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カテゴリー「甲府城・歴史」の82件の記事

甲府城にまつわる色々なこと 歴史はおもしろい・・・ 

2017年12月16日 (土)

「こんなところに甲府城お堀跡」(その14) 甲府城の内堀復元へ

 ・・・ 日本百名城「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・


 先日の地元の山梨日日新聞に、「甲府城南側の堀拡張」という記事が載っていた。県と市が計画している「甲府城周辺地域活性化実施計画」で、今ある内堀を拡張復元するという。

 記事によると、今ある内堀の西端から堀を南へ伸ばし、以前の県民会館の大ホールがあった辺り(今は県の公用車駐車場になっているところ)までお堀とするようだ。
 ついこの間まであった県民会館の8階建ての建物があった辺りは、芝生の「集いの広場」にするという。

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 この私のブログ「こんなところに甲府城お堀跡」のシリーズで冒頭に書いているように、甲府城お堀はほとんどが埋め立てられて当時のようには残っていない。唯一お堀らしいお堀で残存している甲府城南側の内堀を更に一部拡張するというニュースは、ささやかだが甲府城のお堀跡を調査研究している私にとって、大変うれしい話ではある。

P10500520

 記事には「お堀でボートが楽しめるようにする」という考えがあるというようなことが載っていたが、これはいただけない。埋めてしまった堀を昔のように復元するということで、余計なことは考えない方がいいと思う。
 周辺に飲食店おみやげやさん等を作り、地域活性化につなげたいということに特に反対はしないが、活性化という視点が余り前面に出て大切な史跡保存に影響がないよう願うものである。今でも本丸で結構派手なイベント実施されたりで、史跡が壊されないか、国の史跡指定に向けて差し障りがないか心配である。

 写真上;甲府城内堀西端から東方向を見る。この手前辺りから南にお堀が拡張されるようだ。
 写真下;遊亀橋から西方向を見る。石垣と白壁が見事。お堀の向こうが、県庁新館、防災新館だ。

 「こんなところに甲府城お堀跡」 → (その13) 朝日二丁目地内 二の堀跡

2017年12月10日 (日)

甲府城の歴史紹介 地域振興の一助に

 甲府城御案内仕隊の隊員としての観光ボランティアも丸5年、来城者(来場者)に甲府城の歴史と魅力を伝えている。

P10207940 地元の人が考えている以上に甲府城来城者は多い。私たち甲府城御案内仕隊が案内をする人だけでも年間1万3千人を越える。案内を仕切れない人や、散歩やウオーキングで訪れる地元の人も多い。

 先日、県外からの甲府城来城者に、お城には珍しい温泉が城内にあった、お城の周りにも温泉が沢山あり、甲府温泉といわれていたという説明をした際、自分が褒められているようなとてもうれしいいい話を聞いた。

 前日市内のお城近くの某老舗ホテルに泊まったが、ホテルの方の対応がとても親切だったし、料理も美味しく、それになによりも温泉に入れたことが幸せだったと語ってくれたのだ。

P10207670_2 こういう話を直接聞くと地元の観光業者、他の関係の方々も頑張っているんだなと思い、うれしくなる。

 こういう親切丁寧な温かい対応、今はやりのおもてなしが、地元山梨の観光を盛んにする、地元振興の役に立つのだと思ったことだった。

 私自身、甲府城に来てよかった、また来たい、みんなにも紹介したいといわれるような案内に努めていきたい。またこうして記事をブログに書いていること自体、山梨の観光振興にほんの少しは役に立っているかなと思っているのだ。

 写真上;甲府城稲荷櫓 城内の北東鬼門にあるので艮櫓(うしとらやぐら)ともいわれる)
 写真下;紅葉した桜ソメイヨシノの葉っぱの向こうに鉄門(くろがねもん)

 

2017年10月12日 (木)

甲府城から移築された経緯は? 慶長院山門

 甲府駅西、JR中央線横沢ガード(*)を北上、愛宕町下条線を突っ切り横澤通りをしばらく行ったところの左側に、横澤山慶長院がある。Keityoin005曹洞宗のお寺である。

 白壁の美しい参道をまっすぐ進むと正面に古めかしい門が見える。この門が、甲府城の山の手御門から移築した門ではないかといわれている冠木門だ。甲府空襲でも焼けずに残ったといういかにも風格のある黒門である。

