることを何人の人が知っているだろうか。

 Imgp28951山の手通りを横切って北へ延びる堀跡は暗渠になっているし、山の手通りの南側に10mばかり開渠になっているだけだからほとんどの人は知らないだろう、意識しないだろう。

 ここから南に延びた堀跡は、10m位でまた暗渠になり、そのまま更に南に向かうはずだが、その先は見当の付く暗渠らしきものもなくなり、全くわからなくなってしまう。
 三の堀跡は暗渠になってすぐ、なんと東側の藤川に流れ込む流路がある。このあたりが、藤川と三の堀が一番近くなっているところだ。

Imgp28971 甲府城三の堀は、この後山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」にある元城屋町口あたりで二の堀を併せ南に向かい、愛宕町口先まで伸びるのだが、このあたりのお堀跡は全く見当が付かない。完全に埋め立てられたところだろうか。

 妻に、「どぶみたいな川や溝を見て廻って何が楽しいの。」と皮肉を言われるが、益々甲府城お堀跡めぐりが面白く楽しくなってきた。

写真上;山の手通り南の甲府城三の堀跡を南から見る。上方向暗渠になっているところが山の手通りだ。
写真中;山の手通り北から、開渠になっている三の堀跡を見る。ガードレール、金網の向こうが堀跡だ。
写真下;三の堀が藤川に流れ込んでいる場所。堀と川は、10mも離れていない。

2018年1月 1日 (月)

あけましておめでとうございます

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 あけましておめでとうございます

   皆様にとって今年が
        よりよい年になりますよう
      心からお祈りしております

   今年もどうぞよろしくお願いいたします


< 元旦の朝・・・ >
 甲府盆地は穏やかな日和で、清々しい新年を迎えました。私のところの玄関先では、万両の実が朝日に映え、庭では寒空の下、寒菊が咲いています。
 お陰様で、家族みんな元気で正月を迎えることが出来ました。今年も家族一同、健康で明るくよい年でありますよう願っているところです。
 私はお雑煮の朝食を早めに食べ、自治会の新年ご互礼会へ出かけました。近所の皆様と新年の挨拶を交わし、道祖神前で地域の安全と安心、平穏、益々の発展を祈ったのでしImgp86210た。その足で、千塚八幡神社に向かい、初詣を済ませました。

< 元旦に思う > 
 何か世界中がおかしくなっています。戦争やテロ、争い、憎み合いが絶えません。自分の国さえよければいい、自分たちさえよければいいというふうな風潮が益々拡がってきているような気がしてなりません。人権や民主主義が軽んじられ揺らいでいます。
 今年が戦争のない世界に向けて、平和で平穏なよい年になるよう祈らずにはおれません。
 今の政治状況を考えると、日本はもう戦後が終わり「戦前」に入っているのではないかと思うこともしばしばです。もちろん私が戦前を体験しているわけではありませんが、今まで学び勉強してきた歴史、新聞の記事や投書、テレビラジオのニュース番組などを通してそう感じてしまうのです。
 今年がけっして「戦前」にならないように、息子、かわいい孫たちが戦場にかり出され、そしてやがて日本が戦場になるような方向に絶対進まないように祈り、ささやかでも私に出来ることをしていこうと思う正月です。

<今年も生涯学習、ボランティアに精を出して・・・> 
 私はまもなく定年退職後丸10年となります。まあまあ心身ともに健康に過ごしています。このブログでもよくふれていますが、近くの公園や河川敷のウオーキング、山歩き、峠歩き、時たまのゴルフなどが健康の秘訣なのでしょうか。また、野菜づくりも気持ちが和らぎます。
 県が生涯学習の一環で設置している山梨ことぶき勧学院は卒業しましたが、同級生で作ったOBの会が続いており、自主的な学習や研修での学びとその合間の仲間との語らいも楽しいです。
 さらに4年余り前から始めた甲府城御案内仕隊の観光ボランティア、地域の学校の安全パトロールボランティアも生きがいの一つになっています。
 今まで、長い間勤めてきた仕事に関わり時々請われて続きの仕事をさせていただいてきましたが、この仕事もそろそろ卒業させていただくつもりです。それでも私のライフワークともいえる仕事ですので、これからも役に立つことがあればお手伝いをしていきたいと思っています。

