カテゴリー「峡南・河内 山と峠」の22件の記事

歴史を刻む沢山の山々と峠

2017年3月12日 (日)

里山を歩く 市川三郷町上の平(うえんてーら)

 今日はミスミソウの写真を撮りに行ったのですが、宮原の集落とその裏山の雰囲気が素敵で、そのまま山道を歩き、頂上(上の平〔うえんてーら〕三角点386.9m)まで登ってきました。

 集落の色々な行事もやるというスポーツ広場の駐車場に車を停めさせてもらい、歩き始めました。新しい家もありますがこの辺りではどこにでもあるような昔ながらの集落(私が子どもの頃の実家の近辺のような)の中を少し歩き、登り口を見つけました。入り口には「里山散歩道入り口」という小さな看板がありました。地元の方が設置215してくれているようです。ありがたいことです。

 これまた地元の有志が開催しているという竹林コンサートが開かれるちょっとした広場を右に見て登ります。昔、芋を保存したという「いも穴跡」を過ぎジグザグ登ると、ミスミソウが咲いていました。山道の両側にいっぱい咲いていてうれしくなりました。同じようにミスミソウの写真を撮っていた夫婦の奥様が、”林の中には入らず道端の花を撮っています”といっていたので、私も林の中には入らず道端に咲いている花の写真を撮りました。それで十分です。「春の妖精」といわれるミスミソウの花の写真をいっぱい撮ることが出来ました。

Ic002_3 そのまま、頂上を目指します。途中見下ろすと、木々の向こうすぐそこに中部横断道六郷インターが見下ろせました。中部横断道は、ここまで間もなく開通のようですが、今歩いているここはこのまま静かな里山であって欲しい、そう思わずにはおれませんでした。
 遠くには、私が何度も登り大好きな蛾ヶ岳やこれまた登ったことのある源氏山、櫛形山などが見えていました。

 Fuji002麓から普通に直接登れば40分ぐらいでしょうか、頂上に着きました。「うえんてーら」というとおり、平らな頂上でした。昔は、畑があったという説明看板がありました。三角点にタッチして、やはり地元の人が作ってくれたのでしょう、丸太を半分に割ったベンチでゆっくり休みまSankaku002した。東方向山の上には、富士山が大きく顔を出していました。

 ああ、いい里山に登ったという満足感に満たされながら、ゆっくり山道を下り、途中またミスミソウを眺めて駐車場に戻りました。2時間半ぐらいの山歩きでしたが、至福の一時でした。

                      (平成29年3月5日 歩く)

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2017年3月 6日 (月)

宮原の「ミスミソウ」を撮る

 市川三郷町宮原へミスミソウの写真を撮りに行ってきました。(3月5日)宮原は、宇野尾峠を歩いたときに通過した集落です。この宮原の里山にミスミソウがこんなに秘やかに可愛く咲いているとは。

 里山歩きの楽しさ、喜びも久しぶりに体験しましたが、こちらのレポートはまた別の機会に。今回は宮原のミスミソウの写真をいっぱい載せたいと思います。

   撮影カメラ ; PENTAX K-7
           レンズ ;  SMCPENTAX-DA 18-55mmAL
    
                 SMCPENTAX-DA  55-300mmED

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2013年10月13日 (日)

十石峠をめざして 五開茂倉林道交通止め

以前山梨百名山「源氏山」に登った時、櫛形山丸山林道から入り、足馴峠林道の一部を歩いた。まだ工事中で、歩いた先で交通止めのようだった。
 源氏山近辺の地図を眺めていたら源氏山の麓、十谷方面にも「足馴峠林道」の名前を見つけた。どうも丸山林道を起点に伸びたこの「足馴峠林道」は、もしかしたらまさに足馴峠を通って十谷方面に抜けていくのではないかと思ったのだ。確証はない。

 そんなこともあって今回は五開十谷を通って十谷側の足馴峠林道を探索し、その後「五開茂倉林道」で十谷峠を越えて茂倉早川町側に下ろうと考え出発した。

 国道52号線から入り、大柳川沿いに走る。県道407号十谷鬼島線だそうだ。途中よく温泉好きの人から聞く「かじかの湯」があり、更に進んで川向こうに五開小学校跡を見る。目を戻すと、レトロな五開郵便Gokai002局の建物があった。

