サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

カテゴリー

カテゴリー「甲府城・歴史」の133件の記事

甲府城にまつわる色々なこと 歴史はおもしろい・・・ 

2021年3月28日 (日)

甲府城四季巡り 桜の花咲く 令和3年3月26日

 甲府城跡(舞鶴城公園)の桜が見ごろを迎えたと、地元の新聞山梨日日新聞に載っていました。稲荷櫓東下の小さな公園で若い夫婦が桜を見上げている微笑ましい写真です。ソメイヨシノの桜の花の向こうに稲荷櫓がそびえています。私が撮ろうとしていたアングルだ~と思いました(^0^)

 稲荷曲輪の方の桜は彼岸桜で、もう盛りを過ぎています。強い風が吹くと桜吹雪になるかもしれません。こちらでも若い人たちが座り込み、和んでいます。ソーシャルディスタンスは確保しているようです。

Imgp22421

 シダレザクラの向こうに稲荷櫓、天守のよう。江戸時代、城下町の人々は天守代わりにこの稲荷櫓を眺めたのでしょうか。

Imgp22461

 鉄門(くろがねもん)の階段を降り、振り返って見るといつもながら、その勇姿にほれぼれします。鉄門をバックにソメイヨシノの桜の花を撮りました。

Imgp22571

 例年だと信玄公祭りが繰り広げられる鍛冶曲輪から天守台を見上げます。ここから見えるソメイヨシノの花はどうも全体的には八部咲きぐらいかなと思いました。もう少し経つと、更に見応えのある景色となります。

Imgp22731

 内堀(一の堀)の外から、白壁の上に桜、天守台を撮りました。はたして、天守は元々なかったのでしょうか。

Imgp22761

 甲府城御案内仕隊の案内ボランティア活動は、残念ながらまだ本格的には再開出来ていません。感染が治まり、安心して甲府城跡の案内が出来る日が早く来るよう心から願っているのです。

2021年3月12日 (金)

定年後の暮らしは読書三昧 池波正太郎「剣客商売 番外編『黒白』」を読む

 池波正太郎「剣客商売」全16巻を読み終わった。

 他の時代小説などではよくあるが、小説が終わるについて主人公が死んでしまうというパターンが多いが、この小説では小兵衛が、斬り合いで斬られて死んだというラストでなく終わってよかった。小兵衛は、40も歳が違うおはるより長生きをし、93歳まで生きたという。

 小兵衛は、私と同様小柄で、年齢的にも今の私と同じような年代の頃が描かれており、親しみが持てた。いわゆる大衆小説で、読みやすく楽しく読み終わることが出来た。

 ところが、番外編があるということで、番外編の『黒白』の上を今読んでいるが、これを読むと何と小兵衛は、甲斐の生まれだというではないか。今までの16巻の中では、そういった記述はなかったように思う。しかも南巨摩郡秋山郷だという。びっくり。

 ”秋山”は、私の母の実家舂米(つきよね)の隣の集落なのだ。小説では、小兵衛の兄が家を守っているとある。母の口から”秋山”の名前がよく出ていて、隣村ということで、昔は結構行き来があったのだ。もしかしたら母の先祖たちと小兵衛の兄の行き来があったりして(^0^)。

 まあ、親しみが持てるこの小説がますます好きになった。あと1巻「ないしょないしょ」で番外編も終わりのようだが、剣客商売ロスになりそうだ。

 「剣客商売 番外編『黒白』上巻」池波正太郎 新潮文庫 昭和62年5月25日

 
 こちらもお読みください(1月27日の記事)
  → 定年後の暮らしは読書三昧 池波正太郎「剣客商売」を読む
 

2021年2月 3日 (水)

甲府城四季巡り 梅花咲く 令和3年2月1日

 以前、古い甲府城の図面で、”梅林門”と記されている図面を見たことがある。甲府城の梅の花を毎年撮るようになってから、この図面を一生懸命探しているのだが未だに見つからない。沢山あるいろんな時代の甲府城の図面を見るのも楽しい。

 JR甲府駅南口を出たら左方向へ、閉店した山交デパート(今は「ヨドバシカメラ」が入店するということで大工事中)の北側を東に進む。舞鶴陸橋の階段は上らずガード下を進み、最近出来た大きなホテル(「城のホテル甲府」)を右に通り過ぎ、右のお城の方を見上げるとわかる。甲府城稲荷曲輪の入口に、紅梅白梅20本ほどの梅林がある。

Imgp14701

Imgp14821

Imgp15021

Imgp14881

Imgp14901

Imgp14931

Imgp14951

2021年2月 1日 (月)