< ブログで日々を綴る・・・ >
 新年早々私のブログ「山と山の花」をご覧いただき、ありがとうございます。ここは、私の趣味の山歩き、山や山の花の写真、アマチュア無線、パソコン、野菜づくり、観光案内をしている甲府城のこと、その他極端にプライベートなこと以外のいろいろなことを気ままに書き込み載せているささやかなブログです。今年も、前述した「戦前」にならないような私なりの取り組みもこのブログに記事を載せていきたいとも思っています。
 このブログ「山と山の花」の中の特に山歩き、峠歩き、古道歩きに関わる内容に絞ったブログが、「私の山歩き峠歩き古道歩き」です。結構マイナーなバリエーションルートもあります。経路時間参考資料などできるだけ詳しく既述したつもりです。是非ご覧いただき参考にしてください。(もちろんあくまで参考で、実際歩く時は自己責任でお願いします。)

< ホームページもご覧ください >
 さらにこれらのブログとは別に、私のホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」があります。ホームページは、内容的にはこれらのブログと同じようなものですが、山の花の写真や山歩きの記録、アマチュア無線への取り組みの様子などを載せていて、ブログよりはずっと整理した形になっています。特に「山と山の花の写真のページ」は、名前になっていることからおわかりのように、私のホームページやブログは、全てこのページからスタート出発広がったもので、自分としてはとても充実していると思っています。ホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」は、ブログからリンクしていますので、こちらも是非ご覧ください。

< ご感想、ご意見、コメントを・・・ >
 ご感想、ご意見などコメントをいただくととてもうれしいです。ブログの記事からコメントがいただけるシステムになっています。記事の下の「コメント」をクリックしてくださると書くことが出来ます。ブログは毎日ではないですが、結構頻繁に新しい記事を書いています。

< それでは、あらためて・・・ >
 今年が、皆様にとってよりよい年になりますよう心からお祈りしております。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2017年12月31日 (日)

TBSテレビ「陸王」を見終わった

 TTBSテレビ日曜劇場「陸王」を見終わった。いいドラマという評判を聞いて、3話あたりから録画してあったものだ。

 このドラマは、地方零細企業の老舗足袋製造会社「こはぜ屋」(社長が役所広司演ずる宮沢紘一)が、会社の生き残りをかけて、世界一のランニングシューズ「陸王」の開発に向けて会社のみんなで奮闘する姿を描いた企業再生ストーリーだ。

 「本当の負けというのは、挑戦することをやめたときだ。」という言葉はいい。何度も何度も困難に突き当たりながら、あきらめずみんなで力を合わせ乗り越えていく姿は、ドラマの重要な場面で流れた挿入歌「糸」「Jupiter」も併せ、強く心に響いた。涙もろい私の涙を誘った。

 主人公の役所広司の演技はもちろんだが、寺尾聡、かしまし娘の正司照枝、松岡修造が頑張っていた。またあの「三年B組金八先生」で生徒役だった、風間俊介が銀行員役で好演していた。
 昔ながらの工場の中の様子やマラソンや駅伝大会の場面もよく撮影したなと思い感心した。行田市や青山学院陸上競技部が協力したそうだ。

 見ていて時々、かっての「北の国から」や「白線流し」を思い出していた。これらのドラマと同じように、この「陸王」も私の記憶に永く残るドラマとなるだろう。


TBSテレビ 「陸王」 
  日曜劇場 2017年10月期のドラマ
< 原  作 >池井戸潤
<スタッフ>脚本;八津弘幸 演出;福沢克雄 田中健太 音楽;服部隆之 ナレーション;八木亜希子 
<キャスト>役所広司 寺尾聰 竹内涼真 山﨑賢人 キムラ緑子 志賀廣太郎 光石研 音尾琢真 風間俊介 阿川佐和子 檀ふみ 市川右團次 小籔千豊 上白石萌音
 

