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カテゴリー「甲府学問所徽典館」の4件の記事

山梨大学の前身甲府学問所徽典館について 学頭や学んだ人々の活躍など

2021年3月 2日 (火)

徽典館学頭 友野霞舟 八王子山(白山)に遊ぶ

 甲府市街から北西方向に見える 八王子山(630m)は、私にとっては地元の山といえる。緑ヶ丘スポーツ公園から湯村山法泉寺山を経て登ったり、和田峠を登り切ったところにあるヘラブナ釣りで有名な千代田湖畔から登ったり、また梨木峠から尾根づたいに登ったりで、もう数え切れないほど登っている。Imgp06941_20210304121101

 千代田湖(昭和12年に出来た人造湖)もない江戸時代後期に、この山に登り、格調高い漢文エッセーを書いた人がいる。友野霞舟(とものかしゅう)である。題は『 遊白山記 』といい、今でいう山岳紀行随筆である。

 友野霞舟(1791~1849)は江戸時代後期の儒者漢詩人で、江戸の昌平黌から派遣された初代の徽典館(山梨大学の前身)の学頭(学長)である。

Imgp06901  山梨大学名誉教授の成瀬哲生先生の論文を読むと、友野霞舟は甲府愛宕町から塔岩町を通り和田村の名主のところに寄り一休み、和田峠を上り、下帯那町に出た。そして、まず今も四阿があり眺めのよい白山に登り、さらに南進して大きい石の祠のある八王子山に至ったようだ。八王子山山頂の様子や眺めなど、格調高い漢文で書いている。(もちろん成瀬先生の論文の訓読があるのでわかるのだが)

*八王子山山頂には最近「白山」という木標が、祠の裏の木にぶら下がっている。どうも、先ほどの和田峠辺りから四阿のある白山、さらに八王子山から梨木峠辺りまでの山域全体を「白山」といっているのではないかと思う。今でもそのようだ。

 帰りは、平瀬に降り、羽黒町から湯村、塩部、古府中というルートで歩いたと書き記す。最後にこの日の同遊の者が16人だったと結んでいる。

 成瀬先生の論文で 訓読 を読むとよくわかり楽しい。成瀬先生に感謝します。

 写真上 四阿のある白山から千代田湖、南アルプス方面を眺める 
 写真下 現在の八王子山山頂 八王子権現の石の祠がある

【参考文献資料】
・『友野霞舟 「白山に遊ぶ記」ー徽典館の文学-』 成瀬哲生 平成25年(2013年)度 山梨大学教育人間科学部紀要
・ 甲府文芸講座マガジン「 昇仙峡に魅せられた人たち 」 平成10年3月 甲府市教育委員会発行
・「『甲斐山岳』第11号別冊 甲斐百山 」 日本山岳会山梨支部 令和元年12月15日発行     

2021年2月28日 (日)

日本遺産 御嶽昇仙峡を訪ねて 乙骨耐軒の碑

 滝上から下り仙娥滝を見て、昇仙橋を渡り、石門の手前で左上を見上げると、「乙骨耐軒の碑」がある。碑といっても大きな岩盤に縦長方形に彫られたものである。正確には「仙嶽新道銘」。ちょっと高いところにあるので、ほとんどの人は気が付かず通り過ぎる。私も昇仙峡マイスターをする前は、全く知らなかった。Imgp17321

 乙骨耐軒は、山梨大学教育学部の前身徽典館の初代学頭(学長)である。御嶽新道の開発に尽力した長田円右衛門の功績を讃え、乙骨耐軒が撰文し、当時一流の文人であり甲府勤番支配(知事)だった浅野梅堂が書いたものである。

 残念ながら長い年月の間に、碑文は朽ちてほとんど読むことは、不可能だ。読めても漢文で、私には読解するのは無理か。先日紹介した長田円右衛門顕彰碑のようにこの碑の説明板でもあるといいのになと思った。
Imgp17301  この仙嶽新道銘について、「甲府を自慢する会のblog」が詳しい。ありがたいことだ。

