甲府市横沢慶長院冠木門について
以前、甲府市横沢慶長院の冠木門について、「甲府城から移築された経緯は?慶長院山門」という記事を書いた。
ずっと気になっていたのだが、先日、県立図書館で、下記の資料を見つけた。
・・・この門が甲府城から移築されたという根拠については、甲府城の乾門を移築したという寺伝がある。(「角川日本地名大辞典」9山梨県)
・・・山手門へ入る前に冠木門があった(元文4年「甲府城絵図」)ことが知られている。
・・・この伝承が信じられるとするなら、この門であった可能性がでてくる。
・・・慶長院の門は、甲府城の山の手門付近にある冠木門であるといえるが、確証は得られない。・・・
( 「県指定史跡 甲府城跡」 甲府城跡保存活用等調査検討委員会報告書 2009.3 山梨県教育委員会 P40 )
この資料で以上のように記述しているが、この資料では私が疑問だった”いつ頃、誰に、どういう経緯で移されたのか”を含めて、この冠木門が甲府城から確かに移築されたものかどうかはっきりわからないということだ。
この文献を見つけて、今までの私の疑問は解決せず結局わからないということだが、私の気持ちとすればわからないということがわかって(^_^)かえってすっきりした。
2017年10月12日の記事 → 甲府城から移築された経緯は? 慶長院山門
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