カテゴリー「甲府城・歴史」の91件の記事

甲府城にまつわる色々なこと 歴史はおもしろい・・・ 

2018年7月 1日 (日)

甲府城址内堀南に「梅ヶ枝旅館」があった

 先日まで、山梨県立文学館で「井伏鱒二展」が開催されていた。その展示の中に私にとって大変興味あることがあった。またその際のパンフレットに面白い記述があった。

 甲府城の南にあった「梅ヶ枝旅館」に井伏鱒二が、太宰治などと共に何度も訪れたという記述だ。その場所は、いろいろ調べていくと今まで私が把握していた甲府城鍛冶曲輪に顕彰碑がある小田切謙明が開設した「海州温泉」があった場所とほとんど同じ場所である。同じ場所か、あるいは隣だったのかもしれない。

 私が甲府城の近くあった職場に勤めていた頃(平成5年頃)、この旅館を何度も眺めたことがあった。入口に大きな松の木のある古い正に昔ながらの旅館風の建物であった。私もその頃は余り意識になかったので、記憶がはっきりしないがもしかしたら一度くらいはこの「梅ヶ枝旅館」の中に入ったことがあるかもしれない。
 この旅館は色々な会議に使われたり、お偉いさんたちが秘密の会議によく使っていたと、同僚に聞いたおぼろげながらの記憶がある。

 この旅館は、「井伏鱒二展」の展示によると、平成20年3月に閉鎖取り壊されたそうだ。(ついこの間まであったんだ。) 今、その旅館があった場所はビルになったり駐車場になったりしている。
 県と市で進めている甲府城周辺の整備計画で、この辺りも大きく変わっていくだろう。「海州温泉」「梅ヶ枝旅館」の建物の復元などということは夢物語か。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2018年3月23日 (金)

甲府城ヒガンザクラ満開

 今日(23日)甲府の桜が開花!というニュースがあった。暖かい日差しに誘われ、甲府城の桜を撮影に出かけた。

 甲府城の稲荷曲輪にあるコヒガンザクラは、今が満開。訪れた親子や若いカップルが、桜の花を見上げてはしゃいでいた。

Higan10

Higan020

 同じ稲荷曲輪にあるしだれ桜は、しだれた下の方の花は結構咲いているのにてっぺんは蕾のままのものも。天守台東下にあるカワズザクラは、三部咲きといった感じだ。カワズザクラは、伊豆では2月に咲くというが、ここの桜は今の時季に咲く。

Sidare10

Kawad10

 鍛冶曲輪のソメイヨシノは、木によって違うが、相対的には二分咲きといった感じか。あと数日で、このソメイヨシノも満開となるだろう。

Somei10

Somei20

 桜の花びら舞う信玄公祭がもうすぐだ。

 おまけの写真は、天守台から見た今日の南アルプス甲斐駒ヶ岳。日本百名山、山梨百名山の一つだ。数年前、この山の山頂に立った。

Kaikoma10

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

2018年2月 1日 (木)

「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) お堀で魚釣り

 老舗シマヤ釣具店が閉店したと、昨日の地元新聞山梨日日新聞に載っていた。先頃のスーパーヤマトといい、地域で馴染みの店がどんどんなくなっていくのが何とも寂しい。何とかならないものかと思う。

 その記事に私に興味あることが載っていた。「・・・シマヤ釣具店は戦国時代末期に雑貨、両替商として創業。甲府城の外堀に放流していた魚を釣る人向けに商売をしていたとされている。明治期に釣り具販売に特化した。・・・」

P1040571 甲府城が出来て、内堀はともかく外堀では釣りも、可能だったろうか。まだ周りには畑や田んぼなども多かったお堀の畔の土手から釣り糸を垂れている人々を想像すると、何か楽しくなる。
 明治以降はもしかしたら内堀なども含めて、あちこちのお堀で庶民が釣りを楽しんだのではないだろうか。今も残る内堀でボート遊びが可能だった時だってあったというから。

 現在も内堀で、大きい鯉が悠々と泳いでいる。(今は真冬で、姿がなかなか見えないが)

 写真;お堀に映る石垣と白壁 県庁公用車駐車場側から東を見る 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年1月19日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡(その17)」 北口一丁目 二の堀跡

・・・ 日本百名城に数えられる「甲府城(舞鶴城)」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗Yamanote001渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・