 この門、インターネットで調べてみたが、いつ頃、誰に、どういう経緯で移されたのかがよくわからない。先日の街めぐりの案内をしてくれた講師の方の口ぶりもどうもはっきりしない。

 今後引き続き、色々な文献資料を調べてみようと思っている。

(*)このガードは、今工事中で通ることが出来ない。もう三年も交通止めだが、先日の新聞報道では更に3年延長して通行止めが続くという。

2017年9月18日 (月)

「くろちゃん甲府城つづりⅡ」「豊富郷土資料館のブログ」復活を願う

 私が、このブログ「山と山の花」を書き始めて15年が経った。記事数も1,000件に届きそうだ。我ながらよく続けていると思う。

 さて、よく見ていたホームページやブログが、更新されなかったり閉鎖されてしまったり寂しい思いをすることがよくある。
 以前「峠のむこうへ」というホームページがあり、私の好きな峠歩きの「師匠」でもあった。千田さんという方が書いていたのだが、仕事でも忙しくなったのか何年か前に更新がなくなってしまった。
 それでも、しばらくは観ることが出来、その後も峠歩きの参考にさせてもらっていた。千田さんは山梨県の峠もよく歩き、文献等もしっかり調べての記事は本当に素晴らしいものであった。学術文書のようなときもあった。
 更新がなくなってもしばらく観ることの出来たホームページも、残念ながらやがてホームページそのものがなくなってしまった。

 最近、寂しく残念に思っているのが、「くろちゃんの甲府城つづりⅡ」と「豊富郷土資料館のブログ」の二つのブログが4月以降半年更新がないことだ。

 二つのブログとも、以前は更新が頻繁にあり、内容も大変勉強になり、楽しく読ませてもらった。イベントの告知や実施後の様子の報告などもあり、地域振興、観光振興にもずいぶん役に立っていたのではないかと思う。

 どうも、ブログを書いていた担当者が他部署へ異動してしまったようだ。奇しくもくろちゃんの方が、3月31日「平成28年度最後の日!」、豊富資料館の方が同じ31日「勤務最後の日」という記事を最後に更新がなくなっている。

 担当者が替わってということは、まああることで仕方がないのかも知れないが、なんとか替わりの方が書いてくれないかなと思う。復活を願っている。

2017年9月17日 (日)

「こんなところに甲府城お堀跡」(その13) 朝日二丁目地内 二の堀跡

 正に「こんなところに甲府城お堀跡」だ。いつも通っている北へ一方通行の朝日町通りのちょうど中間辺り、通りの西側「互助センター友の会」の駐車場の奥に「二の堀」跡発見。この駐車場建物の北側の東西の通りも朝日町通りから横沢通りへの抜け道でよく通っている道だ。

Ninohori008 余談になるが、この朝日町通りは、甲府駅北口が出来る前は山梨大学の学生さんが通学でよく通った道だそうだ。昔からの商店街衰退がいわれている中で、現在もハナミズキ祭、夏祭りなどのイベントを開催したりで頑張っている商店街だ。

 この朝日町通りは、よく引き合いに出している山梨県埋蔵文化財センターの「平成甲府城下町絵図」を見ると、「新先手小路」と表記されている。

 写真は、駐車場から西方向を見ているが、堀跡の遙か向こうに見えるのが「魚春寿し」さんである。二の堀は、この魚春寿しさんの建物の下を通り(もしかしたらお堀は埋まっているのかも知れないが)、左(南方向)に曲がりあの御金蔵稲荷のある朝日公園西側の堀跡につながるのだ。

 「こんなところに甲府城お堀跡」(その1)で書いた朝日公園から東側に伸びる二の堀跡がつながってうれしくなってしまった。妻に、「どぶみたいな川や溝を見て廻って何が楽しいの。」と嫌みを言われるが、益々甲府城お堀跡めぐりが面白くなってきた。

 「こんなところに甲府城お堀跡」(その1) → < 朝日町自治会館南 二の堀跡 > 

2017年9月15日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡(その12)」 武田一丁目地内 二の堀跡

・・・ 日本百名城「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪の南、遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城で残っている唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、川になったり、ちょっとした溝、側溝になったり、また暗渠になったりで、甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。・・・
 

