サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

カテゴリー

にほんブログ村ランキング参加中

« 「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) 毎日通る道路の端にも歴史が隠れている | トップページ | 鳩打峠から醍醐山(634m)へ »

2018年1月19日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡(その17)」 北口一丁目 二の堀跡

・・・ 日本百名城に数えられる「甲府城(舞鶴城)」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗Yamanote001渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・

 綺麗に整備され、様々なイベントが頻繁に開催されるようになった甲府駅北口広場から武田通りを北へ100mほど進んだところ、北口一丁目と武田一丁目の境あたり武田通りを二の堀跡が横切っている。
 現在風のしゃれた喫茶店の建物の南側に、コンクリートと石垣で水路のようになっている二の堀跡が確認できる。「こんなところにNinohori020_2甲府城お堀跡(その12)」(*-1)で書いた二の堀が東に進み、ここに至るのだ。
 ここが山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」でいう「元連雀町口」になる。内堀からここまでが武家地、ここから三の堀までが町人地となるのだ。

 ここから二の堀跡は武田通りを斜め北方向に横切る。もちろん暗渠である。反対側の歩道にかなり大きい集水枡が確認できるが、そこから先、東方向に水路も暗渠も確認できなくなった。かなりあちこち歩き回り探したが二の堀跡は全く確認できなかった。
 以前、この辺りに桜シルクという大きい工場があった。更に、私の遠い記憶の中に、この辺りに盲学校があった様な気がする。最近でいうと県の駐車場があったり、大きなパチンコ屋が出来たりした。明治以降の変遷の中で、二の堀は完全に埋め立てられ失われてしまったのだろう。(*-2)

(*-1) こんなところに甲府城お堀跡(その12) 武田一丁目地内 二の堀跡

(*-2) この辺りの二の堀跡のことなどが、「『甲府市文化財調査報告15 甲府城下町遺跡Ⅰ-北口二丁目(桜シルク跡)発掘調査報告書-』 平成13年3月30日 甲府市教育委員会」 に載っており大変興味深く読んだ。それによると、この辺りの二の堀の幅は約10.8m、 土塁は基底部幅約11.7m、高さ約2.4m、土塁には大槙が植え られていたと柳沢文庫所蔵「楽只堂年録」に記述があるという。発掘調査では、堀の幅は約13 mであったという。

 写真左;甲府城北側の入口 山の手御門 甲府駅北口に復元された
 写真右;二の堀跡 武田通り歩道から西方向を撮っている

« 「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) 毎日通る道路の端にも歴史が隠れている | トップページ | 鳩打峠から醍醐山(634m)へ »

甲府城・歴史」カテゴリの記事

自分史」カテゴリの記事

コメント

 驚くことに、甲府朝日町清運寺に「清正公(せいしょこ)堂」があります。全国的に圧倒的な強さを誇った加藤清正にあやかる信仰があったのですね。
 ちなみにこの清運寺には、坂本龍馬の恋人であった千葉さな子のお墓があり、一時ここを訪れる坂本龍馬ファンがいっぱいだったそうです。

Tsukaさま、おはようございます。
そうです。熊本県人は、熊本城をとても誇りにしています。その気持ちは、震災を経てより強くなったような気がします。「武者返し」と言われる反り返った、まったくでこぼこのない美しい石垣が崩れるのを見て、信じられませんでした。
しかし、崩れたのは細川の時代になって手を加えられた部分がほとんどで、加藤清正の時代に造られた部分は持ちこたえたと聞いています。

武田信玄は偉大すぎて比べられませんが、熊本人は加藤清正をとても敬愛しています。初めて甲府に行ったとき、山梨大学前の小さな書店で、「信玄関係の本が欲しいのですが、どこにありますか」と尋ねたところ、「信玄公ですよね」と聞き返されたことがあります。その一言で、山梨の方の信玄愛がよく理解できました。
考えてみれば熊本では清正のことを「清正公(せいしょこさん)」と呼びます。きちんと発音すれば「せいしょうこうさま」ということでしょう。信玄公と同じですね。

加藤家の治世はわずかで、熊本城は細川の城と言っても良いのに、みんな細川家の城だとは思っていないところが、面白いです。今も、熊本城に続く坂道には、長烏帽子兜をかぶり鑓をもった清正公が鎮座しています。

すみません、書いていたら長くなってしまいました。
申し訳ありません。

 若い頃、熊本へ行きました。熊本城を眺めた記憶はあるのですが、お城の中に入ったどうか記憶は定かではありません。今回は大変なことになりましたね。
 熊本の人々は、熊本城を大変誇りにしているようですが、残念ながら甲府の地元の人たちは甲府城について「おらが城」という意識は薄い感じがします。信玄公の方が大きすぎるのです。江戸時代後半、天領でお殿様がいなかったことも影響しているといわれています。
 甲府城についても、地元の人たちが誇りを持ち盛り上げていくような意識が高まるといいと思っています。甲府城は天守閣はありませんが、野面積の石垣を筆頭に魅力がいっぱいです。

Tsukaさま、こんばんは。
お元気ですか?
お城のお堀跡がいろいろなところにあるのですね。
甲府城はかなり大きなお城だったのでしょう。
熊本城を見て育ちましたので、お城には興味があります。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87746/66255550

この記事へのトラックバック一覧です: 「こんなところに甲府城お堀跡(その17)」 北口一丁目 二の堀跡:

« 「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) 毎日通る道路の端にも歴史が隠れている | トップページ | 鳩打峠から醍醐山(634m)へ »

お薦めサイト

山と山の花セレクション

  • マツムシソウ
     山登り山歩きの折、撮りためて来た写真を主に「山と山の花セレクション」をまとめました。ご覧ください。

続 山と山の花セレクション

  • ミヤマシャジン
     山歩きの折に撮った山と山の花の写真・・・「続 山と山の花」です。ご覧ください。
2018年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30