2017年12月16日 (土)

「こんなところに甲府城お堀跡」(その14) 甲府城の内堀復元へ

 ・・・ 日本百名城「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・


 先日の地元の山梨日日新聞に、「甲府城南側の堀拡張」という記事が載っていた。県と市が計画している「甲府城周辺地域活性化実施計画」で、今ある内堀を拡張復元するという。

 記事によると、今ある内堀の西端から堀を南へ伸ばし、以前の県民会館の大ホールがあった辺り(今は県の公用車駐車場になっているところ)までお堀とするようだ。
 ついこの間まであった県民会館の8階建ての建物があった辺りは、芝生の「集いの広場」にするという。

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 この私のブログ「こんなところに甲府城お堀跡」のシリーズで冒頭に書いているように、甲府城お堀はほとんどが埋め立てられて当時のようには残っていない。唯一お堀らしいお堀で残存している甲府城南側の内堀を更に一部拡張するというニュースは、ささやかだが甲府城のお堀跡を調査研究している私にとって、大変うれしい話ではある。

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 記事には「お堀でボートが楽しめるようにする」という考えがあるというようなことが載っていたが、これはいただけない。埋めてしまった堀を昔のように復元するということで、余計なことは考えない方がいいと思う。
 周辺に飲食店おみやげやさん等を作り、地域活性化につなげたいということに特に反対はしないが、活性化という視点が余り前面に出て大切な史跡保存に影響がないよう願うものである。今でも本丸で結構派手なイベント実施されたりで、史跡が壊されないか、国の史跡指定に向けて差し障りがないか心配である。

 写真上;甲府城内堀西端から東方向を見る。この手前辺りから南にお堀が拡張されるようだ。
 写真下;遊亀橋から西方向を見る。石垣と白壁が見事。お堀の向こうが、県庁新館、防災新館だ。

 「こんなところに甲府城お堀跡」 → (その13) 朝日二丁目地内 二の堀跡

2017年12月12日 (火)

山で出会った人々(その2)

 寂れてしまった峠やあまり人が登らない山を歩き、大勢の人が登るシーズンをはずして山を歩くことが多いので、人に会って話をすることは少ないが、それでも時々登山道や山頂で出会った人と話し込んだりすることがある。

 山で出会った人々(その2)

 平成29年夏、日本三大峠の一つ「雁坂峠」を歩いた時のこと。私がほうほうの体で峠に着いた時に甲武信岳の方から歩いてきたという山ガールが一人、たばこを吸いながら休んでいた。他には誰もおらず、しばらく二人でいろいろ楽しい山談義。
 この方は、前日西沢渓谷入口のバス停から戸渡尾根を木賊山に登り、甲武信小屋に泊まり、破風山、雁坂嶺を経てここまで来たのだという。
 ずっと眺めはなく、雲の中だったそうだ。そんな中、苦労して一人で何故山へ登ってくるのか・・・聞きたい気持ちもあったがやめた。
 私よりも一足先に、峠を下っていった。

 人は色々な人生を秘めて、色々な思いを込めて山へ登っている。明るい楽しい思いを持って山へ登る人はいい。悲しい寂しい思いで山へ登る人もいる。人の人生をちょっと覗き見るような山での人との出会いも楽しく、そして貴重だ。

 平成28年12月24日の記事 → 「山で出会った人々(その1)」

2017年12月10日 (日)

甲府城の歴史紹介 地域振興の一助に

 甲府城御案内仕隊の隊員としての観光ボランティアも丸5年、来城者(来場者)に甲府城の歴史と魅力を伝えている。

P10207940 地元の人が考えている以上に甲府城来城者は多い。私たち甲府城御案内仕隊が案内をする人だけでも年間1万3千人を越える。案内を仕切れない人や、散歩やウオーキングで訪れる地元の人も多い。

 先日、県外からの甲府城来城者に、お城には珍しい温泉が城内にあった、お城の周りにも温泉が沢山あり、甲府温泉といわれていたという説明をした際、自分が褒められているようなとてもうれしいいい話を聞いた。

