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カテゴリー「甲府城・歴史」の124件の記事

甲府城にまつわる色々なこと 歴史はおもしろい・・・ 

2020年9月17日 (木)

山梨百名山「要害山」に登る 「要害城」とその支城「熊城」

【山行日】令和2年9月11日(金)
【天候】晴時々曇り
【コースタイム】
 要害山登山口(9:00)~(9:50)要害山(要害城)(10:00)~(10:25)熊城へ分岐点(10:35)~熊城~(11:25)林道へ出る(水道施設・神社)(11:35)~(12:00)要害山登山口
【参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 甲府北部 」 平成2年2月1日 国土地理院
 「新版 アタック山梨百名山 」山梨メープルクラブ編 山梨日日新聞社 平成22年4月28日

<要害山(要害城)へ>
 以前、「要害温泉」だったところの入口の道路脇に駐車。橋を渡ったところが要害山登山口だ。ずいぶん立派な「史跡 要害山」の説明板がある。その説明板では支城「熊城」の事にも触れている。永正17年武田信虎により、要害城は築かれたが、同時期に「熊城」も築かれたという。

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 武田不動尊のある曲輪、その他いくつかの曲輪と門跡を通過すると、主郭への階段、門跡がある。

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 主郭は高く伸びた草で覆われ、武田信公誕生の地の碑も、山梨百名山の標柱もうっかりすると見落とすぐらいだ。

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 要害城主郭から先、東に進む。裏門跡らしきところ周りには、土塁や石垣も見える。更にその先には、竪堀跡、土橋といった感じのところもあった。要害城への正面入り口の登りより、この裏口の竪堀の方が大きくはっきりしている。

<要害城から熊城へ>
 要害城をそのまま東に更に進むと、案内看板がありそこを右に。しばらくトラバース気味に進む。吸い殻入れらしき土管のあるところの尾根を下るのが熊城に行く山道だ。要害城とは谷を挟んで南側の尾根筋に当たる。

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<いよいよ熊城>
 わずかの踏み跡を辿り、尾根を下る。一カ所ちょっとしたピークで右か左かと迷うところがあったが、右の道を進み正解、間違いはなかった。尾根上に残る最初の大きな堀切は、かなり深い。私自身何とか堀切を越えられたという感じだ。
 背後からの敵の侵入を防ぐに十分だ。大勢で攻めたら、多くの兵士が両側の谷にすべり落ちてしまうだろう。

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 小さな曲輪と思われる場所もある。いくつかの堀切を越えると、主郭らしきところになる。周りには土塁や石垣も見える。左側、畝状竪堀があると思われる場所あちこちを覗いたがはっきり確認できなかった。

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<これは畑の跡か>
 かなり下り、間もなく林道に出るというところに平らな場所、石垣もあるが、これは、熊城とは関係ないようだ。後の時代、畑だったか、石を採ったのではないかと思われる。
 深草観音へ行くコンクリート道に降り立ってほっとする。結局1時間ばかりかけて土管のあったところから熊城を見ながら下ってきたことになる。

<要害城裾野を歩く>
 コンクリート道に出たところから、林道を50mばかり下ったところ(途中に神社や水道施設がある)から、右の山道に入る。最初は急なコンクリートの登りの道で、尾根をずっと下ってきた身には応える。しばらくすると平らな道になり、先ほど登った要害城へ向かう山道に出てやれやれ。要害城の西側の裾をトラバースするように歩いたことになる。

<見応えがあった熊城>
 要害城も曲輪、竪堀、石垣などがあったが、むしろ熊城の方が堀切、曲輪、石垣など往時が忍ばれ、見応えがあった。急な尾根を苦労して下りつつ、見つけた城跡だったからかもしれない(^0^)
 畝状竪堀がはっきり確認できなかったのは残念。

 *曲輪や石垣もそうだが、竪堀、堀切は写真に撮るが難しく、よくわかるように撮れなかった。

2020年6月22日 (月)

甲府城跡にアジサイ咲く

 甲府城跡(舞鶴城公園)は、梅、桜、そしてクチナシ、ツツジと綺麗な花々が次々と咲き、花の名所でもあります。また、富士山や石垣をバックに撮る秋のモミジの景色や、天守台から撮る白根三山南アルプスの白銀の山々は、インスタ映え!と写真を撮る人もいる季節感いっぱいのいいところです。

