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カテゴリー「自分史」の66件の記事

まだ続いているささやかな人生、まとめるのは少し早いけれど・・・

2018年7月 1日 (日)

甲府城址内堀南に「梅ヶ枝旅館」があった

 先日まで、山梨県立文学館で「井伏鱒二展」が開催されていた。その展示の中に私にとって大変興味あることがあった。またその際のパンフレットに面白い記述があった。

 甲府城の南にあった「梅ヶ枝旅館」に井伏鱒二が、太宰治などと共に何度も訪れたという記述だ。その場所は、いろいろ調べていくと今まで私が把握していた甲府城鍛冶曲輪に顕彰碑がある小田切謙明が開設した「海州温泉」があった場所とほとんど同じ場所である。同じ場所か、あるいは隣だったのかもしれない。

 私が甲府城の近くあった職場に勤めていた頃(平成5年頃)、この旅館を何度も眺めたことがあった。入口に大きな松の木のある古い正に昔ながらの旅館風の建物であった。私もその頃は余り意識になかったので、記憶がはっきりしないがもしかしたら一度くらいはこの「梅ヶ枝旅館」の中に入ったことがあるかもしれない。
 この旅館は色々な会議に使われたり、お偉いさんたちが秘密の会議によく使っていたと、同僚に聞いたおぼろげながらの記憶がある。

 この旅館は、「井伏鱒二展」の展示によると、平成20年3月に閉鎖取り壊されたそうだ。(ついこの間まであったんだ。) 今、その旅館があった場所はビルになったり駐車場になったりしている。
 県と市で進めている甲府城周辺の整備計画で、この辺りも大きく変わっていくだろう。「海州温泉」「梅ヶ枝旅館」の建物の復元などということは夢物語か。

2018年1月19日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡(その17)」 北口一丁目 二の堀跡

・・・ 日本百名城に数えられる「甲府城(舞鶴城)」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗Yamanote001渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・

 綺麗に整備され、様々なイベントが頻繁に開催されるようになった甲府駅北口広場から武田通りを北へ100mほど進んだところ、北口一丁目と武田一丁目の境あたり武田通りを二の堀跡が横切っている。
 現在風のしゃれた喫茶店の建物の南側に、コンクリートと石垣で水路のようになっている二の堀跡が確認できる。「こんなところにNinohori020_2甲府城お堀跡(その12)」(*-1)で書いた二の堀が東に進み、ここに至るのだ。
 ここが山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」でいう「元連雀町口」になる。内堀からここまでが武家地、ここから三の堀までが町人地となるのだ。

 ここから二の堀跡は武田通りを斜め北方向に横切る。もちろん暗渠である。反対側の歩道にかなり大きい集水枡が確認できるが、そこから先、東方向に水路も暗渠も確認できなくなった。かなりあちこち歩き回り探したが二の堀跡は全く確認できなかった。
 以前、この辺りに桜シルクという大きい工場があった。更に、私の遠い記憶の中に、この辺りに盲学校があった様な気がする。最近でいうと県の駐車場があったり、大きなパチンコ屋が出来たりした。明治以降の変遷の中で、二の堀は完全に埋め立てられ失われてしまったのだろう。(*-2)

(*-1) こんなところに甲府城お堀跡(その12) 武田一丁目地内 二の堀跡

(*-2) この辺りの二の堀跡のことなどが、「『甲府市文化財調査報告15 甲府城下町遺跡Ⅰ-北口二丁目(桜シルク跡)発掘調査報告書-』 平成13年3月30日 甲府市教育委員会」 に載っており大変興味深く読んだ。それによると、この辺りの二の堀の幅は約10.8m、 土塁は基底部幅約11.7m、高さ約2.4m、土塁には大槙が植え られていたと柳沢文庫所蔵「楽只堂年録」に記述があるという。発掘調査では、堀の幅は約13 mであったという。

 写真左;甲府城北側の入口 山の手御門 甲府駅北口に復元された
 写真右;二の堀跡 武田通り歩道から西方向を撮っている

2018年1月11日 (木)

