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2019年5月

2019年5月 8日 (水)

徳川家康も越えた「迦葉坂」

<天正10年(1582年)3月、織田信長の侵攻で武田勝頼は天目山で自害し、これで信虎、信玄、勝頼と三代続いた武田氏は滅亡した。その後、甲斐は信長の領地となるが本能寺の変で信長が亡くなると、天正壬午の乱を経て徳川家康が支配することとなる。・・・この時代、徳川家康が駿河から甲斐へ入るのに、中道往還迦葉坂を越えた。織田信長も甲斐侵攻の後この峠を越えて帰還したという。>
 
 中道往還迦葉坂を越えるのは、私は何度目になるだろうか。この日は、ちょっと肌寒い曇天の下だったが、精進湖線右左口トンネル甲府側の入口から峠道に入り、新緑美しい迦葉坂を歩き越えた。何ヶ所か道が崩壊し、歩くのに厳しいところがあるにはあったが、全体的にはつづら折りに登る峠道はとても登りやすかった。

 あちこちに馬頭観音や千手観音などがあり、往時を偲ばせる。多いところでは、10mも歩くと次の石仏があった。これほど石仏の多いのは、いにしえの多くの人々が歩き越え、しかも登り下りがとても辛い峠道だった証拠だ。

 以前この時季に歩いた時には、フデリンドウやカタクリ、イカリソウがいっぱい花開いていたのに、今回は残念ながら見られなかったのが残念だった。

<峠道に入って始めてあった馬頭観音像>
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<峠道脇にはヒトリシズカがいっぱい咲いていた>
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<千手観音像もある>
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<多くのいにしえ人が越えた迦葉坂の峠 この右側には徳川家康が休んだ東屋があったという平地がある>
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<峠の両側ちょと高いところには石の祠があった>
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<峠道は所々石畳になっている 脇には苔むした石垣がある>
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<峠を越えて下りきった道には、ウツギが咲いていた>
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 (まもなく平成が終わる 平成31年4月27日土曜日歩く)

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2019年5月 7日 (火)

山梨百名山79座目「毛無山」

<鶏冠山などいくつかの山はとても無理だと思って、山梨100名山全部踏破はもともとあきらめていた。それでもと思いながら、登り続けてきて、今回の「毛無山」で山梨百名山79座目となった。>

【 歩 い た 山 】 山梨百名山「毛無山(1,946m)」
【 歩 い た 日 】 令和元年5月6日(月)
【 コースと時間】
 甲府5:40=中央道双葉スマートIC=中部横断道下部早川IC=下部温泉街=6:40毛無山登山口7:10-8:30山の神8:40-9:00中山金山跡-9:30第二地蔵峠9:40-11:10毛無山山頂11:20-12:30第二地蔵峠-13:00山の神13:10-14:10登山口
【 参考にした資料 】
 「 新版 アタック 山梨百名山 」 監修 山梨メーブルクラブ 平成22年4月 山梨日々新聞社 
 「 甲斐の山山 」 小林経雄 平成4年3月 新ハイキング社

Imgp58080  先頃供用開始になった下部早川ICで中部横断道を下り、狭い下部温泉街の道、湯之奥の集落を通り、毛無山登山口に着いた。ここには車5~6台駐められる駐車場がある。中山金山と毛無山の説明板を見て、登山道に入った。

 ひたすら登りの登山道を登る。去年の台風の影響か倒木が結構あり、登山道を塞いでいるところもあったが、一応通れるようにはなっていた。中山金山跡を眺めながら、第二地蔵峠に着いた。ここまでは、一度湯之奥金山博物館が主催した中山金山見学会で登ってきたことがあった。

Imgp58400_1  霧が出ていて、楽しみにしていた富士山はまったく見えなかった。ここから頂上をめざす。アップダウンが結構あり、時間がコースタイムよりも大分かかってしまった。頂上でも眺めは全くなかった。それどころか雨も少し降ってきたので、一等三角点と山頂の標柱を写真に収め早めに頂上を退散した。

*山梨百名山木標のあるここにある一等三角点は、標高1945.5mだ。毛無山には三つのピークがあって一番高いところが1,946mだそうだ。ちなみに山梨県には一等三角点は二つだそうだ。(もう一つは甲斐駒ヶ岳。)Imgp58440

 楽しみにしていた峠からの富士山、麓の朝霧高原、山頂から見えるという駿河湾や伊豆半島は、辺り一面の霧で見ることは出来なかったが、27,000歩の今までの最高歩数、静かな山歩きと山梨百名山1座ゲットで満足、満足の山行きだった。

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