 前日市内のお城近くの某老舗ホテルに泊まったが、ホテルの方の対応がとても親切だったし、料理も美味しく、それになによりも温泉に入れたことが幸せだったと語ってくれたのだ。

P10207670_2 こういう話を直接聞くと地元の観光業者、他の関係の方々も頑張っているんだなと思い、うれしくなる。

 こういう親切丁寧な温かい対応、今はやりのおもてなしが、地元山梨の観光を盛んにする、地元振興の役に立つのだと思ったことだった。

 私自身、甲府城に来てよかった、また来たい、みんなにも紹介したいといわれるような案内に努めていきたい。またこうして記事をブログに書いていること自体、山梨の観光振興にほんの少しは役に立っているかなと思っているのだ。

 写真上;甲府城稲荷櫓 城内の北東鬼門にあるので艮櫓(うしとらやぐら)ともいわれる
 写真下;紅葉した桜ソメイヨシノの葉っぱの向こうに鉄門(くろがねもん)

 

2017年12月 9日 (土)

湯村山と八王子山へ 落葉の絨毯を歩く

<今年最後の勧学院27期生OBハイキングクラブの山歩きは、甲府緑ヶ丘公園から落葉の絨毯を歩き、八王子山と湯村山へのハイキングとなった。その後の忘年会も楽しみ。>

 緑ヶ丘スポーツ公園駐車場は、湯村山付近の山歩きに車を駐めさせてもらうのに都合のいいところだ。ハイキングも運動なのだし、スポーツ公園の駐車場を利用させてもらっていいのでは。

Imgp28000 緑ヶ丘公園から湯村山乗越(以前狼煙台があったところ)までは、アスファルトの車道だが、その道は落葉で隠れていた。朝の木漏れ日の中を、落葉の絨毯を踏みしめ気持ちよく登った。

 湯村山や八王子山まで、ウオーキングやトレールランニングの練習によく使われているようだ。私たちが歩いている間にも大勢の人たちとすれ違った。「こんにちわ」「気をつけて」「頑張って」と挨拶を交わすのも気持ちがいい。

Imgp28050 途中、鳥獣センターから登ってくる山道と合流する辺りから八王子山山頂までは、二三日後に行われるトレールランニングのルートになっているようだった。矢印の書かれた紙が要所要所に張ってあった。
 トレールランニングは、武田神社から積翠寺の方を廻り、和田山、鳥獣センター、八王子山、武田の森片山の駐車場まで走るらしい。

Imgp28360 八王子山頂上手前にある東屋からの眺めは、素晴らしかった。甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、白銀に輝く白根の山々など南アルプスの山々とその下に広がる甲府盆地が手にとるように眺められた。

Imgp28190 八王子山頂上からは、甲府の市街の上に御坂山塊、その上に見える富士山、こんな素晴らしい景色を見ることができて幸せといいあったのだった。
 今までのクラブの山歩きでは、行ったことのなかった湯村山の頂上にも今回は登った。ここからの眺めも捨てたものではない。

 青空の下、風もなく穏やかで、手頃な山歩きにみんな満足満足で、忘年会会場に向かった。

  (平成29年12月7日歩く)

2017年12月 1日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) 御宿かわせみに「薬研堀」 

 平岩弓枝の「御宿かわせみ」を読んでいる。その19巻「かくれんぼ」の中に「薬研堀の猫」という話がある。
 「薬研堀」ということばが出てくる訳だが、以前の私だったら何のことかよくわからなかっただろうが、甲府城のお堀跡のことを調べている今はよくわかるのだ。
 「薬研堀」は「やげんぼり」と読み、主にお城などの周りに敵の侵入を防ぐために掘られた大きな溝、お堀の種類の一つである。もっとも、この江戸時代には、この薬研堀に接している城下町の場所を「薬研堀」といったこともあったようだ。つまり町名でもあったのである。

