カテゴリー「八坂峠・折門峠・天神峠をめぐって」の11件の記事

古関小学校折八分校へ子どもたちが通った峠道

2010年1月10日 (日)

消えゆくムラ「折八」

 地元の山梨日日新聞にここ何日か”身延町”「折八」のことが載っている。(私とすれば”下部町”「折八」の方がしっくりいくのだが・・・。)
 自分が実際歩いた地域、様々な思いを胸に秘めて歩いた地域のことで、感慨深く読んでいる。Orikado05

 車を置かせてもらった御弟子の旧古関小中折八分校下の駐車場、そして雑草に埋もれた分校跡(廃校になる直前、先輩が教鞭をとったことがあるという。)、分校へ通った子どもたちの姿を思い浮かべながら歩いた折門への枯れ葉に埋もれた峠道(写真)、イノシシの突進に仰天した折門集落の畑跡、締め付けられるような気持ちで眺めた朽ちた家々・・・ 

 記事は「やまなしふるさとの地平2010」と表題をつけている。折八の後、記事はどう進展するのだろうか。

 折門と同じように「消えゆくムラ」であった塔岩、そして丹波天平から下った高畑、後山の集落をも思わずにはおれない。

   今日も山の神峠を越えて 

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2009年2月27日 (金)

折門峠、栂の峠、地蔵峠そして大平山

 上折門を後に折門峠に向けて出発しようとしたその時、30mばかりOrikadotoge01下の畑跡をドドーと一頭のイノシシが走り抜けていった。えー、この時期はイノシシは冬眠しているんじゃないのか~。ああ、恐ろしや~。そしてさらにその後を多分猟犬だろう、一頭の犬が吠えながらイノシシを追いかけていった。

 折門集落跡から折門峠への径は、はっきりしていた。しかし・・・落ち葉が一杯溜まっていて歩き難いことこのうえない。仕方なく、道脇の土手状のところを歩く。径を見失わないように林の中を歩いたり・・・。Tuganotoge01
 山神峠から直接尾根沿いに登って来る径と合流する辺りで一人の人が銃を持って座っていた。またまた恐ろしや・・・間違えて撃たれてはたまらない。以後携帯ラジオの音を一層大きくして歩いていくことにした。

 折門集落から40分ほどで、もう何度も来たことのある折門峠に到着した。この先大平山の東麓に旧の折門峠があるが、折門から歩いてみてやはりここが折門峠なのだろうと実感した。麓から登ってきてここが初めてほっと出来る場所なのだ。ここから先は下りだ。
 設置してあるベンチももう朽ちて座れる状態ではないほどだ。この先、栂の峠や大平山に設置してあったベンチも同様だった。しかし何となく周りとマッチしていてむしろ自然なのかなと思ったりもする。
 10分で栂の峠である。途中、先ほど記述した旧折門峠があり左芦川Jidotogee02側に径が下っているのを確認できる。栂の峠の栂は甲府から毎日のように眺めているあの栂だ。私の峠歩きの原点のような気がする。
 その栂の峠から更に東に7分ほど・・・旧地蔵峠。前にも書いたことがあるが、南八坂方面から鬼ヶ窪芦川側に微かに径が越えているのが確認できた。今日は、その南に下る径を下ってみる。わずか3分ほどで例の四尾連湖から精進湖に抜けるハイキングコースに下り立った。前にこのハイキングコースを歩いた時に、ここが多分旧地蔵峠への登り口だろうと思ったところだ。間違いなかった。

 栂の峠へ戻り、更に折門峠を経て大平山に登る。富士山がきれいに見Ohirayama01えていた。最初にこの大平山に登った時には、登り口にある富士山の眺めを絶賛している木看板の文章ももう少しはっきりしていてかなり文章が読めたようなな気がするが・・・

 大平山から折門峠を経て、尾根づたいに下り、山神峠を通り、御弟子の分校跡まで30分。あっという間に車まで戻った。      
          (平成21年2月15日歩く)

 以前、折門を訪ねたレポート → 山神峠を越えて 御弟子から折門へ

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今日も山神峠を越えて

 今日も峠を行く・・・山神峠を越えて  <2月15日(日)>

 何度目になるだろうか、御弟子集落の上、枯れ草が揺れる旧古関小学校折八分校跡のすぐ下を通る林道脇の広場に車をおかせてもらう。
 ここに来るまで林道には、大小の石が沢山ころがっていた。朝早くということもあり、走る車はほとんどなし。それでも沢の林道入口から入ってしばらくして、ゆっKamiorikado01くり走っていた車を一台追い越した。林道は、ここからさらに先、八坂集落あたりからは冬季通行止めだ。

