こんなところに甲府城お堀跡(その26) ~ 三の堀跡を辿る 近習町口から甲斐奈神社裏あたり ~
< 日本100名城に数えられる「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。往時 甲府城には内堀(一の堀)、二の堀、三の堀があったが、明治以降そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、甲府市内の普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。>
今回は『平成甲府城下町絵図』(*)でいう近習町口から甲斐奈神社裏あたりまで三の堀跡を辿る。
甲府城跡今の遊亀橋の東側にある庄城稲荷と、甲府市の旧社会教育センターの間の道を東に進み、JR中央線の踏切から南に向かう桜町通りを突っ切る。『甲府城城下町絵図』によると、この辺りに「近習町口」があったという。
20~30m進むと左側に車20台ほどとめられそうな駐車場があり、その北西隅に小さな石の祠(由緒のあるものか、ここにあったお宅の屋敷神様か?)がある。 ここから駐車場の北隅を巾30㎝ほどの側溝が東方向に向かっている。この側溝が三の堀跡だろうか。
更に東に進むと境町通りにぶつかり、その向こうに結構大きい駐車場がある。この駐車場の北側を側溝が東に進んでいる。駐車場の北東隅で直角に曲り、南に向かう。この曲がり角駐車場北東隅に石の祠が2棟ある。二つとも結構大きい石の上にのっている。 駐車場の東側を南進した側溝は、駐車場の南東隅で直角に曲り東に向かう。
東に向かう側溝は、ちょうど横近習大神宮の東側にある大きな駐車場とカトリック甲府教会の北側に当たる。この側溝が三の堀跡だろうか。今回確認できたのはここまでで、この後は三の堀跡側溝も暗渠も確認できていない。
途中で一度クランクして立川ケースの建物の一軒おいて南側に至る。
三の堀跡は、長禅寺ガードから南進してくる通りを突っ切って旧富士川小学校の敷地の南側を東進しているはずであるが、個人住宅が並んであり側溝も暗渠も確認は出来なかった。
旧富士川小学校校地に沿って南側を東進した三の堀跡は、ちょうど校庭の真ん中あたりで曲がり、南進することになる。そして東進してきた横近習通りが終わりになるあたりにある松田菓子店一軒おいた東側で通りを突っ切り、 住宅街の中で向きを変えて東に向かう。そしてようやく瑞泉寺、甲斐奈神社の北側に至る。この辺りの三の堀跡は残念ながら側溝も暗渠も確認できていない。そもそも側溝暗渠も見当たらない。
写真右上;近習町口があったというあたりから20~30m東にある駐車場北西隅にある石の祠
写真左上;境町通りの東にある大きい駐車場 左塀沿いの側溝が三の堀跡だろうか 向こうに大きい石の上に乗っかっている石の祠二つが見える
写真右下;写真中央、松田菓子店の向こうに見える黄色い柵のところで三の堀跡が右に突っ切る?
(*)『平成甲府城下町絵図』作成;山梨県埋蔵文化財センター 協力;甲府市教育委員会
最近のコメント