カテゴリー「古道を行く」の25件の記事

何故かわからないけれど、古いもの滅びゆくものに惹かれるのだ・・・

2020年11月17日 (火)

日本遺産認定 御嶽昇仙峡の紅葉

 日本遺産に認定されて初めての紅葉の時季を迎えた特別名勝昇仙峡、今年はとりわけ紅葉がみごとだ、日本遺産認定を祝っているように。

 コロナ禍で観光客の減少が心配されたが、gotoキャンペーンのおかげかいくつかある広い無料の駐車場が平日でもいっぱいになるなど観光客で賑わっている。長瀞橋から仙娥滝まで4㎞程、軽いハイキング気分で渓谷の紅葉を楽しみながら歩く人もいっぱいだ。滝上のお土産屋さん街、影絵の森美術館なども賑わい、昇仙峡ロープウエイでパノラマ台まで上る人も多い。 

 昇仙峡の入り口長瀞橋は、今新しい橋の工事中。昇仙峡紹介の定番の長瀞橋の紅葉のきれいな写真は撮れなくなってしまった。新しい橋のコンクリートの橋脚が映り込んでしまい残念だが、今日の紅葉の長瀞橋を撮った。

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 巨岩、奇岩の間を流れる清流と紅葉した木々を撮る。

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 天鼓林の辺りの紅葉は素晴らしい。昇仙峡一かもしれない。景色に馴染んだ古い休憩小屋の屋根に赤い紅葉の葉っぱが積もっていた。

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 定番の仙娥滝、普段余り見られない虹が架かっていてラッキー。

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 滝上のお土産屋さんが設置した休憩所の赤い傘とマッチした紅葉。

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2020年11月 7日 (土)

「日本遺産認定 甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡」をテーマ 「輝きの会」の活動

 勧学院中巨摩学園第25期生同窓会「輝きの会」の今回の活動は、「日本遺産認定 甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡」をテーマにして、甲斐市教育委員会の大嶌正之先生を講師に、午前中敷島総合文化会館で講義を聞き、午後がフィールドワーク(現地見学)となりました。

 最初に訪れたのが、甲斐市総合公園内にある旧金桜神社一の鳥居。この鳥居は、かって御岳道の通り道であった吉沢地内の田んぼの中に倒壊しているのが見つかり、後に金峰山を望むこの地に復元されたのだといいます。あいにく金峰山は見えませんでしたが、この鳥居は金桜神社の本宮のある金峰山を望めるように設置してあるそうです。この鳥居をくぐり参拝者が金桜神社や金峰山に向かったのだと感慨深い見学となりました。

 次に訪れたのが、「甲斐国志」神社部にも載っている「御霊若宮」。場所は、有名な亀沢の千枚田(棚田)の近く、御岳道が千塚から片山西を周回し荒川を渡り上道下道へつながる登り口あたりです。もっと簡単にいうと、韮崎双葉方面から伸びてきた茅が岳東部広域農道が亀沢川を渡るものすごく高い橋(亀沢大橋)を渡りきったところ辺りです。(この橋はまだ開通していません。)
 こんなところにという感じで石の祠、欠けた石のお犬様などが並んでいました。確かにこの辺りに神社があったのだと想像できます。御霊若宮は、別名「姫宮」ともいい、3月10日と6月14日の御霊には金櫻神社から神輿を迎え入れていたという記述が甲斐国志に載っています。

 今回は行きませんでしたが、以前この近くにある常設寺にある順徳天皇が佐渡から金桜神社に勅使を使わした際に奉納品をのせた輿「白輿」も日本遺産認定 甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡の構成文化財の一つになっています。

 この後、最近開館した武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)を見学、お開きとなりました。大変有意義な為になった講義フィールドワークでした。講師の大嶌先生に感謝申し上げます。

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2020年10月27日 (火)