「こんなところに甲府城お堀跡(その16)」 武田一丁目地内 三の堀

<この辺りに「角○」とかいう飲み屋さん、今でいう居酒屋があった。先輩に連れられ仕事帰りにこの飲み屋によく寄った。この先輩を私は慕っていた。親分肌のところがあり、私などの面倒をよく見てくれた。いい仕事をした。同業者の組合の役員などもし、活躍した。Sannohori002_3
Imgp28811_2だが、残念ながら若くして惜しまれながら亡くなった。一緒に飲みに来たその頃は、ここを甲府城三の堀が横切っていたなんてまったく知らなかった。>

 甲府駅北口から、武田通りがまっすぐ北へ武田神社に向かって走っている。この通りが、山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」でいう「橘小路」で、この先「元連雀町口」で二の堀を横切り、「大工町」で三の堀を横切り、「元柳町」から武田神社(躑躅ヶ崎館)へ続くのである。

Sannohori006 この大工町で武田通りを横切るのが、三の堀である。今の地名でいうと武田一丁目辺り。東方向から武田通りを横切り、10mほど進んだところで右方向北へクランクし更に進んだところでまた左方向西に曲がり進む。もうここが法華寺北になる。左側に土塁ではなかったかと思われる空き地が見える。「こんなところに甲府城お堀跡(その3)武田一丁目地内 法華寺北 三の堀跡」が、そこである。

 甲府城お堀跡(その3) 武田一丁目地内 法華寺北 三の堀跡

写真上;赤白の柵の左側が三の堀 右上にちょっと見えるのが武田通り
写真中;武田通り歩道から西を見る 三の堀跡
写真下;法華寺北の三の堀 東側から西を見ている

2018年1月 1日 (月)

あけましておめでとうございます

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 あけましておめでとうございます

   皆様にとって今年が
        よりよい年になりますよう
      心からお祈りしております

   今年もどうぞよろしくお願いいたします


< 元旦の朝・・・ >
 甲府盆地は穏やかな日和で、清々しい新年を迎えました。私のところの玄関先では、万両の実が朝日に映え、庭では寒空の下、寒菊が咲いています。
 お陰様で、家族みんな元気で正月を迎えることが出来ました。今年も家族一同、健康で明るくよい年でありますよう願っているところです。
 私はお雑煮の朝食を早めに食べ、自治会の新年ご互礼会へ出かけました。近所の皆様と新年の挨拶を交わし、道祖神前で地域の安全と安心、平穏、益々の発展を祈ったのでしImgp86210た。その足で、千塚八幡神社に向かい、初詣を済ませました。

< 元旦に思う > 
 何か世界中がおかしくなっています。戦争やテロ、争い、憎み合いが絶えません。自分の国さえよければいい、自分たちさえよければいいというふうな風潮が益々拡がってきているような気がしてなりません。人権や民主主義が軽んじられ揺らいでいます。
 今年が戦争のない世界に向けて、平和で平穏なよい年になるよう祈らずにはおれません。
 今の政治状況を考えると、日本はもう戦後が終わり「戦前」に入っているのではないかと思うこともしばしばです。もちろん私が戦前を体験しているわけではありませんが、今まで学び勉強してきた歴史、新聞の記事や投書、テレビラジオのニュース番組などを通してそう感じてしまうのです。
 今年がけっして「戦前」にならないように、息子、かわいい孫たちが戦場にかり出され、そしてやがて日本が戦場になるような方向に絶対進まないように祈り、ささやかでも私に出来ることをしていこうと思う正月です。

<今年も生涯学習、ボランティアに精を出して・・・> 
 私はまもなく定年退職後丸10年となります。まあまあ心身ともに健康に過ごしています。このブログでもよくふれていますが、近くの公園や河川敷のウオーキング、山歩き、峠歩き、時たまのゴルフなどが健康の秘訣なのでしょうか。また、野菜づくりも気持ちが和らぎます。
 県が生涯学習の一環で設置している山梨ことぶき勧学院は卒業しましたが、同級生で作ったOBの会が続いており、自主的な学習や研修での学びとその合間の仲間との語らいも楽しいです。
 さらに4年余り前から始めた甲府城御案内仕隊の観光ボランティア、地域の学校の安全パトロールボランティアも生きがいの一つになっています。
 今まで、長い間勤めてきた仕事に関わり時々請われて続きの仕事をさせていただいてきましたが、この仕事もそろそろ卒業させていただくつもりです。それでも私のライフワークともいえる仕事ですので、これからも役に立つことがあればお手伝いをしていきたいと思っています。