 不動の滝を右に見て行き着いたところが十谷の集落だ。以前行ったことのある旧中富町大塩の集落と同じような山斜面の古い集落だ。立派な待合所のあるバス停や車20台ぐらいは駐められる町営の駐車場があったりする。結構山の奥なのだが、観光地なのだ。紅葉の季節を間もなく迎える大柳川渓谷だ。Gokai005

 十谷峠へ向かって舗装道路だが狭い林道を奥へ進む。十谷温泉で有名な十谷荘を過ぎ、源氏荘入口が見えてきてその先のゲートが何と閉まっていて「交通止め」、開通の見通しも当分なしという看板が立っていた。え~、せっかくここまで来たのに・・・。

 秋晴れの十谷峠からの素晴らしい眺めを期待して来たのだが、今日はここまで、残念!。

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林道「湯之奥猪之頭線」を行く

 もともと県内各地にある金鉱山跡等に興味を持っていたし、以前下部の湯之奥金山博物館に見学に行った時、湯之奥金山のことを改めて知り、その金山跡に何時か行ってみたいと思っていた。また同時に、湯之奥金山を更に登ってその上にある山梨百名山「毛無山」に登りたいとも思っている。そんなことで今日はその下見をと思い、林道湯之奥猪之頭線を車で走ってみた。途中で交通止めかなとも思いつつ・・・。

Fuji005 道幅の狭い下部の温泉街、そして湯之奥集落を抜けてからも結構長い距離を走った。全面舗装だがやはり林道で、落石等結構ころがっていた。途中に、毛無山中山金山への登山口があった。道路右脇には、車数台は駐められる駐車場が用意されていた。毛無山頂上までは、ここから3時間ほどかかるようだ。結構時間はかかるが、何時かは登ってみたい。途中、金山跡にも寄って・・・。

 林道を更に進むと、間もなく湯之奥猪之頭トンネルだ。トンネルを出たところで、絶景の富士山が眺められた。写真を撮っている人が数人いた。

 林道を下る途中では、カラフルなパラグラーダーが空いっぱいに舞っているのが見られた。穏やかな富士西麓、朝霧高原・・・。

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2013年5月 5日 (日)

山梨百名山「富士見山」

【 歩 い た 日 】 平成25年5月4日(土)

【コースと時間】 家6:10=国道52号線中富切石6:55=青年自然の里入口=句碑の里=堂平=7:10平須(登山口)7:40-8:30 1,000m付近で10分休憩-10分休憩-10:35御殿山十谷峠分岐10:45-10:55富士見山展望台11:00-11:25山頂11:50-富士見山展望台15分休憩-平須への下り分岐通過-12:45堂平への分岐-10分休憩-14:45堂平14:55-15:05平須(登山口)=大塩集落=富士川カントリークラブ入口=国道52号線Hasiridokoro002

 前々から登ろうと思っていた富士見山に登った。(富士見山は、甲斐国志では「鈴ヶ森山」といっているということだ。)国道52号線旧中富町役場手前の信号を右折、寺沢川沿いに何回かいったことのある青年自然の里入口、句碑の里を通過、富士見山林道に突き当たり左折、堂平を通過して、平須の登山道入口に到着。家からちょうど1時間だった。

 最初から急坂で、それが稜線に出るまで続いた。スギ林そしてヒノキ林の中をひたすら登り歩いた。 途中、小屋が二つばかりあKiranso002ったが、何の小屋だろうか。
 スミレがずいぶん咲いていた。かなり登ったところからは、ハシリドコロが沢山咲いていた。何となく予想されたが、家に帰って調べてみるとこの「ハシリドコロ」は、有毒植物で薬用にもされるという。「キランソウ」も登山道脇の斜面にへばりつくように咲いていた。
 中富町が建てた鉄の道標は錆びて字が読めないのが多かったが、ずいぶん昔からのハイキングコースなのだと思った。