 昇仙峡を案内するときに、興味がありそうな人には、長田円右衛門顕彰碑とともに目立たないこの碑の紹介もしていこうと思ったのだった。

【参考資料】
・甲府文芸講座マガジン「 昇仙峡に魅せられた人たち 」 平成10年3月 甲府市教育委員会発行
・ブログ「甲府を自慢する会のblog」  http://kofuwojiman.livedoor.blog/ 

 2021年2月1日の記事 → 日本遺産御嶽昇仙峡を訪ねて 長田円右衛門顕彰碑

2021年2月 1日 (月)

日本遺産 御嶽昇仙峡を訪ねて 長田円右衛門顕彰碑

 昇仙峡滝上から仙娥滝を見て、昇仙橋、石門を少し下ったところの右谷側に東屋がある。Imgp69441この東屋脇に日本遺産御嶽昇仙峡のストーリー構成文化財の一つである長田円右衛門の顕彰碑がある。長田円右衛門はこの御嶽昇仙峡に新道を開削し、昇仙峡を世に知らしめた人物である。

 この碑文の最後に『鶴梁学人賛』とある。”鶴梁”とは、長田円右衛門と格別の親交があったこの時代の甲府学問所徽典館(現在の山梨大学教育学部の前身)の学頭「林鶴梁」である。Imgp69451_20210201204301 鶴梁は、この昇仙峡をよく訪れ、円右衛門と深い交流があったという。円右衛門の功績を讃えて、この碑にある円右衛門の姿を柳渓(りゅうけい)という絵師が描き、”手足にヒビ、アカギレを切らしながら山を切り、谷を割るなど苦難の末始めて道を開いた顔は醜く鬼のようであるが心は菩薩のようである”と鶴梁が賞賛したのだ。

【参考資料】
・甲府文芸講座マガジン「 昇仙峡に魅せられた人たち 」 平成10年3月 甲府市教育委員会発行

2019年2月11日 (月)

「甲府学問所徽典館」で学んだ

 私は、「甲府学問所徽典館」で学んだ。もちろん江戸時代ではなく平成時代に。

 平成28年7月からこの「甲府学問所徽典館」が山梨県埋蔵文化財センターの主催で開講され、私は学生になった。一ヶ月に一回、3月まで全部で10回ほどの講義(概説、演習、特論、卒業レポート)があった。夜学であった。毎回、今回はどんな話が聞けるのかとわくわくしながらに通ったのだった。

 平成の「徽典館」は、今の県防災新館の平和通りを挟んで反対側のビル5階の一室で開講された(*)。暗い階段を登って教室に行くと、明るい電気がついていて既に大勢の同期生がいて甲府城や甲府城下町の色々な話がされていて活気に満ちていた。

*当初「甲府学問所」は甲府勤番支配役宅に開設されたが、その後甲府城大手門南三丁(今の甲府市中央公園のあたり)に新学舎が完成、その翌年「徽典館」と命名されたという。

 同期生は、中には既に知っている方もいたが、ほとんどが知らない方たちだった。いずれも前向きで学ぶ姿勢いっぱいの方たちだった。
 「徽典館」の講師教授陣も一流の方々で、ごく新しい情報も含めて、興味ある内容の濃いかなり専門的な話が聞けてうれしかった。学んでいるという充実感があった。
 江戸時代の「甲府学問所」そして「徽典館」で学んだ学生たち(*)も、こんな気持ちで講義を受けていたのではないかと思ったのだった。

(*)勤番士の子息だけでなく、学ぶ姿勢のあるものは庶民でも受け入れたとのことだ。江戸時代末期、徽典館の教授(学頭)や教えを受けた学生が、日本山梨の動き発展に大きく関わったという。

 私は昭和の徽典館(梨大)で学び、そして平成の徽典館この「甲府学問所徽典館」で学ぶことが出来て本当に幸せだと思った。
 この平成「徽典館」で学んだことを、ささやかではあるが社会に還元していこうと思っている昨今だ。

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