< ブログで日々を綴る・・・ >
 新年早々私のブログ「山と山の花」をご覧いただき、ありがとうございます。ここは、私の趣味の山歩き、山や山の花の写真、アマチュア無線、パソコン、野菜づくり、観光案内をしている甲府城のこと、その他極端にプライベートなこと以外のいろいろなことを気ままに書き込み載せているささやかなブログです。今年も、前述した「戦前」にならないような私なりの取り組みもこのブログに記事を載せていきたいとも思っています。
 このブログ「山と山の花」の中の特に山歩き、峠歩き、古道歩きに関わる内容に絞ったブログが、「私の山歩き峠歩き古道歩き」です。結構マイナーなバリエーションルートもあります。経路時間参考資料などできるだけ詳しく既述したつもりです。是非ご覧いただき参考にしてください。(もちろんあくまで参考で、実際歩く時は自己責任でお願いします。)

< ホームページもご覧ください >
 さらにこれらのブログとは別に、私のホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」があります。ホームページは、内容的にはこれらのブログと同じようなものですが、山の花の写真や山歩きの記録、アマチュア無線への取り組みの様子などを載せていて、ブログよりはずっと整理した形になっています。特に「山と山の花の写真のページ」は、名前になっていることからおわかりのように、私のホームページやブログは、全てこのページからスタート出発広がったもので、自分としてはとても充実していると思っています。ホームページ「山と山の花、アマチュア無線そしてパソコン」は、ブログからリンクしていますので、こちらも是非ご覧ください。

< ご感想、ご意見、コメントを・・・ >
 ご感想、ご意見などコメントをいただくととてもうれしいです。ブログの記事からコメントがいただけるシステムになっています。記事の下の「コメント」をクリックしてくださると書くことが出来ます。ブログは毎日ではないですが、結構頻繁に新しい記事を書いています。

< それでは、あらためて・・・ >
 今年が、皆様にとってよりよい年になりますよう心からお祈りしております。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2017年11月15日 (水)

「漫画 君たちはどう生きるか」を見る読む

 少年の頃、経済的にも精神的にも我が家は落ち着いておらず、私は不安定な気持ちで日々過ごしていた。年代的にも、心の不安定な頃であったかも知れない。
 そんな中、社会や人間のありよう、人の心のありよう、愛すること、友人について等々、いろいろな意味で私に強い影響を与えた本があった。

 下村湖人の「次郎物語」、井上靖の「あすなろ物語」 ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」など。(少年雑誌、学年雑誌に載っていた概略小説、粗筋物語もあったかも知れない。)
 その中の一冊に、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」があった。今もどこか我が家の物置の本箱の隅に残っているかも知れない。

 今回この「君たちはどう生きるか」が、漫画化発売されたと聞いて、これは中学生の孫に読ませなければと思って早速買おうとした。ところがあちこちの本屋さんに行って探し聞いてみたが、どこも売り切れ品切れだという。残念というより、こんなに売れているんだ読まれているんだと何かうれしくなってしまった。結局インターネットで、注文取り寄せ、手に入れることができた。

 私が少年の頃、この「君たちはどう生きるか」を読もうとした経緯(いきさつ)や、本の中身は詳しく覚えていないが、上に書いたようにものすごいカルチャーショックであったことは覚えている。
 その頃、どういう気持ちでこれを読んだのだろうか。どんな感想を持ったのだろうか。不安定な私の気持ちを落ち着かせてくれたもの、その後の私の生き方を方向付けてくれたものだったに違いない。

 今回改めて読んでみて、社会の中の自分、友達関係のこと、ものの見方、労働など、ちょうど中学生に読ませたい中身だと思った。私が生まれた10年前1937年に出された本とは思えない、いじめ、貧困など現在に通じる話題もある。いや、本の中身全部が、今の子供たちに伝えたいこと、考えてもらいたいことである。
 大筋は漫画であるが、叔父さんがコペル君に宛てたノートの部分は文章で、3~5ページにわたり文章の部分もある。

 孫がどういう反応を示すか、全部読み切るかどうか、どんな感想を持つかわからないが、「私がおまえと同じ頃、ものすごく感銘を受けた本だよ。」といいながら渡そうと思っている。

  ・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 「漫画 君たちはどう生きるか」
   原作:吉野源三郎 漫画:羽賀翔一 マガジンハウス 2017年10月第5刷

