カテゴリー

にほんブログ村ランキング参加中

カテゴリー「古道を行く」の19件の記事

何故かわからないけれど、古いもの滅びゆくものに惹かれるのだ・・・

2017年8月13日 (日)

今日も峠を行く 日本三大峠「雁坂峠」

【 歩 い た 日 】 平成29年8月10日(木)
【コースと時間】  甲府5:30=6:30雁坂トンネル入口駐車場6:50-7:30林道終点-8:15クツキリ沢出会-(10分休憩)-9:10井戸ノ沢-10:45雁坂峠11:45-12:40井戸ノ沢-13:50林道終点14:00-14:40駐車場=甲府   ( =~車  -~歩き )
【参考にした資料 】
 「ぐるっと山梨市」 山梨県山梨市役所
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社
 「アタック 山梨百名山」  山梨メープルクラブ編 平成22年4月 山梨日日新聞社

 日本三大峠(*)の一つ「雁坂峠」を歩いた。雁坂トンネル入口の駐Karisaka001車場に車を駐め、出発の準備。駐車場の奥にあるゲートの脇を抜け、舗装の林道をしばらく歩く。この林道は、亀田林業所というところが作った私有の林道らしい。

 (*)南アルプス三伏峠、北アルプス針ノ木峠、奥秩父雁坂峠

 40分ぐらい歩いて林道の終点。ここから昔の峠道らしいジグザグの比較的歩きやすい道もあるが、石がごろごろの沢を歩いたり、何ヶ所か徒渉するところがあったりで結構厳しいところもある登山道であった。武田信玄の軍用道路であったというし、江戸時代から大正時代にかけては秩父大滝村の繭を塩山の繭取引所に運んだ交易の道だったというが、この峠越えは本当に大変だったろうなと思ったのだった。

 途中わずかだが山の花が咲いていた。

<イワタバコ>

Iwatabako002

<ミヤマオトギリ>

Karisaka004

<シモツケソウ>

Idonosawa002

<ソバナ>

Karisaka006


 時間的に見てもう着きそうだと思ってから、ジグザグの笹原の急な山道が続きへたばりそうになった頃ようやく峠に到着した。ああ、疲れた。Karisaka002

 峠には甲武信岳の方から歩いてきたという山ガールが一人Karisaka003。いろいろ楽しい山談義。この方は、昨日西沢渓谷入口のバス停から戸渡尾根を木賊山に登り、甲武信小屋に泊まり、破風山、雁坂嶺を経てここまで来たのだという。ずっと眺めはなく、雲の中だったそうだ。

 私は本当は、山梨百名山でもある「雁坂嶺」も登りたかったのだが、期待した眺めも全くなく、まだ40分ほどかかるということで今回は諦めたのだった。

 登る時に比べて少し楽な気持ちで峠を下った。林道脇の広場には、ニホンジカの親子がいて心が和んだ。

2017年4月24日 (月)

中道往還を歩く 迦葉坂を越えて

 天正10年(1582年)3月、織田信長の侵攻で武田勝頼は天目山で自害し、これで信虎、信玄、勝頼と三代続いた武田氏は滅亡した。その後、甲斐は信長の領地となるが本能寺の変で信長が亡くなると、天正壬午の乱を経て徳川家康が支配することとなる。
 この時代、徳川家康が駿河から甲斐へ入るのに、中道往還迦葉坂を越えた。織田信長も甲斐侵攻の後この峠を越えて帰還したという。
 
 そんな話を右左口宿歴史文化村推進会の方々に聞きながら、新緑美しい中道往還迦葉坂を歩き越えた。つづら折りに登る峠道はとても登りやすく、あちこちに馬頭観音や千手観音などがあり、往時を偲ばせる。
 さらに今回うれしかったのが、フデリンドウやカタクリ、イカリソウ、ヒトリシズカなどの花々が見られたことであった。フデリンドウは、枯葉が積もった峠道の真ん中にいっぱい咲いていて、踏まないように気をつけなければならなかった。道脇あちこちに咲く春の山の花を愛でる楽しい峠歩きでもあった。

