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カテゴリー「甲府城・歴史」の109件の記事

甲府城にまつわる色々なこと 歴史はおもしろい・・・ 

2019年8月10日 (土)

定年後の暮らしは読書三昧 佐伯泰英「居眠り磐音」を読む

 佐伯泰英の「居眠り磐音」を読んでいる。今、江戸双紙17巻「紅椿ノ谷」だ。この先 30巻 ぐらいまであるようで、まだまだ楽しめるということでうれしい限りだ。

 この小説は、映画化されたりテレビドラマ化されたりで観ている。映画は観たがまったく物足りず、ブログに書く気にもならなかった。
 テレビの方は先日までBSプレミアムで再放送がされていた。ドラマの最後で、磐音とおこんが江戸に向かって草原の中の一本道を二人で手に手を取り歩き遠ざかって行くシーンが印象的だった。ハッピーエンドだ。

 多分、小説通りテレビドラマ化されたのだと思い、お話のラストはわかるわけだが、小説本は実に面白い。テレビにはなかった話もいっぱいあり、甲州市川陣屋とか鰍沢、十谷大柳川が出て来たり、必然的に江戸のこの時代の様子、歴史に関わる話も出て来たりで、これから読み進んでいくのが大いに楽しみである。

 一冊を読み終わり、次を読み進めることの楽しさといったらない。何か読んでいるとき、不思議と心が落ち着くのだ。

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

 

 「居眠り磐音 江戸双紙17 紅椿ノ谷」 佐伯泰英 著 双葉文庫 2010年11月11日第31刷発行

2019年6月 1日 (土)

甲府城二の堀跡に新青沼橋架かる こんなところに甲府城お堀跡(その20)

<日本百名城に数えられる「甲府城(舞鶴城)」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。>

 以前、甲府城二の堀跡で紹介した堀(*)に新しい橋が架かっている。甲府駅脇の信玄公像前の道路を300mばかり西方向に進むと突き当たりに広い駐車場がある。Imgp56240 今その駐車場を斜め左に突っ切り、横沢通り方面に向けて新しい道路がつくられている。この道路が出来上がると、横沢通りから甲府駅に行くのにずいぶん便利になるだろう。(もっとも横沢通りのJR中央線ガードは長い間、工事で交通止めになっていて開通が何時になることやら。)

Imgp56250  その新しい道路が二の堀跡を越える橋が「新青沼橋」だ。もう真新しい銘板が取り付けられている。この工事で、この辺りの二の堀跡は、前に紹介したときとは(*)ずいぶん変わってしまっている。

 これまでの時代の流れの中で、残っていた甲府城のお堀跡も姿を変えて来たのだろうし、これからもさらに変わっていくだろう。仕方がないという気持ちもあるが、何か寂しい気持ちがする。せめて甲府城お堀跡とかの説明板でも設置されるとうれしいのだが。

 

写真右上;西側横沢通り側から撮っている。手前から伸びている道路が写真中央で二の堀跡を渡る。そこに新青沼橋。左に見える茶色の大きな建物は最近出来た大原学園の建物。公務員志望の大勢の学生さんが勉強している。

写真左下;二の堀跡がここでクランクし北に向かう。側壁も以前とは違い新しくなっている。JR中央線の線路を潜って北へ続いている。 

(*) 「こんなところに甲府城お堀跡」(その7) 共立病院北側 二の堀跡

2019年5月30日 (木)

こんなところに甲府城お堀跡(その19)深町河岸跡付近からさらに北へ 三の堀跡

 前回紹介した深町河岸跡付近で濁川を東方向に分けた甲府城三の堀跡(*)は、北へ向かう。三日町通りの秋葉神社東の信号をさらに東に進む一方通行の狭い道を斜めに突っ切った三の堀は、さらにさらに北に進み教安寺の西の外れを通り城東通り(国道411号)を横切る。この辺りの三の堀の東側にはこの教安寺、そして尊躰寺がある。この二つのお寺も甲府城に深く関わっているが、詳細は別の機会に。

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<秋葉神社東の信号から50~60m東に進んだところ、一方通行の狭い道から南方向を撮っている。>

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<黒い扉の向こうが三の堀。城東通りへ出るところ。城東通りから南方向を撮っている。>

 三の堀跡は、今は国道411号線(以前は甲州街道、国道20号線)になった城東通りを暗渠で潜り、中銀東支店の駐車場辺りを北に向かい甲斐奈通りに出る。


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<中銀東支店の建物と駐車場の間を結構広い暗渠で三の堀が北に向かっている。>

 ここから先は、写真正面の扉からまっすぐ北へ工場などの西端を進み甲斐奈通りを横切ることになる。さらにその先はおそらく甲斐奈神社の東端を北上し、甲斐奈神社の北側を西に向かうのだろうがその辺りは、もうよくわからない。