 左に大ガレ場を見て、やがて御殿山十谷峠への分岐、稜線に出てHakuho002南アルプスの雪を被った雄大な山々を見ることができた。そこからはわずかで 富士見山展望台、天気もよく眺めがよかった。
 東にはもちろん富士山、西には盆地から見るのと山の形が違ってはっきりわからないが、南アルプス白峰三山や笊ヶ岳双耳峰などが眺められた。麓には、早川と富士川合流点の広い河原や山上のいくつかの集落などが眺められた。 

 そこから更に稜線をアップダウン30分で、富士見山頂上。山頂には、二等三角点の石標と山梨百名山の木柱があった。
Fujimiyama002
 帰りは、富士見山展望台、平須からの分岐を通り過ごし、御殿山十谷峠の方へ向かい少し下った鞍部から、堂平へ向けて下り始めた。長い長い下りに癖々したころ、ようやく宗教施設を見てすぐ堂平の舗装道路に降り立った。そこから 歩いて10分ほどで平須の登山口に戻った。

 今回は、急な登りと長い下りで疲れてしまったが、久しぶりの山歩きでうれしかった。


<キランソウ>
 キは古語で紫を、ランは藍(あい)を意味しており花の色からきたとする説があるそうだ/一方金襴(きんらん)と書き、花が金襴の織物の切れ端のように見えるところからきたとする説もあるという/道端で地面に蓋(ふた)をするようにへばりついている様子と、万病の薬草となることから、地獄に蓋をしてしまうという意味で「ジゴクノカマノフタ(地獄の釜の蓋)」という別名がある

 

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2012年2月13日 (月)

「峠みち」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 小さな仏を安置して

 無事を祈った村人たち

 汗をぬぐう

 その手で

 そっと手を合わせて

 越えた峠みち

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「市川の歴史と民俗探訪」の冊子に、こういう記述がありました。 そして、続いて帯那峠や堀切峠の石龕などのことが、はっきりとした写真とともに載っていました。
 先日、私自身が訪ねた峠の石龕など・・・これは貴重な冊子だと思いました。

 市川三郷町市川大門の水口屋のご主人に頂いた市川大門の文化財などの貴重な冊子3冊・・・青柳さんありがとうございました。


 「市川の歴史と民俗探訪」 (市川大門町教育委員会)
  心にやすらぎを取り戻したいとき、そっと訪れてみたい

 「市川大門散歩マップ」 (市川マップの会)
  私たちの町に 新しい発見が! 語り継ごう 私たちの町の 素晴らしさを!

 「市川大門町の文化財」 (市川大門町教育委員会)

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2012年1月19日 (木)

峠を行く 宇野尾峠 鳩打峠 地蔵沢峠 勝坂峠

 今日(1月18日)も「峠を行く」。今回は、山梨県峡南地方 宇野尾峠 鳩打峠 地蔵沢峠 勝坂峠を訪れました。

 市川大門の知人の家に寄り、先日歩いた割石峠下の割石トンネルを通り、落居、岩間、久那土と進みました。

<宇野尾峠>
 旧宇野尾トンネルは、いつだったか通ったことがあったので、だいたい見当はついていました。今回も最初、樋田側から先日降った雪がまだ少し残るトンネルの道を走ってみたのですが、峠の登り口がよくわかりませんでした。おまけに車を置く適当な場所が見つからず、旧六郷町宮原側にしばらく下ったところから、ずいぶん立派な新宇野尾トンネルをまわって、結局久那土小中学校の前の河川敷公園の駐車場に車を置き、歩き始めたのでした。

 折門、八坂峠へ行った時、何度も通った県道404号古関割子線を右に分け、414号山保久那土線を樋田川沿いに北へ進みます。(確かこのままずっと行くと先日訪れた堀切峠、藤田峠、帯那峠方面に抜けるはずです。)Unotoge001_2
 山保久那土線に入ってほんの50mも行かず左に入っていく狭い舗装道路があります。入ってすぐ一軒の家の後、山裾斜めに上っている山道を見つけました。(やはり車に乗っていたのではだめだったのです。)これが宇野尾峠道でした。