 企画引率してくれた甲府市中道公民館の方々、山梨山の会、右左口宿歴史文化村推進会の皆様に感謝しながら、今回の峠歩きのレポートとする。

フデリンドウ
Rindo002

カタクリ
Katakuri002

イカリソウ
Ikariso002

ヒトリシズカ
Hitorisizuka002_2

タチツボスミレ
Sumire002

如意輪観世音像
Isibutu002

馬頭観世音像
Isibutu003

如意輪観世音像
Isibutu005

   (平成29年4月22日土曜日歩く)

   こちらも是非お読みください → 中道往還 迦葉坂を越えて(平成25年4月の記事)

2016年6月14日 (火)

峠を行く ドノコヤ峠を越えて芦安鉱山跡を訪ねる

<念願のドノコヤ峠を越え、芦安鉱山跡まで歩いた。聞くに勝る難しい山行きだった。同行引率してくれた芦安ファンクラブのみなさんの援助がなければとても達成できなかった峠越えだった。>

 桃の木温泉より更に奥に送迎のマイクロバスで進む。大雨でもあればとても走れないだろうと思うような河原の中も走る道だ。15分も走っただろうか、車で行ける最終地点のようで広場に何台か車が停まっていて、そこで車から降りる。いよいよ出発だ。全員で準備体操をし、歩き始める。

 流れを右に渡ったり左に渡ったり河原歩きが続く。ごく最近出来たと思P1040164われる立派な砂防堤を過ぎ、歩き始めて30分程で右の尾根に向けて登り始める。この登り口も知っている人でなければわからないかもしれない。小尾根に登り切ったところに、インターネットでよく見た鉄板製の道標があった。この道標はファンクラブの今回同行してくれた隊長さんが10年ほど前に設置したのだという。この後、随所に同じような鉄板製の道標が設置されていた。

P1040172 今回の企画に向けてファンクラブの方々が山道を修理したり新しく造ってくれていただいているようで、それほど難儀をせず登ることができた。やがて大崩ガレを大きく上の方へ迂回して登ることになる。程なく向こう側の南アルプスの山々が見える大尾根に達した。多分夜叉神峠から高谷山を経てドノコヤ峠、唐松峠から櫛形山の方へ抜ける尾根だろうと思った。尾根へ出てしばらく下ったところがドノコヤ峠だった。バスを下りたところからP1040187歩き始めて2時間50分程かかったことになる。(5分10分程休んだ時間を含めて)

 野呂川側は大きく崩れている。以前はここの峠から峠道が直接下ったのだろうが、崩れていてとても降りれるような状況でない。峠から先の高みに登り、そこから下りの道が始まった。

P1040194 しばらくは昔の峠道という感じでジグザグに下っていくと沢に降り立った。これがドノコヤ沢か。強くなった日射しで石や砂の照り返しがあったりで暑い中を、沢の流れを左右に渡ったりしながらかなり下っていったところに鉱山跡を示す大きな岩があった。ドノコヤ峠から1時間程で鉱山跡に着いたことになる)

 沢から登ったすぐのところの石垣で作られた平地でお昼を食べながら、ファンクラブの方の芦安鉱山跡についての話を聞く。その後、鉱山跡を案内してくれた。苔むした石垣で作られた平地を過ぎると、有刺鉄線に囲まれた火薬庫の建物がまだ残っていた。鉱石を選別していらなくなった瓦礫を捨てた場所(ズリ場というらしい)や、圧巻の坑道口も見た。
 残念ながら、私が一番見たかった分校跡は、出発の時間の関係もあり見ることが出来なかった。そうでなくても私はもう歩き廻る力の限界だったかもしれない。P1040205

 帰りに向かいまたドノコヤ沢を登るのだが疲れがたまったのだろうか、足が攣り始め自由に歩けない。ファンクラブの方が攣りにすぐ効く薬を飲ませてくれたり、リュックをしばらくの間背負ってくれたりしてくれて、本当に助かった。おかげでようやくドノコヤ峠に帰り着いた。
P1040228
 峠からは下りで大分楽になったが、しかし落ちれば大けがをするだろうと思われようなガレ場のトラバースが何箇所かあってとても気が抜けない下りが続いた。