日本遺産 御嶽昇仙峡を訪ねて 長田円右衛門顕彰碑

 昇仙峡滝上から仙娥滝を見て、昇仙橋、石門を少し下ったところの右谷側に東屋がある。Imgp69441この東屋脇に日本遺産御嶽昇仙峡のストーリー構成文化財の一つである長田円右衛門の顕彰碑がある。長田円右衛門はこの御嶽昇仙峡に新道を開削し、昇仙峡を世に知らしめた人物である。

 この碑文の最後に『鶴梁学人賛』とある。”鶴梁”とは、長田円右衛門と格別の親交があったこの時代の甲府学問所徽典館(現在の山梨大学教育学部の前身)の学頭「林鶴梁」である。Imgp69451_20210201204301 鶴梁は、この昇仙峡をよく訪れ、円右衛門と深い交流があったという。円右衛門の功績を讃えて、この碑にある円右衛門の姿を柳渓(りゅうけい)という絵師が描き、”手足にヒビ、アカギレを切らしながら山を切り、谷を割るなど苦難の末始めて道を開いた顔は醜く鬼のようであるが心は菩薩のようである”と鶴梁が賞賛したのだ。

【参考資料】
・甲府文芸講座マガジン「 昇仙峡に魅せられた人たち 」 平成10年3月 甲府市教育委員会発行

2021年1月15日 (金)

甲府城四季巡り 寂しい冬の古城 

 雪が降った翌日、久しぶりに甲府城を訪ねた。
(甲府城御案内仕隊の案内活動は一部自粛中だ。)

 内堀には一部氷が張っていた。水面の部分には、甲府城野面積み石垣と白壁が、くっきり映っていた。
Imgp12601

 石垣には雪が残り、その上に夕日に輝く稲荷櫓が見える。
Imgp12661

 坂を上り左に稲荷曲輪、右本丸石垣、そして正面石垣に雪を残し天守台がそびえる。
天守閣ははたしてあったのだろうか。
Imgp12751

2020年12月22日 (火)

「木喰の里 微笑館」を訪ねる

道の駅しもべの入り口にある石碑に・・・

 木喰さん

   まるまると

   まるめまるめよ

   我が心

   まん丸丸く

   丸くまん丸 

 

 国道300号線を、下部駅入り口から本栖湖方面に走り、道の駅しもべに寄る。木喰の里微笑館への道を訪ねると、地図を渡してくれ道順を丁寧に教えてくれた。それでも入り口がよくわからず、一度は通り過ごしてしまった。
 Dsc_01091道の駅から600m程進み旧道を古関方面に向かう道に入ってすぐ、戻るように鋭角に曲がると、もう車が一台しか通れないぐらいの舗装の道になった。対向車が来るとやばいなと思いながら、進むDsc_01101 。10分ぐらい進んだだろうか、左下に木喰上人の生家を見て更に進むとちょっとした丘のようなところ右側に、「木喰の里微笑館」があった。

 前回来たときと同様、管理人さんが丁寧に対応してくれた。お茶を出してくれビデオのスイッチを入れてくれた。このビデオは、UTYテレビが特別企画で木喰上人を特集したときに作ったビデオだったような気がする。Dsc_01121

 ビデオを見終わって展示室へ。今回の企画展メインの、柳宗悦が木喰上人のことや生涯のことを綴った雑誌「女性」の展示が興味深かった。今回の企画展の内容を、本にでもして売ってくれればいいなと思ったのだった。

Dsc_01211  管理人さんに、四国堂の場所を聞くと、微笑館の外に出て教えてくれた。なるほど見下ろすと、さっき通ってきた木喰の生家のそばの森の中に四国堂が見えるではないか。生家の近くの道脇に車を駐め、山道を四国堂に向かった。2~3分で着いた。当時の四国堂の建物ではないそうだが、趣のある建物だった。

 管理人さんが、四国堂の場所を教えてくれたときのこと、微笑館から眺めた四国堂の上ずっと先に、天狗岩の麓の峰山の集落が見え、そして以前この丸畑の集落を遙か眺めた林道折八古関線が眺められた。Dsc_01131

 帰りは微笑館のある丸畑から西方向へ進み、横手を通り市川大門下部身延線に入った。丸畑に行くのに、300号線から入るより、こちらの道の方が、マイクロバスでも通れるほどの道でこちら周りの方がいいかなと思ったのだった。