要害城の支城「熊城」の役割は

 甲府市教育委員会主催「要害城築城500年・信玄公誕生500年記念講演会」で、『要害城(本城と支城)を探る』と題した武田氏研究会事務局長の山下孝司さんの話を聞いた。講演の中で、”熊城の役割”について私にとって大変興味ある話があった。

 山梨万力筋から、太良峠を越える道の他に、岩堂峠を通って積翠寺に抜ける重要な道があった。その道が、熊城の南麓を通る。ここでこの道を通って要害城やつつじが崎館に攻め入る敵を防ごうとしたのだという。熊城の曲輪などには、南側(岩堂峠から下って来る道側)に土塁が築かれている。また熊城の特徴ある畝状竪堀も南側に築かれている。
 こういうことを考えると熊城は、単に要害城の詰城支城ということだけでなく、城そのものが万力筋から要害城やつつじが崎館へ攻め入る敵からの防御のために造られたと考えるというのである。

 以前、積翠寺側から岩堂峠に登った時も、春日居町側から登った時も、この道は何か昔からの古い道ではないかと思ったことがあった。また熊城から尾根伝いに下り降り着いた時、尾根の麓左上から岩堂峠からの道が下って来ていてこの道は何かいわくのある道ではないかと思った。
 これらこの時感じたことが、今回の講演を聴いたことで、はっきりわかったように思いうれしかった。

 
 平成19年6月4日の記事 → 春日居側から岩堂峠へ
 平成26年1月19日の記事 → 帯那衆 穴口峠を越える
 
 平成28年4月11日の記事 → 「熊城」へ 
 令和2年9月17日の記事 →
  山梨百名山「要害山」に登る 「要害城」とその支城「熊城」

  

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2020年6月 4日 (木)

甲斐百山「醍醐山」に登る

【山行日】 2020年5月28日(木)
【天候】 晴
【コースタイム】
 JR身延線甲斐常葉駅(9:35)~「是より山道」登山口(9:45)~鳩打峠(10:15-10:20)~五老峰展望台(10:35)~醍醐山山頂(11:15-11:40)~大子集落(12:05-12:15)~下部側登山口上の平集落(12:40)~下部駅(12:50-13:00)~甲斐常葉駅(13:35)
【参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 切石 」 平成11年1月 国土地理院
 「 甲斐百山 」日本山岳会山梨支部 令和元年12月
 「 甲斐の山旅・甲州百山 」山村正光 他 1989年10月 実業之日本社

 甲斐常葉駅から歩いて10分ほどで、「是より山道」と彫ってある石物がある。醍醐山登山口だ。なかなか味のある古そうな石で、これからいよいよ、がんばって登るぞ!という気持ちになった。 

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 檜林の中の山道をゆっくり登る。林の中に土塁のような山道が出てくるとすぐ先が鳩打峠で、ここでこの下鳩打トンネル脇から登ってくる登山道が合流する。以前醍醐山へ登ったときは、この山道を登ってきたのだ。

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 五老峰展望台を過ぎ、右手下にブースターアンテナ群を見て通り過ぎる。このアンテナは今も使われているのだろうか。ここを過ぎると、すぐ醍醐山山頂(634.8m)だ。四捨五入すると635mでムサシにならない(^0^) 東屋があり、早めの昼食を食べる。山登りはいつもそうだが、この時が至福の時。

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 下山は前回はここから鳩打峠の方へ引き返したが、今回は下部駅方面へ下る。まもなく大子峠の下にある大子集落だ。何軒かの集落だったようだが、廃村のようだ。しかしどうも一軒だけはどうも人が住んでいるようでもある。ありがたいことに「トイレをお使いください。」の張り紙がしてあった。心遣いがうれしい。

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 大子集落から30分で上之平の集落で、下部駅側の醍醐山登山口だ。