 御勅使川の沢へ下りきりホッとした。少し楽になった気持ちで、沢の流れを右へ左へと渡り、ようやく車のところまで辿り着いた。

 最初にも書いたが、芦安鉱山跡に辿り着くのは、正に聞くに勝る難路で遠かった。ファンクラブのみなさんの援助がなければとても行ける場所ではなかった。
 それでも前々から行きたい行きたいと思っていたドノコヤ峠を越え、芦安鉱山跡までなんとか行くことが出来てとてもうれしかった。おまけにファンクラブさんから綺麗な修了証書までいただいた。
 今回の山行きを企画してくれた芦安ファンクラブ、そして同行してくれたファンクラブのみなさんに心から感謝を申し上げる。本当にありがとうございました。

                    ( 平成28年5月22日登る )

2015年5月19日 (火)

上条集落が国の重要伝統的建造物群に

 小倉山、上条山、上条峠を歩いたその翌日(5月16日)、地元の山日新聞紙上に、上条集落が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことが載っていた。平沢集落から上条峠を越え、下っていった最初の集落、上条山の麓の集落である。
 県内では、早川町赤沢に続いて2ヵ所目の選定であるという。

 3年前、車で平沢集落から林道上条平沢線で上条峠を越え下って通った時には古い集落だとは思ったが、今回指定されたような貴重な古い建物が沢山残っている集落だとは思わなかった。

 青梅街道からは横道に逸れ少し山の中に入っているから、旅人の多く通る集落ではなかったと思うが、私が歩いた上条峠を越えて、平沢集落と上条集落の往来はずいぶんあったのだろうと思う。花嫁の行列が、峠を越えて行き来があったかもしれない。

 新聞によると集落には、甲州民家情報館というものもあるようだし、塩山の図書館にでも寄って色々資料を調べてみようと思った。宿題がまた残った。

2015年2月11日 (水)

古道を行く 旧敷島町内 「市川道」

P1030366 以前K市教委の大嶌先生が御岳道を案内してくれた時に教えてくれた旧敷島町内の穂坂道(町屋往還)から南に下る「市川道」を、ウオーキングを兼ねて歩いた。

 今でいうと甲府敷島韮崎線沿いにある敷島の八幡神社のちょうど反対側に市川道の入口がある。細い道だ。それでも普通乗用車が走れるほどの舗装道路。

 しばらくは、特に目立つものもない住宅街の道だが、200~300m下った赤点滅信号を通り過ごしたところに「袖すり橋跡」があった。市川男と御嶽女が逢い引きをした場所だという言い伝えがあるという。まあ、これで御岳方面から市川方面に抜ける道に間違いないと思ったのだった。

P1030368_2 道端には溝蓋のある結構大きい水路が平行して走っている。上流の牛句当たりで荒川(亀沢川)から取り入れた水路の一つだろう。この水が、中下条や大下条辺りの田畑を潤していたのだ。

 ごく最近出来た広い愛宕町下条線を横切ると、まもなく寶珠寺。入口に沢山の石仏が並んでいた。石灯籠も何かずいぶん立派で古そうなものだが、由来はよくわからない。

 道なりに下って中央線の踏切を渡り、貢川に架かる勧進橋までで今日の古道歩きを終わりとした。橋のたもとに、最近整備したようで石仏三体が並んでいた。両側の馬頭観音様は結構古いようだったが、真ん中の地蔵様は、新しいもののようだった。八幡神社近くからここまで約30分であった。

P1030374_3 中央線の踏切に「松島道踏切」とあった。もしかしたら昔の地元の人は市川道というよりも「松島道」といっていたのかもしれない。

 市川道は、この先で中央道をくぐり、名取を過ぎて今の山県神社近くを通り、玉幡、昭和、田富を経て市川に通じるのだ。

  「御岳道を歩く」 2013年6月27日の記事

2014年8月 3日 (日)