 今はアジサイが綺麗に咲いています。稲荷櫓の東、高い石垣下の小さな公園の周りに色とりどりのアジサイが咲いています。本当は、この公園から、稲荷曲輪に上る坂道の両側にもアジサイがいっぱい咲いているのに、今は柵の工事中で通れないのが残念です。

 新型コロナ流行が早く収まり、また大勢の人が、甲府城跡を訪れてくださるのを心待ちにしているのです。甲府城御案内仕隊は、今案内活動自粛中です。

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2020年5月24日 (日)

こんなところに甲府城お堀跡(その26) ~ 三の堀跡を辿る 近習町口から甲斐奈神社裏あたり ~

< 日本100名城に数えられる「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。往時 甲府城には内堀(一の堀)、二の堀、三の堀があったが、明治以降そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、甲府市内の普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。>

 今回は『平成甲府城下町絵図』(*)でいう近習町口から甲斐奈神社裏あたりまで三の堀跡を辿る。

 甲府城跡今の遊亀橋の東側にある庄城稲荷と、甲府市の旧社会教育センターの間の道を東に進み、JR中央線の踏切から南に向かう桜町通りを突っ切る。『甲府城城下町絵図』によると、この辺りに「近習町口」があったという。
 20~30m進むと左側に車20台ほどとめられそうな駐車場があり、その北西隅に小さな石の祠(由緒のあるものか、ここにあったお宅の屋敷神様か?)がある。Imgp90211 ここから駐車場の北隅を巾30㎝ほどの側溝が東方向に向かっている。この側溝が三の堀跡だろうか。

 更に東に進むと境町通りにぶつかり、その向こうに結構大きい駐車場がある。この駐車場の北側を側溝が東に進んでいる。駐車場の北東隅で直角に曲り、南に向かう。この曲がり角駐車場北東隅に石の祠が2棟ある。二つとも結構大きい石の上にのっている。Imgp90081 駐車場の東側を南進した側溝は、駐車場の南東隅で直角に曲り東に向かう。
 東に向かう側溝は、ちょうど横近習大神宮の東側にある大きな駐車場とカトリック甲府教会の北側に当たる。この側溝が三の堀跡だろうか。今回確認できたのはここまでで、この後は三の堀跡側溝も暗渠も確認できていない。
 途中で一度クランクして立川ケースの建物の一軒おいて南側に至る。

 三の堀跡は、長禅寺ガードから南進してくる通りを突っ切って旧富士川小学校の敷地の南側を東進しているはずであるが、個人住宅が並んであり側溝も暗渠も確認は出来なかった。

 旧富士川小学校校地に沿って南側を東進した三の堀跡は、ちょうど校庭の真ん中あたりで曲がり、南進することになる。そして東進してきた横近習通りが終わりになるあたりにある松田菓子店一軒おいた東側で通りを突っ切り、Imgp90151 住宅街の中で向きを変えて東に向かう。そしてようやく瑞泉寺、甲斐奈神社の北側に至る。この辺りの三の堀跡は残念ながら側溝も暗渠も確認できていない。そもそも側溝暗渠も見当たらない。

 写真右上;近習町口があったというあたりから20~30m東にある駐車場北西隅にある石の祠
 写真左上;境町通りの東にある大きい駐車場 左塀沿いの側溝が三の堀跡だろうか 向こうに大きい石の上に乗っかっている石の祠二つが見える
 写真右下;写真中央、松田菓子店の向こうに見える黄色い柵のところで三の堀跡が右に突っ切る?

(*)『平成甲府城下町絵図』作成;山梨県埋蔵文化財センター 協力;甲府市教育委員会

2020年3月18日 (水)

甲府城 桜花咲く

 今日は、いつもなら甲府城案内ボランティアに行く日。けれども甲府城御案内仕隊は、新型コロナウイルス流行対策で、3月いっぱい活動停止中だ。

 いつもなら、自分の目で見て桜が綺麗に咲くのを確認するのだが、寂しいことに今年はラジオの放送で甲府城のヒガンザクラが咲きはじめているというニュースを聞いた。

 そんなことで、今日は案内活動はなしだが、天気が穏やかで、写真日和・・・、甲府城の桜を撮りに出かけることにした。

 案の定、稲荷曲輪のヒガンザクラはほぼ満開、桜の木の下で少女たちがビニールシートを敷き、楽しそうにおしゃべり。いつもの光景に心が和んだ。親子連れも楽しそうに写真を撮っていた。

