カテゴリー「甲府城・歴史」の130件の記事

甲府城にまつわる色々なこと 歴史はおもしろい・・・ 

2020年12月22日 (火)

「木喰の里 微笑館」を訪ねる

道の駅しもべの入り口にある石碑に・・・

 木喰さん

   まるまると

   まるめまるめよ

   我が心

   まん丸丸く

   丸くまん丸 

 

 国道300号線を、下部駅入り口から本栖湖方面に走り、道の駅しもべに寄る。木喰の里微笑館への道を訪ねると、地図を渡してくれ道順を丁寧に教えてくれた。それでも入り口がよくわからず、一度は通り過ごしてしまった。
 Dsc_01091道の駅から600m程進み旧道を古関方面に向かう道に入ってすぐ、戻るように鋭角に曲がると、もう車が一台しか通れないぐらいの舗装の道になった。対向車が来るとやばいなと思いながら、進むDsc_01101 。10分ぐらい進んだだろうか、左下に木喰上人の生家を見て更に進むとちょっとした丘のようなところ右側に、「木喰の里微笑館」があった。

 前回来たときと同様、管理人さんが丁寧に対応してくれた。お茶を出してくれビデオのスイッチを入れてくれた。このビデオは、UTYテレビが特別企画で木喰上人を特集したときに作ったビデオだったような気がする。Dsc_01121

 ビデオを見終わって展示室へ。今回の企画展メインの、柳宗悦が木喰上人のことや生涯のことを綴った雑誌「女性」の展示が興味深かった。今回の企画展の内容を、本にでもして売ってくれればいいなと思ったのだった。

Dsc_01211  管理人さんに、四国堂の場所を聞くと、微笑館の外に出て教えてくれた。なるほど見下ろすと、さっき通ってきた木喰の生家のそばの森の中に四国堂が見えるではないか。生家の近くの道脇に車を駐め、山道を四国堂に向かった。2~3分で着いた。当時の四国堂の建物ではないそうだが、趣のある建物だった。

 管理人さんが、四国堂の場所を教えてくれたときのこと、微笑館から眺めた四国堂の上ずっと先に、天狗岩の麓の峰山の集落が見え、そして以前この丸畑の集落を遙か眺めた林道折八古関線が眺められた。Dsc_01131

 帰りは微笑館のある丸畑から西方向へ進み、横手を通り市川大門下部身延線に入った。丸畑に行くのに、300号線から入るより、こちらの道の方が、マイクロバスでも通れるほどの道でこちら周りの方がいいかなと思ったのだった。

 こちらもご覧ください
  2011年3月7日の記事 → 旧下部町丸畑 木喰の里微笑館 
  2018年10月1日の記事
          → NHKテレビ日曜美術館「微笑む仏」を観る
  2019年1月28日の記事 → 「木喰上人作 木彫仏」展を観る

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2020年12月 7日 (月)

え~、これで終わり? 佐伯泰英の『空也十番勝負 青春篇』

 佐伯泰英『居眠り磐音』51巻の続編、『空也十番勝負 青春篇』全7巻を読み終わった。『居眠り磐音』ほどではないが、それでも楽しく嬉しく読み進めることが出来た。次を期待し、わくわくしながら本を読み進めることの出来る楽しさ嬉しさ・・・時々本を閉じて、大げさにいうと生きている喜びをかみしめるのだった。

 『声なき蟬』で薩摩を出た空也は、八代、人吉、福江、対馬、平戸と長い武者修行の旅を続け、長崎に辿り着く。そして最後、薩摩以来因縁の酒匂太郎兵衛と闘い、相打ちで死ぬ。
・・・寛政十年師走の未明、聖寿山崇福寺の大雄宝殿の石畳に空也は地に紛れて転がっていた・・・
 なんということだ。物語もここで終わってしまう。鹿児島から長崎までの武者修行旅を丁寧に丁寧に描いていたのに、最後の場面のこのあっけなさは何だ。

 終わるのなら、武者修行をやめ、江戸に戻る、眉姫と一緒になる、尚武館道場の跡継ぎになるなど物語はまだまだ沢山あったろうに。楽しみにこの空也シリーズを読み進めてきたものとしては、単純だがハッピーエンドで終わってほしかった(^0^) 