中道往還を歩く・・・本栖城趾と青木ヶ原樹海の石塁

 今日は、山梨県立考古博物館主催の史跡文化財セミナーに参加し、本栖湖周辺の中道往還を歩いた。歴史探訪、お城巡り、山歩き、ウオーキング、写真撮影と欲張りな期待をしての参加だ。

 県営本栖湖駐車場から出発、まず「本栖歴史館」に寄った。まだ新しい博物館で、来館者はあまりいないような感じだった。もったいない。湖の方は、観光客でいっぱいなのに。

 博物館から少し歩き、「渡辺因獄佑(ひとやのすけ)」(*)の屋敷跡と墓を見学。甲府城にもあるがここにも煙硝倉跡があった。もっともお城にはどこにもあったのだろう。Nakamiti002

* 中道往還と本栖金山を守り、甲駿国境本栖の警備に当たっていた九一色衆十七騎の長である「渡辺因獄佑(ひとやのすけ)」は、武田氏に仕えていたが、天正10年(1582)に武田氏が滅亡し、本能寺の変の後同年の7月徳川家康の甲斐入国に際して功を立てたという。

 旧上九一色中学校の前から「旧中道往還」に入り、溶岩石の多い道を進む。東海自然歩道と合流するが、ここは元々の山と富士山の溶岩が流れた境目だそうだ。まさに、南に向かって左が元々の山で植林地、右側は溶岩地で雑木林である。

 東海自然歩道を歩き、まもなく国道139号線に出るというところが本栖城跡Siroyama005(城山山頂)への登り口だ。
 結構急坂を登る。途中、湖からの涼しい風に疲れも癒される。なんとも気持ちのよい風だ。

 城郭跡(城山頂上1056m)で休憩、富士山は頂上が雲で隠れていたが、本栖湖や竜ヶ岳を眺めながらの昼食であった。
 ここで、麓の中道往還の往来を見張っていたのだという。また近くの狼煙台は、ここから女坂峠、右左口峠を経ての緊急連絡網だったという。

 城山を下山、旧上九一色中学校前で国道139号線を渡ると、青木ヶ原樹Sekirui002海。林の中に苔むした「石塁」があった。
 この辺りの「石塁」は、高さ1mから1m50㎝、大小の溶岩石を積み上げて作られているという。
 敵の侵入を防ぐためだといわれているが、その他本栖集落を囲むように作られていることから、富士山の爆発時の溶岩の流入を防ぐためとか、獣の進入を防ぐためとか諸説あるようだ。

 石塁から本栖の信号に向かう途中に、「七社大明神」がある。集落の北端に位置し、行商に行く人たちの道中の安全祈願や、村に蔓延した疫病退散の祈願をしたと語り継がれている。Yama002

 本栖の信号を地下道で渡って少し下ると、「本栖関所跡」である。表示板のみでその他は何もない。
 関所跡からさらに少し下って「山神社」。ここでは、昔から伝わる古いお祭り「本栖公家行列」が、毎年5月17日に行われる。徳川家康から命を受け、本栖関所で駿河国境の警備に当たっていた渡辺囚獄佑が、若者の士気を鼓舞するために始めたといわれているということだ。

 今日は、本栖城趾城山への結構きつい登りが30分、後は軽いウオーキングで、1万歩程の適当な歩きであった。歴史探訪、お城巡り、山歩き、ウオーキング全て満足満足。写真は、上手く撮れない。ここに添付するのが恥ずかしいぐらいだ。カメラは、パナソニックLUMIX DMC-FX2。

< 参考資料 >
  第62回史跡文化財セミナー「本栖湖周辺の中道往還を歩く」配付資料 山梨県立考古博物館
  「本栖湖周辺史跡めぐりマップ」 富士河口湖町観光課

 

2014年1月19日 (日)

帯那衆 穴口峠を越える

 昨日(1月18日)、甲府市教育委員会が県立図書館で開いた講座「甲府歴史学講座 武田勝頼と甲斐国府中 -戦国城下町甲府と新府-」で、韮崎市教委の山下孝司さんから興味ある話を聞いた。