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 ここから下部駅まで国道300号線を歩いて10分。電車があれば、一駅だけでも乗ろうと思ったが、生憎次の鈍行は1時間も後。国道を歩くことにする。
 下部駅から、甲斐常葉まで舗装道路を歩く。常葉川を眺めたり、時々ある集落の家々を眺めながらで退屈はしなかった。30分で甲斐常葉駅に戻る。

 2回目の醍醐山、今回は鳩打峠、大子峠の二つの峠を通過、おまけに懸案だった古い大子集落を訪れることが出来て満足満足の里山歩きだった。

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2019年8月15日 (木)

若い二人が歩いて行くその先は・・・

 若い二人が手に手を取り歩き去って行く後ろ姿が印象的感動的、映画テレビドラマのラストシーンで、小説のエンディングで。

 大きな一つの苦難と喜びが終わり、次の新しい場面シーンに向かっていく二人。その先に何があるのだろうか。静かな平穏な暮らし喜びが続いて欲しい。しかし、また新たな苦難と労苦が待っているのかもしれない。

 読み終わった満足感、楽しく見終わった充実感、そしてこれから先を想像することの楽しさ。・・・読書はいい。大げさにいうと生きている喜びを感じるときだ。・・・いい映画はいい。大げさに言うと生きていてよかったと思う一時だ。

「甲州はいいところだ、あの澄んだ空、もう一度見たかったぜ」と梅三郎は言いつつ打ち首に・・・。源次とお蝶はその甲州へ・・・。
テレビ「逃亡」松本清張原作 市川崑監督の映像
→ 2002年2月8日の記事 

江戸から甲州へ 野田尻、犬目・・・韮崎、七里岩、・・・そして三之蔵か大豆生田辺りか。津金方面に向かって岩陰に見え隠れ消えていく伊能甚内と奈美の姿・・・茅ヶ岳の長い裾野と塩川の流れに削られた岸壁沿いの細い路が目に浮かぶ。あの路を二人は懐かしい故郷津金に向けて歩んで行ったのだ。
「闇の傀儡師」藤沢周平著 文芸春秋社
→ 2015年7月23日の記事

磐音とおこんが江戸に向かって草原の中の一本道を二人で手に手を取り歩き遠ざかって行く。
テレビBSプレミアムで再放送 /「居眠り磐音 江戸双紙」佐伯泰英著 双葉文庫
→ 2019年8月10日の記事

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2017年10月28日 (土)

阿難坂から山梨百名山「三方分山」へ 初雪化粧の富士山を望む 

【 歩 い た 日 】 平成29年10月26月(木)
【コースと時間】 精進湖他手合浜駐車場8:00-8:10精進集落-9:00女坂峠9:10-10:00三方分山10:15-10:30精進山-11:00三沢峠(精進峠)-12:10根子峠12:35-12:50パノラマ台13:10-13:20根子峠-14:00精進湖畔パノラマ台下バス停-14:05出発地点他手合浜駐車場
【参考にした資料 】
 「 1:25,000地形図 精進 」 平成11年7月 国土地理院
 「 1:25,000地形図 市川大門 」 平成18年11月 国土地理院
 「 新版アタック山梨百名山 」 山梨メープルクラブ 平成22年4月 山梨日々新聞社
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社
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 精進湖畔他手合浜の駐車場に車を駐め、精進集落から女坂峠(阿難坂)1,215mを目指した。登り道の左、昔精進小学校があったところに大杉を見る。砂防堤を三つ越えると、ジグザグの登りやすい昔の峠道になる。昔、駿河の魚を甲府へ送ったりした中道往還だ。戦国時代、織田信長も徳川家康もこの峠を越えたのだという。頭が欠けた石仏が並ぶ峠へは1時間ほどで到着した。古い峠という雰囲気であった。

 この峠から右へ行くと五湖山を越え山梨百名山王岳方面、左へ登ると三方分山だ。峠の向こう側は芦川への下り道。以前来たときには、草ぼうぼうで古関まで下れるのかなと思うほどであったが、今日見ると綺麗な峠道が下っていた。この峠道をいつか下ることがあるだろうか。