 現実的えげつない話だが、結局柳の下で『居眠り磐根』を狙ったが、それほどこの『空也十番勝負』シリーズが売れなかったということだろう。出版業界厳しい時代だからな~。


・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


 『空也十番勝負 青春篇 声なき蟬 上』佐伯泰英 双葉文庫 2017年1月11日

 『空也十番勝負 青春篇 声なき蟬 下』佐伯泰英 双葉文庫 2017年1月11日
 『空也十番勝負 青春篇 恨み残さじ』佐伯泰英 双葉文庫 2017年9月17日
 『空也十番勝負 青春篇 剣と十字架』佐伯泰英 双葉文庫 2018年1月9日
 『空也十番勝負 青春篇 異郷望みし』佐伯泰英 双葉文庫 2018年6月17日
 『空也十番勝負 青春篇 未だ行ならず 上』佐伯泰英 双葉文庫 2018年12月16日
 『空也十番勝負 青春篇 未だ行ならず 下』佐伯泰英 双葉文庫 2018年12月16日

 2020年9月7日の記事 → 『空也十番勝負 青春篇 声なき蟬(上) (下)』を読む

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2020年11月20日 (金)

甲府城四季巡り 深まる秋

 四百二十年余前、豊臣秀吉の重臣浅野長政幸長によって築城された甲府城・・・それ以来お城の様相は変わり住む人は変わっても、毎年春には桜が咲き、秋には木々が紅葉し、大勢の目を楽しませ、そして多くの年を重ねてきたのだろう。
 今年も甲府城の木々が赤く黄色く紅葉している。風が吹くと葉っぱが舞い散り芝生の上に落ちる。織る錦・・・

 *以下、是非写真をクリック、拡大してご覧ください!

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 コロナ禍、それでも相変わらず甲府城を訪れる人は多い。来城者の多くの人が「お城がきれいですね。よく整備されていますね。」といってくれる。ありがたいことだ。自分が褒められているような気持ちになる。
 この時季とすれば暖かい日射しの中・・・着物姿の若い二人が和む、結婚式の写真の前撮りだろうか。お母さんと一緒の子供たちが楽しそうに走り回っている。

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 これから先も、甲府城は毎年毎年木々が紅葉する時季を重ねていくことだろう。どんな風に歴史を積み重ねていくのだろうか。

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2020年11月14日 (土)

武田勝頼悲劇の城 新府城本丸北側虎口発掘現場説明会に参加

 韮崎市教育委員会が企画した国史跡新府城跡散策会(本丸北側虎口発掘現場説明会)に参加した。

 新府城駐車場を出発、お城北側のお堀辺りから乾門桝形虎口、隕石が落ちたクレーターのような井戸を通り、笹竹を切り開いた小道(帯曲輪の一部と思われる)を発掘現場へ向かう。

<新府城北側の堀 ここは水堀だが空堀もあった>
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<乾門桝形虎口 以前発掘した際、向こう側にあった門の辺りには
                   柱の燃え残りもあったという>
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 発掘現場に到着、沢山の土嚢が、発掘の大変さを物語っていた。本丸の北側中央辺り、土塁がその部分だけ低く、虎口があったことがわかる。遠くに八ヶ岳が望まれ、新府城本丸の重要な入り口、門であったのだろう。発掘で見つかった五個の礎石のいくつかの辺りには赤茶けた焦土が見えるのだ。礎石も火の熱で表面が剥がれ、石片が周りに散っているのが確認できる。
 戦国時代、武田勝頼が勢力復活、新しい統治を目指し、造営した新府城・・・わずか三ヶ月足らずでで戦国時代には珍しいことではなかったこととはいえ、その新しい城に火を着け、逃亡しなければならなかった勝頼の気持ちを想う。

<発掘現場 本丸側から北を見ている>
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<礎石の石片が剥がれている 右側には赤茶けた焦土が見える>
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<礎石に被さっている土帯の上が徳川家康が
   天正壬午の戦いの際陣地として使った時の土表と思われるという>
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 発掘現場を離れ三の丸から大手門へ向かう。富士を眺める雄大な大手門。かっての発掘では、ここからは残念ながら礎石も何も見つからなかったいう。果たして門はあったのかどうか。その先には三日月堀が復元されていた。

<新府城大手門跡 この先に丸馬出 三日月堀がある
    富士山が見える ここからの富士山を勝頼も眺めたのだろうか>

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<三日月堀跡>
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 韮崎市教育委員会の閏間俊明さんの面白楽しい詳しい説明に感謝。

       (令和2年11月13日歩く)

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2020年11月 7日 (土)