2017年9月26日 (火)

私のブログ「山と山の花」の記事数が1,000件に

 私のこのブログ「山と山の花」の記事数が、今書いているこの記事で1,000件になった。このブログを書き始めたのが、平成14年(2002年)1月5日からだから、15年半年余りで記事数1,000件になったということである。

 多分記事をいっぱい書いてアクセス数も多いブログは他に沢山あるだろうけれども、15年間コンスタントに記事を書き続け、記事数1,000件になったブログはそれほど多くないだろう。結構みんなに読まれ有名になったブログも、いつの間にか更新されなくなりいつの間にかなくなっていたということが多いのだ。

 このブログは、ブログのタイトルにしているように、主に私の山歩きの記録を山や山の花の写真とともに載せているが、その他アマチュア無線、パソコン、野菜づくりのことなどを載せている。最近は、「定年後の暮らしは」というテーマで、読書、映画、甲府城の歴史、生涯学習で学んだことのレポートなど多種多彩の記事のアップになっている。

 少し巾が広がりすぎたかなという感じもあるが、ブログの記事が多方面に渡り頻繁に書かれ載せられているということは、それだけ私が充実した日々を過ごしているということだろう。

 このブログは私が今生きている証なのだ。このブログが書き続けられているということは、私が生きているということなのだ。

 こちらもお読みください → ブログを10年書いてきて

2016年12月26日 (月)

ゴム動力模型飛行機

 自分史に加えること一つ。

 昭和30年代、小中学校生の頃のことである。身延線東花輪駅から先日書いた花輪四ツ角までの間が、その当時私の家から一番近い色々の商店が並ぶ通りであった。

 一番駅に近くの左側に、その頃行っていた床屋さん(*)、そして次に生鮮食品雑貨の佐野屋さん、そしてしばらく行くとこれまた以前書いたことのある映画館「宝嶺」があった。
 駅からの通り、右側には確か和菓子屋さんがあったような記憶がある。そして更に先に歯医者さんがあった。この歯医者さんには何回か通った。

  (*)この床屋さんに通ったのは、もっと後かもしれない。
     この頃は、家でバリカンで丸坊主にしてもらっていたかも。

 先ほど書いた映画館の隣に近辺にはなかった薬屋さんがあった。薬の他のものも売っていたようで私は、そこでゴム動力模型飛行機の制作セットを買ったのである。七五三の飴袋のような細長い紙袋(ビニールの袋もあったか)に飛行機セットが入っていた。

 この飛行機は私の兄がよく作っていて、それで私も作るようになったようだ。竹ひごをろうそくの火であぶり曲げて翼などを作っていった。竹ひごをヒューム管で繋ぎその部分をうまく曲げて、飛行機がよく飛ぶように調整したりした。竹ひごで作った翼、尾翼などに薄い紙を張った。プロペラは、最初は薄い木製だったが後になるとプラスチックになったような気もする。プロペラを回す動力は何重にもしたゴムひもであった。

 完成した飛行機は調整してもなかなかうまく飛ばないことが多かった。それでも時々は上手に出来て、結構うまく飛んだものもあった。上へぐんぐん上がり、水平飛行に移り、そしてゴム動力が尽きゴムが垂れ下がりながらもグライダーのように遠くまで飛んだこともあった。うれしい気持ちでいっぱいだった。

 飛ばしたのは近所の稲を刈り終わった広い田んぼが多かった。だからよく飛ばしたのは、もしかしたら今の時期であったかもしれない。

 遙か昔の少年の頃の思い出。おとなしく本を読んでいるのが好きな少年だったが、戸外の遊びも結構やっていたのだ。

2016年12月10日 (土)

懐かしい風景 西花輪交差点(花輪四ツ角)

 先日の地元の新聞山梨日日新聞に、西花輪交差点の拡張工事が終了、完成したとの記事が載っていた。
 この交差点は、甲府から市川方面へ向かう県道と南アルプスから浅原橋を渡って身延線東花輪駅前を通り豊富方面に向かう県道が交差する四ツ角で、朝夕通勤時などよく渋滞していた場所だ。右折車線が出来たそうで、これからはだいぶスムーズに通り抜けられることだろう。