Hujisan002 峠からかなりの急坂を1時間足らずで三方分山(1,422m)へ着いた。山頂は南東方面が切り開かれ、富士山が眺められた。昨日降った雪で初雪化粧の富士山の眺めが素晴らしかった。正に富士山だ。
 この頂上から北へは、蛾ヶ岳を通り、市川大門へ続く昔からのハイキングコースの道が分かれている。途中飯田釈迦ヶ岳へも寄れる。

Fujisan008 山頂から南へ続く尾根を下る。精進山1,409mを通り、45分で三沢峠(精進峠)1,260m、さらに1時間余で根子峠。アップダウンが何回もある結構厳しい山道であった。

 根子峠から15分でパノラマ台(1,320m)へ。Fujisan007三方分山ではほとんど人に会わなかったが、パノラマ台には大勢の人がいてにぎやかであった。
 ここからも、雪化粧の富士山の眺めが素晴らしかった。眼下に精進湖、東方に西湖、河口湖、そして五湖山、節刀ヶ岳、十二ヶ岳などが眺められた。

 湖畔に降り、駐車場までの道からも富士山の素晴らしい眺めがあり、思わず写真を撮ったが、ああこれは絵はがきの写真だなと思わず苦笑い。外国人団体客も、大勢賑やかに富士山にカメラを向けていた。

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2017年8月13日 (日)

今日も峠を行く 日本三大峠「雁坂峠」

【 歩 い た 日 】 平成29年8月10日(木)
【コースと時間】  甲府5:30=6:30雁坂トンネル入口駐車場6:50-7:30林道終点-8:15クツキリ沢出会-(10分休憩)-9:10井戸ノ沢-10:45雁坂峠11:45-12:40井戸ノ沢-13:50林道終点14:00-14:40駐車場=甲府   ( =~車  -~歩き )
【参考にした資料 】
 「ぐるっと山梨市」 山梨県山梨市役所
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社
 「アタック 山梨百名山」  山梨メープルクラブ編 平成22年4月 山梨日日新聞社

 日本三大峠(*)の一つ「雁坂峠」を歩いた。雁坂トンネル入口の駐車場に車を駐め、出発の準備。駐車場の奥にあるゲートの脇を抜け、舗装の林道をしばらく歩く。この林道は、亀田林業所というところが作った私有の林道らしい。
 (*)南アルプス三伏峠、北アルプス針ノ木峠、奥秩父雁坂峠

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 40分ぐらい歩いて林道の終点。ここから昔の峠道らしいジグザグの比較的歩きやすい道もあるが、石がごろごろの沢を歩いたり、何ヶ所か徒渉するところがあったりで結構厳しいところもある登山道であった。武田信玄の軍用道路であったというし、江戸時代から大正時代にかけては秩父大滝村の繭を塩山の繭取引所に運んだ交易の道だったというが、この峠越えは本当に大変だったろうなと思ったのだった。

 途中わずかだが山の花が咲いていた。

<イワタバコ>
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<ミヤマオトギリ>
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<シモツケソウ>
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<ソバナ>
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 時間的に見てもう着きそうだと思ってから、ジグザグの笹原の急な山道が続きへたばりそうになった頃ようやく峠に到着した。ああ、疲れた。
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 峠には甲武信岳の方から歩いてきたという山ガールが一人いろいろ楽しい山談義。この方は、昨日西沢渓谷入口のバス停から戸渡尾根を木賊山に登り、甲武信小屋に泊まり、破風山、雁坂嶺を経てここまで来たのだという。ずっと眺めはなく、雲の中だったそうだ。

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 私は本当は、山梨百名山でもある「雁坂嶺」も登りたかったのだが、期待した眺めも全くなく、まだ40分ほどかかるということで今回は諦めたのだった。