 以前、山梨日々新聞に記事が載っていましたが、渡辺知男さんという方が補修したという歩きやすい峠道をわずか10分ほど登ってすぐ峠に着きました。途中、峠道の脇には、ひとつの馬頭観音も見ることができました。
 その説明板には「鳥能(宇野尾)峠は駿州と甲州を結ぶ主要古道で生活物資等の搬送路として愛馬の霊を祀り道の安全を祈願した 樋田区」とありました。峠の北側少し登ったところには樋田地区の墓地がありました。 Hatoutitoge002
 

<鳩打峠>
 国道300号線から入り、結構広い舗装道路をあまり時間もかからず、鳩打トンネルでした。トンネル手前にあるという登り口がなかなか見つからず、行ったり来たりしました。ようやく雪に半分埋まった「YBS・NHKテレビ・・・」という小さな標柱があるところが登り口だとわかり、登り始めました。雪はすぐなくなり、落葉の踏跡が上へ上へと向かっHatoutitoge001ていました。

 10分ほどで峠でした。鉄で出来た矢印の標識と電柱がありました。峠の左右尾根沿いが土手のようになっておりこれは何?もしかしたら土塁?と思ったのでした。単なる土の盛り上がりかもしれません。

<地蔵沢峠>
 一色、和平を経て勝坂方面へと考えて進みましたが、途中和平方面への別れ道で「工事中通行止」という表示板があり、安全を取って甲斐常葉駅方面に戻り、市ノ瀬駅脇から勝坂方面に向かいました。このJidozawatoge001道も、前に通ったことのある道です。

 少し走り登ったところに三叉路がありました。この場所が地蔵沢峠だそうです。峠を示すものは何もなく、写真にあるような道路標識とカーブミラーが立っているだけでした。峠から見える距離のところで、二人の方が測量をしていました。中部横断道がらみの測量か?と思いましたが、ここは中部横断道が通るところと若干離れているかな。

<勝坂峠>Katusakatoge001
 以前通ったことのある勝坂峠、その時はここが峠だという意識はあまりありませんでしたが、今回改めて訪れてみて、ああなるほどここは峠だと思いました。

 南アルプスの山々も少し眺められるほど眺めのいいところでした。平地で、周りには何軒か民家がありました。昔は、峠の茶屋が何軒かあったとか、そんな雰囲気のある峠でした。

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 今回の「峠を行く」は4ヵ所、そのうち2ヵ所は車で訪れました。峠道を歩くというならば、本当は峠道を里から歩いて登り、里まで歩いて下るのが本筋だろうとは思うのですが。
 2ヵ所は多少なりとも歩いて登り、少しは峠の雰囲気を感じることが出来たといえるかもしれません。

 私なりの峠歩き「峠を行く」は、まだまだ続きます。

 

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2012年1月 9日 (月)

峠を行く 帯那峠 藤田峠 堀切峠 割石峠

 昨日、久しぶりに峠を歩きました。去年11月8日に右左口峠を歩いて以来2ヶ月ぶりです。今回は、市川大門から六郷方面へ抜ける峡南の峠のいくつかを探索しました。

<帯那峠>
 この峠の下のトンネルは、若い頃から四尾連湖に行く時何回も通ったのでItikawaobina001す。行くたびに新しい道路やトンネルが出来ていました。

 市川大門の街から身延線の踏切を渡り、しばらくいったところに「旧河内路」という石碑がありました。広域農道を横切り、市川公園を過ぎると山の中の舗装道路です。旧道を登ろうと考えながら行きましたが、結局見つからず新帯那トンネルに入ってしまいました。   
 トンネルを出たところで、右側に入る道路があったので進みました。50mも行かないで、「帯那峠と石龕」という表示板を見つけました。市川大門町の教育委員会が設置したようです。(「市川三郷町」教育委員会と書き直してありました。)車もほとんど通らないようだし、結構広い道路だったので車を路肩へ置かしてもらいました。
 すぐ獣避けの金網柵があり、戸を開けて(もちろんきちんと閉めて)進みました。車も十分通れる舗装道路でしたが、15分ほどで峠に着いて歩いて正解だと思いました。
 真新しい社(やしろ)の奥に「帯那峠の石龕」が見えました。社は中央市の某氏のついItikawaobina002最近の奉納であることが吊してある幕でわかりました。
 真新しい社とは対照的に、峠の両側の一段高いところにそれぞれ古い祠が見えており、こちらにも手を合わせました。