 綺麗に整備され、様々なイベントが頻繁に開催されるようになった甲府駅北口広場から武田通りを北へ100mほど進んだところ、北口一丁目と武田一丁目の境あたり武田通りを二の堀跡が横切っている。
 現在風のしゃれた喫茶店の建物の南側に、コンクリートと石垣で水路のようになっている二の堀跡が確認できる。「こんなところにNinohori020_2甲府城お堀跡(その12)」(*-1)で書いた二の堀が東に進み、ここに至るのだ。
 ここが山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」でいう「元連雀町口」になる。内堀からここまでが武家地、ここから三の堀までが町人地となるのだ。

 ここから二の堀跡は武田通りを斜め北方向に横切る。もちろん暗渠である。反対側の歩道にかなり大きい集水枡が確認できるが、そこから先、東方向に水路も暗渠も確認できなくなった。かなりあちこち歩き回り探したが二の堀跡は全く確認できなかった。
 以前、この辺りに桜シルクという大きい工場があった。更に、私の遠い記憶の中に、この辺りに盲学校があった様な気がする。最近でいうと県の駐車場があったり、大きなパチンコ屋が出来たりした。明治以降の変遷の中で、二の堀は完全に埋め立てられ失われてしまったのだろう。(*-2)

(*-1) こんなところに甲府城お堀跡(その12) 武田一丁目地内 二の堀跡

(*-2) この辺りの二の堀跡のことなどが、「『甲府市文化財調査報告15 甲府城下町遺跡Ⅰ-北口二丁目(桜シルク跡)発掘調査報告書-』 平成13年3月30日 甲府市教育委員会」 に載っており大変興味深く読んだ。それによると、この辺りの二の堀の幅は約10.8m、 土塁は基底部幅約11.7m、高さ約2.4m、土塁には大槙が植え られていたと柳沢文庫所蔵「楽只堂年録」に記述があるという。発掘調査では、堀の幅は約13 mであったという。

 写真左;甲府城北側の入口 山の手御門 甲府駅北口に復元された
 写真右;二の堀跡 武田通り歩道から西方向を撮っている

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

2018年1月12日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) 毎日通る道路の端にも歴史が隠れている

 1月11日付けの地元の新聞山梨日日新聞の「私も言いたい」欄に、韓国からの留学生伊洗鈴さんの「甲府の歴史感じ 韓国語でも発信」という投書が載っていた。

 その中で伊さんは言う・・・こうふ開府500年記念事業に関連して、Facebookに山梨の「水」の歴史について思いを書き、伝えている・・・フィールドワークで甲府の町を歩き続け、有名な場所だけが観光地ではないことを知った・・・私は甲府上水道や甲府城の二の堀、三の堀を回った・・・毎日通る道路の端にも歴史が隠れていることを知った・・・甲府に残された上水道や堀を見て、歴史を思う住民の志を感じた・・・

 留学生がこういう思いを持ってくれたことがとてもうれしい。伊洗鈴さんは、山梨甲府のことを考え、地域活性化について提言、行動しているのだ。素晴らしいと思う。きっと山梨県民、甲府市民にこの思いは伝わっただろう。山梨甲府を訪れる韓国の人にも。

 私事ながら・・・休みの日の度にひょいっと出かける私に「どぶみたいな川や溝を見て廻って何が楽しいのよ。」と皮肉っている妻に言おう。「私の他にも甲府城のお堀廻りをしている人がいるよ、観光推進地域活性化につながるんだ」と。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2018年1月11日 (木)

「こんなところに甲府城お堀跡(その16)」 武田一丁目地内 三の堀

<この辺りに「角○」とかいう飲み屋さん、今でいう居酒屋があった。先輩に連れられ仕事帰りにこの飲み屋によく寄った。この先輩を私は慕っていた。親分肌のところがあり、私などの面倒をよく見てくれた。いい仕事をした。同業者の組合の役員などもし、活躍した。Sannohori002_3
Imgp28811_2だが、残念ながら若くして惜しまれながら亡くなった。一緒に飲みに来たその頃は、ここを甲府城三の堀が横切っていたなんてまったく知らなかった。>

 甲府駅北口から、武田通りがまっすぐ北へ武田神社に向かって走っている。この通りが、山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」でいう「橘小路」で、この先「元連雀町口」で二の堀を横切り、「大工町」で三の堀を横切り、「元柳町」から武田神社(躑躅ヶ崎館)へ続くのである。