 実はこの四ツ角は、私にとってとても思い出深い場所なのだ。遙か昔私が幼稚園か小学校低学年の頃、よく母親に連れられ母親の実家に行くときに乗ったバスの停留所がこの四ツ角にあったのだ。
 我が家から歩いて身延線東花輪駅前を通り、四ツ角まで20分ほどだったろうか。四ツ角はまだ舗装もしてなくて砂利のデコボコ道だった。天気のいい時には、車が通ると、砂埃がもうもうと舞っていた。
 ここの停留所から確か鰍沢車庫行きだったろう、ボンネットバスに乗り、浅原橋を渡って南湖、大椚を通り青柳追分で降りた。その近くにあった親戚に寄り、そこからまた歩いて母親の実家のある舂米まで向かったのだ。どれくらいかかっただろうか、ゆっくり歩いて1時間ぐらいかかったのだろうか。今だったら車で30分40分ぐらいで行けるが、その当時は半日仕事だった。

 新聞の一つの記事を読み、遙か昔の小さい子どもの頃の風景と、若かった母親の姿を思い出したのだった。

2016年9月25日 (日)

カムバックハム 「JCC-500」アワード申請 アマチュア無線健在 

 先日「JCC-500」アワードを、JARL(日本アマチュア無線連盟)に申請した。「JCC-400」を受賞したのが、平成4年9月だから実に24年ぶりに「JCC-500」の申請が出来たということである。カムバックハム(平成27年6月カムバック)でここ一年余、主に7MHzと3.5MHzで精力的に交信を重ねた成果で、大変うれしく思っている。

 「JCC-500」というのはJARLが発行しているアワード(交信した地域や局数などの成果を証明し称えるもので証明書や認定書といったもの)で、日本国内の異なる500市のアマチュア無線局と交信して、 QSLカードをそれぞれの市のアマチュア局から各1枚得るというアワードである。平成22年4月からは、東京23区も一つの市として有効となった

 アマチュア無線人口が減ってきているといわれて久しいが、7MHzと3.5MHzを改めてやってみると、まだまだ沢山の人がアマチュア無線を楽しんでいるのがわかりうれしくなる。QSLカードの交換などしなくて、もっぱら無線機の話、機械やアンテナの話を延々とする方もいる。それはそれでいい。アマチュア無線の楽しみ方は人それぞれだ。

 私は沢山のQSLカードを集め、それぞれの人が工夫して作った素敵なカードを眺めたりまたそれを使ってアワードを申請したりするのが好きなのだ。
 JCCは800まである。まあ800は無理だろうと思うが、せめて次の目標を600と定め、アクティブにアマチュア無線を続けていこうと思う。

  ” たかがアマチュア無線、されどアマチュア無線 ” 

2016年6月24日 (金)

霧ヶ峰「コロボックル・ヒュッテ」のこと

 私の部屋の書棚に平凡社発行の新版「邂逅の山」がある。もうずいぶん前に買い、チラチラッと読んでそのまま他の山の本と一緒に本棚に並べてあった本である。この本を書いたのが、手塚宗求さんで「コロボックル・ヒュッテ」の創設者だ。改めてこの本を通して読んだ。
 
 この「コロボックル・ヒュッテ」を実際見たのは今回(6月14日)が初めてであるが、もしかしたら私が山を頻繁に歩くようになったのは、この「コロボックル・ヒュッテ」の辺りが写っている霧ヶ峰の写真をずいぶん前見たからかもしれないと思う。
 
 今回霧ヶ峰を歩いた時に撮ったのが下の写真だが、この写真と同じような白黒の写真が何かの本に載っていたのだ。上に書いた「邂逅の山」ではない。どの本に載っていたのか定かでないが、正にこの写真と同じような写真であった。不思議と心惹かれ、山へ憧れの思いがより一層強くなったのだった。

<蝶々深山から車山湿原方面に下ったところから車山肩方面を撮った写真である。中央右の林の中に「コロボックル・ヒュッテ」がある。>
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  「新版 邂逅の山」 手塚宗求 平凡社 2002年8月10日初版第一刷

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山と山の花セレクション

  • マツムシソウ
     山登り山歩きの折、撮りためて来た写真を主に「山と山の花セレクション」をまとめました。ご覧ください。

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     山歩きの折に撮った山と山の花の写真・・・「続 山と山の花」です。ご覧ください。
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