 「こんなところに甲府城お堀跡」12回目は、NPO法人つなぐのフットパスに参加しての探索、「武田一丁目地内石橋酒店北 二の堀跡」。Ninohori002_2

 甲府駅北口集合、この辺りが甲府城清水曲輪だという。バス停の脇には石垣跡が残っている。曲輪の北西隅には清水櫓がそびえていたのだろうか。

 愛宕町下条線を朝日町方面に進み、甲府合同庁舎北の信号を右に曲がる。この角には旧法務局の建物があった。今はマンションが建つとかで工事が盛んに進んでいる。

 右に曲がり、北に向かうこの通りが昔の「御手先小路」だそうだ。この道を北に進み、新紺屋小南西の信号手前100m位に、東に向かう狭い道がある。(車は通れない。)、その数m南、今は駐車場になっている空き地と石橋酒店の間の先に側溝が見えた。これが東西に伸びる甲府城第二の堀跡である。

 家と家の間を流れる溝のような感じで、底はコンクリートで固めてある。先の方は草ぼうぼうで、よく見えない。

 山梨県埋蔵文化財センターの「平成城下町絵図」を見ると、ちょうどこの辺りに「堅町口」があったようだ。

 写真)「御手先小路」の道路から数m入ったところ(駐車場脇)で、東を見ている。手前は暗渠になっている。

2017年7月24日 (月)

「塩部遺跡現地見学会」

 先日7月22日開催された甲府「塩部遺跡現地見学会」に出かけた。主催が甲府市教育委員会というのはわかるが、昭和測量株式会社も主催なのだそうだ。実際の遺跡発掘の作業は、一般の会社も請け負って専門的にやっているのだということを初めて知った。土地の所有者である駿台甲府高校も、諸々の協力をしてくれているとのこと、大変ありがたいことだ。今、甲府の上今井にある駿台甲府中学校をここに移転する工事をしているのだそうだ。

P10504211 塩部遺跡は、甲府工業高校の校舎改築時や隣のアルプス通りの開通前の発掘作業でも話題になっていたし、もっというと朝日小学校辺りも塩部遺跡の一部だそうで、ずいぶん広範囲の遺跡なのだ。

 今回は主に古墳時代の集落跡、弓や曲物などの木製品、土器、旧河川跡などが発掘されたとのこと、私が特に興味が引かれたのが周溝住居跡と、河川の跡がいくつも発掘されたことだ。

P10504051 河川の跡については、この辺りが相川の扇状地であり荒川の氾濫原でもあったことから、幾筋もの小川が流れていたことは頷ける。相川扇状地の扇端で水が結構沢山流れていたのではないか。

P10504031 またその幾筋かの川の跡から壊れた沢山の土器が発掘されたという。何らかの都合である時期土器を川に投げ捨てたことがあったのだ。

 大勢の人が見学に来ていた。子供連れの人も多く、子供の社会勉強にということだろうか。夏休みの自由研究の材料にもなるかな。
 それにしても、この暑さには参った。熱中症になる前に、早めに退散した。

2017年6月25日 (日)

甲府城下町遺跡米蔵跡発掘現場見学会

P10503801_2 山梨県埋蔵文化財センターの甲府城下町遺跡発掘現場説明会に参加させてもらった。(6月24日)大勢の見学の人がいてビックリした。こんなに大勢の人が興味を持っているのだ。勧学院や甲府城御案内仕隊の仲間、知り合いも参加していた。

 場所は、甲府駅前平和通り西側、以前甲府信用金庫本店があったところで、私のこのブログ「こんなところに甲府城お堀跡」でも触れた「たこ公園 二の堀」の東側である。
 この場所の南側の道は、いつも通っている道だ。今日の説明の中で、この道自体、昔の古い道だという。埋蔵文化財センターの平成甲府城下町絵図で見ると、この道が二の堀を渡るところが甲府城の青沼町口になる。

P10503841_2 この辺り一帯は甲府城の武家屋敷があった場所で、ここには甲府城の米蔵があったとされるが、その後幾多の変遷があり監獄になったり病院になったりした場所だという。そしてごく最近になって甲府信用金庫本店になったのだ。今度は県庁関係の立体駐車場になるのだという。

 発掘されたのは、石積み跡、水路とみられる暗渠跡などだ。写真でも矢穴が確認できるがその特徴から江戸時代中期~後期の遺跡ではないかという。石積みは米蔵建物のものとは特定できないということだった。「獄」という字が書かれた皿のかけらも展示されていた。
 私が一番知りたかった二の堀との関連については、この場所の西側で南北に走る土塁状の盛り土が確認されたというが、やはり二の堀の土塁とは今のところ確定は出来ないという。