「日本遺産認定 甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡」をテーマ 「輝きの会」の活動

 勧学院中巨摩学園第25期生同窓会「輝きの会」の今回の活動は、「日本遺産認定 甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡」をテーマにして、甲斐市教育委員会の大嶌正之先生を講師に、午前中敷島総合文化会館で講義を聞き、午後がフィールドワーク(現地見学)となりました。

 最初に訪れたのが、甲斐市総合公園内にある旧金桜神社一の鳥居。この鳥居は、かって御岳道の通り道であった吉沢地内の田んぼの中に倒壊しているのが見つかり、後に金峰山を望むこの地に復元されたのだといいます。あいにく金峰山は見えませんでしたが、この鳥居は金桜神社の本宮のある金峰山を望めるように設置してあるそうです。この鳥居をくぐり参拝者が金桜神社や金峰山に向かったのだと感慨深い見学となりました。

 次に訪れたのが、「甲斐国志」神社部にも載っている「御霊若宮」。場所は、有名な亀沢の千枚田(棚田)の近く、御岳道が千塚から片山西を周回し荒川を渡り上道下道へつながる登り口あたりです。もっと簡単にいうと、韮崎双葉方面から伸びてきた茅が岳東部広域農道が亀沢川を渡るものすごく高い橋(亀沢大橋)を渡りきったところ辺りです。(この橋はまだ開通していません。)
 こんなところにという感じで石の祠、欠けた石のお犬様などが並んでいました。確かにこの辺りに神社があったのだと想像できます。御霊若宮は、別名「姫宮」ともいい、3月10日と6月14日の御霊には金櫻神社から神輿を迎え入れていたという記述が甲斐国志に載っています。

 今回は行きませんでしたが、以前この近くにある常設寺にある順徳天皇が佐渡から金桜神社に勅使を使わした際に奉納品をのせた輿「白輿」も日本遺産認定 甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡の構成文化財の一つになっています。

 この後、最近開館した武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)を見学、お開きとなりました。大変有意義な為になった講義フィールドワークでした。講師の大嶌先生に感謝申し上げます。

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2020年10月27日 (火)

要害城の支城「熊城」の役割は

 甲府市教育委員会主催「要害城築城500年・信玄公誕生500年記念講演会」で、『要害城(本城と支城)を探る』と題した武田氏研究会事務局長の山下孝司さんの話を聞いた。講演の中で、”熊城の役割”について私にとって大変興味ある話があった。

 山梨万力筋から、太良峠を越える道の他に、岩堂峠を通って積翠寺に抜ける重要な道があった。その道が、熊城の南麓を通る。ここでこの道を通って要害城やつつじが崎館に攻め入る敵を防ごうとしたのだという。熊城の曲輪などには、南側(岩堂峠から下って来る道側)に土塁が築かれている。また熊城の特徴ある畝状竪堀も南側に築かれている。
 こういうことを考えると熊城は、単に要害城の詰城支城ということだけでなく、城そのものが万力筋から要害城やつつじが崎館へ攻め入る敵からの防御のために造られたと考えるというのである。

 以前、積翠寺側から岩堂峠に登った時も、春日居町側から登った時も、この道は何か昔からの古い道ではないかと思ったことがあった。また熊城から尾根伝いに下り降り着いた時、尾根の麓左上から岩堂峠からの道が下って来ていてこの道は何かいわくのある道ではないかと思った。
 これらこの時感じたことが、今回の講演を聴いたことで、はっきりわかったように思いうれしかった。

 
 平成19年6月4日の記事 → 春日居側から岩堂峠へ
 平成26年1月19日の記事 → 帯那衆 穴口峠を越える
 
 平成28年4月11日の記事 → 「熊城」へ 
 令和2年9月17日の記事 →
  山梨百名山「要害山」に登る 「要害城」とその支城「熊城」

  

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2020年9月17日 (木)

山梨百名山「要害山」に登る 「要害城」とその支城「熊城」

【山行日】令和2年9月11日(金)
【天候】晴時々曇り
【コースタイム】
 要害山登山口(9:00)~(9:50)要害山(要害城)(10:00)~(10:25)熊城へ分岐点(10:35)~熊城~(11:25)林道へ出る(水道施設・神社)(11:35)~(12:00)要害山登山口
【参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 甲府北部 」 平成2年2月1日 国土地理院
 「新版 アタック山梨百名山 」山梨メープルクラブ編 山梨日日新聞社 平成22年4月28日

