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2014年8月 3日 (日)

本栖湖周辺の中道往還を歩く

今日は、山梨県立考古博物館主催の史跡文化財セミナーに参加し、本栖湖周辺の中道往還を歩いた。歴史探訪、お城巡り、山歩き、ウオーキング、写真撮影と欲張りな期待をしての参加だ。

 県営本栖湖駐車場から出発、まず「本栖歴史館」に寄った。まだ新しい博物館で、来館者はあまりいないような感じだった。もったいない。湖の方は、観光客でいっぱいなのに。

 博物館から少し歩き、「渡辺因獄佑(ひとやのすけ)」(*)の屋敷跡と墓を見学。甲府城にもあるがここにも煙硝倉跡があった。もっともお城にはどこにもあったのだろう。Nakamiti002

* 中道往還と本栖金山を守り、甲駿国境本栖の警備に当たっていた九一色衆十七騎の長である「渡辺因獄佑(ひとやのすけ)」は、武田氏に仕えていたが、天正10年(1582)に武田氏が滅亡し、本能寺の変の後同年の7月徳川家康の甲斐入国に際して功を立てたという。

 旧上九一色中学校の前から「旧中道往還」に入り、溶岩石の多い道を進む。東海自然歩道と合流するが、ここは元々の山と富士山の溶岩が流れた境目だそうだ。まさに、南に向かって左が元々の山で植林地、右側は溶岩地で雑木林である。

 東海自然歩道を歩き、まもなく国道139号線に出るというところが本栖城跡Siroyama005(城山山頂)への登り口だ。
 結構急坂を登る。途中、湖からの涼しい風に疲れも癒される。なんとも気持ちのよい風だ。

 城郭跡(城山頂上1056m)で休憩、富士山は頂上が雲で隠れていたが、本栖湖や竜ヶ岳を眺めながらの昼食であった。
 ここで、麓の中道往還の往来を見張っていたのだという。また近くの狼煙台は、ここから女坂峠、右左口峠を経ての緊急連絡網だったという。

 城山を下山、旧上九一色中学校前で国道139号線を渡ると、青木ヶ原樹Sekirui002海。林の中に苔むした「石塁」があった。
 この辺りの「石塁」は、高さ1mから1m50㎝、大小の溶岩石を積み上げて作られているという。
 敵の侵入を防ぐためだといわれているが、その他本栖集落を囲むように作られていることから、富士山の爆発時の溶岩の流入を防ぐためとか、獣の進入を防ぐためとか諸説あるようだ。

 石塁から本栖の信号に向かう途中に、「七社大明神」がある。集落の北端に位置し、行商に行く人たちの道中の安全祈願や、村に蔓延した疫病退散の祈願をしたと語り継がれている。Yama002

 本栖の信号を地下道で渡って少し下ると、「本栖関所跡」である。表示板のみでその他は何もない。
 関所跡からさらに少し下って「山神社」。ここでは、昔から伝わる古いお祭り「本栖公家行列」が、毎年5月17日に行われる。徳川家康から命を受け、本栖関所で駿河国境の警備に当たっていた渡辺囚獄佑が、若者の士気を鼓舞するために始めたといわれているということだ。

 今日は、本栖城趾城山への結構きつい登りが30分、後は軽いウオーキングで、1万歩程の適当な歩きであった。歴史探訪、お城巡り、山歩き、ウオーキング全て満足満足。写真は、上手く撮れない。ここに添付するのが恥ずかしいぐらいだ。カメラは、パナソニックLUMIX DMC-FX2。

< 参考資料 >
  第62回史跡文化財セミナー「本栖湖周辺の中道往還を歩く」配付資料 山梨県立考古博物館
  「本栖湖周辺史跡めぐりマップ」 富士河口湖町観光課

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