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2020年10月27日 (火)

要害城の支城「熊城」の役割は

 甲府市教育委員会主催「要害城築城500年・信玄公誕生500年記念講演会」で、『要害城(本城と支城)を探る』と題した武田氏研究会事務局長の山下孝司さんの話を聞いた。講演の中で、”熊城の役割”について私にとって大変興味ある話があった。

 山梨万力筋から、太良峠を越える道の他に、岩堂峠を通って積翠寺に抜ける重要な道があった。その道が、熊城の南麓を通る。ここでこの道を通って要害城やつつじが崎館に攻め入る敵を防ごうとしたのだという。熊城の曲輪などには、南側(岩堂峠から下って来る道側)に土塁が築かれている。また熊城の特徴ある畝状竪堀も南側に築かれている。
 こういうことを考えると熊城は、単に要害城の詰城支城ということだけでなく、城そのものが万力筋から要害城やつつじが崎館へ攻め入る敵からの防御のために造られたと考えるというのである。

 以前、積翠寺側から岩堂峠に登った時も、春日居町側から登った時も、この道は何か昔からの古い道ではないかと思ったことがあった。また熊城から尾根伝いに下り降り着いた時、尾根の麓左上から岩堂峠からの道が下って来ていてこの道は何かいわくのある道ではないかと思った。
 これらこの時感じたことが、今回の講演を聴いたことで、はっきりわかったように思いうれしかった。

 
 平成19年6月4日の記事 → 春日居側から岩堂峠へ
 平成26年1月19日の記事 → 帯那衆 穴口峠を越える
 
 平成28年4月11日の記事 → 「熊城」へ 
 令和2年9月17日の記事 →
  山梨百名山「要害山」に登る 「要害城」とその支城「熊城」

  

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