 藤川の手前で西側に向かう三の堀は旧富士川小学校の南側をさらに西へ進み、甲府城下町近習町口辺りで一の堀(内堀)へ続く。

 (*)こんなところに甲府城お堀跡(その18)深町河岸跡付近から北へ進む三の堀跡

  <参考文献>「平成甲府城下町絵図」山梨県埋蔵文化財センター

2019年4月29日 (月)

こんなところに甲府城お堀跡(その18) 深町河岸跡付近から北へ向かう三の堀跡

<日本百名城に数えられる「甲府城(舞鶴城)」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。>

 山梨学院大学の広いキャンパス南側に新しい広い道路が東西に走っている。和戸通り東部市民センター交差点から、西に延びる城東バイパス(都市計画道路和戸町竜王線)だ。この道路が身延線を高架で越え朝気一北の交差点を過ぎ100mばかり進むと、濁川沿いの狭い一方通行の道路になってしまう。この道路が更に西進し連雀通りとなり市街中心部に向かうのである。知る人ぞ知る渋滞道路を避ける抜け道だ。今、この辺り、城東バイパスを中央四丁目交差点、平和通り相生交差点につなげる工事の真っ最中である。この辺りの濁川、三の堀の景観もまた大きく変わっていくだろう。(現にもう濁川沿いにあった笠森稲荷大神社は、近くに移転してしまった。)

 さて、城東バイパスが濁川沿いの狭い一方通行の道路になって、300mばかり西に進むと左にクランクした濁川に架かった橋を渡る。この辺りが濁川深町河岸跡である。ここの橋を渡ったところ右側を北に向かう狭い道路がある。その脇に甲府城三の堀跡がある。もうお堀というより側溝といった方が当たっている。若松町辺りから何度かクランクし北に進んできた三の堀がここにつながるのである。この堀跡は、このまま北に進み教安寺の西の外れを通り城東通りを暗渠で潜り、中銀東支店の駐車場辺りを北に向かうのである。

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<濁川から分かれ、北へ向かう三の堀跡。遠くに見えるのは愛宕山だ。橋のたもとで北方向を撮っている。>

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<小橋南からやはり北方向を撮っている。三の堀が橋の下を通って右側へ進み、濁川になる。三の堀は、橋左側をまっすぐ向こうへ行く道路の脇の側溝となっている。>

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<深町河岸跡付近で三の堀から分かれ、東に向かう濁川。都市計画道路和戸町竜王線の工事が始まっている。河を渡る古い小さな橋が沢山連なっていて生活感一杯だったが、この辺りももうすぐ一変する。>

 <参考文献> 「平成甲府城下町絵図」 山梨県埋蔵文化財センター

2019年4月10日 (水)

甲府城追手橋の擬宝珠

 山梨県立博物館で開催されている「県都甲府の500年」展を見に出かけた。甲府城が今年2月26日に国史跡に指定されたこともあり、特に甲府城関係の展示に注目して見学した。
 その中でも特に私が注目したのが、甲府城追手橋の擬宝珠である。以前、仕事でも趣味のアマチュア無線でも大先輩である沼上順治氏から「お城の橋の擬宝珠を作ったのは私の祖先だ。」と聞いたことがあったからである。
 その実物を見たが、結構重量感があり思っていたよりより大きいものであった。多分常に磨き保管してあったのだろう、真鍮色に輝いていた。この擬宝珠がついた橋を、大勢の武士たちが渡り登下城したのだろう。また時代が流れて、城内にあった甲府中学校(現在の甲府一高)の学生たちが渡って通学していたのだ。
 作者は沼上源蔵藤原巻次で、作られたのは宝永7(1710)年とあった。2点が甲府一高、1点が県立考古博物館に保管されているという。
 最近は、写真撮影可能の美術館博物館など増えているので、係の方に撮影可能かと聞いたが、不可ということで残念。ま、実物を見たのだからよしとした。

2019年3月27日 (水)

甲府城の桜 3月27日

 今日、甲府の桜開花のニュースがありました。風もなく穏やかな天気で、甲府城にはお城見学のお客さんに加えて、花見のお客さんもいっぱいで大賑わいでした。

 甲府城のコヒガンザクラは今正に満開です。桜の木の下にシートを敷いて桜見物の人たちが楽しそうでした。

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 ソメイヨシノの花も咲き始めています。木によってはもう満開に近い木もありました。

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 カワヅザクラも野面積みの石垣をバックに満開です。

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 稲荷櫓をバックにシダレザクラも満開です。

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2019年3月10日 (日)

甲府城から 華光院の太子堂

 山梨県立考古博物館主催の史跡文化財セミナーに参加した。今回は、こうふ開府500年にちなんで「武田城下町を歩く」だった。甲府城に絡みながら、歩いたところを順次まとめていきたい。まず最初は、華光院(けこういん)の太子堂。Imgp50281_2

 華光院は、武田信虎が荒神山(今愛宕山の仏舎利塔がある辺り)に創建したものを、信玄が現在地に移したものだといわれている。

 境内にある太子堂は、元々甲府城本丸にあった毘沙門堂を、亨保9年(1724年)柳沢吉里が大和郡山Imgp50352に転封された後、亨保17年に移築したものだという。