 この間と同じ様に分校跡脇の石段を上がり、石仏に手を合わせ、さらにその先の神社にも手を合わせ鳥居をくぐり峠道に入った。
 稲妻形に峠への路は登っていく。わずか15分ほどで山神峠だ。右尾根沿いに折門峠へ登る山道を見送り、そのまま峠を越えて折門へ向かう。前回は畑跡と墓地などがある場所へ出たが、今回は地形図などをしっかり見て、どちらかというとSuisen01あちこちにある踏み跡を左側左側にとった。
 予想通り集落跡に行き着いた。上折門集落跡だ。前回行き着いた場所のすぐ左側、南側が集落跡だったのだ。本当にすぐそばだったのだ。今日は時間もあるので、しばらく集落跡を歩き回った。5~6軒の家々、物置とか製粉所らしきところも・・・冬枯れの木々の間から溢れる陽が明るく辺りを照らし、それほど気持ちは暗くならないが、生活の跡が生々しくて胸が締め付けられる思いも・・・。

 上折門から下折門に向かう。径ははっきりしている。10分かからず下Simoorikado01折門集落跡に着いた。やはり5~6軒の家々があったようだ。廃屋の石垣の脇には水仙が沢山芽を出していた。もうすぐ人のいないこの場所で花を咲かせるのだろう。
 大岩の上に登り廃屋を見下ろし、写真を撮る。物置らしき小屋の中には脱穀機らしきものも・・・米は採れなかっただろうから麦か粟みたいなものをこいたのだろうか。動力は何だったのだろうか?

 上折門に戻り、前回来たときに折門峠への径ではないかと思った径を、折門峠に向かって登り始めた。

その時、恐ろしいことが・・・

 → 「折門峠、栂の峠、地蔵峠そして大平山」へ続く

 

 

 

 

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2008年5月 5日 (月)

林道折八古関線と「師道の鑑」

Sido01

 山梨県旧下部町深い山あいを流れる反木川に沿った沢集落の林Kihyo01道折八古関線の入口にこの林道を示す木標がある。そしてその横には、この「師道の鑑」の碑が建っている。この林道を通る何人の人が気がつくだろうか。
 ここから何キロか先林道沿い山の中腹にあった古関小中学校折八分校に長い年月お勤めした今福清輝先生の顕彰碑である。山間地の分校に奥さんと共に29年という長い間お勤めいただき僻地教育に奮闘されておられたのは驚異的でもある。真に師道の鑑である。
 この分校は、中学校が昭和35年、小学校が48年に閉校した。校舎はそのまま平成17年まで残っていたが老朽化が激しく解体された。
(「下部町誌」第七編教育と文化 参照)Rindo02_2

 この近く大栂の木がある地蔵峠や大平山、釈迦ヶ岳に登った折、この分校跡を訪れたことがある。更地になっていて背の高い雑草が繁っていた。ここで子どもたちと先生が勉強していたのだ。休み時間に元気に遊び、走り回る子どもたちの姿が幻の動画のように見えた気がした。

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2007年4月 6日 (金)

八坂峠

Hassakatoge02_1

  八坂峠付近がよくわかる写真です。(拡大してみてください。)写真中央の山稜一番低いところが八坂峠です。(峠そのものは見えません。)その右上,少し高いところが林道 八坂峠,そしてさらに右へ飯田釈迦ヶ岳です。
 右から左へやや斜めに横切っているのが折八古関線,下から稲妻形に登ってきているのが反木川から登ってくる急坂の道です。(私の車でも登れました。)登り切って林道に交わります。(写真中央)ここから,栂ん峠(地蔵峠)へ登ったことがあります。

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2007年2月18日 (日)