Sannohori006 この大工町で武田通りを横切るのが、三の堀である。今の地名でいうと武田一丁目辺り。東方向から武田通りを横切り、10mほど進んだところで右方向北へクランクし更に進んだところでまた左方向西に曲がり進む。もうここが法華寺北になる。左側に土塁ではなかったかと思われる空き地が見える。「こんなところに甲府城お堀跡(その3)武田一丁目地内 法華寺北 三の堀跡」が、そこである。

 甲府城お堀跡(その3) 武田一丁目地内 法華寺北 三の堀跡

写真上;赤白の柵の左側が三の堀 右上にちょっと見えるのが武田通り
写真中;武田通り歩道から西を見る 三の堀跡
写真下;法華寺北の三の堀 東側から西を見ている

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年1月 7日 (日)

「こんなところに甲府城お堀跡」(その15) 藤川と平行して三の堀跡

 湯村温泉や武田神社から車で石和温泉や塩山恵林寺方面に行くのに、混雑する甲府の中心部を通らず愛宕山トンネルを通ると大変便利である。この愛宕山トンネルができたのは昭和52年、平成8年までは有料道路であった。

Imgp28741_2 愛宕山トンネルを通っているのが通称山の手通りであるが、この愛宕山トンネル西側出口から200~300m山の手通りを西に行ったところに藤川が南北に横切って流れている。(この藤川は、時には富士川と書くこともある。ちょっと下ったところにあった富士川小学校などがこれに当たる。)この藤川と平行して10m位西に離れたところに甲府城三の堀跡があることを何人の人が知っているだろうか。

 Imgp28951山の手通りを横切って北へ延びる堀跡は暗渠になっているし、山の手通りの南側に10mばかり開渠になっているだけだからほとんどの人は知らないだろう、意識しないだろう。

 ここから南に延びた堀跡は、10m位でまた暗渠になり、そのまま更に南に向かうはずだが、その先は見当の付く暗渠らしきものもなくなり、全くわからなくなってしまう。
 三の堀跡は暗渠になってすぐ、なんと東側の藤川に流れ込む流路がある。このあたりが、藤川と三の堀が一番近くなっているところだ。

Imgp28971 甲府城三の堀は、この後山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」にある元城屋町口あたりで二の堀を併せ南に向かい、愛宕町口先まで伸びるのだが、このあたりのお堀跡は全く見当が付かない。完全に埋め立てられたところだろうか。

 妻に、「どぶみたいな川や溝を見て廻って何が楽しいの。」と皮肉を言われるが、益々甲府城お堀跡めぐりが面白く楽しくなってきた。

写真上;山の手通り南の甲府城三の堀跡を南から見る。上方向暗渠になっているところが山の手通りだ。
写真中;山の手通り北から、開渠になっている三の堀跡を見る。ガードレール、金網の向こうが堀跡だ。
写真下;三の堀が藤川に流れ込んでいる場所。堀と川は、10mも離れていない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年12月16日 (土)

「こんなところに甲府城お堀跡」(その14) 甲府城の内堀復元へ

 ・・・ 日本百名城「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・


 先日の地元の山梨日日新聞に、「甲府城南側の堀拡張」という記事が載っていた。県と市が計画している「甲府城周辺地域活性化実施計画」で、今ある内堀を拡張復元するという。

 記事によると、今ある内堀の西端から堀を南へ伸ばし、以前の県民会館の大ホールがあった辺り(今は県の公用車駐車場になっているところ)までお堀とするようだ。
 ついこの間まであった県民会館の8階建ての建物があった辺りは、芝生の「集いの広場」にするという。

P1050047_2

 この私のブログ「こんなところに甲府城お堀跡」のシリーズで冒頭に書いているように、甲府城お堀はほとんどが埋め立てられて当時のようには残っていない。唯一お堀らしいお堀で残存している甲府城南側の内堀を更に一部拡張するというニュースは、ささやかだが甲府城のお堀跡を調査研究している私にとって、大変うれしい話ではある。