 こちらもご覧ください
  2011年3月7日の記事 → 旧下部町丸畑 木喰の里微笑館 
  2018年10月1日の記事
          → NHKテレビ日曜美術館「微笑む仏」を観る
  2019年1月28日の記事 → 「木喰上人作 木彫仏」展を観る

2020年12月 7日 (月)

え~、これで終わり? 佐伯泰英の『空也十番勝負 青春篇』

 佐伯泰英『居眠り磐音』51巻の続編、『空也十番勝負 青春篇』全7巻を読み終わった。『居眠り磐音』ほどではないが、それでも楽しく嬉しく読み進めることが出来た。次を期待し、わくわくしながら本を読み進めることの出来る楽しさ嬉しさ・・・時々本を閉じて、大げさにいうと生きている喜びをかみしめるのだった。

 『声なき蟬』で薩摩を出た空也は、八代、人吉、福江、対馬、平戸と長い武者修行の旅を続け、長崎に辿り着く。そして最後、薩摩以来因縁の酒匂太郎兵衛と闘い、相打ちで死ぬ。
・・・寛政十年師走の未明、聖寿山崇福寺の大雄宝殿の石畳に空也は地に紛れて転がっていた・・・
 なんということだ。物語もここで終わってしまう。鹿児島から長崎までの武者修行旅を丁寧に丁寧に描いていたのに、最後の場面のこのあっけなさは何だ。

 終わるのなら、武者修行をやめ、江戸に戻る、眉姫と一緒になる、尚武館道場の跡継ぎになるなど物語はまだまだ沢山あったろうに。楽しみにこの空也シリーズを読み進めてきたものとしては、単純だがハッピーエンドで終わってほしかった(^0^) 

 現実的えげつない話だが、結局柳の下で『居眠り磐根』を狙ったが、それほどこの『空也十番勝負』シリーズが売れなかったということだろう。出版業界厳しい時代だからな~。


・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。


 『空也十番勝負 青春篇 声なき蟬 上』佐伯泰英 双葉文庫 2017年1月11日

 『空也十番勝負 青春篇 声なき蟬 下』佐伯泰英 双葉文庫 2017年1月11日
 『空也十番勝負 青春篇 恨み残さじ』佐伯泰英 双葉文庫 2017年9月17日
 『空也十番勝負 青春篇 剣と十字架』佐伯泰英 双葉文庫 2018年1月9日
 『空也十番勝負 青春篇 異郷望みし』佐伯泰英 双葉文庫 2018年6月17日
 『空也十番勝負 青春篇 未だ行ならず 上』佐伯泰英 双葉文庫 2018年12月16日
 『空也十番勝負 青春篇 未だ行ならず 下』佐伯泰英 双葉文庫 2018年12月16日

 2020年9月7日の記事 → 『空也十番勝負 青春篇 声なき蟬(上) (下)』を読む

2020年11月20日 (金)

甲府城四季巡り 深まる秋

 四百二十年余前、豊臣秀吉の重臣浅野長政幸長によって築城された甲府城・・・それ以来お城の様相は変わり住む人は変わっても、毎年春には桜が咲き、秋には木々が紅葉し、大勢の目を楽しませ、そして多くの年を重ねてきたのだろう。
 今年も甲府城の木々が赤く黄色く紅葉している。風が吹くと葉っぱが舞い散り芝生の上に落ちる。織る錦・・・

 *以下、是非写真をクリック、拡大してご覧ください!

Dsc_01142631

Dsc_01241

Imgp113812

 コロナ禍、それでも相変わらず甲府城を訪れる人は多い。来城者の多くの人が「お城がきれいですね。よく整備されていますね。」といってくれる。ありがたいことだ。自分が褒められているような気持ちになる。
 この時季とすれば暖かい日射しの中・・・着物姿の若い二人が和む、結婚式の写真の前撮りだろうか。お母さんと一緒の子供たちが楽しそうに走り回っている。

Imgp11561

Imgp11731

 これから先も、甲府城は毎年毎年木々が紅葉する時季を重ねていくことだろう。どんな風に歴史を積み重ねていくのだろうか。

Imgp118123

Imgp11661

2020年11月14日 (土)

武田勝頼悲劇の城 新府城本丸北側虎口発掘現場説明会に参加

 韮崎市教育委員会が企画した国史跡新府城跡散策会(本丸北側虎口発掘現場説明会)に参加した。

 新府城駐車場を出発、お城北側のお堀辺りから乾門桝形虎口、隕石が落ちたクレーターのような井戸を通り、笹竹を切り開いた小道(帯曲輪の一部と思われる)を発掘現場へ向かう。