 石和の三枝英人氏蔵の文書に「帯那之郷悉罷出、毎月三日宛積翠寺御要害之御普請、堅可致勤仕、・・・」とあるのだという。私には古文書はよくわからないのだけれども、山下さんの話だと、要するに「勝頼が、帯那郷に、色々諸役を免除する代わりに、要害城の普請役を命じた(1576年天正4年)」ということらしい。

Anaguchi002 帯那から要害城に行くのには、違うルート(たとえば金子峠や中峠を越えて塚原の集落辺りへ下ってから向かうルート、淡雪山辺りの尾根を登り興因寺山から三の森二の森一ノ森を下って下積翠寺から行くルートなど)もあったろうが、やはり帯那から要害城に行くのには、穴口峠を越えて積翠寺に下り、今の要害温泉がある辺りから登るのが一番早いし楽だったろう。

 先日、私が歩いたルートで、同じように、戦国時代に帯那衆が大挙して穴口峠を越えて積翠寺要害城へ普請に向ったのだということで何か楽しく(?)なってしまった。

2014年1月13日 (月)

峠を行く 穴口峠を下り積翠寺へ

【 歩 い た 日 】 平成26年1月12日(日)
【コースと時間】  上帯那バス停(終点)13:20-昭和池-13:40穴口峠14:00-ツクシ坂-14:10見越沢(武田の杜遊歩道交差)-橋を渡って14:20林道-14:25古湯坊への広い舗装道路14:35-200~300m位-14:45県道甲府山梨線-14:55積翠寺バス停(終点)
【参考にした資料 】
 「甲府自然休養林ハイキングマップ 」 林野庁山梨森林管理事務所 
 
 「 1:25,000地形図 甲府市北部 」 平成2年2月 国土地理院
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社

  *********Anhanako002

<上帯那バス停から穴口峠へ>
 上帯那バス停から穴口峠へ向かう。この道はもう何度も歩いた道だ。ついこの間も妻と4月から放送される朝ドラ「花子とアン」のロケ地を見るためにこの道を歩いた。今日は更に上へ上へと向かう。軽トラぐらいだったら通れるかなと思う結構急な舗装された道を登る。落ち葉で舗装が隠れそうなところもある。15分ほどで右に昭和池、左に穴口のYamamiti002_4集落を見る。昭和池は全面結氷だ。そして間もなく穴口峠に着いた。バス終点から約20分。

<穴口峠から見越沢へ>
 穴口峠から更にアスファルトの道が左に登っているが、この道はすぐ行き止まりだ。右に行くと興因寺山、淡雪山方面で、正面から少し左方向に下っていくのが積翠寺に下る道だ。(峠の道標には、「古湯坊」「淡雪山」「見越沢」「白山神社」の表示はあるが、「興因寺山」「積翠寺」「穴口峠」の表示はない。)Anaguti001_2

 小林経雄の「 甲斐の山山 」P160には、『ツク坂(815){穴口峠}・・・ツク坂は平坦な尾根上の十字路で、穴口から積翠寺へ峠道が越えている。アカマツ林に囲まれ眺望はない。』という記述がある。

 
 穴口峠から快適な落ち葉に埋もれた山道が下っている。「甲府自然休養林ハイキングマップ 」には、峠から少し下ったところに「ツクシ坂」という表記がある。10分で見越沢。武田の杜遊歩道が右左に交差している。Mikosizawa002
 ここを左方向に遊歩道を進むと25分位で古湯坊だそうだ。右方向に進むと「鳥獣センター」とあるが、鳥獣センターはまだまだかなり先だ。積翠寺の集落、バス停に降りるのにはほんの10mほど右鳥獣センター方向にいったところから山道が沢沿いに下っている。峠から下って来て正面にはトラ縄が張ってあり、右にちょっと行くので下る道を見逃してしまう恐れがある。

<見越沢から積翠寺の集落へ>Rindo002
 見越沢からさらに10分ほどで丸太4、5本でできた橋を渡ると林道に出る。古い林道でところどころコンクリートの舗装が覗いている。そしてその林道を少し下ると、すぐ古湯坊に向かう狭いが舗装された立派な道に出る。
 反対に積翠寺バス停方面から、穴口峠、興因寺山淡雪山に登る時は、ここを見落とすと古湯坊まで行ってしまい、歩くのでは武田の杜遊歩道経由の遠回りになる。
 インターネットの古いレポートだとここのガードレールの端に「穴口峠←」という文字があると記Koyubo005_2述があるものもあるが、もう文字は全く読めないでただの汚れにしか見えない。