 右の写真が、帯那の集落をちょっと過ぎたところから撮った帯那峠です。峠であることがとてもよくわかります。先ほど見た真新しい社が見えるようです。

<藤田峠>
 四尾連湖へ行く途中、藤田の集落を過ぎ、大きく左へカーブするところが藤Toda001_3田峠のようですが、はっきりと確認は出来ませんでした。
 集落に戻り、「藤田のヒン曲り石龕」という表示板があるところの路肩にちょっと車を駐め、歩き出してすぐ右のコンクリートが流してある小道をトラバースしたところに、「藤田のヒン曲り石龕」がありました。何故「ヒン曲り」というのか見ただけではわかりませんでした。
 南向きの日当たりのよいところにあり、脇には水仙の花が綺麗に咲いていました。

 藤田集落の手前に「藤田栃久保の石龕 町文化財 380m」という表示板があり、小道を進み探してみましたが、これは結局見つけることが出来ず、心残りでした。

<堀切峠>Horikiri001
 藤田集落の手前500m位のところに右へ斜めに分かれていく道がありました。そこには「堀切峠の石龕」という表示がありました。そこから800mぐらい進んだところが峠状になっていました。ここが堀切峠で、まっすぐ下ると堀切の集落に行き着くのでしょう。
 わずかにある踏み跡を頼りに雑木をかきわけ5mばかり登ったところに「堀切の石龕」がありました。いまでも峠を通る人々(車)を見守っているように感じられました。

<割石峠>Wariisi002_2
 堀切峠から尾根道を走る道路を六郷町岩間に抜けました。すぐ着くかなと思ったのですが、(もしかしたらちょっと道を間違えたかもしれません)30分ももっとかかったかなと思う位時間がかかってしまいました。途中、いくつもの集落がありました。今は道が通り、車があるからいいのですが、歩かねばならない時代は大変だったろうなと思ったのでした。
 甲斐岩間駅前の大通りを通り、落居を過ぎると割石トンネルです。

 黒沢側に出たところに左に折り返すような舗装道路があり、きっとこれが旧Wariisi001道だと思いながら進むとすぐ旧割石隧道でその手前に「割石峠の石龕」という表示板がありました。
 車を路肩へ駐め、踏み跡も薄い山道を木や笹だけの枝を避けながら10分ほど進んだところに、竹藪に埋まりそうになりそうな「割石峠の石龕」を見つけたのでした。
 峠状のところは竹林で通れません。でもそこから石龕に向かって登っている石の階段が枯れ葉の下に確認出来ました。

 写真でも、割石隧道の上に割石峠が確認出来ますが、やがて何時かは竹林に覆われ、峠も石龕も埋まってしまうのでしょうか。

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2011年6月27日 (月)

「古名屋ホテル」と「粉奈屋」旅店

 先日、6月23日付の山梨日日新聞に興味ある広告記事が載っていた。甲府街中にある老舗「古名屋ホテル」の広告である。

 それによると、「古名屋ホテル」は、もともと鰍沢(現富士川町)で、「粉屋旅館」という名称で営業しており、甲府に移転したのが、明治45年(大正元年)だという。
 この「粉屋旅館」という名称を読み、ふと頭をよぎったのが、以前山梨百名山「源氏山」へ登った記事を書いた時に調べた大下藤次郎の「白峰の麓」という紀行文である。

 さっそく、また「白峰の麓」を読んで見ると次のような記述があった。

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 大下藤次郎の「白峰の麓」  <抜粋>

二 ・・・青柳という町を過ぎる。近きにお祭があるというので、軒提灯(のきぢょうちん)を吊して美(うるわ)しく飾っていた。
 形面白(おもしろ)き柳の巨木の、水に臨んで、幾株か並んでいる広い河原、そこに架(か)けたる手摺(てすり)なき長い橋を渡ると鰍沢(かじかざわ)の町だ。私は右側の粉奈屋という旅店に投じた。丁度三時半。・・・