 お堀について、断面形状による分類をインターネットで調べた。

<毛抜堀>~U字形の断面をもつ堀。水堀に多用される。
<箱堀>~箱形の断面をもつ、底の平坦な堀。水堀に多用される。
<薬研堀(やげんぼり)>底がV字形の尖った断面をもつ堀。薬研の窪みに形状が似ていることに由来する。底部の通行が困難であるため、空堀に使われることが多い。さらに諸薬研堀と片薬研堀に細分される。
<諸薬研堀(もろやげんぼり)>薬研堀のうち、両側が急斜面となったもの。空堀に使われることが多い。
<片薬研堀(やげんぼり)>薬研堀の片側を切り立ったものとした、レの字形の断面の堀。空堀に使われることが多い。鉛直に近い斜面を登るのはきわめて困難であるため、防衛に強力である。ただし、崩れやすくなる。
 <引用> 「堀」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より

 甲府城のお堀の分類はどれに該当するのだろうか。今残っている内堀跡を見る限り「箱堀」か「毛抜堀」のように思われるが、文献資料等見る範囲で今のところはっきりわからない。引き続き調べていきたい。

 その他諸々のお堀に関わる情報を、この「こんなところに甲府城お堀跡」(号外)に載せていきたいと思っている。

2017年11月30日 (木)

寒空にバラが咲いている

 もう明日から12月という今日/我が家の庭でバラが咲いている/最盛期のバラよりも小さめ/葉っぱもかなり枯れて落ちていたりするのに/バラの細かい名前は妻に聞かないとわからない 

 主にバラの世話をしているのは妻/こんな時季にも世話をするのかいという私のことばを余所に/来年もっともっと綺麗なバラを沢山咲かせようと世話に余念がない/「新しい苗も予約した」と妻

 こんな寒空の下、咲いているけなげなバラ/小さくても、花びらが少し曲がっていても素敵な我が家の庭のバラ

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2017年11月15日 (水)

「漫画 君たちはどう生きるか」を見る読む

 少年の頃、経済的にも精神的にも我が家は落ち着いておらず、私は不安定な気持ちで日々過ごしていた。年代的にも、心の不安定な頃であったかも知れない。
 そんな中、社会や人間のありよう、人の心のありよう、愛すること、友人について等々、いろいろな意味で私に強い影響を与えた本があった。

 下村湖人の「次郎物語」、井上靖の「あすなろ物語」 ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」など。(少年雑誌、学年雑誌に載っていた概略小説、粗筋物語もあったかも知れない。)
 その中の一冊に、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」があった。今もどこか我が家の物置の本箱の隅に残っているかも知れない。

 今回この「君たちはどう生きるか」が、漫画化発売されたと聞いて、これは中学生の孫に読ませなければと思って早速買おうとした。ところがあちこちの本屋さんに行って探し聞いてみたが、どこも売り切れ品切れだという。残念というより、こんなに売れているんだ読まれているんだと何かうれしくなってしまった。結局インターネットで、注文取り寄せ、手に入れることができた。

 私が少年の頃、この「君たちはどう生きるか」を読もうとした経緯(いきさつ)や、本の中身は詳しく覚えていないが、上に書いたようにものすごいカルチャーショックであったことは覚えている。
 その頃、どういう気持ちでこれを読んだのだろうか。どんな感想を持ったのだろうか。不安定な私の気持ちを落ち着かせてくれたもの、その後の私の生き方を方向付けてくれたものだったに違いない。

 今回改めて読んでみて、社会の中の自分、友達関係のこと、ものの見方、労働など、ちょうど中学生に読ませたい中身だと思った。私が生まれた10年前1937年に出された本とは思えない、いじめ、貧困など現在に通じる話題もある。いや、本の中身全部が、今の子供たちに伝えたいこと、考えてもらいたいことである。
 大筋は漫画であるが、叔父さんがコペル君に宛てたノートの部分は文章で、3~5ページにわたり文章の部分もある。

 孫がどういう反応を示すか、全部読み切るかどうか、どんな感想を持つかわからないが、「私がおまえと同じ頃、ものすごく感銘を受けた本だよ。」といいながら渡そうと思っている。

  ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 「漫画 君たちはどう生きるか」
   原作:吉野源三郎 漫画:羽賀翔一 マガジンハウス 2017年10月第5刷

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