<積翠寺バス停へ>
 コンクリートの道を200~300m下ると、県道甲府山梨線だ。ずいぶん立派な広い道で、この地域の温泉旅館のオーナーが県知事をしていたからその勢かなと思ったりした。
 ここをほんの10mほど左方向要害温泉方面に向かうと積翠寺(お寺)が見え、広い県道から外れ右に下って集落内を道なりに行くと10分もかからず積翠寺バス停に着く。(バスは、朝と夕方1本づつしかない。)

2013年11月12日 (火)

八ヶ岳棒道を歩く

Bomiti005_8

 勧学院中北教室ハイキングクラブの仲間と/

 道々の観音様に心癒され/

 信玄の野望に思いを馳せる/

 紅葉真っ盛りの八ヶ岳棒道を歩きました/

< スパティオ小淵沢  ~  三分一湧水  ~  小荒間の番所跡 ~  信玄棒道(上の棒道) ~ 火の見櫓跡  ~ スパティオ小淵沢  山水樓「龍淵」で昼食 >

Bomiti002_7

2013年10月13日 (日)

「十谷峠」をめざして 「五開茂倉林道」交通止め

 以前山梨百名山「源氏山」に登った時、櫛形山丸山林道から入り、足馴峠林道の一部を歩いた。まだ工事中で、歩いた先で交通止めのようだった。
 源氏山近辺の地図を眺めていたら源氏山の麓、十谷方面にも「足馴峠林道」の名前を見つけた。どうも丸山林道を起点に伸びたこの「足馴峠林道」は、もしかしたらまさに足馴峠を通って十谷方面に抜けていくのではないかと思ったのだ。確証はない。

 そんなこともあって今回は五開十谷を通って十谷側の足馴峠林道を探索し、その後「五開茂倉林道」で十谷峠を越えて茂倉早川町側に下ろうと考え出発した。

 国道52号線から入り、大柳川沿いに走る。県道407号十谷鬼島線だそうだ。途中よく温泉好きの人から聞く「かじかの湯」があり、更に進んで川向こうに五開小学校跡を見る。目を戻すと、レトロな五開郵便Gokai002局の建物があった。

 不動の滝を右に見て行き着いたところが十谷の集落だ。以前行ったことのある旧中富町大塩の集落と同じような山斜面の古い集落だ。立派な待合所のあるバス停や車20台ぐらいは駐められる町営の駐車場があったりする。結構山の奥なのだが、観光地なのだ。紅葉の季節を間もなく迎える大柳川渓谷だ。Gokai005

 十谷峠へ向かって舗装道路だが狭い林道を奥へ進む。十谷温泉で有名な十谷荘を過ぎ、源氏荘入口が見えてきてその先のゲートが何と閉まっていて「交通止め」、開通の見通しも当分なしという看板が立っていた。え~、せっかくここまで来たのに・・・。

 秋晴れの十谷峠からの素晴らしい眺めを期待して来たのだが、今日はここまで、残念!。

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

お薦めサイト

山と山の花セレクション

  • マツムシソウ
     山登り山歩きの折、撮りためて来た写真を主に「山と山の花セレクション」をまとめました。ご覧ください。

続 山と山の花セレクション

  • ミヤマシャジン
     山歩きの折に撮った山と山の花の写真・・・「続 山と山の花」です。ご覧ください。

大蔵経寺山

  • 10-石和の町並み
     平成16年12月11日、初冬の穏やかな一日、積翠寺岩堂峠から大蔵経寺山へ登ってきました。

桜峠

  • 芦川北陵西端の山々
     平成17年1月29日、芦川北陵西端浅間山から桜峠を歩いてきました。  落ち葉の海を歩き、一面のカヤの原を越えて桜峠に行き着きました。  小さい頃からずっと眺めてきた山々です。
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