八坂峠から地蔵峠,折門峠へ

 前々から歩いてみたいと思っていた八坂峠から栂の峠(地蔵峠)まで尾根Hassakatoge01_4 伝いに歩き,さらに折門峠から大平山へと登ってきました。
 林道折八古関線の四尾連湖ハイキングコース入口(二軒ほど民家がある)より一カーブ古関よりのカーブが八坂峠の登り口です。10分ほどで峠となりました。反対側にも道が下っていましたが,ずっと麓まで通れるのかはわかりません。とりあえず,今回は私は峠から東へ林道の八坂峠へと向かいました。割と急な登りでハアハアしながら登ると,もう何回も訪れている林道八坂峠です。10分ほどの登りでした。これから歩く尾根が眼下に見えていました。
 八坂峠に戻りいよいよ地蔵峠に向かいます。若干の不安はありますが,「峠の向こうへ」さんのレポートをよく読んでいるので大丈夫だと思いながら尾根を登ります。植林地と雑木林の境を境界標識の杭も見逃さないように,また尾根を外さないようにと慎重に登ります。とAnbatoge01_1ころどころに赤テープもありました。踏み跡もわかるところが多く,ここを歩いている人もけっこういるの だなと思いました。1161m峰を下るとアンバ峠。八坂側から登ってきて芦川側に下る道は確認できませんでした。1142m峰はバラ藪が少し続くところがあり,難儀しましたがまあそれほどではありませんでした。
 さて,この先が例の「峠の向こうへ」さんがアドバイスしてくれていた間違いやすいところです。確かに白樺の木が見えてきましたので北に流されないように,できるだけ南側左側を歩くようにしました。鬼ヶ窪が右に見えてきましたので大丈夫だと安心しました。古い地形図の地蔵峠がありました。ここでは,南から北の窪地に越える峠道を確認することができました。峠を越える人がいるのですね。
 そこから先少しで新しい地形図の地蔵峠(栂の峠)です。ここはもう何回 も来ているところです。折門峠から大平山に登り,栂の峠に戻り,そこから先はハイキングコースを八坂集落へ向かいました。かなりの距離,尾根からそれほど離れず尾根に平行に山道が下っているようです。途中,先ほどの古い地形図地蔵峠へ上る道,そしてアンバ峠へ上る道らしきものも一応確認できました。(本当に峠への道なのかはわかりません。)
 八坂集落に下る道を右に分けもうしばらくハイキングコースの山道を行き,四尾連湖ハイキングコース入口(二軒ほど民家がある)から林道折八古関線へ下り立ちました。
 今回の山行きに関しては,その他沢山の話題があります。また,順次報告していきます。

 

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2006年7月15日 (土)

三沢峠(精進峠) 根子峠

 平成15年9月、三方分山に登った。精進湖畔から女坂峠を登り、パノラマ台をまわり、精進湖畔に降りた。この時、三方分山からパノラマ台の途中に、三沢峠(精進峠)と根子峠という表示看板があった。その当時、この三沢峠と根子峠という名称は、精進湖側ではなく、反対側の集落の地名から来ているのだろうなとかすかに思った。

 その後になって、やはりそうだったと確認できた。何度も書いているように地蔵峠、折門峠などを訪れた折、反木川の上流に根子、三ツ沢という集落があった。それらの集落から精進湖側へ抜ける峠が、三沢峠、根子峠なのであった。

 賑やかな精進湖畔から登り降りする限り、峠の名称が、何故根子峠、三沢峠なのかは、なかなかわからないだろうな。昔は、根子、三ツ沢から精進湖に越える人の方が多かったのだろうか、とこんなことを考える。

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その時私は見た

 3年前9月、女坂峠から三方分山に登った。その時私は見た。三方分山西方に遙か一本の高速道路が山腹をまっすぐに西に向かっているのを。こんな山奥にこんなに立派な道路があるなんて、正直いってまるで夢を見ているようだった。

 この道路が「林道折門古関線」だと確認したのは翌年5月だった。市川大門から久那土を経て古関割子線を照坂トンネルを出たところで左折、根子、沢集落を通り、八坂集落に車を置き、地蔵峠、大平山に登った時だった。

 この道路が、さらに林道八坂峠を通り、釈迦ヶ岳の北斜面をぬうように周り下り、大ゾウ沢を寺川グリーン公園、上九一色、国道精進湖線へと抜けていくのだ。

 この道路の有効性経済性を云々する気持ちはまったくない。正に天空の集落、山奥の集落八坂を目前に、私は昔のここの人々の、そして子どもたちの生活に思いを馳せるのである。  

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2006年6月18日 (日)

林道八坂峠から釈迦ヶ岳 釈迦屋敷跡 ヌケド峠

Syaka01  梅雨空ではあったが、雨の合間をぬって、飯田釈迦ヶ岳へ登った。林道八坂峠からあまり歩かれていないような山道を登り、わずかな時間で三方分山との分岐、そして釈迦ヶ岳山頂。朝霧の中(麓から見ると山に懸かる雲なのだろう)、アヤメがところどころに咲く静かな山頂であった。更に東に少し下って釈迦屋敷跡。「甲斐の山山」に載っている石仏の実際を見る。

 山頂へ戻り、先ほどの三方分山分岐を左折Syaka005。下りきったところがヌケド峠であった。東から上ってくる道は確認できなかったが、西側八坂三ツ沢へ下る道を見つけ下る。崩れている山肌を縫うように道がジグザグ下り、5分ほどで林道。10分ほど歩いて出発点の八坂峠へ戻る。

 雲で眺望はあまりなかったが、盆地からいつも眺め、いつかは登ろう、いつかは登ろうと思っていた釈迦ヶ岳へ登ることが出来、満足。

 

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2004年8月15日 (日)

栂の老大樹

 久しぶりに涼しい朝
 風が強く、時折雨も降る天気
 雲が低くたれている

 先日登ったつがん峠の
 栂の老大樹は
 きっと、この霧の中
 今までと同じように
 峠で独り、すくっと
 立っていることだろう
 

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