P10500520

 記事には「お堀でボートが楽しめるようにする」という考えがあるというようなことが載っていたが、これはいただけない。埋めてしまった堀を昔のように復元するということで、余計なことは考えない方がいいと思う。
 周辺に飲食店おみやげやさん等を作り、地域活性化につなげたいということに特に反対はしないが、活性化という視点が余り前面に出て大切な史跡保存に影響がないよう願うものである。今でも本丸で結構派手なイベント実施されたりで、史跡が壊されないか、国の史跡指定に向けて差し障りがないか心配である。

 写真上;甲府城内堀西端から東方向を見る。この手前辺りから南にお堀が拡張されるようだ。
 写真下;遊亀橋から西方向を見る。石垣と白壁が見事。お堀の向こうが、県庁新館、防災新館だ。

 「こんなところに甲府城お堀跡」 → (その13) 朝日二丁目地内 二の堀跡

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年12月10日 (日)

甲府城の歴史紹介 地域振興の一助に

 甲府城御案内仕隊の隊員としての観光ボランティアも丸5年、来城者(来場者)に甲府城の歴史と魅力を伝えている。

P10207940 地元の人が考えている以上に甲府城来城者は多い。私たち甲府城御案内仕隊が案内をする人だけでも年間1万3千人を越える。案内を仕切れない人や、散歩やウオーキングで訪れる地元の人も多い。

 先日、県外からの甲府城来城者に、お城には珍しい温泉が城内にあった、お城の周りにも温泉が沢山あり、甲府温泉といわれていたという説明をした際、自分が褒められているようなとてもうれしいいい話を聞いた。

 前日市内のお城近くの某老舗ホテルに泊まったが、ホテルの方の対応がとても親切だったし、料理も美味しく、それになによりも温泉に入れたことが幸せだったと語ってくれたのだ。

P10207670_2 こういう話を直接聞くと地元の観光業者、他の関係の方々も頑張っているんだなと思い、うれしくなる。

 こういう親切丁寧な温かい対応、今はやりのおもてなしが、地元山梨の観光を盛んにする、地元振興の役に立つのだと思ったことだった。

 私自身、甲府城に来てよかった、また来たい、みんなにも紹介したいといわれるような案内に努めていきたい。またこうして記事をブログに書いていること自体、山梨の観光振興にほんの少しは役に立っているかなと思っているのだ。

 写真上;甲府城稲荷櫓 城内の北東鬼門にあるので艮櫓(うしとらやぐら)ともいわれる
 写真下;紅葉した桜ソメイヨシノの葉っぱの向こうに鉄門(くろがねもん)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年12月 1日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡」(号外) 御宿かわせみに「薬研堀」 

 平岩弓枝の「御宿かわせみ」を読んでいる。その19巻「かくれんぼ」の中に「薬研堀の猫」という話がある。
 「薬研堀」ということばが出てくる訳だが、以前の私だったら何のことかよくわからなかっただろうが、甲府城のお堀跡のことを調べている今はよくわかるのだ。
 「薬研堀」は「やげんぼり」と読み、主にお城などの周りに敵の侵入を防ぐために掘られた大きな溝、お堀の種類の一つである。もっとも、この江戸時代には、この薬研堀に接している城下町の場所を「薬研堀」といったこともあったようだ。つまり町名でもあったのである。

 お堀について、断面形状による分類をインターネットで調べた。

<毛抜堀>~U字形の断面をもつ堀。水堀に多用される。
<箱堀>~箱形の断面をもつ、底の平坦な堀。水堀に多用される。
<薬研堀(やげんぼり)>底がV字形の尖った断面をもつ堀。薬研の窪みに形状が似ていることに由来する。底部の通行が困難であるため、空堀に使われることが多い。さらに諸薬研堀と片薬研堀に細分される。
<諸薬研堀(もろやげんぼり)>薬研堀のうち、両側が急斜面となったもの。空堀に使われることが多い。
<片薬研堀(やげんぼり)>薬研堀の片側を切り立ったものとした、レの字形の断面の堀。空堀に使われることが多い。鉛直に近い斜面を登るのはきわめて困難であるため、防衛に強力である。ただし、崩れやすくなる。
 <引用> 「堀」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より

 甲府城のお堀の分類はどれに該当するのだろうか。今残っている内堀跡を見る限り「箱堀」か「毛抜堀」のように思われるが、文献資料等見る範囲で今のところはっきりわからない。引き続き調べていきたい。

 その他諸々のお堀に関わる情報を、この「こんなところに甲府城お堀跡」(号外)に載せていきたいと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

より以前の記事一覧