 登る時に比べて少し楽な気持ちで峠を下った。林道脇の広場には、ニホンジカの親子がいて心が和んだ。

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2017年4月24日 (月)

中道往還を歩く 迦葉坂を越えて

 天正10年(1582年)3月、織田信長の侵攻で武田勝頼は天目山で自害し、これで信虎、信玄、勝頼と三代続いた武田氏は滅亡した。その後、甲斐は信長の領地となるが本能寺の変で信長が亡くなると、天正壬午の乱を経て徳川家康が支配することとなる。
 この時代、徳川家康が駿河から甲斐へ入るのに、中道往還迦葉坂を越えた。織田信長も甲斐侵攻の後この峠を越えて帰還したという。
 
 そんな話を右左口宿歴史文化村推進会の方々に聞きながら、新緑美しい中道往還迦葉坂を歩き越えた。つづら折りに登る峠道はとても登りやすく、あちこちに馬頭観音や千手観音などがあり、往時を偲ばせる。
 さらに今回うれしかったのが、フデリンドウやカタクリ、イカリソウ、ヒトリシズカなどの花々が見られたことであった。フデリンドウは、枯葉が積もった峠道の真ん中にいっぱい咲いていて、踏まないように気をつけなければならなかった。道脇あちこちに咲く春の山の花を愛でる楽しい峠歩きでもあった。

 企画引率してくれた甲府市中道公民館の方々、山梨山の会、右左口宿歴史文化村推進会の皆様に感謝しながら、今回の峠歩きのレポートとする。

フデリンドウ
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カタクリ
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イカリソウ
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ヒトリシズカ
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タチツボスミレ
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如意輪観世音像
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馬頭観世音像
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如意輪観世音像
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   (平成29年4月22日土曜日歩く)

   こちらも是非お読みください → 中道往還 迦葉坂を越えて(平成25年4月の記事)

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2016年6月14日 (火)

峠を行く ドノコヤ峠を越えて芦安鉱山跡を訪ねる

<念願のドノコヤ峠を越え、芦安鉱山跡まで歩いた。聞くに勝る難しい山行きだった。同行引率してくれた芦安ファンクラブのみなさんの援助がなければとても達成できなかった峠越えだった。>

 桃の木温泉より更に奥に送迎のマイクロバスで進む。大雨でもあればとても走れないだろうと思うような河原の中も走る道だ。15分も走っただろうか、車で行ける最終地点のようで広場に何台か車が停まっていて、そこで車から降りる。いよいよ出発だ。全員で準備体操をし、歩き始める。

 流れを右に渡ったり左に渡ったり河原歩きが続く。ごく最近出来たと思P1040164われる立派な砂防堤を過ぎ、歩き始めて30分程で右の尾根に向けて登り始める。この登り口も知っている人でなければわからないかもしれない。小尾根に登り切ったところに、インターネットでよく見た鉄板製の道標があった。この道標はファンクラブの今回同行してくれた隊長さんが10年ほど前に設置したのだという。この後、随所に同じような鉄板製の道標が設置されていた。

P1040172 今回の企画に向けてファンクラブの方々が山道を修理したり新しく造ってくれていただいているようで、それほど難儀をせず登ることができた。やがて大崩ガレを大きく上の方へ迂回して登ることになる。程なく向こう側の南アルプスの山々が見える大尾根に達した。多分夜叉神峠から高谷山を経てドノコヤ峠、唐松峠から櫛形山の方へ抜ける尾根だろうと思った。尾根へ出てしばらく下ったところがドノコヤ峠だった。バスを下りたところからP1040187歩き始めて2時間50分程かかったことになる。(5分10分程休んだ時間を含めて)

 野呂川側は大きく崩れている。以前はここの峠から峠道が直接下ったのだろうが、崩れていてとても降りれるような状況でない。峠から先の高みに登り、そこから下りの道が始まった。