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 甲府城のカワズザクラは、今の時期に咲く。野面積みの石垣をバックに咲く、天守台東下稲荷曲輪のカワズザクラを撮った。

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 ソメイヨシノも甲府城では、五輪以上咲いていたので、開花宣言! 鉄門下、中の門辺りのソメイヨシノを撮った。

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 お稲荷さんがある甲府城第一駐車場の辺りのヒガンザクラは五咲きというところか。

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 案内活動なしで、何かいつも足を踏み入れない場所へも足を運べ、いつもとちょっとちがった角度で桜の写真が撮れ、楽しかった。花見のお客さん、お城見学らしき方々もいっぱで、お城案内活動を早く再開できたらと思ったのだった。

 撮影カメラ ; PENTAX K-7
   レンズ ; SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
          SMCPENTAX-DA 55-300mmED 

2020年2月20日 (木)

年後の暮らしは読書三昧 続 「古着屋総兵衛影始末」を読む

 新潮文庫「古着屋総兵衛影始末」を面白く読み進めている。作者はあの「居眠り磐音」の佐伯泰英だ。6巻目の「朱印」を読み終わった。

 今巻では、総兵衛一行が、青梅街道を、氷川から、丹波山、柳沢峠を越え塩山、甲府へ入った。甲府城、甲府城下町などが登場した。ずいぶん詳しく書かれておりうれしくなった。そして甲府から出発、鰍沢から、身延、万沢を通り舟で岩淵に向かい、江戸に戻るというコースで通った物語だ。

 身近な地名、もの、人物がなどが出て来て、うれしくなってしまった。興味をもって読み進めることが出来た。

 小説に出て来た身近な地名、人物など・・・
 軍畑 沢井 氷川 鳩ノ巣 鴨沢 丹波集落 丹波渓谷 小楢山 一之瀬川 柳沢峠 霊峰富士 鶏冠山 大菩薩嶺 雲峰寺 塩山 重川 笛吹川 恵林寺 昇仙峡 湯村 弘法ノ湯 石和 ほうとう 善光寺 荒川 仙娥滝 躑躅ヶ崎館 釜無川 韮崎 祖母石 穴山 大武川 精進ヶ滝 八代郡浅利 鰍沢 青柳 甲州三河岸 角倉了以 波木井 身延道 万沢 十島 岩淵 

・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。

  こちらもお読みください
  → 2020年2月7日の記記事
    「定年年後の暮らしは読書三昧 『古着屋総兵衛影始末』を読む」


 「古着屋総兵衛影始末 『朱印』」 佐伯泰英 新潮文庫 平成23年11月25日 三刷

2020年2月 7日 (金)

定年後の暮らしは読書三昧 佐伯泰英「古着屋総兵衛影始末」を読む

 新潮文庫「古着屋総兵衛影始末」を面白く読み進めている。作者はあの「居眠り磐音」の佐伯泰英だ。十巻まであるようだが、今六巻目の「朱印」の最初のあたりを読んでいる。

 甲府城御案内仕隊で「柳沢吉保は水戸黄門では悪役ですが、甲府にとっては息子の𠮷里とともとても立派なお殿様でした。」と案内しているのだが、この小説でもものすごい悪役で、主人公大黒屋総兵衛の宿敵として”悪鬼の如き野望”の持ち主とまで描かれている。さてさて困った、これから甲府城来城者にどう話していこうか(^_^)

 もちろん物語はフィクションだが、この時代の政治や経済文化のことがところどころで詳しく書かれてれており、大変参考になる。あの武川衆のことなどかなり詳しく書かれており、この先甲斐甲府城、甲府城下町のことなどがどのように書かれるか(佐伯泰英の博識、取材力に脱帽だ)、物語の進み具合とともに読み進めるのがとても楽しみである。。

 「古着屋総兵衛影始末」佐伯泰英 新潮社新潮文庫 平成23年4月1日 

2020年2月 1日 (土)

こんなところに甲府城お堀跡(その25) 二の堀跡が「濁川」

 甲府城三の堀跡の南側から東側一部にかけて、今は「濁川」になっているということは、今までこの「こんなところに甲府城お堀跡」シリーズで何度も述べてきた。ところがビックリすることに、なんと二の堀跡も一部「濁川」になっているのだ。

