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2020年11月14日 (土)

武田勝頼悲劇の城 新府城本丸北側虎口発掘現場説明会に参加

 韮崎市教育委員会が企画した国史跡新府城跡散策会(本丸北側虎口発掘現場説明会)に参加した。

 新府城駐車場を出発、お城北側のお堀辺りから乾門桝形虎口、隕石が落ちたクレーターのような井戸を通り、笹竹を切り開いた小道(帯曲輪の一部と思われる)を発掘現場へ向かう。

<新府城北側の堀 ここは水堀だが空堀もあった>
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<乾門桝形虎口 以前発掘した際、向こう側にあった門の辺りには
                   柱の燃え残りもあったという>
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 発掘現場に到着、沢山の土嚢が、発掘の大変さを物語っていた。本丸の北側中央辺り、土塁がその部分だけ低く、虎口があったことがわかる。遠くに八ヶ岳が望まれ、新府城本丸の重要な入り口、門であったのだろう。発掘で見つかった五個の礎石のいくつかの辺りには赤茶けた焦土が見えるのだ。礎石も火の熱で表面が剥がれ、石片が周りに散っているのが確認できる。
 戦国時代、武田勝頼が勢力復活、新しい統治を目指し、造営した新府城・・・わずか三ヶ月足らずでで戦国時代には珍しいことではなかったこととはいえ、その新しい城に火を着け、逃亡しなければならなかった勝頼の気持ちを想う。

<発掘現場 本丸側から北を見ている>
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<礎石の石片が剥がれている 右側には赤茶けた焦土が見える>
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<礎石に被さっている土帯の上が徳川家康が
   天正壬午の戦いの際陣地として使った時の土表と思われるという>
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 発掘現場を離れ三の丸から大手門へ向かう。富士を眺める雄大な大手門。かっての発掘では、ここからは残念ながら礎石も何も見つからなかったいう。果たして門はあったのかどうか。その先には三日月堀が復元されていた。

<新府城大手門跡 この先に丸馬出 三日月堀がある
    富士山が見える ここからの富士山を勝頼も眺めたのだろうか>

Imgp09421

<三日月堀跡>
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 韮崎市教育委員会の閏間俊明さんの面白楽しい詳しい説明に感謝。

       (令和2年11月13日歩く)

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甲府城・歴史」カテゴリの記事

コメント

 コメントありがとうございます。

 らぶさんは武田三代の本も読んだですよね。武田信玄だけでなく、武田信虎、武田勝頼も甲府開府500年を機に、このところ注目、見直されています。

 来年が武田信玄誕生500年ということで、またまたまたイベントが続いています。

 平山優さんは、真田丸の時代考証をしてから、あちこち引っ張りだこのようです。NHKBSプレミアルのお城に関する番組にもしょっちゅう出ています。

投稿: Tsuka | 2020年11月15日 (日) 午後 09時40分

Tsukaさま、こんばんは。
先日、YBSのニュースのページ(NHK山梨放送だったかなあ)で、新府城の本丸門跡発見のニュースを目にしました。
確か、平山優氏のコメントもあったような・・・・・。

勝頼は、武田氏を滅亡させたという印象があまりにも強いけれども、とても優秀な武将だったと平山優さんが歴史番組で力説していました。優秀過ぎたことと、運がなかったことが仇となったと・・・・。
興味深い武将ですね。

投稿: らぶ | 2020年11月15日 (日) 午後 08時45分

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