P1040194 しばらくは昔の峠道という感じでジグザグに下っていくと沢に降り立った。これがドノコヤ沢か。強くなった日射しで石や砂の照り返しがあったりで暑い中を、沢の流れを左右に渡ったりしながらかなり下っていったところに鉱山跡を示す大きな岩があった。ドノコヤ峠から1時間程で鉱山跡に着いたことになる)

 沢から登ったすぐのところの石垣で作られた平地でお昼を食べながら、ファンクラブの方の芦安鉱山跡についての話を聞く。その後、鉱山跡を案内してくれた。苔むした石垣で作られた平地を過ぎると、有刺鉄線に囲まれた火薬庫の建物がまだ残っていた。鉱石を選別していらなくなった瓦礫を捨てた場所(ズリ場というらしい)や、圧巻の坑道口も見た。
 残念ながら、私が一番見たかった分校跡は、出発の時間の関係もあり見ることが出来なかった。そうでなくても私はもう歩き廻る力の限界だったかもしれない。P1040205

 帰りに向かいまたドノコヤ沢を登るのだが疲れがたまったのだろうか、足が攣り始め自由に歩けない。ファンクラブの方が攣りにすぐ効く薬を飲ませてくれたり、リュックをしばらくの間背負ってくれたりしてくれて、本当に助かった。おかげでようやくドノコヤ峠に帰り着いた。P1040228 峠からは下りで大分楽になったが、しかし落ちれば大けがをするだろうと思われようなガレ場のトラバースが何箇所かあってとても気が抜けない下りが続いた。

 御勅使川の沢へ下りきりホッとした。少し楽になった気持ちで、沢の流れを右へ左へと渡り、ようやく車のところまで辿り着いた。

 最初にも書いたが、芦安鉱山跡に辿り着くのは、正に聞くに勝る難路で遠かった。ファンクラブのみなさんの援助がなければとても行ける場所ではなかった。
 それでも前々から行きたい行きたいと思っていたドノコヤ峠を越え、芦安鉱山跡までなんとか行くことが出来てとてもうれしかった。おまけにファンクラブさんから綺麗な修了証書までいただいた。
 今回の山行きを企画してくれた芦安ファンクラブ、そして同行してくれたファンクラブのみなさんに心から感謝を申し上げる。本当にありがとうございました。

                    ( 平成28年5月22日登る )

 

*「NPO法人芦安ファンクラブ通信」第61号 に 載せてもらった山行き感想文です。

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 第40回 1日コース ドノコヤ峠~芦安鉱山跡

 以前芦安小学校の児童が、学習の一環として芦安鉱山跡を訪れたというニュースを見て私も何時かは行きたいと思っていた芦安鉱山跡までドノコヤ峠を越え行くことが出来ました。引率同行してくれた芦安ファンクラブのみなさんガイドのみなさんの援助がなければとても達成できなかった峠越えでした。

 桃の木温泉より更に奥に送迎のマイクロバスで進みました。何台か車が停まっている広場があり、そこがどうも車で行ける最終地点のようでした。車から降り、出発の用意をしました。色々注意事項を聞き、全員で準備体操をした後、歩き始めました。いよいよ出発です。心が躍ります。

 沢の流れを右に渡ったり左に渡ったり河原歩きが続きました。歩き始めて30分程で河原から離れ、山道を登り始めました。この登り口も知っている人でなければわからないかもしれません。ひと登りしたところに、ドノコヤ峠方向を示す鉄板製の道標がありました。この道標は今回の登山教室隊の隊長さんが10年ほど前に設置したのだそうです。この後、随所に同じような鉄板製の道標が設置されていました。ありがたいことです。

 今回の企画に向けてファンクラブやガイドの方々が、山道を修理したり新しく造ってくれていただいているようで、それほど難儀をせず登ることができました。やがて大崩ガレを大きく上の方へ迂回して登ることになりました。程なく向こう側の南アルプスの山々が見える大尾根に達しました。尾根へ出てしばらく下ったところがドノコヤ峠でした。