 共立病院北側に残る二の堀跡については何度もこのシリーズで取り上げ、最近この二の堀跡に「新青沼橋」が架かったことを報告した。この新青沼橋を更に詳しく探索したところ、その橋の欄干に「濁川」という銘板が取り付けてあるのだ。この辺りの二の堀跡が、今は正式には一級河川の「濁川」になっていると知って本当にビックリした。

 そういえば、いつだったか甲府駅北口から武田通りを100mばかり上ったところに見られる二の堀跡についても「ここも濁川なんだよ」とフィールドワークの講師が話していたことを思い出した。もしかしたら今残っている二の堀跡は、ほとんど全部が「濁川」になっているのかもしれない。確実なところをさらに調べていきたい。

<新青沼橋に取り付けられている「濁川」の銘板>

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<こちらは「新青沼橋」の銘板>

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<新青沼橋を西側から見ている 橋は右隅人が歩いているところ>

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<新青沼橋を東から見ている 二の堀跡が若干右に曲がり新青沼橋を潜る>

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2020年1月30日 (木)

梅花咲く 甲府城跡 令和2年1月29日

 いつものように、甲府城稲荷曲輪入口にある梅林の花情報です。梅園には20本ほどの梅の木がありますが、そのうち3本に花が咲き始めました。紅梅と白梅両方咲いていますが、どれも三分咲きというところでしょうか。

 甲府城の梅園は、JR甲府駅南口を出たら左方向へ、以前に比べてずいぶん広くきれいになった歩道を、去年9月に閉店した山交デパート北側を東に進みます。舞鶴陸橋の階段は上らずガード下を進み、最近出来た大きなホテルを右に通り過ぎ、右のお城の方を見上げるとわかります。稲荷曲輪の入口に紅梅白梅20本ほどの梅林があります。
 余談ですが、この近くに梅林門があったという古絵図を見たことがあります。興味あります。今後確かめていきたいと思っています。 

 今度の土曜日曜には、天気がよければ探梅行、いいかもしれません。梅の花見を兼ねて、是非甲府城においで下さい。

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2019年12月 2日 (月)

甲府城17mの石垣脇 歩道整備

 甲府城を、お城が好きで見学に訪れる人々、日本100名城巡りでスタンプを集めに訪れる人々等が結構見逃してしまうのが、甲府城稲荷曲輪の東側にある高い石垣だ。東日本有数の17mの高さを誇る野面積み石垣は実に見応えがある。県教委の資料を見ると420年前の石垣が75%の確率で残っているという記述がある。甲府城を訪れる人々には是非見てもらいたい場所である。

 この石垣を眺めるのに、便利な歩道が整備された。県や市で、甲府城周辺の地域活性化のために、甲府駅の北口から甲府城跡までの回遊ルートを想定して地域全体を見据えた検討を行っているというが、そのお城周辺地域整備の一環であろうか。大変うれしいことである。

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2019年11月25日 (月)

こんなところに甲府城お堀跡(その24) 藤川河道が二の堀に!

 甲府市で出している「甲府歴史ものがたり」に、甲府城二の堀について興味ある面白い記事が載っていた。

 藤川が甲府城(一条小山)の東側を北から真っ直ぐ南に流れていたということは、以前何かの資料文献を読んで知っていたが、その藤川の河道が二の堀になったということはこの記事を読んで初めて知った。考えてみれば、お城東側から真っ直ぐ南に行けばちょうど二の堀に重なるのだ。なるほどと思う。

 そして私は想像し考える。<河道(跡)を深く拡げ堀った土を、西側脇に積み上げて土塁とした。そこにいつの時代か桜が植えられ、そして桜が見事に咲くようになった。武士が西側から、町人等が堀を隔てて東側からそぞろ歩いてお花見を楽しんだ。更に時代が進み、堀は埋められ、土塁跡が今の桜町通りになった。>

 二の堀跡が桜町通りの4~5m東側に一部せぎ側溝となって残っているいることは、既にこの「こんなところに甲府城お堀跡」で記述した。

  → こんなところに甲府城お堀跡(その9) 中央二丁目地内岡島第二駐車場脇 二の堀跡

P1050290


「こうふ開府500年誌『甲府歴史ものがたり』」
 編集;こうふ開府500年記念誌編集委員会 発行;平成31年4月1日
P236 計画的につくられた道と町割
・・・藤川は、一条小山の北東で直角に東に流路を変えていますが、甲府城下町建設以前は真っ直ぐ南に流れており、その河道は甲府城の二の堀の一部に利用されたことがわかっています。・・・

 

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