 太子堂へ上る石段の脇にある説明板には、「・・・甲府城に関係した建物の中で、現存する唯一の建物です。・・・」とあった。

 境内から、甲府武田城下町愛宕町の街並みの向こうに南アルプス甲斐駒鳳凰の眺めが素晴らしかった。いいところに華光院太子堂は建てられているのだ。


<参考資料>
「平成 武田城下町絵図」 山梨県埋蔵文化財センター
華光院からいただいた資料 「華光院略縁起」
フリー百科事典『ウィキペディア』 「甲府城」

2019年2月13日 (水)

甲府城の梅 開花情報 平成31年2月13日

 いつもは冷たい風が吹きすさぶ甲府城の天守台も、今日は穏やかで今の時期にすれば暖かい一日でした。お客様も千葉や茨城などから大勢訪れてくれました。
 皆さんが期待してくる富士山は、残念ながら今日は一日中見えませんでした。他は青空なのに御坂山塊の上にだけ雲があり、富士山が隠れてしまったのです。

 いつものように、甲府城稲荷曲輪入口にある梅林の梅の花情報です。先日1月30日に報告したときよりも大分花が開きました。木によりますが紅梅はほぼ満開、白梅はちょっとゆっくりで四分咲きといった感じでしょうか。お花見をするのには、まだちょっと早いかも知れません。

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2019年2月11日 (月)

「甲府学問所徽典館」で学んだ

 私は、「甲府学問所徽典館」で学んだ。もちろん江戸時代ではなく平成時代に。

 平成28年7月からこの「甲府学問所徽典館」が山梨県埋蔵文化財センターの主催で開講され、私は学生になった。一ヶ月に一回、3月まで全部で10回ほどの講義(概説、演習、特論、卒業レポート)があった。夜学であった。毎回、今回はどんな話が聞けるのかとわくわくしながらに通ったのだった。

 平成の「徽典館」は、今の県防災新館の平和通りを挟んで反対側のビル5階の一室で開講された(*)。暗い階段を登って教室に行くと、明るい電気がついていて既に大勢の同期生がいて甲府城や甲府城下町の色々な話がされていて活気に満ちていた。

*当初「甲府学問所」は甲府勤番支配役宅に開設されたが、その後甲府城大手門南三丁(今の甲府市中央公園のあたり)に新学舎が完成、その翌年「徽典館」と命名されたという。

 同期生は、中には既に知っている方もいたが、ほとんどが知らない方たちだった。いずれも前向きで学ぶ姿勢いっぱいの方たちだった。
 「徽典館」の講師教授陣も一流の方々で、ごく新しい情報も含めて、興味ある内容の濃いかなり専門的な話が聞けてうれしかった。学んでいるという充実感があった。
 江戸時代の「甲府学問所」そして「徽典館」で学んだ学生たち(*)も、こんな気持ちで講義を受けていたのではないかと思ったのだった。

(*)勤番士の子息だけでなく、学ぶ姿勢のあるものは庶民でも受け入れたとのことだ。江戸時代末期、徽典館の教授(学頭)や教えを受けた学生が、日本山梨の動き発展に大きく関わったという。

 私は昭和の徽典館(梨大)で学び、そして平成の徽典館この「甲府学問所徽典館」で学ぶことが出来て本当に幸せだと思った。
 この平成「徽典館」で学んだことを、ささやかではあるが社会に還元していこうと思っている昨今だ。

2019年1月31日 (木)

探梅行 甲府城 1月30日

 甲府城の梅園は、甲府駅南口を出たら左方向へ、以前に比べてずいぶん広くきれいになった歩道を、山交デパート北側を東に進みます。舞鶴陸橋の階段は上らず、ガード下を20mばかり過ぎたところで、右のお城の方を見上げるとわかります。稲荷曲輪の入口に紅梅白梅20本ほどの梅林があります。

 今日は、甲府城案内ボランティアの日。大勢の来城者の案内の合間に、花は咲いているかな、まだちょっと早いかなと思いながら、梅園に行ってみました。昨日まで吹いていた甲府盆地の空っ風も止み、この時期としては穏やかで暖かい日でした。でも、やはり梅の花はまだまだでした。
 それでもよく見ると何本かの紅梅の花が少し咲いていました。白梅の木もいっぱいあるのですが、白梅の方はまだ蕾のままです。紅梅の方が花が開くのがかなり早いような気がします。

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 ここ甲府城の梅の花も満開になると実にみごとです。まもなく立春、梅の花がいっぱい咲くのが待ち遠しいです。 

より以前の記事一覧

山と山の花セレクション

  • マツムシソウ
     山登り山歩きの折、撮りためて来た写真を主に「山と山の花セレクション」をまとめました。ご覧ください。

続 山と山の花セレクション

  • ミヤマシャジン
     山歩きの折に撮った山と山の花の写真・・・「続 山と山の花」です。ご覧ください。
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