二十四 ・・・青柳の町を、遥かに左に見て、堤の上をゆく。槻の並木の色は比(くら)ぶるものもない美(うるわ)しさである。堤の尽くるところに橋がある、鰍沢の入口で、ここにまた柳を写生した。
 粉奈屋へ帰ったのは午後の二時。・・・

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 広告では”粉屋”で、「白峰の麓」では”粉奈屋”であるが、多分同じ旅館ではないだろうか。
 大下藤次郎が、鰍沢を訪れたのが文脈からいって明治42年11月、紀行文「白峰の麓」の「みずゑ」初出が明治43年5月だそうだから、大下藤次郎がこの旅館に泊まって数年して旅館は甲府に移ったということになる。

* 大下藤次郎 (明治3年~明治44年)
 明治時代に活躍した水彩画家。明治38年水彩雑誌「みずゑ」を創刊し、自ら主管をつとめた。著書に「水彩画之栞」「水彩写生旅行」などがあり、山の紀行文などの文章家としても知られている。

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2011年5月23日 (月)

山梨百名山「三石山」

【 歩 い た 日 】 平成23年5月18日(水)
【コースと時間】 甲府6:20=7:20身延駅=(甲府から53.1㎞)7:50大崩集落三石山登山口8:10-9:15展望台9:25-10:00三石大明神(三石山山頂)10:30-11:05展望台11:15-12:10大崩集落三石山登山口

 身延駅から大崩集落へ向かう道に入るところが、よくわからず迷ってしまいました。(後でよく見ると案内表示がところどころにありました。見落としていたのです。)
 身延の街並みから100mほどで山あいに入り家並みが途切れるのですが、そこにスナックが2軒も並んでいてびっくりしてしまいました。

 桑柄川に架かる橋を渡ると、舗装はしてありますが狭く急な道が続き、この奥に集落があるのだろうかと思うほどでした。
 途中で広くなったりするところもありましたが、集落が近づくと広いいい道になりました。右左に比較的広い舗装道路が向かっていますが、この先どこへ進むのか興味がありました。また、山の奥のここへ集落が何故出来たのだろうかと興味が湧くのでした。Iwakagami005

 集落の最上の家に入る道に道標があり、登山道が始まりました。始めは、茶畑などを眺めたりしながら、歩き始めましたが、草露で靴やズボンの裾が濡れ始め、これはオーバーズボンを履いてくればよかったかなと思いましたが、すぐ山道に入り、濡れは少なくなりよかったと思いました。
 少し登り、椿草里への道を分けると、小尾根道になりました。やがて、大きな尾根に登りつきました。山道の左の木々に赤ペンキで大きな印が塗られていました。これは何でしょう。道ははっきりしているから不必要だと思ったのでした。

Mituisiyama005_4 まもなく展望台。8合目当たりから上の富士山が眺められました。反対側には、身延の街並、久遠寺から上っているケーブルカーが見えました。頂上近くが身延山でしょう。その更に上の向こうには、南アルプスの白い山並みが続いていました。

Yamanohana005 しばらく行くとこのコースで唯一の鎖場。その最後の辺りには、かわいいイワカガミが咲いていました。
 平坦な道になるとすぐ、三石大明神でした。立派な社殿です。神社を作るのここまで材料はどうして運んだのだろうかと思いながら、神社に向かい手を合わせて、周りを眺めると、山名の由来の苔むした大きな岩がいくつかありました。
 そして、神社のすぐ裏に、百名山の標柱がありました。一番高いのは、もう少し先なのかなと思いましたが、そちらに行く踏み跡もなく、ここで良しとしました。残念ながら、頂上からの展望はありませんでした。

 下山途中で、三人のパーティーに会いました。今回の山行きで会った唯一の人々でした。おせっかいかなと思いつつ、岩場のイワカガミを見落とさないようアドバイスしたのでした。
 

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