 峠で大休憩、南アルプスの展望を楽しみました。奈良田側は大きく崩れていました。以前はここの峠から峠道が直接下ったのでしょうが、崩れていてとても下りれるような状況でありません。峠から先の高みに少し登り、そこから下りの山道が始まりました。

 しばらくは昔の峠道という感じで快適にジグザグに下っていくと沢に降り立ちました。これがドノコヤ沢でしょうか。強くなった日射しで石や砂の照り返しがあったりで暑い中を、沢の流れを左右に渡ったりしながらかなり下っていったところに鉱山跡を示す大きな岩がありました。ドノコヤ峠を越えて、ようやく芦安鉱山跡に着いたのです。

 沢から登ったすぐのところの石垣で作られた平地でお昼を食べながら、ファンクラブの方の芦安鉱山跡についての話を聞きました。その後、鉱山跡を案内していただきました。苔むした石垣で作られた平地を過ぎると、有刺鉄線に囲まれた火薬庫の建物がまだ残っていました。鉱石を選別していらなくなった瓦礫を捨てた場所(ズリ場というらしいです)や、圧巻の坑道口も見ることが出来ましたた。残念ながら、私が一番見たかった芦安小学校の分校跡は、戻りの出発の時間の関係もあり見ることが出来ませんでした。そうでなくても私はもう歩き廻る力の限界だったかもしれません。

 帰りに向かいまたドノコヤ沢を登るのですが疲れがたまったのでしょうか、足が攣り始め自由に歩けません。ファンクラブの方が攣りにすぐ効く薬を飲ませてくれたり、リュックを背負ってくれたりしてくれて、本当に助かりました。おかげでようやくドノコヤ峠に登り返すことが出来ました。

 峠からは下りで大分楽になりましたが、しかし落ちれば大けがをするだろうと思われようなガレ場のトラバースが何箇所かあってとても気が抜けない下りが続きました。隊長さんやファンクラブの方のアドバイスがありガレ場を無事通り過ごし、やがて御勅使川の河原へ下りきりホッとしました。少し楽になった気持ちで、沢の流れを右へ左へと渡り、ようやく車のところまで辿り着いたのでした。

 最初にも書きましたが、芦安鉱山跡に辿り着くのは、正に聞くに勝る難路で遠かったです。ファンクラブのみなさんの援助がなければ行ける場所ではなかったように思います。前々から行きたい行きたいと思っていたドノコヤ峠を越え、芦安鉱山跡までなんとか行くことが出来てとてもうれしかったです。おまけに芦安ファンクラブからとても綺麗な修了証書までいただいてしまいました。恐縮です。

 今回の山行きを企画してくれた芦安山岳館、芦安ファンクラブ、そして引率同行してくれた隊長さん副隊長さんを始めファンクラブのみなさんに心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

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2015年5月19日 (火)

上条集落が国の重要伝統的建造物群に

 小倉山、上条山、上条峠を歩いたその翌日(5月16日)、地元の山日新聞紙上に、上条集落が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことが載っていた。平沢集落から上条峠を越え、下っていった最初の集落、上条山の麓の集落である。
 県内では、早川町赤沢に続いて2ヵ所目の選定であるという。

 3年前、車で平沢集落から林道上条平沢線で上条峠を越え下って通った時には古い集落だとは思ったが、今回指定されたような貴重な古い建物が沢山残っている集落だとは思わなかった。

 青梅街道からは横道に逸れ少し山の中に入っているから、旅人の多く通る集落ではなかったと思うが、私が歩いた上条峠を越えて、平沢集落と上条集落の往来はずいぶんあったのだろうと思う。花嫁の行列が、峠を越えて行き来があったかもしれない。

 新聞によると集落には、甲州民家情報館というものもあるようだし、塩山の図書館にでも寄って色々資料を調べてみようと思った。宿題がまた残った。

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