 写真右上;南西隅にあった石積み 集水升ではないかという
 写真左下;土塁跡ではないか 白い斜めの線があるところ 

2017年6月17日 (土)

こんなところに甲府城お堀跡(その11) 中央四丁目地内 二の堀跡

Sawataya002_3 まさに「こんなところにお堀跡」だ。今回は、中央四丁目地内の二の堀跡。端的にいうとかなりの部分がお菓子屋さん老舗澤田屋の建物の下にある。

 城下町東側二の堀で場所的にいうと、このブログの「こんなところに甲府城お堀跡その9 中央二丁目地内 岡島第二駐車場脇」と、「その10 中央四丁目地内 漢方薬局西」のちょうど中間あたりにあることになる。

 つなぐNPOのフットパスに参加させてもらって、その途中で案Sawataya006_2内されたのがこの澤田屋。リニューアル一周年だという澤田屋二階での話でも、お店やお菓子の話などとともに、この建物の下に二の堀があったことに触れていた。工事の際の写真も何点か見せてくれて参考になった。

 さらに驚くことに限定販売のようだが「二の堀」というお菓子まで作って販売しているのだ。甲府やお店に関わる歴史、甲府城やその堀にまで関連づけて商売繁盛に結びつけている姿勢にびっくりしたり感心したり。試食させていただいたが美味しかった。本当は写真も撮ったので載せたいが商標権などにひっかると上手くないので残念だがやめた。(澤田屋のFacebookをご覧下さい。)Sawataya004

 こんな感じで、甲府城の歴史、お堀跡が、甲府の地域の活性化や振興に役に立つのであれば本当にうれしい。私のこのブログ「こんなところに甲府城お堀跡」のねらいに合致する。

* 山梨県埋蔵文化財センターの「平成城下町絵図」を見ると、ちょうどこの辺りに町人地から武家地に入る「八日町口」があったようだ。

 写真上;澤田屋前歩道上にある堀の溝蓋
 写真中;お店の紹介説明で提示された工事中の二の堀跡
 写真下;お店の裏(南)にある水路(二の堀跡)

2017年5月12日 (金)

「こんなところに甲府城お堀跡(その10)」中央四丁目地内漢方薬局西 二の堀跡

・・・ 日本百名城25番「甲府城」には、お堀が鍛冶曲輪南遊亀橋両側に残存する。これが内堀の一部で甲府城では唯一のお堀らしいお堀である。
 甲府城には一の堀(内堀)、二の堀、三の堀があったが、そのほとんどが埋め立てられ当時の様子を知ることは出来ない。それでも、普段よく行っている場所、よく通っている道路の脇など思いがけないところに、ちょっとした溝、川になったり、側溝になったり、また暗渠になったりで、その甲府城のお堀跡が市内各地に残っている。
 今回改めてこのお堀跡を訪ねる「お堀跡発見ウォーク」を始めた。資料や地図を頼りに、駐車可能のところに車を停め(ウォーキングを兼ねているので出来るだけ遠くがいい)、そこから歩いて甲府城のお堀跡を訪ねる。併せて、可能であればお堀跡の近辺にある甲府城下町の賑わいを思い起こさせるもの、遺跡なども訪ねる。そして、写真なども撮り、その様子をまとめ、このブログで報告することにする。 ・・・
 

 「こんなところに甲府城お堀跡」10回目は、「中央四丁目地内漢方薬局西 二の堀跡」。

 甲府市遊亀通り問屋街入口交差点を西に入ると、左に治作鮨があり奥村本店がある。その奥村本店前の通りを挟んで反対側、漢方薬局の脇を北に伸びる水路がある。確証はないが、これが二の堀跡であると思われる。P1050273

 「こんなところに甲府城お堀跡(その9) 中央二丁目地内岡島第二駐車場脇 二の堀跡」(注-*)で紹介した二の堀跡をずっと南にたどるとここへ至る。更に南へ進みすぐ小宮山印店西で二の堀跡から三の堀跡につながるのだ。

 山梨県埋蔵文化財センター作製の「平成城下町絵図」を見ると、ちょうどこの辺りに町人地から武家地に入る「連雀町口」があったようだ。

  写真;奥村本店前で北(漢方薬局西脇)を見ている。

(注-*) → 「こんなところに甲府城お堀跡(その9) 中央二丁目地内岡島第二駐車場脇 二の堀跡」

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