<要害山(要害城)へ>
 以前、「要害温泉」だったところの入口の道路脇に駐車。橋を渡ったところが要害山登山口だ。甲府市教育委員会作成のずいぶん立派な「史跡 要害山」の説明板がある。その説明板では支城「熊城」の事にも触れている。永正17年武田信虎により、要害城は築かれたが、同時期に「熊城」も築かれたという。

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 *下の写真はクリック、拡大してお読みください。
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 武田不動尊のある曲輪、その他いくつかの曲輪と門跡を通過すると、主郭への階段、門跡がある。

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 主郭は高く伸びた草で覆われ、武田信公誕生の地の碑も、山梨百名山の標柱もうっかりすると見落とすぐらいだ。

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 要害城主郭から先、東に進む。裏門跡らしきところ周りには、土塁や石垣も見える。更にその先には、竪堀跡、土橋といった感じのところもあった。要害城への正面入り口の登りより、この裏口の竪堀の方が大きくはっきりしている。

<要害城から熊城へ>
 要害城をそのまま東に更に進むと、案内看板がありそこを右に。しばらくトラバース気味に進む。吸い殻入れらしき土管のあるところの尾根を下るのが熊城に行く山道だ。要害城とは谷を挟んで南側の尾根筋に当たる。

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<いよいよ熊城>
 わずかの踏み跡を辿り、尾根を下る。一カ所ちょっとしたピークで右か左かと迷うところがあったが、右の道を進み正解、間違いはなかった。尾根上に残る最初の大きな堀切は、かなり深い。私自身何とか堀切を越えられたという感じだ。
 背後からの敵の侵入を防ぐに十分だ。大勢で攻めたら、多くの兵士が両側の谷にすべり落ちてしまうだろう。

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 小さな曲輪と思われる場所もある。いくつかの堀切を越えると、主郭らしきところになる。周りには土塁や石垣も見える。左側、畝状竪堀があると思われる場所あちこちを覗いたがはっきり確認できなかった。

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<これは畑の跡か>
 かなり下り、間もなく林道に出るというところに平らな場所、石垣もあるが、これは、熊城とは関係ないようだ。後の時代、畑だったか、石を採ったのではないかと思われる。
 深草観音へ行くコンクリート道に降り立ってほっとする。結局1時間ばかりかけて土管のあったところから熊城を見ながら下ってきたことになる。

<要害城裾野を歩く>
 コンクリート道に出たところから、林道を50mばかり下ったところ(途中に神社や水道施設がある)から、右の山道に入る。最初は急なコンクリートの登りの道で、尾根をずっと下ってきた身には応える。しばらくすると平らな道になり、先ほど登った要害城へ向かう山道に出てやれやれ。要害城の西側の裾をトラバースするように歩いたことになる。

<見応えがあった熊城>
 要害城も曲輪、竪堀、石垣などがあったが、むしろ熊城の方が堀切、曲輪、石垣など往時が忍ばれ、見応えがあった。急な尾根を苦労して下りつつ、見つけた城跡だったからかもしれない(^0^)
 畝状竪堀がはっきり確認できなかったのは残念。

 *曲輪や石垣もそうだが、竪堀、堀切は写真に撮るが難しく、よくわかるように撮れなかった。

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2020年6月22日 (月)

甲府城跡にアジサイ咲く

 甲府城跡(舞鶴城公園)は、梅、桜、そしてクチナシ、ツツジと綺麗な花々が次々と咲き、花の名所でもあります。また、富士山や石垣をバックに撮る秋のモミジの景色や、天守台から撮る白根三山南アルプスの白銀の山々は、インスタ映え!と写真を撮る人もいる季節感いっぱいのいいところです。

 今はアジサイが綺麗に咲いています。稲荷櫓の東、高い石垣下の小さな公園の周りに色とりどりのアジサイが咲いています。本当は、この公園から、稲荷曲輪に上る坂道の両側にもアジサイがいっぱい咲いているのに、今は柵の工事中で通れないのが残念です。

 新型コロナ流行が早く収まり、また大勢の人が、甲府城跡を訪れてくださるのを心待ちにしているのです。甲府城御案内仕隊は、今案内活動自粛中です。

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2020年5月24日 (日)

こんなところに甲府城お堀跡(その26) ~ 三の堀跡を辿る 近習町口から甲斐奈神社裏あたり ~

< 日本100名城に数えられる「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。往時 甲府城には内堀(一の堀)、二の堀、三の堀があったが、明治以降そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、甲府市内の普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。>