<新府城北側の堀 ここは水堀だが空堀もあった>
Imgp09091

<乾門桝形虎口 以前発掘した際、向こう側にあった門の辺りには
                   柱の燃え残りもあったという>
Imgp09121

 発掘現場に到着、沢山の土嚢が、発掘の大変さを物語っていた。本丸の北側中央辺り、土塁がその部分だけ低く、虎口があったことがわかる。遠くに八ヶ岳が望まれ、新府城本丸の重要な入り口、門であったのだろう。発掘で見つかった五個の礎石のいくつかの辺りには赤茶けた焦土が見えるのだ。礎石も火の熱で表面が剥がれ、石片が周りに散っているのが確認できる。
 戦国時代、武田勝頼が勢力復活、新しい統治を目指し、造営した新府城・・・わずか三ヶ月足らずでで戦国時代には珍しいことではなかったこととはいえ、その新しい城に火を着け、逃亡しなければならなかった勝頼の気持ちを想う。

<発掘現場 本丸側から北を見ている>
Imgp09351

<礎石の石片が剥がれている 右側には赤茶けた焦土が見える>
Imgp09241

<礎石に被さっている土帯の上が徳川家康が
   天正壬午の戦いの際陣地として使った時の土表と思われるという>
Imgp09261

 発掘現場を離れ三の丸から大手門へ向かう。富士を眺める雄大な大手門。かっての発掘では、ここからは残念ながら礎石も何も見つからなかったいう。果たして門はあったのかどうか。その先には三日月堀が復元されていた。

<新府城大手門跡 この先に丸馬出 三日月堀がある
    富士山が見える ここからの富士山を勝頼も眺めたのだろうか>

Imgp09421

<三日月堀跡>
Imgp09441

 韮崎市教育委員会の閏間俊明さんの面白楽しい詳しい説明に感謝。

       (令和2年11月13日歩く)

2020年11月 7日 (土)

日本遺産 御嶽昇仙峡を訪ねて 旧金桜神社一の鳥居 御霊若宮

<勧学院中巨摩学園第25期生同窓会「輝きの会」の今回の活動は、日本遺産認定 「甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡」をテーマにして、甲斐市教委の大嶌先生を講師に、午前中敷島総合文化会館で講義を聞き、午後がフィールドワーク(現地見学)となりました。>

 最初に訪れたのが、甲斐市総合公園内にある旧金桜神社一の鳥居。この鳥居は、かって御岳道の通り道であった吉沢地内の田んぼの中に倒壊しているのが見つかり、後に金峰山を望むこの地に復元されたのだといいます。あいにく金峰山は見えませんでしたが、この鳥居は金桜神社の本宮のある金峰山を望めるように設置してあるそうです。この鳥居をくぐり参拝者が金桜神社や金峰山に向かったのだと感慨深い見学となりました。

Imgp86961
 甲斐市総合公園内にある旧金桜神社一の鳥居   平成28年1月撮影

 次に訪れたのが、「甲斐国志」神社部にも載っている「御霊若宮」。場所は、有名な亀沢の千枚田(棚田)の近く、御岳道が千塚から片山西を周回し荒川を渡り上道下道へつながる登り口辺りです。もっと簡単にいうと、韮崎双葉方面から伸びてきた茅ヶ岳東部広域農道が亀沢川に架かるものすごく高い橋(亀沢大橋)を渡りきったところ辺りです。(この橋はまだ開通しておらず、地元の人しか通れないようになっています。)
 こんなところにという感じで石の祠、欠けた石のお犬様(ではなく、ニホンオオカミといわれているとか)などが並んでいました。確かにこの辺りに神社があったのだと想像できます。御霊若宮は、別名「姫宮」ともいい、3月10日と6月14日の御霊には金櫻神社から神輿を迎え入れていたという記述が甲斐国志に載っているそうです。

 今回は行きませんでしたが、以前この近くにある常説寺にある順徳天皇が佐渡から金桜神社に勅使を使わした際に奉納品をのせた輿「白輿」も日本遺産認定 甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡の構成文化財の一つになっています。

 この後、最近開館した武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)を見学、お開きとなりました。大変有意義な為になった講義フィールドワークでした。講師の大嶌先生に感謝申し上げます。

より以前の記事一覧

お薦めサイト

山と山の花セレクション

  • マツムシソウ
     山登り山歩きの折、撮りためて来た写真を主に「山と山の花セレクション」をまとめました。ご覧ください。

続 山と山の花セレクション

  • ミヤマシャジン
     山歩きの折に撮った山と山の花の写真・・・「続 山と山の花」です。ご覧ください。
2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

にほんブログ村ランキング参加中