 今回は『平成甲府城下町絵図』(*)でいう近習町口から甲斐奈神社裏あたりまで三の堀跡を辿る。

 甲府城跡今の遊亀橋の東側にある庄城稲荷と、甲府市の旧社会教育センターの間の道を東に進み、JR中央線の踏切から南に向かう桜町通りを突っ切る。『甲府城城下町絵図』によると、この辺りに「近習町口」があったという。
 20~30m進むと左側に車20台ほどとめられそうな駐車場があり、その北西隅に小さな石の祠(由緒のあるものか、ここにあったお宅の屋敷神様か?)がある。Imgp90211 ここから駐車場の北隅を巾30㎝ほどの側溝が東方向に向かっている。この側溝が三の堀跡だろうか。

 更に東に進むと境町通りにぶつかり、その向こうに結構大きい駐車場がある。この駐車場の北側を側溝が東に進んでいる。駐車場の北東隅で直角に曲り、南に向かう。この曲がり角駐車場北東隅に石の祠が2棟ある。二つとも結構大きい石の上にのっている。Imgp90081 駐車場の東側を南進した側溝は、駐車場の南東隅で直角に曲り東に向かう。
 東に向かう側溝は、ちょうど横近習大神宮の東側にある大きな駐車場とカトリック甲府教会の北側に当たる。この側溝が三の堀跡だろうか。今回確認できたのはここまでで、この後は三の堀跡側溝も暗渠も確認できていない。
 途中で一度クランクして立川ケースの建物の一軒おいて南側に至る。

 三の堀跡は、長禅寺ガードから南進してくる通りを突っ切って旧富士川小学校の敷地の南側を東進しているはずであるが、個人住宅が並んであり側溝も暗渠も確認は出来なかった。

 旧富士川小学校校地に沿って南側を東進した三の堀跡は、ちょうど校庭の真ん中あたりで曲がり、南進することになる。そして東進してきた横近習通りが終わりになるあたりにある松田菓子店一軒おいた東側で通りを突っ切り、Imgp90151 住宅街の中で向きを変えて東に向かう。そしてようやく瑞泉寺、甲斐奈神社の北側に至る。この辺りの三の堀跡は残念ながら側溝も暗渠も確認できていない。そもそも側溝暗渠も見当たらない。

 写真右上;近習町口があったというあたりから20~30m東にある駐車場北西隅にある石の祠
 写真左上;境町通りの東にある大きい駐車場 左塀沿いの側溝が三の堀跡だろうか 向こうに大きい石の上に乗っかっている石の祠二つが見える
 写真右下;写真中央、松田菓子店の向こうに見える黄色い柵のところで三の堀跡が右に突っ切る?

(*)『平成甲府城下町絵図』作成;山梨県埋蔵文化財センター 協力;甲府市教育委員会

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2020年3月18日 (水)

甲府城 桜花咲く

 今日は、いつもなら甲府城案内ボランティアに行く日。けれども甲府城御案内仕隊は、新型コロナウイルス流行対策で、3月いっぱい活動停止中だ。

 いつもなら、自分の目で見て桜が綺麗に咲くのを確認するのだが、寂しいことに今年はラジオの放送で甲府城のヒガンザクラが咲きはじめているというニュースを聞いた。

 そんなことで、今日は案内活動はなしだが、天気が穏やかで、写真日和・・・、甲府城の桜を撮りに出かけることにした。

 案の定、稲荷曲輪のヒガンザクラはほぼ満開、桜の木の下で少女たちがビニールシートを敷き、楽しそうにおしゃべり。いつもの光景に心が和んだ。親子連れも楽しそうに写真を撮っていた。

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 甲府城のカワズザクラは、今の時期に咲く。野面積みの石垣をバックに咲く、天守台東下稲荷曲輪のカワズザクラを撮った。

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 ソメイヨシノも甲府城では、五輪以上咲いていたので、開花宣言! 鉄門下、中の門辺りのソメイヨシノを撮った。

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 お稲荷さんがある甲府城第一駐車場の辺りのヒガンザクラは五咲きというところか。

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 案内活動なしで、何かいつも足を踏み入れない場所へも足を運べ、いつもとちょっとちがった角度で桜の写真が撮れ、楽しかった。花見のお客さん、お城見学らしき方々もいっぱで、お城案内活動を早く再開できたらと思ったのだった。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
   レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED 

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